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2021-04-11 10:13

#332 どこまでを才能で片付けるか(前編)

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先日、Clubehouseで『どこまでを「才能」や「体質」で片付けますか?』という話をしたことの続きを一人で考える。/シソフレ(思想フレンド)募集中!【秘密結社S.A.B】の活動はこちら  https://bit.ly/2P3pujF /うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、noteマガジン【脳内議事録】をぜひご購読いただけると嬉しいです。 https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5 

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皆さん、こんばんは。上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、どこまでを性質で片付けるかというお話をしたいと思っています。
先日、クラブハウスでですね、どこまでを才能や体質で片付けますかというテーマでお話しさせていただいたんですけども、
ちょっとね、思ったような感じで話が進まなかったというか、自分のモデル等とか、あと時間の制約もあったので、ちょっと不完全燃焼だったなと思って、
ここでですね、改めてそこで出た話も踏まえながら、自分なりにですね、ちょっと考えていきたいな、この問題を考えていきたいなというふうに思っています。
クラブハウスでは、どこまでを才能や体質で片付けますかという問い方をしたんですけども、
才能っていう言語にちょっと引っ張られて、才能って言葉結構傷つくというか、重たく感じる人がいるみたいですね。
僕からすると才能だろうが、体質だろうが、センスだろうが、個性だろうが、何でもいいんですよね。
要はその人が持っている性質、そんなものがあるのかないのかは別として、僕は一定はあるんだろうなと思っていて、
その人の備わった特徴というかね、その性質によって人よりも努力を要するものがあったりするじゃないですか。
例えば分かりやすく言うと、僕は泳ぐっていうことがとても苦手であると。
それを最近インストラクターの方についてもらって、水泳教室みたいなのをやりましたけども、
その時に言われたのは結局体脂肪率が低いとか、体の作りというか体型的に沈みやすいような体型をしてますよねみたいなこととかということで、
要は体質の問題ですねっていうふうに言われたんですよね。
そこで僕は体質とか才能という言い方をしたんですけども、あくまで性質ですよね。
僕に備わったその性質みたいなものがある種、人よりも浮きづらいという事実を生んでいるし、
いわゆる不力があまりないという状況。
例えば女性の方が体脂肪率とかっていうのは基本的に高い傾向にあるわけじゃないですか、男に比べると。
となると不力という意味では女性の方が浮きやすい性質があるよねと。
そこで言われたのは浮くという上に向かった矢印は意識せずに、水平方向の矢印だけ意識すればいいからテクニック的には努力がそんなに必要ないと。
水平方向だけの努力だけでいいと。
僕の場合は上に向かっていく努力も必要で、かつ垂直方向と水平方向のどっちもの努力が必要だということで、
テクニックをより要するよということを言われましたと。
その時点で性質の差が浮きやすい人と浮きにくい人というふうに分かれているし、
さらにここから深めていくと、僕と全く同じ体脂肪率で全く同じ体型でも、
センスでというか大して努力せずに浮いてしまう人っていると思うんですよね。
要は運動神経がいいみたいな言い方をするのかもしれないけども、
自然と全然泳げるよとか泳げる人いますね。
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なので、体の作りだけの話じゃなくて、さらにそこに感覚的にそれを理解する力、センスみたいなものもあったりするのかな。
いわゆる性質的に結局広い意味での性質ですね。
広い意味でそれが簡単にできる人となかなかできない人がいるという事実があるよねと。
これは水泳というめちゃくちゃ分かりやすい身体的なものだからすごく分かりやすいことなんだけども、
そうじゃなくてもっと精神的なものであったりとかにしても、その性質っていうのでさって現れるよねと。
例えば僕はですね、サイコパスですと言ってますけども、
かなり気持ちで物事を判断しないので、かなりロジック、合理性で物事を考える。
論理的に物事を考えることができると。
全然論理的じゃない人とかを見てると、だいたい感情が途中で混じっちゃって何言ってんだろうってなってる人がいるんだけども、
それを努力である程度は解決できる部分もあると思うけども、やっぱり僕よりも努力を要すると思うんですね。
なぜなら僕はそこに気持ちみたいなものがついてこないから、簡単にロジックだけで考えることができると。
でもそこにいちいち気持ちが入ってくると、ちょっとそれを解きながら論理で考えないといけないということで、
ロジカルシンキング一つとってもハンディキャップがあるというか、僕が逆に優遇されてるみたいな考え方もできますけども、
そんな感じで個体差がありますよねと。
僕の方がロジカルシンキングしやすい性質を持っているというのがあるわけですよね。
だから僕がすごいわけじゃなくて、たまたまそういう特徴を持っているからロジカルシンキングが得意であると。
普通にロジカルシンキングを訓練したわけでもなくて、自然とそれをやり続けたから持っている性質も含め、
そして経験量も含め、かなりロジカルに物事を考える傾向がある。
さらにもっと深めると、そこからさらにクリティカルに物事を考える、批判的に物事を考えることができるか。
それもやっぱり反社会性パーソナリティ障害と言われるぐらいですから、
社会のありようそのものをそもそもということをかなり問うてしまう性質がある。
なので従順に物事を疑わずにやっている人たちというのを見ていると、
僕からするともっと考えたなとかって思ったりするけども、
自然とそれは自然にそれを受け入れるという性質を持っていたりもするんじゃないかとかも思ったりするわけですね。
そこをいやもっと批判的に物事を考えないととかって言うのは、
自分が自然にやっててたまたまそれによって恩恵を受けていることを人にお勧めしているけれども、
それは無茶振りなんじゃないかというラインをどこで判断するのかというお話をしたかったわけですね、
クラブハウスでは。でもなかなかちょっとその辺は難しいみたいで、
人をやっぱり判断するっていうことは、
つまりロジカルシンキングがもっとできたらいいよねみたいなことっていうのは、
いやいやそういう人に期待するってことですよねみたいな、
期待論みたいなのに途中すり替わってしまってですね。
別に僕はね人に期待しているわけではないというか、
もともと人間関係を距離感で取るっていうことは何回も何回もこのポッドキャストで言ってますけども、
例えばこの話分からないんだなっていう人がいるときに、
それが才能だろうが努力だろうが知ったことではなくて、
今この瞬間その話は理解できないなって判断すれば、
その人にその話はしないっていうのは僕の考え方で、
いわゆる適切な距離をその瞬間瞬間で取っていくっていう、
その間合いをね取っていくっていうのが僕のコミュニケーションスタイルですので、
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そもそもその人に才能があるかとか何とかというのは、
僕からしたらどうでもいいんだけども、
才能か努力かってことはどうでもいいんだけども、
あえて考えてみるのであれば、
どこが性質でありどこが努力で解決できる部分なのか、
つまり人より努力を必要とするよねこの人はっていうことを見極めるっていうのは、
どこのラインなのか、
それ答えはないと思うけども、
みんなはどのように見極めているのだろうかっていうことを話したかったんですが、
どうしても人を見極める判断するっていうこと自体が、
あまりいい印象を与えないみたいで、
みんな違ってみんないいよねみたいな、
Aという才能がなくてもBという才能があるかもしれないみたいな話で、
結局みんな違ってみんないいよね、
多様性みたいなところに話がすり替わってしまうというか、
言ってしまってですね、
それは僕もやっぱりモデレーターも良くなかったと思うんですが、
思ったように話が進まないままタイムオーバーになってしまいましたと。
一応途中まで行き着いたところとしてはですね、
目的を共有しているかしていないかで、
そもそも目的を共有していないのであれば、
その才能とかセンスとかっていうことを見極める必要とか、
判断する必要ってないよねと。
例えばそれがプロジェクトメンバーでありとか、
一緒に会社で働いているメンバーであれば、
目的を共有していたりするから、
だとするとできるできないとか、
いう列みたいなことが起こってくる判断評価みたいなものが、
必要になってくるよねみたいな、
目的の共有度合いだよねみたいなところで、
ちょっとタイムオーバーになってしまったんですが、
僕からするとやっぱり不完全燃焼で、
どこまでを性質で片付けるのかっていう問題は、
まだ何も解決していないなというふうに思うわけでございます。
ちょっと長くなりそうなので、
2部構成に分けたいなと思っているんですけども、
次回はこの続きでですね、
なんで僕がこんな性質で片付けるかみたいな話をしているか、
ということなんですけども、
その予告というか問題意識、
課題意識みたいなところを共有して、
今回は終わりたいと思います。
目的を共有しないっていうことで、
ある種の多様性を万々歳で受けることができるっていうのは、
分かりますと。
みんな違ってみんないいと言っていればいいからですね。
でもこの社会っていうのは、
ご存知の通りですね、
法律とか憲法とかね、
ガチガチ原稿で固められた枠の中にいるわけですよね。
ということは何かを共有しているんですよ結局は。
広い意味で目的を共有しているんですよね。
っていうのが一つ。
もう一つは、
目的を持たずに遊んでいれば生きていけるかというと、
多くの人は目的を持った活動というのを行って、
それを一人じゃなくて複数人でやることってありますよね。
結局は目的を共有していなければ、
人を判断する必要はないよねって言ってるけども、
目的に従事している人がいる可能性の方が高いと。
その時に、この問題って何も解決しないまま、
目的を共有していなければ、
人のことを判断する必要はないですよねっていうことで、
結局片付かない。
目的を共有していなければ確かに人のことを判断しなくていいんだけども、
広い意味で社会という目的、
社会の中に目的を共有していたり、
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何か会社とか働く上で目的を共有している場合があるから、
結局この目的を共有していなければ判断しなくていいよねという問題が解決しなくて、
目的を共有しているんだから、
どこまでを整数で片付けるのかという問いに対しては、
どこかで答えを一人一人は出さないと、
これは問題をただ先送りにしてというか、
問題を見ないようにしているだけなんじゃないかなという風に思ってしまうと。
やっぱりこの問題というのはすごくデリケートですよね。
整数その人が持っているもので、
どこまで判断してしまうのかということだから、
とても残酷な話題なんだけども、
これをどう判断するのか。
判断しているはずなんですよね、人それぞれ。
それは無意識である可能性が高い気がしますけども、
言語化できていないパターンがね。
僕自身も言語化できていないし、
その場にいた方々もですね、
ここはもう才能で片付けます、整数で片付けますという形で、
言語化できていなかったので、
なかなかデリケートな話題だとは思うんですが、
どこまでを才能で片付けてしまうのか、
これは一人一人がやっぱり持っておいて、
考えておいて、
損はないテーマなのかなと、
僕は思っています。
後半はですね、一人でね、
この問題について考えてみたいなという風に思います。
本日は以上です。
またお会いしましょう。さよなら。
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