そうか。
カチンと来たの?
カチンと来て。
公開当時から、評判がフォー悪いなっていうのは知ってたんだけど。
フォーはね。
これを機にちょっと、俺もフィルマークス様のね。
はいはいはい。
レビューとかをちょっと。
フィルマークス様の。
まだまだ媚びていきますけども。
【トイ・ストーリー4】の評判とかを見て、まあまあ他のシリーズより若干低いみたいな。
別にメタメタのなんか国評だらけとかじゃないんだけど。
激烈にこの、批判してる人は知ってるっていう作品になってて。
それもちょっと何個か読んでみようかなと思うんだけど。
まあこういうこと書いてて。
例えば、見ない方が良かった映画とか。
シンプルだよね。
はいはいはい。
トイ・ストーリーの本質を捉えられてない作品とか。
なるほど。
1から3で築き上げたものをことごとく否定している作品だったとかで。
あー。
その見る価値なしみたいな。
うんうんうん。
だって生涯終えてほしいとまで書いてあるから。
本当にだってこれ以上ないぐらい見る価値ないんだろうなって。
ないんだろうなって。
むしろ見る方が外役であるという風な楽園4は押されているわけね。
そう。
今回やるってなって、YouTubeとかで見てみたの。
批判意見ってどんな感じなのかと思って。
なった時に、それも全部は言わないけども。
僕が幼稚園の時に出会った、で愛し続けてたトイ・ストーリーは、
1・2・3で頂点にいたし、4でその愛が終わりましたみたいなことを言ってて。
なんか詩的な書き方するよね。
なんかこう序章的なね。
でもうそれに賛同意見多数がね。
あれYouTubeって多分、見られてるコメントか支持されてるコメントが上に来るんだよ多分。
うん、来るね。
もう上の方それなばっかり。
言語化してくれてありがとうございましたみたいな感じだね。
あー。
それ、その流れにイラっときたのはやっぱり、俺トイ・ストーリー4大好きなんだよね。
あー。
まあ俺もね大好きだね。
で、まあこの映画が一体何の映画なのかっていうのを俺なりに結構整理して。
うん。
あのー一つピンときたというか、これだなっていうのがあって。
おーなるほど。
それをまず最初にちょっと言っておきたいなと思ったのが。
うんうん。
この映画は役割と器についての映画だなって思ってるのね。
おーわかりづらい。
いやでも、なんとなくわかります?これ僕の言ってること。
わかるかね。
多分役割はわかりやすいんじゃないかなと思うんだよな。
うん。
役割についての映画ではあるよね。
まあシリーズ通して役割の話だったっていうのはあると思うんだけど。
うんうん。
なんか俺の頭の中に器っていう感じが浮かんだんだよ。
あのー左右対称。
うちなる声が。
口、口、大口、口が。
はいはいはいはい。
器か。
器なんだよ。
大事なのは器である。
その視点でちょっとこの映画を見てもらいたいなっていうのがあって。
もう準備してきてんだトリビアさんがもう本当に。
いやもう今回は潰しに行くからっていうその。
もうね腹が立ってんだトリビアさんがもう。
でもねあのーまあ5、6年前の俺だったら本当に潰しに行ってる。
あのーそうね。
完全論破しに行く。
しに行く。
口もうまいからね。
行くんだというところではあるけども。
今回はねちょっとさすがにあのー僕もねウッディーと同じく成長しましたんで。
あーそうかそうか。
成熟の話だよね。
槍持って突っ込んでいくみたいなことはしないけど。
そうね。
だって向こう15万いるからねお前。
負けないから。
負けられないんだよ。
こっち2だから。
まあ槍持って突っ込んでいくみたいな論破するみたいな勢いじゃなくて。
なくてそうね。
コウのこと嫌いだと。
むしろ見て傷ついたって言ってる人たちに。
そうそう。
なぜそうなのかをちょっと一緒に考えたいという。
心づもりではある。
心づもりではあるんで。
だからまあ今これ聞いてる中で
トイストーリー4嫌いだなっていう人にこそ
最後まで俺らの話を聞いてほしいっていう。
聞いてほしいんだと。
あのー15万人の人
いじめないでくださいっていう。
頼むからあの。
話をまず話を聞いてくださいっていう。
ですね。
切れてる人だしこれで合ってますか?
合ってますかね。
あれなんでこんなに意見分かれるんだっけっていうのはちょっと考えたよね。
ウッディは女のために友達を捨てやがったっていう感じ。
友達の役割って何なんだろうな。
そうね。
主題歌。
ずっとそばにいるよって言ってくれてたやんけっていう。
まさにお母さんのお腹の中の仲間。
なるほどな。
ラセター聞いてるか?
あ、そっかあれは実話系のことを言ってたんだね。
ピクサーとの繋がりが欲しいな。
ほんとに。
連絡ください。
トリビアです。
トモヒーです。
今回深める作品はトイストーリー4です。
簡単にあらすじを言いますと、
ピクサーによる2019年の長編アニメーション映画。
おもちゃのウッディが新しい持ち主ボニーに作られたフォーキーを一人前にするために奮闘する中で、
再開したボーピープとともに自身の人生を見つめ直す大人気シリーズ4作目。
監督はジョシュ・クーリー。
脚本はステファニー・フォルサム、アンドリュー・スタントン。
主人公たちの声を演じるのはトム・ハンクス、キム・アレン、アニー・ポッツなどとなってます。
今回はあえてこの作品の良さというか深めてみたいなと思ってるんだけど。
あえてフォーをね。
そういう意味で俺もいろんな批判の意見を目通したわけ、ちゃんと。
大まかにこの3つぐらいに分かれるなっていうのに分けてきたんだけど。
1個がキャラクターの性格変更に対しての怒り。
2個目がエンディングで友達を捨てたウッディに対しての怒り。
そうね。
3つ目がおもちゃがおもちゃをやめることに対しての怒り。
おもちゃがおもちゃじゃなくなるという選択をすることに対する怒り。
どうですか?
切れてる人たちこれで合ってますか?
合ってますかね。
なるほど。
トレーヤーさんが見た限りをまとめて見ると、その3つになるんじゃないかってことね。
そうそう。
だから今回はこの3つを中心に、果たして本当にこの映画はそんな見る価値のない映画。
見ずに生涯を閉じるべきような打策なのかと、外役なのかと。
っていうのをちょっと語ってみたいというか、掘り下げてみたくなって俺も。
あれなんでこんなに意見分かれるんだっけっていうのはちょっと考えたよね。
すごい気になっちゃって。
まず1個目から行こうかな。
キャラクターの性格変更に対する怒り。
これよく聞くあれね。
これどういうことがわかるっていう。
よく言われんのはボーピープが急に強い女になったなみたいな。
唐突じゃないかみたいなやつね。
めっちゃ言われてんじゃん。
俺もいろいろコメントとかレビューとか見ると、大体一言目にこれが書いてあるみたいな。
多いね。
要するにボーピープっていうキャラクターが2まで出てて、3で出てこなかったんだよね。
割と2まではヒロイン的な役でメインのキャラクターだったんだけど、3でなぜか忽然と姿を消してて。
3はだからおもちゃの数が減っちゃったねっていう入りの時に減った1人としてボーピープもいなくなっちゃったねっていう。
いねえんだってなるやつね。
何があったんだっていう。
だけど、それが今回4作目はオープニングから何があったのかっていうとこからやるっていう。
そうね。
その彼女が長い間ウッディと離れてた間に性格が変わってしまったっていう。
しまったって言い方がそういう嫌な気分になった人たちにとってはしっくりくる言い方なのかもしれないけど。
そうね。
もうこれ言われ方としてはもうテイケイクというかあれでおしとやかだった俺たちのボーピープがなんかよくわかんねえけどそのなんかポリコレ的強い女になっちゃったみたいな。
ポリコレボー。
ポリコレボーあれね、なんかあのひっかけですね。
あれ便利だよなあ。
違うんだよ。
そうそうだから女性キャラが自立した女性みたいな女性像みたいなのになってるからポリコレだポリコレだっていう。
別にポリコレじゃなかったとしてもあのキャラが変わってしまった。
自分たちが好きだった思い入れのあったあのキャラじゃなくなっちゃったじゃんみたいな。
でもぷいみたいな。
もうこんなのボーピープはそんなこと言わないっていう感じのやつね。
改編がもう改悪だみたいな。
はいはいはいはいはい。
っていうのをよく見るんだけどさ。
なんかポリコレかどうかとかは別にもう置いといてそんな議論はどうでもよくて。
あの本当に変わったっけって俺思ってるんだけどどう思う?
いやあのね正直に言っていい?
うん。
正直に言うとそんなにボーピープってなんかおしとやかだったっけっていうのが思うのよね。
うん。
なんか割と強きそうな女じゃなかったかなみたいな。
そう。
うん。
俺もあんまりそのはっきりと1,2初めて見た時のこと覚えてないから。
うん。
なんかこうだったじゃないかっていうのは分かんなかったんだけど。
まあ今回1,2,3,4全部こうわーって見返したりとかして本当に1,2の時そんな変わった。
なんかそのおしとやかなキャラだったっけって結構見返したんだけど。
はいはい。
あのよく見ると最初から結構積極的なキャラじゃなかったみたいな。
うーん。
なんかグイグイ系じゃん。
そうなんかえ?1だっけ2だっけ最後にさなんかグイッてやってさウッディにチューするみたいなさ。
なんかなかったっけそういうの。
不動位成功。
おいおいおいなんか上位に上位に立つってそういうことかみたいななんか。
ポリコレって意味ではそっちもアウトなのかみたいなね。
そうねどうなんだろうねっていう。
そうなんかそうそうなんかクリスマスのシーンだっけなんかグイッつってあのステッキ持ってんじゃんなんか。
あるよね。
今回も結構活躍してたけどあれでなんか首根こうガッて掴んでブチューみたいな。
やってたよな。
そうだよな。
やっぱ俺の記憶違いじゃないよな。
割とそういう系だしあと声も一作目から見返したらやっぱね結構ハスキーボイスなんだよ。
な気がするな確かに。
男が理想としがちな昭和男が理想としがちななんか散歩下がって歩くみたいな感じのしとやかなナデシコじゃないわけよね。
でなんでみんなそう思ってんだろうなって結構考えたわけ。
不思議だよなこれな。
で思い当たったのがやっぱりね服装なんだよね。
あーはいはいはいはい。服装は変わったな。
服装は変わったんだけどあの一作目二作目で彼女が着ていた服とか格好がやっぱりすごい上品そうな。
貴婦人の格好じゃなくてデカいスカートと傘とかさしたりとかして。
あとあの帽子ねなんか。
そうそう帽子いいとこ着きますね。
私もねちょっとね15万人いっぱい倒したくてしょうがなくてですね。
あの帽子さあのね1,2,3というか今回4の冒頭までいなくなるまでかぶってた帽子があんじゃん。
あるね。
あれあのボンネットって言うんだけど。
名前あんだ。
18世紀とかになんか結構流行ったよくほらロリータファッションとかの人とかさなんかかぶったりするなんか赤ちゃんっぽい赤ちゃんがかぶるようなやつあんじゃん。
あれだねあのなんかこう日差しがこうなんか前に出っ張ってるみたいなあの帽子ね。
あれってそのすごくこう貴妃とかあと純潔みたいな象徴で結構流行ったんだって当時。
なるほどおしとやか帽だ。
おしとやか帽。
おしとやか帽なんだねあれは。
ポリコレ帽とおしとやか帽。
帽は違うけども。
帽は違うけど。
家庭的だったりとかっていうのはまあやっぱりあの要するに日よけなわけあれって。
あーなるほど。
帽ピープ自体もまあ色白いしさ。
真っ白だもんなワンとか特に。
あの服装だけ見るとちょっと世間知らずなお金持ちのお嬢様みたいな。
うんうんうんうん。
っていう風にまあ見えるよなと思ってそこなんだろうなと思ったんだよ。
なるほど結構そこにつきんじゃねえかってこと?
うん実際のキャラクターってそこまでそれそもそもそんなにいっぱい出てくるキャラクターじゃなかったし。
いやそうなんだよそんなにいっぱい出てこないよね。
うん。
だから性格が改変されたって言われたときになんかその批判をまとってつけたような感じがしないでもねえなって感じがして。
で思ったのがそのトイストーリーシリーズってそもそもまああの俺らの見立てで言えばもともとはその帽ピープっていうのは割とチャキチャキ系の積極的な女性だったんだけどあの見た目だったっていうのはさ。
うん。
あの内面と外面にギャップがあんじゃん。
そうね。
ここで出てくるのがその器って言葉でもあんだけど。
おーなるほどね。
その役割と器。
うんうんうん。
あの器っていうのは要するにみなりのことであって。
はいはいはいはい。
あの帽ピープのあの格好で言えばその要するにお嬢様っていう見た目で人形だからさ。
おもちゃだからそういうふうに作られちゃったんだけど。
内面とはまた別のそのものじゃん。
そうね。
でそれに対しての役割っていうのは与えられたりとか自分で選び取ったりすると思うんだけど。
その見た目とまあ器と役割とのあとまあ中身とのギャップか。
っていうのが考えてみたらこのトイストーリーに出てくるおもちゃってみんな持ってんだよね。
あーなるほどな。
レックス。
レックスが一番わかりやすいよね。
そうだよな。
そう。
あいつも器はさ恐竜なわけ。
そうだな。
もう人を怖がらせるために出てきた作られたモンスターだよね。
ガーって言うね。
なんだけどすげえ臆病で全然怖くない。
ねえねえ今の怖かった?ワーって言った後にあれワンだっけ?
あれかわいいよね。
かわいい。
え怖かった?怖くなかった?みたいな。
怖くねえよもうその時点で怖くねえよっていう。
そう。
気弱ななんかね青年みたいな。
まあ少年だよな。
うんうんうんうん。
なんだけどあのウッディも実は一作目を思い出してもらいたいんだけど。
はいはいはい。
ウッディの器っていうのは保安官なわけ。
うん。
役割としてもみんなのリーダーで公平さを持っていてみんなのまとめ役っていう正しさっていうのを象徴なんだけど。
うん。
一作目のウッディさクソ野郎じゃん結構。
まあね。
確かにね。
最初の方。
自己中でさ自分が一番だみたいな。
うん。
それ中身とやっぱりその器っていうのの役割ギャップがあるわけ。
うんうんうんうん。
で、バズはバズで一作目は初登場の時はやっぱりスペースレンジャーなんだけど。
うん。
あの実はその結構天然みたいな。
ああそうね。
なんかわかってない人だよね。
そうわかってない。
いろいろわかってなくて一生懸命なんだけど。
うんうんうん。
で結果的にその自分の本当の正体はおもちゃなんだってことに気がついて。
うん。
まあそれを乗り越えるっていう話だったよね。
受け入れるっていう。
ああそうだな。
うん。
あの器とだから中身っていうか役割っていうかあの人にしてるものが違ったわけね多分。
うん。
そう。
そこに葛藤がそれって一回ねもうあのなんていうのあの隣の家のさ妹の方のさ。
そうそう。
なんかもうこうあのお孫と遊びにあの参加させられて。
紅茶飲んでるのね。
そうそうね。
可愛いね。
もういい俺もこれでいいみたいな感じになっちゃうっていうね。
だからそこにもギャップがあって。
あとミスターポテトヘッドとかもさ。
はいはい。
あのいいじゃがいものおっさん。
あいつはあいつの本質的な役割はなんだ別に。
あれはあれはこれこれもまたその翻訳問題にも関わるんだけど結構。
はいはい。
あのポテトヘッドってそもそも英語でスラングではあるんだけど。
はいはい。
要はなんか間抜けとかなんかその。
へー。
のろまなやつとかあの鈍いやつみたいな。
はいはいはい。
要するに脳みそポテトだろって言うだけなんだけど。
ポテトヘッド。
なんかアメリカ人の性格の悪さみたいな感じがするねなんか。
なるほど。
あれも本当にあるおもちゃではあるんだけどそれもそのジョークとして名前が付けられてるわけポテトヘッドっていう。
うんうんうん。
なんだけど実際さ間抜けっていうかさ超気難しいじゃんあいつなんか。
あーそうね。
うん。
短気だし頑固だからな。
そうなんだよ。
全然外とあの与えられた役割とその中身が合ってない。
おー。
器はポテトヘッドだからきっと陽気で天然でアホであるべきなのに。
アホそうそう。
のはずなのに。
めちゃめちゃ気難しいやつ頑固っていう。
シリーズ通してその登場するキャラクターは必ずその与えられた役割とかその要するに器の部分と中身のギャップがあるっていうのがお決まりで。
うんうんうんうん。
それがおもろかったりまあ魅力的なんだよね。
だってあの。
ある意味だからボーピープもおしとやかな見た目してその何棒だっけあれ。
ボンネット。
ボンネットね。
かぶって日にあげないようにしてると思ったらあの宿り着の下でクリスマスにギャッつってやってブチャーみたいな感じにするチャキチャキのなんか江戸っ子なわけよね多分。
だからおもろいんじゃんっていうさ。
うんうんうん。
キャラクターとしての深みが出るじゃん。
はいはいはい。
一見こうなんだけどそうじゃないっていう。
うんうんうん。
もうこの主要メンバーじゃなくてもさなんか一作目でさそれこそあの隣のさシドっていう悪い少年のさ。
はいはいはいはい。
家の中に登場するあの改造されたおもちゃたちも。
マガマガしい見た目のおもちゃたちも。
なんかすごいこう奇妙な見た目でまあ改造されたんだけど実は優しいとかっていう。
そうみんなめっちゃ優しいんだよな。
そうあいつらめっちゃいいやつだよね。
な、傷つきを知った大人たちみたいな。
そう。
うーん。
だからやっぱボンピープももともとそういう役割だったんだと思うんだよ。
なるほどな。
うん。
あー。
なんかどっかでこうどうなんだろうね。
みんなそう見たいと思ってたってことなのかな。
だっておしとやかって言ってんだもんみんな。
うん。
よく見たら違うんだよ。
おしとやかなシーンあったっけみたいな。
そうねだからそれこそさなんか器の話じゃないけど。
うん。
器であり役割の話でもあると思うんだけど。
あのやっぱりね批判してる人たちのそのボンピープの性格が変わったっていうのを聞いてみるに。
うん。
なんて言ったらいいのか。
そう見たかったんだなっていうのがすごい必死と伝わってくんのよね。
うんうんうん。
ボンピープはおしとやかでまあなんかウッディーをかけながらこう支える。
うーん。
両サイケンボ。
そうそうそうそうそういうやつそういう感じのやつ。
でいるんだっていう風に見てたんだなって思う。
うーん。
そういう役割でありだって器もそうだし見た目がそうだしっていうなんかこう理想を投影してたんだなっていう風に思うのよね。
だからこんなにみんなそれが裏切られたっていうことで。
俺らがさ今こう一応粒さに考えてみたところそんな変わってねえんじゃないかっていう感じなんだけど大きく変わったように見えるっていうことが起きてて。
うん。
なんかそれは4に対する批判の結構一つのからくりなんじゃないかなと思う。
うーん。
こう見たかったっていうかこう見てたこういう理想があったっていう風なのが裏切られたっていう風に思ってしまう感覚っていうところ。
それを裂いてるところっていうか一番まあ攻めやすいところじゃんまあポリコレアンチポリコレとポリコレのねもう最近はそんな言わなくなったけどまあ2019年だからあの走りでしょうおそらく。
そうね言われ始めたっていう。
そうそうそうでまああの実際にディズニーとかねみんなやり始めたわけだ。
うん。
あの明らかにちょっとやりすぎだなっていう作品もまあいくつかあったわな。
うんもちろんもちろん。
あの見た見方によるけどね。
うん。
あのだから攻めやすいところだから。
うん。
あのそこにまずみんな行ったんだなっていう。
うん。
見たいものがあるの多分。
うん。
ていうことなのかなって。
そうね投影してるってことだもんね。
そうそうそうそう。
自分の願望を投影してるっていうことだよな。
うーん。
よくないと思うなあっていう。
まあそうねこれがよくないのかどうかはちょっとね応用位置がだんだん詰まってくるからね。
そうだね応用位置だんだん行くことになると思うんですよ。
じゃないとお前まだあのなんていうのまだ15万人のうちの多分1万人もあのなんていうのこっちに向いてくれないね。
うん。
そうか。
全然みんな何らかの棒を持ってこっちにあのこっちを見てるから。
怖いなあ。
うん。
まあ次のじゃあその批判ポイントに行こうかなと思うけど1個目1個目も潰した気でいるけど大丈夫これ。
まあとりあえず行こう次にな。
あの2個目がさっき言ったのがそのエンディングで友達を捨てたウッディに対する怒り。
あーこれ大きいね。
これねこれねっていう。
うん。
俺が見たコメントで一番おもろかったのはあのウッディは女のために友達を捨てやがったっていうのがあって。
ははははは。
あーそうなーなるほどな。
まああのエンディングの説明をするとまああの要するに今まで友達と一緒にずっといたウッディっていうのが。
うん。
まあしかもえっとボニーっていうねまあ主自分が奉仕する立場である主の元からウッディは去るっていう選択をしたわけだ。
そうだね。
要するにそれと同時にその今まで旅を共にしてきた保安官っていう役割で言えば自分が面倒を見なきゃいけない友達たちでもある。
うん。
その彼らと別れて某ピープと一緒にもう人間のもとで人間のために何かをするっていうことではなく自分で役割を見つけて生きていくっていう決断をするっていうエンディングだよね。
そうね。
いい話じゃん。
いいエンディングだよね。
いい話じゃんつってね。
泣いたねっていう感じなんだけど。
怒り泣きしてる人もいるわけだ。
それに関して。
ふざけんじゃねえよって。
だからまあ察するとやっぱりこうつまり女のために友達を捨てやがったイコール友達っていうのは自分のこと観客も捨てられたって気分になったのかもしれない。
そうねそういうことだよね。
恋愛を取ったっていう。
まあそういうやつもいるからな現実には。
あいつ変わったなっていう。
飲み会にも公然しっていう。
本当に。
女の言う通りになりやがってみたいな男をホモソーシャル界隈ではそういう会話もあるのかもしれないけど。
ありますなあ。逆もしかるだろうね。女子の中でも本当なんか男にできたら全然付き合い悪くなるよねみたいな。
同じこと言ってんだね。
同じこと言ってんだよ。
要するにまあ捨てられるっていうことの恐怖であってまあそれはこのシリーズ通して実は描かれていることだと思うんだけどまあその話は置いといて。
はいはいはい。
この例のまあなんか論点をこういろいろ読んでたら思ったのが友達の役割って何なんだろうなと思って。
ああ。そうね。そうね。
そうねしか言わなくなる。
いやいやいやもう本当その通りだなっていう感じだな。
まあ友達というか親密な他者って言っていいのかなと思うんだけど。
うんうんうん。
あのずっと一緒にいるっていうこと?
うん。
俺にとってはあのエンディングはさ別に捨てたようには一切見えなかったわけだよ。
俺も一切見えなかった。
見えないよね。
そうなのよ。
だってさ友達って別に離れてても友達じゃん。
そうだな。
うん。
うん。
てかあのこれで伝わんのかわかんないけど最後離れてくときにさバズとさウッディがさ
to infinityつってバズが言ってand beyondつってウッディが言うじゃん。
うん。
離れても繋がってんだよねっていう。
そう。
それがすっごい美しい最後だなっていうふうに思ったのよね。
それこそが友達でその親密な仲じゃん。
うんうん。
別に常にツレションしてんじゃねえよと。
別に一緒に行動して同じものを見て同じようにもうすぐべったりついてるってことが
今の価値観で言えばその友達っていうものになってってんのかとも思ったんだよなこれに。
いやでもねやっぱねあのこれちょっともうバズにバズなんだけどまたバズの方思したいんだけど。
お前バズなの?
俺はバズなのかなどうなんだろうなっていう感じなんだけどあのいや女を選んだって言ってんじゃん。
うん。
ウッディが女を選んだ仲間を見捨てて女を選んだ最悪だということなんだけど。
いやそういう意味で言うとあのウッディにあの子は大丈夫だっつって言って。
でウッディは最初ボーピープのことだと思うわけね。
うんうん。
だけどそこでバズがボニーだよボニーのことは大丈夫だからまあ要するに俺らに任せろっつって。
うん。
言ってお前はお前の自分の心の内なる声を聞けっていうふうに言ったからこれ悪いのバズだよねじゃあ。
けしかけてんじゃん。
あいつが誘導したってことになる。
そうそうそう。
ていうか誘導したじゃなくてこれ今ふざけちゃったけどこれこそがやっぱり親密な他者の役割じゃん。
うん。
友達のために友達のためになるんだったら別れることも惜しまない厭わないていうか背中を押すっていう。
行ってこいと移動幼稚園じゃない移動遊園地に行ってこいというふうに言ってあげるっていうこのことができて関係性ができていて。
でその後にみんな屋根のところに来んじゃんおもちゃたちが。
これどういうことかっていうと
一般的に捉えられてるのは
You've got a friend in meって
もし俺がお前に言ったら
一見俺はあなたの友達じゃないように見えるかもしれないけど
実はここにもうすでに
あなた友達いるんすよ。
俺実は友達なんですよっていう。
マジなんすよっつって。
もっと頼ってくれよ。
そうそう。
鬱陶しいなそいつ。
見た目によらず俺意外といいやつですみたいな。
友達。
俺割と先輩のこと友達と思ってるんですよ。
鬱陶しいなやっぱり。
やっぱり鬱陶しいなそいつ。
はあはあはあはあ。
外見ではわかんないけど
この中に実はあなたも友達なんすよ俺。
なるほどなるほど。
言い方ではあるね。
ちょっと遠回しな言い方なわけ。
ちょっとややこしいよね言い方として。
でもそれでも意味は通じるんだけど
要するにまあもう俺がいるから。
意外と俺のこと見えてないっしょみたいな感じの。
見えてないだろうけど
器的にっていうか外的に。
でも俺の中にお前の友達の部分もあるからねっていうことか。
そうそう。
これが一般的な受け取り方なんだけど
これおもちゃについての映画じゃん。
ああそうだね。
でこれがウッディがアンディに対して歌ってる歌だとすると
要は一見おもちゃなんだけど
あなたの友達でもあるんです。
俺がついてるよっていう捉え方ができる。
でもっと進めると
これって自分が自分に対して言い聞かせてる歌としても捉えられるわけ。
ああなるほど。
つまり
You've got a friend in me
自分自身の中に友達っていうのは宿ってんだっていう捉え方もできるわけ。
ああなるほど。
歌詞の内容も読んでみると
思い出してくれっつって
すごい家から離れて
故郷が恋しくなったりつらいなって思った時は思い出してくれと。
俺がついてるんだよ。あなたの中に友達がいるんだよ。
って言ってんのね。
つまり離れていても友達っていうのは自分の心に宿っているから
その友達がもしその場にいなかったとしても
たった一人でどっか地元から離れていったとしても
いや友達っていうのはそういうその器じゃなくて
その心に宿るものなんだ。
ってこととして捉えられるじゃん。
フォーのまんまじゃん。
そう。
そしてワンからいってんだ。
ワンからいってんの最初から。
ああ。
で、これを考えた時に
よくよく考えると
おもちゃってそもそもそういうもんだなと思って。
ああなるほど。
あのおもちゃって
今お前お人形遊びしてないでしょ。
いや俺は最近やってないよな。
やってないでしょ。
やってないねやっぱね。
やってないでしょ。
子供の頃もある一時期までしかやれないね。
子供の頃に絶対手放せなかったおもちゃとかあったでしょ。
あったと思う。
これがないと寝れないみたいなものとかあったじゃん。
俺もあったんだけど。
それが成長するにつれていらなくなっていくじゃん。
それはつまり
それが心に宿っていくからじゃん。
そのものとしてなくても
一人じゃなくなるってことね。
そう。
これつまり何の役割かっていうと
両親の役割なんだよね。
なるほどなるほど。
親と一緒じゃないと何もできないっていう赤ちゃんの頃から
不安で泣いちゃったりとか。
今回のボニーっていう子も一人で幼稚園に行くっていうさ。
なった時に親元から離れるっていう最初のステップだよな。
なった時に彼女が作ったのがおもちゃのフォーキーだったわけじゃん。
そうね。
あれがあるから両親がいなくても大丈夫になる。
つまり両親をそのフォーキーに宿すんだよね。
それと一緒にいろんなところに行くんだけど
そのフォーキーすらいらなくなっていく。
フォーキーも心の中に宿っていくわけね。
そう。
これつまり器なわけ。
おもちゃは器であってそれが宿すものっていうさ。
中身っていうかは心の中に宿していく。
そのための練習じゃんおもちゃって。
そうかなるほどな。
だからyou've got a friend in meっていうさ。
だんだん自分の心に宿していくものだからっていう。
一人で生きていけるようになるし。
友達っていうのもそういうもんだよねっていう歌なんだと思うんだよね。
だからウッディは去るべきというか人間は誰かと一緒にずっといないといけないみたいなのは
そもそも間違ってるんじゃないかっていう不満ですか。
みんなが結局みんながって書いてある。
今15万人前にみんながっていうね。
慣れ慣れしいまだフレンドでもねえのに。
でももうフレンドかもしれない。
in meしてるか。
in meあるかもしれないからね。
皆さんがやっぱり嫌だっていうのはその物理的に一緒にいるんだっていうことのみが一緒にいるってことになってるわけよね。
離れても心はつながっているみたいな。
きれいごと。
何聞こえるのかなと思って。
今うーんってなっちゃったんだな。
きれいごとかもしれないね確かに。
でもねよくよく考えてみてほしいんだけど。
ずっと一緒にずっと近くで物理的に一緒にいるのって無理じゃん。
無理なんですよ。
無理じゃん。
皆さん考えてみてほしいんだけど。
ずっと一緒に物理的に一緒にいる人っている?
友達で。
可能だったとしてもめちゃめちゃ仲が良くて絶対に一緒に住んで別に恋人でも夫婦でも何でもいいわ。
いつか死ぬから。
あれこいつ死を出してきちゃったよ本当に。
これが本質だと思うわけ。
俺らが15万人の皆さんが大好きなチョイソーリー3がなぜ素晴らしかったのかっていうと。
おもちゃが死を覚悟するシーンがあったじゃん。
あったね。
手を繋いで。
おもちゃも死ぬんだ。
もう終わりなんだ。
あそこが俺が一番胸を刺されたんだけど。
あの時のみんなの覚悟ね。
手繋いでいくっていう。
同じで親もいつか死ぬ。
友達もいつか死ぬ。
恋人だって夫婦だってどんだけ愛していようがいつか死ぬわけじゃん。
どっちかが先に死んじゃうよね大体ね。
どっちか必ず死ぬ。
自分が死ぬか相手が死ぬか。
ってなった時に死んだらもう終わりなわけその関係性は。
その人たちにとっても。
でも心に宿すことはできるじゃん。
そうだな。
別にお墓の前で手合わせなくてもさ。
そこに私はいませんつって。
その歌まで歌わされるのって。
だからそういうふうに自分の心に宿すっていうことを
そのやり方を教えてくれてるのがこの映画だとも思うし。
本質的におもちゃっていうものはそういうものなんだと思ってるんだよね。
いつか必ず別れる時が来る。
その時にじゃあ自分も死のうってなるんですかっていうさ。
正しいね。
でもね、でもねっていう。
だからここはまた理想化なわけ。
理想の投影というか。
そういうのは今もうトリビアさんが言ったことに皆さん反論できないでしょ。
反論できないでしょって言って。
3万人ぐらい今潰したからっていう。
面白くなっちゃって言ったけど。
現実そうなわけ。
ずっと一緒にいることはできないし、ずっと一緒にいるってやっぱ不健康であったりもするし。
いつかは離れるっていうのはこれは命ある限り確約されてしまってるんだよね。
なんだけど幼い理想と言われようとも理想としてはもうずっと傍らにいてくれる。
ずっとそばにいてくれるっていうものがいるんだというふうに思いたいよね。
ないんだけど。ないからこそなのか。
ないということを受け入れるのは難しいじゃんこれって。
多分子供がおもちゃが必要なくなるっていうのは成長であり成熟していくってことじゃん。
でも成長して成熟していくのって大変じゃんマジで。
大人になってもね。
っていう中でトイストーリーはシリーズでずっとそばにいるよって言ってくれてたやんけっていうふうに。
今これ泣いてんだけど。笑ってんのかと思った。
そうか笑ってないっすからね。本当に写真来ないでください。
なんて言うんかな。
だからさっきの歌で言えば法訳、日本語訳の歌の最後の方は君は友達いつも俺がいる君のそばにいて終わるんだよな。
言葉尻だけ取ればずっとそばにいるからね約束だよって言われてるような気になるのはわかるっていうさ。
そうなのよ。叶わぬ理想なのよ。叶わぬ理想だけどだからこそそうであってほしいっていうふうに。
叶わないからこそおもちゃ達親密な他者友達仲間ずっとそばにいてほしいっていうふうに思ってしまう。
それを裏切りやがって一生見ない方がいいっていう。見ずに生涯を。
まさに見ずに生涯を追えれたら理想が理想のままで持ちこたえるっていうか逃げ切ることをできないんだよね。できないんだけどね。
劣勢ですかこれ。
だからでも何が言いたかったのかっていうとやっぱり理想を投げ込まれる器なんだよねトイストリート本当に。
だからキレる。
キレる10代。
キレる10代は俺らの頃だわそれは。
言われてたなって。
わかったじゃあそれはもう後に置いとこう。その議論についてはちょっと多分後にすることになると思うわ。
全然今なんか俺パンチが通ってない気がするけど最後3つ目の批判ポイントを先に潰しておきたいから。
おもちゃはおもちゃだろクソが!ってそっからキレゲーを始めるんだけどその人。
おもちゃの幸せは子供に遊んでもらうことっていつだろうがみたいな。
もちんつ様を何だと思ってんだとか言うわけ。
これはもうロアクというかね。
そういうYouTubeでバズりそうなキャラ設定を使うんだろう。
おもちゃとしての行動をいつだってすんじゃねえみたいな。
なめんなみたいな感じに。
でもこれはね、ロアクでありブラフであると同時に本音だろうなと思って。
本音だよな。
なんでそんなキレてんだろうなって思うんだけど。
それを考えてんだ俺らは今。
この映画のフォーは、確かに要は局所的に見れば、ウッディーだけを見てればボニーから離れるっていうさ。
与えられた役割。彼は本当に工場で作られたおもちゃなわけだし。
その機能としての役割を、器の役割を捨てて出ていくっていう風に見えるんだけど。
ウッディーだけの話じゃないじゃん、このフォーって。
そうだな、もちろん。
ていうかもう主人公いっぱいいすぎてさ。
だからちょっとわかりづらくなるっていうのはあるんだけどね、このフォーはね。
要するにあらゆる可能性っていうのを肯定するような描き方をしてるじゃん。
まさにその通りだね。
可能性って言ったらちょっとわかりづらいかもしれないけど、要は自分で道を選び取ることっていうことを肯定するっていうかさ。
難しい言葉で言うと実存主義みたいな。
自分の在り方を自分で決めていく、選び取っていく。
その人足が道となり。
その人足が道となり。
一歩一歩が。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
あそっか、あれは実存主義のことが言ってたんだね、アントニオイノキは。
今イノキの話はいいんだよね。
出てないからフォーに。
そうね、出ててもおかしくないけどね。
おもちゃとしてフィギュアとして。
ごめんごめん、イノキさんからトリビアさんにお貸しすると、実存についての話でもあると。
実存主義っていうのは簡単に言うと、人間っていうのはどのように生まれてくるかっていうのは選べないが、
自分で生まれてきた上で役割とかを選び取っていくことに価値があるんだっていう考え方だよね。
大胸あってるから。
大胸あってますか。
よく例えとかで出されるのは、ハサミ、実存と本質っていうのが、これなんかでも小難しくしてもしょうがないな、ハサミとかあんじゃん、ハサミとかあんじゃんっつって。
頭は悪すぎの解説なんだよそれ。
もうわかりやすくなんとかしたいんだけど、ハサミってさ、もともとさ、もの切るため、紙切るためにさ、作られるものじゃん。
紙を切るっていう役割が先にあるわけ。
それでその後にハサミっていうちょうどいい形が作られて、この世界に生を受けるわけね。
ハサミは生きてないけどね。
でもモモちゃんも生きてるのかなね。
フォーキーが生きてるんだからね。
に対して人間は、人間というか、人間だな。
もともとの役割とかが決められてなくて、ポンと急に投げ出されるわけ。
この世の中に、生を受けて。
その役割は自分で選んで、つかみ取っていくんだっていう考え方のことが実の趣味。
俺らのハサミとは違うんだっていうね。
ハサミぐらい切れてるやつもいるけど。
選び取ったんだろうね、きっとね。
だから自分でその役割っていうのを選び取っていくんだっていうことだけど、
この映画に登場するキャラクターはそれぞれ役割っていうのを担っているんだよな。
その役割っていう面で見てほしいのが、俺、帽子なんだよ。
帽子か。
帽子。この映画、帽子の映画なんだよっていう。
ここで新しいややこしい概念を出してくるっていう。
帽子にみんな注目してみてもらいたい。
帽子か。全然ちゃんと見てなかったな、それは。
後編へ続きます。