2022-05-16 25:19

8割の自分。

活動もいろいろあるけど「自分の中から出てきたやりたいこと」と「外側からの働きかけに対してやりたいと思うこと」の違いは歴然とあるし、私もそろそろ、自分のやりたいことを封印して、周りのニーズに答えようとする習性から脱して、自分を中心とした時間の使い方を「選択」する時期に来ているかなーと思います。

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こんにちは、IKUKO Laboです。
5月16日、月曜日の朝10時です。
今日はちょっと天気が悪くって、雨は降ってないけど曇り空なので、
起きてからずっとぼーっとしております。
で、月曜日ごとに一応録音はするんですけれども、
多分先週かな、一回録音したやつがまた公開せずに放置されておりまして、
さっきどうしようかなと思って、ちょこっと再生して聞いてみたんですけど、
改めて再生してみると、ろくでもない話しかしてないわけで、
今しゃべっているこれもたぶんろくでもない話なんだと思いますけど、
わざわざ一週間前のものをね、さかのぼって公開するほどでもないなと思って、
そちらもお蔵入りということになりますね。
何がね、公開するしないの、別れ道になるかというと、
やっぱり人のことを言っている回は、しばらくして聞き直すと、
ちょっと気持ちが悪いですね、自分がね。
なのでそういうのをお蔵入りにしてしまう傾向があります。
本当のことというか、自分のその時感じたことではあるんですけれども、
あえて言うほどでもないかなって、
しばらくしたらどうでもいいことになってしまうので、ということです。
ところが最近はほら、コロナも収まってきて、
それから自分の中でも腰痛も完全に収まってきて、
活動的になっていますね、どうしてもね。
これ年初に年明けぐらいに言っていたかもしれないけど、
やっぱり4月というのが自分の中では新しい年度の始まりなので、
4月からどうしようかなということを毎年1,2,3月考えたりします。
4月になったら実際に行動に起こしてやっていくみたいな、
そういう区切りの時期として4月というのがあるんですけど、
実際今年も4月にはいろいろな動きがありまして、
何ですかね、出歩く機会も増えたということとか、
人に連絡を取る機会も増えたりとか、
勢い人と会う時間を費やすことが増えてしまって、
ご存知のようにそれまでの半年ぐらいが、
本当にずっと家にいてひたすら朗読を録音し、
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それをYouTubeで配信していくということをどっぷりと3,4ヶ月はやっていました。
その後プラスして踊ってみた動画を時々撮るということが始まってというふうなんですけど、
どっちにしても自分のコンテンツ作りしかしていない期間が半年以上あった後でのこういうことなので、
やっぱり外に出て人に会うとそれなりに楽しいということはあります、もちろん。
でもその反面、外側からいろいろ影響されるということがあって、
皆さんの思いみたいなものが感じられると、それに対応して、
自分も対応したいな、頑張りたいな、協力したいな、
そんな気持ちが自然に湧いてきます。
いいんですけどそれはそれで、それっていうのが外から見たときに私を、
あの人はポジティブな人だねとかやる気があるねとか前向きだねっていうふうな評価を生む要因だと思うんです。
に対して一人で家にこもってYouTubeで撮ってますっていうのは全然ポジティブな感じがしないだろうし、
周りの実際に会う、リアルで会う人たちから見たときに、
私の本当の活動は見えないので、だって家で一人でやってるから。
一人じゃないとできないし。
なんで、私っていうのが存在しないと同じような感じに見えるわけですけど、
そうではなくて外に出て行って人に会う人と話をする。
彼らと一緒に何かしようとするっていうふうに外に出ていくと、
ようやく周りの人には私が見えて、
あ、いっこさんってこういう人だ、やる気がある人だとか評価はそれとしても見えてくるんですよね。
その楽しさもありつつも反面ちょっと待てと、
こうして今部屋の中で一人でマイクに向かって喋ってる私、これが本当のいっこさんなわけで、
これは本当に雑談というか思いを喋るだけですけど、
YouTubeで朗読をしてみたりとか、チャンネル運営というかね、
あとは踊ってみた、やってるとかいうことが、
私の中で自分の思う私の中では8割ぐらいを占めているわけです。
重要度において。
最初はちょっとしかちっちゃかったそういうものが、だんだん膨らんでくるっていうか、
それが嬉しくてっていう感じで、自分のことを今では、
なんていうんですか、そういうのをクリエイターっていうんですかね、
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コンテンツを作る人というふうに位置づけていて、
コンテンツっていうのはまた幅広い、
言葉なので、コンテンツメーカーとか言っちゃうと、
何だっていいわけですよ、例えば、
何かの通販会社の商品の宣伝を作るみたいな、
宣伝というか、商品を作るでもコンテンツだし、
何でもそうなんですけど、私が思うコンテンツっていうのは、
自分由来、自分がやってみたいなってなぜか思った。
だからちょっとやってみたら面白かった。
だから誰かからのオーダーがないのに、やりたいこと。
誰も見たいです、聞きたいですって言ってないのに、
まず自分由来で、自分発信っていうか、
自分スタートでやってみようと思ったこと。
で、それに対しての反応があったら嬉しくて、
もっとやってみたいなって思った。
で、それに対しての反応があったら嬉しくて、
もっとやってみようって思うっていうような、
その循環ですね。
最初の一歩が自分の中から出てきた、
ちょっとやってみようかなだったっていうこと。
やりたいなだったっていう、
そういう活動が今で言うと、
朗読チャンネルと、それからこの踊ってみた動画、
プラスこのポッドキャストの3つなんですけど、
リスナーさんとか見てくれている人とかは、
本当に一握りの人たちで、
特にダンスなんかは、
ダンスやっている人たちしか反応しないし、
一緒に習っている教室の人たちとかね。
で、自分の思うでも重要度においては、
だから、今私の活動を知ってくれているのは、
このポッドキャストを時々聞いてくれる、
何名かの方たちと、
それからYouTubeの方はね、
結構な人数が楽しみに聞いてくれていると思うんですけど、
よく分かんないです。
何十人という単位だと思います。
本当にね、がっつり聞いてくれている。
で、だからそんだけですよ。
もう本当に一握りの人たちが、
本当の私のやりたい活動を知っていてくれている。
そんな感じの。
それが私にとってすごく嬉しいという感じ。
ただ、それ以外の人たちっていうのが、
実際リアルでお会いする人たちっていうのは、
そういうことにほとんど興味がない人たちですね。
朗読を聞いたりとかね、
お話を読んだりとか、全然興味がないっていう人たち。
で、
私的にはこの一応コンテンツは公開はしているんですけど、
そういうものは全く反応しないですよね。
評価してくれない人たちですよね。
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でも、彼らは彼ら。
例えばお仕事だったりとかね、それがね、
そうすると私も別にこの自分の評価が、
そういう面で評価してもらわなくても、
そのお仕事をしている限り報酬が入ってくるわけなので、
仕事は仕事、趣味は趣味、みたいな世界になっていくわけ。
でも、事実で言わせていただけば、
仕事の世界においても人は自己表現をしているし、
だって人によって仕事のやり方とか全然違うじゃないですか。
その仕事がぴったり向いている、
私これがやりたいって真底、
本当に思っている人っていうのもいるわけで、
そういう人にとっては趣味と仕事がぴったり一致じゃないですか。
そうしたら、その仕事に関わる人たちは、
私の理解者だというふうに重なるわけですよ。
自分の趣味のことと、
自分の報酬につながる仕事っていう面がぴたっとくっつくわけ。
そうしたら仕事、やってもやっても楽しいっていう、
やればやるほど楽しい。
それが伝わって商品が売れたときに、
自分が評価されたというように嬉しい。
っていう中で喜びでどんどんやっていく、
っていう人たちと、
なぜかご縁してたまに会うって言ったときに、
私の方から見ると不公平感半端ないですよ。
彼らは彼らで、
そこに行ってる私を100%の私だと思うから、
なんでこの人やる気がないみたいに見えるでしょうし、
やる気を出したら出したで、
もっとやっていこうよみたいになっていくし、
関われば関わるほど、
私は自分のコンテンツから距離が離れていく、
引き剥がされていくみたいな感覚があるので、
できるだけ早く家に帰って、
元のコンテンツメーカーのポジションに戻りたいわけです。
このジレンマは、
こんなことは私にとっては今に始まったことじゃなくて、
小さい時からずっとそんな感じだったので、
もう用事が終わったら一刻も早く家に帰りたい。
家に帰るの意味は、
自分の好きな世界がそこに待っている。
こういう状況に、
小学校ぐらいからずっとそういう状況にいて、
なおかつ転校生だったので、
外にいても楽しくないという時間がすごく長かったので、
ますます家に帰りたい。
好きな本を読んだり、
空想にふけたりしているみたいなことで、
そっちの方が楽しいみたいなね。
全く今と全く同じ状況。
なんですけど、
もう私も大人ですし、
なんて言っている間に人生が終盤を迎えているっていうね。
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なので、
子どもの頃とは違うくって、
自分で自分のバランスを調整できるっていう、
そういうポジションにあるわけで、
ここは一つ考えどころだぞって思ったわけですよ。
私のね、やってる活動がね、
朗読とか踊ってみたが、
他の人から見てどんなに、
って笑われるようなことだったとしても、
それでも私にはそういう趣味があって、
それでも私にはそういう趣味を尊重してもらう権利がありますよね。
尊重させるっていうのを強制することは無理だし、
無駄だと思うんですけど、
少なくとも私は、
そこに自分の優先順位を一番高くして、
そこを中心に生きていくっていうのは可能なわけで、
私がやると思いさえすれば。
そういう部分を他の人には、
お仕事の場では言わずして、
何にもないふりしてそこにいるから、
だんだん積もらなくなるんで、
っていうことを改めてちょっと、
今朝思いましたね。
どうしたって人ってお金が絡むと、
そっちが優先になるし、
お金の絡むお仕事、
ビジネスみたいなことが、
どうしたって最優先になりがちなんですよ。
お客さんがいるのに、
自分を優先するなんて、みたいな。
ありますよね、普通に。
私もそういう長いものに巻かれた、
60年の人生を生きてきたわけで、
ここらでちょっと待てって言わないと、
もうなんか、
自分のことをひた隠しみたいな、
ないと同じような状況に置いたまま、
普通の人のふりして、
みんなに混じって、
そこにいて何の得があると、
何のメリットがあるんだと、
本当に思います。
どんなに素敵な人たちであろうと、
どんなに素晴らしい商品、
素晴らしいサービスを提供している
グループであろうと、
でもそれが、
自分の内側から、
それがやりたい、
って出てくるまでは、
どうしたって、
外側の情報でしかないんで、
それを私が売ってくる、
進めに行く、
ということはできなくはないけれども、
まあ知れてますよね、
できる範囲がね。
どんなに自分の人生時間を費やして、
人生時間というか、
例えば今日1日というのは、
1回しかないわけですから、
ずっと起きてたにしても、
24時間しかないわけで、
それをどの程度、
どの活動に振り向けていくか、
っていった時に、
そこは自分優先で、
やるべきで、
今日もそうするべきだし、
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明日もそうするべきだし、
あさっても、
その次も、
毎日毎日、
その日1日の配分を、
自分がコントロールすべき、
自分が、
自分がコントロールすべき、
後悔したくないなら、
そして、
ある時点で、
やっぱり、
自分はこういうことを、
最優先にしている人、
というふうに、
宣言するじゃないんですけど、
表現することも必要で、
それによって、
折り合いがつかなくなる、
ようなことが外側にあるんだったら、
解決しないといけないですね。
つまり、
そのことは私はできません、
というふうにして、
やっぱり、
両方とも100%やるっていうのは、
できないことなので、
こちらが8割、
向こうを2割にして、
それでもいいよって、
それでもできるっていうことに関しては、
できる範囲の2割で、
続けていけばいいと思いますけれども、
2割じゃだめだ、
5割を起こせ、
あるいは100%こっちをやってくれ、
って言われてきたら、
もう折り合いがつかないじゃないですか。
24時間がね、
48時間に伸びるっていうならいいですよ、
1日の時間がね、
っていうことかなと。
やっぱり有限な時間をどう配分するか、
っていうことに、
全部を還元して考えていったら、
なるだけ、
自分がやっていて楽しいこと、
今やりたいこと、
の方に時間を振り向けるべきで、
で、それ以外に、
なんかこう、
負担に感じる、
他のやってる活動が、
なんかこう、義務感に駆られてしまって、
で、そっちをやってると、
自分の本当にやりたい活動が、
手につかなくなってくる、
なんてことが起きてきたときには、
ちょっと1回立ち止まって、
どうなの?
本当にやりたいのはどっちなの?
で、私がやらないと、
周りの人から、
周りの人が迷惑するから、
みたいになっていきがちなんですけど、
迷惑してるのは私であって、
みたいな、
ね、私が自分の、
その8割のやりたいことを我慢して、
2割の力で、
その人たちに協力したとて、
100%の力はやっぱり出せないんだし、
それっていうのだって、
一つの迷惑じゃないですか、
で、それで無理って言うんだったら、
もういっそ無しにしてください、
っていう感じの、
本当に、
やっぱり自分には内側と外側があるな、
っていうことをはっきり感じた。
昨日一昨日がね、
ちょっと出歩いていたので、
その結果、今朝、
そう思ってるわけなんですけど、
ね、
何かをする理由として、
18:00
内側から出てくる、
なんかふっと思いついて、
やりたくなっちゃう、
っていうことが内側で、
ね、
外側の誰さんが、
何とかこれしてくれない、
って言っているとか、
みんなでこれをやりましょう、
って言ってるとか、
そういうのって、
外側由来ですよね。
外から刺激がやってくる。
で、それに対して、
内側から私が反応して、
あ、協力したいなって思うとか、
うん、頑張らせていただこうと思うとか、
っていうことはありますけど、
それはあくまでも反応であって、
で、外側の彼らが来なくなったら、
何かありますかって言ったら、
自分から取りに行きたいほどのことだったら、
取りに行きますけど、
行かないんですよね。
消えたらいいなぐらい、
消えたらいいな。
だから内側のことと外側のことっていうのが、
あることをもうそろそろはっきり自分を認めて、
で、内側のことをやっているとき、
楽しい反面、
とっても孤独ですよ。
うん、だって一人でしかできないので、
そればっかりずっとやってたら、
本当に一人ぼっちみたいな感じで、
そのコンテンツに火がつくまではね、
それでもコンテンツに火がついたとて、
それっていうのは、
この制作したものを、
後から評価してくれている感じなので、
やっぱり制作しているその最中は、
自分とその作品世界しかない、
っていう、
それが心地いいからやっているわけなんですけど、
とはいえ、
人と一緒にできることって、
まあ少ないので、
寂しいと。
で、その寂しさとの折り合いみたいな、
兼ね合いで、
多少はどっかに外に出ていきたいわけですけど、
だからといって、
その外に出ていって、
なんかみんなとやっているっていうことに、
侵食されて、
あの、食われてしまって、
で、本来いたい自分の場所まで、
何ていうのかな、
集中できなくなってくるっていうかな、
自分のことに。
そうだとしたら本末転倒だよね、
っていう話。
うん。
こういうのはどうなんですかね。
一般的に、
普通に人に起きている話なのか、
それとも、
まあ私たちみたいに、
なんかこう、
もの作りたい系の人、
もの描きたいとか、
そういう人に特有なことなのか、
よくわかりませんけど、
まあ、
特有であれ、
特有でないであれ、
私がそうなので、
もうしょうがない。
これをどうこう、
私は変えなくちゃ、
なんて言っている暇も全然ないし、
そもそも、
変えられるなら、
すでに変わっているだろうっていうぐらい、
小学生ぐらいからそうなので、
もうここはそういうものだとして、
変えられていて、
21:00
いけるかなって、
考えることの方が、
私にとってメリットがあるだろう。
で、これからお付き合いする人っていうのも、
私が幸せかどうかっていうことを、
こう気にかけてくれる人とだけ、
付き合っていけばいいんじゃないですか。
っていうこともちょっともう、
なんかあるんですよ。
時々ね、一方的にね、
あの、
私がその人のことを、
こう理解して、
なんて言うんだろう、
気を遣ってあげないといけない人っていうのが、
世の中にはいますよね。
うん。
彼ら、彼女らは、
その気を遣ってもらうことに慣れているので、
もう常に周りから気を遣ってもらっているので、
それが普通って思って、
気を遣ってくれない人が現れると、
すっごい激怒したりするっていう、
それでその激怒を見て、
ますます周りは気を遣う、
というスパイラルになっている人とかも、
やっぱり、
結構いるなって思うんだけど、
そういう人に、
こう、
気を遣った結果、
なんか私がこう、
メリットがありますか的なことよ。
この8割の内側の部分が、
潤ってくるか、
それとも枯渇していくかって考えたら、
枯渇の一途なので、
うん、
結局別に私は人に気を遣ってあげる必要って、
あんまりないんだろうな。
逆に、
気を遣ってもらうとか、
あの、
私の8割の部分にね、
私が本当にやりたいと思っている世界に、
興味を持ってもらうっていう、
権利があるし、
権利って言うとちょっと強いですよね。
もらいたいと思っている。
聞いてもらいたいと思っている。
でも、そこのとこには耳を貸さず、
興味なくて、
私のことだけ見てよ、
みたいなのって、
やっぱり成立しないですよね。
もちつもたれつじゃないですか、
人と人って。
100%私が気を遣い、
100%気を遣ってもらえない、
っていう相手だと、
どうしたって疎遠になりますよ。
うん。
どんな素晴らしい人だとしても、
関係性が、
それだと続かないので、
もう、お互い、
こうね、
優しくしあって、
親切にしあっこするっていうことだって、
できるわけで、
そういう人たちだっているわけで、
もうちょっと今、
選択する時に来てるなと思って、
そういう、
私のことを気遣ってくれる人と、
これからの人生を歩んでいったら、
それでいいんじゃないのって。
うん。
たまたま知り合って、
すごい、
なんかそうじゃない、
関係性を要求してくるような人を、
もうこれ以上付き合えないなと思って、
もう切っていく。
そんなバサーッと切る必要はないですけど、
だんだん素縁になっていって、
そのうち消えても、
良くないかな、
っていうのが、
24:01
今朝、
心に浮かんだことです。
一言で言えたわ。
これ言うのに、
24分間かかって、
なんかモヤモヤするなと思ったんですけど、
結局そういうことですね。
でもこうやって、
人生って長いけど、
なんか、
結構頻繁に小っちゃいこういう決心をね、
ああもうこれやめて、
これやっていこう、
別の日にはまた、
これもやめて、
これやっていこう、
っていうふうに小っちゃい、
自分の中で、
取捨選択を繰り返して、
だんだん、だんだん、
本来の道に戻っていくなっていう、
そういうもんだなって、
最近は思ってます。
以上です。
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