まあいろいろあって受注会もその中でもやってたりしたんですけど、資金的にやっぱり苦しいっていうよりは精神的にやっぱり厳しかったっていうのが大きかったですかね。なんかフランスってマイノリティでいるってことを常にやっぱり意識せざるを得ない場所なんですよね。
日本にいる日本人の方ってそういうことはあんまり考えないと思うんですけど、なんでかっていうと日本は自分の国であって、自分たちは日本人。それってマジョリティなんですよね。そうですね。
だからここで自分が差別的な目で見られることは基本的にはない。だけど外国で暮らす日本人って真逆なんですよ。で、フランスは特にそういうことが強いと思います。
つまりコロナになったら歩いてたら指を刺されてお前チャイニーズだみたいなお前がコロナ持ってきたんだっていうようなことを実際言われることもあるし、下手すると投げつけられたりとかも私はなかったですけどある。
日本食レストランのやってる人は窓ガラス割られたりとかもあるし、そういったやっぱり何か問題があるとすぐ攻撃対象になるんです。今イスラエルとのこういった戦争的なものがあると、今までイスラエルの方へのバッシングも特になかったのに急にその人たちへの攻撃が始まる。
だからそれもすごい極端なんですよね。それのベースっていうのはやっぱり外国人が多い街なんですけど、外国人でいる以上常にマイノリティーなんですよ。そのマイノリティーでいるってことの精神的ストレスってもう半端ないんですよ。それは体験したことがある人じゃないとわかんない。
以前おっしゃってましたよね。表裏なんでしょうけど、そういう国だからこそその表面的には差別は本当にしちゃいけないというか、もしそういう言葉を言ったりしたらそれだけでクビになっちゃうとか会社が潰れるみたいなおっしゃってたじゃないですか。
今は結構言いますよね。やっぱりヨーロッパ全体が今の時期ってコロナの後で経済が全部落ちてるじゃないですか。自分たちの自国ファーストみたいになってるから。
だからナショナリズムの方向にすごく傾いてるんで、それを隠さずに結構言ってしまってるっていうのがある。
その中で、いろんな複合的な要素があると思うんですけど、お仕事としては、コロナとかいろんなことがあったとしても、一つのベンチマークみたいなものね。目標みたいなものを2018年、19年あたりに示して。やはりこの日本に戻ってくるというのは、戻ってくるっていう、そもそも表現が合ってるのかとか、ケンジロウさんがどう捉えて今あるんでしょうね。
そうですね。そもそも前々から思ってたのは、あの国で死にたくはないんですよ。それは絶対に嫌だと。絶対に嫌だ。あそこで死ぬのはもうまっぴらごめんと思ってました。それはやっぱりマイノリティっていうのと、常に意見もろくに言えない。
そういった扱いを受けるっていうことがもう嫌だっていうのがやっぱりあったし、選挙権もないし、それもあって、いつか帰らないとなみたいなことはありました。あとは従業員を11人くらいにして、テイラーとしてはですね、とんでもない規模の受注を受けてやってたと思いますね。売り上げもたくさんあげましたけど、95%は経費ですよね。
95%ですか。
何も残ってないですよ。だから全部経営的に見て、創益分岐点っていうのを超えたら、あとは利益が出てくるんじゃないかと思って、ものづくりのクオリティ上げたり、お客様満足度上げたりとか、いろいろやってましたけど、上がんないんですよね。超えないんですよ。それはやっぱりフランスっていう国の労働時間の短さ。週35時間。
言ってましたね。
まあ土日は休みで、金曜日は朝の8時半に来て、11時15分で上がるんですよ。
ぼーっとしたらすぐ終わっちゃいますよね。
終わります。3時間ぐらいで終わる。それがいわゆる週35時間の労働なんです。年間5週間のバカンスがある。だから働く側としてはいいんですけど、経営者側としてはほとんど働いてくれない。その中でものづくりにこだわっていくっていうのは、愛入れないものっていうか、難しいんですよね。
そうなると従業員にも働いてもらうんですけど、自分が人の何倍も働くようになってやっていくんですけど、歪みがどんどん出てくる。従業員とか、自分がいくら人を育てても育たないとか、いろんなトラブルがありまして、ここであと10年やっても知名度はさらに上がるだろうけど、それが一体何なの?みたいな。
そこで言うと、悪はさせるって言うんですけど、これをやったところで一体何を生むのか?みたいな。そういった自問自答みたいなのがすごいできたのが、コロナのロックダウンの間かな?みたいな感じですかね。
そういう意味では、何事も光と影、よしよしあると思いますけど。
そうなると、現地パリのお客様は十分いたんで、それで賄えるんですけど、それだけに集中するってなると、日本のお客様に全部おさようならしなきゃいけない。それは自分が10年積み上げてきたものの関係性だとかを終わりにするってことなんですね。
それはやっぱりできない、したくないっていうのもあるし、感謝とかいろんな気持ちもあるからできないとか、あとは自分が例えばお仕事で得たお金の65%ぐらいは払うんですよね、国に。
だから、パイが小さくなると、それだけやっぱり生活も小さくなっていかないとできない。だから発展性がゼロなんですよ。あの国でそういうことをやってても何も生まないんですよね。具体的に言えば一生賃貸ですよね。
公立の学校だけに子供を生かせるんであれば、それでスムーズかもしれないけど、何にもならないですよね。そんな人生を自分で送りたいのかって考えた時に、それは嫌だなと思ったし、面白くもないなっていう。
だから、規模を小さくしてそこでやるっていうのは、最初の話のマイノリティでいるっていうことに疲れたこともあるし、やっぱり今までの自分の人生がどんどん良くしていきたいっていうことを、目標があってそれに対して到達するために努力をしていくっていう動きだったんですけど、そうならないんですよ。
それがやっぱりフランスの経済のベースにあるんじゃないかな。例えば今私がフランスに年に何回か戻って、あっちのお客さんの注文の対応はするんですけど、空港からタクシーに乗ったら運転手さんと1時間ぐらいずっと喋ってるんですよね。
ずっと喋ってて、最近の経済どうなのとか、いろんなオリンピックだねとか、いろんな話をこうしてても、絶対行き着くのは、全て国のために俺たち働いてるんだって。だから生活が豊かにならないんだって言う。でもそれ、タクシー運転手っていう外国人の方が多いんですよね。
そういった職業だからなのかと思って、じゃあアッパーの自分のお客様にお話を聞いても同じなんですよ。みんな同じなんですよ。それはどの社会的地位でも、あの国で経済的に発展していくってことが、ほぼ誰も夢見てないっていう。だからドヨーンとしてるんですよね。
街自体の空気がすごいドヨーンとしてる。観光業で成り立っている部分っていうのが大きいので、だからそういう場所でやっぱり発展しないまま、あと10年、20年やっていくっていうのは、何の意味も生まない。
今の話にかかってると、やっぱり10年前にかかった時は、今おっしゃったような、2人4人くらいだと、そうだからちょっと人も入れてっていうのが多分描かれたと思うんですけど。それでもやっぱり今の話、難しいところがあって。そうすると素人としては、さらに第三の選択肢としてというか、大資本じゃないですけど、スポンサーというか、そういうところに入ってもらったらできるかもっていう選択肢もあったかもしれないんですけど、その辺は。
それも考えて、最後の2年くらいはそれを行動してましたね。有名な、今名前は出せませんけど、誰もが知る超有名なハイブランド、ラグジュアリーブランドに行きまして、そこの技術責任者ですね。いわゆるメンズ、レディース、オートクチュール、それから子供服、すべての技術責任者っていうとすごい重要人物なんですけど。
その人に会って、ボンジュール・ムシューって言って、何か用かって言うから、「いや、自分はジューマペール・ムシュー・スズキだ。」自分で自己紹介をして、「じゃあ、あなたは仕事必要でここに、俺に会いに来たのか?」って言うから、ムシューって、僕は仕事は必要じゃないですと。あなたに仕事を欲しいとは思ってない。そのために来たんじゃないと。
あなたのところで、ブランドの中で、ラグジュアリーなことはずっとやってきてますよね。でも、ただ1個だけやってないのが、オートクチュールのメンズですよねって。この部分を作るんであれば、私たちは夫婦で、妻と一緒に行ったんですけど、それに対してお手伝いができますよって言ったら、そういうラグジュアリーラインを作るのはいかがですかっていうふうな感じで。最初の入り口っていうのがフランス大事なんですよ。
そこで、「すいません。私、本当にあなたのところで働きたいんで。」ってやったら、終わりなんですよ。スタート地点がそういうふうに入ると、その関係性っていうのは多分何十年も続く。そこで働く以上。それは分かっている以上、絶対に自分は下に行かないですね。あの国で交渉する上で、すごい重要ですね。
おっしゃってましたよね。いわゆる日本人の謙虚さの美徳とかいらないですよね? いらないっていうか、それはマイナスになっちゃうんですよね。だからそういうふうには絶対入らないから、だから自分はあくまで対等かそれ以上の立場で行く。実際その人はラグジュアリーブランドの技術責任者かもしれないけど、私たちとしては自分は経営者なわけですよ。だから対等以上で行くのはある意味当然なわけですよ。
そういった形で提案をしたら、じゃああなたはどういうことができるの?って言った時に、自分のテクニックをこういうことができる。例えばオーダーメイドの服作りであったら、人体は左右非対称なんですけど、人は癖があって、右利きの人は右肩が下がっててとかいろんなことがあるんですけど、そういった時はこういう風な型紙の洋服作りの展開をしていくとか言うとですね。
やっぱり技術者だから彼も、この吉井鈴木が言ってることは嘘じゃないんだってことがすぐわかるわけです。そういった形で会社を売却して、彼らのチームの中に入って責任者としてやる。そういった話もだいぶ進めたんですよ。で、上手くいかないんです。最終的には上手くいかないから断ったということもありましたね。
そういう意味では、いちタイユールとしては素晴らしい目標を達成して、あとはフランスで世界で続けるためのいろいろ試行錯誤した中で、じゃあどうなんでしょう?今こう日本に帰ってこられて、やるべきことはやったみたいな感じなんですか?どういう感じなんですか?
フランスでやり残したことはないです。だから何か後悔とかないし、もう一回チャレンジしたいな、もうない。何も特にないから、今はすごいものすごいハッピーだし、すごい自分がこんなにものづくりに関われて、もっといいもの作れる。
そのことに来てくれる、注文してくれるお客様に感謝して、100%自分の力を出し切ることができて、すごいシンプル。ある意味最高ですよね。
いいですね、今最高ってことが出てきましたけど、まさにね、これまでをちょっと深掘りさせていただきましたけど、今、その日本に軸を戻されて、1年、1年半ということで、実際どうですか?逆にね、コミュニケーションが、日本人でありながらフランスにずっと慣れてたから、ちょっと難しい部分もありそうだな、みたいな思ってたと思うんですけど、もう戻られて時間も経った今。
いろいろなんだろうな、実際日本で仕事するのはかなり久しぶりだと思うんですけど、いわゆる逆なカルチャーショックじゃないけど、そういった難しいなって思う部分と、あとやっぱり思ってた以上に、これはすごい可能性があるなとか、ポジティブな部分も含めて今どんな感じなんですかね。
単純にやっぱりものづくりがすごく追求ができるっていうのは素晴らしいこと。国を変えてもですね、ファンでいてくれるお客様だとか、そういったことの方たちへの感謝とかも一番大きいですし、あとはですね、最近そのスタンドFMっていう音声もあるで、自分の知ってるいわゆるサボアルフェルっていうノウハウですよね。
そういった服作りのテクニック的なことをお伝えをしていくとかも始めて、あとホームページも全部今作り直して、今自分で作ってるんですけど、そういったのもこだわって作ったりとか、第三者をあえて入れないでどんどん伝えていくっていう、そういったことができてるんですよ。それが結構楽しいっていうか、喜びかな。
一回ですね、コロナがほぼ終わった時にですね、フランスのリヨン、真ん中のあたりにある。リヨンのフランス人のお客様のところに借り縫いに行ったんですよ。たまたま妻と子供2人と家族で、リヨン、あんまり行く機会もないから行こうって言って。借り縫いもお客様と終わって、ちょっと観光しようって街を歩いてたら、川沿いに出たんですよ。
そしたらマルシェ、いわゆる1話ですね、あって。日曜日か何かでマルシェがいっぱい出てて、その中で手で押してくるコーヒーショップが出てたんです。手で押してくるって言っても日本の屋台とかと昭和な感じとは違って、ものすごいオシャレな感じで、センスもいいんですよ。若いフランス人のお兄さんがやってて、コーヒーをこだわって美味しいの出して。クッキーとかも自分で何か作って、少量なんですけど、すごい美味しい。
そういったのをコーヒーとか川沿いで飲んでたら、今まではやっぱり利益っていうことで、経済を拡大、自分の経営を良くしていって、経済的にもっと豊かになりたいということで、どんどんどんどん注文も増やして、人も増やして、人を育てて、その人たちにフランス語も教えて、アパートの面倒も見てとか、いろんなことやってきたんですけど、いや待てよと。
なんか真逆に見た時に、このお兄さんやっててすごい幸せそう。だから自分一人で自分ができることをシンプルにやってるんですよね。でも経済的には、そんなにお金もたくさんコーヒー売れても入ってくるお金は限られてる。でもこっちの方が豊かなんじゃないかっていうふうに思ったんです。
そういう視点であまり今まで見たことなくて、見た時に人をですね、従業員を増やさずにできる仕事とできない仕事があると。例えばアナリストとかファンドマネージャーとかそういったのって一人じゃできないと思うんですよ。だけど僕らの仕事ってこのものづくり。ゼロからお客様の体を採寸して型紙を作って記事を切って組み上げていくってほとんど手抜いでやるっていうのは、それが叶うんですよ。
ほぼほぼ一人でできる職業なんですよね。だったらなんでそれをやらないんだろうと。その方がやっぱり満足度も高いし、こだわれるし、経済的に入ってくる部分がお金が少なかったとしても良い部分とかが多いんじゃないかって。それは結構コーヒー飲みながら良い気づきをもらえたなっていうのがありましたね。
結果的に幸福感っていうのは増しそうですよね。 そうなんですよね。だから精神的豊かさの方が重要なんじゃないかなみたいなのは、その時期に色々感じたかなと思いますね。
そして実際日本に戻ってきて、いわゆるその時に感じたことっていうのは今も多幸感というか幸せな感じは続いてる感じですかね。 そうですね。シンプルでいいですよね。
そうすると先ほども少しありましたけど、今は当然ここの日本のお店を軸にしながら、パリにもたまに行ってるって感じですか? はい、パリに2回3回行ってですね。
あと同時にも私がコーヒーにやってるオリジナルのネクタイとかはイタリア製なんですけど、ミラノ行ったりフィレンス行ったりっていうことはやってますね。
そう、今ちょうどネクタイの話も出たんですけど、ケンジロウさんがね、そのスタンドA風にもやってらっしゃって、たぶんその前にというか実験的にですかね、YouTubeもちょっとやってみて。
で、たぶんそのネクタイとかチーフとかも今ECのサイトでやられてて、その辺もなんか個人的には、あ、いろいろ新しいことをね。
そうそう、いろいろやったんですけどね。 その辺もやっぱり今の部分の延長線上みたいなところもあるんですか?
つまり今まではお店あって、もうとにかく作ってっていうところに邁進してきて、やっぱりその自分で、いい意味でですけど、できる中でいろんなことをやっていくみたいな延長線上でそういうこととかもやるようになってきたんですかね、余白というか。
YouTubeはちょっと大変すぎてお休みしてるんですけど、お伝えするのは難しいんですけど、パリでお仕事をしてたっていうことが大きいのかなと思うんですけど、
パリジャンのお客様から学んだことっていうのがすごい大きくて、向こうだと服を着こなすっていうことがベースはですね、教養なんですよ。それが日本とちょっと違うかなと思う。
例えば私が今日しつけているようなネクタイとかポケットチーフとかっていうこういう組み合わせも、彼らの中ではおしゃれだよねっていう範囲っていうよりは教養があるねって思う。
そういう感じ。靴をよく磨いてるだとか手入れしてるってこともそれに当たる。その中でああいう街で暮らしながら、まあそういうことで着こなしとか身につけるっていうことの重要性も学ぶし、パリって行かれた方はもちろんご存知だと思うんですけど、街中がほぼみんな一色じゃないですか。
建物の色はほとんど統一されてるし、基本的にグレーなんですよね。街がそれでいてクラシックで色がグレーで統一されてるからこそ、色合わせの美学みたいなものが重要なんだなってことを自分で着こなして気がついたっていうか。
だから日本のテイラーさんもヨーロッパのテイラーさんもあんまり派手な格好しないんですよ。もっとクラシックなんですけど、私はそういう中で着こなしだとかをもっと楽しむっていうか、それでいて下品にならないでエレガントな方向でなるようにやりたい。
そういった理由でECショップもやったり、スタンドFMでたまにそういう着こなしとかネクタイのことをお話ししたいだとかをやってるって感じ。
いつもインタビューをご視聴いただいてありがとうございます。この度スタートしたメンバーシップでは各界のトップランナーから戦争体験者に至るまで2000人以上にインタビューしてきた僕が国内外の取材、そして旅の中で見つけた人生をアップデートするコンテンツをお届けしていきたいと思います。
ここでしか聞けない特別インタビューや基礎トークにもアクセスしていただけます。随時これ面白い、これはいいんじゃないかっていうコンテンツもアップデートしていきますので、そちらも含めてどうか今後の展開を楽しみにしていただけたらと思います。
なおいただいた皆様からのメンバーシップの会費はインタビューシリーズの制作費だったり、国内外のインタビューに伴う交通費、宿泊費、その他取材の諸々の活動経費に使わせていただきたいと思います。
最後になぜ僕が無料でインタビューを配信し続けるのか少しだけお話しさせてください。この一番の理由は僕自身が人の話によってうつや幾度の困難から救われてきたからです。
そして何より国内外のたくさんの視聴者の方からこれまで人生が変わりました。毎日勤む勇気をもらいました。救われましたという声をいただき続けてきたからには他になりません。
この声は世界がコロナ禍に見舞われた2020年頃から一層増えたように思います。これは本当にありがたいことです。
ただ同時にそれだけ心身ともに疲弊したり不安を抱えたりしている方が増えていることに関わらない、その裏返しであると僕は強く感じています。
正直に言えば僕自身も15年以上前に起業して以来最大のピンチといっても過言ではない時期をこの数年送り続けてきました。
でもこんな時だからこそ森に入ることなくインスピレーションと学びにあふれるまだ見ぬインタビューを送り続けることがインタビュアーとしての自分の使命なのではないかと強く感じています。
世界がますます混迷を極め先の見えない時代だからこそ僕はインタビューの力を信じています。
これまでのようにトップランナーや戦争体験者の方への取材はもちろん今後は僕たちと同じ姿勢の人、普通の人の声に耳を傾けたりややもすると打ち抜きになってしまう今こそ海外でのインタビューに力を入れていきたいと思っています。
そして彼らの一つ一つの声を音声や映像だけでなく本としてもしっかりと残していきたいそう考えています。
そんな思い共感してくださる方がメンバーシップの一員になってくださったらこれほど心強くそして嬉しいことはありません。
ぜひメンバーシップの方でも皆様とお耳にかかるのを楽しみにしています。
以上、早貝大平でした。