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2023-03-10 30:34

YouTubeライブ配信のために「人生曲線」を書いてみた話

その昔、人生に行き詰まっていた(と思っていた)頃、いろんな成功哲学だったりビジネス本だったりを読む中で、何度も「人生曲線」というのを書いた記憶があります。

今回、YouTubeライブのネタを考える中で「自伝」を思いつき、その構成を考える中で久しぶりに「人生曲線」を書きました。

今日の配信では、その曲線について、思うことをつらつらと語ってみました。

言いたかったことは、「ピンチあるいは不幸」と思っていた出来事は状況がそのまま「そこから抜け出したい!!」という強い動機となって、次の小さな成功や幸せにつながっていたな、ということ。

いつでも「幸せになりたい」と思っていたけど、幸せ(あるいは成功)と不幸(ピンチ・災難)はふたつでひとつのセットなのだなと。
つまり、不幸なことが全然なかったら成功の喜びもないのだろうと。

自分の書いた曲線を見ながら、つくづく感じました。
ピンチがいっぱいある人生は、成功のポテンシャルしかない人生と言えますね。

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こんにちは。Webを楽しむIKUKO Labo、金田イクコです。
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
はい、それでは、本日3月10日金曜日の、時刻の方は午前10時を回ったところですけれども、
配信を始めていきたいと思います。
今日は、昨日の天気予報では雨の予報だったんですけれども、今のところうっすらと日差しがあるような感じです。
私、愛知県在住ですので、名古屋とかがある県ですね。
そちらの天気は、今のところ大丈夫です。
気温の方も高くてですね、ストーブや横温をつけるかどうか迷うぐらいの気温になっております。
先日来、運営しているYouTubeの朗読チャンネルの中で、週に1回しているライブ配信について、どうしたものかなと、ちょっと頭を悩ましておりまして、
現状は、最初は朗読チャンネルだけにライブで本を読んでいたんですね。
その時読んだ音声はちゃんと録音しておいて、後日編集して動画としてアップしていくっていう。
これがね、なかなかに退屈なんですね。
私も、聞いている方がどうかはよくわからないんですけど、本読み始めちゃうともうチャットも見れないし、そもそもチャットそんなにないんですけど、
あったとしても反応ができないし、みたいな感じで。
これ、一人で読んでいるのと全然何ら変わらないんですね。
さすがにこれはと思って、半分ぐらいは雑談みたいなことをしていたわけです。
したら、当然ですけど、雑談の方が楽しくて、私が喋るのにね。
で、朗読するのが嫌だなというか、億劫になってきたんですね。
なので、朗読はせずに、ただ私が雑談するっていうライブに切り替えたんです、何ヶ月か前に。
まあまあね、本当のことを言うと、特に私的には問題がないというか、1時間喋れるぐらいの雑談はいつでもありますのでね。
何なら、今話しているこのポッドキャストを時間無制限で喋っていいっていうことですので、見せたいと思えばデスクトップの何かを見せたりもできるし。
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問題ないんですけど、問題があるとすれば、これが朗読チャンネルであるということ。
朗読を聞きたい人、あるいはこの朗読気に入ってチャンネル登録してくれた人に通知が行くというか、あれですよね。
表示されるんですよね、ライブありますよって。
で、ライブ聞いてみたら全く関係ないことを喋っていると。
それでも私の声が聞きたいとかそういうニーズがあるならば、セーフなんでしょうけど。
興味、話す内容がどんどんどんどん。
ニッチというかマニアックというか、チャットGPTのあたりから、チャットGPTをコードを連携してとかいう話になり、
ノーションの話に移り、ノーションとホームページに設置したフォームですね、送信フォームをどう連携するかみたいな話になって、
それぞれ私は今すごく興味があるし、実際にテストをしているので、話がしたいわけですよ。
私を自由に喋らせれば喋らせるほど朗読チャンネルとは一切関係のない方面に行ってしまうと、このテーマがね。
であればこれは違う、そもそもそういう用途で用意しているチャンネルがあるので、そっちでやるのが筋だろうと。
それはそれでいいんですが、じゃあ朗読チャンネルでやるライブ配信は一体何をしたらいいんだろう。
やることがないじゃない。ただ本を読むのは退屈だ。自由に喋ると関係ない話をしてしまう。
だけどライブ配信はやりたいんです。多分ですけど、ライブ配信しているチャンネルの方が何がしかYouTubeからの反応がいいというか、
努力しているチャンネルだよねみたいな、こういうなんとなくそういうのを感じるので、もうだいたいそれ以外に打つ手なしな感じで、
バズる動画とかがないわけなんですね、朗読って。淡々と、時々有名な話の新作が出ると1本目はちょっと増えるんですけど、
それも1本では終わらないので、延々と何十本もシリーズで配信しているうちに決まった人しか見なくなるっていう風で、
バズらせるっていうことが基本的に難しいジャンルだなと思うので、せめてライブとかせめてプレミアム配信とかしていないとどうしようもない。
巷ではショート動画が一番いいって今でも言いますけど、朗読のショート動画何本か作ってみましたけど全く再生されないですよね。
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まあ当たり前ですよね。長いお話の一部、30秒とか1分とか切り取って聞いたって何も面白くないわけで、
ジャンルの特性上ショート動画っていうのを利用できない、利用しても効果がないとなったら、やっぱりライブやらなきゃダメだよねって。
それで思いついたのが一つあるんですけど、自分詩を書いて、私の今までの人生を振り返るみたいなオリジナルのコンテンツを作ってそれを読んでいく。
で、それをそうだな、例えばノートとかで、ノート?ノート?ノートでやるかどうかちょっと今わかんないですけど、ノートにしといてもいいかもしれないですね。
とにかくテキストでも公開していくみたいな感じ。
YouTubeで流してもそれがそんなに普遍的に保存されるってことはないし、それから音声で聞くのって意外と時間かかるんですよね。
なのでこういうコンテンツはテキストで残しておいた方がいいだろうなみたいに思ったりするので、とりあえず自分の話をね、自分の昔の話である以上、
喋ってて退屈になるってこともないだろうし、ただダラダラ喋るとだいたい愚痴って終わりになりがちなんですよね。
今私62歳でございますけれども、その50代の時、40代の時、30代の時、20代の時、10代の時まで遡ると今と同じ考えを持っているわけじゃないし、住んでる場所も違えばやってることも違えば全然違う境遇に、
全然違う立場にいて、その中でいろんな経験をしていたわけで、ちゃんと順を追ってお話ししないと理解してもらえないよねっていうこともあるし、あとどんなルーツを持ってこういうふうに言ってるんだろうって、
そういうこともいつかどこかでちゃんと整理したいなっていうのは前から思っていたんですよね。そうか、じゃあ自分の話をするだけで一つコンテンツが作れて、これライブでやるってなったら、一石二鳥だなと思って。
ただ、そういった自分史っていうのはどうやって書くもんだろう。この生まれた時からずっと遡ったって退屈でしかないじゃないですか。なんかこう、自分も興味を持ってしゃべれて、聞く人も楽に聞けるっていうような、ちょっとこうなんだろう、何がしかのトラブルがあってそれを解決するみたいなね、そういうお話的なストーリーテリング的な感じで構成させたいので、
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どうしたらいいのかなと思って、もちろん自分史書き方とかでググってみましたよ。したら、なんかそういう自分史の編集とかお仕事してる方たち、出版なのか印刷業なのかエディターさんなのかよく分からないですけど、そういうお仕事があるらしく、
そういった方々が2、3の情報提供してくださっている中に、とりあえず自分の情報をまとめるワークシートを提供しているところがあったんですね。このワークシートの要は人生曲線と呼ばれる、生まれてから今までを、
いいことがあった悪いことがあったみたいな折れ線グラフみたいにして書き込むやつ。あれがあって、それを書いてみて、人生の転機となった出来事みたいな、折れ線がくぎっと折れるところですね。そこっていうのは何か出来事があったわけなので、そこを
トピックとして取り上げつつ構成を考えるといいって書いてあったんです。すみません、すごい喉が調子悪いです。なのでとりあえずそうか、人生曲線だと思って、久しぶりに書いてみたわけですね。こういうの昔ね、なんやかんやでよく書いてたんですよ。
なんで書いてたのかな。成功する方法みたいな中にこういうの使うのありますよね。横に一本線を引いて、その線より上は楽しかった、線より下は嫌だったみたいな、簡単なこのエモーショナルな部分を上下で表現してみたんです。
あの頃は楽しかったよなと思ったら上に行く、あの時すっげえ嫌だったと思ったら下に行くっていうので、ざっくりバーっと書いてみたんです。きれいな折れ線には全然なってなくて、うねる曲線みたいな風なんですけど、想像通り真ん中の横線がゼロ、ニュートラル。
よくもない悪くもない普通みたいな状態だとすると、それより下に線が行っているところがものすごい期間も長いし深さも深いんですよ。
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に対して線より上に行っているところは回数は何回かあるけど山が低い、そして短期間で終わっているっていう風でした。全体からしてこれ私が振り返る、現在の私が振り返るというか思い出す自分の人生なんですけどね。
だから客観的な評価とは全く違うんですね。内面的に自分のエモーションがこんな風だったっていう話。全体的に不幸な人生を送っていて、じゃあどういう時が不幸だったのかなっていうのを曲線が一番低くなっているとこ、急激に低くなっているところに何があったかが書いてあるので面白いですよ。
一番最初に出てきたその低い山の谷ですね。谷になっているのが当時転校生だった10代の時に最終的に岐阜県の関市というところに引っ越すんですけど、これが最初の深い谷になっております。
全然行きたくなかったし、転校疲れしてて、そこ引っ越す半年前に名古屋の森山区から小牧に引っ越して中学に入っているんですね。その転校したてであるにも関わらず半年後には岐阜に引っ越すからとかって言われて、無理やり連れて行かれるっていう。
この時は大抵抗したんです。私はおばあちゃん家に下宿して、もうそこで行くとかって、もう岐阜には絶対行きたくないとかって泣いて抵抗したんですけど、中一の子どもとしてできることは全部やったっていう先生にも相談してみたりとか。
当時の大人が全員反対しましたね。そんなことは良くない。親元にいるのが一番幸せだとかいろいろ言って、めんどくさいことには関わりたくないっていう態度だったんですよ。
親にも失望したし、先生っていうものもそれまではちょっと尊敬してた部分はあったんですけど、こいつらダメだな日寄り見だなみたいに思って、ついに知ってしまって、そういうことを。それが中一の秋。
そんな気持ちのまま新しい学校に転校したので当然うまくいかないし、本当にうんざりしてて人生に。どうしてこんな嘘つきばっかりなのかしら。どうしてこんなに、なんて言ったらいいのかな。
おざなりに、私の言うことに耳を傾けるなんて大人は本当に一人ったりともいなくって。
まあはっきり言えば人生クソだなと思って過ごしていた。それが中学1年から高校卒業までですね。高校も当時他の地域に転出というか受験ができなくて、そのエリアの高校しか受験ができなかったのでだいたい3分の1は同じ中学から行っているという状況なんですよ。
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クソはクソでしたね。大学でようやく自由を得たんですけれども、だからといって薔薇色な人生が始まったわけでもなく、時折楽しい時期もあり、でもそうでない時期もありって浮き沈みしながら、
20代の終わりに結婚したら、結婚の谷がね、またね、席に行った時と同じくらい深いんですよ。そんなに嫌だったっけって思うくらいなんですけど、まあ本当に結婚は墓場でしたね。
だってインターネットがないんですよ、当時。結婚したら本当に外にも出歩けなくなったし、子供ができていましたからね。本当だったらここって結婚、それから出産なんていうのは、ハッピーな出来事として分類されるべきものなんでしょうけど、私のエモーショナルな捉え方では全然、子供のことなんか、
この曲線を描くにあたって、あんなことがあったなっていうトピックとしても出てこなくて、今日は。でも結婚によって自由が制限されたりとか、ということは事実として今でも記憶に残ってるっていうことなんでしょうね。
で、まあそこから今までは基本的にはそんな感じなんですけど、ところどころゼロより上に曲線が行ってるところがあって、そこだけを取り上げていくと、1995年から数年間、インターネットに出会った、ネットオタクしてた時期があるんですけど、それが楽しかったっていう本に分類されてます。
で、楽しいと思ってたら夫が引きこもって、一家の収入がゼロになるっていう事態が発生して、インターネットをやって遊んでいる場合じゃなくなっちゃったんですね。
で、私もともと遊びでやりたかっただけなので、これで仕事に行ってなったんですけど、実際問題は仕事としてやらざるを得なかったんですけど、気持ち的にはすごい嫌だったっていう、えーみたいな感じで、そんなはずじゃーって言いながら仕事をしてたけど、
2007年になるとSLって書いてあるんですけど、セカンドライフが一時期流行った時期に、何かのご縁でやることになって、これは本当に楽しかったですね。本当に世界がパッと広がるような感覚を、つまりインターネット初めて知った時、初めてホームページを自分で作れた時と同じような、
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あ、なんか未知の世界が広がっていくみたいな感覚だったので、これは楽しい方に分類されています。で、その後2010年ぐらいもちょこちょこちっちゃな山があるんですけど、これやっぱり勉強会を開いたりとか、あとワードプレスですね。
ワードプレスの波が来てる時に勉強会をしたり、あとワードキャンプっていう大きなカンファレンスを実行委員させていただいたりしたのが楽しかったっていうふうに、今日の振り返りの中では楽しかったって思ってるみたいです。
それも時が過ぎて辞めて、そこから先がまた深い谷が始まってきて、一人で家にこもってネットショップをやっていた頃ですね。ネットショップあるいはネットショップサイトのSEOをやっていた時期が浅い谷になってきていまして、谷的には浅かったんですけどその辺。
ある時期に急激に深い深いマリワナ海溝みたいに深くなった谷が出てきて、これは長女に続いて次女も家を出て一人暮らしをした時があったんです。
2016年ぐらいかな。その時に突然気分が沈み出していてもたってもいられないぐらいつらくてつらくて、この時家を出て私実家に1ヶ月ぐらい行ってるんですよ。
実家に帰るとか言って。実家で何もしせずにただ寝ていたみたいな時期があったんですけど、これ今にして思うと完全に鬱が入ってましたよね。何がそんなに嫌だったのかというと結局ここに結婚したのが嫌だったと同じ理由ですね。
いたくないんですよ。この家に、この部屋に。毎日会うのが嫌なんですよ。彼のことが嫌すぎてって言ったらいいのかな。どうしようもなく実家に帰ったっていうことがありました。
このことは多分どこでも話してないので誰も気づいてないと思いますけど、ただ1ヶ月ぐらいするととてつもなく退屈になってきて何かしないと思って一旦戻ってきてパートに出ます。近所のスーパーの食レジで働き始めます。
これでちょっと深い谷から出てですね、気分が多少良くなってきたんですね。そこから誘われて別の仕事をしたりとかしながら徐々に徐々に良くなってはきたんですけれども、マイナスはマイナス。谷の深さが浅くなってきたぐらいの感じで、気分はそんなにすっきり晴れてハッピーでは全然なかったですね。
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これがある時を境にパーンとプラスの方に転じてるんですけど、きっかけとなった出来事は腰痛ですね。腰痛で動けなくなった。これは60歳になってすぐってことですかね。
2020年、21、22、多分それぐらい。そこから思い返してもその時以来、以降、今に至るまでそんなに嫌な気分になったこと全然ないんですね。
腰が痛くて家にこもってた期間でさえ気分は良かったんですね。痛いのは嫌だけど、体が痛いっていうだけで気分、気持ちは全然落ち込んでなくて。
なんでって言ったら、楽室のお仕事から完全に手を切ったっていう、完全にっていうか何もできなかったんですよ。とにかく腰痛で、椅子に座ると痛いのでって言って。心も折れてたし、どうでもいいやって。
私が手を引いて何かしらの売上下がるとかそういうことがあったとて、もういいやって諦めようと思えたんですね。腰が痛すぎて。人間が腰痛いとかどうか悪いって言うともういろんな、そっちにエネルギー取られるので他のこと頑張れなくなりますよね。おかげさまで頑張れなくなったんです。
放置して、今に至るまで放置してて、この間ちょっとうっかりまた手を出そうかとかと思ったりしたんですけど、やる前にハッと気がついて、そうだ私はやらなくていいんだっていうふうに気づけるようになったし、泥沼のようなやりたくもない興味もない他人の仕事に振り回されて無報酬で頑張るみたいな、そういう本当に利用されて終わりであるし、
また私が関わったからといって良くなっているかどうかもよくわかんないっていうような、そういう泥沼的なことに巻き込まれないで済むようになったっていうのは、たぶん基本的に常に楽しい気分なので、楽しくないことっていうのが来たときにわかるようになりましたね。あれ?これって楽しくないぞって。
それぐらい基本的な気分が楽しいでいるのか楽しくないでいるのかって、決定的な違いがあるなと思うんですけれども、なんか今目の前にこの紙を持っていて、その人生曲線のノート1枚で書けなかったので2枚に渡っていて横長な感じになってるんですけど、
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60歳まででトータルすると明らかに落ち込んでいる時期の方が長くて、嫌だった、辛かった、腹が立っていたとか、最低だったみたいな感じの期間が長いんですけど、これ紙ですので60歳、62歳以降、右側にもバーッと紙があるので、
これが完全に右肩上がりでどんどん楽しくなっていくって思うと、ある時点で人生前半のマイナスだった部分の面積、谷の深さと盛り上がって山が高いっていうところの面積がある時点で逆転するなと思ったんです。
これはここから先の長生きして、しかもすごく楽しい気持ちで生きたら死ぬ時点ぐらいまでにはトータルでこの人生を振り返った時に楽しかったなっていう思い出の方が勝った状態で人生を終えることって十分できるなと思ったんですね。
また逆を言えば、こんなに辛い時期をたくさん過ごして、ノートを取らなきゃ何のために生きてたかわかんないじゃんみたいな気持ちもあって、たぶんこの人生がへこんでて辛い思いをしていた時期っていうのは何かしらの学びを得ている可能性があって、
私も結婚生活があまりに退屈、孤独、いろんな社会生活からも切り離されて、物理的に友達とも会えない引っ越したりなんかして、あまりにも孤独だったからインターネットができた時にパッと飛びついて、そこで知り合った人たちと本当に世界がバーッと広がるような感じがしたんですよね。
これ、日常生活が満ち足りていたら、インターネットができても魅力を感じなかった可能性もあるんですよね。
同じように勤務が引きこもっちゃって、一家の収入がゼロだったみたいな、誰も助けてくれない状況だったっていうような辛い辛い何年かがあるからこそ、自分から勉強会をやって人脈を広げようとか、コミュニティっていう言葉は当時は流行ってなかったけど、何かしらの関わりを自分から作っていこうみたいに思えたのもそれがあったからで、
だからこそ、セカンドライフであんな楽しいこといろいろできたりとか、ワードキャンプできたりとかっていうことが起きたわけで、マイナスのことがそのままエネルギーとなって、次の活動につながったっていうふうにも読み解けて、
だからマイナスが必ずしも悪くなくて、よくあるのは本当に、すごく幸せに生きてきた人っていうのが実際いると思うんですけど、小さなことはありつつね、
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そういう経済的に破綻するってこともなければ、本当に重度の病でどうにかなっちゃうってこともなければ、あと肉親が死ぬとかね、悲しいことあんまりなくてずっときた人って、私の同年代ぐらいで、そういう本当に平穏無事に生きてきた人ってどうなってるかっていうと、いろんなことができないですね。
ネット使いこなせなかったりとか、自分から何か計画立てて何かするってこともできなかったりとか、経験がないんですよ、今までに。本当に平穏無事な奥様をしてきているから、みんなと仲良くするっていうことはできるけれども、自分から何かを作り出すとか、そういうことができない。
このインターネット時代においても何もできない、インターネット怖いとか言ってるっていう同い年の人が本当にいるので、それを見て、じゃあどちらがトータル的にどっちが上か、上かっていう、どっちが幸せかとかちょっと言い切れないなと思うし、また言い切れないと思うし、
幸せ度っていうのはその人がどう自分でどう思うかの話ですから、客観的には比較ができないと思うんですけど、たぶん私生まれた時から何か冒険がしてみたいっていう感覚で生きてきてて、だから読んでて好きなお話も全部冒険小説とかそんなんばっかり。
このハーレークイーンロマンスとか全然退屈なんですよね。
何か宝を探しに冒険しに行くとかね、不思議な事件を解決するとか、そんなんばっかり読んできてて、そういうのを読んだからそうなったんじゃなくて、もともとそういう冒険が好き、憧れているからそういうお話に魅力を感じたんじゃないかなと人生を振り返っても思うし、
それに沿った生き方をしてんじゃんと。
私が今までやれなかったようなことにチャレンジするきっかけになるのは大抵この大きな谷。
腰痛になっちゃって動けない、じゃあポッドキャストやろうかみたいな風で来ているので、
へこむことは必ずしもマイナスではないというか、マイナスがなかったらプラスにも触れないっていうことですね。
これはちょっとまた自分史ができたらですね、こちらでもご紹介させていただきたいと思います。
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はい、本日は以上です。お聴きいただきありがとうございました。
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