1. IKUKO Labo ワンダーランド
  2. 50代で何が起きたか(前編)「..
2024-07-31 28:27

50代で何が起きたか(前編)「空の巣症候群」

前の配信で、50代にはいろ〜んなことができるから…って話をしたので、実際、自分の50代はどんなふうだったかなと、古いブログ記事を調べて話してみました。

最後のいちばんいいとこで時間切れになってしまったので、まずは前編をお聞きください。

00:03
こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの金田イク子です。このポッドキャストは、私の音声日記です。毎日の暮らしの中で気になったあれこれを気ままにおしゃべりしています。よかったら最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イク子です。7月31日水曜日の午前10時13分になりました。
昨日はですね、50代の10年間をどう過ごすかで人生は変わる、諦めるのはまだ早いというタイトルで配信をさせていただきました。
配信した後、自分の50代の10年間ってものすごくいろんなことがあったなと思ってしゃべってたんですけど、配信の後、いやでも具体的に何があったんだったっけって思い返して、
断片的にあれがあったあれがあったっていうのはわかるんですけど、いやでも10年っていう区切りでね、ここから始まってここで終わったみたいにして振り返るとしたら、どういう10年だったのかなって。
40代についてはもうちょっとくっきりわかってるんですね。なぜかというと、ちょうど41歳の時に当時の夫が引きこもって一家の世帯の収入がゼロに、突然ゼロになるっていう事態が1月3日だったかな。
に起こったんですよ、2021年の。それによって専業主婦をさせられていた私が、個人事業で一家4人を養えみたいな無茶な話になって、できるわけないじゃんとかいう話の中で10年間はできる仕事を全部やったみたいな感じでしたね、ざっくり言うと。
だから詰めに詰めて、いろんなことをやつぎ早にやっていった10年でした。結果、フリーランスのウェブ制作者はもちろん各種勉強会を開催する、なんていうんですか、そういうコミュニティ作りする人みたいな、今で言えば。
当時そういう概念あんまりなかったんですけど、つながりを作りたがる人みたいな動きもしたし、その中でセカンドライフに出会って2007年、SLの中で活躍してそこで人脈が広がり、本も出版しみたいなこともありましたが、
それで作っていけるかっていうと、SL自体の人気がガクーンと下がってしまったので、全然ダメで、だけどそのきっかけで、別に頑張れば、なんていうの、日本っていう市場で、全国か、全国っていう市場でもやっていけるんだっていう、そういう感覚が身についたんですね。身についたというか見つけた。
03:23
だから自分はそれまで無理だと思ってたから、個人だしちっちゃいし、ただしSLのような新しくポーンとできた世界で活動してたら、検索順位一番になるとか普通に起こるんだっていうことを体感できたので、
だったら筆文字の販売とかでもできるだろうと思って、ちょっとこれを本気でやろうと思ったのが2007年。その年に会社も作って法人化して、とにかく何かを一生懸命やっていこうと。夢中になって何かジタバタし始めたと。ネットショップもね、実際問題それまで作ったことなかったんですよ。
なのでどうやって作るんだろうっていうとこから、手探りでどんなツールを使うといいんだろうとか、またそれも勉強会に行ったりとか、作ってみては作り変えたりとか、かなり3年ぐらいやってたのかな。
最終的に2010年に、たぶんネットショップこれで行きましょうみたいな、ちょっと業者さんというか知り合いに頼んで、街中で作ってもらったのがたぶん2010年です。だからそこから先はずっとネットショップの運営をやっていたはず。
なんですけど途中から落筆が始まっていたはずとか、そこから先は1年区切りじゃなくって本当に目立つ大きな出来事もないし、だけど今あるものはその2010年以降にやり始めたことが今残っていて、それまでのものっていうのは全部消えてるって言ってもいいくらい不思議なもんで。
っていう感じなので、2010年代、私にとってのちょうど50代っていうのは何があったのかなと、振り返りたくなってしまったので振り返ってみます。
振り返り方としてはですね、私案の定、自分の個人ブログを振り返ってみたら、2010年から2017年ぐらいまではものすごくいっぱいブログを書いてました。3日に1本は書いてました。
なので大体何があったかっていうのが、タイトルを眺めるだけでも振り返ることができました。一時全部読むのもめんどくさいのでね、目立つとこだけ読んだんですけど、2010年会社、違った、ネットショップを正式にリリースして、ちゃんとしたやつっていうか手作り感があんまりないっていうか、何て言うんだろう、業者さんに作ってもらったっていうか。
06:20
当時EC-CUBEっていうオープンソースのシステムを使ったんですけど、それの設置がえらいこと難しくって、それで人にやってもらったんですが、
非常に苦労してですね、そこからどうやって更新していったらいいかわからないとか、どうやってトップページのバナーを変えたらいいかわからないとか、そんな感じでやり方を学ぶのに、それからひとしきり勉強会に通い続けるっていうことになったんですけど、それはそれでご縁でね、いろんな人と出会えて楽しかったのでよかったかなと思ってます。
ただその一方で、私の個人的な生活どうだったっていうと、2010年にレーシックの手術を受けてますので、ってことは2009年ぐらいからウィンドサーフィンをね、やってました。
2年間ぐらいやってたんですけど、その途中でレーシック受けていけない時期があったっていうのを覚えてるので、ウィンドサーフィンをやってました。ということは、ものすごくストレスが大きくて、ストレス解消に過激なことをしないととてもじゃない身が持たないっていう状況にすでに2009年、10年はいたっていうことが読み取れます。
で、あのね、この会社、やりたくない、会社っていうか、筆文字を売ることをやりたくないって、えっと、2010年の記事の中にはっきり書いていますね。
これ多分もっと前からやりたくないって言ってたとは思うんですけど、さりとてやらざるを得なくて、それでその当時一家が収入を得てたので、ネットショップ以外に東急ハンズでも取り扱ってもらってて、そっちの売り上げが大きかったので、それでそのおこぼれというか、ネットショップにも流れてきてたんですよ。
東急ハンズの店頭から、店頭に置いてあるパンフレットから結構ネットショップに来る人いたんですよ。当時ね。
なので、収入のためにやらざるを得ない状況だったし、どうやってネットショップを作るのかっていう、EC級部どういうふうになっているのかには興味があったので、それでやってたんですけど、肝心の商品が嫌いで嫌いでしょうがないっていう状況で、
09:01
それを刃を食いしばってやってて、どうしても死にそうになって、精神的に死にそうになって、ものすごく過激でハードなウィンドサーフィンをやることでようやく正常な気持ちを保てていたというんですかね。
わかりますかね。反対側に引っ張るみたいなやつですね。片側にギューッと引っ張られて本当に辛いんですけど、逆側に全く関係ないもっとハードなことをして引っ張るとようやくバランスが取れるみたいなやつですね。体壊すやつですね。
実際私もですね、たくさん怪我をしまして、膝もやったし肩も脱臼したし、さすがにちょっと無理となって2年で辞めたんですけど、それぐらい会社が筆文字販売が辛かったという時期です。
追い討ちをかけるように、2012年に次女が成人したという記事があるので、長女が22で大学を卒業する年ですね。多分この年にしたんだと思うんですけど、次女と一緒に私、宝塚にハマってて、この年、2012年。
それ以降、宝塚の記事ばっかり書いてあります。3年間ぐらい多分ハマってて、今年は何を見に行こうかなっていうのを年間計画立てたり、うち愛知県なんですけど、東京の宝塚劇場の方が行きやすいので、しょっちゅう東京の宝塚見に行ってましたね。
それがおかしくなってきたのが2016年ですね。ブログ記事が激減したんです、この年に。やる気もどうやら激減ですね。
それで、これ何が起きてるかって言うんですけど、後になって私、言葉があると知ったんですけど、カラノス症候群って言うんですって。要するに子育てが終わってしまった後のお母さんたちがかかりやすいそういう状況ですね。
よくあるじゃないですか、マタニティブルーとかね、一時的に精神不安定になるやつ。カラノス症候群と言って、それまでエネルギーをかけてきて、また喜びの源泉でもあった子ども、子育てっていうのがポコッとなくなっちゃう時期がどうしても来るんですよね。
私の場合、2012年にそうなっていて、それでも次女は家にいたので、一緒に宝塚見に行ったりして、何とかかんとか、そのやりくりじゃないけど、モチベーションというかね、生きる希望というかを何とか繋いでたんですけど、宝塚にも飽きてしまったんですよね、多分2015年ぐらいに。
12:20
そこから何に、要するに喜びを感じれるものが一個もなくなっちゃったっていう生活の中に。子育てって言っても、子ども成人して就職もして、うちの子は高卒で就職してるんで、すでに仕事はしてたんですけど、この当時も。
まあね、子どもを育てるっていう感じとは違ってきますね、どうしても成人して仕事もしちゃうと。要するに私が何かしてあげるっていう局面が減ってきたと。
さあどうしよう。その時の胸の中にはウェブに対する興味は多少は残っているんですね。自分の今の知識を維持したい、維持しないと大変なことになると思って。だからある程度の情報収集はもうずっと続けてるんですけど、勉強会とかに出かけていくのも激減したし。
で、自分でも自覚してて、やばいと、私これからどうやって生きていけばいいんだろう。これが始まったのが、はっきりと始まったのが2016年だったかなと思います。なぜならその年の年末にイクコラボのサイトを私作ってます。
今のイクコと大人小屋っていうドメインでやってるイクコラボのサイトですね。すでに2016年にはできてた。作ってた。ただ中身はないよって書いてあるから、とりあえず作ったってことは、ここで自分で何か始めてこうっていうのを考えたのが2016年なんですね。
でも、もちろん何かがバーンと始まったわけではありません。だってそれ始まってるんだったら、今ここでこうしてないもん。ワクビスとかもやってない。
2017年翌年ですね。結局はっきりしたものが立ち上げられずに、今年の元旦の抱負にですね、今年の目標は自由だと。テーマは自由だと。今年のテーマは自由だし、これからもずっと自由だって書いてあります。
まさにその通りで。私たぶん元旦のテーマって言ったら、もう自由しかないなと。でもこの2017年当時は自分の自由ってことを考えてて、それぐらいがんじがらめになってるっていう感覚が強かったんだろうなと思います。
ただ2024年の現在も私は自由が何より大事だと思ってるけど、かなり自由ですね今。今この瞬間。2017年の私も同じように一人でパソコンの前にいて、いろいろこれからどうしようって考えてたはずです。
15:20
やってる内容もどうかな。この時はもう落筆が始まってるので、まあまあ変わりないと思うんですけど、この2017年に自由が欲しいって書いてた時の気持ちと、今の自由が大事って言ってる気持ちは全く、気持ちは一緒だけど、見えてる世界が全然違うくって。
今は普通に周りがカラーで見えてますが、2017年は周りがモノクロだったんですよ。家の中が。つーか目に映るものが。無味乾燥って言ったらいいんですかね。
本当にただのものっていうか、色とか匂いとか全然ない感じで、生きた心地がしてなかったです。それぐらい辛い時期で。外から見て何の変化がありましたかというと、特に多分ないんですよね。仕事面でも。
子供も別に家にいるのでまだ、空の巣になってるってことが外側からはきっと読み取れなかったと思うんですけど、内側から内面的には私この2017年はものすごくどん底だったと思います。
どん底度合いで言ったら、2001年に子供がまだ小学生なのに2人いるのに、一家の世帯収入が急に今月からゼロになるっていう感じで、パタッと途絶えた。
どうするのって収入ゼロじゃんってなった時の方が、インパクト的には派手っていうか、誰にでもわかる非常な危機じゃないですか。ひどい目に遭ってるって誰にでもわかるし、ひどいことになってるって。大変なことが起きてるって。
私もそう思ってたけど、周りにも理解してもらいやすかったんですが、2017年のこの危機については周りには一切理解できない。どころか周りに相談もしづらいというか、しないというか、どうするのみたいな。
まあいいじゃん、子供も育ったんだし、あとは適当にやればってみんな思うでしょっていうような局面なんですよ。
その2001年の自分のギャーってなった時の状況と、2017年のこのこれからどうしよう、お先真っ暗ってなった時の気持ちを比べると、2017年の方が私にとっては辛かったです。
18:06
本当に本当に嫌な気持ちでした。むちゃくちゃ嫌な気持ちでしたね。
なんか物の味もしない、匂いもしない、周りの色は見えてるんだけどなんか無味乾燥で、まるでモノクロかみたいなグレーな感じに見えてるし、出会う人がみんな嫌いだし。
筆頭はツトムですけど、ツトムが嫌いっていうこともあるけど、その筆文字を販売しなきゃいけないだの、筆文字を教える楽室を展開しないといけないだの、そのこと自体にも、もうこの時点で完全な限界が来てたんですね。
理性的な解決はこの時できなくて、何をしましたかって言ったら、夏頃に限界が来てある日、実家に帰りました。
何匹猫がいたのかな、当時。一匹になってたのかな。猫を置いて帰りました、実家に。実家があってよかったですよ。
理由も言わず、期間も言わず、何ならずっと向こうに行くぐらいの。猫は後で引き取りに来るからぐらいの感じで、家出ですね。
しましたよ。この話はあんまり人にしてないので、今お付き合いがある人の中にも、きっと誰も知らないと思うんですけど、これわざわざ遡って話すほどのことではないので。
丸1ヶ月何にもせずに実家にゴロゴロ寝てました。
皆さんゴジラの映画って見たことありますかね。昔の昭和生まれの人、ゴジラの映画見たことあると思うんですけど、ゴジラって
戦ってやられて怪我とかするじゃないですか。そうすると海底にブクブクブクって沈んでって、海底にじっとうずくまって傷を癒すんですよ。
あのゴジラ。なんか緑色の血が出てね。
まさにあのゴジラのように本当に、なんか見えない血を流しながら、実家で布団にくるまって寝てましたよ。
それはね、さすがに1ヶ月寝てると、寝ることが辛くなってしまって、体がなまりきっているし、ちょっと歩きたいんですけどみたいになってくるんですよ。
これが生命力ってやつですかね。ちょっと回復してきまして、その辺からようやくどうしようかなって考え始めて、
21:02
実家っていうのが本当に田舎で、あと80代の親がいる家って思ってもらえばわかると思うんですけど、
ギリギリインターネット引いてあってよかったぐらいの感じで、もう今時の話は一切通用しないんですよ。
ネットショップとかもハーダし、私が子供の頃に教えられたいろんなことがそのまま延長できてる世界っていう、まさにタイムスリップしたみたいな、そういう空間なんです。
100パー話が合わないんです。共通する話題が一つもない。
今日の晩御飯は何しようかとかっていうそれぐらいしかないんですね。さすがにひどいと思って、さすがにつらいって。
ここにこのままいて、このタイムスリップした昭和の空間で生きるのと、
この空間で生きるのは、今までいた家に帰って、最低な生活をするのと、どっちが最低かわからないぐらいだぞって思ったんですね。
少なくとも今までいた家に帰れば、つながりはあると。
勉強会やってきた仲間だったりとか、いろんな情報にアクセスできる状況にあると。
ここは時間差が、タイムラグが多分30年ぐらいはあるので、この実家の空間と、今住んでるね、ここの家の空間で。
だったら同じ、どうしようもないんだったら、どこにも出口がない感じって言ったらいいかな。
だったら新しい方がいいだろうと思って、1ヶ月ぐらいして戻ってきました。
でも元の状況に戻るつもりはなかったので、とりあえずこの家の中にいない時間を作ろうと思って、その時初めてパートに出たんですよね。
フルタイムのパートに出て、とにかく家にいない。朝から夕方までいない。
だからこの人に何か頼んでもダメっていう状況を作りたくて、何から何まで頼まれてたんですよ。
お金のことから、何かの作業から、すべて。
私がいないと何も進まないみたいな風になってたのが辛すぎて離脱したかったわけですから。
私が物理的に戻ったからといって自動的にそれが戻ったんじゃ大変だから、パートに出てました。
で、パートに出つつも、その時アフィリエイトをやろうかなと思って、アフィリエイトのスクールに通ったりもしましたね。
24:07
で、翌年2018年になって、今度は勉強会をスタートして、ワードプレスのビギナーズっていう、初心者にワードプレスを教えようっていう試みをスタートしたりもして、
とにかく筆文字の文字もついてないことを何かやらなきゃいけないと思って、
ひたすら外に出るというか、社任務に動いていた時期です。
ここであんまりブログとかには書いてないんですけど、今も続いている健康系のビジネスに誘われました。
で、そこでもう後先考えずですよ。健康興味ないし、ビジネスも興味ないけど、筆文字の不…。
筆文字に戻らないためにだったら何でもするって思ってたので、よしそれやりますって言って、半年から1年ぐらい本当に一生懸命動いてやってました。
会社がやるセミナーとかみんながやるミーティングとかにも行けるの100%出てたし、ひたすら動いてて。
そうしていくとだんだん自分の今持ってる課題点とか見えてくるわけですよ。
こういうところがごっそり足りないなって。
簡単に言ったら営業力っていうか、人と話す力が全然ないなって。話したことがないなって言ったらいいのかな。
って思ってて、2019年にちょっと転機になるんですけど、ザ・サブニミナルっていう、フォレスト出版ってわかります?
フォレスト出版が当時やっていたセミナーに参加します。
年末に申し込んで、たぶん1月、2019年の1月スタートだったと思います。
初対面の人であっても、あんまり知らない人であっても、ざっくりしたタイプを見分けることで、
そのタイプに合ったアプローチをしていけるようになろうっていう趣旨のセミナーで、タイプ診断にエニアグラムを利用して、
エニアプロファイルっていう名前、これ正式に大丈夫だったみたいですけど、著作権じゃなくて商標的に。
エニアプロファイルっていう形で、エニアグラムを利用して、大体の相手の人のタイプを見分けて、それに応じた付き合い方をしていこうっていう、そういうセミナーがあって、4ヶ月。
これがちょっと私にとってやっぱり転機になったかなと、あれから5年経ちますけど、
その前と後ですごい、すごい生きやすさが変わった気がします。
27:02
毎月1回東京でリアルのセミナーがあって、オンラインも当時あったんですけど、全部リアルで受講しに行ってました、月1で。
そこで2人1組になって、対話をする実習もあったし、いろんな実習があって、あとゲストも来て、いろんなゲストが来て、面白かったです、大変。
とにかく営業をするとか、人に物を伝えるとか、喋るっていうことに関して、4ヶ月ぐらいみっちり情報を摂取して、それが身につくかどうかはまた別の問題なんですけど、やっぱり使い続けないとうまくならないので。
自分のタイプも診断してもらってっていうところで、そのセミナーが終わったんですけど、このタイプ診断で私ちょっと人生観が変わっちゃったかもっていうところなんです。
言ってる間にしかし時間がかなり来てますので、申し訳ないですけどこの続き、後編として別のポッドキャストに、次のポッドキャストにさせてもらっていいでしょうか。はいすいません。じゃあ一旦終わりますね。
28:27

コメント

スクロール