深めぬシネマの始まり
ちょっと新コーナーみたいな感じでやっていきたくて。 おっと、毎日映画トリビアの?
え? いや、ごめんごめん。ちょっとね、さっきまで雑談してたもんね。 テンションがおかしいっていう。
変なテンション。 全然、冗談を言い続けてたから、ちょっとね。新コーナー。
いや、あの、いつもその深めるシネマっていうスタイルでやってんじゃん、なんか、俺ら。 うん。
だいたい古い映画が多いけど、新しい映画もちょいちょい取り扱いながら、複数回お互い見てきて、打ち合わせもじっくりやって、じゃあこの切り口でいこうみたいな感じでやるっていう深めるシネマの回と別に。
なるほど。 カジュアルにちょっと最近見た映画についてサクッと語るみたいな。
なるほどね。何も考えずに、うろうぼえの状態で、何の話だったかも覚えてないけど、語ってだんだん思い出すぐらいの。
そう。 いや、まあ、いつも準備めちゃくちゃしてきてるから、それくらいね、特に新作映画とか、そのくらいの感じで喋るコーナーっていうよね。
フットワーク軽くやっていこうと思って題して、深めぬシネマ。
おー、面白い! なるほどな。
え、お前これ何? さっきまでの冗談ばっかり言ってた雑談の流れじゃなくて?
なくて、3日ぐらい寝ずに考えた結果、深めぬ? みたいな。
おー、浮かんじゃった。 浮かんで。
浮かんじゃったんだ。 だからぬの回。
ぬの回です、これは。 ぬの回でいこうっていう。
いいかな。浅めのシネマだとなんか本当に浅いみたいでしょ? 深めぬ。
割とこう、瞬発力みたいな。映画見てすぐどのくらい喋りたいことが喋れるかみたいな意味で、やったらおもろいかなと思ってやろうかなと思ってたのは、
思ってたのは昨日までの話で。 昨日の俺で、そんなことは一切やらないんだけどっていう。
話の腰の折りすぎるのは良くないなっていう、さっきも雑談の中で出たので。
いやいや、そういうふうに思い立ったのも、トモヒーから喋りたい映画があるって連絡が急に来たから。
そうなんです、これが。 何?
1回しか見てないけども、深めぬ感じで語りたいのは、
ルックバックです。
ちょっと遅くない? 赤やっぱ。
どうなのかな? まだでも全然みんな見てるんじゃない?
そう、俺地方に住んでるから、で、1カ所しか映画館でやってないの。
うん、そっか。
で、平日の夜っていうか夕方か、6時ぐらいから上映のやつに行ったんだけど、結構入ってたよ。
やっぱね。
そう、夏休み中のもあんのかな?
若い人が多かった?
若い人が多かったな。でも俺と同じくらいのおじさんとかもいたり、若めのカップルとかがいたり、集団で大学生っぽいかなみたいな、高校生かなみたいなのが。
みたいなのがって、方々が、みたいな観客の皆様がいたりして、まだね、あの、絶賛上映中で、まだ話題にはなってるだろうという感じだね。
俺もまあ、公開してすぐじゃないけど、ちょっとなんか評判がいいから、1回は見てるんだけど。
なるほど。
な、なに? どうしたの? ルックバックがどうしたの?
ルックバックが、ルックバックがなんなのさっていう。
刺さったのか刺さらなかったのかもわかんないけど。
あー、そうねー。
いやこれね、あの、結構ね、複数人の人に勧められたの。
うんうん。
直接的にも関節的にもっていうか、これを見てトモヒーさんがどう思うのか、ちょっと気になりますねみたいな感じで言ってもらったりとか。
トモヒーくんはこれ好きなんじゃないかな、ルックバックみたいな感じで、言ってたらしいみたいなのを聞いたりとか。
っていうのがあって、だからどうなんだろうなーと思って、見に行った。
助動じゃいと。
そう、なんちゅうかな。
そう、買うんじゃいっつって。
いやでもなんかこう、どうなんだろう、なんでなんだろうみたいな感じで思いながら、見に行きました。
結果、結論から先に言うと、あんま好きじゃなかった。
あー、そうなのか。
そうなのよねー。
でもみんな絶賛してるよ、たぶん。
そう、そうなのかな。
ただ、気に食わなかったとか、みんながいいっつってるから逆張り的に嫌いみたいな、そういうことではなくて、ずっと違和感みたいなのが見てる途中から感じ始めて、途中まですげえよかったのよ。
ぶっちゃけちょっと泣いちゃったシーンとかあったりとかして。
そう、って感じだったけど、違和感が途中から芽生え始め、エンドロールが終わるまでその違和感が取れず、バスに乗ってる間も違和感とともにバスに乗り、
帰りにスキヤじゃない、松屋に寄ったんだけど、うまとまハンバーグの注文をしながらも違和感があり、
長引くな。
うまとまハンバーグ?みたいな感じで。
うまいの?みたいな感じに。
いやでもね、これでうまとまハンバーグ食いながら考えた結果、この違和感の正体というか、俺なりにここがちょっと納得いかなくて、だからちょっとこう、あんまり好きじゃねえなって感じになったんだなっていうのが1個あんのよ。
ちなみに俺も、今聞いてちょっとびっくりしたんだけど、お前と同じなんだよねって。
え、マジで?うまとまハンバーグ食ったの?
そっちじゃねえよ。
うまとまハンバーグの件じゃなくて。
なんだよ、うまとまハンバーグの話しようぜ。
なんかちょっと気に入らなかった映画の話するくらい。
俺言ったことねえんだもん、うまとまハンバーグ。
なんだよ、やめようやめよう。
脇道にそれすぎるのはよくないから。
よくない。
これしかもある程度短尺にしたよね、このコーナーはね。
このコーナー。
あんまりシネマの時よりはね。
でも俺も、たぶん同じところに違和感を感じてるかどうかはまだわかんないけど。
あーなるほどな。
見てる途中までは、なるほどなるほどって。
まあでもそんなにそこも、
お前は今泣いたとか言ったけど。
そこもそんなに、
俺個人的には刺さんないけど、
まあでも感動する人はわかるなとか。
って思って。
途中から、
え?これは?
っていうのがだんだんでかくなったから。
これはニンニク?みたいな。
うまとまハンバーグの話しようぜ。
なったんだ?
なったからちょっとそれ聞きたいわ。
あーそうね。
まあちょっとなんちゅうかな。
それを先に言っとくと、
ちょっと批判めいたことも
言います。
ただその、なんつったらいいのかな。
ちょっと思ってもらったような言い方になるんだけど、
この映画には、
あるカラクリが、
物語の中に含まれてて、
構造と言っていいかもしれない。
含まれてて、
それによって、
あるものが決定的に欠けているっていう
話をちょっとしてみたい。
で、
意味が分かんなかったら、
全部やめて、
かつやで何一番食うかっていう話を
するから。
みんなが共感できる話しないといけないから。
そうそうそうそう。やっぱね。
そう。
まあちょっとね、話してみようかな
っていう感じだよね。
どっから話そうかね。
まあなんかさ、ちょっとさ、振り返って
主人公の漫画の才能とライバルの登場
ルックバックしてみると、
主人公が、
小学校の時に
学級新聞で漫画描いてて、
一番上手いんだみたいな感じで、
褒められて万能感があったけど、
藤野だっけ、
藤野でいいね。主人公藤野が
そういうのがあって、
で、ライバル京本が
出現して、引きこもりの。
その子の方が上手くって、
努力を重ねるんだけど、
ポキッと折られるわけよね。
うん。
なんだけど、ポキッと折ってきたやつ
っていうのが、
だけが自分のことを認めてる
人で、ライバルこそが
自分の実力を認めてくれてたみたいな感じで、
やる気を持ち直して
というか、
ずっと一人で描いてたわけよね。
それが、分かってくれてる人がいたし、
それしかも自分が実力を認めてる
相手が分かってくれてたみたいな感じで、
一人じゃないんだみたいな感じになって、
また描くことにしたし、
二人で描くことになったっていう。
感じよね。
田んぼのあぜみくっちから
帰ってくるあのシーン、
あるじゃん。
卒業証書渡して、
なんか描こうと思ってるんだよねみたいなことを
いじっぱりで言って、
でももうなんか、舞い上がるような
気持ちで帰っていくっていう。
俺ね、あそこのシーンで
泣いたのよね。
なんていい話なんだみたいな。
一人っきりでやってたけど、
実は、
孤独じゃなかったんだ、仲間がいたんだ
みたいな感じになったっていう。
なんて美しい話、いい話
って思いながら、
もう帰り絶対うまトマ食べようって
思いながら、
こんないい話なんだから。
ってなってたんだけど、
方向性がだんだん二人がずれていって、
歩んでいきたい未来に
ずれが生じて、
で、うまいこと
話し合えずに、
別の道行くことになったと。
で、ある
事件が起きてしまって、
これもうネタバレでいいと思うんだけど、
普通に、通り魔殺人
の被害に、
京本の方が
会っちゃって、
死んでしまったと。
仲違いしたまんま死んでしまったと。
違和感と通り魔殺人のシーン
で、藤野は
自分のことを責める。
でも、京本との
日々を思い出す中で、
立ち直っていくわけだよね。
本当に、私が
悪いんだみたいな感じになって、妄想的にも
なっちゃうんだけど、ああいうことしなければみたいな。
自分がその漫画の道に引き込んだ
ばっかりに、みたいな。
引き込まずに、
引きこもらせとけば、みたいな感じに。
ショックを受けすぎた人の妄想が
働いちゃって、っていう感じになって、
でも、違うんだなっていうことを
思い直して、
だから、京本いなくなって、
一人だと思ったんだけど、
京本の残したものとか、
京本との日々をルックバックすることによって、
また一人じゃない、つって。
なって、また描き始める。
めっちゃいい話じゃん。
何のケチをつける
ところがあるんですか?
どこが悪いんだよ。
っていうね、なるんだけど。
俺が見た回も、みんななんか
終わってから、いい映画だったね
ってみんな言いながら、口々に
去っていってたよ。
そうなんだよ。
ただ、
ただ、
誰?
そしなじゃないの、これ。
そしなの、なんかあれでしょ。
よく知らないけどいい。 若い子についていけば。
ルックバックもね、
若い子向けだろうから、分かんないけどね。
うちさんがこれからケチをつけるようで、
申し訳ないんだが、
何て言うんかな、何だろうな、
その違和感みたいな感じに、
途中からだんだんなっていって、
でも、いつからかな
っていうのを、
見た後に考えてるときに、
やっぱりね、決定的に
違和感が生じたのは、
通り魔殺しによって
京本が死ぬっていう
シーンなんだよね。
甘やかされる主人公
もう一個違和感がさらに生じたのは、
それを、藤野が
私が
あいつを部屋から
出さなければよかったんだ。
私が悪いんだってなる
ところ。
さらに首がかしげていくわけ。
俺はなんか、ん?みたいな。
これ何なんだろうな、ここの違和感は
どういう違和感だろうなっていうのを
思ってたんだけど、
ちょっとうまく説明できればいいなと思うんだが、
まず思ったのは、これは明らかに
藤野は悪くないよね。
でも責任全くないよね。
この不幸っていうのは、
物語の中で見てても、
かなり唐突に、
突然に、
全く理不尽な形で
悲劇が訪れるっていう
形になってるじゃない。
それについて、
藤野は自分のことを
責めてるわけ。
つまり何なのかっていうと、
おそらくだが藤野自身も、
私が悪いんだとは
言ってるけど、
本当は自分は悪くないっていうことを
どっかで多分気づいてる。
っていうことになってる。
唐突な悲劇の出来事
悲劇は
起きたんだけど、
その悲劇の
責任っていうのが、
実は主人公にはないっていうこと。
俺が言いたいのは。
外側から
突然、完全に
理不尽な形で、
悲劇が、不幸が
来るっていう。
ここに
違和感が一番
生じるんだなって思う。
これすっごく
意地悪な言い方をするんだけど、
これ何なのかっていうと、主人公は
甘やかされてるんだよね、これ実は。
カラクリとか
構造とか言ってるけど、つまり主人公甘やかしの
構造が実はここにはあって、
悲劇が起きるんだけど、
実は主人公には
何の責任もない。
けど主人公はそのことに
自分の責任を感じて
苛んでる。
あらかじめ救われることがもう
確定されてるわけ。
なるほどね。
本当はだって悪くないもんねっていう。
実は
藤野に
じゃあ何の罪も
なかったのかっていうと、そんなことはないんだよ。
実は。
これ一番この物語の中で、
藤野が問われる
べきだったのは、
何だったのかっていうと、
京本を部屋から出した
とかそういうことじゃなくて、
親密な
関係にある親友と
方向性が違う
ってなった時に、
素直に話し合いができずに、
自分を守るために意地を張って、暴言を
吐いて、それで仲違いして終わってしまった
っていう、そこに実は
一番の彼女の
幼さというか、
象徴的な意味でね、
別に犯罪じゃないけど、
罪があって、
本当はそこを問われるべきだったはずなの。
そうね。
なんだけど、この物語は
そこが
免罪されてるわけ。
そこじゃなかったもんね。
フラッシュバックみたいなので、
主人公藤野が
罪の意識に苛まれる
みたいなのがやっぱりさっきの
引きこもりだった
凶悪と引っ張り出したこと
私のせいだ
っていう、言っちゃ
悲劇のヒロインっぽい感じに
そうね。
意地悪だな、お前。
意地悪です、すいませんっていう。
ふうに
見えるようになっている
と思うね、俺は。
俺ね、
これまた
意地悪というか、なんか
あれな見方だけど、俺てっきり
話の流れ上
わ、凶元自殺すんだって
思ってたね。
で、
あの時
ああいうこと言ってしまったからとか、
あの時、自分を
守るために
凶元と話し合いができなかったから
意地を張っちゃってっていう
ところで、藤野が
自分を責めて、そっからなんかこう
でも部屋の中見たらとか
そういうことなのかなと思って
言ってたんだけど、どうやらそうじゃなかった
わけね。
つまりこの、もうすごい
本当に意地悪な言い方だけど、繰り返しになるけど
ここにはやっぱ主人公甘やかしの
構造があるわけ。
で、これは取りも直さず
どうなってるかっていうと、観客が
甘やかされるわけ。
意地悪だな。
意地悪1と意地悪2だ。
深めぬシネマじゃなくて、意地悪シネマ
意地悪シネマだよな。
これはつまり
やっぱり2つ
意味があって、1つはわかりやすく
我々が
自分でも刺されなきゃ
いけなかった、自分の中に見つめなきゃ
いけなかった、大切な
人だと思ってるのに
大切な人だと思うからこそ方向性が
違うみたいになった時に
自分の自我守り
じゃないけど、自分を守るために
意地張って暴言吐いたり
とか
人生の言うこと聞かずに
嫌だみたいな感じで
自分のがだけを通そうとしたり
ってあるじゃん、人生の中で
ある。
深めぬシネマ 後悔する思い出として
1つや2つあると思うんだけど
そこが
主人公が免罪されることで
主人公が甘やかされることによって
我々も問われずに住んでる
その代わり考えることは
あの時
引きこもりだった親友を
責めなければっていうこの
いやいやそんな大丈夫だよみたいな
そんなことで自分責めなくて大丈夫だよって
すぐ言ってもらえる
すぐ言ってもらえる
優しい言葉込みの
悲劇になってるね
だから私が悪いんだ
私は確実に悪くないっていう
すっごいね
意地悪なあれだけど
かっこの中に無意識の言葉が入ってるわけ
私が悪いんだ
いや全然悪くないけど本当は
なんかあるよね
そういう本当に
ごめんっていう
みんながいや全然
悪くないよって言ってもらえる
瞬間みたいな
だから
そんなことないよの
ゴーダスじゃん
そんなことないよ
ユスリじゃん
やっちゃうじゃんでも
そうわかる
そう
本当にその
事件の起き方とかも
唐突だったっていうのもあるし
俺が結構
違和感を感じてるのはやっぱりその
トリマーというか無差別殺傷事件かな
起こす側の人間が
本当に外部の人間としか
描かれてないっていう
その主人公が
本来向き合わなきゃいけない
問題と
関連のある悲劇が起きる
とかなら
すごく意味がわかるんだけど
防ぎようもないし
言ってみればちょっと頭のおかしい人が
何かしらのことで
起こしちゃうっていう
あっち側の感情は一切描かれてない
っていう
っていうのに結構な
恐怖心も感じたっていう
やっぱそこは描かないんだな
っていう
そうだよな
もちろんこれはもう明らかに
明らかに
京都アニメーションの
観客の甘やかしと問われない存在
事件に対する
制作側からの意思の表明
なわけ
あの事件に対する
怒りと悲しみと
悔しさの
根深の表明だと思うから
あんまり
そのことそれ自体を責めるのが難しい
できないっちゃできないんだけど
でも
今トリビアさんが言った通り
この悲劇は
全くの外側から
突然に
完璧に理不尽な形で訪れてるわけ
だから
観客は甘い菓子の子供の2個目なんだけど
これを見て
納得してしまうと
我々の中の
不幸っていうのは
我々の外側から
突然に
全く理不尽な形で
襲いかかって
来るもんなんだっていう
世界観が保持されちゃうの
別に常に悲劇の責任が
自分自身にあるとは言わない
言わないんだけど
今回はあるの
映画の中ではね
映画の中ではあるし
現実問題で言えば
本当にその理不尽な事件だった
っていうのは間違いないと
思うんだけど
ただ
映画の中にはあるよね
そうなんだ
やっぱり
この世界観つまり
自分に降りかかってる来る不幸には
自分に責任は全くなく
外側から
突然に全く理不尽な形で
来るものである
っていう風にずっと
思ってるとこの映画は
映画館に入る前と
見て出た後で
我々は何も変わらないのよ
すっごい厳しい言い方になるけど
本当に物語を
消費しただけで出てくるっていうことに
なるのね
それが
ヒットの秘訣なのかもしんないっていう
意地悪な
お前ほんと性格悪いよね
だからヒットの
秘訣なんだよなこれきっとな
と思って馬止まを
食うてか止まっちゃったんだよ
うわーと思って
なるほどね
そうだから
話を冒頭の
持ってまわった言い方に戻ると
あるカラクリ
構造っていうのは
主人公を甘やかしの構造なわけ
これはつまり観客を甘やかしの構造なわけ
それによって決定的に
欠けてるものがあったって言ったけど
それは傷つきなんだよ
傷つかずに済んでしまう
観客がね 我々見る方が
気持ちいいもん
そう
悪いのはやっぱり外部の人間であって
そう
でも頑張っていかなきゃいけないっていう
俺らはこのクリエイターは
頑張っていかなきゃいけないんだ
っていう
やっぱり心地いいものだよね
それって
よく言うそのポルノ的なものだ
っていう
厳しいねお前
ポルノにはポルノの役割があるっていうのは
俺らがよく言ってることだよね
これがね
ただここで
つまり
例えば藤野
俺がさっき言ったような
藤野の
京本に対する素直になれなさ
っていう部分が
要因となって
悲劇が起きた
大切な人の京本に悲劇が起きた
っていうことになってたとしたら
多分ヒットしてないかもしれないし
つまりこれ
苦すぎるんだよね
そういう話は
ただこれが
悲劇は外から突然に理不尽にきた
っていう甘やかしの
カラクリが一個構造として
含まれることによって
これがちょうどいい苦さ
になるわけ
これは裏を返せば
ちょうどいい甘さになってるってことだよ
もうエスプレッソは飲めません
みたいな我々観客は
カフェラテ
そうなんだったらフラペチーノを
向こうが用意してくれてるみたいな
甘えね
汁の方がそれは人は
集まるっていうのは分かるけど
なんか俺らが多分
普段話してるような
映画の
その素晴らしさとは
自己中心的な作品世界
ちょっとかけ離れた価値観だよな
っていう
苦い話をどんだけ見せてくれるか
の方が心は打たれる
っていうのは
いつも思ってることなんだが
そんなことを求めてないんだよ
っていう
時代なのかな
っていう
でもね
俺がこの映画でその違和感を持ったのは
まあでも似たようなとこでもあるんだけど
俺あの
普通に頭から見てて
ああなるほどとある程度
そういうコンプレックスの話
今まで自分が何か一生懸命やったのに
勝てない相手とか出てきて
悔しい思いをしたみたいな人に刺さる
みたいなことでなんとなく想像はできてたから
その映画上手い
同級生が出てくるみたいな
でまあちょいちょい気になりながらも
なんかその
主人公藤野の言動とか
まあでも若いじゃん
なんか小学生とかでしょ
なんかちょっと調子乗ったこととか
言いながら
でも悔しくて絵勉強するとか
まあ
面白いなと思って
で見ててて
でまあ間違いなく
主人公の
視点っていうのは
藤本達喜っていう原作者の
経験から来るものが
あるんだろうなって
自分も同じような経験を楽しんだことがある人なんだろうな
だからこういう風に描いてるんだろうな
と思いながら
成功してる人じゃん
チェンソーマンとか描いてね
俺あんまり漫画
少年漫画はほぼ読まないからわからないんだけど
すごいすごいってみんな
言ってる人だからまあ多分
すごい人なんだと思うんだけど
なんかそうやって努力してきた人の
自分の経験から来るものを
描かれていて
なるほどなるほどって見てたんだけど
やっぱりその
いわゆる
兄の事件を
モデルにしたとしか見えない
シーンが突然訪れるじゃん
ってなった時に
俺は結構
本気で感動した
見ながら
その
なるほど
この藤本達喜って人は
実際にあの共和2の
事件で
犠牲になった人と何らかの関係
とかがあったりとかして
それを
それを芸術に
昇華したくて
この描き方にしてんだって
だってそれまでの話も
すごい詩小説っぽいっていうかさ
そうだな
あまりに個人的すぎる話
その流れでこれを
もうそうとしか見えない
描き方をしてて
実際はその
この映画の中では
美学校みたいな
美術学校みたいなところで事件が起きてるけど
詳細は違ったとしても
自分の
知ってる人なのか
誰かが犠牲になっちゃったっていうことで
この作品描かれてるんだと思って
結構感動したわけ
なるほど
それを作品で描くっていうことは
素晴らしいことだな
と思って結構打たれたわけ
なるほど
その時に思ったのが
その事実の方が
スクリーン上で起きてることよりも大きすぎて
話がほとんど
入ってこなくなってる途中から
なるほど
作品上で起きてる
家から連れ出さなきゃよかった
みたいなこととかがすごい
歪症化されてしまって
頭なんかそっちのこと考えられなくて
そっちの
現実世界で起きてることの方が
あまりに強烈すぎるから
ものすごい熱量で描かれてるんだけど
これは
映画としては
結構難しい構図だなと思って
食っちゃったみたいなね
そうそう
現実世界の方が
映画の中の世界は完全に食ってるっていう
まあでも
それでもこれを
作ろうとしたっていうところに
なるほどって思って
最後まで見て
映画館出て
調べたわけ
原作その書いた
藤本達喜とその事件の関係が
あって書いてんだろうと思って調べたら
そんなこと一切なかった
分かんないけどね
公表してないだけかもしれない
確かに
どうやら違うっぽいっていう
ってなった時に俺はすげえ
混乱したの
え?っていう
じゃあなんだったんだろうって思った時に
なるほどな
やっぱりお前が言った
その甘やかしの
構図じゃないけど
その事実って
自分のコンプレックスの
話とその唐突に
起きた悲劇っていうのを
結びつけてるんだよね
自分の話にしてんの
その
悲劇っていうことを
被害者を
もちろん藤本達喜って人はその事件で
ショックを受けたのは間違いないはず
てかもう
俺とかも別に受けたし普通に
知り合いとかが犠牲になったわけじゃないけど
そんなことが
あんのかっていう風に
思ったんだけど
でもそれを自分の
コンプレックスの話と結びつけるって
なんか
すごい自分中心の世界だなって
思った
そのストーリーのラインと
それをくっつけてるわけじゃん
その悲惨な出来事っていうのは
それってすごい
やっぱ
自分の世界でかいなっていう
まあ
そうだな
いわば自分の
心の中そして
関係数メートル以内の
話なのに
ある時点から
一気に拡張されちゃうっていう
そう拡張されてその
物語を描くための
舞台装置みたいな形で
登場するじゃんその
悲劇は
まあいわばな
それにすごい俺は強烈な違和感があって
なんかこう
言い方悪いかもしれない一時期流行った世界系
じゃないけど
全ての出来事が
自分中心であって
っていう風なものを
描かれてるなって思って
プラスやっぱりさっき
言ったみたいにやっぱり
本来本当にそれを描きたいので
あれば藤本達喜が
感情移入しないといけないのは
犯人側なんだよっていう
というと
自分がああなってたかもしれない
っていうことをもうちょっと
しっかり描かないといけないわけだから
犯人側を人としてちゃんと描かないと
描く意味があんまなくない
っていう
それはつまり犯人側にも
絵を
パクられたみたいなことを言ってるから
彼にもコンプレックスがあって
っていうようなそういうことか
そうそうあっち側に
とその
藤野の
が繋がってさえいれば
自分のせいで
そのきょうもとが
こういうことになったっていう意味もわかんないけど
ぶっちゃけこの映画の中だったら
別にあの
交通事故とか
岩崩れとかで
なんか亡くなったとしても
成立する話になってるじゃん
っていう
そうだな災害と
同じ感じの
本当唐突なんだよねなんかね
繋がりがないのよ
でプラス
それを漫画が
を愛してる
漫画やアニメを愛してる
作者側が漫画や
アニメの中で救ってみせるっていう
描き方になってんじゃん
そうね
その漫画の続きを描いて
彼女から犠牲にならないっていう自分が助ける
っていうようなことを描くっていうのも
なんか言ってみれば
タランティーノがやってることっていう
あーなるほど
その映画が好きで
映画の中で
何作かあるけどそういうイングロディアス
バスターズとか
なんだっけ
ワンスアポーンアインハリウッドとか
その映画の中で
その仇を取るんだっていう
自分の中のその
何かしらのリベンジを映画で
好きな映画でやるっていう
ことっていうのを
間違いなく意識してるんだけど
タランティーノがやってることがすごいのは
その時代のことを
めちゃめちゃ本当に
入念リサーチして本当に愛があるから
それをどれだけ映画の中で再現するか
っていうところに
時間をかけてるっていうところだと思うんだけど
この漫画の中っていうか
この映画の中には
引きこもりのような世界
それもないっていう
その外側の
その構造
みたいなものだけ
削除してるようにしか
見えないっていう
なるほどな
サブカル的だな
っていう
厳しい言い方をすれば
そうね
全部が自分の部屋なんだよね
なんか描かれてるものが
っていう自分の中の世界
っていう
厳しい
でもそこが
そこがウケてるところなのかもしれない
っていう まあそうだな
あれ二人とも
ウケてる理由わかりましたっていう
話なのかなこれは
なんて心地が
いいからっていう
つまりその
甘やかされてるっていうことと
自分が拡張してるっていうことを
これはつまり
どっちも見てて心地が
いいこと
ってことになっちゃう
ような
自分の部屋がどんどん広がっていってるみたいな
ドラえもんの動画でそういうのあったな
孤独さと他者との関係
そうなんだ
でもあれはそう感じてるだけっていう動画なんだよね
本当は広がってない
っていう
引きこもりがテーマっていうのもすごい
わかるけどなっていう
作品自体が引きこもってるって感じがする
すごい
なるほどな
なんか
あんまりこう
草したくないっていうか
もちろんそれはそう
いいとこも
あるんだよな
そう
だからそれこそ
私は孤独だみたいな感じで
勝手に決めてたわけね幼い
藤野は主人公は
そうじゃないってことに気づいたし
でも相方が
つまり親友が
漫画の相方でもあった
京子が亡くなってまた孤独だって思うんだけど
いやそんなことない
っていうことにちゃんと気づいて
自分の心の中に宿すわけよね
親密な
他者っていうのを
めっちゃいい話やん
めっちゃいい話やん
っていうか
島田信介が俺の中で島田信介が
言うんだけどでもやっぱり
俺が言いたいのは
本当にそれを描きたいんだったら
もっと主人公も
見る我々も傷つかないと
感度が浅いんだよ
傷が浅いんだよ
どうしても
いや本当は私は悪くないって思ってたり
なんかこう
自分に起きてることが
自分のことじゃなくて
すごい大きいこととも
繋がってるような
自我被害みたいな感じに
なるっていうのは
傷ついてない
ってことなんだよ
それは厳しい言い方をすると
やっぱりアートとは
言い難い
なよね
映画「ぬ」の評価の相違
自分がもし藤本達喜と同じ
立場だったら
どこを
本当に描きたいかは本人にしか
わかんないけど
共犯人事件に
本当に怒りがある
っていうことなんだとしたら
殺人みたいな形では
描かないよなと思って
それこそ本当に直接的っていうか
誰が見ても本当にわかるっていう
これは共犯人のことなんだ
っていうことじゃなくて
全く違う設定で
その時
彼が抱いた
心の中の
モヤモヤなのか犯人に対する
怒りなのか
どす黒いものを全く違う
ものとして表現してほしいっていう
漫画の話とかでもなく
そこの飛躍が
芸術なんだと
思ってるんだけど
この映画の中で
そこが主題のようにも
描かれてもないっていう
ぶっちゃけ
それかもしかもめちゃめちゃ取材して
本当にこのその
共犯人の事件を描くっていう風にするべき
っていう
気はしてんだよな
自分の都合のいいところに
だけ
引っ張ってきてる感じがすごいする
ごめんなさい皆さんみたいな感じ
なんちゅうのかね
とにかく俺らは
こういう違和感をちょっと感じたな
ちゅう
映画で終わったんだよな
分かんない
でもね
もしかしたら見落としてる
何か
見方してるかもしんないからね
絶賛してるとはいえ
周りに結構
見たって話をしたら
俺全く聞いてないんだよな実は
あんまり良くないっていう人もいて
それは原作を読んでる人が結構
あんまり良くなかったって言ってる人が
何人かいて
なんかね重要な部分がやっぱり
かなりオミットされてるっていう
話を聞いてその話を聞くと
そういう話なんだこれみたいな
へえ
びっくりして
それが何なのか俺はもうすっかり
忘れてるんだけど
深めぬシネマの方だから
深めぬシネマ
アサハカシネマなので
なんかね重要な
部分がすごい抜けてるつってそういう
なんか俺がその
映画の中で起きてたことはこうこうこうでしょ
って言ったらそんな話じゃないよ
みたいなこと言われてえっみたいな
おお
じゃあなんかやっぱ原作は
もうちょっと違う描き方をしてる可能性は
高いんだけど
そうねなんか原作ちょっと
読んでみたいなこれは
うんそうなんだね
だからなんか全然別のメッセージが
こちらに刺さってくるかもしれない
そうだね 刺してくるかもしれない
うん
やっぱその熱量的なものが
当時かなり伝わった
って話は聞くからその
うん なんかこの
辻本達喜が連載書きながら
バッてなんか書いたんでしょその
忙しい中 ああもう連載途中に
書くしかないんだみたいな感じで書いたっていう
ないんだっていう感じで書いたその
なんかとてつもない熱量みたいな
伝えたいものが詰まってるみたいな感じで
なんか話題になったっていう話は聞いたから
なるほど なんか
もうちょっと違うものなのかな
っていうのは思うんだけど
この映画だけ見るとちょっとねえ
っていう感じだったな
まあそうだなあ
別に逆張りしたいわけでもなんでもないんだけど
いやあそうねえなんか
逆張りしたいわけでもないし
うん
いいところもあると思ったんだけどな
っていうまあちょっとな
あのこれまた俺やっぱアニメ
漫画原作でアニメになった
みたいなほとんど見ないから
そういうこうなんか
原作の映画化みたいな
なんかこう問題っていうか
あれもあんのかもしんないけどね
うんまあちょっとでもいずれにしても
なんかね
僕らの話したこと
意味わかりましたっていうか
なんていうか
全然そんなことないよって思う人もいるだろうし
全然言ってること違うぞって思う人も
いるかもしんないからだってこんだけ受けてんだから
そうね
映画「ぬ」のメッセージと受け手の解釈
多分歴史に名を残すでしょ
うんなんかその
劇場出てあんなにみんながよかったよかったって
声が聞こえるのってなかなかないぐらい
平日の昼間とか行っても
なんか結構待ちたし
なんか話題にもなって
なんかすごい
人気だからなんか
なんかあるんでしょうっていう感じ
はありつつ
ちょっと
俺らが多分好きなものでは
ないのかもしんない
俺はびっくりしたんだけどお前が
なんか同じような感想を持つとは
あんま思ってなかった
いやまあそうだってあれだもんな
打ち合わせもしてないからな
そうそうそう
ともひー好きなんじゃないかなって声もね
聞こえてたわけだから
好きな分もありますよっていうこと
でもあるんだが
うん
皆さんどう見たのかもし
もしよろしければ感想っていうか
俺らの話も受けて
なんかお便りくださったら
確かに
少しは深めのシネマが
の浅はかさが
少し深まると思いますので
そう俺らが甘くされちゃだめだからね
そうね
耳が痛い言葉はいっぱいお待ちしてます
いや本当に
誰かに突き立てた刃は
自分にも突き立てないとダメですっていう
そういう
切羽詰まった
自圧的な
番組だなって
まあね
それはそう思うんで
ご意見お待ちしてます
お待ち
しております
怖いけどね
うまたま牛丼
うまとまハンバーグだよお前
浅いよお前
うまとまハンバーグの感想もお待ちしてます
普通に
美味しい
夏の間しか食えませんからね
皆さん早く食って感想をお願いします