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中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
こんにちは、コミュニケーションを極めると自分が見えてくる、世界が見えてくる、コミュニケーション命、シン・田中こと田中愼一です。今日もよろしくお願いします。
高木 恵子
はい、SEからPRコミュニケーション業界に転職して、はや四半世紀、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきた、アメリカ在住、中川浩孝です。
前々回からの続きです。引き続き、お楽しみください。
偶然性と好き嫌い
田中 愼一
いや、僕なんかは逆になれるというか、嘘でもいいから、そのふりをするんですよね。
中川 浩孝
なるほどね。
田中 愼一
で、それやってるうちに徐々にそれを受け入れられるようになってくるんだけども。
いずれにしてもやっぱりね、何か起こった時に、それが自分にとって良いことか悪いことかって大体考えるんですよ。
中川 浩孝
なるほど。
田中 愼一
で、起こったことが悪いことと良いことって分けるんだけど、でも結果、どっちが良いのかって分かんないんですよ、絶対。
中川 浩孝
うんうんうんうんうん、そうですよね。
田中 愼一
それなのに、あの、パッと入った瞬間、起こった瞬間に良い悪いを分けちゃうんですよ。
高木 恵子
あー。
田中 愼一
で、良い悪いで分けるっていう。
で、あの、人間の、まあ煩悩の一つでもあるんだけど、その色付けして分けるっていうことが悪っていうかね、いわゆる悩みの種になっちゃうわけですよ。
高木 恵子
あー、そうですよね。
田中 愼一
若いと思ったら、もう、ちくしょう、もうっていうことで、なんで俺はついてないんだってこういう発想になるし、よく思えば、あ、嬉しいな、これはこうだなっていう、あるわけですよね。
うん。
で、結構やっぱり。
やっぱりなんとか、例えば好き嫌いなんかもそうですよね。
高木 恵子
うん。
田中 愼一
パッと来て、例えば、えーと、えー、好きな、えー、なんとか、えーと、ものが来たり、嫌いなものが来たり、えーと、そういうところでもやっぱりこう分ける、好き嫌いで。
高木 恵子
うん。
田中 愼一
これは自分にとって好き、これは自分にとって嫌いっていうのはね、あのー、分けるっていう、これはね、結構強かったんじゃないかなと思うんですよね。
なるほど、そうか。
だから。
やっぱりは、そこあたりっていうのは、あの、あの、あんまりもう、達観してるのかもしれないから、だから、逆に言うとね、達観できない人が、例えば、その仏教とか、そういうとこに入っていっちゃうね。
中川 浩孝
でも、それは確かにちょっとあるかもしれないですね。
田中 愼一
多分。
高木 恵子
それって、あの、こう、今、今の年齢になったから、そういう思考回路になってきてるのか、割と若い頃から、そう、そういう感じだったんですか?
そういう感じっていうのは、好き嫌いの嬉しいっていう。
あ、だから、そう、そうですね。
あの、その、すべての物事に関して、何か、こう、判断をしてしまうっていう。
田中 愼一
判断、まあ、判断というか、決めつけちゃうというか、思い込んじゃうというか、要は、好き嫌いっていうのが激しいって言ったほうがいいかもしれないですね。
高木 恵子
ああ。
田中 愼一
だから、自分が気に入ったこと、嫌いなことっていうのと、それから、あと、なんていうのかな、えっと、実際に起こった事象が、事象に対して、それを、あの、はっきり言って、なんていうのかな。
えぇ……
客観的じゃないんですよね。
あのー、起こったもん、まあ、あのー、仏教用語で言うと、分別知っていう、分ける知って書いて、あの、要するに、物事はすべて分ける。
まあ、科学はそうなんですけどね。
高木 恵子
うんうんうんうんうんうん。
田中 愼一
科学は全部分けるじゃないですか?
高木 恵子
はい。
田中 愼一
全部分けて、その分けたものの要素同士の関係性を、こう、繋げていくっていう話なんだけど。
うん。
あの、やっぱり分けるっていうことが、
うんうんうんうん。
その中でも、その、好き嫌いってことがあるし、そういう意味できれば、やっぱり、仲介なものを、やっぱり、そういう意味できるってことだよね。
好き嫌いで分けるっていう
分けるっていうのもいろいろあるんですよ
でもやっぱり
人間が
こうなんていうのかな
ある意味で悩む
一つの原因っていうのは
好き嫌いあるいは
これいいこれ悪いっていう
そういう風に
それを色付けしちゃう
目の前で起こってる
それはね結構
多分
偶然性と悩み
田中 愼一
大多数の人間はそうだと思うんですよね
高木 恵子
そっか
田中 愼一
お二人はだからその大多数から
なんていうかな
上に超越してるから
中川 浩孝
上か上かは分からないですけど
田中 愼一
でもそうだと思うな
高木 恵子
なんかでも悩む
私もでも
いつからかは分かんないですけど
なんかやっぱり昔
嫌だなと思ったことで
悩むわけじゃないですか
悩むことが
悩むことも
大変じゃないですか
悩むというか
なんでって
考えちゃうこと自体が
嫌になっちゃうと
じゃあもう悩まないようにしよう
ってなった結果が
結局そこで
区別をしない
田中 愼一
でしょ
だからそこはまさに
霊性というか
霊能力者の
けいこさんのことだから
そういう境地に
結構サッと入っちゃったんだよね
そっかそうなんですかね
人間っていうのは
四六時中悩んでるんですよ
いろいろなことで
中川 浩孝
それつらいですね
田中 愼一
つらいでしょ
だから結構
四六時中人間っていうのは悩んで
ほとんど人間そうだと僕は思ってるんですけど
そうすると
なんで悩むのかっていうと
なんていうか
いわゆる好き嫌いを明確に
しちゃうんですよ
あるいはこれは悪いことだ
これはいいことだって決めつけちゃうんです
そうすると
非常になんていうのかな
悩むんですね
そこになぜかというと
自分の思った通りにならないから
だから自分が思った通りになるのが
いいことで
自分の思った通りにならないのが悪いことで
っていう風に決めるでしょ
そうすると
自分がいろいろやってて
人が動いてくれないとか
何も
こういう風に
狙ってたことができなくなった時っていうのは
やっぱり人間がっかりするわけですよ
だからそこのね
がっかりしたり喜んだりっていう格差っていうのが
だからそこをどう
そこを乗り越えるっていうの
だから逆に言うと
前もちょっと言った
キリスト教のイエスの言葉なのかな
要は右頬を打たれたら
左頬を出せっていう
つまり
打たれても殴られてもありがたいって思う
そういう境地を教えるのが宗教っていうかね
だからそれが必要のない人っていうのも
だからお二方みたいにいるんだけど
必要のある人間のが多分圧倒的多数だと思います
だって悩んでない人いるっていうと
ほとんどみんな悩んでない人いるんですよ
悩んでるって手を挙げるから
だから悩みの原点っていうのは
やっぱりそういうとこにあるんじゃないかなと
自分のその偶然性っていうのは
予想もしなかった子が目の前で起こるわけですよね
どんどん起こっていく
そうするとそれをやっぱり
やっぱり受け取っちゃうんですよ
ブワーッとこうなると
起きたって受け取って
そこに対してこれは判断しちゃうんですね
いいことか悪いことか
好きなことか嫌いなことかって瞬時に
でそれが実は尾を引いていくわけですね
偶然性の受け止め方
田中 愼一
だって悪いことだと思った瞬間に
これ悪いんだっていうのはずっと引きずりじゃないですか
そうするとだんだん元気がなくなっていくとか
ただいいことだったら逆に
今度は元気が出てくるとか
でもその不安定なところっていうのが
実は悩みが多く出てくるんで
だからそこを超越できるような感覚っていうのを
やっぱり育てないとかなり厳しいんじゃないかなと
いうのが実際そうですね
だから偶然性っていうのを
どう受け止めるのかっていう
その受け止め方っていうのはある程度
工夫することが
過去を見た振り返った時に
結果したたかになってきたなっていう
結果良かったねっていう
あの偶然が来たけど
あのおかげで良くなったねっていうような
田中 愼一
後から見た時にはね
後から見た時にそう見れるようなものを
現在進行形で仕掛けられるかどうかっていう
高木 恵子
なるほど
田中 愼一
ある意味ゲン担ぎなんかそうですよね
願掛けとか
高木 恵子
そうですね
田中 愼一
あれもだから一つのおまじないかもしれないけど
高木 恵子
そうですね
田中 愼一
でもあれも一つの表現なんですね人間にとって
その表現が何らかの
人間は絶えず表現してるんですけど
表現っていうのがいろいろな形で
こう周り回って
周りがその表現によって影響されて動き始めて
それが結果として
1年後にこういうことが起こるとかね
っていうのはある程度なんていうのかな
まあ想像できますよね
そういう絡みがあるっていうか
巡り合わせには
中川 浩孝
まあでも良いことを探しがちか
悪いことを探しがちかっていうのは
すごい大切だと思うんですよね
今のその後から見た時に
あれがああいう風に繋がっててっていうのは
良い方にもともに
取れるし悪い方にも取れちゃうんですけど
基本的にやっぱり後で
良い方に考えられればすごくいいと思うんですけど
あれがあったから自分はこうなって
こうなってこうなっちゃったっていう
私基本的には不幸せな人っていうのは
幸せを見つけられなくて
不幸せなことをばっかりが見えてしまう人だと思っているんですけど
っていうのは別に人々にそんなに
もちろん不幸な人っていうのは
アンラッキーな人っていうのはいるとは思うんですけど
でもその人にじゃあ
何にも幸せなことがないかって言ったら
そうではなくて必ず本当はあるはずなんですけど
多分見逃してるんじゃないかと思うんですよ
どちらかというと悪いことに
目は行きがちなので
そこに集中しちゃうというか
こういうことばっかり起こって
自分はアンラッキーな人間だと思えば思うほど
またアンラッキーなことが見つかっちゃうんですよね
きっと
その負の連鎖みたいなのを多分どっかで
解いてあげないと
田中 愼一
確かにねただ
重要なのはアンラッキーや
ラッキーってないと思うことが事実だった
中川 浩孝
その通りですよね
だから
田中 愼一
よくストーリー
テーリングは
こういうことだっていうのを教えるんですけど
その時に一番重要なのは
自分の過去を意味付けろ
っていうことですね
自分の過去を
じゃあどうやって意味付けるか
自分の過去っていうのは事実は変えられないわけですよ
でもそれぞれの事実の
意味付けは自由自在になるわけですね
そうすると
基本的には
自分が元気になるような
今現在進行形で
元気になるような
意味付け
主観の重要性とトランスフォーメーション
田中 愼一
自分の過去の意味付けをしろって教えるんですね
それはどういうことかというと
所詮はですね
不幸だ
幸せだあるいは悲しい
嬉しいっていうのは全て主観の問題であって
主観がどう
それを感じ取るかで
幸せだったり不幸だったり
っていうのがあって
絶対的な存在として不幸があるってことじゃないと思うんですよね
だから
基本的には多分
不幸も
幸せも
あるいは好きも嫌いも
そういう二元論的な
発想ってのはもうなくてもともと
自分の外にそういうものがあるって
思い込んじゃうだけの話であって
そうじゃなくて
結局自分がそれを受け止め方に
それがポジだったらそれはポジだし
ネガだったらネガだし
だから人間として工夫できるのは
例えば僕
なんかのような
結構くよくよする人間はですね
どっちかというと
受け取り方をすべてポジにしちゃうんですよ
高木 恵子
そうですね
田中 愼一
嘘でもいいからポジで考えろっていうね
そうするとだんだんそれをやっていると
物事の受け取り方がすべてポジに
トランスフォームしていっちゃうんですね
そうすると
出会うものすべてがもう
チャンスがあるんですよ
っていう感じ
でよくクライシスコミュニケーションの時に
ピンチしかないんで
そのピンチの背後にチャンスを見つけろ
っていうことをしょっちゅう言うんですけども
あれも主観の世界なんですよ
高木 恵子
確かに確かに
田中 愼一
社長っていうのが一番被害者意識を持つんだけど
その社長がですね
やっぱり今目の前で起こってる
もうピンチしか実証はないんだけども
でも
主観的な
その受け止め方を変えることによって
実はその背後にピンチチャンスが
あるって見えるようになってくるっていう
だから主観の世界っていうのは
実は結構重要で
我々は
近代社会に入ってから
いわゆる客観性の重要性を
叩き込まれちゃってるんで
客観的に説明できないものは
存在しないっていう
客観性の
ある意味呪縛
っていうのかな
つまり必ず相手と自分って分けるじゃないですか
あるいは見てる対象と
自分って分けるじゃないですか
科学っていうのは
見ているものを
どんどん分けていくわけですよね
そこから
つながりをどんどん
究明しながらって
必然の世界をどんどん
作り上げていくってこんな感じですよね
だから
でもそこにはやっぱりもう一つ欠けてるのが
主観で
じゃあ主観の世界はどうなのか
客観の世界と主観の世界を
どうこうなんていうのかな
バランスを取っていくのか
っていうのは結構人間生きていく上で
結構重要なんじゃないかなって気がしますよね
偶然と向き合うときってのは
かなり主観の世界が入っていくんじゃないかなと
高木 恵子
まあそうですね
そうかもしれない
だから偶然ってあんまり思わないから
それが主観なんですよね
私の場合多分ね
田中 愼一
主観だと思いますよそれ
だから超えることができるんですよ
超越
ってことは
主観をちゃんとマネージしてるってことですよね
中川 浩孝
そうかもしれない
高木 恵子
そうなのか
田中 愼一
それは主観をマネージしてるってのは
どえらいことで
自分との対話をかなりやられてるんですよ
多分
高木 恵子
でもそれはしてるかも
子供の頃から
でも一人っ子ってそうじゃなかったですか田中さん
田中 愼一
いやあのね
僕は間違った方向行っちゃったんですね
けいこさんは
実に
あるべき姿で
こう進化していったんですけど
僕の場合は
自分との対話っていうものの中に
なんていうのかな
変な意味での客観性ってのが入ってきちゃって
周りからどう見られてるかとかね
そういうことで周りを気にするっていう
高木 恵子
あーそっかそっか
田中 愼一
で周りを気にするとなると
あのなんていうのかな
えっと
逆に客観的にどう見られてるかとかね
高木 恵子
そうですね
田中 愼一
そういうとこにこだわっちゃって
それが
いわゆる主観のトランスフォーメーションをですね
けいこさん並みに
ちゃんとこう行くのをですね
ちょっと道を外れて
グラグラ
なよなよなってきて
で今この歳になっても悩んでる
こういう感じです
でも
主観の問題って気がつき始めたのは
結構ね
50ぐらいに過ぎてからですね
高木 恵子
あー
田中 愼一
あまりにも客観
物事を全て客観で考えるっていう話があったんだけども
特に50からどんどんどんどん
もうね
どんどんある意味で言うと
死に近づいていくわけじゃないですか
でね
死を納得
死を受け入れることを納得するかしないかって
客観的な説明をされても
一切納得しませんよね
中川 浩孝
まあそうですね
田中 愼一
要するに
実はあなたは死ぬってこういうことで
こっからこうなって
これが老化っていうことで
こうこうこうで
それあなたは死ぬんですよ
これはもう客観的な事実なんですよ
さあ納得してくださいって言われても
冗談じゃねって話じゃないでしょ
中川 浩孝
そうか面白いですね
それそれにさえ抗おうとするというのは
田中 愼一
そうそうそうでもそうするとね
そうするとですね
あとどこに頼るかって言うと
もう客観には頼れないわけですよ
うんうんそうすると
もう主観しかないんですよ
高木 恵子
なるほど
田中 愼一
すると主観がそれを受け入れるかどうかの話になってくるわけですよ
高木 恵子
うんうん
田中 愼一
死というものを
中川 浩孝
うん
田中 愼一
多分人間客観では絶対救われないと思いますよね
そうするとどうなるかって言うと
主観をどうトランスフォームして
死を受け入れるかっていう方法しかないんじゃないかと思うんですね
中川 浩孝
確かにそれはその通りですね
田中 愼一
そうすると結構年取ってくると
いろんな人たちが死が近づいてくると
死を思うと
そこをどうなるかって言うと
乗り越えられるのか
あるいは中にはすごい達観した人がいて
来れば来いと言うだけで
その時をね
もう瞬時に終わることだから
そこでもういいという人もいるし
みんなそれぞれ死に対して
それぞれの向き合い方をみんな考えてるんですよ
うんうんうん
考えるようにさせられちゃうんですよね
年取るとねどんどん
高木 恵子
そうですよね
田中 愼一
その時にやっぱり自分の主観っていうものっていうのを
どう言うかって言うと
くるめるのか納得させるのか
あるいは納得させる必要もないのかもしれないけどね
分からないです
でもなんかそういうとこから主観っていうのが
人間の思考回路と均衡点
田中 愼一
一体どういう役割を果たすのかなっていうね
高木 恵子
あのだから主観が自分にとって
ちゃんと腑に落ちた方が
自分が安心するんだったら
ちゃんと落とし込めばいいと思うんです
田中 愼一
そうだと思いますね
それが自分との対話になると思うんですよね
高木 恵子
そうそうなんです
だからそれが
それで安心するんだったら
そのもやもやしてるんだったら
その主観をちゃんと自分の中に腑に落ちるように
落とし込むように
自分で何か考えたり何かをするっていうのを
繰り返せばいいし
その主観のままでも別に何とかやってるんだったら
無理にそこを何かどうにかしようなんて
やることもまたエネルギーがいるから
それはそのままもうほっとけばいいんだと思うんですよね
田中 愼一
ほっとくというか
なるほど
田中 愼一
ただ最近ね
なんていうの最近でもないのかな
自分との対話をやっていって
今さっき言った
安らぎて落ち着くって言いましたよね
自分と対話して落ち着く
どうもね
自分とだけの対話だと
もう一人の自分との対話だけだと
やっぱり落ち着け安定
均衡点にいかないんですよ
高木 恵子
田中さんほら
二重人格とか三重人格があるからじゃないですか
田中 愼一
いやいやいや
いやもうそこあたりを自分の主観としてね
主観とか主観の世界だっていう風に
二重人格言ってもいいですよ
それ主観でね
でもあのね
どっちかというともう一人の自分と
自分とあともう一つ
うん
三極が必要なんですよね
高木 恵子
なるほど
田中 愼一
三極っていうのが多分
宗教の原点だと思うんですよね
人間って
人間って
安心するっていうか落ち着くっていうか
腹落ちする時っていうのは
自分との対話
だけじゃなく
もちろん相手との対話も入ってくる可能性はあるんだけども
実は
自分との対話にしても
相手との対話にしても
一対一ですよね
二人の間のこの対話になるんですけど
実はもう一つね
上の方に
いろいろ言い方言うと天とかね
人によって神様とかね
あるんだけど
やっぱりそことも話をつけとく
高木 恵子
なるほど
田中 愼一
そうすると一つのね
均衡点が出来上がるっていうか
安定するんですよ均衡が
二人だけだと
四人だと全然バラバラだし
二人だとダメなんだけど
三人だと均衡点になるっていうね
高木 恵子
これ
田中 愼一
平田オリザさんという
演劇脚本がいるんだけど
この話したと思うけど
コミュニケーションっていうのは
基本的には
二人じゃダメ
三人から
三人からやると均衡点になるような
会話が出来るんだけど
それにちょっと似てるんだけども
人間ってやっぱり実は三点でね
抑えないと
安定しないんじゃないか
例えば思考でも
よくトレーニングの時に言うけど
三つのマジックでまとめろって
三つでまとめろとかね
五つでまとめろとか
例えば話をする会話であれば
三つに要点をまとめろとか
あの
いわゆるパワポだったらせいぜい
五つにまとめろとか
論文だったら七つという風に
なんかその奇数
特に三っていう数字は
人間の思考回路というか
以上になんか均衡してる
形で
っていうのがよくあるんですね
自分が話してる時に三つにまとめると
本当に頭の中にスッと入ってくるんですよ
一番納得できる形が
三つ
なんですねポイント
でもやっぱりね
なんていうのかな
自分との対話も
自分ともう一人の対話
相手だけじゃダメで
もう第三がそこに上の方に
誰かがいないと
ただその存在っていうのは
主観の中から出てきにくいんで
主観の持ち方を変える
田中 愼一
主観を超えたなんか上の方のものっていう
なんか人間には多分宗教がこれだけ
ずっと流行ってきたってことは
見えない何かを
崇拝するっていう
癖っていうか
成功というか
そういう性質っていうのを
人間持ってるんじゃないですかね
何か何かを崇め
奉るとか
なんか自分や
自分と同じ相手
隣にいる相手以外に
上の方にもう一人相手がいるんじゃないか
そういう感覚もしかしたら
あるのかもしれないですね
中川 浩孝
なんかでも今日ずっと話してきて
私がちょっと思ったことは
それだからこそ
その主観をもっと
強く主観の持ち方を変えろ
という話ではないんですけれども
ただ逆説的にというか
そうなった方がいいなと
そうなった方がいいというか
そうした方がいいなと思って
何言ってるか分かんないと思うんですけど
田中 愼一
分かんないね
中川 浩孝
AIが生活の中に
今後どんどんどんどん
侵入してくるというか
入ってくる世界がやってくると
AIというのはそれこそ前にも
田中さんがむしろおっしゃってたと思うんですけど
いろんな今まであったこと
巨大なデータベースを
使っているわけじゃないですか
ということは可能性で
あらゆる可能性を考えられるものだと思うんですね
田中 愼一
で
中川 浩孝
その中で偶然というのはもちろん
偶然性はもちろん確率の問題なので
小さい確率のものであればあるほど
AIも想像しにくいんだと思うんですよ
なので
これから人間がやっぱりやるべきこと
っていうのはまさにでも偶然に対応する
ところだけなんですよね逆に言うと
あとはAIにお任せできるんですよいろんなことが
田中 愼一
まあそうですよね
だからこそ偶然とどう向き合うかって
やっぱり議論しておくのが重要
中川 浩孝
そこにだけフォーカスするくらいの方が
いいってことなんですよむしろ
想像できる部分は
想像してももうあまり意味がなくなってくるので
そこは放っておくというか
こういうことがあるかもしれないなっていうのを
期待すること自体が
人間にとってはあんまりもう無駄になってくるんじゃないか
偶然性に対する免疫
中川 浩孝
ちょっとしたりしたんですよね
今考えていて
むしろそれが偶然に対して
いい悪いを判断したりとか
それが偶然に対していい悪いを判断したりとか
一喜一憂するみたいなことをやり始めちゃうと
そこだけにだから人間は
フォーカスせざるを得なくなってくるので
さらに人間の生活は辛いものになっていくというか
その考え方を排除しないと
さらに大変な世界がやってくるんじゃないか
っていう気がちょっといましたんですよね
田中 愼一
まあそうでしょうね
やっぱり
そういう意味で
AIと人間って考えたときに
やっぱり人間の方が
感覚機能は全然
発達してるんですよね
もちろん
五感六感っていうところまで
六感も含めて考えるとね
だから結局
頭だけでロジックだけで考えてるっていうのは
やっぱり感覚機能としては
非常に一部のものしかなくて
だからやっぱり体を動かすっていう
だから動物なんでね
我々動くものですから
動いて初めて
全体の環境から受信して
その中からいろいろな発想とか
いろいろな
アイディアとかそういうのが生まれてくるわけですよね
だからやっぱり
そこを生かすっていうことが
多分これから人間が生き残っていくことが重要なんで
そこはAIが
そこまでいくかどうかAIがね
ただAIの感覚って全てデータですよね
しかも過去のデータじゃないですか
そうですね
だからやっぱりそこはね
さっきヒロちゃんが言ったように
人間がやっぱり注力すべきは
偶然性の世界で
必然性の世界は
少なくともAIに任せときゃいいと
いう風になる
っていうのは結構納得感ありますね
中川 浩孝
だから主観を鍛えていくとか
偶然性に対する免疫をつけていく
っていうことは今後
さらに大切になってくるのかな
田中 愼一
大切になってくる
主観を鍛えるってすごく重要だと思いますね
あまりにも我々客観の世界に
行き過ぎてて
主観がすごい
弱くなってるんですね
やっぱり主観を
鍛えるって僕絶対的に重要な要素かなと思ってて
だからその
ただその時の主観というのと
いわゆる自我意識っていうのと
これどういう関係になってるのかっていうのが
僕にはまだ明確には分かっていない
で一応ね
あのユングのですね
自我と無意識って本買ったんですけどね
ここにですね
いわゆる主観の意識を鍛えていくっていうのが
ここにですね
いわゆる主観の意識を鍛えていくっていうのが
主観っていうのがどこに隠れてるのか
つまり主観っていうのは
自我の
もともと自我っていうのは
意識の世界のものなのかどうか
あるいは無意識がそこに関わってるのかどうか
自我に
多分ね関わってるんだと思いますよ僕は
でそうするとその
無意識と意識の世界の中で
自我っていうものがあって
でその自我と主観って
どういう関係になってるのか
でこれさっきから読み始めたんですけどね
これが偶然
さっき出会ったもんですから
中川 浩孝
偶然ね
田中 愼一
部屋の中で
これいつ買ったのか記憶には全然ないんですけどね
だからやっぱり
結構これからは主観っていうものを
鍛えるっていうことで
そうすると自然的に自我っていうものと
向き合わなきゃいけなくなるし
あと意識無意識の世界と
今どうなってるのかっていうのを
考えるっていう
こういうのはやっぱりなんか分かんないけど
面白いですよね考えていくと
だからあのね
僕の冒頭の言葉に
このコミュニケーションを極めると
自分が分かる
世界が分かるっていうのは
ますます自分と世界が分かってくる
っていう感じですよね
自分って結構未開拓市場じゃないですか
自分って誰?
って言った時に
我々が思ってる自分ってのは
意識の世界にある
えっと
なんとか自分ってのは確かに分かってるけど
無意識の世界に潜んでいる自分って
どんなのかなっていうのは
たまに興味ありますよね
ひろちゃんどうしたの?
なんか考えて
中川 浩孝
いやー無意識の自分って何なんだろうって
じゃあちょっと今考えてました
高木 恵子
無意識の自分がいるんだっていうことにすら
私は今まで考えたことがないかも
中川 浩孝
次回は1月の2週目に配信予定です
どうぞ来年もよろしくお願いします