そうですね。
去年お話しした方で、オランダの近代建築を専門にされている京都の教授の方がいらっしゃって、
その方のお話を聞いていても、この時代の何年から何年のこのエリアを専門にやっていますみたいな感じなんですが、
内川さんの建築士の中の専門はどちらにあるんでしょう。
そうですね。その方は多分正統のアカデミックに研究されている方ですね。
僕はもうちょっとルーズなんですが、中国の近現代が一応は専門というふうに言えて、
近現代というのはすなわち19世紀末から20世紀、そして現在までという、だから百数十年ぐらいの幅ですかね。
それが専門です。後々話に出てくるような、書籍化したような天安門広場とかの研究をやっていたので、
さらに絞っていると、北京が、北京の都市史っていうのが専門になりますね。
ただ、結構やっぱり中国のことをやっていると、必然的に他の国とかよりも、
あれどうなってんのみたいな引きが多いっちゃ多いんですよ。みんな中国になんとなく興味があるから。
だから、あの建築家のことで少し原稿を書いてほしいとか、喋ってほしいみたいな。
そういう依頼もちょこちょこあった結果、やっぱりなんか、この時代のこの場所のこの建築みたいなことよりも、
もうちょっとルーズにどんどん広がっていって、結果としては守備範囲を開くしざるを得なくて、
割とルーズな、なんとなく近現代の中国やってますっていう、そういうノリになってますね。
その中国にたどり着いた経緯は何だったんですか。
これがですね、一番ベタな、いくつかの回答のパターンがあってですね、
ベタな答えは、大学院の時に国際ワークショップを参加した時に、2008年に中国に行ったことがあって、
北京五輪の都市で、本当にあちこち大規模開発があって、これは面白いみたいなことで興味が持ったっていうのが、
結構ほぼ最小ですね。2008年なので23歳ぐらいですかね。
あとは、もうちょっと打算的な言い方をすると、さっきも言ったように、中国のことをみんな興味があるんだけど、
専門的に中国の建築とか都市について、歴史的な視点で語れる人っていうのは、日本には全然いなかったので、
これを自分が能力として持つと、いろいろ仕事展開するなとか、教員ポストも何かあり得るんじゃないかとか、そういう打算もあったりしましたね。
結構新しいライフスタイルを夢見てダンチに移ってきたって歴史があると思うんですけど、
中国の人たちはどんな生活を描いてダンチに住まいになっていったのか、
例えばそういうマーケティングだったりブランディングとかも、
どういう生活をこうビジョナリーに描いてたのか、描いていなかったのかとか、
この辺もちょっと聞いてみたいなと思いました。
【佐藤】ありがとうございます。
そうですね、言論で描いた小地って中国的なダンチですね。
要するにコロナの感染予防の時にロックダウンが割と一つの手段になっていて、
そのロックダウンが中国は都市空間的にものすごくしやすいんだ、
なぜならJTEDコミュニティが集合しているような空間だからだってことを書いたんですけど、
いろいろ反応が結構たくさんあって嬉しいなと思いつつ、
上海の状況を見ると全然管理と安心・安全がトレードオフになってないというか、
全然管理はされてるけどものすごいコロナ感染が出てるってなってて、
ちょっと大丈夫かなというふうに思っているんですけど、
基本的には空間構成的にはロックダウンしやすいっていうのは間違いないので、
実際にそうであると思うんですね。
団地ができた経緯っていうのは、消費者とかの欲望とかっていうのを夢見たのは、
消費者っていうのは国なんですよね、中国で団地を作ったのっていうのは。
本当に社会主義政権になっているので、体制が。
その時に団地を作ろうと思ったのは、
かつての家族をユニットとして、社会を構成するユニットが家族だったわけですけど、
その家族っていうユニットが解体して、
国とその下に紐づく国営の企業を一つの家族に見立てて、
それをユニットにするために作ったのが団地なんですね。
なので、理想的には都市の中に壁で囲って、団地があって、オフィスがあって、
幼稚園があって、小学校があって、保健所があって、どうどうみたいな感じで、
企業で丸ごと一つの家族みたいな扱いになって、それが国に直接紐づくみたいな。
そうすると合理的だろうと、社会主義的に合理的な生産とかが生み出せるっていう、
コントロールしやすいっていう。
だから国が夢見てるんですよね、中国の団地っていうのは。
それがたぶん日本的な団地とはかなり大きな違いだと思います。
なるほど。
企業か。
政治的だ。