00:01
皆さんこんばんは、上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、人である必要性についてお話ししたいと思っています。
先日、ミネラルウォーターが、2リットルのミネラルウォーターが20本家に届きました。
どこに届いたかというと、マンション1階の宅配ボックスに20本の2リットルの水が入れられていました。
今まで、頼んでいて、毎回ちゃんと部屋まで運んでくれていたのですが、
今回の配達員の方が、宅配ボックスに入れていいだろうということで入れていたのですが、
考えたらわかりますが、20本×2リットル、40キロの荷物をマンション1階から、
彼らは台車で運んできますが、一般人はそれをどうやって運ぶのかを想像するとわかると思いますが、
落語しちゃったのだと思います。
ちょっと厳しい言い方をしていますが、僕自身20代の頃、フリーターバンドマンだったので、
フリーターは何で生活していたかというと、まさに宅急便だったのですが、
元同業者として恥ずかしいことだと僕は思っているのですが、
やったからこそ重たい荷物を持ち帰りたくないし、
1階に置けるなら1階に置いておきたいという気持ちはわかりますが、
これをやってしまうと、顧客との信頼関係は気づけないのです。
40キロの荷物を1階に置いておいて、それを自分で運んでねというのと、
40キロの荷物だったから、ちゃんと値段をしてお部屋まで配達しましたというのは、
全然見え方が違うじゃないですか。
そこの違いをできる人は、当時、宅急便の仕事をしたときに思いましたが、
お客さんにも信頼されて、
結果、宅急便の社員の人たちは物を運ぶだけではなくて、
営業をしないといけないから、
そういった意味では、関係ができていると、
お願い事をする時とか、何か提案する時にも話を聞いてくれて、
力になってくれるということがあったりするのですが、
日頃そういうところを雑にしてお願いだけしている人は業績が悪かったですよね。
つまり、宅急便の仕事というのは、
A地点からB地点に運ぶというのが、
本来の大元の話だと思うのですが、
インフラとしてまだ成立していなかった頃というのは、
03:00
A地点からB地点に荷物を運んでくれる人がいるということで便利だったと思うのですが、
今は運ぶだけでは満足せず、
そこのサービスみたいなところまで求められている時代なのかなと思います。
僕はこんなことを言っていますが、
宅配ボックスに水を入れられた人がいないのかなと思って、
ネットで調べてみたら、結構あるみたいで、
ヤフーチェ袋とか相談者の人が書いていたのが印象的だったのですが、
腰が悪い方で30キロ以上の水が宅配ボックスに納品されてしまって、
自分が腰が悪いから、自分で運ぼうとしても運べないと、
どうしたらいいのかなという相談だったのですが、
その回答は結構シビアで、
頼んだ時点で30キロオーバーの荷物なので、
宅配ボックスに入ったからといって、
宅配ボックスなので入れるのは当然でしょう。
そこまで自分で運ぶ気がなかったことが浅はかなのではないかと、
相談者に対して厳しい意見が多かったのですが、
結構意外でした。
世の中の人たちは、サービスまで含めて宅配便だと思っていないのだろうなと思ったのですが、
宅配ボックスはいいじゃんという認識になっているのだろうなと思ったのです。
実際に、僕は全然40キロだろうが持てますが、
腰が悪い人は運べないわけじゃないですか。
どうしたんだろうなとその人は思いますが、
その辺の住人の方に運んでもらえませんかと言ったのか分からないけど、
どうやって問題解決したんでしょうねという感じですね。
実際だから、A地点からB地点まで運ぶという意味では、
確かに住所には運んでいるけれども、
ラスト50メートル、ラスト100メートルのところで置いちゃっているわけだから、
ある種腰の悪い人は水を1本ずつ運ぶのかどうするのか分からないけれども、
結局A地点からB地点まで届いていないような気がしちゃうんですね。
僕の場合は全然、A地点からB地点まで、
いわゆる僕の住所まで運んでくれたということで、
宅配ボックスに入れてくれたということで、
いわゆる輸送という観点から見れば、
別に荷物が破損したわけではないし、
大幅に遅れたわけではないので、
何ていうのかな、100点というふうに言えるんですけども、
さっき言ったみたいに、
僕と会社との信頼関係みたいなところで行くと、
どうせやっぱり部屋まで持ってきてくれた方が嬉しかった。
嬉しかったかな、どうかな。
嬉しかったという人もいるんだろうなという感じです。
僕自身はどうかというと、
ぶっちゃけ宅配ボックスでいいです。
何でかというと、
ピンポンって鳴って、
玄関開けてというのはあまり好きじゃないんですね、
知らない人に対して。
面倒くさい。
例えばどうするんですか。
僕は前裸だったら服着ないといけないとかね。
例えば風呂上がりだったら体拭かなきゃいけないとか、
06:01
面倒くさいわけですね。
結構な時間僕風呂入ってますしね。
面倒くさいんですよ、ピンポンで。
電話に近いですね。
相手のタイミングで呼び出されるのが結構面倒くさいので、
正直宅急便とかも全部宅配ボックスに入れてもらって、
僕がポストとかでね、
負債表を見て、荷物来てるんだと思って、
自分のタイミングで取りに行くというのが、
実は一番ストレスがないので、
この40キロの荷物も実は、
全然宅配ボックスいいですと思ってます。
何ならそうなってもいいように、
僕は家に台車があるので、
台車を持ってね、
その40キロの水を運んだので、
何も問題はなかったんですが、
僕が今日言いたいことは、
別にネチネチサービス業舐めんなよ、
みたいな話はしたいわけではなくて、
サービスを提供してないんだったら、
もう人がやる必要ないんですよね、
ってことなんです。
これからAIに淘汰されていく、
みたいなことはもう散々言われている中でですよ。
人が唯一できること、
例えば宅急便で言えば、
人が人のところに届けるという、
そこで気持ちの良いコミュニケーション、
別にネチネチしたコミュニケーションはしなくていいけども、
爽やかに届けてくれてとか、
するとありがたいな、
って気持ちが湧いてきたり、
満足感が高まる人もいるんじゃないですか、
僕みたいな人じゃない人の多くは。
気持ちの良いコミュニケーションがあると、
ここの会社ってやっぱり気持ちがいいな、
って思ったりするんじゃないですか。
でもそれをなくして、
宅配ボックスに荷物が行くだったら、
もう人が運んだかどうかすら分からない、
世界じゃないですか。
ボックスに荷物があるという状態だからね。
だったら別に人が運ぶ必要はなくて、
自動運転とかドローンとかで運んでもらって、
そこに荷物があるという状態にしてもらえれば、
十分なので、
人がサービスを提供する必要はないな、
って思ったんです、
この業界に関してもね。
という感じで、
そもそも淘汰されていくであろうという、
仕事が淘汰されていくであろうという、
時代にある中で、
それにも関わらず、
人とされる側の立場の人間が、
自分の立場を分けまえず、
サービスで
付加価値を出さなければという危機感もなく、
そういうことをしてしまうと、
もうAI以下だなと思ってしまったわけです。
自らね、
AI以下になり下がっていくという、
その優勢がね、やっぱりこれからの時代を、
ますます生きづらくしていくんだろうな、
と思うので、
本当に二極化が進んでいくんだろうな、
ということを感じた出来事でした。
つまり、サービスで
自分は付加価値を出さないと、
自分の価値ってないよね、みたいなことが、
分かっていない人間が仕事をしているということなんですよね。
そういうことを分かっている人というのは、
そういうところで付加価値をつけると思いますので、
これから先の時代もですね、
AIと住み分けをしながら、
AIの力を借りながら、
この社会で価値を提供していくと思うんですけども、
そういうところにうずまれていく人たちというのは、
AI以下だから、
付加価値としてはないよね、
つまり、
この資本主義の社会の中では、
価値がないよねということになってしまう。
これ厳しいですけども、
それをね、自ら
そっちの路線に行っちゃっているというのは、
09:00
とても恥ずかしい。
恥ずかしいというか、無知なんだろうな、
と思ったわけでございます。
これはね、本当に同じ
宅急便で、同業者で、
今頑張っている方とかね、
サービスで付加価値を出さないと、
自分たちの仕事って価値がないよね、
危機感を持っている人たちに対してもですね、
とても失礼な働き方なのかな、
この人本人がね、
どういうつもりでやったのかとか、
頭が悪かったのかとか、
そういうことはわからないけども、
そういう姿勢がですね、
仕事一つ一つを滅ぼしていくんだということを
考えておかなければいけないと。
いざ亡くなった時には、
社会が、時代が、
マクロのせいにしちゃうんだけども、
実はそうしたミクロの積み重ねが、
もういらないよね、
ということを思わせてしまう
ということだったりすると思いますので、
AIとか他の何かにとって変わられそうだな、
という業界にいる人ほどですね、
その中で、
全部が全部じゃなく、
人間にも価値を出せるところがあるんじゃないか、
みたいな観点で仕事をしないと、
そもそも付加価値みたいなことは何なのか
ということを考えていない人間というのは、
この資本主義の中ではですね、
生き残っていけないと思います。
もちろんその資本主義はね、
これから変わっていく、終わっていく可能性は
十分あるけども、
少なくとも今この2020年現在はですね、
資本主義どっぷりの社会ですので、
そこの辺をよく考えながら、
仕事というのに取り組まないと、
痛みを見るよというお話でございました。
別に怒っているわけではないんですけども、
愚かだなと思ったので、
ご紹介させていただきました。
本日は以上でございます。
またお会いしましょう。
さよなら。