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2021-02-17 09:14

#279 存在の自己承認

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何者かでありたい人は遅かれ早かれ、精神を病む可能性が高い。どこまで行っても何者にもなれないこと、本当は薄々気づいているのかもしれない。見ないフリをして走り続けている。この道の先には何かありそうだ。けれど、何かがあることと何者かになることは別の話である。私たちは何者にもなれない。/うえみずゆうきが毎日書いているエッセイ【脳内議事録】もよかったらぜひご購読ください!  https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5  マガジン購読者限定の特典として「サイコパスの裏ラジオ(音声)」を毎月プレゼントしています。/番組の感想はTwitterでつぶやいていただけると、喜びます。

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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。 サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、存在の自己承認という話をしたいと思っています。 世の中にはですね、何者かでありたい人が多いなぁというふうに思います。
この話を一回したと思うんですけども、改めていろんな方とコミュニケーションする中で、何者かでありたいんだろうなぁと感じるような人もいたり、
そういうのはもうとっくに突き抜けてますよという方もいたりという、いろんな方を見ていて、改めてこの話をしたいなぁと思った次第でございます。
何者かでありたい人っていうのは、遅かれ早かれですね、精神を病む可能性が高いと、すでに病んでいる人もいるだろうというふうに思うんです。
というのもですね、その自分の道に何かあると、例えば何でしょうね、バリバリの経営者になって、ベンチャーを起こしてね、上場して、
日本を代表する、世界を代表する企業を作りたいんだ、みたいなのでね、やっていくと。作りたいっていうのは、いいじゃないですか、
ただやりたいことってことでいいんだけども、そこで世界でも有数の経営者になりたいんだ、みたいになってくると、
ちょっと危ういなぁと思うんです。やりたいとですね、なりたいは違うということですね。
で、例えばその今の例でいきますと、すごい企業を作ってイケイケどんどんでやっていくと、そうなるとね、この先には何かもっと、今よりもっと
大きな、そして面白い、新しい何かがありそうだっていう感じがすると思うんですが、その未来に何かがあるということと、何者かになるということはですね、全く別のお話なんですね。
私たちはですね、特別、私でない何かになるということはできないというふうに思うんです。
例えばね、バリバリの経営者になって、社会的に名声を得たり、お金を得たり、肩書きを得たりとする中で、
で、何かになったんですか?っていうことなんですよね。経営者です。お金持ちです。有名人です。
で、という状態なわけですよね。周囲からは認められる。いくらでも認められるでしょう。羨ましくられるでしょうと。ところでね、周囲から評価されたところで、
満足できますかねと。上には上がいますから、今評価されているところで満足しちゃうと、それより上にはいけないわけですから、
より大きなところに行こうと思うと満足している場合じゃないということで、ずーっと欠乏感を持ったまま、自分を認められないまま、でも人から見ればものすごい状態になっているわけだから、
みんなは称賛してくる。このギャップにね、むしろ苦しむわけです。自分は自分を認めてないのに、周りは自分を認めると。このもどかしさ、
もっと本当に自分の苦しみを理解してほしいと。今度どんどんね、メンハラみたいになってくるというね、自分をもっと理解してほしいみたいになってくると。
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理解してほしいと言った時に、自分をさらけ出せればいい、弱い自分をさらけ出せればいいんだけども、社会的にはものすごく強くなっちゃってるから、そんな人が弱いところを見せれないとか、
弱いところを意図的に見せることがあっても、本当の弱いところは見せれないみたいな感じで、ずっとこの虚像ばかりが大きくなってしまうということが起こってしまうんですね。
なので、そのいわゆる外的にね、何かを成したり、何かを得たりすることで何者かになったような感じになると、周りからの目は確かに評価はついてくるけれども、それって別に自分の評価とは関係なかったりするんですよね。
5人に認められたから自分は自分を認めることができたとか、そういう人数の話ではないと僕は思うんです。どちらかというと、ありのままの自分が前向きに評価してもらえたかっていうことの方が重要で、
みんなに認められる自分でいることを認められたところで、それはみんなに認められる自分を演じている自分を認められているだけだから、自分が認められているわけではないですよね。
例えば僕がサイコパスで、二つの上がらないその辺のよくわからない人間が、例えばすごく高青年を演じてそれでモテたとしても、それは高青年を演じている自分をモテているだけであって、
本当の自分をモテているわけではないですよね。なのでそれは満足感にはつながらないというか、どこまで行っても自分でない自分が認められているだけであって、
どこか遠目からというか、満たされない感じがあるんだろうなというふうに思います。自分じゃないものを自分だと思われている状態がやっぱり苦しいんじゃないかなと思います。
であれば、100人、1000人、1万人に評価されるために、自分をそっちに合わせていく。いわゆるマーケット側にニーズに合わせて何かを提供していく。
提供はいいんだけど、自分自身がマーケットに飲まれていくのではなくて、自分自身が自分自身であることでたった一人に認められると。このルートで生きていくということが僕はとても重要だと思っているんですね。
それは一見この資本主義に読された社会では大間違いな生き方だと思いますね。やっぱり100人、1000人、1万人、10万人、100万人に認められた方がお金は儲かるし、
民生も集まってくるわけですけども、心がどんどん貧しくなっていくという可能性があるので、そういう何者かになる思考で外側に向かっちゃうととても危険だと僕は思っています。
どちらかというと、まずはね、自分がありのままの自分をたった一人に認められること。それで初めてですね、
なんていうのかな、ありのままの自分でもいいんだということを認めることができる。自分で自分を認めることができるんじゃないかなというふうに思うんですね。
もちろん強い人というか特殊な人は誰からも認められなくても自分で自分を承認できると思いますので、それはそれに越したことはないと思うんですけども、
多くの場合、一人だと心細いという方がいらっしゃると思うので、まずありのままの自分でたった一人、誰か心からそのありのままの自分を応援してくれるとか、
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承認してくれる人を見つけるということが大事なんじゃないかなと思います。それを経て初めて自分で自分を認めることができる。それは何かができる自分ではなくて、
ありのままの自分というその存在を承認するというね。存在を承認した時に、もうそれに勝る自信はないというか、もう生きているだけでそれがもう価値というか、
生きているだけでもそれが意味になるので、何かしなきゃとかいう焦燥感とかもないし、いくら稼がなきゃとかいうね、よくわからない感覚にも襲われない状態になりますので、
そのまず自分で自分を承認するところまで行ってからですね、初めて外側のものを求めてもいいんじゃないかなというふうに思います。一見これもね、
回り道のように見えるかもしれないんですが、下手に自分を承認できていない状態で外側のものをキャッチしていくと、どんどん飲み込まれていって、自分が置き去りになっていく感覚になってしまうと思うので、
まず自分で自分を承認して、その上で社会的に何か成功したいという人はですね、いわゆる成功と言われるというか、目立ちたいのであれば目立ってもいいと思うけど、その時のやっぱり外側のものがどんどん膨らんでいくときに、
回りが起こってくるけども、自分で自分の存在を認めていれば、そんな回りなんか怖くないというか、あなたにはそういうふうに見えるんですね、ぐらいの感覚でいられると思います。
自分で自分を認めることができていないと、人からの評価とかがどんどん違うと思いながらも、じゃあ自分で自分を認めればいいのに、それもできない状態になってしまって、本当に苦しくなってしまうと思うので、
まずね、今の時代ってすぐにやりたいことを仕事にしようとか、スマホ一つで世界に発信できるんだとか言って、外側外側にこうね、煽られている時代だと思うんですが、
まずはやっぱり自分自身を認める、その自分自身を認めるというのは、何かができる自分とか、何かを成した自分ではなくて、存在ですね、自分という存在を承認するという、そこにまずたどり着かないと、外側のものはどれだけでもですね、
満足することはないと思いますので、存在の自己承認ができるようになってほしいなというふうに思います。そしてそのためには、さっきお話しした通り、ありのままの自分をたった一人の誰かに認めてもらうことかなと、
そうすれば、ありのままの自分が世界で通用するというか、世界で通用するニーズがあるかどうかは別として、世界で生きていても自分のこの存在というのは認めてもらえるんだという自信というか、
救いというか、そういうのがあるかなというふうに思いますので、まずありのままの自分でいるということ、そしてそれを誰かたった一人に承認してもらうということ、それが準備なのかなというふうに思います。
存在の自己承認をしてからね、外の世界に向かってバリバリとチャレンジしてみたらいいんじゃないかなと思います。
はい、本日はこんなところなんですけども、どうでしょうね、なんか伝わっていれば嬉しいなと思います。
何者かであれなければいけないというふうに煽られる社会ですけども、そんなもので惑わされずに、まず自分の存在を認めていきましょう。
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本日はLINEが来ました。本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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