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皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、社会参加はまるで大縄跳びのようだ、という話をしたいと思っています。
ここ最近、キャパオーバーで、ちょっと軽い抑鬱状態を経験し、
そして、やってることを一旦手放すというか、小休止してですね、毎日更新みたいなのをサボってみる。
仕事もね、サボるというか、仕事をね、しっかりと休むときに休んでみるということを、
久しぶりにやってみて思うのは、こう、大縄跳びだなって思うんですよね、社会って。
大縄跳びって、こう、ぐるぐるぐるぐる回ってるのをみんなで飛ぶわけですけども、
誰かがね、飛べなくなるんですよね。
飛べなくなった人、まあ引っかかっちゃった人がいて、その大縄が一回止まって、
まあ反省会じゃないけども、もう一回頑張ろうとか、気をつけようとか、交渉とかという感じで、
止まるたびにですね、その振り返りがあって、また何度も何度もチャレンジするんですけども、
技術的に飛べない人もいれば、だんだん疲れて飛べなくなる人もいれば、
飛んでるうちに怪我をして飛べなくなる、足を痛めてしまってるとか、
飛べなくなる人もいてという感じで、
飛べなくなるたびに縄が止まると。
あまりにもその縄がね、飛べないなってことになれば、
その大縄からですね、リタイアして、輪の外に行くということなんですね。
輪の中と輪の外とはやっぱり見え方が全然違って、輪の中にいるとみんなと一緒に飛んで、
足を引っ張らないようにというか、という感じでやっていこうという感じにもなるし、
よく飛べている人っていうのは、もっと飛びたい、100回飛びたい、200回飛びたいと、みんな一緒に飛ぼうぜと、
なんでそこで引っかかるんだよと、なんでそこで飛べないんだよということで、
飛べる人からすると飛べない人の気持ちが分からないし、
飛んでる、一生懸命飛んでる、何とかついていってる人からすると、
今足引っ張らないようにしようとか、頑張って飛ばなきゃという感じでプレッシャーを感じながら飛んでいる。
同じように飛んでるんだけども、飛んでる同士でも内心全然違うし、
今度縄の外からそれを見るときには、
入りたいな、あの縄に入れてほしいなって思っている人もいる。
好きならばその中に飛んでいこうと、飛び込んでいこうと思っている人もいれば、
その縄を見てね、うわぁ、あの縄早いなぁと、飛べないなぁと、
あの縄当たったら痛そうだなぁとか、
あの縄に引っかかったらちょっと気まずいなぁとか、
飛べる気しないんだよなぁとか思っている人がいると、
輪の中は輪の中で、飛べる人からすればもっと飛びたい、
飛ぶの楽しいって思っているし、輪の中で飛べない人は、
まぁ怖いなぁ、飛べなかったら悪いなぁ、
ついていかなきゃなぁと思っている。しんどくなってきたなぁと思っている。
輪の外にいればいれで、飛んでみたいなぁと思っていたり、
あれ、飛べそうないなぁと思っている。いろんな人はいるんですね。
でも実態としては、その輪の中で、
引っかかって、縄が止まって、また再開してっていう感じで、
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決して100回とか200回飛ぶことはなくてですね、
結局ね、10回とか20回飛ぶうちにね、誰かが引っかかる、
引っかかった人が軟落の形で攻められるという、
それがね、この社会なのかなぁというふうに思いますね。
みんながなるべく引っかからないようにしようと言いつつも、
結局大縄は回り続けていて、どんだけゆっくりの縄であろうと、
やっぱり飛ぶのが苦手な人は飛べないし、どんなにゆっくりな縄であろうと、
やっぱり疲れる人にとっては疲れてしまうから、
飛び続けることっていうのは難しいんですよね。
結局その飛んでる人の飛ぶ力、体力、精神が低い人ほどですね、
その縄に引っかかり、その引っかかる人がいればいれほどですね、
社会とはみたいな議論が巻き起こりということで、
いつもね、ある種の弱者みたいな人たちをベースに
社会っていうのは議論されていくんだろうなというふうに思いますね。
だからそこそこ飛べている人とか結構飛べている人からすると、
社会なんていうのはイージーゲームで、
なんで飛べないんだろうとか、
なんでこんなことが問題になっているんだろうとかということをね、
内心思っているんじゃないかなというふうに思ったりもしますね。
僕自身はですね、調子がいいと比較的飛べるほうかなというふうに思っているんですけども、
飛ぶモチベーションがないタイプの人間かなと思っていて、
比較的ね、飛んでいるときは飛べるタイプだと思っていたんですけども、
実際キャパを越えてですね、いざ自分が足を止めたときに、
この名は飛べねえやっていう気持ちが分かったというか、
その時にね、すごいプレッシャーというかね、
この名は飛ばないといけないのかというプレッシャーを感じたりとか、
ちょっときついなと思ったので、
やっぱり遠い、必死に飛んでいる人からするとね、
この社会っていうのは結構しんどいものがあるよねって思ったりしました。
なのでやっぱり僕はキャパオーバーをして、
自分がこうしんどいな、
もうちょっとこれ続けたらマジで鬱になるなとかっていうことを
経験したのは良かったですね。
あんまりそういうぐらいキャパオーバーして頑張るってことが、
人生の中でそう多くなかったというか、
頑張らない、頑張るモチベーションがないタイプの人間なので、
頑張ってこなかった、ある意味ね、
自分を追い詰めてまで頑張ってこなかったので、
ちょっとキャパを越えて走ってみるっていうのをしてみたのは、
すごく貴重な経験だったなと思うし、
一方でこの社会がオーナートピーに見えてきたなと思います。
忘れてはいけないのはね、
飛んでいる人、そして外でそれを見ている人だけではなくて、
オーナーを回している人がいるっていうことなんですよね。
それはこのグローバル社会を動かしている
ごく少数の人もそうだろうし、
国家を動かしているごく少数の人もそうだろうし、
会社を動かしているごく少数の人もそうで、
結局オーナーを回しているのはごく少数の人なんですよね。
それが縄を2本使ってすごいね、
アクロバティックな回し方をしたり、
ものすごいスピードで回してみたり、
ゆるやかに回す人がいたりという感じで、
その輪の回し方というのは、
その輪をね、そんな輪をね、
回す立ち位置にいる人の価値観とかに
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よりけりなんですけれども、やっぱりね、
そのグローバルな社会というオーナーがあり、
その中に国家というオーナーがあり、
その中に地域というオーナーがあり、
その中に自分が勤める会社のオーナーがあり、
自分が所属するコミュニティーのオーナーがあり、
家族というオーナーがありみたいな感じで、
その入れ子構造になってですね、
オーナー飛びの中のオーナー飛びの中のオーナーの
飛びの中のオーナー飛びみたいな感じで、
飛べなくなったものがいることによって、
その輪は一時ストップして休憩できるんだけども、
自分が引っかかるってなるとね、やっぱりね、
結構罪悪感がある。
それがやっぱりこの社会なのかなという風に思ったりして、
内心ね、輪に引っかかってくれる人がいるわけで、
自分も休憩できていたり、
自分もペースダウンできていたり、
クールダウンできたりするということで、
そういう弱者のおかげで自分が何とか走れているっていうのが
この社会なんじゃないかと。
だから自分は飛べてるからOKだよねって思うんじゃなくて、
飛べてない人のおかげでこの社会が何とか、
ある意味成立していると。
弱者ありきでこの社会が成り立っているんだってことをね、
自分が弱者になって気づくというか、
ところがありましたね。
もっと飛べない人に優しくしたいなという風に思いました。
本日は以上です。またお会いしましょう。さよなら。