この映画に登場するキャラクターは、それぞれ役割っていうのを担っているんだよな。
役割っていう面で見てほしいのが、俺、帽子なんだよ。
ほうほうほう。帽子か。
帽子。この映画、帽子の映画なんだよっていう。
ここで新しい、ややこしい概念を出してくるっていう。
はいはいはいはい。
帽子にみんな注目してみてもらいたい。
帽子か。全然、ちゃんと見てなかったな、それは。
最初に出た、ボウのさ、ボウの帽子。
ボウの帽子ね。
ボウの帽子。
おしたいかぼうね。
そうそう。あれがさ、そのようは、ボウにもいろいろありまして。
ウッディの元から離れて、旅をしていった挙句。
出会ったボウの格好、あんま変わってたよね。
ボウは帽子をもう被らなくなってる。
そうだな。
で、帽子ってのはやっぱり役割を担いがちというか、帽子によってその人の、例えばコックはコックの帽子を被るとかさ。
はいはいはいはいはい。
あんじゃん。なんか、象徴なわけ、その役割。
今回4ではボウは帽子を被ってなくて、なんかでかいリボンをつけてるね。
うん、つけてるね。
そう。で、あれは特に機能性はないよね。
ないな。
おしゃれなんだよ。
うん、かわいいよね、あれね。
かわいいよ、あれかわいい、でかくて。
うんうんうん。
つまり、その自己実現のためにあれ、自分、彼女はつけてるわけ。
なるほど。
おしゃれっていうもので。
なるほど。
じゃあ、ボウはもう何の役割も担ってない、ただのニートで、
自由な?
グータラグータラ、自由な送り人みたいな生活をしてんのかっつったら、そういうわけじゃなくて、帽子を被らなくなった代わりに、
途中から、要はフォーキーの救出作戦が始まるじゃん。
うんうんうん。
ウッディと合流して、ウッディがフォーキーを助けたいっつって。
うん。
っていった時に、マントを被るんだよ。
あー、そうね、つけてるね。
そう。で、あれが要するにその役割を担ってるんですか。
ほうほうほうほう。
要するに、彼女は彼女なりにヒーローでもあるわけ。
人のために何かをするっていう時にだけマントをかける。
なるほどな。
でも、その救助に行った中で、ピンボールマシーンみたいな中でさ、パーティー、クラブみたいなってとこあったじゃん。
あー、あったね。上の方でやってますみたいな。
そう。で、あそこは坊が昔アンティークショップにいた時の仲間たちに会う場所で、一旦情報とか手に入れるために、カブーンに会いに行く時にね。
うんうんうん。
あそこに入った時だけ外すんだよ。
うーん、なるほど。はいはいはい。
つまり、つけたり外したりできるわけ。
うんうんうん。
要するに、彼女は自分の役割っていうのを自分で瞬時に変えたりできるようになったんだよ。
うんうんうんうん。
友達と会う時はその役割っていうのを外すことができるっていう、すごい自由な役割に支配されてないっていう。
うーん、なるほど。
つまり、オストヤカブを被ってるんだったら、オストヤカずっとしなきゃいけないっていうことだよね。
うん、そうそう。
つまり、これは役割に縛られてるわけだ。
うん。
つけ外しできるマントを使ったり、オシャレのためのリボンつけてるっていうのは、これ自分の選択であって。
そう。
あの、押し寄せされたものではないっていうことね。
そう。
まあ、おもちゃっつーのは基本的に工場で作られて、役割、さっき言ったハサミみたいにさ、役割が先にあって、それに合わせたデザインになってんだけど、
そっから解き放たれたのが今回の棒っていうさ、自分でつけたり外したりできるっていう、すごく自由な存在になってる。
なるほどな。
で、一方ウッディは帽子被ってんじゃん、いつも。
うんうんうん。
あの、テンガロンハットみたいな、カウボーイハットが。
カウボーイハットっていうぐらいだからね。
そう。
これもまあ役割をあの、象徴するものなんだけど、あとまあバッチね。
バッチもそうだな。
バッチは最後あの、ジェシーだっけ。
うん。
になんか託したりとかするっていうのもまあ象徴的な受け継がれる、そのまあ役割っていう象徴でもあるんだけど、
そうね。
帽子も、ウッディは常に帽子を被ってる。
うん。
ただ、劇中で2回ぐらい外すシーンがあるんだよ。
あー、どこだっけ。
これがあの、ギャビーっていうさ、そのギャビーギャビーっていうあの。
発声器が壊れちゃって、あのうまくこう、紐引いても声が出ないあの女の子ね。
そう。
あの子にその声の発声器を渡す手術みたいなのが行われるじゃん。
あのミシンみたいな。
うんうんうん。
あの時はまあ外れてんだよね、完全に。
うん、そうだな、確かに。
で、もう一個が、その後にギャビーがその発声器を手に入れて、
ハーモニーっていうなんか女の子、もともと自分の主になるであろう女の子の前で発声器を試して、
これでやっと自分も認められて、おもちゃになれるってなった後にポイって捨てられて。
うん。
で、それを見兼ねたウッディーが戻ってきて、ギャビーに自分と一緒に来ないかっていう時は外すんだよ。
あー、あのもうなんかギャビーがふて寝してるみたいな感じになって。
そうそうそうそう。
もう知らないって言ってた。
あー、あそこ外したっけ、そっか。
そう、外して話すんだよ。
はいはいはいはい。
つまりあれはそのやっぱりボニーに対しての役割の象徴であって、ウッディーにとって。
うんうん。
それ以外のこと、要するにギャビーのために何かをするとか。
あれだってボニーのためだったら別にギャビーの元に戻る必要ないし、その時はその役割を外れるんだよね。
なるほどね。
自分で外せるようになるっていう。
うんうんうん。
ま、彼はずっとそれに支配されて生きてきたわけじゃん。
うんうんうん。脱げねえとか。
うん。
わしは帽子が脱げんのじゃないと。
ハゲ隠しなのかなって思っても。
まあでも外した時は大丈夫そうだったなあ。
大丈夫そうだった、まだまだ大丈夫そうだった。
うん。
その、帽子がまあ必要になくなっていくっていう過程ではあるんだけど。
うんうんうん。
でもこれもその、今回初めてそういうその役割の話をしてるわけではなくて。
うん。
これも2作目で実はこの話が出てんだよ。
うんうんうん。
あの2作目の冒頭かな。
うん。
サマーキャンプかなんかになんかアンディが行くからつって、それに一緒にウッディーが連れて行かれそうになるっていう。
はいはいはい。
帽子がないつって慌てんだよなウッディは。
あーあったね。
うん。
ただそれを見たあのボーピープがそれこそ。
うんうんうん。
何慌ててんだつって。
うん。
それがなくても足の下見てみろつって言うんだよね。
あーあったね。
お前名前が書いてあるじゃないかと。
書いてあるか、あるじゃないかと。
うん。
心配するな。
うん。
これある意味そのさっき言ったその要は器の問題ではなくて。
うんうんうん。
すでにそのもう心に刻まれてるものがあるんだから。
うんうんうん。
外見はどうでもいいんだっていうことの考えでもあるじゃん。
そうね確かに。
でウッディはやっぱりその4作目でもその役割に固執するがゆえに。
うん。
ハゲ隠しに固執するがゆえに。
その仲間を危険な目に合わせんじゃん。
そうか。
そう取れるな確かにな。
うん。
そのボニーのためだボニーのためだつってフォーキーを助けるっていうことに固執して。
うん。
仲間を危険な目に合わせてボービーブとかあとあの何ヒツジみたいなやつら。
うんうんうん。
あいつらの足折れちゃったけど大丈夫かなって。
そうね三頭ヒツジのあの足折れたりとかあのあとギグルっていうねあのちっちゃいあのねポリスマンの女の子が飲み込まれるっていう。
そう。
めっちゃ大事だよこれな。
でもそれにもう固執しなくて良くなるっていうのがまあ今回の映画でもあって。
うんうんうん。
それやっぱりこうその生き方ウッディが取った選択っていうのをやっぱり肯定するような映画描き方になってんじゃん。
なるほどな。
一方そのギャビーとかもその。
はいはいはい。
ギャビーも帽子みたいのはないんだけどそれはあのいわゆる発声器っていうさ。
うんうんうん。
その自分の声あの紐引いたら鳴るっていうおもちゃの機械の部分っていうのを壊れてる状態なわけね。
だから本来与えられた役割が全うできないと思っているっていうさ。
最初から壊れてるからこれのせいでおもちゃとしての子供に遊んで大切にしてもらう大切にするっていうことができないと信じ込んでいる。
そうね。
中状態だね。
でも結果的にこれを発声器をじゃあウッディのものから移植されて治ったところで結果的にあのなんだっけハーモニーじゃないの。
ハーモニーハーモニー。
全然見向きもされなかったっていうのでまあ絶望する。
残酷だよな。
何がハーモニーだよってもうあの名前がお前ちょうだろってなるよね。
なんか本当にこう残酷な部分だよね。
そのどんだけそのじゃあ役割に対して自分が万全な状態であったとしても結局それは実は問題じゃなかったっていうさ。
残酷な現実やな。
残酷な現実でおもちゃがいずれは子供から飽きられるっていうことも表してたりとかするけど。
でもやっぱさギャビギャビのさやっぱりそれこそあのもうハーモニーがダメだったからもうダメなんだみたいな感じになったけどその一人になっちゃったわけよね。
やっぱりまたあのこうハーモニーとつながれるみたいな感じで思ってたのがダメだったのがそこでこう長年の孤独みたいなものとあそこでまたさらに一回絶望するっていうことによって迷子の子供をさあれあの本当はボニーのとこ行こうってみんなでバーって言ってたわけじゃん。
でもやっぱそんな傷つきによってそのパッと目に入ったわけよね。
他の人は目に入った、人ってかおもちゃか。
おもちゃなんだけどね。
もういいよ人でなんだったらっていう感じだけど。
なんか目に入ってなかったのが彼女の目には入るっていうだからその失敗も失敗っていうか挫折みたいなものも。
また悲しみとかでもあるのかな。
それも肯定されてるっていうかそれも役に立つって言ったらあれなんだけどそれも人生にとって良きものをもたらすきっかけになるんだみたいな感じになってるからやっぱ肯定されてるって感じするんだよね。
その時その自分が持ってるその発生器っていうものもちゃんと生きてくるっていうさ。
あれが音で知らせることであの泣いてる子供が気づくっていう使い方になったりとかして。
そうね。
なんか完全にそういうじゃあ声とかそういう役割みたいなものが無意味なのかっていうとそうでもないんだよっていう。
しウッディーが前作ぐらいまでにその固執していた子供のためにっていうのを別に間違ってはないよっていうさ。
そうなんだよねだからそれこそさあの皆さんがあの10万人の皆さん今何万人ぐらいは残っていらっしゃいますっていう感じだけど増えたらどうしようね本当に。
立ち打ちできなくなるかもしれないけどちょっと頑張ってみるけどあのやっぱりウッディーがおもちゃであるっていうことをやめるっていうことにその選択が何だったんじゃない。
じゃあこれまでの123は何だったんだよっていう風になってやっぱりこう息取りを感じてるみたいなのがあるじゃん。
でもあの劇中でも言ってるけどあのおもちゃにとって一番こう崇高なノーブルって言ってるからまあなんかえっと誉れ高いとかなんかそういうような多分。
役割っていうのはやっぱ子供に遊んでもらうことだってあの言ってるしみんなそれはそうだなってなってるのよ某もなってるしそこは。
だからつまりウッディーは辞めたけどやっぱギャビーギャビーはその選択をしたしその生き方がいやいやもうちょっと時代遅れですダメですとか全然言われてない。
肯定されてるんだよね。
むしろあのウッディーのその発生期はギャビーギャビーに受け継がれてるんだよね。
そこは全然否定されずにその精神っていうのはきちんと肯定もされてるしちゃんと輝いてるっていう。
しかも広い意味にさらに再解釈されてるって思うわけ自分の選択によって主を決めるっていうさ。
あーなるほど。
ウッディーはある意味そのもうおもちゃってさその子供が買って買われた人に尽くすっていう価値観だったわけじゃんか。
そうね。
じゃなくてギャビーギャビーのように自分で選べるっていうこの人のために自分は尽くすんだっていう選択も含めた解釈になってるからさらに広い解釈になってるんだよ。
うーん。
そうだからやっぱ全然1から3のメッセージも否定されてないし。
そう肯定いい肯定映画だと思うんだけどね。
肯定映画ね。
うーん。
でまあそのさっきそのウッディーの帽子とかの役割の話をしたけど他のキャラで言えば例えばまあサブキャラだけどカブーンっていうキャラが出てくるじゃん。
あーあの金田一のスタントマンね。
スタントマンあいつもなんかサブキャラのように見えてちゃんとあいつが出てくる意味があってあいつもその与えられた役割との差に苦しむわけ。
CMっていうさ。
テレビCMであんなにジャンプできるっていうさ。
本来ならこうできるはずだって言って作られたのに全然できないっていう。
うーん。
その自分の理想との差に苦しむんだけど彼もまたやっぱりそのその象徴ともいえるヘルメットをやっぱ被ってるのね。
あーそうだな。
そうスタントするときに被ってるんだけどそれがやっぱ最後にこうバーンって外れたりするシーンがあったりとか。
うーん。
もうそれから自由になったんだって自分の好きなようにそのこの自分の能力を使って人のために役に立てるっていうとこまで行ったっていうのもあったし。
うーん。
あと意外とやっぱりこの作品であのバズがおざなりにされてるってよく言われてるっぽいんだけど。
あーまあそうねこれはもう最初見たとき最初見たときはなんかバズがアホになっちゃったって思ったねちょっとね。
あれ?って思ったけどでもこれやっぱ見ていくと違うよねやっぱり。
違うんだよな。
バズの意味がちゃんとあるっていうさそのバズの成長がしっかり描かれてる。
むしろ今までが割と俺はなんかあんまりあのいろんなこと考えず葛藤を持たないタイプの人間。
まあおもちゃなんだけど。
まあおもちゃなんだけど。
に描かれてるなと思って今回ははっきり自分との対話をし始めるっていうさ。
そうねインナーボイスを。
インナーボイスって言葉がちゃんと出てくるけど。
うちなる声。
そうカブーンもと同じようにそのまあ彼もヘルメットをかぶってるわけねやっぱ。
で一作目なんか見ると彼のそのヘルメットがやっぱりその象徴になってて。
一作目のラスト要するに自分がおもちゃっていう存在であるって役割を認識した時にはもう外れるわけヘルメットが。
ああそうやったかな。
もともとあの宇宙レンジャーだからその宇宙でヘルメットは絶対外さないわけ。
だから任務中は彼は絶対外さなくてウッディに遊ばれてこう外されたりして焦ったりするみたいなシーンがあるんだよね。
ああ苦しいみたいなことやるとかね。
でも必ずそれをこう閉じてる。
閉めると閉め直すと。
エンディングのその要はクリスマスの時かな次のなんか新しいおもちゃ来るぞっていう時とかはもう外れてるわけ。
もう受け入れてるっていうさ彼の開放性も表してると思うんだけどその。
なるほどなるほど。
自分の役割っていうのも理解してその閉じこもった状態じゃなくてその完全に外れた状態で作品が終わるっていう風にもなってて。
それもすごいなと思うんだけどこの作で言えばその内なる声っていう重要な単語が出てきて。
バズにとってはその胸のボタンを押した時の聞こえる工場で設定された音声が内なる声だって勘違いするんだよな。
そうねあの説明してる時間はないとか言っていくぞとか言ってるあれね。
まあ間抜けだなと思いつつも。
それそうとしか分からないわけ彼にとっては。
なるほどだから内なる声を聞いて。
だからウッディが言ってたのはその心のどこかに内なる声が響いててそれがその行く先を教えてくれるみたいな。
本当のやりたいことを教えてくれるみたいな感じのことを言ってたけどそっかみたいな。
お前の発生機能っていうね。
そういうことも教えてくれるのかみたいになってたから意味が分かってなかったってことだよね。
どういうことなんだろう。
だから任務中も自分の胸を押してその通りにやって意外とそれが正解だったりするっていう。
うまくいくんだよね。
あれがおもろいんだけどギャグになってんだけど。
彼がその最後の最後に要はボニーとその両親が乗った車がついに動き出してウッディとかを置き去りになるって時にもう焦ってボタンをめっちゃ押しまくるわけね自分で。
だからなんかその機械が壊れたと思ってお母さんからバズを取ってなんかうるさいから直そうとする時についに自分の声を本当に発すんだよな。
そうね。
あれはゴハットじゃんトイストフリーAは。
動いちゃダメだし声も発しちゃダメのはずだったよね。
でもバックパックは店だっつって言う。
行くぞ行くぞとか言って。
一応ちゃんとリアリティをつけとくみたいな。
あそこはだからそのうちなる声っていうのが本当の自分の声でもあるんだっていうことが理解した瞬間でもあるわけじゃん。
自分の声で何とかするっていうさ。
そこもやっぱ美しいなと思って。
なるほどな。
バズがそのうちなる声っていうのを獲得するまでの話にちゃんとなってるっていう。
そうかだからやっぱそういう意味でもやっぱ生きる道っていうか見出していって選択していっていくっていうみんなそうなってるわけだな。
そうそう。
でウッディも本当の意味でそのうちなる声工場で作られたうちなる声とかその役割として与えられたものではない自分のうちなる声みたいなものを見つけたからそのもともと工場で設定された発声機はギャビーに渡して声を失うんだよ。
いらなくなるんだよ。
いらなくなったっていうことなのか。
いらなくなるって言うとなんかすごい価値のないもののような気がするけどそれはそれでちゃんと必要としている人のギャビーの元に行くっていうさ。
これもすごいと思うんだけど。
だからあるよね別にもう必要のないなんか時代遅れ的なとかそういうことじゃなくてもう俺には。
俺には必要ない。
必要がない。
あれはあるでいいんだろうけどねわかんないけど。
でも受け継ぐべき相手がいるっていう風な感じになってるってことか。
そうそう。
そんな話よく思いつくよなっていうさ。
いやーすげーよなー。
全部それがこうこの何主要キャラクターだけで4,5人いるけど全部それがつながっててで全部を肯定してるっていうさ。
うんうんうんうん。
これがすごいと思うんですけどねっていう。
そうっすねー。
そうなんだよなー。
いい話だと思うんですけどねっていう。
いやこれでも嫌いっていうねあの感じではあるんだけどなー。
でもなんでなんだろうなっていうさ。
今見てきたのも結構その一個一個論点を潰していくっていう物理な行為をしてきたなっていう自覚はあるんだけど。
潰さに潰していくって。
潰していくっていうのはもう何も言えなくするっていうさ。
うーん。
結構この映画あのなんていうのかな批判されてたりするっていうのはなんかそこじゃない気もしてるっていうかさ。
うーん。
なんだと思うっていう。
うーん。
なんかこう一個あるのは本質じゃないかもしんないわからないんだけど。
あのー。
1,2,3までって悪者がちゃんといたんだよね。
そうだね。
いたいた。
1だったら隣の家のあの少年ね。
シド。
あ、シドだ。
おもちゃ魔戒像描きね。
2だったらあのおもちゃ屋の店長ね。
店長。
おもちゃ売り飛ばしデブね。
店長およびあのなんだっけウッディと同じおもちゃグループのおっちゃん。
そうだそうだ。
プロスペクターみたいな名前のやつ。
はいはいはい。
あいつそう。
日本行きたがりジジイね。
法日客っていう。
そうそうそう。
店長にまあまあ彼はどうなったのかなもう忘れちゃったけど。
3だったらもうねロッゾでしょ。
ロッゾ。
あの人形ね。
ロッゾはなんでこうなっちゃったのかっていうエピソードもちゃんと描かれてはいるんだけど。
でもねやっぱりあのゴミ処理場でウッディが彼をロッゾを助けて、
であれであのベトコミは止めてくれって言った時に、
なんてさアンディに助けてもらえなみたいなことを言いながら止めずに逃げるみたいな。
要するにこういう何が言いたいかっていうと、
いろいろ事情があるにしてももう心置きなく叩き潰していい敵っていうのが設定されてて、
でみんなちゃんと痛い目を見るわけ。
そうそう。
っていう物語の構造としてはすごいシンプルに一貫してるんだよな1,2,3って。
すごいこう流音が下がるようにできてるっていうね。
4はいないんだよねやっぱりね。
ギャビーが一瞬そうなのかなって思いつつもそんなことはないっていう描き方があるっていう。
面白いやっぱりギャビーも生き方というか役割というか選択できずに、
てかそこの葛藤で苦しんでる主人公のうちの一人だったんだねっていうことになるじゃん。
でみんな救われていくってだからすごい好きなんだけど、
どうしても俺あんまりこいつは悪役ですみたいな。
こいつがいなくなりますOKみたいな感じの物語があんまり得意じゃないから。
なんだけどやっぱりこう燃やつくよね。
特にその3との対比がよく語られるじゃん。
3は最高だったのに4がマジでブスイなものつくんじゃないみたいな。
3って今見返すとやっぱりね自分たちは被害者なんだっていう描き方が強いよっていう。
特にサニーサイド保育園みたいなさ。
あの中では本当にその一部の悪によって虐げられてる者たちがいた。
それがそいつらを解放する話だから革命の話だよねあれ。
要するに独裁者がいて民衆が革命を起こす。
捕虜が革命を起こすみたいなそういう話は熱い話だよね。
熱い話なんだよ。
多分あれが受けた時代も特にウォールストリートとかのその一部の金持ちが上位ナンパーが世界を牛耳ってるみたいなことが言われ始めて結構久しい時だったと思うわけ。
なんかデモとかが結構アメリカとかでもいっぱい起こったりとかして。
それをひっくり返すんだっていう気持ちがやっぱり乗りやすいっていうそのエモいっていうね。
なんか自分の持ってる鬱憤を乗せやすい物語の作りになってて。
それはそれで気持ちいいよね。
そうね。
ただやっぱりそうなーこういう言い方もあれなんだけどガス抜きみたいなものじゃない。
でも現実の中あんまそうなってないじゃん。
分かりやすい悪がいて、悪大官様がいてさ、東山の金さんなり大海自然なりさ、水戸公文がきてさ、叩き切って終わりにできるわけじゃなくて、
なんでこんなことなってんだみたいな感じなんだけど全員苦しいみたいな。
得した人もいるんだろうけどあんま得してねえよなみたいな。
なんか幸せそうには見えねえなみたいな感じのリアルがあるから、
そのなんか留院が下がるのは一時にはいいんだけど、こう、
なんつったらいいのかねえ。
難しそうな顔してる。
なんつったらいいのかねえ。別に否定したいわけじゃないんだけど。
もう言っちゃえなよ。
言っちゃえよ15万人本当に。
これ願えるかな本当に。
すぐ願える。
やっぱり、ただ自分は被害者であって、被害者側であって、悪い奴がいてそいつが叩き潰されるっていうのが正しいんだっていう、
あんまり現実世界、現実社会、我々の生きているこの世界では、通用しない幻想的な正義みたいなもの、
裏返すと幻想的な被害者感みたいな感覚みたいなものを増長するだけなんじゃねえかっていう気がするんだよね。
いじわるだけどね。そんなことまで言うなよ。そこまで細かく言うなよって話ではあるんだけど。
やっぱりその現実世界ってのは複雑なんだが、
それをシンプライズしてみたいっていう欲望は結構陰謀論とかも通じるじゃん。
まさにそういう流れが今大きくネット上で起きたりとかしてるのも、その欲望がすごい乗っかってるなって思うし。
それで言うとやっぱりその、おもちゃの話じゃんっていうさ、
もともとその現実世界っていう複雑なものをシンプライズして子供にもわかるように描くっていうのはピクサーのすごいところではあるよね。
って思ってたのに、4作目で複雑なものを提出されたっていうふうなので、反発が起こったのかなと思うしな。
現実見せてくんじゃねえよっていうことね。
やっぱその同じような声で、トイストーリーで、この映画自体はいい映画だけど、トイストーリーシリーズでやんなよっていうさ。
ああ、やめてくださいって言われるわけね。 バンっていうね。もう見ない方がいいですっていう人が出てくるのかもしれない。
一生終えて、ああ、現実を見ずに一生終えた方がいいってことですか、あれは。
つまり4作目は現実なんだっていうさ。 なるほど。
最初に紹介したツイートで言えばさ、トイストーリー3に感動した人4を見ずに生涯を終えてほしいっていうのは、4っていうのは人生に置き換えられるっていう。
現実をか、現実を見ずに生涯を終えてほしいっていうさ、っていうふうに読み取れる。
切ねえ、切ねえ。それでさ、でもこうさ、何寝言言ってるんだとか言って言えればいいんだろうけど、いや言えちゃダメなんだけどきっと。
やっぱそう読み解くとすげえ切ねえよななんか。切実だよ。だから15万も集まるんだよ。ねえ皆さん。
どっちにつくんだよ。だから現実2のやっぱりもうそのフォーキーが体現してたみたいにもう不条理だらけなわけ。
意味わかんないよね。 意味わかんない。なんか一緒にいようねって言ったっていないことになるし。
っていうか死ぬんだから本当に。なんか人間ならいつかは死ぬ。でも人形はまあ死ぬっていうことを今までほとんど描いてないから、まあ別れるってことになったりするとかさ。
それによって間接的に死っていうのを描こうとしてたんだろうけど、なんつーのかな。
現実で言えばいつかは終わりが来るようなことっていうのをフィクションに描くなっていう意味もわかるんだけど、そもそも映画っていう器だからっていう。
ベタでそのキャラクターがいるわけではないし、やっぱ人が作ってそれに意味を込めるっていうその人の人生が映し込まれてるものじゃん。
その状態でそのおためごかしみたいにずっといつもいるっていうことができなかったんだと思うわけ、ピクサーの人たちからすると。
もうそのおためごかしはしたくないってなったってことね。 まあ知らんけど、俺が勝手に表記させてる。
全然我々ピクサーから何もピクサーとの繋がりが欲しいな本当に。 欲しいな、連絡くださいピクサー。
いやだからあれよね、さっきのキャラクターが一人でに動いてるわけじゃないっていうことじゃない。
キャラクターを動くためにキャラクターを動かしてるわけじゃないわけよね。
キャラクターたちに燃えさせるためにキャラクターたちを作り出してキャラクターたちを動かしてるわけじゃなくて、何か人が作ってんだっていうね。
人が何かを言うためにキャラクターを作り出し、一個一個の物語を作り出し、映画を作り出して、それを我々にメッセージを込める器だってことでしょ、映画が。
人がメッセージを込めて人に渡すための器なわけね、こう渡してるわけね、手で持ってる器を。 大きい、つまらぬものですがみたいな感じで。そこの視点がなかなか持てないっていうことなのかもしれないな。
どんどん持てなくなっていくと思うんだよ。
そうね、それこそ確かに、さっき鳥谷さんが言った通り、現実を提示せずにおためごかしするのをやめようって、たぶんなったんでしょ、ピクサーが。
それは象徴的だなと思うのが、やっぱり最前から何度も言ってるけど、キャラクターたちが自分の人生を選択して葛藤を乗り越えて、自立していくわけよね、それぞれに。
今までは、ワンツースリーでは何が一番恐怖として、おもちゃたちの恐怖として描かれてたのかっていうと、これはもう一貫して用済みになることだったわけだよね。
捨てられるっていうね。 そのことを避けるためにっていうか、そのことが行動の原理になってるっていうか、モチベーションになってるわけよね、すべてのきっかけになってるみたいな感じだけど、それを捨てたわけじゃん。
そういうふうに描かないことにしますっていうことじゃん、フォーは。それは何なのかって言ったら、見てる人たち、さっきも出たけど、見てる人たちは持ち主、子供に自分を投影してるんじゃないかっていうふうな話あったじゃん。
これはちょっと意地悪にいろいろ考えてみるに、いくらでも用済みにしていいんだよ、こっちは。自由にしていいわけ、おもちゃたちのことを。おもちゃたちは用済みに絶対になりたくないわけ。
どんな存在に扱ったとしても、向こうから自主的にこちらに対して一緒にいるっていう奉仕をしてくれているっていう、こういう構図になってるでしょ、ワンツースリーと。それをやめたわけでしょ。
なんでかって言ったら、わかんないけど、自分は自由にしていい、この周りの人たちを、おもちゃたちを。で、向こうはこっちを必ず立ててくれる。絶対に離れないし、歯向かっても来ないっていう、この構図って要するにハラスメントの構図じゃん。だからやめたんでしょ。
そうだろうね。
ラセター聞いてるか?
そういえば、ラセターの件に触れてないっていう。
いやだからもう別に、なんていうんかな、あんまり外側線みたいなのをさ、あんまりするのも良くないと思うから、映画について感想を語る中で。でもなんかどうしてもやっぱそこは、つまりジョン・ラセターさんっていうね、ウォルト・ディズニーのサイライダーみたいな感じで言われてる人がいたわけでしょ。
ピクさんね、ずっと言ってトイ・ストーリー作目もラセターがいたから。
123つかさどって。
出来上がったっていう。
その人がかなりひどかったわけでしょ、セッカハラで。で、パージされちゃったわけじゃん。やっぱ123は素晴らしかったと思うけど、やっぱ構図としては彼の世界観が色濃く出てたわけよね。
それはすごく観客にとって心地が良かった構図でもあるわけよね。でもそれっていうのはやっぱりダメなんじゃないの。みんなを自由に従えられる、何してもいい、こっちは何してもいい、向こうはこっちを絶対に従事するみたいな、奉仕するみたいな。
っていう風な、それも現実じゃないですか、そんなのダメだから、やめようっていう風になったっていうメッセージでもあると思うから、やっぱり現実に真摯に向き合った人たちが我々人に向かって器を投げつけてきてんだと思うんだけどね。
結構いい器だよね。
うーん。言い過ぎなのかな、これは。
でも映画っていうもの自体がある意味、おもちゃ遊びでもあるじゃん。監督っていう立場があるとしたら、それがお人形っていうのを手に持ってこういう風に遊んでお話を作っていくっていうのは、映画の原体験というか一番最初に子供が行うようなドラマ作りだったりするわけじゃんか。
そうだね。
やっぱり4作目でそのオープニングがそのシーンから始まらなかったっていうことには、すごく重たい意味があると思うんだよな。
うーん。って思うんだよなあ。
いつもにまして綺麗のない思うんだよなあっていう。
これやっぱ難しいんだよなあ。そんな苦い話は聞きたくないし、そんなもん映画に求めてないって突き詰めると言われてるってことじゃん。
うん。
そうか。隠しみたいな感じじゃん。
ちょっと隙が寄って帰ろうっていう。
ああ、なんか怖かったなあつって。チーズ牛丼大盛りでつって。
うーん。
難しいねえこれって。見たいものしか見れないっていうのは人の真実ではあるわけですよ。
うん。
トイレ行ってきていい?
おいどうぞ。何なんだよ。
よいしょ。っしゃあ。いけるぞ。
いけるぞ。
いけるぞ。っしゃあ。
しゃあ。あ、俺ちょっとわかったわ。
うん?
今お前がトイレ行ってる間にわかったわ。
ちょっと待ってよ。俺ちょっと今じゃあペットボトル置いて、あ、別にペットボトルにトイレしたわけじゃないけど水を飲んで。何?わかった?
わかったわ。
超苦しんでたよ今ほんとに。
わかりました。見えました。
おお。トイレに行った甲斐があるというもの。
その現実はもう見たくないっていう人たちに今もう一回見ろっていうことも言っていきたいけど。
そうね。
その人たちにどういうふうに声をかけてあげれるかっていうのをこのトイストーリー4を元に考えるなら。
うんうんうん。
やっぱ俺らこの今話した中でも言ってたけどさ、この映画の素晴らしいところっていろんなキャラクターがそれぞれ、それぞれの段階で成長する姿があったわけじゃんか。
うんうんうん。
で全てを肯定してるっていうさ。
そうね。
で言えばやっぱりそれぞれにはそれぞれの段階があるんだよね。
うん、そうだな。
あの一作目のウッディの時に、いや自由になって子供の元から離れていっていいんだよとか言っても意味わかんないと思うわけよ。
うんうんうん。
ね、バズなんかだっていう宇宙飛行士だと思ってたわけだから。
うんうんうん。
もうあの同じか、そんなことより先にやることがあるみたいな。
そうそうそう。
分からせることがあるよね。
何言ってんだよって言ってる状態でもあると思うわけ。
そうだな。
でもしかしたら俺ら今話してるこの内容もその状態なのかもしれない。
俺らが何年か後にまたなんかこのトイストーリー4を見たら、なんだこれ打足じゃねえかっていう一瞬回ってね。
確かにな、確かに。
なるかもしれない。
でも今はしょうがない。もう段階があるから。だから10年後にもっかいトイソーリフ4を見て、老害になるのを防ぐ。こんなことを言うための会だったっけ。
俺ももう一個思いついた。器の。
思いつきで言う大会だよな、でもポッドキャストになったら。
そうなんだよ。
そうだよ。
何が悪いんだよ。好きでやってんだよっていう。
なんで被害者意識を折れながら。
器の話っていうことで言えば、歳をとると器が大きくなるんだよ。
おー綺麗にきま…お後がよろしいようで皆さん、チャンネル登録高評価よろしくお願いします。
いいのか。
そうだね。
やっぱそのいう意味での器も大きくなっていく。許容できる範囲も大きくなっていくっていうのは、それはもう実感としてあんじゃんなんか。
わかるよ。
多分言っても伝わらないかもしれない。何言ってんだっつってなるかもしれないし。
それこそ老害だっていうね。
そう、なんかお前らまだまだ若いんじゃんみたいなあれに取られるかもしれない。
実際にまだ若い。
若い。そうなんだけど。だからまあ年齢を重ねていくにつれ、これでも番組でもずっと言ってるけどな。
その見る時期によって変わってくる映画っていうのはやっぱりいい映画だなみたいなさ。
そうね。
出るから。
いや、だからやっぱでも、はい。また。
来ました。
今日俺らのこと言っていい?
持ってるな。
持ってるな。苦しくない?
思いつくね。
いっぱい言えばいいと思ってるんじゃないかなみたいな。
そうですよ。若くて、ヘンクスじゃないけど許せないものと譲れないものが多いみたいな状態からさ、大人になって寛容になっていくって言って。
それが慣れなかったら老害になっていくみたいな。つまりでも二人は変わってない同じだねっていう感じなんだけど、どう変わっていくのかって言ったらさ、やっぱさ、やっぱりこれ人と接していくことで変わっていくじゃん。
人に何か言われたりとか、人と何かこう行動していく中で学んでいったりとかさ、その中でも挫折していくことで学んでいくみたいなのがあるじゃん。
で、さっき我々見出したように、映画はやっぱり人が何か言ってるわけ。人が何か言ってる人の話なわけよ。
ってことはやっぱりこれを繰り返し繰り返しというか、織りに触れて聞いてみる。人の話を聞いてみることによってやっぱり変わるきっかけに絶対なっていくんだよね。
で、俺はすごいその実感があるやっぱり。映画によって教えられたなって、救われたなっていうのがやっぱあるから、それはやっぱり人が何か伝えかけてるわけ。
映画が一人でにできてるとかキャラクターが一人でに動いてるんじゃなくて、人が何か言ってきてる器を受け取ってるわけ。超高速の器とかを。超重力の器とかを。
なんでその暴力的なんだよっていう。
いや、映画は暴力だと思うよねとか言って、それはちょっと置いといて。
でもそういう愛の無知みたいなのを受け取ることで、でもやっぱりどんどん寛容になっていくし、寛容になるっていうのはつまり楽になっていくってことだから。
だから、皆さんもう今は嫌で嫌でしょうがないだろうけど、10年後にやっぱりトリストリフを見てみて、見てみてそのメッセージをもう一回聞いてみてくださいと。楽になるよーっていうね。
聞くよーって。これ2袋いったら聞くよーっつって。
ヤバいから3袋無理だからっつって。
はい、はい、はい。
はい、どうぞどうぞ。
じゃあ最後に。
はい、とりあえず行くよ。
あの、もう一つ。
はい、どうぞ。
この方式でポッドキャスター名乗って大丈夫なのかなっていう。
全部過剰が気になる。
下手くそすげるだろって。
最初にさ、ツイートを読んだじゃん。トリストリ3に感動した人4を見ずに生涯を終えてほしいっていうのを深めるシネマ的に書き換えるなら。
トリストリ3に感動した人、まあカッコ、トリストリ4に激怒した人、生涯を終える前にもう一回見てほしいっていうので、後でツイートしておきますっていう。
お願いします皆さん。12イイネとかだったら、ちょっとトリミアさんが老害になっちゃうかもしれないから。
5時になっちゃって、傷ついて。
そうです。
ぜひとも皆さん、もういいよでも、それにイイネしなくていいから、とにかく10年後に見てみよう。
10年後じゃなくてもいいよ別に。5年後でも明日でもいいから、もう一回ちょっといつか。
いつか。いつでもいいです本当に。
何回か、なるほどってなるまで、だって好きなウッディとか出てるわけでしょ。
そうでしょ。
やっぱダメだな、どうせダメなんだよとか思いながらでもいいから、何回か見てほしいなっていう。
そうだよ、どうせあいつの言うことはいつもつまんねえとか言って思ってたやつから、すっごい突き刺さるような励まされるようなこととか言われることあるから。
あるからね。
あいつこういう意味で言ってたんだとかもいっぱいあるから人生。ごめんなさいもう本当に。
ごめんなさい。
過去僕に声をかけてくれた人たちごめんなさい本当に。今わかりますってこと多いっす。
あの時あんなに無限にしたのに。
そう。そういうことだよな。そのメッセージすらこの映画には含まれてるってのはやっぱすげえよっていうさ。
うんうん、そうね。
なんかその言ってることが変わるのからダメだみたいな批判コメントもあったじゃん。
1から3。
そう言えばそれもあったな。
でもそれはさ、変わるからっていうさ。変わることは決して悪いことではないし。変わっていいよっていうさ。
そう。てかその変わるっていうところに自由があるわけじゃん。
そうね。
例えば俺10年前にそれこそああ言ってたじゃんって言われてだからお前ダメだって言われたらもう辛くてしょうがないよ。
うんうん。
全然別の人間になってんだよもう。でもそれはかといって逆もしっかりで、俺10年前にああ言ったからもうひじきは食べませんとかさ。
例えばね。わかんないけど。
例えばね。あくまで例えです。
それはすごく自己拘束的だし他者を踏まるものになるから、やっぱ変わっていくし変わっていくことはいいことだ。本当に。それを教えてくれてんだよ。
うん。
うっていたちが。あのうっていたちがだよ。
会ったことはない。
そうなのよ。会うことがもう絶対にできないっていうか、お前物理なこと言うんじゃねえよ。キャラクターは生きてんだよお前。
だから僕らもこれからこんな感じで自由にポッドキャストを撮っていきますんで。
挙手制を投入しますっていう。
言い出しますんで。効率に聞いてね。
番組の感想はXのハッシュタグ深めるシネマや番組概要欄のGoogleフォームでお待ちしてます。