過去を手放したら解決策が見える
グッドバイブス ミッドナイトラクザ バイ 倉座の佳三
こんばんは、ただいま6月2日金曜日の午前3時27分です。 今日はちょっと遅い始まりになっていますね。
夜にね、いくつかちょっとワントレとか用事がありましてね、帰ってきたのが12時前ぐらいだったんですよね。
夜のね、食事もせずに12時までやっていたので、そこから食べてですね、
1時半ぐらいから動き出して、いろいろやってこの時間というね、そんな流れになっています。
この何回かかな、3回ぐらいなのかな、割とグッドバイブスの本質のところの話をしたなという実感がありましてね、ちょっと重い話でもあるんですけどもね。
まあでもこれはせっかくいい流れなので、この過去というキーワード、これは非常にやっぱり大きいんですよね。
だからまあここがそうですね、ここが実在しないということをしっかりと受け入れてね、いろんなことを全部忘れながらこの生きていくというかね、過ごすだけで随分と楽になるし、
まあ様々なね、まずは自分の中にある問題がね、いくつもいくつも解決していくと思いますね。
でそれだけでなくて、この仕組みがなんとなく実感できるとね、そっかまた自分は過去を見ているんだなっていうこれが分かると、
周りにいる人々ね、他の人たちが同じようなその悩みとかねトラブルを抱えているとき、例えば自分の部下がね、なかなかこの仕事の進みが遅いとかね、
このこれをやっといてほしいと言って渡した仕事にどうも尻込みしているような感じがするとか、そういう時に彼は過去を見てるんだな、彼女は過去を見てるんだなということに気づくことで、
まあお前は過去を見てるんだよみたいな、そんなアドバイスはほとんど役に立たないと思うんですが、そこはねやっぱりもっと順序立てて話をしないといけないんですが、
自己肯定感を高める価値あるもの
なるほどこの問題の本質がね、そこにあるんだということが分かるだけで、解決のフォーカスというのかな、どこに手を当てればいいのか、どういうアドバイスをすればいいのか、
どんなサポートすればいいのかっていうのもおそらく見えてくると思いますね。だからこれは非常にとても大切というかね、反対から言うと僕らを苦しめる大きな要因であったということですね、この過去というキーワードね。
今日はもう一つ、もう一つだけね、この流れでちょっとくどいかもしれないんですが、私がよく言うこのカチマックス、これもね、実はこのカチマックスとんでもないですみたいなね、こういうやっぱり反応の方が多くてね、とてもカチマックスとは思えない。
割とこのGood Vibesの取り組みを長く続けていただいている方も、やっぱり時と場合によってはなかなか今カチマックスと思えてないんですよね、みたいなね、そんな話もちらほら耳にするぐらい、とてもじゃないけどそんなの信じられないよっていうね、こういう話にやっぱりなるんですが、ここも実はこの過去というキーワードをね、ポンとここに持ってくるとうまいこと解けていくというかね、
あ、そうか、なるほどね、だからカチマックスと思えなかったんだ、だから思っていいんだ、みたいなね、こんな流れになってくれるといいなと思って、今日はその過去というキーワードからひも解く、なぜ僕らは素直にというかな、簡単に自分がカチマックスというね、この事実をなぜ簡単に受け入れられないのかね、そしてどうすればそれをね、よっしゃそれでいいやと思えるようになるのかというね、
そういう話を今日できればなと思っています、で最初の入り口はですね、例えば僕は今家にギターが2本あるんですけどもね、昔はもっと本当に十何本とか持ってたんだけど、今は大切なギターだけね、2本手元に残しています、でこれを僕は価値あるものと見ていますね、いつもね、それから一緒に暮らす家族とか、それから今このgoodvibesのね、いろんな活動を支えてくれている
様々な仲間たち、この人たちを私は価値ある人々という風に見られています、それからまあオンラインコミュニティのgoodvibesファクトリーの方々とかね、それから私が開催する様々なイベント、ボイトレ、
デッサン教室、そして邪人ワーク、で今度は執筆教室みたいなもんやるんだけども、こことかそれとかまさにこのワントレね、これを受講していただいている皆さんにも全く同じ価値を見ています、で他にあるかなと思ったら、例えばね、買ったばっかりのmacとかね、macbookとかiphone、それから感動した書籍とかね、映画、僕で言うとアニメとかね、それからあるタイミングのお金、
これもね、タイミングによってはめっちゃ価値あるなっていう時ありますよね、それから私も一緒に暮らしている2匹の黒猫ちゃんね、ベルとバルと言うんですけども、双子の兄弟、これ全部今挙げたのはね、僕の中でこれは価値があると思ったことがあるものですね、まだまだ思い出せば多分山ほどあると思います、
でよかったらですね、今これを聞いている皆さんも、私にとって価値あるものって何かなというふうにちょっと思い浮かべてみてほしいんですね、でまあここであんまりその順位とかね、そのどっちの方が上とか下とかそんなんじゃなくて、もう単純にこの価値あるという言葉にね、ここに反応して、そこそこ私にとって価値あるものって何だったっけなみたいなことをね、ちょっと思い浮かべてほしいんですよ、
まあ簡単に1つや2つは出てくると思います、そして1つ2つ出てくれば、これもだこれもだこれもだ、記憶をたどっていくともっともっといっぱいあると思います、でこれを思い浮かべながらね、この価値を感じている主体は誰だっていうふうに自問してみるんですよ、
これはもう言うまでもなく、さっき私が挙げたものね、ギターであるとか仲間家族、そして受講者の皆さんとかね、買ったばっかりのマックとかこの黒猫の兄弟、これを価値あると感じている主体は私ですよね、そしてそれぞれ皆さんがこれが価値あるものと思ったその主体は皆さんですよね、
価値と共鳴
これはもう決まっていますよね、でこの辺りでおおって感じられたらすごいんですけどもね、あ、なんだこれはっていうね、そこをもう少し明らかにするためにもう1つ問いを立ててください、なぜ私はね、自分でないものには簡単に価値を見出せるのに、私自身このね、僕となるとなんか難しい感じがするのかという問いなんですよ、
そうするとここに実は大きな矛盾があることに気付けるんですね、何かっていうと価値のない存在っていうかね、もし僕が価値のない存在であったらまず僕の中に価値という概念がないはずなんですね、そして自分が価値のない存在なのに僕の外にあるものをこれは価値があるなというふうに多分見ることはできないんですね、
この価値というものはおそらく目に見えないものなんですよ、心で感じ取ってるはずなんですね、もっと数字でこれはいくらいくらの価値があるからみたいなそういう見方もなくはないんですけどもね、でもさっき僕が言ったこの仲間だ、家族だ、そして猫だみたいなものは値段なんてつけられませんからね、そういうものってたくさんありますよね、
僕の仕事仲間とかファクトリーの皆さんとかね、ワントレーを受講されてくださる方々、別にお金を落としてくれるから価値があると思ってるわけじゃないんですね、皆さんがそういう方がいてくれるから私はこの仕事ができるという意味でね、これは何者にも多分変えがたい価値、だからこれは心で感じ取ってるんですよ、この価値というのはね、
もっと思考寄りの価値もなくはないんですが、それがあると同時に僕らはやっぱりこの心で感じ取ってる価値というのがあるはずなんですよ、これはですね、僕の感覚では音差ってありますよね、昔はチューニングメーターっていうのがなくて、この音差をピーンと鳴らすとね、440Hzの音が鳴る、これがラの音なんですね、英語で言うとAの音なんですよ、
この音差を2つ持ってきて、片方ね、ちょっと近いところで片方をポンと鳴らすと同じHzなので、叩いてない方の音差も共鳴といってね、ブルーンと震え始めるんですよ、僕はおそらくこの価値を感じ取る心というのは、そのような共鳴と同じようなものなんじゃないかなと思っているのね、つまり僕の中に価値がなければ自分の外にあるものと共鳴するはずがないんですよ、
つまりこれね、マックスであるかどうかは別として、僕らの中にその価値があるというね、これは僕らが価値があるものを見たことがあるというね、この事実がもう証明してくれているということね、でなければ価値があるものということを感じられないということなんですよ、
だから少なくとも僕らはね、自分がこれが価値があるという風に感じられるということは、おそらくそれと同等の価値は少なくとも持っているとね、これはもうその価値、価値を見出しているということがそれを証明しているんですね、それからもう一つね、例えば買ったばっかりのMacBook Proね、もしくはこの感動した本、これと自分を比べた時にね、
いやいや本とかMacBook Proの方が価値が高いよって言いたい気持ちもわからなくはないんですけどもね、というかここではね、この本に、本というか紙の束ですよね、そしてMacBook Proというね、これはもうそうだな、5年ぐらい経つとかなり古くなって買い替えなければならないような、もう本当にこうある年数しか使えない道具ね、
ギターなんていうのはね、手入れしていればおそらく一生物といって使えるんだけども、パソコンは一生使えないですよね、もう僕もパソコン95年ぐらいから使い始めて何台買ったかわかりません、そのぐらいある意味使い捨てのものなんですよね、これに価値を見出せる私が、なぜこの自分自身になると、それを認めたくないと思うのか謎ですよね、二つあるんですよ、
価値を感じられるということはすでにその温差みたいなものをね、価値という温差を自分の中に持っているはず、それなのに、それは外にあるものに関してはバンバン共鳴させられるのに、なぜこの自分自身のそのね、元になっている、その共鳴するということは僕の中に温差があるということですからね、これは価値があるということ、これを認めるのが嫌なのか、
そしてそのマックでもiPhoneでも何でもいいんですけどね、本でもね、これらに価値を見出すのは本当に気楽にできるのにね、何の抵抗もなく、うお、価値あるなと思えるのに、なぜそれが自分というものに向けられた瞬間に、何かこの得体の知れない抵抗というかね、それは言いたくないなと、価値があると言いたくないなというふうに感じるのかということですね。
ここに何か大きな謎があるはずなんです。
宇宙との関係
つまり僕らはね、私はこの価値マックスであるという事実は確定していると思っているんですね。
これはなぜならば、いつも言っているように、僕らは宇宙の真羅万象の広がる想像の中で生まれてきた。
だから当然だけども、この原初の天がね、自らを広げながらこの宇宙の真羅万象を作ったとすれば、その広がりの中の一部ですから、僕らはね、これは同じ価値でないとおかしいんですよね。
この外に生まれたのであれば、全くその宇宙の真羅万象と違う価値というのもわからなくはないんだけども、ありませんからね。
僕らが住んでいるこの宇宙の外というのは、少なくとも僕らが認識できたり存在できたりするものではないのでね、この中にいるということはもうすでにそこと一つであり、価値マックスであるという事実は確定しているんですよね。
ということは、それを嫌々そうは思えないというのであれば、多分僕らは自らの意思でこの自分が価値マックスであるということを拒んでいるということなんですよ。
そうとしか考えられないんですね。拒んでいるという意思を発揮しているという自覚もないぐらい拒否しているということですね。
つまりね、無意識のうちにと言ってもいいのかもしれない。
でもここには僕は多分自分の意思がほんの心のかなり深いところなんですけども働いていると思うわけ。
じゃあなぜ僕らはこの価値マックスを拒むのか。これが今日の話の大きなところなんですが。
これは前回お話しした内容と若干被るというか被るので少し違う形に変えてお話ししたいんだけども。
この価値マックスというのはさっき言ったようにこの宇宙の死んだ場所と一つであるからというここが私の根拠。
これはどういうことかというとこの広がる想像の中で生まれたということは誰もが何もかも与えられて完成しているということでもあるわけね。
そしてそれは誰もがなのであらゆるものと対等であるということ。
この価値マックスはこの対等とセットでないと成り立たないんですね。
これも何度かもこの番組で出言お話ししてますけども私と例えば安倍政府さんがいると。
その二人の価値が異なっているとすればね多分どちらもマックスではないんですね。
上下があるということになりますからね。
上下があるということはもっともっと上もあるかもしれないしもっともっと下もある。
だからこれは対等であるからこそ全てが価値マックスということが成り立つわけ。
これをちょっと例えるならばこの世界ってどういう世界かというと子供が3人いますと。
兄弟なんですよ。3人兄弟で暮らしているのね。
そこにこの宇宙の死んだ場所が僕らにいろんなものを何もかも与えてくれたわけですけども。
これを一つ両親というふうに捉えてみるわけね。
この両親は対等にこの3人の子供に愛を注ぐわけですね。
価値マックスですから3人ともね。
ところがこの中の一人がね。これが私としましょう。
次男坊の倉園がね私が。
いやこのなんつーのかなとこの対等に愛を注がれてもこれって例えば上中下の中でいうと中なんじゃねーのっていうふうに勘違いしたんですね。
これは前回もお話ししましたけどもこの3人が対等であるということは一つであるということでとても重要なポイントなんですね。
ここで次男坊の私だけここにお前にだけ特別の特情の愛を注ぐっていうことになったら私はこの3人とはもう一つではいられなくなるわけですね。
そこから孤立してしまうんですよ。
だから一つであるこのね宇宙の真羅万象ここからそのここはですねこの対等に愛を注ぐということで調和をとっているわけ。
でもこの次男坊である私はねそれが嫌だなと思ったわけですね。
中だっていうふうに。
もしこの対等を超えるねこの中以上の特情の愛をくれないんだったらもう俺はこの家にはいられないぞっていうふうにまあ一つぐれたわけね。
そしてこの家を飛び出すこれが一つ意識から飛び出すということなんだけどもここで自分の家を作ってそこでねこの僕だけに特別僕だけを特別に愛してくれる世界っていうのを作ろうというふうに決めたわけですね。
これが要はバラバラ意識そしてこの私ね飛び出した私そして僕だけを特別に愛してくれる世界を作ろうと決めたこの私が偽りの自分なんですね。
この元々対等に両親から愛を注がれて平和に暮らしてたこの家がここが一つ意識そして本来の自分なんですよ。
ここが現実だとすればここから飛び出るということはもうこの現実の外に出る。
でも現実の外はないので僕らはこれを頭で作り出すというねあらわさに出たわけね。
価値想像のプロセス
これが真相の世界なわけです。
本当は何もかも与えられて完成しているその存在が僕だとすると特徴の愛などというものを渇望する必要はなかったんですね。
でもそれが嫌だと私は特徴がいいと思って外に飛び出てそうすると何が起こるかというとここからゼロスタートが始まるんですよ。
元にいたところはすでに完成されていたんだけどもそこを捨ててきてますからね。
その完成形は嫌だと。なぜだ?みんな対等じゃないか中じゃないかと。
中なのは嫌なんだよ。俺は特徴がいいんだと言ってその世界を作ろうとする。
それはゼロスタートなんですね。
すでにある種の価値を手にしているという自覚は多分あったと思うんですね。
だってもともとこの対等に愛を注がれている3人の子供だったからね。
そこは一応認めているんですよ。
でもそれでは特徴の愛は得られません。得られなかったと思ってしまったのね。
だからもっといいことをしてもっと価値を高めれば特徴の愛が得られるんじゃないかと考えたわけね。
ここから僕らはこの価値を想像するという世界に入っていくわけですよ。
このあたりでちょっと例え話から現実の僕らのこの日常の世界。
ここにクーッと引き戻すとね。
このいいことをする。そして価値を高める。そうすると愛されるっていうね。
この偽りの自分が作ろうとした世界。
これを実感するのは非常に簡単でね。
これは僕らが日々やっていることなのでとても簡単なんですね。
これは評価を得たいと思ったら多分僕らはドキドキしますよね。
この感じなんですよ。
しかもこの評価を得たいと思った時にドキドキしながら多分不安も感じていますね。
これがまさに偽りの自分がやっているこの価値想像のプロセスなんですね。
本当にいいことをして価値を高められるだろうか。
そうしないと特徴の愛が得られないよ。
つまりこの評価というのはまさにこの特徴の愛の象徴なんですよね。
評価されたい気持ちの裏側
例えば僕らで言うとね。
例えばブログとかやってますよね。
このブログの公開前、ボタンを押す瞬間みたいな。
このブログをどのくらいの人が見てくれる、読んでくれるんだろうか。
そして今で言うと、例えばノートとかだといいねがありますからね。
いいねがいくつ付くんだろうか。
ブログじゃなくてもいいと思います。
もう本当にSNSの投稿でもいいでしょうね。
このかなり頑張って映えた写真を撮ったと。
これがどのくらいいいね付くんだろう。
どのくらいいいね付くんだろう。
コメントが付くんだろう。
まさにこれは評価されたいということですよね。
そしてこれはおそらく偽りの自分が自分の価値想像をすることによって
特徴の愛を得たいというまさにこの取り組みの一環なんですよね。
ものすごく落ち着かない。
公開したり投稿した後もやっぱりソワソワして何度も何度も見てしまう。
気が切れないですよね。
これがまさに一つ意識を飛び出して
自己評価と過去の実績の矛盾
僕らが特徴の愛を求めている一つの印なんですよね。
あとプレゼン前の緊張とかもそうですよね。
このプレゼン終わった後どんな反応が来るんだろうかみたいな
この感覚を持っているとき
僕らは間違いなく一つ意識から飛び出して
自分でいいことをして価値を高めて特徴の愛を得ようとしているということですね。
でもこれよく考えてみると
本当は自分のアウトプットをどう思うかというのは
完全に受け手に委ねられているんですね。
もしここで一つ意識の自分と他の人を一つ価値マックスだという風に受け入れられていれば
いわゆるこの読み手とか受けて
彼らにはその評価を決める自由に決める権利があるんだという風に
受け入れられるんですね。
なぜならば自分と等しく価値マックスだからなんですよ。
だからもちろん僕はこれは最上のものだと思って
世の中にブログとか文章を公開します。
でもそれを読んで何を感じるかどう感じるか
いいねを付けるかどうか
それは完全に自分と等しく価値マックスな受け手の
自由に決めていいことなんですよ。
だからここをコントロールしようとかね
ここでこう動いてほしいなみたいなことを
多分そこで考える必要がない。
だからこの世界こちらの世界ね
この等しく価値マックス一つ意識の世界ではね
こういう時でもおそらくドキドキハラハラせずに済むんですよね。
でもこのここから飛び出したこの偽りの自分はね
ここに命がけになっていいことをして価値を高めるというね
この取り組みをやってますからもう一発勝負なんですよ。
ここ本当に勝負の別れ目
競争と報酬
自分がこの世界に存在できるかできないかみたいなぐらいの
危機感を感じながらこの取り組みをやってるってことですね。
アウトプットを人に見せるとかね
公開するとかプレゼンをするみたいなこと
要はとても大変な世界に飛び出してしまったということなんですね。
じゃあここでね
ここで言うその積み上げようとしている
このね特徴の愛を得るために高めようとしているこの価値
これは何かってことなんですね。
ここで言う価値とは何か
これは要は他の人と競ってね
競ってますよね。
三人兄弟忠者やだと言って飛び出してきてますから
私が特徴の愛を得るための取り組みだって言って頑張ってますから
これは必ず他の人と競わざるを得ない。
こちらの偽りの自分が作り出した世界では
他の人が得ると自分が得られないんですよ。
他の人が得ると自分が得られないんですね。
ですよね。
前は三人とも対等にこの愛を注がれていたので
全てみんながそれを得ることができたんだけども
こちらの世界はまさに自力の世界なのでね
自分でどれだけいいことをしてどれだけ価値を高められたかによって
この特徴の愛という報酬が得られるわけだから
自分よりも価値の高いことをした人に負けてしまうわけですね。
過去と未来の仕組み
そうするとその人よりも少ない愛しか得られない。
この価値、つまりこの愛される資格としての価値ですよね。
これは何かということなんですよ。
ここで出てくるんですね。
これは過去なんですよ。
これは結果もしくは実績という過去に他ならないですよね。
これ以外ないと思うんですよ。
この価値、私は価値が高まったって何を見て言ってるか
これは絶対に結果実績つまり過去なんですよね。
だから前回この自分自身を作ろうとしてるみたいな話をしたんだけど
これと全く同じなんですね。
つまりここで言う価値もまた過去の積み上げということなんですよ。
ここにですね、さっき最初の方に挙げた一つの矛盾のところに
なぜ私は自分でないものには簡単に価値を見出せるのに
自分自身となると難しいのか。
この答えがここにあるんですね。
要は私は自分でないもの。
MacBookとかiPhoneとかね、猫とか仲間とか
この自分でないものに関しては今の価値を見てるんですよ。
まさに今このMacBook Proが売ってるんですよ。
今の価値を見てるんですよ。
まさに今このMacBook Proがうちに来た。活躍してくれてる。嬉しいな。
このギター私は手元で弾いてる。いい音するなっていうね。
この仲間たち僕を助けてくれてるよね。
僕を励ましてくれてるよね。いろんな今を見てるんですよ。
今ここで感じてる価値を僕らは自分以外のものには多分見出しているんですね。
でも自分自身となるとこれが過去になってしまうんですよ。
要はどのぐらいの結果を残せたのか、どのぐらいの実績を残しているのかっていう過去を見るから
これを価値マックスと見ることはなかなか難しいということね。
これはもう仕組み上無理なんですね。
このゼロスタートの仕組みというのはまず足りないという思いから始まっていますよね。
これでは絶対に自分で過去を振り返って私は価値マックスだと思うことは不可能なんですね。
要はこの取り組みというのは絶対に完成しないようにできてるんですよ。
なぜならば僕らはまず全て与えられて完成しているというその世界から飛び出してきてますよね。
そしてその世界とは何かって言ったらこの宇宙の死んだ万象が広がる想像で作っている。
まさにこの今のこの現在のこの世界。
ここに宇宙の死んだ万象を超える価値というのは存在しないんですね。
僕らはこれを無理やり現実の世界から飛び出して過去を積み上げる。
つまりこの過去というのは実在しない時間。
これは考えることによってしか存在しない時間なんですね。
だからある種この思考を使う考えを使って何とかこの価値を想像しようとしてるんだけども。
価値マックスとは
これはある種の思考の夢みたいなものなんだけどどれだけここで夢を見ても
僕らはずっとこの宇宙の死んだ万象の中にいるわけですからね。
夢見てる間も考えてる間もその中にいるのでね。
ここを超える価値を多分イメージすることも考えることも本当はできないんですよ。
だからもうこの本来自分が価値マックスだったという世界から飛び出してそれを超えるもの
特徴の愛を得るもっとすごい価値をこの宇宙の死んだ万象に超えていく。
もっとすごい価値をこの自分で作ろうというこの取り組みはね。
そもそもこの始まりもそうだしプロセスも何もかもが無理な無理芸な取り組みだっていうことなんですよね。
なおかつもう一つあるんですよ。
ここでねさっき言ったようにこれは競争の世界なんですね。
私が一人でやっているわけじゃなくてそこに同じように特徴の愛を得ようとしている他の人たちが無数にいるわけですよね。
そして何を見てその価値を決めているかというと過去の実績結果ですよね。
そうすると私はかなりいい線行ったんじゃないかと思ってパッと隣を見るとこの時何を見るかその隣の人の過去を見ますよね。
同じようにいやいやずいぶんとこの人積み上げてるなと。
俺はもうだいぶもう富士山ぐらいだと思ったらなんかエベレストぐらい高いやつがいるぞってなった瞬間に
私は特徴の愛を得られるほどの価値を持っていないってことになりますよね。
だからこれは本当に無理ゲーですよね。
一人でやっていたとしても宇宙の死んだ場所自分が飛び出してきてこの価値じゃ満足できないというそこを超えることはできない。
そしてなおかつその周りには同じような取り組みをしながら自分よりすごい過去を積み上げていそうな人が5万といるというね。
本当にこれは無理な世界ですよね。
要はどれだけ過去を積み上げたとしても実績結果みたいなことを積み上げたとしても
この宇宙の死んだ場所と一つそして対等である本来の私たちの価値には絶対に及ばないということなんですよ。
そしておそらく偽りの自分はそのことを誰よりも知っているんだと僕は思いますね。
だからこそこの取り組みに僕らを何度も何度も失敗させようとするんですよ。
変な話ですけども失敗すればまた立ち上がって起き上がってこのトライをせざるを得ない。
そうすると不可能であっても僕らはこれをやろうというね。
特徴の愛を得るために価値を想像するんだというこの取り組みをやめないですよね。
このやめないということがこの偽りの自分にとっては非常に重要なポイントだったんですよ。
言い方を変えるならばある種この信念の世界ですからね。
そのような自分が作れるんだ自分で想像できるんだっていうね。
ちょっと自分を満足させてくれなかったあの宙の愛しかないあの世界よりはマシなんだという信念ですからね。
だからこの取り組みを続けている限りこの世界は存続するような感じがあるわけですね自分にとってね。
だからですよ。つまりなぜ私たちは価値マックスと思えないのか。
これはこの取り組みの最中だからですよ。
要は自分自身の価値を自分で想像したい。
なぜならば特徴の愛を私だけが得たいからっていうね。
この欲求がある限り今ここで価値マックスね。
つまり誰もが何もかも与えられて完成しているっていうこれは絶対に受け入れられないっていうことですよね。
これが僕らが自らの意思で価値マックスを拒んでいる理由だと思うんですね。
もう少し細かく見ていくとこれは前回も言いましたけどもこの過去を積み上げて価値を想像するここには必ず負の側面がついてくるんですね。
ここに罪悪感がいるんですよ。
過去には罪悪感だらけですからね。
というか罪悪感というのは過去にしかいません。
そのことをずっと考えながらこの世界を存続させている僕たちにとって逃れられないものが一つ罪悪感なんですね。
価値マックスと罪悪感というのは真っ向から対立しますね。
絶対に両立しないんですよ。
罪悪感を持っている自分が価値マックスなはずがないですもんね。
だからこの過去を積み上げるというこの弊害によって僕らは価値マックスと思えなくなっているということ。
だからここにも矛盾があるんですよね。
過去を積み上げるんだこれで価値を想像するんだと言いながらそこにはたくさんの罪悪感がある。
そして怒りがある。
未来に向けての取り組み
そして恐れや不安がある。
そんな自分を価値マックスはとても思えないですよね。
それから完成してはダメだというこの教えですよね。
これは自分に満足してはダメだということ。
これはこの番組でも何度かお話ししましたよね。
これはどこに向かっているかといったらまさに未来に向かっているわけね。
この完成していないそして満足できない自分これに対していやいや価値マックスだよという言葉を投げかけるとね。
このダメな自分に気休めとか慰めの言葉をかけられているような感じがして悔しいわけですよね。
いやいやかけっこでね。
ビリになったのにいやいやあなたは大丈夫だよって言われているようなそんな感じね。
だからここに対していつか目に見える結果を出して価値マックスを証明したいみたいなことを思うわけね。
だからいやいや今すぐこの価値マックスはとても受け入れられません。
結果を出して自分でちゃんとそれを証明しますからみたいなね。
クラウドの話でそれを受け入れるわけにはいかないみたいなそんな感じに多分なる。
これもそのダメな自分という過去がありますよね。
まだ実績を残せていない自分という過去を見てそしてその過去から前回お話しした答えを一つ作り出しているわけね。
未来はこのダメな自分をもっと結果を出すことでより良いものにしたいというこの未来に向けているんだけども、
この未来は過去からできてきた答えなのでね。
過去との決別
結局これも過去に向いているわけですね。ここにも過去があるわけです。
そしてこれはさっき最初からお話ししてきたように三つ目の理由としてはね。
全ての人が価値マックスならつまらないと。
私はその価値マックスの上を目指したいんだ。特徴の愛を得るためにね。
これは宇宙の死んだ場所よりも上の価値というのはないのでね。
そもそももう矛盾した本当に頭の中で考え出した心象なんですけどもね。
今挙げたこの三つとも全部過去に目指している。
そして未来に向いているような部分も全部過去に目指しているわけですね。
この三つの理由から解き放たれるというのかな。
これを理由にして価値マックスを拒むというね。
この流れから解き放たれるためにもやっぱりこの過去を見ないということはとても重要なポイントなんですよ。
だからやっぱり何回も連続しますけど、僕はしつこくこの過去、これを自分と見ないっていうね。
それから自分の価値がそこにある、過去にあると見ないように修正するということね。
これがゴールというか向かうべき、向かっていきたいポイントなんですよ。
現在に集中する
そのためにまずある行動が終わったら全てを忘れながら過ごすという練習を始めるんですね。
これが本当にいいと思います。
とにかく一つのことが終わったらそれは一切忘れて、この番組を聞き終わったら
ここで僕が話したことは一切忘れて次のことをやるということ。
そうすると何も頭に残らないんじゃないかと思うかもしれませんが、そんなことは全然ないんですね。
過去に聞いたことは私の血肉となって今ここに残るんですよ。
すでに全ての人がそのようなものを得て仕事をしたり動いたり料理をしたり家事をしたりいろんなことをしているはずです。
これは覚えていようという意識なんか誰も持っていないはずですよ。
そうではなくてそれを繰り返しやっているうちに血肉になりまさにインストールされるんですよ。
だから終わったことを全て忘れて過ごすというこの練習に弊害は全くないと思います。
もちろんアポイントメントとか約束とか期限みたいなものが必要であればそれはメモしておけばいいわけですよね。
なんだかのカレンダーかなんかわかんないですけどそういうアプリに入れとけばいいだけ。
それを使っていれば全て忘れながら過ごすでいいはずなんですね。
これが一つのトレーニングですね。
そうすると何が起こるかというと次第に今ここに過去のないありのままの自分、過去ではない自分というのが現れ始めるんですね。
その自分をよく観察するわけです。
今俺はちょっと過去にとろわれてないな、過去のこと考えてないな、ずいぶん忘れてるな、おーいいねっていうときに自分をよく観察して今この自分に何か不足があるかという問いを立ててみるんですね。
例えば誰かとしゃべるときですよ。
この話しながらね、この今私が誰かとAさんと話しているこの自分に何か不足があるかというふうに自問するんですね。
このときによくある誰かとしゃべるときに緊張するとか言葉が出なくなったりするこういうことが起こっているとしたらこれは過去の自分の失敗を見ているからですよね。
なるほどとこの緊張しているということは私は過去を見ているんだな、これは前回お話ししましたよね。
心が平安でなければ私は過去を見ているんだな、過去を自分と見ているんだなっていうこれで気づけますよね。
そうしてこういうものも振り払いながらね、なんとなく今ここにいられているぞっていう状態で会話をしてみるんですよ。
そうすると一切不足なんかないっていうことに気づきますよね。
仕事も同じです。おそらく何もかも与えられて完成している自分が今ここにいるだけっていうことに気づけます。
もしそこにね、例えば新しいテクノロジーとかね、もう今日々登場しますよね。
過去を超えた自分へ
それから未知の分野の仕事が何か振られてきた。この時もここは不足ではないんですよ。
そうではなくて、じゃあこれ今俺できないからマスターするかって思える自分が現れるだけで十分じゃないですか。
何の不足もないですよね。その自分が現れてくれればそれを習得するための一歩は踏み出せますからね。
そしてその一歩を踏み出す時にまた自分を振り返ってみるわけです。ここに何か不足があるか。何にもないですよね。
やりたくねえな、怖いなと思っているとしたらそれは過去を見てるってことですからね。
今過去を見てるんだなと。ちょっと振り払う。平安になる。今ここにいる。
さて、この新しい何か技術、そして新しい分野の知識を身につけるこの私に何か不足があるか多分ないはずなんですよ。
そしてここにね、いわゆる比較みたいなもの。これは他の人の過去を見るという比較なんだけども。
持ち出してきて、あの人より遅いなとかね。習得具合が緩やかだぞとかっていうことを比べる。これも過去を見てるわけだからね。
そんなものを一切排除して目の前にあるものにパッと今ここで向き合った時に何の不足もないっていうことがわかりますよね。
これを、ある行動が終わったら全てを忘れながら過ごすという練習をしながら、なるべく今ここにいるようにしてこの私に何か不足があるかという問いをかけ続けてみるわけですね。
そうすると全くないんだってことがわかります。
例えばご飯を食べるとかね、風呂に入るとかね、そういうたわいもないとこから始めるといいと思います。
そうするとここは過去を見て緊張したりドキドキしたりしないでしょうからね。
今風呂入ってるような、体洗ってるような、髪の毛洗ってるような何か不足があるかな、全くないねってことに気づいていくわけですね。
こういうものを積み重ねていきながら、過去を見て自分を判断するというこの視点というかな、この見方を修正していくんですね。
常に今ここにある自分、ここにある自分、これは現実の自分ですからね。
過去の自分は考えの中にいる幻の自分、実際にはそこには存在していない自分です。
価値マックスへの修正ポイント
これではなくて目の前にパンといる、存在している自分、これを見るということですね。
そして現実の世界を飛び出してね、過去の夢で遊んでいるんですね。
この偽りの自分がね、最も嫌う言葉、これを常にいつもいつも自分に投げかけるようにする。
これがこの練習の次のステップね、過去は実在しないっていうね、この言葉ですよ、過去は実在しない。
ここに対していやいや実在するでしょうっていうこの反論をしているのが、現実の世界を飛び出して過去の夢で遊ぶ偽りの自分の反論。
これに対していろんな質問を投げかけてきます。
これもその偽りの自分の質問ね、僕らはそちらに行かせないようにしている。
その意図を持っていろんなことをここにね、イチャモンをつけてくる。
この偽りの自分、こいつに一言いやいや過去は実在しないよっていうこれを投げかけるんですね。
これによっておそらくカチマックスな自分というのを取り戻すことができると思います。
そしてこれによって失うものは何もないです。
これは僕は断言したいね。
完成してはダメだ。
自分に満足をしてはダメだ。
つまり何も精進しても努力をしなくなる。
これは絶対に嘘。
何もかも与えられて完成している自分、これがパンとここに今ここに現れて、
その自分は常に常にこれをしてみたいな、これにトライしてみたいな、こういうことをやりたいなっていう思いを発せられる自分なんですね。
なぜならば不足がないからね。
準備完了の自分がそこにいるんだから、
自由自在にこれやろう、これやろう、これやろうっていうのが出てくるじゃないですか。
そしてそこには過去に引きずられた恐れや不安、そして怒り、罪悪感みたいなものがないとしたら、
これは本来のパフォーマンスを100%発揮できる自分でもありますよね。
そして何よりも俺は価値を高めていかなきゃいけないんだなんていうプレッシャーから完全に解放されているわけですよ。
この自分が何かを失っているはずがないですよね。
何でもできる、思いのままにね。
そしておそらく余計なことをやらないでしょう。
そうすればね、よくあるいろんなことがやりたいんだけど時間がないみたいなことからもね、
そういう状況も随分と改善されると思いますね。
随分といろんな時間の余裕というのもここに生まれてくるんじゃないかなと思います。
そして何よりも、これは前回も言いましたけども、ある行動が終わったらすべて忘れてしまいます。
終わったらすべて忘れて過ごすというこのやり方をすればね、
重荷が随分と背中から消えていくんですね。
過去に対する心の反応というのかな、嫌な反応ね。
そしてそれを頭で考え続けるという、これが重荷の正体なんだけども、
これがなくなるだけで随分と疲れなくなるわけですよ。
そうするとさらに快適に動けるようになりますよね。
何も失わないんですよ。
僕は価値マックスというのは素晴らしいと思ってお勧めしているわけですね。
だからよかったらやってみてくださいね。
2つ、3つかな。
まずは過去を自分と見ない、自分の価値がそこにあると見ないというこの修正ポイントを持っておく。
これがゴールになるわけですね。
これは長期の取り組み、中長期の取り組みですね。
トレーニングと快適な自己実現
これは習慣になっているものを変えるということかな。
短期の取り組みとしてある行動が終わったら全てを忘れながら過ごすという一つのトレーニングを始めるわけです。
そしてことあるごとに、暇さえあれば過去は実在しないというこの言葉を投げかけてみてください。
特に自分の心が乱れている時、平安を失っている時、ざわついている時に、
この偽りの自分に向かって過去は実在しないというこれを投げかける習慣をつける。
この3つですね。
これをぜひやってみてください。
そうすれば価値マックスな自分というのが、これを否定する理由もなくなるし、
それを認めることに対する抵抗というのもスッと消えていくと思います。
そんな感じですね、今日は。
そして最近、すごくちょっと告知させていただいています。
書き上げ塾ライト版ね。
描写力を磨いて伝わる文章を書く3時間レッスンという、これがですね、ぼちぼちご参加いただきましてね。
一部二部とも、あと残籍3という状態になっています。
これは本当に少人数制でやるのでね、もしちょっとご希望の方がいらっしゃいましたらね、
あと早めにお申し込みください。
もう来週ですからね。
で、これはですね、この描写力というと、なんとなくちょっとね、上級のテクニックなような感じがするかもしれないんだけども、
決してそうではなくて、僕はイロハの意だと思っているんですね。
というのも、この書き上げ塾の実際に私がそのいろんなことをお伝えする中で、
描写で始まり、描写で終わるという、こういう感じがやっぱりしてるんですよね。
だからこれは入り口であり、そして物を書き続ける限りね、ずっと続く永遠のテーマなんじゃないかなって、そんな感じがしています。
そしてここでね、やるそのライティングワークというね、3時間の中でその場で書いていただくっていうワークがあるんですけども、
これのテーマがですね、まさに今日お話しした、その冒頭の方でね、お話ししたその価値を感じる心、これを表現してもらうんですね。
この価値を感じる心を表現するのに、説明とか感想ではなくて、それを描写するというやり方をここに用いるわけですね。
だからこれをそのままTwitterとかの投稿に使えるんですよ。
これを日々やってるとめちゃくちゃ文章上手くなると思いますんで、そんな諸々ありますんでね、よかったらご参加ください。
告知
それから今日はもう一つありまして、以前からね、これも告知していましたが、私のワンオンワンのセッション、このワントレ2ですね。
春のキャンペーンということで、先着4名様というのでやらせていただいたんですが、これが5名様というね、1名オーバーでフィニッシュしたんですけども、
スケジュールを入れてみたらですね、まだ結構いけるので、あと2枠ね、プラスしようかなと思います。
ちょっとね、急いで申し込んでいただいた方には申し訳ないんですがね、
特にね、その1ヶ月に1回みたいな方がね、結構いらっしゃって、僕が思ってたほど埋まっていないのでね、
ちょっとこのワントレをね、私はこの埋めたいというちょっと願望がありましてね、
私のスケジュールをね、ワントレで埋めたいという一つの何か希望があるので、
あと2名追加しましたので、あーしまった終わったと思われている方はまだ間に合いますということで、よろしくお願いいたします。
じゃあ今日はですね、そうだな、どれがいいかな。
じゃあ、過去を自分と見ない。そして自分の価値が過去に積み上がっていると見ない。
このようにね、修正しながら、物の見方というのかね、自分の捉え方を修正しながら、いい1日をお過ごしください。
ありがとうございます。