1. Good News for Cities〜都市に関する炉辺談話
  2. 【#78】建築都市史から辿る中..
2022-05-03 47:24

【#78】建築都市史から辿る中国のまちづくり

今回は、建築史家の市川紘司さんをゲストにお迎えして、中国の建築史についてお話ししていきます。

目次

・建築史とはどのような学問分野なのか
・建築史を専門とする方々のキャリアについて
・なぜアジア、そのなかでも中華圏に焦点を絞ったのか
・天安門広場に関する研究について:天安門広場の空間史が私たちに教えてくれること
・場所の記憶 - 歌舞伎町の東横前広場について-
・世界のチャイナタウンについて
・建築人類学
・ゲーテッドな団地「小区(シャオチー)」について
・中国団地に見た「夢 」
・国営の家族に見立てた「団地」の姿
・中国に参加型まちづくりは存在するのか?
・廃墟モールについて・巨大モールは今後どうなる?
・今後気になること・やってみたいこと


⚫︎ゲストについて😀
市川紘司さん / 建築史家
1985年東京都生まれ。東北大学大学院工学研究科助教。桑沢デザイン研究所非常勤講師。専門はアジアの建築都市史。博士(工学)。東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手、明治大学理工学部建築学科助教を経て現職。2013〜2015年に清華大学建築学院に中国政府奨学金留学生(高級進修生)として留学。著作に『天安門広場──中国国民広場の空間史』(筑摩書房)など。論文「20世紀初頭における天安門広場の開放と新たな用途に関する研究」で2019年日本建築学会奨励賞を受賞。

⚫︎お話し中に話した書籍や記事
中国における団地──共産主義から監視社会へ
https://www.genron-alpha.com/article20201229_01/

天安門広場 ――中国国民広場の空間史
https://amzn.to/3MJCe7c

建築討論
https://medium.com/kenchikutouron

書籍・論文集
https://researchmap.jp/ichikawakoji

豪華すぎるゴーストタウン・オルドス
https://www.huffingtonpost.jp/2015/05/11/chinas-gleaming-ghost-city-of-ordos_n_7261878.html

00:03
みなさん、こんにちは。石川愛香子と杉田麻里子です。
Good News for Citiesは、都市・建築・まちづくりに関する様々なグッドニュースを、ザック・バランに話す番組です。
はい、みなさんこんにちは。
今日は、建築士課の市川浩二さんにゲストにお越しいただいています。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
市川さんとの出会いは、建築討論というメディアがありまして、私も結構前から読んでいるのですが、
去年、建築討論の中のサマリーズシリーズという省委員会ができて、そこにお呼びいただいたというのがきっかけで、
何回か打ち合わせで顔合わせもさせていただいたのですが、市川さんのプロフィールとかを読みながら、
結構面白いことをされているので、もうちょっとお話を聞いてみたいなというので、今回声をかけさせていただきました。
市川さんの専門は、アジアの建築士というところで、建築士って何なのとか、何でアジアなのとか、
実際に中国に住まわれて、いろんなケーススタディをされているので、その話とかも聞けたらいいなと思っています。
まず簡単に経歴とか今の活動とかをお聞きしても大丈夫でしょうか。
はい、85年生まれで、経歴としては大学とか大学院を点々としているのですが、
基本的には歴史とか理論とか建築で興味があって、今に至っています。
いわゆる建築士研究をずっとやってきているんですけど、
ちょっと特徴、特殊であるのは、大学院の時に同人誌を作っていたことがあって、建築系の。
それで単に研究だけしているだけじゃなくて、もうちょっと出版とかにも興味があって、本を作っていたりしてましたね。
それの時には、ネモ派という同人誌を作っていたんです。
同世代の、今はもう本当にあちこちで先生になっているような建築家の人たちに原稿依頼とかをして、一応書店流通ってもしてみたいなことをやったりもしてました。
なんかこう、アカデミックにちゃんとやるだけではなくて、もうちょっとインディペンデントにもいろいろ出版活動してみたいなというのが、一応ありますというところですかね。
そういうのは、バックグラウンドとして結構大きいのは、多分僕の東北大学にいるんですけど、もともと学生も大学院から東北大学で、そこで教えを講じていたのが、
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イガラシ太郎さんという歴史研究批評家の方で、彼も研究とは別に出版評論活動も盛んにされていらっしゃいまして、それに影響を受けたというのが、素直な言い方ですけど、そんな感じで評論っぽいこともやったり出版っぽいこともやるっていうことで、今に至ってますね。
今も、いわゆるアカデミックな論文とかも書きつつ、他方でコンテンポラリーな日本とかアジアとかの建築都市の評論的なテクストも依頼があれば書くっていうことを、一応心がけてやってますかね。
そんな感じですが。
ちなみに、設計の方の建築士を目指そうと思ったことはなかったんですか。もう本当に建築士化、論語一本でみたいな。
そうですね、もちろん建築学科入った後、設計課題とかやってたわけですけど、なんかまあやっぱり称に合わないなっていうのは結構当初から思っていて、もともと事件とかでも、理系ではあるんですが国語とか社会のが好きだったりしたような人間で、本とか好きだったんですよ。
建築学科だと理系なんだけど、ほとんど唯一歴史があったりするような、歴史学みたいなものがある分野だったこともあって、やっぱ本面白いなという、歴史面白いなってことになって、学校3,4年生ぐらいのときに、もう設計はいいから、歴史の研究本格ようなことをしたいなっていうところで舵切ったというところです。
その時点で、デザイナーの方の建築士はもういいやって辞めちゃいました。
なるほど。結構でもキャリアとしては珍しいというか、周りにもいらっしゃいました?そういう建築を勉強してて、でも建築士の方に振りたいみたいな。
歴史研究をやりたいっていう人間はやっぱりそれなりに数はいるので、そんなに珍しいことじゃないんです。ただ、そういう中で評論とか同人誌作るとか、そういう、なんて言いますか、正統アカデミシャンみたいなことじゃない活動をしたっていうことで言うと、かなり珍しいケースになるかもしれないですね、キャリアとして。
確かに確かに。
建築士っていうのは建築の歴史を研究対象として探求する学問ということで、なんかその歴史を探求することへの萌えポイントはどこだったんですか?
そうですね、萌えか。あんまり考えたことなかったですね。萌えポイント。
萌えポイントというか、なんかこう、惹かれる理由というか、作ることよりその歴史をたどったり、それを見つめることに惹かれた理由は何なのかなっていうのが気になりました。
06:09
これはなかなか意外と難しいですね。
これ楽しい、これやってて楽しいみたいなポイントってことですよね。
なんかまあやっぱり、デザインする側に立たなかったものの、建築の意匠とかはすごいやっぱ好きなんですよ。
だから建築家とかデザインする側が考えていることとか、その考えていることの系譜みたいなものはすごい好きで。
例えば、ある建築を見に行ったりとか、偶然出会った都市空間とかがどうできているのかみたいなことを自分で考えて、こういうふうなことなんじゃないかみたいな、なんとなく仮説的なことができたときに、
思考がスッキリしたときの喜びみたいなものがあったりとか、それを実際に本を当たってみたら、こんなことを考えてたんだみたいな、そういう驚きが楽しかったりとか。
そういうものですかね、そういうのの延長で、同時代の建築家のテキストを読んでいって、いつの間にかすごい100年200年前の文献とかも読むと面白いなっていうふうになっていたっていう。
200年前ちょっと言い過ぎですけど、100年前ぐらいまでは読めるので、そんな感じですかね。驚き。
驚きと発見、いいですね。建築士家っていう肩書きで活動されている方々は、どうやって稼いでるんですか?どんなキャリアパターンが多いんですか?
ストレートですね。
これは特に日本においてはほぼ一択です。大学の先生になることですね。
やっぱり評論とかの文章を依頼があっても書いても、月に何本あるかわからないし、原稿の単価もそんなに高かしれているので、人文系とかに比べれば当然食えないので、
歴史を主軸にする以上は大学に行かざるを得ない、所属せざるを得ないのがほぼ現状かなと思います。
唯一違うのは、日本建築士をやっていると保存とかが当然日本では必要になってくるので、保存とか修復が。
そのための専門的な研究所とか機関があるので、そういうところの就職の道が広がっていますけど、
海外のこととか近代古のことをやっていると、そういうのは大学の先生になるというのが基本ですね。
なるほど、なるほど。確かに一口に建築士といえど、どこの建築士なのか、どの時代の建築士なのかというところで、また全然活動のパターンが変わってくるということですよね。
09:02
そうですね。
去年お話しした方で、オランダの近代建築を専門にされている京都の教授の方がいらっしゃって、
その方のお話を聞いていても、この時代の何年から何年のこのエリアを専門にやっていますみたいな感じなんですが、
内川さんの建築士の中の専門はどちらにあるんでしょう。
そうですね。その方は多分正統のアカデミックに研究されている方ですね。
僕はもうちょっとルーズなんですが、中国の近現代が一応は専門というふうに言えて、
近現代というのはすなわち19世紀末から20世紀、そして現在までという、だから百数十年ぐらいの幅ですかね。
それが専門です。後々話に出てくるような、書籍化したような天安門広場とかの研究をやっていたので、
さらに絞っていると、北京が、北京の都市史っていうのが専門になりますね。
ただ、結構やっぱり中国のことをやっていると、必然的に他の国とかよりも、
あれどうなってんのみたいな引きが多いっちゃ多いんですよ。みんな中国になんとなく興味があるから。
だから、あの建築家のことで少し原稿を書いてほしいとか、喋ってほしいみたいな。
そういう依頼もちょこちょこあった結果、やっぱりなんか、この時代のこの場所のこの建築みたいなことよりも、
もうちょっとルーズにどんどん広がっていって、結果としては守備範囲を開くしざるを得なくて、
割とルーズな、なんとなく近現代の中国やってますっていう、そういうノリになってますね。
その中国にたどり着いた経緯は何だったんですか。
これがですね、一番ベタな、いくつかの回答のパターンがあってですね、
ベタな答えは、大学院の時に国際ワークショップを参加した時に、2008年に中国に行ったことがあって、
北京五輪の都市で、本当にあちこち大規模開発があって、これは面白いみたいなことで興味が持ったっていうのが、
結構ほぼ最小ですね。2008年なので23歳ぐらいですかね。
あとは、もうちょっと打算的な言い方をすると、さっきも言ったように、中国のことをみんな興味があるんだけど、
専門的に中国の建築とか都市について、歴史的な視点で語れる人っていうのは、日本には全然いなかったので、
これを自分が能力として持つと、いろいろ仕事展開するなとか、教員ポストも何かあり得るんじゃないかとか、そういう打算もあったりしましたね。
12:06
キャリアープランみたいなものを考えた時に。
なるほど。でも本当その通りですね。それは正解だなと思いました。
私たちもこの4CITIESっていうスタジオで、アジアの都市とか街づくりみたいなのにフォーカスしたいっていうモチベーションで最初始めたんですけど、
いろいろリサーチしたりとか、コラボレーターを探したりとか、いろんなイニシアティブを当たったりする中で、
やっぱり中国いなくない?みたいな、中国の情報がポカッと私たちのデータベースの中から抜けていて、
こんなに近くて、こんなに歴史的にもリンクがある、影響力のある場所にもかかわらず、この情報の無さってどういうことなんだろう?みたいな。
周りにも聞ける人がいない状況だったので、市川さんの存在はかなり貴重だなと思います。
そうなんです。フェアに言うと、僕の前には何人か、そういう幅広く中国近現代建築論を語れる方々がいて、
例えば東大の村松慎さんとか、あとは、これも東大からSFCの先生になられました、ちょっといろいろあって、ある方です。
松原博之さんという方がいらっしゃったんですけど、いずれもあんまり中国のことは語らなくなったんですね。
ぽっかり空いてしまっていて、そのぽっかり空いたところを埋めるような仕事は、学問的にも必要だろうというような、義務意識みたいなものを若干、真面目に言うとありましたね。
少ないっていうのは言語的な問題なんですか?それともそういう政治的なもので情報があまりないみたいなところもあるんですか?
その辺もあると思うんですけど、一番はやっぱり単純に面白そうに見えなかったっていうのが、若い専門家から見たら、つまりやっぱり建築だと、ヨーロッパ中心になるわけですよね。
建築で留学をしようと思ったら、我々の世代前後で言えばスイスとかオランダとか、その辺が中心じゃないですか。
ひるがえって中国とかアジアの近現代建築っていうのは、そんなに注目されてないし、面白いかどうかもわからないっていうのが、多分前提としてあって、なかなかそこに関心が向かなかったんじゃないですかね。
なるほど。それは近年の中国の経済発展とかに伴って、興味がある若者たち増えているとか、そういうこともないんですか?
これが増えているって言いたいんですけどね。
でも実際に建築に限らないと、サブカルチャーとかファッションとか音楽とかで、中国がむしろイケていてオシャレな領域として徐々に認識され始めているじゃないですか、若い子たちの中で。
15:10
だから、いずれ実際建築家もたくさん出てきていて、面白い建築もたくさん出てきているので、建築で留学する人も今後増えていくのではないかと期待はしているんですけど。
なるほど。私たちも行きたいんですよ、中国。
行かれたことはあるんですか?
私ね、ストップオーバーみたいな、飛行機の乗り継ぎで1回とか、北京に2日とかそれぐらいしかなくて、中国のこと全然知らないんですけど、言うことある?
上海にインターンで行きました。
マジ?そんな話知らなかった。
上海は今大変ですね。
そうですね、ロックダウンが大変そうですね。
それで、中国に数年前から片思い的に派生始めているんですけど、市川さんの天安門広場のケーススタディが面白そうだなと思って見ていて、事例紹介というか、どんな研究をされているのか教えてください。
博士論文を書くにあたって中国に3年前後ぐらいから留学をしていたんですね。
元々の関心としては、政治と建築ということにすごい関心があって、建築とか都市空間みたいなものを建築家とか都市デザイナーがデザインするだけというよりも、もうちょっと政治家とかあるいは社会の中で作られていくものとして建築を見るということをやってみたくて、
その対象として政治的なものが強い中国というのはいいかなと思って中国に留学したんですね。
その流れで天安門広場というケースが出てきたんですけど、その手前には毛沢東が建築をどうやって考えていたのかみたいなことに最初興味があったんですよ。
ヒトラーとかスターリンとかあるいはムストリンとかの建築っていうのは、なんとなく研究が盛んにされているように見えたんですが、毛沢東は建築をどう考えていたのか、独裁的な政治家がどう考えていたのかっていうのがあんまりわからないなと思って調べに留学に行ったのは最初でして、
結果的にあんまり資料が取得されているところもあってよくわからないっていうのは正直なところだったんですが、その流れで天安門広場っていう要するに一番政治的な空間ですよね、中国にとって。
首都の中心にある国家儀礼を行う都市広場ということで、その天安門広場に当然行くし面白いなと思いつつ、
18:10
しかしこんな有名だからみんな研究してるだろうというふうに思っていたら、意外とちゃんとこの空間の歴史っていうものが語られてなさそうだなというのを中国語の文献とか英語の文献とかを見て思い、
研究し始めたっていうのが動機というか選んだ理由ですかね、研修スタジオを始めた理由はそうなります。
なるほど、空間というものとそれこそ政治とか権力のあり方みたいなものを織り混ぜて考えるスタディっていうのは私もすごい面白いなと思っていて、
これこそ市川さんに誘いいただいた建築討論の中で書かせていただいた論語がブラックランドスケープマターっていうアメリカの黒人の歴史、
闘争の歴史と白人との権力関係の中で生まれたランドスケープ、空間のあり方みたいな、そこの読み解きっていうのがすごい面白いなと思いました。
でもやっぱりその理論としてわかるんですけど、どう読み解いたらいいのかみたいな、メソドロジーみたいなところは建築士として何か型となるものがあるのかとか、
実際にその天安門広場を読み解いたときに市川さんが使われたアプローチみたいなところを聞いてみたいです。
そうですね、メソドロジーに関しては、建築士というより僕が参照したのは政治学の方で、原武さんという有名な政治学者がいらっしゃって、
彼が提唱しているのは空間政治学という学問で、空間の中に政治的な意図を読み解くっていうことをやっていて、
彼が手法として用いているのは基本的に文献調査だったんですよね。
その空間の中で行われている関係する公文書とかあるいは新聞記事みたいなものをひたすら掘っていって、
それをつなぎ合わせて空間の変遷をたどっていくっていう、その手法を基本的には僕も大いに参照させていただいて、
中国の留学時代にひたすら国家図書館とかに通って、マイクロフィルムで過去の新聞を一年単位でひたすらめくっていって、
天安門ってことをひたすら探して、デジタルアーカイブ化されていなかったので、ひたすらフィジカルに探しまくって、
天安門っていう記事があったらメモって、それを何年何月はこうで、何年何月はこうでみたいなことをつなぎ合わせていくと、
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この時代は人々がこういうふうに使っていったなとか、あるいは政治家がこういうふうな計画をこの空間に当てはめようとしていたなっていうのが、
徐々に浮かび上がっていくって復元されていくんですよね。
そういうのも本当に地道に地道に毎日毎日繰り返して、空間の歴史を復元再生していくってことをやりました。
おー面白い。むちゃ地道な作業なんですね。
そうです。
そして言語の壁とかもね、ありましたね。
そうですね。本当はデジタルアーカイブ化されていたらもう天安門広場で検索で一発なんですけど、
古い歴史とか本当にマイナーな地方史とかを調べるので、そういうのはできなかったんですね。
なるほど。
言語は中国語ですね。
ちなみに権力が関わる空間史になると、どうしてもマイノリティの声だったりとか、
都合の悪い情報って歴史的に隠蔽されていくものになるかなと思うんですけど、
どの資料を渡るのかみたいなアプローチ、
リサーチの姿勢自体も結構ポリティカルなものになり得るというか、
ジャーナリズムもそうだと思うんですけど、どこを続くのかみたいな。
よく一般的に知られているディスコースではない言説を探し出すっていうのはすごい難しいと思うんですけど、
特に中国とか情報統制とか結構されていると思うので、そこはどうされたんですか?
これだから本当に研究の難しさでもあって、
49年の今の中国以降だと本当に統制がされているので、
新聞資料を使うとして、いくつかの新聞があっても、それを報道する期間、
記事を書く記者とか進化者で一括されていたりするので、
多様性は全く現れないのですよね。
だからもう、確立された歴史とか視点しかないっていうので、
49年以降に関してはかなり難しいなというふうに思います。
だから、そういうところがあって、僕はむしろ着目した49年以前で、
49年以前っていろんな地方誌があって、主体ごとに記事の内容も若干違かったりして、
サハ系の学生とか知識人を応援するような新聞とかもあれば、
キリスト教系の団体が作っている新聞もあったりとか、
日本の中国で発行している雑誌があったりとかって感じで、
24:04
いくつか主体が分かれるので、それによって見方を何パターンか見て、
それを複合的に考えると、もうちょっと多様な見方ができるかなと思ってやってましたね。
なるほど。それを遡っていくと何が見えてくるんですか。
何が見えてくるか。天安門広場に関してってことで大丈夫ですか。
はい。
天安門広場に関して、一番分かりやすいところでは、
やっぱり49年以降に支店とか報じられ方みたいなのを確立化した後のことだけを知っていると、
単一の歴史かわからないんですけど、ある種の神話ですよね。
天安門広場神話みたいなものが作られていて、それを一応解きほぐせるっていうのはありますね。
いろんな右右曲折が空間にはあって、その歴史を抹消して49年以降の我々の認識ができているんだっていうことは見えたかなとは思います。
それすごい面白いです。
今アフリカにいるんですけど、アフリカも建築士ではないですけど、いろんな歴史の語られ方とかがあって、
それを今まで一つのナラティブだったものをリサーチだったりいろんな活動を通して解きほぐしていったりとか、
また新しいストーリーナラティブをそこに付け加えたり、解剖しかつ複雑化させるみたいな動きっていうのはすごい大切だなと思いました。
特に歴史って勝者の歴史であるっていうのはよく言われることだと思うんですけど、
私たちが見ている歴史観っていうのは本当に格一的なものだと思うので、それに違ったストーリーをつけていくっていうのが建築士科の役目なんだなと今聞いていて思いました。
なんか聞いてて思ったのが、すごい全然政治的な空間ではないんですけど、
市川さんに見てほしいなっていう空間がちょうどあって、
最近ニュースとかでも話題だと思うんですけど、歌舞伎町にある東横広場ってあるじゃないですか、
分かりますか?ちょっとその、歌舞伎町入って奥に行ったところで、今飛行少年たちがそこにたむろするっていうことで問題になって広場があるんですけど、
そこの広場の形って結構長年、あそこの再開発が行われる中で形状は変わってなくて、
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ビル群の中にぽっかり空いた広場っていうような、もうあの繁華街の中にある広場なんですね。
昔はそこがどういうところだったかっていうと、ホームレスたちがそこに集って生活をしたりとか、
将棋とかボードゲームして遊んだりとか、ホームレスの人たちとか役だとか、そういうはみ出し者のための広場みたいなところ、
メインストリームから外れた人がそこに自然と集まってくるような場所だったんですよ。
あれが一旦行政の施策で綺麗に歌舞伎町が一掃されて、今10代の飛行少年少女たちがそこにたまってきて、そこでいろんな犯罪や問題が起こってたりするんですよ。
で、なんでここにそういう、いわゆるちょっと外れちゃったとかはみ出し者たちが集まるんだろうっていうところを思ったときに、
空間的なものとか、その歴史を紐解くと何か共通項があるんじゃないかなと漠然と思ってて、
それってどうやってリサーチしたらいいんだろうっていうのがわからなかったんですよ。
今日話を聞いて、市川さんに見てもらおうっていうのも、市川さんにこの場所にちょっと注目して見てほしいなっていう。
なんで世代を越えてもその似たような現象が起こるんだろうみたいなものがすごく興味がある場所ですね。
場所の記録っていうものがありますよね。
ゲニウスロキって言いますけど、何かそういう、何て言いますか、
ジェントリフィケーションがあった後にも同じ、その手前の空間の質みたいなものがまた再発生するっていうような、
そういう何かがあるんでしょうね、その土地には。
そうなんです。それが多分言語化されてないし、可視化されてないから、
それを何か見える化するとか分析するってちょっと面白そうだなと思ってます。
面白そう。
一緒に歩いてみたいですね。
あと市川さんと一緒にやってみたいなと私もさっき思ってたのが、
この前私ナイロビのチャイナタウンに行ったんですよ。
そういうアジアの建築士って、
ジオグラフィカルな地理的な意味でのアジアだけじゃなくて、
どうアジアの人たちがいろんなところに、世界中のいろんなところに移動して旅をして、
そこでどういう空間を作り上げるのかっていう、何か面白いパターンがあるような気がしていて、
キリマニっていうエリアにあるんですけど、ナイロビの。
カジノがたくさんあったりとか、
サンフランシスコとかにあるような立派なというか、
30:03
観光客が来るようなチャイナタウンではないんですけど、
なんで中華圏の人たちはこういう場を作るのか、
日本人はあんまり作ってるの見たことないなとか、
そういういろんなパターンを読み解きたいなと思っていて、
それもどうしたらいいかわからないみたいなところもあったので、
地理的なアジアを飛び越えたアジアの空間、空間史みたいなのもぜひ聞いてみたいというか、
何か一緒にやってみたいなと思ったりしました。
そうですね、チャイナタウンみたいなものって本当に至る所に作られますからね。
僕の研究は多分手法としてはいわゆる建築史って、
建築物の何というか、部材の解読とか、
デザインの解読みたいなことが一方であるんですけど、
僕はどっちかって多分人類学とか社会学とかの方に関心が近くて、
さっきのナイロビにある中華系の方々の空間がどういう来歴で生まれているのかみたいなことって、
多分人類学とかのが近いんじゃないかと思うんですけど、
それを建築的な視点で空間を対象に分析するってなると、
建築人類学みたいなことに多分なると思うんですが、
その辺に多分私は関心がありますね。
面白そうだなと。
面白いです。
そういう意味で、ゆか子が気になるって言ってた中国のシャオチとか、
中国結構いろいろ気になるトピックがあって、
これを機会にぜひ聞きたいなと思ってメモ的に書いたんですけど、
まずは言論のダンチの記事も読ませていただいて、すごく面白いなって、
今まさに最近コロナで上海のロックダウンで、
結構そのダンチ住民が叫び合うみたいな映像が世界中に出回って、
なかなか衝撃的な光景だなと思ったんですけど、
ディーテッドコミュニティ的にそのダンチが作られているっていうところで、
なるほど、なんかこう管理された中に置かれている、
普通の叫びだったんだなみたいなのが分かったりして、
なんかそこにも書いてあったんですけど、
安心・安全と管理のトレードオフがそのダンチの中に行われているっていうのが、
すごく興味深く思っていたのと、
なのでちょっとダンチについても話したいなと思ったのと、
その流れで、なんかダンチって結構日本では最初出来上がったのって、
新しい家族的生活スタイルに憧れて、
ああいったLDKの構造に憧れ、
みんながガキで応募し、抽選で当たって、ラッキー住めたぜみたいなのがダンチで、
33:03
結構新しいライフスタイルを夢見てダンチに移ってきたって歴史があると思うんですけど、
中国の人たちはどんな生活を描いてダンチに住まいになっていったのか、
例えばそういうマーケティングだったりブランディングとかも、
どういう生活をこうビジョナリーに描いてたのか、描いていなかったのかとか、
この辺もちょっと聞いてみたいなと思いました。
【佐藤】ありがとうございます。
そうですね、言論で描いた小地って中国的なダンチですね。
要するにコロナの感染予防の時にロックダウンが割と一つの手段になっていて、
そのロックダウンが中国は都市空間的にものすごくしやすいんだ、
なぜならJTEDコミュニティが集合しているような空間だからだってことを書いたんですけど、
いろいろ反応が結構たくさんあって嬉しいなと思いつつ、
上海の状況を見ると全然管理と安心・安全がトレードオフになってないというか、
全然管理はされてるけどものすごいコロナ感染が出てるってなってて、
ちょっと大丈夫かなというふうに思っているんですけど、
基本的には空間構成的にはロックダウンしやすいっていうのは間違いないので、
実際にそうであると思うんですね。
団地ができた経緯っていうのは、消費者とかの欲望とかっていうのを夢見たのは、
消費者っていうのは国なんですよね、中国で団地を作ったのっていうのは。
本当に社会主義政権になっているので、体制が。
その時に団地を作ろうと思ったのは、
かつての家族をユニットとして、社会を構成するユニットが家族だったわけですけど、
その家族っていうユニットが解体して、
国とその下に紐づく国営の企業を一つの家族に見立てて、
それをユニットにするために作ったのが団地なんですね。
なので、理想的には都市の中に壁で囲って、団地があって、オフィスがあって、
幼稚園があって、小学校があって、保健所があって、どうどうみたいな感じで、
企業で丸ごと一つの家族みたいな扱いになって、それが国に直接紐づくみたいな。
そうすると合理的だろうと、社会主義的に合理的な生産とかが生み出せるっていう、
コントロールしやすいっていう。
だから国が夢見てるんですよね、中国の団地っていうのは。
それがたぶん日本的な団地とはかなり大きな違いだと思います。
なるほど。
企業か。
政治的だ。
36:00
その団地の中に企業のオフィスもあったりするような構造もあるってことですか?
そうですね。同じ中に入っているものもあれば隣同士になっていて、
人々の生活はその社宅と会社にあるいは工場を往復するだけで、
子どもたちもそこで遊んでるし、老人もそこで暮らしているし、病人もそこにいるみたいな。
ある種の理想的な生活として当時は描かれていたんですね。
今、そういったスタイルに変化が起こっているとかはないんですか?
社会、毛沢東時代が終わった後は、基本的には社内っていうのは住宅機能に特化して、
レストランとか病院が付属しているぐらいになっていて、仕事場はまた別の場所にあるっていうのが一般的にはなっているので、
いわゆる日本っぽい団地になっているっていうところはありますかね。
規模と閉鎖性っていうのが大きく違うところではあります。
なるほど。今の国が強いって話にもつながってくると思うんですけど、
城中村の話を以前、ポッドキャストでもしたことがあったんですけど、
劇的に都市化する中で、かつてのスラムじゃないけど農村地帯みたいなところがそのままぽっかり都市の中に残っているエリア、城中村というらしいんじゃないんですけど、
そこの街づくりについて中国人の友達とかにも聞いてたら、
日本とかだと今、参加型の街づくりみたいなトレンドだったり、そういう市民が参加して街をつくっていくっていうところに向いていると思うんですけど、
彼らが言ってたのは、街づくりって別に誰も参加したくなくて、お金払ってサービスとしてやってもらうやつだよみたいなことを言ってたりしたんですよ。
その時に、国っていうものが街って単位をコントロールする力が強い場所で、参加型の街づくりみたいなどれほど存在するんだろうとか、そういったところを牽引するような新しい動きとか団体っていうものがあるのかっていうのも、ちょっと今気になってます。
参加型の街づくりっていう規模だと、正直僕も何かいい事例が思い浮かばないんですけど、コミュニティデザインっていう感じで、それこそ団地単位では非常に盛んに行われていると思います。
この団地の住環境、使われていない空間どうするんだとか、共用部分とかをどうするんだとかっていうことに関しては、実際に住んでいる人とかの意見をちゃんと集約した上で、デザインするためにワークショップを開いたいっていう、そういう手法がすごい注目されていて。
39:04
日本の例えば相場新さんとか、あとは、ちょっと名前ほど忘れてしまいました。東大のあの方とか、コミュニティデザイン系の先生ですね。
あとは普通に山崎亮さんとかも、翻訳されて書籍になっているし、相場さんとかも結構何回も中国に行って、そういうワークショップ実践されたりしていましたね。
なるほど。じゃあコミュニティデザインみたいのはやっぱり関心度が高くて、団地でも行われている。
やっぱり団地がそもそも、もともとは国営企業の団地だったので、もともとは全員顔見過ぎみたいな感じだったわけですけど、それが改革開放以後はいろんな人が流動化した結果、コミュニティが崩壊していって維持ができなくなっていくみたいな流れが必然的に生まれるので、
しかし作られている空間を維持管理して改善しなければならないっていうときに、単に箱を作るだけではなくて、ソフトからきちんと人々と一緒に話し合いながら作っていきましょうっていう風な、そういう流れでコミュニティデザインが注目されるようになったっていうことですかね。
なので、三角型まちづくりも必然的に生まれるだろうし、多分あると思うんですよね。ちょっと僕が存じ上げないだけで。
あともう一個聞いていいですか。もう一個。廃墟モールについて。廃墟モールはご存じですか。
聞いてないですか。聞いてないですけど誰にって感じなんですけど。噂聞いてないですかみたいな。
これもやっぱり不動産バブルというか急激な都市化で、めちゃくちゃ巨大なモールが今、それも国営モールとかなんですけど、巨大な商業施設が廃墟化し、でも国営だからシャットダウンできずに、電気だけついて街の中にポコポコとそういう巨大モールが廃墟化しているみたいな。
コースト。
そうそう、それがすごい面白いなと思って、このモールは一体今後どうなっていくんだろうみたいなところで、モール以外にも多分このように急激に建てられたものが廃墟化していくっていうスピード、中国結構早いんじゃないかなと思って、
そういう廃墟がどうなっていくかみたいなものもちょっとお話ししてみたいなと思ったんですよね。
廃墟モールっての僕はあんまり知らなかったですよ。
なんか今ネットで調べてみたら結構あるんですね。
ショーカッピングモールが廃墟状態になっているっていうのは。
42:01
そうですね、箱を作ってその箱の使い道がわからずに廃墟化するっていうのは、結構ありがちですよね、中国では。
不動産開発でゴーストタウンになっちゃって、建てたはいいけど全く入居されずにあるいは投資目的で買うだけで人が住まないみたいなのって、
有名なところだとウチモンゴルのオルドスとかあるんですけど、建てたはいいけど使われずに廃墟化するみたいなものは、結構テンプレ的にはありますっていうのが一つですね。
オルドスとかも建てた、オルドスに借りられたんですけど、建てた後に数年何も使われなくて廃墟になってるねこれもみたいなことを思ってたら、
いつの間にかちゃんと人入ってるっていうケースもあったりして、結構予断を許さないっていうか、
意外としぶとく使い道探してうまくいったらきちんと再生するっていうパターンも印象に残っていた事例があって、それ名前出てこないんですけど。
なるほど。
だから、それこそさっきの団地の再生でコミュニティデザインがあって話があったように、箱を作って一旦廃墟になった後に、それどうやって生かすんだっていうのは、地道にやろうとする人は出てくるんじゃないかと思うんですよね。
特に、中国はご存知のようにサステナビリティとか、その辺に非常に最近関心を強めているので、建築でもリノベーションとかコンバージョンが非常に盛んで、上海ももはや新築よりもコンバージョンとかが面白いっていう時代になってきていて、
だから、そういう廃墟モールみたいなものがたくさん出ているんだとすれば、必然的にそれをどうやって生かそうみたいな、そういう議論とか実践が生まれるんじゃないかな、ちょっと楽観的すぎるかもしれませんけど。
ちょっと注目していきます。
最後の最後に内川さんが今注目しているトピック、事例などあれば、それに加えて宣伝というか今後の活動の何かもあればお願いします。
45:15
そうですね。歴史研究というのは地味な仕事なので、あんまりきらびらかなことは言えないんですが、最近はコロナで海外行けないということも大きいんですけど、
日本と中国とか日本と台湾とか、戦後の日本とアジア諸国の建築とか都市計画の交流みたいなものに関心があって、その辺を今いろいろ調べて文章を書いたりしてますね。
だから例えば大阪万博の時のパビリオン、アジアのパビリオンがどうで、誰が設計して、それはどういう意図だったのかとか、そういうことを調べたりしていますね。
その辺に関心があるっていう感じですかね。すごく大きく言ってしまうと、日本の建築史を考えるときに一国志観っていうのがすごい強いんですよ。日本建築史とかある国の建築史みたいな。
そうではなくて、もうちょっとアジア地域の中での地域史とかグローバルヒストリーとか呼ばれているような、そういう見たてで、特に戦後という時代の建築史を少し考えてみたいなというふうに今やってます。
むちゃ面白いですね。リスナーの皆さんもぜひ市川さんの著作であったりとか、あと建築討論もですね、私の記事も読めますのでってめっちゃ宣伝ですけど、ぜひ市川さんの文章すごい素敵なので読んでいただければと思います。
はい、市川さんのね。はい。じゃあ今回はありがとうございました。
ありがとうございました。
グッドニュースフォーシティーズでは毎週新しいエピソードを配信しています。次回もお楽しみに。
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