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2022-12-21 56:04

063 自分が作り出した世界に無理やり自分を適応させようとしていないか?

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今日は、かなりスケールの大きな心象のひとつ「自分がしあわせになれそうな世界」について話しています。そこに自分をあてはめようとして、私たちは苦悩や怒りを抱えるのだと思います。番組でお知らせした12月23日の「ちえとぞの年末特番トークライブ@大阪」のお申し込みはこちら→ https://goodvibes20221223.peatix.com

00:00
GOOD VIBES ミッドナイトラクザ by KURAZAMUKEIZU
こんばんは。ただいま12月21日水曜日の午前4時ぴったりですね。
今日は、なかなかいい時間になってるんですが、
実はこのポッドキャストの収録をしようと思ったところから、
何を話すかちょっと迷いましてね。
いつも、私がいつもやっているこのワークというかね、
ひらめきワークというのがありまして、
目をつぶってですね、この思考で、頭で考えるんではなくて、
ひらめきを司るこの形のない自分、
私が本来の自分と呼んでいる、
ここに向かって、今日は何を話せばいいですか、
みたいなことを聞くんですけどね。
これでだいたい毎日のワークアウトというのかな、
GOOD VIBES ファクトリーに日刊で書いているね、
このワークアウトのネタも、これで思いついてささっと書いていく。
それが終わった後だいたいこのポッドキャストの収録なんで、
これもまた少し一瞬目を閉じて、
何話しましょうか、みたいな感じで自分と相談してね。
だいたい5分、10分くらいの間に浮かんでくるんですけども、
今日も実は出てきてはいたんですよね、この話って。
そこに珍しく抵抗したくなる自分というのかな、
この片っぽの思考の自分なんですね。
体が本体である自分、恐れや不安を抱く自分というかね、
ここからものすごい抵抗がありましてね、
その話したくないんですけど、みたいな。
なんでなのかはちょっとわからないんですけどね、
少しこみ入ってるからかな。
そして何かこう、どこに着地するかっていうのがね、
いまいちまだそのアイディア段階というか、
ひらめき段階で見えてなくて、
そこをずっとストーリーたどりながらね、
どんな話になるんだ、みたいなことをやっているうちに、
40分くらい経ちましてね、
もうそろそろこれやらないとダメだぞっていう感じで、
もう最終のひらめきを信じていこうかなと思うんですが、
今日はワントレを2本やってきまして、
ワンオワンのセッションはね、
ワントレ三昧の日だったんだけども、
その中でも多分この話に近いものが出ましてね、
よく私がこの番組で心象、心の象と書いてね、
心象と呼ぶ言葉、
ここの話になるんですけども、
心象ってなんだよっていうね、
これ昔、緑の本のグッドバイブスご機嫌な仕事では、
多分幻想みたいな書き方をしてたんですよね。
幻想、空想、妄想みたいなことかな。
要は僕らがその現実とは別に、
頭の中で作り出す、
でも自分ではあたかも現実に思えるような映像みたいなことですね。
03:00
これを渋谷のセミナーを、
その本を出した直前ぐらいからね、
佐々木さんとやってまして、
これを1年ぐらいやって、
確かその前にちょっとこの番組でもお話したんだけど、
最初、宮増坂のみんなの会議室ってところでやってたんですよね。
ところがその会議室がね、
ビルの建て直し化なんかでなくなってしまいまして、
そして別のね、
同じ渋谷だったんだけど、
別の会議室を使って、
2回ぐらいやったのかな。
そのあたりでこのセミナーのシリーズ、
渋谷セミナーは終わりになるんだけど、
この確かね、渋谷の別の会議室に移った最初の時に、
初めてイリュージョンという言葉を使ったんですよね。
どのぐらいだったかな。
もう本を出して10ヶ月ぐらい経ってた頃かな。
だから年末だったと思いますね。
確かこのぐらい寒い時期だったような気がするんだけど、
そこで初めてその幻想、空想、妄想みたいなものを、
イリュージョンというね、一言でまとめたんですよね。
まさにそのイリュージョン、
実際には存在しない、
頭で作り出す映像イリュージョンなんだよね。
これをずっと割と気に入って、
いいじゃんイリュージョンみたいな感じで使ってたんですけどもね。
だからグッドバイブスのぶっちゃけ相談っていう、
YouTubeの番組をね、
佐々木さんとずっと撮って、
この間はずっとイリュージョンイリュージョンついてましたね。
僕はその番組をね、
実際にリアルな投稿者の方から質問をいただく、
その答えにこのイリュージョンって言葉を使いながら、
ちょっとずつね、なんかこうざらつきを覚えていたんですね。
なんかその本人、私も当然それを作り出すんだけどね、
日々それをやってるんだけども、
本人にとってはその現実に見えてるもの、
これをやっぱりね、一言で一刀両断に
イリュージョンという風に切るのはどうなのかなと。
回答としてはイリュージョンと言おうがね、
幻想と言おうが、心象と言おうが変わらないんですけどね。
そのプロセスの中で、
何かその、なんつーのかな、
ちょっとバカにされてる感じというのかな。
それないものですよ、イリュージョンですよ、みたいな。
こういうことを僕が自分で言ってるようなね、
これももしかしたら心象かもしれないんだけど、
でもなんかこう、この言い方やだな、みたいなね。
ちょっとフィーリングなんですよね、私のね。
一応言葉を使ってコミュニケーションをする、
コンテンツを作っている身としてはね、
文章とかこのしゃべりもそうなんだけど、
とても大事なんですよね。
どの言葉を選ぶかっていうのはね、
なんかこう、同じことを伝えるにしてもね、
やっぱりその名詞とか形容詞とか、
そういうものを選ばないと、
伝わるものも伝わらないというかね、
余計にその、なんていうのかな、
読んだ人が反発してしまうような、
こうイラッとしてしまうような言葉を
06:01
あえて使わなくてもいいはずなんですよね。
だからなるべくソフトに入っていけるような
言葉っていうのが、僕にとってはやっぱり
ふさわしいものなんですよね。
これは私の、私の多分、なんていうのかな、
コンセプトというか、
私が大事にしていることに過ぎないと思うんですけどもね。
で、もう一つはね、なんかこれが流行っちゃったんですよね。
このグッドバイブスの界隈でね、
小さな界隈なんですけどもね。
あ、これイリュージョンですけどね、みたいな、
そういうエクスキューズを普通にするようになってね、
みんながね、なんとかかんとか、
あ、まあまあこれはイリュージョンなんですけどねって、
いやそれはその使い方どうよ、みたいな感じがあってね。
このイリュージョンっていうのは、
自分で頭で作り出したっていうのを
自覚しているかどうかじゃないんですよね。
それをその人がどのくらいそこに価値を置いているかなんですよ。
だから、あ、確かにこれは私が自分で作り出してますっていうのが
自覚されたとしても、
それがものすごく大切なものだったりね、
まさにあたかも現実のように大事にしている
みたいな感覚でいる限りね、
あまり意味がないんですね。
イリュージョンなのはわかってるんですけどねっていう
このエクスキューズには意味がなくて。
そんなこんなでね、だんだんちょっとこの言葉をね、
そういう二つの意味かな、
なんかちょっと伝える言葉として、
あまり優しくないというかね。
それとこれが流行ってしまったっていうね。
イリュージョンなのはわかってるんですけどね、
みたいなのが多すぎてね、
ちょっともうこれ使うのやめようとか思って、
私はちょっとそういうね、
甘ん弱なとこがあってね、やめたんですよ。
それで心象という言葉を作って、
作ってっていうかな、もともとある言葉を
この私が幻想、妄想、イリュージョンという風に使うときにね、
置き換えたんですよね、心象という言葉に。
この本がなんかこう言われたときもね、
私たちはそういう心象を作り出すんですよねっていうのは、
なんとなくイリュージョンよりも受け入れやすいかなと。
これも私の感覚なんですけども。
この心象というやつがね、
僕らがその幸せに生きるっていうところにも大きく関わっているし、
苦悩、悩み、恐れや不安、怒りみたいなものとね、
どう向き合うかっていう、
こことどう対処していくのかっていうところにも
欠かせない要因になっているしね。
何よりも私がそのグッドバイブスというこのね、
なんていうのかな、生き方メソッドみたいなものなのかね、
こういう風に生きると幸せになれるかもね、みたいなものをね、
この仮説を作り始めたきっかけというのがね、
何度もこの番組でお話してますけど、
自分自身がその絶望の淵に過去何度か経って、
もうこういう風に生きるのは嫌だなと思った時に、
じゃあ別の生き方ってどういうことなのっていう、
この探索から始まっているわけですね。
だからこれは完全にその自分の人生を実験台にしながら、
09:01
私自身の心をね、モデルというかリアルな、
なんて言ったらいいんですかね、これ。
まさに実験台なんですけどね、
これにしながらその答えを探っていくという道のりながら、
この中でやっぱり私がいかに多くの心象を作り出していたかということに、
気づかざるを得なかったというかね、
逆に言うとここに気づいたおかげで、
ようやくその解決の糸口、ここから脱出する、
必ずやればやるほど最後にはね、
途中はすごく調子よく、最初はものすごく調子よく、
途中もまあまあ調子よく行くんだけど、
なぜか最後はその行きたくない絶望の淵のところに行ってしまう。
この原因はなんだよっていうようなね、
その問いの答えがやっぱり、
一つは大きく心象というものを自分が作り出すという、
ここに至ったわけなんですよね。
で、これもいろんな種類のものがあってね、
まあ僕がよく忌み付けと呼ぶやつね、
こいつはこうに違いないとかね、
この出来事は望ましくないに違いないとか、
こいつは今僕のことをバカにしてるに違いない、
みたいなそういういわゆるね、
判断解釈も心象の一つのわけですよね。
まあ小さな心象。
で、こういうなんていうのかな、対象、対象療法的な、
その場で何か反応としてパパッと頭で意味を作り出すとか、
こういうものよりも今日はね、
もうちょっとでっかい心象っていうかな、
僕らの人生を大きく支配している、
大きな心象、これについて話そうと思ってるんですね。
だから多分このスケールのでかさが、
ちょっと僕にビビらせてるっていうかね、
そんなスケールがでかいっていうほどでもないんだけど、
まずはこの番組でもお話ししたね、
私たちの中には体が本体であると認識している自分、
それと形のないこの意識、ひらめき、
思いみたいなものを自分と認識している形のない自分、
体が本体の自分と意識、心が本体の自分っていう、
この2つのモードがあるっていうね、
ここが最初のスタート地点になるんですね。
今日は何て呼ぼうかな、
この体の方を恐れの自分と呼びましょうかね、
怖がることがやっぱりこの自分の特徴なのでね、
なぜならばこの体というのは外的な要因によって損なわれる、
風邪をひいたり病気になったりする、
そしていつか必ずこの人生に終わりが来るというね、
肉体が朽ちていくという恐れや不安をやっぱり日々抱きながら暮らしているわけですね。
そしてこの自分の最も大事にしたい、
この人生の中で大事にしたいことは安全であることなんですよね。
いかに自分がそういう弱い自分で傷つきやすい、
そしていつか損なわれていく、消えていく自分、この世界からね、
12:00
この自分の安全を確保するか、
これは大命題になるわけですね。
これを恐れの自分と呼びますね。
で、かたやね、この体ではなくて、
形のない思いとか心とかね、
意識みたいなもの、
こちらが自分の本体だとみなしている、
これを愛の自分と呼びましょうかね。
これはなぜかというと、
恐れや不安がないんですね、こちらの自分は。
形がないので損なわれない。
この自分に終わりがあるかどうか、それはわからない。
これは私には永遠にわからない謎だと思っているので、
そこは考えてもしょうがない。
そこは置いておいて、
この生きている間、この意識があるこの私、
この形のない自分は傷つくことができないんですね。
形がないのでね、目にも見えないから。
だから恐れや不安を抱く必要がない。
恐れや不安を一切抱かない私たちは何になるか。
これは私の答えが愛なんですよね。
この話もちょっと今日は置いておきましょう。
なぜならば、こちらの自分は心象を作り出す必要がないんですね。
心象というのは、
この体が本体の自分が恐れや不安を抱いたときに、
そこから自分の身を守るために作り出す映像なんですよね。
いろんな目的を持った映像なんだけども、
こちらの自分がやること、形のない愛の自分はね、
そもそもそれをする必要がない。
だから今日の話題としては、
この片一方の恐れや不安を抱きながら、
自分の安全をなんとか確保しようとしている、
この体が本体の自分。
普通に生きていると、
例えば私が絶望の淵に至るような生き方をしていると、
100%こちらにいますね。
でも時々、時たまなんだけど、
ちょっとしたきっかけで、
こちらの愛の自分が出てくることはあるんですけどもね、
ものすごく確率としては少ないというかね、
確率じゃないかな、
その1日の時間にするとどのぐらいかっていうね、
1年でもいいですね。
1年でもしかしたら数分とかね、
数十分ぐらいしかこちらの自分でいないような、
僕の体感としてはね、
ほぼほぼ100と言っていいぐらいの誤差で、
体が本体の自分として生きている。
これが心象を作り出すんですね。
それがどんな大きな心象を作り出しているか。
まずですね、
これも以前お話ししましたが、
実はこの世界はね、
僕らにとって4つの本当のことが分からないっていうのがあるんですね。
4つの分からないことが存在している。
これも認めたくないんですけどね、
この体が本体の自分は、
分からないということすら本当は拒否しているんだけども、
これは現実として、
おそらく現実として僕らはこの4つについて何も知らない。
1つは自分とはどんな存在か。
そしてここに何をするために生まれてきて、
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そしてどういうことをして生きていることが自分にとって幸せなんだろうかっていうね、
この答えは本当は分からないんですね。
分かったような気になる時もあるんだけども、
時間が経てば移り変わっていく。
そしてあるきっかけでその答えが真逆にひっくり返ることもあるみたいなね。
これが1番、自分ですね。
簡単に言うと自分について何も知らない。
そして2番目は自分以外の他の人ですね。
これが何を考え、今何を感じ、
そしてどんな目的でこの言動をしているんだっていうね。
なぜこの行動をとるの?
なぜそういうことを言うの?っていうね、
この理由、これ目的、それが分からない。
つまり他の人ですね。
これが2つ目。
そして3つ目はとても単純に未来に何が起こるか分からない。
そして4つ目が、これも結構大切なところなんですけどね。
因果関係が分からない。
ある出来事が自分にどんな結果をもたらすかの因果関係が分からない。
これを緑の本で結構ね、厚めに書いたんですよね。
電車が遅れて、電車が止まってしまって事故かなんかでね、
約束の時間に遅れると。
これは一見もう本当に不幸な出来事、望ましくない出来事っていう風に
僕らはパッと意味をつけるんだけども、
本当にそれが自分に良くないことをもたらすかは分からないってことなんですね。
つまり因果関係。
この4つ。
自分、他の人、未来、因果関係。
これは何を言ってるかって言ったら、
この世界の全てが分からないって言ってるわけですね。
これがその恐れの自分というかね、
その体が本体の恐れの自分は我慢ならないわけですね。
こんな世界で生きてられるはずがないと。
まず何がやっぱり嫌かというと、
自分が何か行動をする、それが正解なのか、それとも間違いなのか分からない。
この正解、間違いっていうのはね、
簡単に言えば自分に幸せをもたらすのかね、
それとも不幸をもたらすのか、これが分からない。
それじゃ何もできないですね。一歩も動けないですよね。
今日何をしたらいいかも分からない。
嫌ですよね。
それに加えてね、
自分の周りには常に常に自分以外の人がいるわけですね。
囲まれてるわけですよね。
この人たちがそもそも自分の味方なのか敵なのか、
仲良くしていいのか、
それともできれば距離を置く方がいいのか、それも分からない。
困りますよね。
そして何よりも未来に何が起こるか分からないのであれば、
自分が何かその平和に生きていけるのかね、
それとも危険な目にあるのかも、
1秒後、1分後もその予想ができないようじゃ、
とても怖くて生きていけない。
そして因果関係が分からないなんて最悪ですよね。
まさにこれがその自分の行動がね、
正しいのか間違っているのか分からないってところになるんだけども、
こんなところではやっぱり生きていけないって感じがしますよね。
18:00
だからどうするかというと、
ここで現実は分からない。
現実は分からないので、
現実というのは実際に存在している世界ってことですね。
実はそこに自分も他の人も含まれているんだけども、
こんな分からないものを相手にできないと、
簡単に言うとこんな場所で生きていくことはできないっていうことで、
自分で自分なりの世界を作り出すんですね。
この現実の世界とは別のもう一つの世界っていうのを作り出す。
これがまさに心象の世界なんですね。
でかいですよね。
さっきの意味付けと比べるとスケールがやっぱり違う。
世界を作り出すわけだからね。
その世界を自分なりに作り出して、
その世界っていうのは実際に存在している世界ではないので、
もう一つ必要なことがあるんですね。
その世界に自分を合わせなきゃいけないんですよ。
私はこういう世界なら安心して生きていけるとかね、
こういう世界なら自分が何をすればいいかを見出せる
みたいな世界を作るので、
これは後から作ったものだから、
私をそれに合わせてチューニングしなきゃいけないんですよ。
調整っていうのかな。
そこに合うようにね。
この2ステップね。
世界を作り出し、
そしてその後その世界に合うように自分を調整するっていう、
少し漠然としてるんで、
あまり皆さんにとっておそらく身近ではないような例からね、
あえて例を挙げてみようと思うんだけど、
一つはね、やっぱり不良っていうのがありますよね。
今あんまりいないんだけど、
僕の時代にはその分かりやすい不良っていうのがいっぱいいて、
僕はたまたまその県立の高校に落ちて私立の高校に入ったらね、
そこがその地域で唯一の私立の高校なので、
あらゆる県立を落ちた生徒たちがそこの高校に集まる。
マンモス高ですね。
3000人ぐらいいたのかな。
そしてその隣に姉妹高の女子高がいたんで、
合わせたら多分4500とか5000とかそのぐらいはいくようなマンモス高なんです。
そのぐらい様々な人たちが集まる学校で、
当然だけども不良は多かったんですよね。
彼らもまさにこの世界を作り出しているんですね。
まず自分がこの学校という仕組み、
もしくはその学生という仕組みの中で、
いろんなルールがあったり、
それから勉強しなくちゃいけない、
そして頭が良くないと評価されないみたいな世界。
そこにまず合わないっていうことに気が付くわけですね。
自分はそこでは何の良さも発揮できないっていうね。
余計なルールとか法則とか、
親もそうだけどもいろんなことを押し付けられてくる。
こんな世界が嫌だよねっていうんで、
自分なりの世界を作り出すわけですね。
これがいわゆる不良の世界というやつ。
必ずこの自分が作り出す世界っていうのはルールがあるんですよ。
ルールがないとこの世界に適応するっていう第二段階ができないからね。
このように生きていく、このように暮らせば、
21:03
この世界に適応するっていうこのルールが必要になってくるわけね。
当然その不良にもルールがあるわけよ。
先輩にはその礼儀正しくしなくちゃいけないとかね。
集会があるときは何があっても出席しなければいけないとかね。
集会は絶対に休んではいけないとか。
それから当時の言葉で言うとシャバい格好をしてはいけないっていうね。
ここにやっぱりファッションとか見栄えみたいなものを揃えていくっていうこの傾向もあるわけね。
これもルールの一つですよね。
そこの世界の住人であるっていうことを証明するようなやっぱり格好をしなくちゃいけない。
まさに自分もその世界に合わせていってるわけね。
その他諸々、鞄は薄くなくちゃいけないとか、
ズボンは太くなきゃいけないとか、髪はリーゼントもしくはパンチパーマ。
あるいは勇気がある人はアフロにするとかね。
もっと勇気のある人はスキンヘッドにするとかっていういくつかのバリエーションが許されていて、
そこに自分を合わせていくっていうね。
だから結構僕は見ていてね、アフロ用の世界ってのも大変なんだなと思ってましたね。
身なりをきちんとしなくちゃいけない。
だから結局同じなんですよね。
その会社員がスーツをきちっと着ると同じようにやっぱり不良なりのボンタンとかね、
パンランみたいなことも今はないんだろうと思うんだけど、
そしてリーゼントで決めて、
7さんじゃなくてリーゼントで決めてパンチパーマかけてみたいなことをしなきゃいけない。
靴もね、エナメルのキラキラっと光ったやつを履かなくちゃいけない。
これがその自分で世界を作り、自分がここならば心地よく、
そしてそれなりに活躍もでき、一目置かれ、
なんとなくここにいれば幸せに暮らせるなという世界を作り、
そしてそこにあるルール、習わし、ファッション、カルチャーみたいなものかな、
そこに自分を合わせていくっていう、こんな感じなんですよね。
もう少し違う世界もあってね、
例えばね、ものすごくルックスに自信がある人たちとかっていうのは、
可愛ければいいんだよとかね、美貌を使えばうまくやっていけるんだよみたいな世界を作り出す。
当然そこではお化粧とか、ここでもファッションとかね、
そういう美しさで勝負するみたいな世界のルールなり、
ここにもきっとルールがあるはずなんですよね。
多分ここの不良の世界と似ていてね、
先輩は敬わなきゃいけないみたいなのはありそうな気がしますよね。
こんな感じなんですよね。
じゃあここをもうちょっと身近にしましょうかね。
例えば、人生をとにかく有意義に過ごさなきゃいけないっていうね、
こんな世界があったとします。
さっきの不良とかとは全然ちょっと違うんだけどね、
とにかく有意義に過ごさなきゃいけないと。
そうするとどうすればいいって言った時に、
24:00
そうか、人生をね、例えば時間と捉えてみようかっていうね、この世界。
一生とかっていうのは手に負えない。
どうやって生きていくみたいな生き方みたいなのは大きすぎて、
ちょっと漠然として掴みどころがない。
だからもっと秒とか分とか時間みたいなものを細かく切って、
そこをいかに有意義に過ごしたかっていうぐらいだったら、
管理できそうじゃないかみたいなね、なるほどっていうこの感じ。
そうか、じゃあこの世界は1秒も無駄にしないと有意義なことだけやっていくっていうね、
こういうルールを作るわけね。
そうすればきっといい人生になるだろうみたいな。
こうなってくるとだんだん、
私のに結構近いかもって感じになるはずなのね。
さらに言うとね、この有意義っていうのを定義しなきゃいけない。
何が有意義なんだってね。
ここが曖昧だと何をしてても有意義でしょって言えばいいんで、
それだとこの世界として弱いよねと。
私が安全に暮らせる世界としては何かいまいちグラついてしまう。
じゃあ有意義は何だって言った時に、
当然幸せであることってこう来るんだけども、
そもそも幸せっていうのは心の話でしょ。
だから心に属しているものは目に見えないんですね。
ここで困るわけですよ。
それぞれみんな幸せであればいいよねっていうのもこれも何にも言ってないに近いんでね。
有意義と似てますよね。
じゃあ幸せってなんだよって言った時に、
ここに僕らはこの世界の一つのゴールというか大事にしなきゃいけないもの、
一番価値を置いていいものみたいな象徴が必要になってくるんですよ。
なぜならば、だからこの世界は私がいていいんだ。
私はこの世界にいるべきなんだっていうその確信を得るために、
ここにいると何が得られるっていうね、
幸せ、有意義じゃダメなんですよ。
それは心に属してて目に見えないからね。
本当に幸せかどうかっていうのを測る目安が必要。
これが象徴なんですね。
おそらくこの人生を有意義に過ごす。
そしてそれを一生時間と捉える。
時間で捉え、もっと分、秒に刻み、
そこが自分でしっかり生きられたかどうかっていうね、
ここを管理していくんだと。
一秒も無駄にしない。
これがいい人生というこの世界を作るためには、
そこで何が得られたかっていう象徴が必要なんですね。
ここで多くの場合、お金とか地位とか名声みたいなものが出てくるわけね。
ほら、こうやってやってると儲かってる人結構いるよとかね。
こうやってやってみんな有名になってるよとかね。
偉くなってるよっていうのがあれば、
おーなるほど、この世界はそれが得られるんだとしたら、
私が作るものとして、私が作り、
そしてそれに自分を合わせるものとして、
悪くないなっていう感じがやっぱここで得られますよね。
これ今こういう風に話しているのは全部心象なんですけどね。
現実の世界とは違う。
自分が生きていく、この本当のことが分からない世界ではなくて、
27:03
ある程度のことが分かっている世界というのを今、
僕は今作り出そうとしているわけね。
不良は嫌だなと。
僕もそのルックス、そんななんかイケメンって言うほど自信がないとダメだと。
これもダメだと。
スポーツできねえなと。
なんかちょっとこう、勉強なら何とかできそうだよねとか言ってね。
じゃあこの勉強ができる感じって、
頭は悪くなさそうな感じっていうのは、
このさっき言ったね、この一生を時間と捉えて、
分、秒、時間刻みで、
このさっき言った象徴、お金、地位、名声みたいなものを得られるような
行動をしているかどうかっていうのを自分を見ながらね、管理していく。
これはなんかでもこの頭脳で勝負できそうだなって言って、
僕はここに入りやすいかもしれないなとかっていうことを考えるわけね。
ここでルールができるわけですよ。
ここのルールはやっぱり人生には終わりがあると、限りがある。
時間が少ないよねっていう前提が一つ入ってくるでしょうね。
そうしないと、やっぱりここを1秒も無駄にしないなんて気持ちにはなれないのでね。
もう一つは、ここで得られるものを得るための行動をしっかりとしなくちゃいけないっていうね。
逆に言うと、この幸せの象徴であるお金、地位、名声みたいなものを
軽んじてはいけないって感じがね。
そこをいらないというのはこのゲームではなしよみたいなね。
これはもうサッカーで言うと、点は僕にとって大事じゃないんですよみたいなね。
そんな話になっちゃうんで、あんま点なんかどんどん入れてください。
僕はこのサッカーのフィールドで楽しむことが僕の目的なんです。
みたいなことは言ってはいけないんですね、この世界はね。
この幸せの象徴とされているものを軽んじてはいけない。
ここに価値を置かないって言った瞬間に、多分この世界から出てってくださいってことになるんですね。
あなたはこの世界の住人ではないですって。
そして、だからしょうがない。いやこれは大事なんだなと。
これをいわゆるゴール、目標みたいなものになるわけですね。
夢なのかな。
これがあるからこれを達成するために1秒も無駄にせずにできればね。
ここにつながっている行動は有意義であるっていう。
わかりやすくなりましたよね、さっきよりもね。
幸せとか有意義っていうのがその象徴なしに漠然と語られるのではなくて、
それはその有意義幸せすなわちこの象徴である今挙げたようなものを得る行動をしているっていうのがすなわち有意義幸せなんだってことになる。
わかりやすいね。
もう何を手に入れればいいかもはっきりした。
いやーよかったと。
未来に何が起こるかわからないとか因果関係がわからないとかそんな世界じゃないと。
私はこれさえ手に入れれば多分いいんだと。
30:01
これは正解なんだ。
いい人生を送っているんだって安心できますよね。
そしてそのやり方ももうはっきりした。
それを得るための行動をできるだけ多くする。
それをそうでない行動をできるだけ人生から排除する。
そうすればこれは確実に有意義な人生を送ったって言えるよねっていう。
ここで一つの最初に世界とそれに自分をどう合わせればいいかの答えが出来上がるわけですね。
もう一個今言い忘れたんだけどこの世界を作る条件っていうのがもう一つあるんですよね。
これは完全にパーソナルではダメなんですよ。
世界なのでね。
パーソナルなものを作ってしまうと自分一人しか入れない。
これは世界と言わない。
シェルターみたいなものになってしまうんで。
これでは自分が安心して生きられる世界ではないんですよね。
やっぱり僕らは本当の自分っていうのが自分と他の人とこの世界の繋がりによって自分の幸せが成り立つっていうことをうっすら知ってるんですよ。
だからやっぱりここに他の人の存在っていうのは入れないわけにはいかない。
なので勝手に自分がこれでいいよみたいな世界を作ることは出来ないんですよね。
さっきの不良にしたってそうなんですよ。
不良というみんながそれなりの数がコンセンサス取れてね。
この生き方いいじゃんっていうね。
この世界悪くないじゃんっていう何人かが集まらなきゃダメなんですよ。
一人でやってはダメなんですね。
一匹狼ではダメなんですよ。
この不良ではなくてもうちょっと真っ当に幸せな道を行きたいと思う人にとってはね。
これはやっぱり多くの人がそれは幸せだよねっていうことをやっぱりそれなりにね主張してくれるものでなくてはいけない。
これがいわゆる社会性みたいなことになっていくわけね。
だから今挙げたようなねその幸せってなんだよ有意義ってなんだよっていう時の象徴がマジョリティを持ってなきゃダメなんですよ。
メジャーじゃないとダメなんですね。
ここに何か一時の楽しみみたいなのをじゃあそれがいいって言っても何か多くの人はそんなことじゃ満足してないんだけどなみたいなことになるわけね。
ここにやっぱりその一つはやっぱり経済力お金とかね地位名声そして評価されるみたいなことは誰もがそれなら何となく幸せな感じがするっていう風に納得できますよね。
こういう世界でないとやっぱりなかなか乗れないんですよね。
いくらその分からないのが嫌だだから自分が生きる世界っていうのを自分で定義して作りたいんだって言っても自由に作れるわけじゃないってことね。
それなりにやっぱり選択肢は限られてるんですよね。
多くの人それなりに多くの人そして自分が何かマイナーだなとかマニアックだなとか何か変わり者だなっていうところに入らずに済むような。
誰が見てもあなたは真っ当な幸せな道を歩いてますねって言ってくれるようなものでないとこの作る世界っていうのはねやっぱり弱くなってしまうんだよね。
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だから自然とね人気のある世界みたいなのが出来上がりますわね。
それなら乗れるみたいなね自分で作り出してはいるんだけどもそれなら乗れるみたいなものがあらかじめ用意されているケースもありますわね。
それをまあ自分で作り出すというよりはそれを自分で採用するみたいな感じに近いのかな。
まあこんな風にねそれぞれがその本当のことはわからない世界はとても嫌なのでね。
何をしていいかもわからないんでその現実とは別にね自分が住む世界自分が生きていく世界これならなんとなく幸せになれそうだなっていう世界を作り出していくわけですね。
頭の中でね。
でもまあそれが個人個人自由に作れるわけではなくてそこにはその人気世界みたいなのもあって時代にもあるでしょうね。
時代もあるでしょうね。
この時代だったら今これが流行ってるとかねこういう生き方が今新しいみたいなのも出てくるじゃないですか時々ね。
なんか僕が雑誌やってた頃は確かなんかスローライフみたいなこともよく叫ばれていたよね。
この現状の反動みたいなこともあるのかな。
あとそういえばそのドッグイヤーみたいなのがありましたね。
この犬がですね人間の7倍早く成長する今の技術革新はそれと同じぐらい進んでいる。
だからまあこれも世界の作り方なんですよね。
まさにそのドッグイヤーという世界を作って急がなければならない。
この感覚もちょっと今まだ残ってるかもしれませんね。
技術革新は早いんだと。
でライバルが先にある製品を出してしまったらもう終わりなんだと。
いわゆる先行者メリットみたいなのをしっかりと取らなきゃいけない。
早く出せみたいなのもこの世界の一つの作り方。
自分が作る世界の像ですよね。
像の一つ。
でまあその私はこれが僕らに苦悩をもたらしている一つの大きな要因。
だからでっかい心象なんですよね。
なんでかって言ったら現実の世界がわからないから
そこに住むのが嫌で自分なりの世界を作り出すというね。
この心象のせいで僕らはいろんな苦悩を抱えてしまうんじゃないかと思ってるわけね。
一つはまず単純にその世界に合わせて自分を調整していけないことが多いんですよ。
なぜならばこれは完全に自分にさっき言ったようにカスタムメイドで作ったものじゃないからなんですよ。
世の中でこれならOKっていうそれなりの市民権を得ている世界を自分に採用する。
そしてそれがこのわからない世界を生きているよりも確実なんだろうなっていう感じでね。
仕方なく自分でそれを採用しそこに自分を当てはめようとする。
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だからこの世の中で言いとされている時間管理の中に僕は全く当てはまらないってね。
これをやってもちっともうまくいかない。どうしても実行できないんだよっていう。
1秒も無駄にしないっていうことがどうしてもできないっていう。
そのたんびに自分を責め、罪悪感を持ちね。
そして例えばソーシャルメディアとかでうまくいっている人たちの報告、レポートみたいなのを見るたびに
なんで俺はこれができないんだと。これができないんじゃ。
せっかくこの作り出したね、これなら幸せを得られると思った世界に生きていけないんじゃないかっていうこの感じ。
これが僕は第一の苦悩の原因だと思うんですよね。
2つ目はね、この世界を作るとさっき言ったようにこの世界にやっぱり起きてやルールね。
そしてカルチャー、ファッション、いろんなものが決められてくるわけですね。
この世界なりの流儀みたいなのが確立されていくわけ。
それがないと自分を合わせられないのでね。
当然だけどそれをやると、ここの流儀に反する人たちっていうのが目についてくるわけね。
さっきの時間管理の世界っていうのかな。
時間を無駄にせずに生きていけば幸せになるというこの世界のルールから見ると、
時間を浪費している人、それからいつも遅刻してくる人とかね、時間を守らない人、
だからなんかしないけどダラダラしてそうな人、
自分のことを全く管理できてなさそうな人っていうのは、
もうこの世界から見ると違法人ですよね。
敵なんですよね。
それが自分にどんな影響をもたらすかはその置いておいて、
そういう人がいるということ自体、もうなんか自分が作った世界が危ぶまれるような感じがする。
まさに外から侵略されてせっかくのこの世界を乱されてしまうとかね。
例えばこの世界の作り方の一つに、やっぱりこの強要知性みたいなものをしっかりと持っておけば、
私たちは幸せに生きるみたいな世界もよくありますよね。
そうすると、そうじゃない、こいつらバカじゃねえかみたいな人たちが本当にムカつく。
完全に敵なんですよ。
違法人、エイリアンですよね。モンスターですよ。
最悪の場合ね。
それがこの自分たち、自分が住んでいる世界と同時に現れてくるんですね。
自分が作った世界と同時にそれが立ち現れてくる。
そうすると、もう必然的にこの世界をいいものと悪いものに分けなきゃならないんですよね。
この世界のルールに従って生きている人たち。
ルールというか流儀というかカルチャーに従って生きている人たち。
これはいいものなんですよね。
その反対にここから全く外れている人たち。
これは悪いものなんですよね。
これは自分に危険をもたらす敵のように見えていく。
ここに分離が起こってくるんだよね。
そもそも本当のことは分からないというところからこれは始まってるんだけど、
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こうして他の人を例えば自分から分離させた瞬間にね、より分からないものになっていくんですよ。
おそらくそこには環境とかいろんなものが入ってきて、
自分から切り離しておきたいものっていうのが当然できますよね。
それはこちらのね、自分が作った世界から見ると一つの脅威になるんですよ。
ここに恐れや不安を持つ、確実に持つことになりますよね。
これが怒りに変わるわけね。
だからこの自分だけの世界っていうのを、自分が住む世界っていうのを作り、
そこに自分を当てはめながら調整していくっていうこのやり方をやると、
恐れや不安とね、そしてそこから生まれる怒り、
そして多分、おそらくだけどその先にはね、
その人たちを罪と見て罰を与えたくなるというこの罪と罰、怒り、
それを持たざるを得なくなるってことですね。
実はこのね、自分の作り出す世界と怒りの関係っていうのはね、
もうちょっと複雑なことに発展するんですよね。
これはどういうことかというと、
例えばじゃあ私は1秒も時間を無駄にしない世界というのに生きてたとしますわね。
これが私に幸せをもたらすと信じて生きている。
そうするとそこにね、この世界の住人がよくわかんない人と、
例えば待ち合わせをしたとする。
そいつが遅刻してきました。
この時に私は当然だけど怒りを抱くわけですね。
しかもね、私が住んでいる世界、私が作った世界には結構厳密なルールがあって、
しかもそれは割と多くの人に指示されている。
それは正しいよね、それは間違ってるよねっていうのをとても判断しやすいルールなんですよね。
だからもし私がその遅刻した人に怒りを抱いたとして、
それをその人たちにね、僕の世界の住人の人たちに伝えるときは、
確実にその怒りは正当だっていう風に見なされるんですね。
今日さ、聞いてよ。
もう本当に時間の大事さがわかってない奴と待ち合わせしてしまってね、
15分も遅れてくるんだよ、もうひどくない?と。
もう僕の大事な貴重な時間を奪われてるよね。
言ったらそれはひどいねと。
もうそういう人とはなるべく付き合わない方がいいよねって言って、
きれいに正当化してくれるんですよ。
でもね、これよーくね、自分の心に向き合ってみるとね、
そんな大層なことじゃないケースの方が多いんですよ。
多分私はいつもそうなんだけど、
そういうときにね、待ち合わせに遅れられたときに、
最初に頭に浮かぶのは、軽んじられたなって感覚なんですよ。
こいつ俺のことを軽く見てるんじゃねえかっていうね、
もしくは失礼な奴だなとかね、バカにしてるのかなとかね、
そういう感覚なんですよ。
なんかなんつーのかな、プライドが傷つくとかそういうことなのかもしれない。
なんか存在としてものすごく軽く扱われた、みたいな感覚が
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一番最初に襲ってくるんですよね。
とてもじゃないけど、その時間を大切にする論みたいなものが
怒りとしてね、プリミティブに浮き起こるはずがないんですよね。
それは後付けで僕らが作ったルールなので、
僕らが最初に反応としてなんだって思うときには、
もうちょっとね、どうでもいいくたらないようなことが
怒りの原因になってるんですよね。
でもね、それをね、さっきのように周りの人に言ったとしたらね、
いやいやいや、別に軽んじてるから遅れたんじゃないんじゃないの?
みたいなことになりかねないわけ。正当化できないんですよね。
それはなんかお前ちょっと心が狭いんじゃないかとか、
見方がなんか歪んでんじゃないの?とかね、
いやそんなにお前体操なやつなの?みたいなこと言われかねないんで、
僕らはこのように人に怒った理由というのを話すことはなかなかできないんだよね。
よっぽどなんかパートナーとかで信頼してる人であれば、
もう子供のようななんか、もうなんかひどい扱いされたんだよみたいなことを言えるかもしれないけど、
こうは言えないんですよね。
もうちょっと体操なことを言わないと、
大義名分を持ってこないと、
僕の怒りというのは正当化してもらえないと思っている。
だからここで、この自分が作った世界のルールっていうのが非常に活躍してくれるんだよね。
時間というのは何にもかえがたいよね。
人生で最も僕らのこの世界では価値があるものだよね。
それを15分無駄にしたっていうのは怒っていいよね。
いいよいいよっていう感じなんですよ。
こういうふうに使う。こういうふうに使うと何が起こるかっていうと、
僕が本当は何に腹を立てたかっていうのがわからなくなるんですね。
これもなんかとてもコミュニティーな話なんだけどね。
私が何かに腹を立てるということは、
例えば今回であれば、遅刻した相手に怒っているんじゃないんですよ。
もともと僕の中にこれをされたら腹が立つという種のようなものがあるのね。
これはみんな違う、千差万別だから、
面白いことにその同じね、全く同じシチュエーションに置かれても、
怒る人と怒らない人がいる。
ある人の行動にものすごく敏感に腹を立てる人もいれば、
いや全然俺は気にならないという人もいる。
なぜかというと、自分の中にまずその人の言動に対して、
ものすごく敏感に反応してしまう種のようなものがある。
それは自分の中でね、その怒りが発した時に、
これはいつ植えられたものなんだっていうことを、
本当は振り返った方がいいんですよね。
この自分の怒りに向き合う時に、
そういう大義名分、時間を無駄にされたから、
みたいなことを出す前に、
いやいやもっとピュアなプリミティブなやつがあるよねと、
私は人にバカにされたり見下されたりするのが、
本当に苦手なんだなってところに気づいた方がいい。
そしてそれをさらにね、
いついつこの種は私に植えられたんだっていうことを振り返った方がいい。
そうすると、もしかしたら親子のやり取りの中で、
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それが生まれたのかもしれない。
あるいは自分には兄弟がいてね、
いつもその弟なり、兄なりね、お姉さんなり、
そちらが大事にされている感じがしている。
いつもいつも自分は過論じられている感じがしている。
ここにものすごい怒りをね、
原初の怒りみたいなものを抱いている可能性がある。
これが種になっているわけね。
つまりこれはその原因を作った人を、
その今回遅刻した人に映しているんですよ。
プロジェクションマッピングのようにね。
本当に怒っているのは、
この遅刻した相手ではなくて、
私にその種を植え付けた元々の人なんだよね。
ここに向き合えなくなるんですよ。
こういう自分の作った世界のルールで、
怒りを抱いた人を裁いているとね、
何が何だかわからなくなる。
そしていつまでたっても、
その同じようなことを起こっていいんだっていう風に、
起こるしかないんだっていうね。
起こる以外の選択肢なんかどこにもないよねっていう風に見出してしまう。
それもまたね、この世界を作り出し、
それに自分を合わせるっていうね、
そこのルールに合わせるっていうやり方の、
大きな弊害の一つなんじゃないかなってね。
だからまとめると、
とにかくこれをやると、
自分をその世界に合わせて調整しなくちゃいけない。
これがうまくいかない時が非常に苦しくなるっていうのが一つ。
そしてこの世界を作った瞬間に、
そうでない世界に住んでいる人が、
基本的には悪いものに移る。
当然そういうことを分量する。
だからますますわからなくなる。
そしてそれと同時にね、
この世界のルールがしっかり大義名分としてあることによって、
自分の怒りが正当であるということをね、
その証明しやすくなる。
証明していないんだけども、証明しやすくなる。
なんかくだらないプリミティブなね、
なんかバカにされたんだよ、みたいなことを言わずに済む。
でもその反面ね、
そこに向き合わないから、
いつまでたってもその自分の怒りの種みたいなことに気づくことができない。
もしそこがわかればね、
その最初の種を植えた人に対する怒りをね、
手放すことができるかもしれない。
そしてもしそれがうまくいけばね、
それ以降はもう遅刻する人に対して、
怒りを抱かずに済むかもしれない。
でもその取り組みをするためには、
やっぱりその種を見なきゃダメなんですよ。
それを自分の世界のルールに照らし合わせて、
別の言葉で置き換えてね、
自分の時間を無駄にされたって言ってる間は、
そこに行けないんですよね。
こんな感じのことが、
僕はその心象、大きな心象、
世界を作り出すというね、
心象によって起こってるんじゃないかなと思うわけです。
じゃあどうすればいいかっていうね、
ここがとても大事なポイントなんだけど、
世界を元に戻すってことですね。
自分が作り出した世界ではなくて、
すでにあったこの現実、
本当のことはわからないんだけども、
本当のことがわからない現実に戻す、
そしてそれを受け入れるってことですね。
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仕方ないよねと。
わからないんだもんと。
その世界に僕らは生きてる。
だからといって、わからないのが嫌だからね。
自分なりの世界を作るっていうのも、
本当はおかしな話で、
これは心象の世界だからリアルではない。
だからいろんな不都合なことが起こる。
しかもその心象の世界に自分を合わせていく。
それも自分自身で作り出したものではなくて、
大人気のもの、マジョリティのあるものに
自分を合わせようとしている。
これじゃうまくいかないよねと。
もう一回、わからないと見なして、
これじゃ不都合だと思った世界と
一つになってみるんですね。
世界というのは、自分と他の人と環境、
この三つでできていますよね。
この自分でさえ、
多分分離してるんですよ、この話ではね。
そもそも自分は何がしたいのか、
どう生きたいのかっていうのを置いておいて、
世の中でなんとなくこの世界に住むと
良さそうだなってところを自分で挑出して、
そこに自分を当てはめようとしてますから、
これは本心みたいなもの、
僕がよく言う魂の叫びみたいなことから
分離してるんですよね。
だからますます自分が本当は何がしたいのか、
何をするのが幸せなのかっていうことを
見失っていく。
そして他の人も同じですね。
この世界を作り出すことによって、
そこのルール、その式たりに反してる人と
どんどん分離をしていく。
だからますます分からなくなる。
そんな式みたいなものを作るんじゃなくてね、
ワールドを勝手に作るんじゃなくて、
とりあえず一つになってみようと。
本当にその人と何かを一緒にやることが
良いのか悪いのか、
これをやってみないと分からないんだよね
ってことを受け入れるんですよ。
あらかじめその答えを得ようなどとせずにね。
だからこれが僕はこの世界と付き合う
基本の姿勢じゃないかなって思うのね。
なんていうのかな、
水に入ったことがない人がね、
そのプールを目の前にして、
どうすれば泳げるんだっていうことを
考えたとしても、100時間考えても
1万時間考えても、
絶対に本当のことは分からないんですよ。
でも分かったと。
じゃあ水と一つになってみようってね。
とりあえずは溺れない腰のあたりぐらいまで浸かる。
それで何かいろんなことをやってみる。
こうやって頭をふっと水につけると浮くんだ
みたいなことが水に入った時から
分かるようになっていくわけよ。
そのうち足をバタつかせたら進む
みたいなことも発見できる。
それがね、クロールとか平泳ぎとか
日本の古式英法みたいなことに
当てはまっていなかったとしても、
とりあえず水に浮いて前に進めれば
その知りたかったね、
泳ぐということを掴むことはできるんですよね。
でもじゃあそのなんとなく
こうやって進めばいいんだって
泳ぎながらね。
じゃあ水とは何かとかね。
泳ぐとは何かみたいなことは
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多分理路整然と言葉になってないはずなんですよ。
つまり知らないままなんですよね。
知らなくても水と一体になることによって
僕らはそこでどう過ごせばいいかを
掴むことができるんですよ。
これはわかることができるんだよね。
だから一つになれば
知る必要はないっていうこと。
それがどういうものかね。
一つだからね。
自分自身もそうですけども
自分でこう歩きながらね
足とは何かとかね。
足をどう動かせば歩けるんだ
みたいなことを考えながら歩いている人はいない。
一つだからね。
これが分離したら難しくなるんですよ。
別の道具を使って
馬が何かに乗って歩こうとすると
やっぱりこれは難しいな
分からんな。どうやって乗っていいか分からんな
っていう感じになる。
でもその竹馬も一体になって
一つになってみれば
だんだんどうやって歩けばいいかも
見えてくるわけね。
ローラースケートとかスキーとかね
スケートとかみんなそんな感じがしますよね。
雪と一体となる。
木こりと一体となるっていう。
そこと分離している間はどうやったってうまくいかない。
でもじゃあその一つになったら
そのことを
何か自分の中で
言葉としてはっきり理路整然と
説明できるのかってそんなことはないですよね。
こんな風に滑ってます
って言葉で説明できないですよ。
だからちょっとやってみましょうか
みたいなぐらいでしか説明できないんですよね。
これを
僕はなんかこのやり方を取り戻す
というかここに戻るというのが
とても大事なんじゃないかなと。
これは恐れや不安を抱く
その体は本体の自分
その恐れの自分でも
トライはできると思うんですよね。
こうやってそのイリュージョンから
抜け出していくっていうのが
大切なんじゃないかなと思います。
そんな風にしてね。
まずは自分の本心みたいなものと
そして他の人と
そしてこの環境みたいなこととの
つながりを取り戻していく。
そのためには自分で
別の世界を作らない方がいい
ってことですよね。
そして当然だけどもそんな世界に
自分を合わせていこうなんてしなくて
いいんじゃないかなと思う。
なんとなくわかるなと。どうすればいいかは
ここと一つになればわかるんだな
っていう感覚がつかめたときに
あれ?もしかして
僕がなんか
時間を失ったなとかね
こいつに時間を無駄にされたなとかね
奪われたなとかって思ってたこの感覚
なんだったんだろう?
みたいなことが起こるかもしれないよね。
だからこの話は
実はこの最近よく話してる
時間をどう捉えるかっていうところとも
深く結びついている
っていうそんな感じがしますね。
うん。なんとなく
今日私が冒頭で悩んでた
理由がちょっとわかってきた
気がしますね。これ多分長くなるから
なんだな。
今日はあんまり長い話をしたくなかったんだな
って感じがしますね。
ちょっときれいに
決着したかどうかわからないんですけども
心象というのがこんな
大きいやつもあるということですね。
多分
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僕らが作り出した世界の中で
自分を合わせていくために
さらにこの中で小さな心象を
いっぱい作り出しているんだろうなって
そんな感じですね。
でもこの話は今日できて良かったと思います。
また詳しくね
ちょっと今日話し足りなかったところとか
後で聞いてみてね。ここが抜けてるな
みたいなところは後で補足します。
そして
もうあさってになりましたね。
大阪12月23日
金曜日
知恵と園のポッドキャストでおなじみの
濱田知恵さんと一緒に
トークライブをやります。
生知恵園ライブっていうね
生とライブが
被ってるタイトルを知恵さんがつけてくれたんだけど
テーマは
愛ですね。まさに
今日話さなかった方の話ですよ。
愛の自分というかね
形のない自分。ここに
どうやっていつもいられるようにすればいいのか
っていうね。そしてそれは
どんなメリットがあり
どんなことを自分にもたらしてくれるのか
まさにその別の世界を
作らなくていい自分というかね
こういう話をじっくりと
したいと思います。そして終わった後
この会場で懇親会もやりますんで
私はその日は大阪に泊まって
翌日帰る
そんな予定になってますんで
よかったらぜひぜひ遊びに来てください。
じゃあ今日はですね
この
本当のことがわからない世界を
受け入れてその代わりに
自分の別の世界
新種の世界を作り出さずにね
この自分と他の人と
この環境というね
この三つの調和の中に一つになってみてください。
そうすれば
必ず何かがつかめます。
水の中に入れば泳げるようにね
そんなちょっとねいつもとは違う
トライをしながら
良い一日をお過ごしください。ありがとうございます。
56:04

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