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2024-01-28 33:32

第17回 記者として見聞きした震災【お客様:じんさん】

※主に令和6年能登半島地震の話をしています。コンデションによっては心に負荷がかかってしまう場合があるので、自身と相談しつつ聴いてください。

・ジョブチェンジして記者になりました
・1月半ばに現地入りして見聞きして


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今週も珈琲のお供にどうぞ。
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00:03
これが本来のサンドウィッチなんじゃないですか?
シーリングライトの数、保存の法則とか?
雨の勤労ぐらい。
オペさん、オペさん来たぞ、オペさん。
君、面白いじゃないか。
朝、あんこふん。
喫茶ホボハチ
マイルが有効期限を迎えそうです。
竜馬です。
初売りで我慢した服を、初売りの時よりも安く買いました。
翔太郎です。
この番組、喫茶ホボハチは、喫茶店好きの2人が
気になること、日々のあるこれを残していく番組です。
今週もコーヒーいっぱいほどお付き合いください。
ください。
今回はですね、17回です。
17回ですね。
1週目、2週目と、17回はお客様をお呼びしてきておりまして、
今回も例に漏れずお呼びしますし、今後もお呼びします。
はい。
今週のお客様は、じんさんです。
ご無沙汰しておりますじんです。
88回ぶりに3回目の出演になります。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本当に出るんだね。
でもちょっとね、近づくとね、待ち遠しくなるっていうか、
そろそろこの時期が来るんだなみたいな感じ。
嬉しいね。
10回ぐらいになるとそわそわし始めてくれるのかな。
そろそろみたいな。
ありがとうございます。前回2週目の17回では、
コロナ禍でじんさんが上海駐在をかまして、
そこからの脱出編ってことで、
そうでしたね。
逃走劇じゃないね、脱出劇だね。
脱出劇。1日遅かったら私は1ヶ月マンションの部屋から出られなかったっていう、
そんな脱出でしたね。
飛行機乗って出国してみたいな。
ちょっとしたフィクションだったもんね。
その後、アルゴってね、映画でフィルシャークの大使館から抜け出すみたいな。
そこまで言うてそんな。
気になることはぜひ聞き返していただいて。
本当に面白いよあれ。
そこから88回、88週、21ヶ月、2ヶ月ぐらいですか?
私は会社を変わって新聞記者を今やるようになっております。
あらあら、ジョブチェンジを。
ジョブチェンジ、もともと新聞好きだったんですけど、やっぱりやりたいことそのままにね、
もやもやするぐらいなら受けてダメで、それなら諦めがつくって感じで受けたら通ってしまいましたんで、
今コツコツ頑張っております。
新聞記者か。
あれも人の話聞いて文字にして伝えてってすごく不思議な仕事っていうか、
03:05
今までは普通のサラリーマン営業をやってたんで、
これなかなか面白い、やっぱり刺激の強い仕事だなと思ってますけど。
内容も大きく変わりそうだし、働く時間もだいぶ変わりそうですね。
そうですね。
なので本当にどっちもね、くじごじで働くっていうのもあるし、
こういう働き方もどっちもできたのは本当に二つの目の人生やってる感じで楽しくやっております。
これ記者ってなると場所がっていう話になってくると思うんですけども。
今は石川県内で記者をしてまして、それでいろいろ街のお祭りだったり、
小学校の150周年イベント記念式典だったり。
ローカルだ。
非常にローカルな。
なるほど、街の記者だな。
そうなんですよ。
普段は本当に穏やかな楽しい子供が山々放流しましたとか、
そういう小柄かニュースを順番にしていたりするんですが。
そうですね、なので場所が場所で、今回の野党半島地震があって、
石川県内、野党半島ではなかったんですけど私がいるところは。
今回ちょっと1月の15日前後に1週間ぐらいですね、応援という形で被災地の一つである七尾市に行って取材をしてきましたっていうのが、
今回皆さんにお伝えしたいことかなと思って今日参加しました。
今回は野党半島地震のお話をしていくので、心に負担がかかってしまう場合もあるかと思うので、
この先はちょっとそれぞれ気をつけつつ踏まえつつこの先進んでくれると良いかと思います。
そうですね、やっぱりストレスの強い状況なので、
やっぱり新聞読んでても、やっぱり私自身もちょっと疲れちゃうっていうかね、なんかそういう時はあるんで。
なかなか知らない、距離感というのはそれぞれだと思いますが、なんとなく聞いていただけるかなと思いますけどね。
ちなみにじんさんは当日1月1日はどこにおったんですか?実家?それか石川県内の自宅?
実家でした。年末年初お休みいただけてたので実家に戻ってて、
家でのんびり昼寝してた時間というか、夕飯前にちょっと昼寝をしてたところに緊急地震速報が来て、
それでああみたいな、やっぱりこれはとんでもないことが起きてるんだなというのはだんだんわかった一方で、
車で帰ってたんで、車で現地に石川県内に戻れるっていうのが頭にあったんですが、
06:01
道がどうなってるかが分からなかったっていうのが一番怖くて。
当時はまだ石川県内に入れるかどうかも分からない。国道、高速含めて。
それでちょっと悩んで、明るくなってからならもし道がかんぽつしてても安全に走れるというか事故にならないと思ったので、
朝帰るかって悩んでたら、たまたま福井に帰ってた先輩がチャレンジして石川県入れたっていう話が入ってきたんで、
夜の10時ぐらいに北陸道を走って、わーっと戻っていきました。
結局やっぱり暗い時間になってしまってたやつですね。
そうですね。でも消防車両はですね、北陸道もずっと途切れることなく、
その南の愛知県なら愛知県、だから岡崎消防とか豊橋とか名古屋市とか、
もう皆さんもその時点で、私と同じタイミング、同じタイミングで自衛隊車両警察含め、
その3団体の皆さんはもうバーっと、やっぱり彼らに備えてる人たちなので、
そこの車と一緒に屋上したって感じでしたね。
それって1日の夜?
1日の夜。
あーってことか。
だから静岡岳っていうサービスエリアがあるんですけど、
そこでもう駐車場全部が赤色に染まるぐらい消防車両で。
へー。
そこで最後のガソリン入れるんで、ガソリンスタンドもすごい列ができてて。
あー。
でもそんな初動、初動はもう本当皆さん現地入りして命を助けないといけないフレーズだったんで。
まあ1秒も早くって感じだったんだと思うんですけども。
ニュースでめっちゃ見たもんね。
その道路が揺れて断裂しているところもあれば、通れるところでも緊急車両が列を成しているから、
一般車両は行けないというかしばらく控えてぐらいのニュアンスの声も上がってたもんね。
まあ、いまだにボランティアを受け入れてないっていうのが、
やっぱり渋滞が現地で起きてしまっていてっていうところがあって、
まあだいぶそれも解消されてきたんですけどね。
当時はまだ走れる道路で、道路が亀裂がすごいので、やっぱりそこになると20キロ30キロになっちゃう。
それでだんだん団子状になって渋滞が起きてみたいな、そんな感じになってしまうんですね。
で、しばらく小松でこちらの取材、成人式もあったんですが、
成人式でやっぱり岩島とかに実家に寄生してて、成人式のために帰ってきた子とかいるんで、
そういう子探して取材したりですね。
そんなことをしてて、途中で15日ぐらいに七尾市に入ったというような私のこの1ヶ月ですね。
七尾。
09:00
喫茶ほぼ八。
小松に戻ってから、実際に人被害の大きかった野戸に行くまでは結構開きがあった?
2週間ぐらいかな。
先輩が順繰りに行ってたっていう感じで、1週目1人目、2週目2人目、で3週目で私みたいな。
はいはいはい。
なので元旦でお留守番してた先輩がいるんですけど、その先輩はもう2日の朝から現地にしてますね。
その先輩いなくなったんで、私戻って逆に被災の野戸じゃない方のことをやらないといけないっていう感じで。
こっちはこっちの仕事があるので、そっちを処理しないといけないっていう、そういう感じなんです。
むしろ心痛めながら何もできないなと思いながらこっちで仕事してたっていう、そんなニュアンスですかね。
じんさんが実際に被災地に行くってなった時はどの辺まで行けたの?
どの辺っていうのは先の方の和島まで行けたのか、もっと手前で泊まったのか。
元半島ってやっぱりすごく広くてですね、金沢から大体先端の涼島で100キロ強くらい。
車で2時間、2時間、3時間かかるかな、普段である。
すごく広くて、私がいたのはその真ん中あたりにある七尾市っていうところです。
七尾市も揺れてて、いまだに断水が続いている状態なので、本当全然、和島、鈴に比べれば被害は少ないんですけれども、
被災地としてはもう皆さん大火に避難して、和島、鈴に比べればという状態ですけれども、被災地ではあるという感じですね。
ニュースで見た、ここからは道が途絶えてて、大きい車両通れない。
大きい車両って普通に人しか通れないみたいなところで、自衛隊が結構な物資を担いで歩いて10キロぐらい運んだみたいなところを見たんだけど、
あれは、もっと奥の方の話とか。
奥の、いわゆる奥の都って言われる、鈴・和島・野都町だね。
奥の。
あと穴水町。この2市2町。
穴水町。
はい、っていう言い方をしますね。
北から4つ、鈴・和島市、穴水町、野都町。
その下に七尾市、鹿町。地下原発のある鹿町。
で、その下が、うちなだだったり、博多だったり、いろいろ。
そっちは液状化がひどかったりするところなんですけど、続く。
で、金沢みたいな。そういう感じで。
はいはいはい。
やっぱり車を運転していくと、徐々に崩れる家が増えていくわけですよ。
12:00
古い、古いそうな家から崩れ、やっぱり耐震性の問題があって崩れていくんですけど。
やっぱり如実に入っていくと、どんどんひどくなる。
あと、道路が、もう亀裂が入ってしまうんですよね。
で、アスファルトが尖ってしまうので、そこを60キロで走ったらパンクしてしまうという。
みなさんパンクに気をつけながら走らないといけない。
運転にすごい神経を使うっていうのも、悩みの一つではありましたね。
それってちなみに、避けながら走るの?そーっと走るの?
もう、横向きに綺麗に入っとるもんでも、避けようがないっていう感じ。
車に対する垂直方向で、ピキッて。
そこで多分圧力がかかってしまって、盛り上がってしまってる。
そーっと通る。だから、減速したら通れるの?
ガッターンみたいな感じで。
刺さらないようにというか。
そーっと踏めば。
そーっと行けば大丈夫で。
嫌なことない気をつけ方だよね。
わかんない。想像つかない。
そこに雪が降るんですよ。これがね、見えない。
あー、そうか。
やっぱり雪が降るって、寒いこの時期っていうのは何よりも苦しめてるっていうか。
ただでさえひどい状況で、そこに雪がジャンジャカジャンジャカ降るっていうのは、
本当に自然っていうのは容赦ない。
本当にそれ見ててね、心苦しい。
心苦しいところです。
地盤が揺れるってあまり想像したことがなくて、
土地が揺れるから、電信棒ももちろん傾いてしまうし。
電信棒。
電信柱?
名古屋弁らしいっすよ。電信棒は名古屋弁です。
そうなん?
電柱?電柱かな?
ちょっと言い淀んでしまった。
それでやっぱり歪むし、だから建物も倒れるし、
平らが立ったところを前提に立ててるものが、
すべて床が左右自由に動いてしまって、そこで固まってしまった状態。
だから道路はそうやって無理、変な圧力がかかって亀裂が入ったり、
鉄道のレールはもう自由に歪んでる。波を打ってしまっている。
それで止まってしまっているから動かしようがないんですよ、レールにしても。
まあそうだよね。
もう建物をゼロからやり直すしかないみたいな。
そういう光景っていうのは、やっぱり異様というか、
我々の生活をこの工程から覆すものだなっていうのは印象としてありました。
そんなこと起きちゃうんだね。
そんなこと起きちゃうっていう。
で、水道が結局、水道管も一緒に土の中で切れてしまうんですよね。
15:05
それで止まってしまうんで。
なんで今無水道の復旧が非常に時間がかかっている。
現地で一番聞かれるのはもう断水がいつまで続くんだっていうところが、
一番特に七尾市では聞かれる話かな。
これが最初2ヶ月って言ってたのが4月ぐらいまでみたいな。
4ヶ月シャワー無し、3ヶ月シャワー無し生活。
どんだけ管が切れて離れたかもそうだけど、
上にまた敷き直しても季節的に凍っちゃうからその対策もせなあかんしとか思い始めると、
気をつけなこととやらなあかんことってどんどん途方もなく増えていきそうな想像しちゃうよね。
本当にあり見えない。
見通しが立たないっていう言葉をよく現地で聞いて、
何から手をつければいいのかがわからない。
例えば漁師さんとかと話してても、
もちろん港の岩壁はもうガッタガタなんですよ。
崩れ落ちてるっていうか。
一歩踏み甘えまれば海に落ちちゃうみたいな、そんな状態で。
船も転覆したやつもあれば、
他に津波で押されちゃってるやつもあればっていう状態で。
海は行けば海中にゴミがたくさん流れてきてて、スクリューが回せないみたいな。
そんな状態で、もちろん家は崩れてて、
崩れてる人崩れてない人いますけど、
本当に何をすればいいのかがわからないっていう。
もう絶望感というか、
その辺りがやるせないというか、
いつまで続くのかっていうところで自分を奮い立たせて、
今サバイバル生活だと思ってるんで、みたいな。
そういうことをおっしゃられる方もいらっしゃる。
それを乗り切るしかないんだなっていう言葉で頑張るしかないみたいな。
本当そういうモチベーションを皆さんお暮らしになっているという段階ですかね。
全部が見えきれないし、この先も何やっていいか、
やることがどんだけあって何から手をつけるべきなのかみたいなのがわからん状態になると、
マジで手をつかんくなるけど、
でもやらんと何も進まんと思うと、
そういう奮い立たせ方、
言い聞かせ方をしていくしかなくなっていくんだよね、きっと。
特に高齢の方も多い地域で、
今避難所の体育館に行くと昼間は結構若い人が外に出て家の片付けだったり、
いろいろ作業して、昼間はすごく静かな感じになるんですけど、
あそこに高齢の方は1日ずっといる感じなんです。
その高齢の方とお話ししてると、やっぱり日に日に衰弱してるし、
18:03
体育館から出られないというか、出ても何すればいいかわからへんから、
もうそこにただ座ってるしかできないみたいな。
無力感っていうのがすごくて、
いつまで続くんやっていう、
生活全部きれいに壊れてしまうっていう、
現実だとしても私も今に信じられないっていう、私の感じではありますよね。
今こうした瞬間もよくある体育館、みんながイメージする小学校が土足で入れるようになってて、
調理室が焚き出しする準備の部屋になってて、
保健室が看護師が詰める場所になってて、
本当に日常って取り戻そうとするのにどれだけ時間かかるんだろうっていうような感じでしたね。
その辺りが現地出在して、本当に一様に皆さん大変な思いをされていているっていうところです。
やっぱり私も今回現地に行ったからわかるのであって、
自分から興味を持ってアクセスしていかないと同じように共感ってなかなかできないと思うんですけども、
一緒に心を痛めるってどれだけ意味があるのかって言われるとすごくわからないことでも自分の中ではあるんですけども、
でも知らないといけないんじゃないかなっていう、何とも言えないところがずっと純々しながらやってたところですね。
そこで言うと、やっぱりめちゃくちゃ大きい震災で、ほとんどの媒体ですごく大きく取り上げられて、
実際に俺の兄がすずにいるので、発生した当日は名古屋の実家にいたんだけど、
1週間くらいしたところに戻って、今も被災地避難所でお手伝いしてるのかな。
もともとそっちで飲食やってて、店もきれいにしなあかんし、
みたいなところで今ずっと避難所でお手伝いしてて、家族のLINEに不定期で、
今日も無事でしたみたいなのが返ってきたりするような感じでいるから、
今までのとはちょっと違うような距離感でいるのかなと思いつつ、
自分が、ただ年始のお祝いムードじゃないけど、めでたいムードもあるじゃないですか。
とか、エンタメみたいなライフラインとは離れているようなところとかあったりすると、
自粛とかもありつつ、やっぱりそれぞれがコンテンツを発信したりしてるから、
被災地のことを思って心を痛める、心苦しく思う瞬間もあるし大事だとは思うけど、
21:05
このコンテンツを自分は楽しんでていいのかみたいなところはやっぱり出てくるよなと思う。
どの距離にいてもっていうところはあるかなっていうね。
そうですよね。だから、いかに現地に共感できるかっていうところ、
全てが全て四六日一緒に寝ることができないとしても、
頭の片隅に忘れずにいるってことが現地被災者の方々にとっても、
やっぱり忘れられちゃうっていうのは一番悲しいことだと思うので、
頑張っている人たちがいる、今この瞬間も水が通ってなくて、
生活どうしていけばいいのか見通しが立たないような人たちがいるってことを
自分の中で大切にできるっていうことを、
何の意味があるのかっていうのはわからんけど、自分は大切にしたいな。
それが辰野君のお兄さんがいるからだけも全然それでもいいし、
たまたまほうば八を聞いたからとか、それでもいいような気はするんですけどね。
とにかく知ることが全ての始まりっていうか、
同じ社会で生きてて同じ国で生きてて、
同じ仲間として想像ができるかどうかっていうところなのかなと思うところではありますね。
楽しむことは楽しんだ。私も別にずっとそのことばっかり考えてるわけではないので。
うまいこと切り替えつつ。
切り替えつつ。
ちゃんと残しておきつつ。
実際にその現地に行ったときって、
避難所にいる方々の話とか、ボランティアの方々の話とかっていうのももちろん聞けた?
うん。ずっと話聞いてましたね。
医療系はやっぱりそういうDマットとか、
そういう支援団体があるので、災害救助隊みたいな。
そういうので全国から応援が来てます。
日本看護協会とかそういう団体が、
このエリアは何県の看護団体でお願いしますみたいな感じで持ち前でやってらっしゃる。
水道もいわゆる救水車、トラックの上に乗せる。
あれを水道協会っていうのがあって、
それが何県は何市何市みたいな割り振りがあるみたいで。
だから藤野国市かな。
よく知らないというか、いろんな自治体の救水車がいろんな七尾市内の救水スポットに。
毎朝10時からみたいな感じになるんですよ。
そこにみなさんポリター持って並ぶんですけどね。
仕事抜け出して水だけ汲みに来てますみたいな、お父さんとかね。
そういう感じだし。
あとは、七尾市は名古屋市から公務員として、
24:02
行政官が60人名鉄観光バスで来てました。
へー。
なんか目的はこれやってみたりしてる?
全員がサポート、現地サポートで。
行政のお手伝い?
もう七尾市役所のお手伝い。
その避難所に詰めてる七尾市役所にぶっ倒れてしまうんで。
名古屋市の職員が代わってお手伝いするみたいな。
そうか。D-BADとかD-MADみたいな分かりやすい、
名前もついてて分かりやすいのもあれば。
職員官でも。
職員官、保健師だったり、普通の職員さん、
区役所にいらっしゃるそういう方々。
チームだって行ってんだね。
行ってる。で、その中で、
私も七尾市役所で取材してたら、
外に名鉄観光バスが2台停まってて、
なんだこれは?みたいな。
取材取材って言った名前があるぞ。
びっくりして。
知らなかったんですよ、全然名古屋市が来るなんてことを。
話しかけて、どうしたんですか?みたいな。
そしたら応援に来てます、60人くらいで。
で、次の避難所に行って、
ちゃんと仕事されてるな、みたいなね。
やっぱり避難所も二交代制なんですよ。
夜何があるかわからないので、
寝る人と夜勤の人がいらっしゃる。
見回りもされてるし、
なかなか過酷な現場ですよね。
避難所の見回りは役所の人の仕事ってなるんだね。
そうですよね。
そうですよね。
なかなか昔ながらの地域は
町内会がしっかりしてると、
そこのボスと言われるような町内会長さんたちが
責任者と名乗って、
体育館に名前を張ったりしてるのが
何々担当、保健担当、助食事担当みたいな。
ちゃんと分担して、組織立ってるところもあれば、
新興住宅街の体育館は市の職員がやらざるを得ないというか、
そういう組織が、
自然派生的にないので、
なかなか難しかったり、
そこは地域防災の日頃の取り組みっていうのが、
そこの避難所ごとの色というか、
運営の良し悪しっていうのが出ているっていうのは、
すごく感じましたね。
そうね。
消防団みたいなのもあるもんね。
そうそう、消防団とかね。
だからボランティア、
地域住民被災者自身がまずボランティアとして、
避難所運営に携わって、
ただ本来は市の職員がやれればいい、
パブリックなサービスですから、
そこは市の職員も頼りつつっていうところで、
ようやくそういう楽しい街からの応援があるんで、
27:00
今回の場合は名古屋市の人にやっていただくっていうような感じで、
徐々に徐々に移してるというか、
確かにその自治体というか、
その避難所に集まる区域の、
なんだろう、
コミュニティの作られ方というか、
繋がりの強さみたいなところって、
別にあればいいとかなくて悪いとかそういうところじゃなくて、
あそこは新しい住宅街であんまりないから、
公共のサービスで入らなきゃいけないんですよね。
そういうところで、
あそこは新しい住宅街であんまりないから、
公共のサービスで入らなきゃいけないみたいなところの、
判断からせなあかんと思うと、
思ってる手前のところからすごいいろんなタスクが降ってきてるなっていうのが、
気づいたところだよね。
細かいタスクだけの必要なやつ。
うわーそれむずい。
むずいんですよ。誰がやるって決まってないし。
それこそ街のどんじゃないけど、
人がいれば安心かもわかんないしね。
ある避難所だと、
避難者の健康管理をずっとしてるおばちゃんがいらっしゃって、
血圧対応毎朝、
ちゃんと皆さん、
食べ物も野菜も少ないし、
高血圧になりやすいし、
いつどうなるかわからへんし、
災害関連しか防がないといけないので現場では、
そういう見回りも最近非常にやってらっしゃるんですけど、
私取材するときに、
対応を測るだけでいいのかなと思って、
血圧も兄ちゃん測ってきーみたいなこと言われて、
私まで血圧測ってもらって、
兄ちゃんもろくな物食べとらんやろーみたいなこと言われて。
そういう優しさからね。
そうだよね、現地に取材に入るってなると、
じいさんもそこの生活になるわけだもんね。
だいぶなのはコンビニが復活したので、
すごく大きくて。
コンビニが復活したっていうのはトラックが来るようになったってこと?
そう、トラックが入れるようになったので、
水は来てなくても物は入るようになったっていう状態で。
なので、
食べ物はカップ麺ばっかりではなくなってきては、
現地、スーパーも復活してますし。
でかい、それは。
でかいねー。
ドンタクっていう、
ノトのスーパーマーケット、ドンタク。
ノトのドンタク。
ドンタクって俺が知ってるやつ、ノトじゃないよね。
そうだね。
よくわからないんですけど、
私も初ドンタクデビューをして、
これが噂に聞いてたドンタク買うみたいな。
楽しいです。
買い物で楽しむことはできる心の余裕がないので、できなかったんですけど。
まあまあ。
30:00
いろいろ多層的っていうかね、
一方は良くなって一方はまだ悪いとか、
それは場所場所、七尾はたまたまそういう風だっていうだけで、
私は駿河島には行ってないので、
そこはやっぱりわからないっていうところではありますね。
じんさんとの同僚で駿河島まで行っている人もいるの?
いますいます。
分担というか。
じんさんが北陸にいて、
半島地震の取材をしたっていうところまでで、
止めちゃうと全体のことを把握しているかのように捉えてしまいそうになるけども、
あくまで七尾市まで行ったところの所感というか、
見聞きしてきたことで、
これがいつ頃?1月中旬ぐらい?
そう、1月15日前後。
に行った時の状況というか、
行って感じたことっていうところですかね。
そうですね。ありがとうございます、エクスキューズ。
そこから変化は必ずあると思うので、
すごい短いスパンでどんどん変わっていきそうな状況でもあると思うので。
とにかく水が治らないと、
駿河島の水が治らないと、
とにかく水が治らないと、
というところで皆さんご苦労されている。
どうですかね。
なんかこう、すごい、
今まで自分たちが物心ついてから、
いくつか大きい震災があったとは思うんだけど、
こんだけこの水だったり、
ライフライン、一番大きい水のところかな、が、
シビアに報道されているところは初めてで、
たぶん雪国だったり、
凍っちゃうような気温というのはあると思うんだけど。
水が遅れているのは、
のこ半島、
南のほうの手取川というところから、
管を通して北に持って行っているんですけど、
七尾市の場合は。
それがとても長いんですよ、距離が。
というのもあったり、
ちょっと今の段階で何で遅いのかというのは、
ちゃんとオフィシャルなものが確か出ていないので、
なんとも言えないんですけど。
今回小水で困った。
水源が遠いのが一個理由かなというニュアンスでありますね。
東北の時も、
あったとは思うんだけど、違うところが大きくピックアップされたし、
熊本の時もまた違うところが大きくピックアップされたから、
こうやって、
この面ですごく強く捉えるのは初めてだなと、
報道だったり、
媒体見てて感じたかな、俺は。
やっぱりお風呂入りに富山の姫まで行くとかね、
そんな生活ですからね。
そうか。
高齢の方はもう免許返納しててとかさ、いらっしゃるんで、
そういう方は親戚、
友人頼ってみたいな感じでお話聞いたりはしてましたけど。
33:01
まだまだお話を伺いたいんですけども、
あまりにも長くなるので、
一旦ここで切って、
これを前編とさせていただいて、
今回は、前回もそうだったね、
人産界は前後編に渡るということでよろしいでしょうか。
ありがとうございます。
ということで、後半へ続く。
33:32

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