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2023-10-29 38:18

hima-3 暇人RADIO(仮)コミュニティと人の器の大きさとその広げ方 コミュニティ編 後編

暇人ラジオ(仮)

暇な二人が暇な時に抽象的なことをひたすら語る番組です。


考えを発散させたい方の

一人飲みのお供や散歩のお供にお使い下さい。


第一回から三回はコミュニティーについて話してみました。


内容:

・言語化しすぎると陳腐になる ・感じ取れる器とは

・言語化の思い込み ・捉えられる器の広げ方 ・変化と多様性の重要性 ・変化と成長についての議論 ・コミュニティと移り変わり ・コミュニティでの求められる要素 ・勝ち負けじゃないところに価値がある ・定期的に手放す ・アンテナの数の増加について ・コミュニティの重要性


【パーソナリティ】

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【番組公式X/Twitter】

⁠暇人ラジオ(仮)<公式>⁠

00:00
はい、じゃあ暇人ラジオ(仮)始まりました。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
私ですね、引き続き、暇人の岡田と
暇人の宮川がお届けします。
はい、引き続き後編を続けたいと思います。
この番組はですね、2人の暇人が身近なことや最近気になることをトークする番組ですということで、
前編中編とですね、コミュニティについて話してきたわけですけれども、
中編の方ではですね、生きることの優先順位とはどういうことかみたいな話から始まりまして、
宮川さんのショーにあっている仕事で、今ここの仕事みたいなところから自分の心が動く瞬間に直感的に従うことが自分にとっての優先順位じゃないかみたいな話をしたらですね、
僕もその音楽で今ここみたいなところの心が動くっていうのは全く一緒だよみたいな話になって、
そんなところから言語化と言語化されてないところの話になってですね、非言語のところってすごく重要で、そこの感覚の共有ってすごく大事だよねみたいな話をしたところで、
その言葉以上に感じることがあって、それを受け取れるような器を広げていくにはどうしたらいいんだろうみたいなことで、
トイが生まれて中編が終わったというところで、後編は受け取れる器をどうやって広げていくのができるんだろうみたいな話ができればというところで始まっておりますというところです。
いやー面白いですね、この番組。
自分たちで言っちゃう。
そうそう、なんかすごいいいなと思って、いいですよね、こんななんかそのいろいろ深掘りしていくっていうのがこんな楽しいんだなと思うとなんかすごいいいな、
なんかこういうのって聞いてもらったりするのもいいけど、なんか自分たちでやってみるのも面白いんだろうなってみんなさんが。
確かに自分たちでやるのが一番楽しいかもしれないですね、聞くよりも。
で、なんかすごい楽しいなと思って、なんか今ここでこう新しい気づきが生まれてるっていうところが、なんかすごく僕と岡田さんの常に新しいものが好きみたいな感覚にすごくフィットしてるんじゃないかなみたいな気がするというか。
やってみて気づくことばっかりですね。
いや本当ですね。
ほんと何の台本もなく話してますけどね。
でもまあそれなりに道筋はなんかあるような気がしますね。
まあそのコミュニティの話からの流れでですね、その受け取る器って言ったんですけど、なんか言語化するしないっていうところから、言語化しすぎると陳腐になっちゃうんじゃないのっていう感覚があるっていう僕が思ってたっていうところで言ってたんだけど、
実はその言語化すると思ってたりとか感じたことの何パーも表現できてないんじゃないか言葉じゃっていうところからですね。
じゃあその思ってたのが言語化する前にはもうもっとすごい大きな感情だったりとか感覚だったりするんだけどっていうところをなんか受け取れるための器?
03:02
感じ取れる器っていうかがあるとですね、もっとなんかすごく見える、その見えてないものの世界観というかですね、触れることができるんじゃないかなみたいな。
なるほど。感じ取るための器を広げる。見えない部分がいっぱいあるみたいなのがありそうですね。
そうそう。だからさっきの話でいくとそういうことですよね。結局中編の時の話はそうでしたけど。実は全然言語化できてないからわかんないんじゃないかっていうかね。もっと本当はすごいんじゃないかみたいなところっていうかね。
でもオカルトみたいなやつも結局こういうことなのかなって思いましたね。ちょっとこのオカルトっぽいというか、目で見えてるのが当たり前っていうか、それだけじゃねえんだよみたいなこと言うじゃないですか。何言ってんだよみたいな感じがあるんだけど。
でも中編の話からすればそこにやっぱりすごくあるよねみたいな感じになってたから。だから、目に見えないことが大事とかって言うじゃないですか。だから結局いろんなところで。
まあそうだねって言いながらも心底を感覚的にそれがなんかびっくりこないなって思う言葉あったわけですよ。今までね。目に見えないものが大事っていうのはわかるんだけどみたいな。でも今日話しててそれがすごくもっとグッと入ってきたというか。
実はその言葉ですごいと思ってるときが100ぐらいのすごいと思ってたんだけど、本当はもっと伝わらないんだけど大きい感じですごいと思ってたのかもしれないみたいなね。すごい言語じゃもうできないんじゃないか。だからそうですよね。音楽でできるっていうところはボリュームとかそういったのでもっと表現できたりするのがあったりとかですね。速さとかなんかあるから。
その音楽もね、全体的に万能ではないと思うんですけど、なんか言語とは違う残し方で何か人に伝えられる手段の一つであるかなっていうのは思いますね。
そうですよね。だからね結局その器がね広ければそういったのもっと言語で表せないところを感覚的に感じれるというか。とかもっと言語化しやすくなったりもするんでしょうけどですね。
何か捉えられる器を広げていくことなのかっていうのは何か別な気がするんですけど、何か前提として大事なことはあるかなと思っていることが一つありまして。
それは。
多分言語化してっていう言葉の中には何か言語化できるものだよねっていう何か思い込みってあると思うんですよね。
なるほど。
その絶対に何か言語化っていうものが万能なものだっていうふうに信じたりとか、それこそさっきの音楽って表現も音楽が万能だってなるとそれと同じような状態になると思うんですけど。
確かに確かに。
全てものは万能ではないっていうふうな前提を持つことってすごく大事な気がするんですよね。捉えられる器を広げていく。
06:04
この手段の場合はこういう受け取り方の音楽っていうものが適してるとか、何か万能ではないものを組み合わせてどう伝えていくかとか、そういう万能感を捨てるっていうことが何か一つ大事な器を広げていくときの前提なんじゃないかなっていうふうには感じてます。
なるほど。すごくフラットな感じというか。確かにカテゴライズとかみたいなのと似てるような気がするんですけど、枠にはめちゃって。結局そうですよね。その話もまたそうなんだけど。
枠みたいなものにはめちゃうっていうところが、枠が大きければはめちゃう余白ももっとあるしとか、もっといっぱい入るとか感じれるとかね。そういう感じなのかなっていう気がしましたね。確かに。
万能じゃないですよね。全てのものが万能じゃないし、これも中編で言った話でしたけど、万能じゃない。あ、忘れちゃった。
そうですね。万能じゃないから。常に今これが最善とか、心が動くとかね、そういうことのほうが大事というか。
そうですね。優先順位も固定じゃないという話ですね。
そういうことですそういうことです。だから、誘導的でもいいんじゃないかってことですよね。だから、決めすぎないほうがいいですね。やっぱりなんか。
そうですね。決めすぎないことを決めるってことですかね。
急に。
器広げていく前提。
いや、あるかもしれないですね。準備した準備。決めすぎないことを決める。ほんとそうですね。
だからやっぱりなんか捉えやすくして伝えていっぱい広げようっていう時代が、例えばグローバリゼーションみたいなものとかで、すごく重宝されてたりとか、すごい相性のいい考え方だったのかなみたいな、ナショナルチェーンが増えていくようなものとかもそうでしょうけど、ロゴをこういうふうにして視覚的に伝えるとかですね。
だからそのフェーズじゃないのかもしれないですね、感覚的には。なんかもっと多様性とかいう言葉が流行ってるみたいなところもあるんですけど、もっと番人が同じじゃなくてもいいんじゃないかということに重きを置けばですね、さっき言った優先順位が崩れることすらも別にもう怖くもないしとかっていうか、当たり前っていうふうに思えるっていうか。
だから元々そのぐらいあやふやだったものを一個に分けようってして、効率化とか形にしようってしてること自体がやっぱりちょっと不自然なのかなって思っちゃいましたね、なんか今。
09:00
固定化させることによる不自然さ。
だからつまりはそれぐらい元々多様性があったりとか、刻々と変わっていくものっていうこと?同じ場所にずっとないとかっていうことのほうが自然であって、それを理解しやすいように固定すること自体がそもそもちょっと無理があるみたいなですね。
いやーでもほんとそうですね、ちょっと仏教的な諸行無常的な感覚ですね、なんかすべてものが移り変わるというか。
例えば人間の体一つもそうですけど、10年前の細胞状態が全く同じ状態でいるっていうわけでもないので、10年前の自分からしたら今の自分っていうことはもう10年前の自分は死んでるみたいな、細胞レベルは全く違うものとしているので。
そうですよね。
っていう感覚にもなるかなと思ったりとか。
確かに。
それぐらいなんか人間の中の一つの個体の中でも変わってるっていうことがあるわけですよね。
そうですからね。
同じ経験をしたとしても受信機上でいくともう耳の状態とか目の状態とか全く違った状態で見るので、同じものを見れてるってことは今この瞬間1秒ずれた時点でもう二度と起きないわけですよね。
そうですよね。
だから常に好きな音楽もリピートして聴くたびに新しい音楽を聴いてるっていうことにはなるってことですかね、その場合。
例えばそういうことですよね。
だからそうですね、同じのが飽きたとかなんとか言うんだけど、新しいものが好きっていうのも一緒だけど、実はちょっとずつ変わってるから、同じじゃないとかって思ったらめっちゃ飽きないみたいにね。
なるほど。
面白いですよね、そう考えると。
でも確かに成長とかっていうのをおもんじるとかトートブみたいな感覚とか、子供とかすぐ大きくなってどんどん形状が変わっていくから面白いみたいなところとかもあったりとか、その成長を楽しむとか尊重するとかって感覚あるけど、だからあれがずっと起きてると思えばポジティブにそういうふうに捉えられますよね、変化っていうものを。
確かに。それのタグ付け次第ですね、変化をしてることを成長って取るのか退化って取るのか老化って取るのか。
でも別にね、移り変わってるっていう括りにしちゃえば全部一緒だからですね。
そうですね。移り変わるっていうことですね。
そうそう、変化すると。
変化すると。
それなんかすごくなんか自分の中ですごく納得いく話でしたね、今回なんかその、コミュニティとかとはちょっと全然違うところまで飛んでいっちゃいましたけど。
でもコミュニティも一つの移り変わりというか、一つのコミュニティを生物として見ると、その一人一人の構成員が細胞だとすると同じようなことが起きてますよね、コミュニティの中でも。
確かに。いやだからあのだおとかってあるじゃないですか。
12:02
はいはい。
Web3だおみたいな。
Web3ですね。
そう、だおってなんかそれですよね。もしかしたらだおってゆるいコミュニティ、その前半で言ったゆるいコミュニティってだおかもしれないですね、下手すると。
だおかもしれんとかだお的なことというか、あれなんか似てるなって、あれもほら出入り自由の垂直型じゃない組織みたいな感じじゃないですかなんか。
なるほど。
まあちょっとね、二人とも音楽が共通言語だって話もあったからあれですけど、なんかこうジャズバンド的というか。
前一緒に話したときになんかあったかもしれないけど、なんかその会社とかそういうのも、なんかジャズバンドとかバンドって捉えたら僕なんかすごくなんか納得しやすいというかなんていうか腑に落ちたなーって思ったんですけど、まあそれコミュニティなのかもしれないですけど。
うんうん。
あれもそうじゃないですか、このステージするときだけこの集まった人たちみたいなのとかね、なんかあるじゃないですか。なんかあれがすごい自然だなって思うっていうかなんかそういう集まり方とかね、コミュニティの仕方っていうのがなんかすごくなんかバンド的感じのなんか繋がりっていうのがなんかすごいゆるいコミュニティって一番初めて言ったやつのなんか形のなんか雰囲気に似てるなーとかなんか思っちゃいましたけどね。
でもなんかそれができてる企業ってなんか強そうですね。そういうので集まってきてる人とか好きにやって好き勝手にアウトプットできてるって。
うーん。
なんか自然と直感的で思うのはすごくいいものができるんじゃないかなっていう感覚はありますね。
うん。なんかそこにね、そのなんかさっき言ってたみたいななんかこう目に見えないような形のなんかこう繋がりがある人たちがなんかをするっていうね、カットでね。
まあそれがもしかしたらそのやることというかそのまあ企業だったら企業のその作るものとかですね、そういうものになるのかもしれないんですけど。
それはなんか最近紹介を受けて読み始めたなんかビジョナリーカンパニーゼロっていうアメリカのですね、なんかスタートアップの本があるんですけど、その中でもなんかそういう思いで集まってる企業は強いよみたいな話もあったりとかで。
へー。
なんかそこって結局なんか企業とかコミュニティとかまあ家族とかいろいろありますけど、全然人間の本質として変わらない話をしてるのかもしれないですね。
確かに。
今後人的なそもそも論というか。
うんうんうんうん。本当ですね。
やっぱりなんかその共通するのはトップの人がここにいる人たちは本当に好きで、この好きな人のために何をやるかってことを本気で考えてるみたいなコミュニティであるというか。
うんうん。
だからコミュニティを作って人に大事なのはやっぱなんか惚れる力な気がするんですよね。いかに人を好きになる力があるかっていうか。
それはそのみんながってことですか?
えっとみんな大だしみんな我慢もあるんですかね。なんかなんか僕パッと今浮かんでるのはなんか成沢さんなんですけど。
15:02
うんうんうん。
共通の知り合いの。
うんうんうん。
なんかすぐやっぱ人を好きになってるなっていう感覚があるんですよね。そういうコミュニティのなんかそういうオーガナイザーの方って。
みんなのことが大切ですね。
そうそうですね。しもう一回会ったら友達だしみたいな。
はいはいはいはい。だから相手もその人のこと好きみたいな。
そうそうですね。
確かに。
それも本当に嘘じゃなく直感的にその人の心が動いて好きっていうのが本当に出てる。
うーん。
その周辺で出たその写真みたいな感じなんですよね。その人に撮っての。
ああ確かに確かに。
うん。シャッターを自然と押しちゃう人っていう。
なるほどね。
のがコミュニティで一番求められてるんじゃないかなっていう。
なるほど。いいですね。なんかそれ。いいね。なんか好きってやっぱ大事ですよね。
なんかその好きっていうことがすごく曖昧なものの代表みたいな感じがあるんだけど。
でもやっぱそれが一番上に立つっていうことはやっぱり直感的だっていうことですごくいいですよね。
やっぱり好きをもっと大事に持つっていうか。
そうそうなんかねさっきの優先順位みたいなところ上の方にやっぱり好きってなんかあるべきですよね。
そういうコミュニティを作りたいって感じですか宮川さんは。
ああそれありますね。なんかねそうそう好きでつながるとか好きな人たち同士でつながるとかっていうのが。
なんかほらダメっていう風潮もあるじゃないですか。だからそういうなんかほら好きなやつだけで集まってほらその発展性がねえなみたいななんかいうこともあるんだけど。
でもなんか発展性があるようなことをしなければいけないかどうかっていうのもねなんかわかんない話だからですねこれがまたね。
だからやっぱりなんか成果主義というかなんかこうなんかそういうのにちょっと寄りすぎてるような気がしますね世の中もやっぱりなんかそういって結果的なものとか成果的なものを求めすぎてるというか。
ゆるいコミュニティっていうのはまあそのそれをそこの上に持ってもなくてもいいつながりなのかもしれないですねなんか愛というか。
だから家族が一番なんかつながってるのでいいところってなんか愛のような気がするというか。
子供がどうであれ何歳であれずっと子供のことは多分好きだったりすると思うんですよなんかまあ愛があるから多分ね。
だから愛を持ってそのなんかあるコミュニティだったらやっぱりなんかお互い愛し合ってるからなんかなんか何やってもうまくいきそうだしなんか何やっても楽しそうですよね。
その中でちょっと今思ったのはもちろんその成果を求めるとか厳しくなるみたいな部分もあるんですけどなんかそこも含めてなんか受け取れる器があるコミュニティっていうんですかね。
あーなるほどね。
なんていうんですかね本当さらにそこすら超越してるというか成果もまあそれはちゃんとそこ向き合って出してるしその緩い感じもあるしみたいなのが両立できてると本当にすごい強いなというか。
18:07
そうですよね。
本当に多様性を受け入れてるというかあの多様性の文脈で僕よくなんか違和感思うのは多様性がダメだって言ってる人の多様性を受け取らないみたいな。
いやいやありますねそれね。
ありますよね。
それすごくありますよ。
そこも受け止めてこその多様性ではないのかとかいう話があると思うんですけど数字っていうところも受け止めちゃう柔軟性のあるコミュニティ。
器の。
器の器も持つまあそういう考えもあるよねっていうかその対立構造を作らないというかなんていうか。
確かに確かにそれは確かにそうでしたねちょっと自分が今間違ってました。
いや間違ってないだって。
間違ってない。
そんなことは一切言ってないです。
これも対立構造みたいだからちょっと。
そうそうそうそう。
でもなんかね間違ってた時はうんうんうんでもなんかそうだそうだと思いましたよなんかね。
ちょっとほらなんかやっぱそういう考えがどっかの頭の中にあるんでしょうねだからもっとそういうのはなんかそのあんまり良くないなってやっぱり思っちゃいました今ね岡田さんの話してて。
これなんか僕コテンラジオで中国の老子さん老子か老子の人の話を聞いてすごく思ったんですよね。
あの戦争をやめてくださいってめちゃめちゃ解いてる人なんですけど戦争めちゃめちゃ強いんですよ。
やめましょうやめましょうって。
もう真っ向からその時に求められる数字とかに取り組んでめちゃめちゃ強いんだけどそうじゃないよっていうのをちゃんと解くっていう人がいてこういうコミュニティのあり方というか国の上の仕方っていうのもあるんだなっていうのがあって。
なるほどね。
それも一つの多様性かなっていうのがあってのちょっとその言葉だったんですけど。
強さとかっていうのがあると余裕っていうかだからさっきの器と一緒だと思うんですけどめちゃくちゃ強かったら受け入れる要素が増えるとかっていうあるじゃないですか。
だからそのスポーツとかでも上手い人が下手な人よりもやっぱりそのできるから余裕を持てるみたいなところがある。
余裕というか余白というか。
それをやっぱりできる限り広く受け止める側にやっぱりあったほうが何事もやっぱりそうやって余地がありますよね。
だから強いからこそやめようっていうことができるみたいなね。
なんか器広げ。
でも広げ方っていう話は全然できてなかったんですけど。
そうですね。
広げ方っていうとどうやったらいいんでしょうね広げるのって。
そもそも広げなきゃいけないのかっていう問いもあるかもしれないですね。
なるほどね。
広げないっていうふうに決めて生きる生き方も込みでオッケーだと思うんですけど。
広げたい人は広げるためにどうしたらいいのかっていう前提として決めないっていうことを決めるとか。
21:01
確かにそうでしたね。そこがなんか広げることのね。広げるそうですね広い。
固定化することは不自然だから固定化されないことが常であるということを感じるとか。
そうそうそうですね。感じていて。
受け取り方。何て言うんでしょうね。
だからそのなんか要領みたいな考え方でさっき言った感情とか感動とかっていうものを受け取ろうっていうふうに思ってたんですけど定義してたっていうか。
なんかそうじゃないのかもしれないですね。なんかその広い方がいっぱい入るみたいな感じじゃないのかもしれないですね。なんかそのもしかしたらね。
捉えられる器っていう方言がいいのか。なんかこうどんなものでも通すザルみたいになるのかとか。
そうですねとかアンテナみたいな感じで受信するとか。ピンってくるだけとかですね。
そのパワー感みたいなやつは。やっぱり数字にするっていうこと自体がなんかあれなのかなって思っちゃいましたね。
なんかその数値化とかハメるみたいな落とし込むみたいなことがなんかとか言ってるのがなんかちょっと違うのかなって感覚がありましたね。なんか今話しててね。
ここにこう強い疑問符があるわけですね。
いやいやなんかそういうわけじゃないんだけど今なんか話してて思いました。
なんか広い方がいいみたいな感覚が中辺ぐらいまで思ってたんだけど。
なるほどなるほど。
すごいですねこの。
感覚も変わってきてるですね。
変わってきそうですね。危ない危ない危なくないんだけどすごい威力ですね。
すごい威力。
対話のこの威力というかね。
でもなんかあやふやさってある意味不安定なのでそれが怖いっていう人もいる気がするんですよね。
そういう人にとってこのあやふやさを押し進める文脈が来ちゃうとなんかすごい脅威を与えていってるみたいなことにもなんかなり得るというか可能性があるっていうのもあるので。
なんかそこも含めて選べることがいいのか何なのかちょっとわかんないですけどね。
そうですね。だからそのなんていうか。
まあ全部が全部ねこれがなんかそのなんか何て言うんですか。
確信だみたいな話で全員がこれしとけばいいよみたいな話じゃ多分ないんでしょうねだから結局のところ。
とはいえみたいなこういう人もいるしみたいな。
ただ僕たちはこういうのがなんかショーに合ってますねみたいな感じの話であって。
なんか別のコミュニティではなんかそれを沈聴されてないみたいなそういう考えじゃなくてみんなちょっと怖がったからそういうのやめようみたいな雰囲気があってもいいしみたいな。
24:10
国なのか社会なのかそれじゃない集まりなのかみたいな感じでもあるのかもしれないんですけどねその宗教なのかとかですね。
クラスの中の遊びだとすごいわかりやすいかもしれないですね。
無理やりみんなドッジボールやったら怖いねみたいな子も出てくるねみたいな。
いかにその中で遊びのバリエーションを選択できる形で準備できるかみたいなのがしかも自由な形で。
なんかいい社会な気がしますけどね選べるっていう。
そうですね。
なんか社会で言うともうすごくそれはなんかやっぱりいいなって思いますね。
だからそのゆるいコミュニティっていうのもなんか一個で僕が所属するやつとかっていうのだけじゃなくて、
またちょっと違う感じの人たちが集まるゆるいコミュニティがあってみたいなところもあって、
それをなんかお互い容認し合える寛容性みたいなとかですね。
それができるとすごくまたいいですよね、なんかこのコミュニティについての話でいくと。
そこでちょっと思ったのは対立することも含めてなんか容認するというか、
なんかそこを超越するものがあるといいのかみたいなのはちょっと思ったり、対立もするよねみたいな。
そうですね。なんかそのリベートみたいな感じというか、なんかほら論じ合ってるんだけど別に喧嘩してるわけではないみたいなね。
それもいいけどみたいな。こっちもねみたいな話じゃないけど。
まあ遊び?
遊び。
対立する遊び。
だからなんかどっちがいいかっていうのを白黒つけるのがなんか戦いじゃなくてみたいなね。
どっちがなんか面白いかとか。だから勝ち負けじゃないところに価値があるみたいなところもなんか面白いですよね、そうやって考えるとなんか。
勝ち負けじゃないところ。
そう。だからまあまあ、でも全部もう遊びだからいいやって思ったほうがいいけどな、俺は。
そうですね。だから遊びのための数字だったら数字も頑張れちゃうかもしれないですね。
そうそうそうそう。なんかねゲームとか思えばですね。
前半でしたっけ言った話、バリの人かなんかがねっていう話でね。
そうですね。
あんまり優先順位があっていう、仕事とかの優先順位とかお金とかの優先順位がそんな高くないみたいな話だったけど。
だからそんぐらいでいいのかもしれないですよね。
曖昧でも、変わってもっていうことですよね。さっき変わり続けるって話でね。
そうですね。
いやー、だからコミュニティという枠組みもだからその、何て言うんですか。
ガチってはめるんじゃなくてもうその変わり続けるね、なんかそのつながりみたいなことですよね、たぶんなんかこの。
27:04
あーそうですね。コミュニティ自体も変わり続ける何かの有機体というか、その中での変わり続けるつながりみたいなのがコミュニティであっていいのかなみたいなね。
そういう考え方であっていいのかなみたいな感じも。
そうかもしれないですね。
そうだ、だから全部生きてると思えばいいですね、そう考えるとなんか全てのものが。
全てが生き物です。
なんか今生き物みたいな想像を思うとなんかすごくなんか納得しましたよ、なんかいろんなものが。
まあ実際アップデートしていきますもんね、なんかそうやってね、なんかね。
そうですね。なんか人間だけで考えると今みたいな発想になりがちですけど、なんか動物も含めて見てみるとなんかまた視点も変わりそうな気がしますね。
動物の方が圧倒的にアナーキーですしね。
そうですもんね、そうですよね。
確か社会性がね、なんかまあいわゆる人間でいうところの社会性がなんかなさそうに見えますよね、やっぱりだからなんか。
そうですね、なんかあとはなんか奢知とかも普通に別の生き物を快楽殺人するとかっていうのもあるみたいでし。
すごいっすね。
全然動物ってそんなに平和じゃないというか。
なんかいじめっ子みたいな感じですね。
そうですね。
すごいな、快楽殺人するんですね、あいつら。
みたいな映像が映画であった気がしますね、なんかそういうアースとかなんかそういう一時期流行ったその動物だけの映像が。
はいはいはい、ありましたね、ありましたね。
はあ、快楽殺人か。急にすごいこと、すごい言葉が出てきましたね、この。
たしかに。
ひまじんラジオ、かっこかりはね。
ひまじんラジオと快楽殺人、快楽殺人と宗教の番組です。
危険すぎてもう誰も聞かないじゃないですか、これ。
危険すぎですね。
危険思想を、危険思想の発信基地みたいになっちゃった、とんでもないとんでもないとんでもない、危ない危ない。
赤バンテソン。
いやいや本当にもうこれね、これそんなやつじゃないからですね、ゆるいやつだからね。
そうですね。
改めて、器広げるって話で聞いてましたけど、器っていう言葉が正しいのかどういう感覚なのかって言って、今一度宮川さん的にはどんな感覚になりましたか、器広げるから。
そうですね、器を広げるって言って、広いものに何かがほうが何でも受け止めれるんじゃないかっていう感覚がありましたけど、器というよりもアンテナみたいなものというか、その感覚というか、ピンとくる感じとかっていうほうがいいのかなーみたいな気はしましたね。
その感情をもっと受け止めれるように。
30:01
なんか器っていうか、埋まってない状況というか、余白みたいなもの。
余白かもしれないですね、もしかしたらですね。
もう埋まりすぎてて、埋まりすぎてて捉えきれてないみたいな感じもあるかもしれないですね。
拡張していくものじゃなくて、もう器自体はもうみんなオノオノ決まってるから、なんかそういうことじゃなくてみたいなんですね。
なんかいろんなものをずっと詰め込みすぎてると感じれなくなるからみたいな、それがなんか知恵なのか知識なのか経験なのか何なのかわかんないんですけど、
ずっと動き続けていくものとか変わり続けていくものっていう定義があれば、もうそういうのを手放していって、常に大きく感じれる余白を作っておくみたいな感覚なのかなーみたいな気はしましたね、なんかね。
なるほど。器は一定だから手放すってことが大事なんじゃないか。
そうそうそうそう。断捨離みたいな話というか。
確かに。なんかスティーブ・ジョブズもなんか言ってた気がしますね。新しいことをやるときにまず最初に決めることはやめることだと。
うんうんうん。
なんか同じような感覚なんですかね。
ね。なんかその前的なやつなのかわかんないですけどね。やっぱり情報多いからですね、今ね、なんかそうやってね。
なんか貯めてくっていうよりか流していくためのなんかこう用水路を作っていくみたいなイメージなんですかね。
あーほんとそうっすね。だからもう全部水道の蛇口から下に落ちていくことぐらいって思っとけばいいっすね。詰まってるぞみたいな。
そうですね。
毛が詰まってるから早く掃除してくださいみたいな話みたいな。
はいはい。めちゃくちゃリアルですね。お風呂場みたいな。
お風呂場お風呂場。岡田さんって詰まってるから流れが悪いよみたいなね。
あーすいませんちょっと毛取りますみたいな。
あーするっと言ったわーみたいなね。
なんか流れるものに合わせてなんかこういろんなものを流せる用水路を作っといてもいいかもしれないですね。
あーそういうことですよね。
泥水でもオッケーみたいな用水路も作っとくし、セイルしか流れないみたいなのもあって、いろんなバリエーションを用意しておいていろんな用水路でどこに流しますかっていう振り分けられるような余白がある人は強いかもしれないですね。
うん、確かに確かに。そうっすね。なんか一個じゃないかもしれないですね。だからそういうのはね。だから流れていくとか、消えて変わっていくとか、なんかそういうものをやっぱ変化ですよね。変化をポジティブに捉える。
変化が当たり前って捉えてっていうところが前提にあるっていうのがなんかすごく今回良かったなーと思いましたけどね僕はなんか。
変化を当たり前と思って受け止めるっていうことですよね。
受け流す?
受け流すか。あ、それ良い言葉ですね。
全部受け流す。
確かに。
フィルターは自分ですよね。だからね。目詰まりもするけどっていうことね。
人ってなんか当たり前のことほど気づかないっていう性質がありますよね。なんか変わっていってるのが当たり前すぎて気づかないんですよね。
33:06
あー本当ですね。
あと空気があることも全く一緒ですよね。空気があると思って生きてないですもんね。
確かに確かに。
魚も多分水があると思って生きてないんですよね。
あーそういうことですね。
それすごいですね。確かにその感覚がなんか。そうでしょうね。当たり前なんでしょうね。
当たり前なんでしょうね。当たり前のことに気づくっていうことがもしかしたらアンテナなのかもしれないですね。
あーさっき言ったね。だからその。だからそれ気づけるか。でも確かに本当そうですよね。そうなるとすごくなんか納得いく感じになるというか。
目詰まりしてるとね。結局当たり前に流れてたものがね。なんかわからなくなるっていうかね。なんかその。なるほどね。本当そうですね。
あとアンテナの数はいる場所を固定化しない方が増えそうですね。
そうですね。自分はフィルターだからですね。自分は蛇口のフィルターに。
そうかそうか。じゃあそんなこんなでですね。後編も終盤にさせかかっておりますけれども。
じゃあまとめていきますか今日の。
まとめていきましょうか。
やっぱまとめはでも上手なのがやっぱり岡田さんっていう。
僕ですか。
はいはいはい。
そうですね。コミュニティの話から今の変遷って結構なすごい変遷でしたね。なんかね。
そうですね。やっぱりこんだけ脱線するんだなってなんか思っちゃいましたね。
そうですね。生きることの優先順位まで職員まで行って、生きることの優先順位を考えていったら、その前提の部分っていうんですかね。
引き言語の前提部分の共有みたいなのが大事で、そこをどう感じ取っていくかがコミュニティが一番大事なんじゃないかなっていうところで。
その言語化されない雰囲気を感じるための器みたいなのを話していったらですね。
多様性とは何だろうみたいな話になったりして、そこの対立構造とかもあるよねみたいな話になりつつも、
全てを受け入れるようなアンテナを持っていろんな用水路を用意してフィルターを作っておくことが大事じゃないかって恐ろしく抽象的な話で終わりそうな感じ。
これどこまでどんな人に伝わってるのかちょっとわからないんですけど。
本当ですね。
なんか捉え方の話みたいになってきてますよね。
そうですね。
用水路の業者さんの案件みたいなことでは一切ないですけど。
危ない危ない。だからこうなっちゃうんですよね、抽象陣が2人で話すとですね、暇陣だからですね。
そうですね。暇だからこそできる会話。
会話のなす技ですね、これはね。
コミュニティなんかだけど、流していくっていうのが前提にあってっていうところで、
緩く感覚を共有したりとか、愛し合えるというかですね、好きなもの同士でこうやって楽しめる、こういう話もそうですけど。
36:00
それがすごくやっぱり平和であるし、良い社会なのかな、なんて言うんでしょうね、そういうコミュニティというか。
繋がり方なのかなって思いましたね、なんか。
そうですね、そういう人間関係とかお付き合いとか、楽しかったとか。
なんかみたいなものにも置き換えられるのかなって思いましたけどね、なんか。
なんか仕組みな気がしますね。
どういうふうに、どんな仕組みでどういうコミュニティを作っとくと、そういう権力が偏らないのかとか。
なるほどね。
いろんな試行錯誤して今できてるのが民主主義とかなんでしょうですかね。
うん、ですよね。だからそこら辺はやっぱ頭がいい岡田さんが考えてくれると、なんか僕は乗っかっていけるなっていうところで。
じゃああの快楽幸にでいきましょうか。
怖い怖い。
幸でいきましょう。
幸ですね。それすらも容認する社会みたいな。
それはちょっとまずいですね。
危ない危ない。いやー面白い。
でもなんか3回ね、話すごい面白かったです。なんかすごく新鮮でした。
あー僕もすごいあっちゃこちゃいきましたけど、結局本質的な話でやっぱ終わっていく感じがすごい楽しいですね。
うん、なんかいいですね。これなんか続けていきたいなって思いましたけど。
ぜひちょっと続けていきましょう。
いろんな人入ってもらってもなんか面白そうだなって思ってますね。
あ、そうですね。なんか多分これ出したら、いや出たいっていう人もなんか出てくるんじゃないかなっていうなんか気があるので。
うん。
うん、この、これもまあある種の緩いコミュニティじゃないですか。
うんうん。
ここになんか参画してくれる参加してくれるとかね、遊んでくれる人を募集みたいな感じで。
はい。
やっておくとまた面白い人たちと面白い話ができるんじゃないかなと思いました。
はい、ぜひ話したいという方を声かけてもらえると嬉しいですね。
そうですね。
じゃあこんな感じですね。
はい。
ひまじんラジオ、ラジオかっこ借りの第1回、これで終了していきたいなというふうに思います。
はい。
どうもありがとうございました。
今日もありがとうございました。
38:18

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