こんにちは、堀間奈です。
インタビュー、この番組はYouTubeとPodcast各プラットフォームよりお届けしています。
今回は第6回です。早川さん、今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はね、私がオープニングをやらせていただくということで、
前回聞いた方はね、わかると思うんですけど、
斎藤アレックスコータさん、サウナの会社をやっている方なんですよね。
私、サウナめちゃくちゃ好きなんですけど、
早川さん、サウナ行かれます?
いい質問ですね。
結論から言うと、行かないです。あんまり。
行かないんだ。
最近はというか、行かないってちょっと語弊あるかな。
行くんですけど、コロナ禍でそもそもスーパーセンターとか行かなくなっちゃったから、行ってないっていうのはあるんだけど、
一つあるのが、若い時は結構平気だったんですけど、
これまた年取ってくる話ばっかり嫌なんですけど、
なんかね、長い間できなくなってきて、暑いのが。
あー、じっとしても嫌なってこと?
これ暑いじゃん。
いわゆるサウナっていっても、いろんなサウナでそんなめっちゃ暑くないのもあるんで、
ミストサウナとかそういうものだったら大丈夫ですけど、
結構ガチのサウナはあんまり長時間、夜でも、お風呂の夜でも入っていけないみたいな。
あるので、あれですけど、
あんまり行かないというか、そういう意味では先週もマナさんが言ってましたけど、
結構行くっていうのはどのくらいの頻度でとか、どういうところ、
いわゆるザサウナみたいなところもあるでしょうけど、やっぱりスーパーセンターみたいなところってどういう感じなんだろう。
私家からちょっと15分くらい歩いたところに、
これもスーパーセンターって言うんですかね、結構いいサウナの場所がありまして、
そこに大体週1くらいは行ってるかな。
マジで?
行ってますよ。
それ相当好きだね。
好きですよ。
それは何、きっかけはどんな感じですか?
きっかけは、でもなんか最近ですか、最近よりもうちょっと前なのかな、
サウナブームってあるじゃないですか、日とかにじわじわと。
そうですね。
なんか茶道とかね、それこそ番組っていうかドラマですか、が出てたりとか。
で、私も前暑いのあんまり得意じゃないし、そもそも温泉もあんまり好きじゃなかったから、
全然こうあんまり興味はなかったんですけど、
友達に誘われて1回行ってみようと思って行ったら、はまりました。
それこそほら、入り方とかあるって言うじゃないですか、
なんと入って水風呂に入るとか、それもできちゃうんですか?
それで言うと、最初に温泉というか温かいお湯に入って、毛穴を開くんですよね。
なるほど。
で、体をある程度温めてから流してサウナにゴーするんですよ。
それでだいたい温度にもよりますけど、8分とか10分くらい入って、
水風呂30秒、40秒、1分くらい入って、外気浴へゴーを4セット繰り返しますね、私は。
結構ちゃんとやってますね。
みかつりです。
それ、僕未だに水風呂がですね、ダメだというかビビって入れないんですけど、それなんとかなるんですか?
え、でもそれこそここでこれ言うのあれかもしれないけど、よく早川さんご自分でドMだっておっしゃるじゃないですか。
はいはいはい。
だったら自分への負荷というか忍耐だと思って、やればいいじゃないですか。
いやいや、わかるんですけど、心臓止まっちゃったら終わりだからさ。
止まらないですよ。
氷入れてちょっとずつかけてって入ればいい感じか。
そうですそうです。最初手とか足とか末端の部分を冷やしてから入ります。
情報がかなり偏っているんで、水風呂って言うといきなり入るみたいなね。
慣れてる人は入るじゃん。
それも危ないよねやっぱり。
危ないです。凍えます。息止まっちゃう。
わかりました。なんかすごい勉強になりましたね。そこかいみたいな。
ぜひ行ってみてください。
ちょっと質問したかったんですけど、サウナって元は友達がきっかけってあれだけど、
続くっていうのはサウナってエストニアの人たちにとってどういうものかみたいな話もしてましたけど、
例えばそれが美容にいいとか、何か文字通り整うとかちょっとメンタル的な話なのか、
とにかくあんまり考えずに楽しいから行ってるのか、マナさんどんな感じですか?
それで言うと私結構ね、日常で考える時間が結構多い人間なので、いろんなことに対して。
頭がモヤモヤした時とか、なんかちょっとスッキリしないなって時にサウナに行って、
整うことによってスッキリするみたいな。考える時間もありますしね、サウナ中は。
まさにこのね、アレックさん。会社通り整うってよくわかってるんですね。
本当にわかります。だからそうだよなぁと思いながら聞いてましたね。
ということで、今回はエストニアの企業家で整う共同創業者、クロスアイディシニアプロジェクトマネージャーの
アレックス斉藤コーペさんのインタビュー2回目をお届けしたいと思います。どうぞ。
さっき斉藤を共有させていただいて見せていただいたサウナ。
フィンランドがやっぱりイメージはありますが、いわゆる整うが扱うサウナのオリジナリティというか、
いわゆる日本のサウナ、例えばフィンランドのサウナ、そういう括りがちょっとそもそも適切かわかんないですけど、
そこと例えば何か違うんでしょうか。それか何か特に整うとしてすごくこだわってる部分があるのか。
そうですね、まあいろいろ思い入れっていうところはあるんですけれども、
そもそもエストニアのサウナの特徴というところがいくつかありまして、
エストニアってそのまあ日本ともその音浴のカルチャーというのは近いところはあったりとかするんですけれども、
一つ目としてはやっぱりそのデザイン面がエストニアは北欧なのかみたいなところって結構議論が分かれていて、
一応国連の定義は北欧だけど、一般的には東欧とかそういったところにカテゴリーされるような話はあるんですけれども、
北欧の一つとして、やっぱりそのフィンランドに強い影響を受けているというところはファクトベースでやっぱりあると思っていて、
やっぱりそれもそのソ連時代にやっぱりその西洋の文化や憧れっていうのが非常に強かったっていう風に、
自分の周りの人からも伺っていて、1991年に独立してから一つのモデルケースになったのがフィンランドだと思っていて、
そこでやっぱりそのソビエトのカルチャーっていうのもまだまだ残っていたりだとか、
あとはもっと古く言うとデンマークであるとかドイツの支配を受けたっていうところもあって、
本当にいろんな国の支配の影響というか影響を受けている。
それがいい意味でそのデザインに昇華されているなというふうに思っていて、
自分の後ろに映っている背景とかは西洋のデザインですし、
最近のビルになると本当にシンプルかつガラスとか白いトーンを活用しているビルとかも多く見られますし、
そういったところを見ているとデザイン性っていうのも非常にベストにあって高いなと。
ただ単に北欧調ではなくて、ただ単に西欧調でもなくて、ただ単にロシア調でもなくて、
いろんな文化が混ざってデザインっていうのが出てくると。
そういったところって直感的に好きで、
そういうそのデザイン性の高さっていうのは一つのエストニアの特徴なんだろうなっていうふうに思っています。
別にその外見だけかって言われると、やっぱりサウナって相当長い昔から、
もう本当に紀元前からって言われるぐらいですね。
エストニアでスモークサウナっていうカルチャーとかあるんですけれども、
そういうやっぱり伝統がある。
日本も結構お風呂の浴槽とかいろんなものがあると思います。
お風呂グッズっていろんなものがあると思うんですけれども、
それと同じようにエストニアもサウナっていろんな選択肢があって、
グッズがある、そういった寝室の高さっていうのは一つ気になってるなっていうふうに思いますし、
あとはやっぱりその物価が日本に比べて生活費ベースで7割ぐらいなんですね。
なので物価も安いっていうのと、単純に購買コストも安いのかなっていうふうに思っています。
なんかだんだんサウナ欲しくなってきたんですけど、
やっぱりその価格は置いといて、実際これ見てる方、聞いてる方が興味持った時に、
やっぱりその場所とか、つまりスペース、マンションに入れるようなものではもうそこは最初からないっていう感じ。
少なくとも現状、どういう整うとして感じなんだろうと思って。
バレルサウナっていうのは基本的に屋外に置くことっていうのが相当あるんですけどね。
あと重量もあれ、ちっちゃいやつの680キロぐらいあって、
そこからサウナストーブとかストーンとか入れると、
人が乗ると1トンぐらいとかになっちゃうので、室内ではなく屋外を想定しています。
今結構多いのはやっぱりキャンプ場のお客様であったりとか、
授業用だとキャンプ用であったりだとか、
あとは埼玉の翻訳施設さんにも提供させていただいてるんですけど、
露天風呂ですね。若干余ってるスペースとかに置かせていただくとか、
そういった流れというのは増えていますね。
やっぱり難しいのが、本当にまだまだこういう新しいタイプのサウナっていうのが、
法律で規定されていなくていい部分とかもあって、
ここは今もテントサウナとかってすごく流行っていますけれども、
なかなか多様に苦慮されているイベントを授業するのが多いみたいな。
それと同様にバレルサウナっていう新しい屋外型のサウナというところが、
若干自治体によって規制とかも違うので、
一概にここに置けますみたいなところは言えないんですけれども、
一般的にそういう個人宅であればお庭みたいなところですね。
授業用だとキャンプ場であるとか、お肉施設に置かれることが多いのかなというふうに思っています。
これちなみに先ほど2021年から、去年から準備されてたと思うんですけど、
新たにサービスというか、これまた一つの事業立ち上げる時に、
タイミングがあったりというか、やっぱりこのコロナ禍じゃないですか。
だからそうでなくても新しい事業ってやっぱりチャレンジングだと思うんですけど、
そこでこのコロナ禍っていうのを、アレックスさんとしてはどう捉えたんでしょうね。
実はちょうどもうそのコロナの直前ぐらいにもうローンチする準備してたけど、
このコロナでいろいろ苦労があって、ちょっとこう今になったのかとか、
もしくはやっぱりさっきの話じゃないですけど、逆にそれを追い風と捉えて、
心のケアとか、悪くとれば2020年とか2021年何か始めるっていうのは結構チャレンジングだと思うんですけど、
その辺ご自身、企業家としてどう考えてたのかなと。
直接的にまずコロナっていうのを意思決定の要因にしたっていうことは一切ないです。
ただやっぱり間接的にいろいろ影響あると思っていて、
やっぱりなかなか運営施設に行けないっていう、そういうマーケットニーズっていうのを
自分のサーナーが欲しいなっていうニーズはやっぱり2年前とか1年前に比べると、
やっぱり上がってきてるというふうには思っていますし、
あとは自分自身がエストニアと日本に行く頻度というのが下がったんですね。
昔はもう何なら毎月ごとにエストニアと日本に行ったり来たりとかしてたんですけど、
やっぱり隔離期間というのができてしまって、
日本にいる期間というのが長くなってきたと、
そういう時にやっぱり自分のサーナー欲しいなっていう、
本当にエゴから始まったようなきっかけではあるんですけれども、
じゃあその自分のサーナー欲しいなって思ったのは何が原因かっていうと、
やっぱりコロナかっていうところはあると思いますし、
これだけ人間の生活に大きな影響を及ぼしているので、
間接的な影響っていうのはあると思うんですけど、
やはりコロナだからこういう正気だ、
大きいマーケットチャンスがあるから行ってみようみたいなところは特になかったですし、
悲観的なこれでうまくいかなかったらどうしようみたいなのはありますけれども、
ただ別にスモールスタートでまずは自分たちのサーナーを入れてみようと。
お客さんがついたらそこからスタートアップでやるとご理解いただきながら入れてみて、
一緒にその実績を作り上げていこうっていうのが、
ここの立ち上げからの半年間ぐらいの動きだったので、
そういう意味では、もちろん今も次のその動きに向けて、
そのサーナー事業の投資っていうのは進めているんですけれども、
人生かけた大博打みたいなことは特にしていないので。
ありがとうございます。
この3人の共同事業でというふうにおっしゃっていると思うんですけど、
海外で事業を起こす時って、僕は経験ないんで勝手なイメージですけど、
誰と一緒にやるかはもちろん大事だと思います。
その当然現地で信頼を受ける誰かを一緒にパートナーに見つけるのがすごく重要かなっていうのは、
海外で結構いろいろやってらっしゃる日本人の方から聞いたことあるんですけど、
その事業主、共同事業の他の2人の方は日本の方なんですか?
そうです。日本人で、ただもちろん現地にいるかこっちにエストニアにも、
もちろんパートナーはたくさんいらっしゃいます。
一概に言えないでしょうけど、
整うとして、他のお二人と一緒にやろうと思った時っていうのは、
元々別の事業を一緒にやってたとか、友人だったとか、全然関係なく運命的に知り合ったとか、
どんな経緯で今に至ったんでしょうか?
そうですね、2人のうち1人は学生時代から、元々音楽を通じて知り合ったんですけども、
学生時代からずっと仲が良くてですね、いつか何かしら事業をやりたいねっていうところで、
彼はもう3年、4年くらい前から1人で起業していたので、
そういった彼の背中も見つつ、実はエストニアという国を教えてくれたのも彼で、
そういったきっかけもあって、自分はエストニアに住むことになってっていうところで、
オンラインでありながらずっとリモートで連携はしていたんですけれども、
いよいよこのサウナを入れようと思うんだよねと、
ちょっとツイートしてみたらかなり注目度が高いから何かやらないかっていう声がけをしたのが、
本当に率直なきっかけになります。
で、もう1人は元々知り合ったのは本当にまだ1年も経っていなくて、
ただもう1人の共同創業者木村と、その3人目が小林っていうんですけども、
その小林と木村が元々2年くらい前からですね、
僕ら全員音楽が好きっていうところと、僕以外の2人は今も音楽を研育で続けているっていう共通点なんですけれども、
その音楽の方で彼らもつながっていて、小林が施工周りの知見があったりだとか、
元々個人で輸入事業みたいなところもやっていたので、そういう知見もあるよねってのところで掛け合わせで、
じゃあやってみようかっていう話を始めたのが去年の10月、11月ぐらいですかね。
もう最近、じゃあ最近ですね。
めちゃくちゃ最近ですね。まだまだまだ1年経ってないですね、それで言うと。
小林と何かやろうと思い始めてから。
なんか今、整うのところも伺いましたけど、ちょっとここからさらに戻ってですね。
やっぱりこれ見てる方、聞いてる方、改めてやっぱりアレックスさんめちゃめちゃ落ち着いてて、しかも頭のキレも良くて、
変な人もですけど、こう言われますよね。若さに似合わずすごく落ち着いてるとか冷静だとか、初対面の人とかじゃないですかね。
いや、どうでしょう。僕も全然落ち着いてはないですけど、
まあでもこうやって人とお話しするのは好きなんで。
かつまあ、しょうみエストニアのお話なんて、僕はもう何十回何百回とお話してるので、
そういう意味では慣れさせていただいているというところはありますよね。
やっぱりそのバックグラウンドというところで伺っていきたいんですけど、本当にシンプルな質問で恐縮ですけど、
やっぱりそのお名前でね、アレックスさんと入って、
お生まれは海外とか、例えば当然ご両親どちらかが外国の方とか日本以外の方とかどういう感じなんですか。
母親が日系アメリカ人の家系なんですけれども、父自体は日本人で、
1800年代の終わりにハワイに移民で移り住んだ家系なんですね。
なので、僕自体は実は日本生まれ日本育ちで海外で住んだことって実はエストニアが最初で、
母親の家系自体はアメリカの方にずっと続いていて、
祖母か、まあ母親もそのなんて言うんでしょう、もちろん日本人のためですし、
日本語もペラペラなんですけれども、英語も喋れて、なので母方の家系は英語が結構上手というか、
もちろん英語を兼に住んでいたので、祖母も代から日本に戻ってきてのかな、
祖祖母かな、そこから戻ってきてっていう家系です。
僕は実はアレックスっていう名前が持っていたんですけれども、それはカルチャー的なもので、
旅行行ったら母親が英語を喋ってくれるんで、僕は喋る必要なくて、
むしろ英語は不得意だったっていうのがありますね。
僕もプロフィールを拝見してね、世界一周されてたりとか、いろいろあって、
英語とかいろいろ語学も、今はもちろん大丈夫だと思いますけども、
単能で、いわゆるそういうバックグラウンドを活かしてみたいな感じのイメージがあったんですけど、
今は当然こうやって世界に出られてて、言葉もいろいろ喋られてたり、当然企業もですけど、
ちょっと質問を分けた方がいいと思うんですけど、まずその世界というものを舞台にするっていうのは、
振り返ればやっぱり、例えばお母様の影響があるとか、あとお父様も例えば世界中を回って、
例えば勝者の仕事をされるとか、どんな感じですかね。
全然そんなことはないんですけど、僕が興味を持つきっかけになったのは、実は音楽で、
ずっと洋楽が好きだったので、20歳ぐらいの時かな、一回その本場の音楽を聴いてみたいというふうに思ったんですね。
もともとその2年ぐらい前から、後人の影響を受けて、バックパックというか一人旅を国内でするようになって、
一人旅ってめちゃくちゃ楽しいなと思っていて、その旅っていう要素と音楽という要素が組み合わさって、
じゃあ今度はちょっとニューヨークに行ってみるかっていう、それも旅と言えるようなものではなくて、
本当にその知人の知人の知人のところですね、泊めてもらいながらみたいな、
今考えると本当に温室な旅だったんですけれども、アメリカに行って、
当然一人の時間が多いので、英語を自分で喋らなければいけない、母親はいないので、
ご飯食べるにしても、自分の泊めてもらっているところへ帰るにしても、何かトラブルがあった時には自分でやらなければいけない、
いう環境になって、英語を初めてというか、使わなければいけないシーンになって、
あれなんか通じるなっていう、なんか変な自信が生まれたんですね。もちろん全然今より英語なんてできなくて、
でも、何て言うんでしょう、単純にエストニア語って多分皆さん何も知らないと思うんですけど、
英語の単語って多分1から10数えられる時点で10個知ってるわけじゃないですか、だから100個ぐらいは知ってると思うんですよね。
そういうこともあって、通じるんだって思ったんですよ。別に発音ぐちゃぐちゃでも、英語ぐちゃぐちゃでも、別に完璧である必要はなくて、
通じるんだなーっていうことが分かって、それでこれもしかしたら英語って楽しいのかもしれないっていうふうに思って、
そこからは結構日本でも外国人観光客の人と仲良くなって話したりだとか、英語もちゃんと勉強するようになって、
勉強やらされるっていうよりかは、何かもっともっと楽しく話せたら楽しいな、より面白いなっていうふうに思って、
っていうのが英語を話すようになったきっかけですね。20歳の時のアメリカに行った時の経験がきっかけで、
根拠のない自信を得たっていうのが割とあるかもしれないです。
それ、アメリカ、ニューヨークはどの辺に行ったんですか?僕も1回しか行ったことないんで、あんま詳しいことわかんないですけど。
そうですね、ニューヨークいろいろ回ったんですけれども、ライブハウスですね、
マリソンスクエアとか見に行きましたし、ブロックリンも行きましたし、
それがきっかけですね。
英語を今ね、勉強、その後からというか、ある程度普通にしゃべっていってから、もう1回そこから学ばれたってありますけど、
日本にいながら観光客の方と話したりとかもありましたけど、いわゆる、何て言うんでしょう、座学的なこととか、
例えばオンラインの何かを英会話やったとか、どんな感じで、1つこれだとは言えないと思いますけど、そんな感じで身につけられたんでしょうか?
2つあって、1つは座学なんですけど、高校の時、僕は、それは私立の学校に行ってたので、大学受験をする必要がなかったんですけど、
高校3年生の英語の先生が異様に厳しい人で、単語のテストが毎週あるみたいなことがあって、
その時に何かちょっと難しい単語みたいな時は、ことは一通り覚えましたと。
ただ何かそれも全部を全部使っているかっていうと、そういうわけではなくて、今もたまにその単語帳とか、
実家帰った時に見たりとかはしますけれども、全然覚えてないやつとかもあるなって思いながらやってるっていうのがあって、なので座学もやりました。
あとは、アメリカとか行って帰ってくると、やっぱり英語を話す量、送料が足りないなと思っていたので、
DMMA会話ってあるじゃないですか。 僕もやってますよ。
あれを、何年ぐらいだろう?結構やってましたね。
朝、僕朝弱いんで、朝目覚まし代わりにスカイプの着信をして、
30分ぐらい雑談して、みたいなところはやっていましたね。
すごいですね、そうか。
じゃあその中で国内に使っていって、それが今最初20歳でアメリカに行かれて、そこから世界に英語にっていうのは見えてきたと思うんですけど、
そこからいきなり当然このS2に行ったわけじゃないわけですよね。
エンディングのお時間です。
インタビューでは皆様からの早川さんへのご質問や、番組への感想、取り上げてほしいテーマなどを募集しております。
エピソード説明欄のURLからどしどしお寄せください。
またいただいたご質問は、月末のYouTubeライブでお答えしていく予定です。
初回のライブは1週間後、10月29日金曜日、正午12時からです。
たくさんのご質問募集しております。
1週間後ということでね、ちょっとドキドキしてきましたが、
マナさんがいいぞしてくださると信じて、リラックスして臨みたいと思います。
いきなり人任せにならないように僕も整えていきたいと思います。
楽しみましょう。
さあ、先ほどね、オープニングのところでちょっと聞きたいなと思ったのが、
やっぱりサウンド入るときに色々結構私普段考えることがあるのでっていうふうにおっしゃってたので、
マナさん、もちろん学校でいろんな忙しかったりとかあると思うんだけど、
考えることが結構たくさんあるっていうのが個人的にはすごくいい意味で引っかかって、
どんな感じなんでしょう?
悩み大きい年頃というのもあるかもしれませんが、
そういう考えなのか普通に色々考えることが多いんですか?
もちろん年頃としては恋愛のことがそれなりに悩むこともありますし、
あるけど、でもそれよりは私が今就職路線というよりは独立していきたいなと思っていて、
そうするとどう自分の人生を設計しようとか、
どうやって事業を広げていこうとか、そっち方向に考えていくことが多いですね。
すごいですね。
事業なんて俺考えてなかったな、23歳の時って。
社会人とか大学生だったんですけど、
これだけで月末のライブでベッド聴きたいって、
本当に触りの触りでいいんですけど、事業、いわゆる企業でもいいかもしれない。
その辺を考え出したのっていつからなんですか?
それでいうと、大学入った時からふわっとは考えてて、
なんて言うんだろうな、私って多分、