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こんにちは、IKUKO Laboです。
3月14日月曜日のお昼を過ぎたところです。
今日はすごく天気が良くて、なおかつ暖かくて、
なので、えっと、
昨日ぐらいから本当に暖かく、暖かくなっていて、
ニットのセーターとか、とても着れない感じに空気感がなりましたので、
ちょっと午前中、そういった服を入れ替えてみたりとか、
あと、暑くてとても着ていられない毛布ですね、夜寝るときの。
毛布を洗濯機で洗ったりとかして、
これだけ陽気が良いときっと天日干しで乾くだろうと思って、
一生懸命洗って今干したとかいう、そういう感じで過ごしています。
ダンスのレッスンを詰めすぎている事件についてですけど、
木曜日から木、金、土、日、月5日間連続なんですよね。
その4日目が昨日で、
昨日の内容的にも不定期のワークショップで、
何かな、ステージダンスとかもやってらっしゃった先生のジャズかな、振り付けで、
そこはクラスが高校生とかと一緒のクラスなので、
振りが難しいというよりも、みんなが覚えるのが早いので、進行が早いんですよね。
なので覚える前に次の振りを行ってしまうみたいな風で、覚わらないままにっていう、
そういう私にとってはちょっとレベルの高いワークショップであります。
人数が少なかったりとか、初心者が多かったりすると、
同じ先生であったとしても、やっぱりそのクラスに合わせてね、
ゆっくり解説をして、ゆっくり練習を長くしてくださったりするもんだと思うので、
これはひとえにその参加しているクラスの子たちのレベルが高いっていうことが原因かなと思うんですけど、
まあまあでも2月にも行ってるので、きっとこうだろうなっていう、
昨日は心構えありで行ったので、そんなに精神的には大変じゃなかったんですけど、
でも行きながら、ほら本当に私ってレッスン受ける必要があるのかなって思ったっていうのは事実です。
行く前から思ってたんですけど、やっぱり自分自身に目標がない?
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なんかステージに立ちたいとか、当然ないじゃないですか。
なんですかね、ダンサーになりたいとか、なんか大会に出たいとかっていうモチベーションが一切ないので、
ない中で、ついていくのもしんどいようなクラスにいると、やっぱり心が折れるばっかりで、みたいな。
そういうことあるなと思いました。
モチベーションの話でいくと、今はやっぱり、大きな流れで言うと、
もう本当に、今からそういう何かの大会に出たいかっていうところで、いや出たくないっていう。むしろ。
ってなった時に、今やろうとしているのが、15秒ぐらいの踊ってみた動画はやってみたいねって。
自分で曲を選んでいいのであれば、もっとわかりやすい、それこそね、80年代のディスコとかの曲、アースウィンドアンドファイヤーとか、
わかりやすく、ノリよく、かっこいい、そういう曲に。
で、youtubeとかで探すと、それを、なんか振付作って踊っている人たちがいるので、それを踊ってみればいいわけで、
ほとんど、なんて言ったらいいんだろう、自分の今できそうなレベルに合わせたチョイスで、レベルに合わせた秒数で、15秒とかですよ。
で、やるっていう道もあるなって思っちゃってて、それについて、いや面白そうやりたいって人がいてくれたおかげで、
これからやっていこうと思うと、ますます自分のレベルアップが必要とはいえ、自分の今後いつやるかわからないようなその変わった振りっていうか、かっこいい振りっていうか、
やらなくてもいいかもしれないってほんと思うんですよね。
昨日はね、2クラス連続でワークショップがあって、前半がアップ、アップテンポのアップですね。
早いって言われてるやつで、後半がスローで、スローっていうのはバラード基調の曲みたいな、そんなイメージなんですけど、
でも前半何やってるか見たかったの、ちょっと早めに行って見てたら、エスパちゃんの曲で、いや私エスパの曲好きで、
K-POPの少女、女性女の子グループですけど、エスパってすごいかっこよくって、後半で使った曲はちょっと知らない曲なんですけど、私たちが受けた方でね、
特にね、そんなゆっくりでもなんでもなくって早いじゃんっていう、でもどっちか言ったらやっぱり前半がヒップホップベースなのかなと思って、
エスパの曲やるんだったらそっち行きたかったって思いましたけど、そういうことですね、結局自分がやってみたいと思うようなテイストであるかどうかの方が多分大事で、
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ってとこですね、つまり私も多分成長したんですよ、ダンスだったらなんでもいいって思ってた昔の数年前と比べて、今はこんな曲調が好きとか、こんなタイプのダンスが好きとか、
多分そういうのが自分の中で気がついてきちゃってて、っていうとこでやっぱりこれは一つの分岐点、今まで通りずっと続けていけば自分が望むようになっていくっていうことじゃなくて、少し方向転換をするとか工夫をするとかっていう時期に来ているんだろうなって。
昨日、前回話した時点ではこの階段上の成長っていうことを考えてて、なんか今壁に当たってる感じがするけど、これは多分やり続けていく時にスポンと抜けて、できるようになってるみたいな成長をするんだろうなって話をしたんですけど、それはもちろんあるんでしょうけどそれとは別、ちょっと違う話で、
本当にその階段を登りたいのか、登る必要があると思っているのかっていうことも本当に確かにあるなと思いました。
どっちを取りますかって言った時に、自分が感じる本当の正直な気持ちですね。こういうのがやりたいけど、こういうのはあんまり興味がないっていう。
そこを汲み取る、自分でね、汲み取って、好きなような方向にシフトしていってあげるっていうのは、自分を解放するとか、自分の眠っている何かを目覚めさせるとか、あるいは自分が楽しい人生を送っていくっていう時にめちゃくちゃ重要なんじゃないかなっていうのはちょっと思っていて。
っていうのは、多少興味のない振付であろうが我慢できるんですよね。やればやっただけ体を動かすから何らかの成長にはなるし、多少それぐらいのことは我慢ができると思って我慢しちゃうっていうのが私の普通のデフォルトの状態なんですけれども、ここで我慢をしちゃダメかもっていうのを今朝、毛布を干しながら思ったことです。
そうですね。小さい頃の例で似たようなことあったんですけど、私、昭和生まれの子供のね、ご多分にもれずというか、ちっちゃい頃からピアノを習わされていて、ピアノ教室に通わされていて、4歳から言ってて、
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どうですかね、小学校に上がる頃にはもう自覚的にはっきりと好きじゃないと、つまらないと、ピアノを弾くことが。そういう自覚がすごいはっきりあって、親にも何回も何回もやめさせてくれっていうか、毎回言ったぐらいのレッスン日の旅に行きたくないって言って泣くとかね、そういうのをしてたんですけど、
親も頑固で、泣けど喚けど絶対休ましてくれないみたいな、そういう、だから私の記憶の中で小学校、そうですね、小学校4,5年まで、4年生ぐらいでね、実は妹が生まれたんですけど、そうするとまあ、うちのお母さん大変になっちゃって、
私のことにガミガミ言う余裕がなくなってね、で楽になったんですけど、それまでは本当に毎日親と喧嘩、ピアノを練習するしない、レッスンに行く行かないで、っていうのを繰り返した歴史がありまして、
で、その時、なんで嫌いになっちゃったのかなっていう時にね、実は当時の子供には聴く曲の選択権なんてなかったんですね。先生が決めたものを練習してくると。で、うまく弾けないと怒られると。で、うまく弾けたからと言って褒められることは一切ないと。
昭和の40年ぐらいかな、1970年前後ぐらいの日本って、日本の子供ってみんなそんな扱いだったんですよ。だから怒られた記憶しかない。
っていう中で、ピアノ、基礎練習とかすごい時間が多いので、本当退屈なんですよね。そこが本当にクリアできなくて、それでもだんだん2年生ぐらいになってくると、時々綺麗な曲弾けたら楽しいっていう瞬間もあったんですよね。
覚えてるので言うとなんだろうな、ショパンの曲とか弾いててすごい綺麗で可愛らしくて、ショパン好きだったので、シューベルトもちょっと弾いて好きだったかな。こういうの弾きたいって言って、いっつも言ってたんですけど、ダメって言われて。モーツァルトしかダメって。
なぜって言ったら、音題を受けるのにはモーツァルトが弾けないと入れないからって。ちょっと待ってくださいよ、私ピアノ大嫌いって言ってるでしょ。音題に行くの小文字もないよねって。親と先生で勝手にそういう話になっていて、子供の意思は完全無視ですよ。
私、だから3、4年の時には、普通のレッスンの他にソルフェイジュって言って、あれ何?楽天?和音をバーンって弾いて、何の音か当てるとか、流れてる曲を譜面に起こすとか、そういうののレッスンにも通わされていて、これがね全くわからないんですよね、ほとんど。
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で、ハチョウチョウの曲を他のトチョウチョウに書き直すとか、そういうことするんですけど、できる子たちはサーッとするんですね。私は一生懸命考えないとできなくて、なんならピアノで弾いてみてとかしないと譜面なんか書けないし、あとシャープがいくつ付くとかね、なんとかチョウチョウはシャープが何個とか、そういうことも、なぜなのって。
いやなんとなくそんな感じだけど、どうしてこれはフラットではなくてシャープなの?みたいな。なんか基本どこからわかってなくて、めちゃくちゃ辛かったんですね。
で、これがこういう音題に入るってこういうことなんだと思ったらもう絶対に無理だしって。どんなテストだって絶対受からないしだってわからないんだもの。ただ、親とかは自分も音楽のあれを受けてないので、そのわからなさがわからないみたいで、習えばできるもんでしょうって感じで。音感とかってあれ違いますよね、絶対生まれもったもんですよ。
その人によって程度がものすごく違う。わかる部分もあればわからない部分もあるみたいにして。だから今プロの音楽やってる人たちがどんなように音が聞こえてるかって、ちょっと想像できない感じですね。目に見えてるかもしれない音が。
っていうぐらい奥深く、どっちにしても私は興味がそもそもなくてですね、そういう音楽をやりたいっていう。早く辞めたいっていうことしか頭になかったんで、それなのにそんな教室にも通わされてって。
で、要は何が言いたいかというと、自分の中でせっかくの音楽をこれだけやらせていただく、もらう環境にありつつ、時々、この曲弾いてて綺麗だなって、素敵だなって思う曲をいくつか、そういう経験があったにもかかわらず、そこを深掘りしていったら、私は楽しいピアノ人生みたいなのもあったかもしれない趣味でね。
ですけど、とにかく私がこれを弾きたいって言ったら最後、絶対そういうのは弾かしてくれないぐらいの勢いの、本当に敵なの?味方なの?敵ですよね?みたいなね。先生含め。
先生も親もそんな感じで、結託していたので。で、結果どうなりますかって言ったら、音楽が嫌いになります、ピアノは二度と弾きたくないです、みたいな。で、今モーツァルトを聴くと、なんか吐きそうになる。トラウマで。当時の嫌な気持ちとか全部思い出して。
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むしろ嫌いになってるっていう。何にもそういう経験なしでモーツァルトを聴いたら、もしかしたらいい曲なのかもしれない。素敵な音楽なのかもしれないけど、そんなこと以前に私は自分のトラウマが刺激されるんで、とにかくモーツァルトの流れてるようなとこは絶対行きたくないっていう。高級レストランとかで行きたくない理由の一つ、モーツァルトが流れているみたいなね。そんな感じなの。大きな損失だと思いませんか?
人生において。素敵かもしれない音楽が大嫌いになるって。っていう経験がありつつの、だから大人になってからも、なんか自分が好きだからと言って、もうそんなのさ、何て言ったらいいの?諦める?もういいや、どうせみたいな。そんな感じで、なんか負け癖がついてて、そういう意味では。で、追い求めないっていうか。
でも、ダンスに関してもそこだな、そこが来たんだなって。最初のうちは分かんないから闇雲になんでもいいから目の前にあるものをレッスンしますけれども、やって口にだんだん、これじゃないとか、こういうのやった時に楽しいとか、そういうのがちらちらっと感じるんですよね。
じゃあそういうのに自分を特化させていけばいい。今は親と先生が結託して、私のやるものを勝手に決めているという状況がない。ないのであるから。ない、どうするって言ったら、自分がそれを自分になりかわって決めてあげるっていうか、自分のために選んであげるっていうことができる状況になっているので。
だったら、大胆にやっぱりそういう好きなもの、好きなこと、好きな踊り方、好きなダンスのテイスト、好きな音楽っていうのを極めていこうとした方がいいんじゃないのかなって、ちょっと思いました、本当に。
自分の中に、いやそんな私ダンスに詳しいわけじゃないし、みたいなのが本当あるんですよね、今でも。なんで、あとできるできないとかも、やったことがあるないもあるじゃないですか。最近の本当に流行りの、なんだろう、ヒップホップベースの動きっていうのは本当にやったことがない、本当にできなさそうだし、興味はあるけどどうやって取り組んだらいいかわからないみたいなね。
そういうところに来てて、でも今までちょっとやったことがあるから、動きやすいジャズダンスっていうのはずっとそこにしがみついていなきゃいけない、必要もないよねっていうところです。
何かの発表会とか、チームに入っているとかそういうことじゃないので、自由に私は選んでいいし、好きなものをやってもいいし、興味がないものをやめてもいいっていう自由がすでにあるのに、もやもやしながらぐずぐず言っている必要はないんだなっていうのを
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今日感じました。何かね、喋ってね、こんな何分も喋るほどの大層なことでもないのに、それでも自分の中でちょっとこれ退屈かもって思ったときに、やめるっていう勇気がむしろ少ないんですね。やめちゃうとなしになっちゃうから。
で、その興味があるかもって思っていることについては、やったことがないことだったりするので怖いし、あとどうやって始めたらいいかわかんないしみたいなところで、やっぱり今まで通り前にやったことがあることっていうのを続けていった方が楽みたいなのがあるんですよね。
例のホメオスタシスとかいうやつですかね。これをやってると、それをやっちゃってると、次のものを探しに行こうと自分がしないからずっと続くと。
で、自分的なその、あの、客観的にも上限が見えているというか、ここ以上にはいきそうにないなっていうのがあるし、なおかつ自分もなりたい、うまくなりたいっていう強烈なそういう欲求がないっていうところで、
あんまり執着せずに減らしていくとかいう方向を考えようかなって思いました。今ダンスの話で言ってますけれども、他の活動についても全く同じで、
実は感じ始めている退屈とか、慣れてしまってね、新鮮さがなくなっちゃってるっていうのも含めて、退屈だなって思うっていうのを、それでもやり始めたんだから我慢してやるのが当たり前みたいになってる、この自分の常識を壊して打ち破って、
常に新鮮な自分、新鮮な驚きとかワクワクとかを感じながらずっと生きるためには、とにかく慣れてしまって、もうこうやればこうなるってわかってるようなことをやめていくっていう作業をしないとできないんだなっていうのを思いました。
どちらを選ぶかって言ったら、常に新鮮でワクワクして、本当に今ある時間を最大限輝いて生きようと思うと、もうそんな退屈なことに付き合ってる時間なんかないわけなんで、
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いかに慣れていて安全で安心だって言ったって、そういうものは、とはもうやめていく、別れていくっていう方向にしていかないとダメだなって思いました。今日お話ししたかったのは多分そういうことかな、でした。では本日は以上です。
お聞きいただきありがとうございました。
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