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  2. #294 無茶な提案
2021-03-04 06:40

#294 無茶な提案

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自分を普通だと思っているのか、他者からするときっと無茶ぶり以外の何ものでもないようなことを軽々しく提案しがちである。私自身も気をつけたいものだ。/うえみずゆうきが毎日書いているエッセイ【脳内議事録】もよかったらぜひご購読ください! 
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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、無茶な提案というお話をしたいと思っています。
僕の友人に、ちょっとサイコパスっぽい人がいるんですけども、
その友人がですね、先日言ってたことがちょっと気になってというか、
まあ今日のタイトル、無茶な提案だなという風に思ったので、
ご紹介させていただきたいなと思っています。
その友人が言うにはですね、世の中の多くの人のコミュニケーションは、
感情と論理がごちゃごちゃになっていると。
だから、自分が感じているその感情と、
あとはその状況とかをしっかりと分析するというのは、
その論理的な思考と、分けてインプットして、
かつ人に伝えるときは、その感情と論理をうまく分けて表現しないと、
コミュニケーションなんてうまくいかないよね、ということをおっしゃっていて、
まあ、僕からするとその通りだなと思うんですけども、
あくまでそれは、僕が思うにサイコパスの論理なんですよね。
合理的に正しいけども、人間ってそういう作りになっているんだっけ、
っていうその根本的なところを考えたときに、
ちょっと違うんじゃないかなと思うところがあるわけですね。
まあ確かに彼が言うように、嫌な気持ちになるけれども、
論理的には全然間違っていない、正しいということはあるし、
いい気持ちになるけれども、論理的には間違っている、
みたいなこともありますよね。
で、それに対して、どっちが正しいかっていうことはなくて、
その時々に応じてね、
論理的に正しいんだから気持ちに固執しないでね、
っていうことも言えるし、
論理的に合ってるからって言って、
気持ちを無視していいわけじゃないよね、
っていうふうにコメントすることもあるし、っていう感じで、
結局ケースバイケースで、
感情が優先された方が良さそうな場面とか、
論理が優先された方が良さそうな場面っていうのがあるわけで、
確かに感情と論理を分けて認識して整理することができれば、
そういった場面に応じてね、自由自在にコントロールできると、
今回は論理を優先しようとか、
今回は感情を優先しようみたいな感じでできるから、
確かに精神衛生上はね、すごくいいと思うんですよ。
ただ、そんな便利に分けられますかね、
っていうふうに思うんですね。
僕はサイコパスだから、彼が言ってることはすごく分かるんですよ。
それを分けて認識することで、
まあそうだよねって思うんだけど、
なんか僕がこの1年間、自分をサイコパスだと認識した上で、
いろんな方を観察してきた結果、
やっぱりその感情っていうのは自然と起こってきてしまうものだし、
その論理を超えてね、感情が優先されてしまう。
それは論理が優先された方がどう考えても良さそうな場面であっても、
感情が動き出すともうそれは止められないとか、
ってことはね、やっぱり見てて感じたんですよね。
それを果たしてその訓練、何かの訓練を通じて、
感情と論理を分離させるみたいなことができるのかできないのか、
そんなこともですね、訓練なくできてしまっている自分の状況からすると、
それは訓練によってできるものなのか、できないのかってことも分からないし、
訓練によって身に付けたところで、
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もともと持っていた感情の良さみたいなものがあるわけで、
そこが損なわれてしまうんじゃないかとか、
いろんなことを考えてしまうんですね。
およそですね、人は自分がうまくやってきた方法とかを、
良い方法だと思って、
いわゆる自分が苦労を乗り越えてきた方法を素晴らしい方法だと思って、
人に紹介しがちなんだけども、
それはね、あくまで紹介であって、
なんかこれ絶対やった方がいいよみたいな感じで、
ご了承しちゃうとやっぱり無茶な提案になっている可能性が高いなって思うんですね。
例えば僕に共感することがとても大事だみたいなことを言う人がもしいて、
そういう人が僕にね、その共感のトレーニングみたいなのをご了承されても、
結構困るんですよね。
もう今更共感のトレーニングとかさせられても、
なんか今のバランスが崩れちゃうし、
かえって生きづらくなりそうな気もするなと思っていて、
自分は自分の特徴を受け入れて、
その特徴の中で上手く立ち回るというか、
上手くその社会の中でやっていくということをやっと覚えてきたところに、
共感能力を高めましょうとか言って、
無理やりね、共感能力をブーストしたところで、
今度それによって生きづらくなる、
まあ生きやすくなる部分もあるかもしれないけども、
生きづらくなる部分も出てくるということで、
バランスが崩れる、変なバランスになっていくというのは、
あんましいいこととは僕は思えないなと思っているんですね。
で、なんだかんだ言いながら僕のこのポッドキャストも、
いろんな提案を僕からさせていただいているんですけども、
あくまでね、サイコパスのラジオということで、
看板も掲げてますから、
サイコパスの位置ね、視点としてそんな風にご提案しますよという、
あくまでそれは無茶な提案として、
お聞きいただければいいかなという風に思っています。
なんかね、それがそうするといいよって、
みんながそうするとすごい良くなるよみたいなことでは決してないと思うので、
自分に照らし合わせてね、
それが良さそうだな、やってみようかなって思うかとか、
それなんか間違ってるんじゃないかなって、
やっぱり自分の頭で最後判断しないと、
おおよそ人が言っていることっていうのは、
その人にとって正しいだけであって、
じゃあそれを聞いている誰かにとって正しいかっていうと、
それはもう自分で判断するしかないっていうのが、
正直なところなのかなという風に思います。
友人がね、やっぱり人は論理と感情をもっと分けて、
人と接するべきだみたいなことをすごくね、
そうすると世界が平和になる的な感じで言ってたので、
だからそこは、それは僕みたいな人が増えれば、
僕にとっては生きやすい社会になるだけであって、
それは偏っているなと思ったんですね。
やっぱりいろんな人がいろんな感じ方をして、
いろんな考え方をするっていうのが、
人間なのかなという風に思いますので、
自分に合った考え方をするっていうのがやっぱり一番良いと思うし、
自分に合った考え方、そしてやり方をやっていく上で、
いろんな人の提案、いろんな人のライフハックみたいなものが
ヒントになるというだけであって、
それはうのみにして、それをやればハッピーになるとか、
それをやればうまくいくってものではないので、
やっぱり自分で考えてね、いろんなことを取り入れていくってことが
大事なんだろうなーってことを改めて思いました。
やっぱり自分の経験を一般化してしまいがち、
僕自身もそういう喋り方をしてしまっていると思うんですけども、
あくまでそれは僕個人が見た経験とか、
自分の成功事例、失敗事例でしかないので、
誰かがそれをやれば、僕の失敗事例は成功事例になるかもしれないし、
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僕の成功事例はやったみたところで全然うまくいかないってこともあると思うので、
あんまりね、うのみにせずというか、
あくまで一事例としてというか、
検討するという感じですよね。一事例として検討して、
自分はどんなふうにそれを紹介していくといいのかみたいなことはですね、
自分でやっぱり最後決めるしかないっていうのが、
この人生のですね、面白いところであり難しいところなのかなー
というふうに思いました。
いろんな人から提案されることがあると思うんですけども、
それをおよそ無茶な提案であるというふうに認識するとこから
スタートしてみるといいんじゃないでしょうか。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。
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