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2023-02-02 08:56

#505 大寒波の中、散歩にフルコミットして気づいたこと

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死にそうになって、はじめて生を強く意識する。


▼上水優輝

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▼Twitter @y_uemizu

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、大寒波の中、散歩にフルコミットして見えたことについてお話ししたいと思います。
先日ですね、あの福岡は大寒波でですね、
すごい寒かったんですよ。マイナス3度みたいな感じで、福岡人からするとありえない気温ですね。
普段どのくらいかな、10度切るぐらい。まあ7度8度とかでめっちゃ寒いって思ってるんですけども、マイナス3度みたいになっててですね、どうしたもんかなという感じでした。
最近、僕はですね、散歩を日課にしていて、
というのも、寒くなって冬になってからですね、
家で働くようにしているんですね。結構リモートワークなんで、
もちろん家でも働けるし、どこでも働けるんですけど、暖かい季節っていうのは、
カフェに出かけたり、シェアオフィスに行ったり、下手したら公園で働いたりとか、かなりその日の気分で外で働いたり、お店で働いたり、
オフィスで働いたり、家で働いたりとかっていう、かなりね、場所を変えて働いているんですけれども、
この12月以降、寒いなあと思って、家から出たくなくなって、家で働くことが増えているんですね。
で、そうなってくると、朝起きてから仕事を始めて、
っていう感じでずっと家にいるから、なんかね、精神衛生上良くないと。
僕はやっぱり、動くことによってストレスが発散しているというか、何かが発散されているなあと思うので、
1日1回ぐらい外に出たいということで、最近は仕事が終わったら散歩に出かけるっていうのをやっています。
なので、この大寒波の中もですね、大寒波だからと言って家に閉じこもっていると、
丸1日、寒波が何日か続きましたから、下手したら2日3日後、家から出ないみたいな、ちょっと僕はね、
嫌だなあと思って、知るかということでですね、外に普通に散歩に行きました。
するとね、家のドアを開けて外に出たら、もう吹雪なんですね。
ここは福岡かどこか、一体どこに来たんだみたいな感じに、一瞬なるぐらいのすごい寒さだったんですが、
まあね、せっかくだし、こんなこともあんまないから、雪の中ね、吹雪というか、吹雪の中ね、散歩に行こうということで散歩に行ってきました。
結構歩いたあたりで、その吹雪も強くなってきたし、
道も夜なんで、だんだん凍結してきて、道行く人たちがね、転びそうになってるみたいなのがあってね、僕も転ばないように意識しながら歩くみたいな。
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で、吹雪になって、もうクッソ寒いし、なんかね、その時に若干、
あ、ちょっとこれ下手したら死ぬかもな、みたいな感じになってきたんですよね。それぐらい、家から遠いところに向いてたし、
あの、吹雪だし、なんか知らんけど、ちょっと薄着で行ったし、みたいな感じで、もうね、割とピンチみたいになったんですよ。
死ぬかもなって思った途端に、なんか急激に、あ、生きてるんだな、みたいなことを
感じたんですよね。 まあ、生と死みたいなものがやっぱり隣り合わせというか、
あの、すごくね、セットなんだなっていうことを思ったし、日頃ね、死みたいなものを意識するとか、思いっきりその、生きてるな、みたいなことを意識する、みたいな、そういう振り切った感覚、みたいなのにならないので、その中間にいつもいて、あんまり生きてる実感が持てないな、みたいなのを、
持ててなかったな、みたいなことを、その感覚を得た時に、
改めてね、気づいたんですね。いかに自分が日頃、生とか死みたいなものを意識していないか、 そしてその意識しないことによって、この生に対してあまり臨場感を持っていないっていうところですよね。
これはね、おそらく、僕のそのパーソナリティみたいなものをかなり影響していると思ってて、 よくあの、友人からも指摘というかね、そうなんじゃないかって言われるんですけれども、
あの、僕は現実感がとても薄い人間、その目の前のことに対して臨場感を感じづらい人間なんじゃないかって、いつもね、ずっと俯瞰しているというか、
なんか遠目から見ているような感じなんですよね。それを意識して見ているわけじゃなくて、臨場感を感じづらいから、結果として、その遠目からものを見ちゃう。
だから映画とか見ても、あんまりこう、入り込みづらいし、相当集中しないと、相当意識して入り込もうとしないと、その物語に入り込めないみたいな。
物語の構造だけが見えてて、あんまりそこに出ている人たちに感情輸入しづらいみたいなところがあるなぁと思っていて、
それは別に物語だけではなくて、自分自身の人生という物語に対しても、そんなに現実感がないというか、
あんまり自分の身に降りかかってきているいろんな大変なこととかに対しても、多分人以上にダメージを受けていないというか、
なんか現実感がないから、それも現実感がないからだと思うんですよね。リアリティがないから、ある種他人感覚ぐらいのノリで自分が抱えている問題と向き合っている。
それは無責任という意味ではなくて、ダメージをあんまり受けていなくて、なんか他人にアドバイスするような感覚で自分にアドバイスしているみたいな感じがあるんですよね。
なんかそういう感覚が。で、ちょっと話が脱線しましたけど、そういう現実感があんまりない感じで生きていると、
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この大感報の中で死にそうだなぁとかいう感覚を得たときに、生きてるなぁ、すごい生とか死みたいなものに臨場感を感じて、
覚醒した感じがしたんですよね。だから日頃、いかに平和にというか、生とか死みたいなものを意識していないか、
臨場感を感じていないかってことを自覚させられたんですよ。で、こういうのって大事だなぁと思って、
まあ確かにね、今世界では戦争とかも起こっているし、いつどこで戦争とかそういう平和が脅かされるかみたいなのは分かりませんけれども、
現状、今この瞬間僕は別に命の危機に脅かされていないという中で、
あんまりね、隣の家の人が僕の家に急に襲撃に来るとか、道端でいきなり刺されるみたいな確率はすごく低いと思っているんですよ。
だからといって、それに甘んじるじゃないけども、甘んじるというか別に襲われたいわけではないですが、
だからといってね、死なないとか、生きてるとかっていうことをあんまり意識しないのもまた良くないなぁってすごく思ったので、
今後はですね、なんというか意識的にね、死にそうになることをした方がいいなと思いましたね。
死にそうになるというのは本当に危ないことをするというよりは、まあ疑似体験でもいいんだけども、
死みたいなものを意識する瞬間みたいなものを持てる体験みたいなものを、
なんかうまく設計というかね、そういう体験を持っていくことで、別にバンディジャンプ飛ぶとか、そんなのいいんですよ。
死みたいなものを意識する経験というのを増やしていかないと、僕はやっぱり生きてるなぁという実感とか、死ぬなぁみたいな実感が持てていないので、
なんかね、
人生みたいなものが他人事みたいになってしまうなぁと思っていますね。
なかなか僕のような人はいないかもしれないですけれども、最近あんまり生きてる実感が持てないなぁみたいな感じとかになっている人っていうのは、
是非ね、死にそうになる体験とか、もしくはめっちゃ生きてるなぁって思える体験、めっちゃ生きてるなぁって体験する方が難しいと思うんで、
死にそうになる体験みたいなのを、死を意識するような体験をすることで、生きてるなぁって思えるみたいな、そういうのを自分の生活の中に取り入れているというか、そういう体験を時々してみるっていうのは、
いいんじゃないかなと思いますので、よかったらぜひ参考にしてみてください。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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