人生脚本の影響
こんにちは。明治大学で生涯学習講座の講師をしています、遠藤美保です。この番組では、社会人や学生向けの生涯学習講座を10年以上行ってきた私が、日常生活でも活かせる心理学をポッドキャストでお伝えしていきます。
今回のテーマはこちら。「人生脚本。親の脚本、子の脚本。変化のタイミング」。今回は、「人生脚本。親の脚本、子の脚本、変化のタイミング。」のお話です。お伝えしている心理学ですが、皆さまにとっての日常的で身近な話題とも、自然とつながっています。その見方、活かし方をご紹介します。
今回は、「人生脚本。親の脚本、子の脚本。変化のタイミング。」について。私たちは誰しも、子どもの自分が書き、今も従っている人生脚本がある、と言われていますが、親子にももちろんそれぞれの人生脚本があります。
そのポイントを知ることで起きていることを整理し、これから起こる変化のタイミングに備えることができます。
第1回目「承認欲求は、誰もが持っている原点」。第3回目「子どもの自分が書き、今も従っている人生脚本」とも、リンクするお話です。
子どもの頃、私は兄弟と比べて、かなり手のかかる子どもでした。本当にすみません。詳細は伏せますが、素直に従うタイプではなく、育てるのは相当大変だったと思います。
親も人間ですから、やはりムカついたり、嫌になったりしたことも、ずいぶんあったはずです。
大人になってから何気なく、「同じ子どもでも、そりゃあ同じだけ好きってわけにはいかないよね。好き嫌いがあって当たり前だと思う。」という趣旨のことを言った際、親からはこんな反応がありました。
「そんなことない。自分の子どもなんだから、同じに決まってる。どれだけ手がかかったか。」
それでもめげず、「手がかかるのと、好きとか愛情とかとは、別物でしょ。」と言いましたが、頑として「自分の子どもは、愛情も同じだけ。」と言われました。
親の立場上、そう言い続けてあげなきゃというわけでもなく、本当にそう信じているようです。
それどころか、そんなことを言われ、なんだか親として責められているように感じてしまうようです。
実際のところ責めたいわけではなくて、どちらかというと、「嫌われても仕方がないほど、ご面倒をおかけしました。
自覚しています。もう本当に育てていただきありがとうございました。」という方が、私の心情には近いんですけれども、なんだか責めているように感じるということです。
とはいえ、不思議で仕方がなかったもので、2人以上子育て中の方々、私の親ではない親の立場の方々に何人か質問をしてみました。
「自分の子どもって、同じだけの愛情。好き嫌いはないって、そうなの?」
「いや違う。同じわけない」。「上の子の方が好き。」とか「苦手。」とか、「下の子の方が苦手。」とか「好き。」とか。
「そうだよね。」と、個人的には、ずいぶんすっきりしました。
親は子どもに同じだけ愛情を持っている。持つべきだ。これなどは、長らく常識的なものとされている、世の中で共有されている、親という存在の人生脚本に当たるのではないでしょうか。
自分の子どもでも、合う相手、合わない相手。合うタイミング、合わないタイミングはあるのでは?
これは逆もまた同じ。自分の親でも。合う相手、合わない相手。合うタイミング、合わないタイミングはあるのでは?
ただ、人生脚本は、本当に根強く土台を形作っています。
だからこそ、親側か子側、あるいはどちら側も、親について、子について、親子について、その役割ややりとり、ゴールといった、詳細まで書き込んだ、非常に強固な人生脚本を持っていますと、
どうしても、<今、ここ>の現実に適応した「行動・思考・感情」ではなく、人生脚本に基づいた、自動再生された「行動・思考・感情」となり、「脚本的行動」と言われる行動を取ってしまいます。
変化のタイミング
「脚本的行動」というのは、生きていくため、私たちの原点である承認欲求を満たすための刺激=ストロークを得るための戦略に従っている行動です。
お互いの人生脚本が合っていればいいですが、合っていない場合、なかなかしんどい状況になるかと思います。
また、合っていたとしても、人生が進むにつれて、それぞれのライフステージも環境も変わっていきます。
その時、最初に書き、従ってきた人生脚本と現実が合わなくなってくるかもしれません。
けれど、「脚本は気づきの外にある」。
「現実は、脚本を正当化するために再定義される」と言われています。
気づくことなく進み続け、現実は脚本に合わせて解釈、正当化されます。
例えば、自分の子どもは平等、どの子も同じという脚本では、子どもが何をしても、どんな子だったとしても、その脚本に合わせ同じであろうとする。
同じではない時、もしムカッときて何かをしたりしなかったりしても、それは子どものためを思ってそうしない、そうしていること、愛情からしていることと、再定義されるかもしれません。
実際にそういった部分もあるとは思いますが、全部が全部そうとは言い切れない。
けれど、再定義された現実は、その人生脚本のストーリー通り、本当の現実は気づかれることなく、さらにその人生脚本が強化される材料となります。
ある時、こんなことがありました。これは親子関係ではなく、職場の同僚同士のお話ですが、親子どころか、孫に近いほどの年の差がある者同士。
コロナ前ですが、幅広い年代が集まって、数名で飲み会がありました。
強制的なものではなくて、軽く誘い合わせて参加する飲み会です。
その時、若手の女性が、他に用事があるからということで、先に帰りました。
残ったメンバーは、楽しく飲んで、お会計。
そのお会計の際に、それぞれいくらという仕切りをしていたところ、最年長の年配の男性が、えらく怒っていらっしゃることに気づきました。
よくよくお話を伺いますと、「最初に帰った若手の女性が、会計のことについて何も言わず、払う気が全くない。
ご馳走になるのが当たり前だと思っている。しかも以前も同様のことがあり、どうも常習的らしい。なんだあいつは。」ということでした。
おそらく、その若手の女性はご、馳走されることに慣れていて、しかもこれだけ目上の方から支払いを求められたことがなく、それが当たり前になっていたのかな、と思います。
そしてこれだけの年齢差がありますと、そういった流れになることも、その当時はそれほど珍しくない。ある程度、常識的な流れでもありました。
そんな中、非常に怒っていた年配の男性。当時のその方の詳細は不明ですが、一般的には、ライフステージや雇用形態が変化する時期でした。
定年退職後だったり、再雇用や嘱託だったり。勢いよく稼げる時期とは、違う時期に入っている可能性が高い頃だったかと思います。
ご馳走して当たり前だなんて、冗談じゃない。
もともとの考え方が、割り勘派だった可能性もありますが、そんなライフステージと関係して、変化するタイミングだったのかもしれません。
この辺りは、親と子、祖父母と孫、年上と年下、男性と女性、上司と部下、それぞれの人生脚本で常識的とされる役割ややり取り、関係性。どちらかの負担が、当たり前とされてしまっている関係は、
実際には、状況の変化に応じた現実的な対応が必要になっても、ついつい人生脚本に基づく「脚本的行動」をしてしまいやすい。
変化のタイミングは、特に難しいところです。
新たな選択肢を見つける
ではどうしたらいいのか。
まずは、脚本に気づくこと。その上で、いつもと違うアプローチを試してみることを、お勧めします。
通常、「脚本は気づきの外」にあります。
気づくことで脚、本に入り込みにくくなる。
そうすると、脚本的行動で得られるストロークが減ります。
いつもと違うアプローチをすることで、別のストロークが得られるようにもなります。
そうしますと、ストロークというのは、もともとそれを受けた行動が強化される特質がありますので、「脚本的行動」とは違う、別の行動が強化される。
脚本からは抜けやすくなると言いますか、もともと入りづらくなる。
そんな流れになります。
うまくいっていればいいんですけれども、うまくいかない、どうにも絡み合う、こじれる、なんとかしたい。
以前はうまくいっていたのに、うまくいかなくなった。なんだろう。
そんな時は、「脚本の中にいる」。そして、脚本の中の場面を作り出すような工夫をしてしまっている。
そう仮定して、観察してみてください。
脚本に気づいたら、タイトルをつけてみることもおすすめです。
より脚本に気づきやすくなり、新たな選択肢を増やすことにつながるかもしれません。
では今回覚えていただきたいポイントは、「人生脚本。親の脚本、子の脚本。変化のタイミング」。
まずは、気づくこと。そして、いつもと違う変化を味わってみませんか。
ここまで聞いていただき、ありがとうございます。
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