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PitPaのザ・フォーカスへようこそ。
この番組は、時事問題やカルチャーに焦点を当て、
インタビュー音声をもとに、リアリティーあふれる情報を配信していきます。
みなさん、こんにちは。ニューヨーク在住の大橋小雪です。
ラジオパーソナリティなどで活動しています。
さて今回は、アメリカで日本の野菜に愛情を注ぐ2人にフォーカスし、お送りします。
コロナ禍で日本同様、ニューヨークも生活が大きく一変しました。
経済も不安定で不安を抱える日々が続き、
安定した食生活を送りたいと願う消費者に、
新鮮で美味しい、栄養満点の野菜を届けてくれた方がいました。
アメリカ東海岸で唯一、日本の野菜を生産し続けている、
鈴木ファームのケン鈴木、鈴木清信さん、
そして、鈴木ファームの野菜を消費者へ直送する配送サービスを展開する、
ニューヨーク農場フレッシュの戸戸とどろきさん。
アメリカという場所での日本の野菜作りへのこだわり、
コロナ禍における飲食業界という厳しいビジネスを転換し、
チャンスに変えた経緯を伺いました。
アメリカデラウェア州、デルマ地区にて農場を営むケン鈴木、
鈴木清信さんは35歳の時、
アメリカ東海岸で唯一、日本の野菜を生産し、現在38年。
作付け面積は28エーカー、東京ドーム2.4個分、
野菜の種類は30種類に上るといいます。
デラウェア州、耳にすることが少ないかもしれませんが、
ニューヨークやワシントンDCから電車で2時間程度の距離。
自然が多くのどかな町、
アメリカでは一番初めに誕生した州であり、
2番目に小さい州なんですが、コストを抑えられるということから、
デラウェアで会社を設立する人も増えています。
ケン鈴木、鈴木清信さんにまずは農業を始めたきっかけについて聞きました。
ひよこの勘別師としてアメリカへ渡ってきた鈴木さん。
もともと日本の技術だったというひよこの勘別師。
アメリカでは戦前の頃から日系二世を中心に、
市場に向けてサービスがなされていたといいます。
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そんな鈴木さんがなぜ農業の道に進んだのでしょうか。
そうですね。私ももともと野菜が好きな方で、
どちらかというと。
それで一応、勘別をやっているときは自分が食べるものがなくて、
野菜が食べたくて、その頃はもっとアメリカのマーケットが悪くてね、
野菜というものがなかったんですね。
だから日本の野菜を得るにはニューヨークに行かなきゃいけない。
ニューヨークに行っても、結局は誰もニューヨークで作っていないから、
品が非常に悪くて、痛みが早いし、
傷んだものがいっぱいあるということで、
持って帰ってもダメになるのが多いから、
じゃあ自分で食べれる分だけバックヤードで作ろうかということで始めたんですけど、
これが作ったトラに余ってしまって、
どうしたらいいかわからなくなって、
私の周りに日本人が住んでいなかったもんだから、
仕方ないからニューヨーク持っておくかということになって、
それで売らせていただいたんだけど、
それでまたまたそれが引っ張られる感じになって、
もっと作ってくれ、もっとやれというようなことになって、
仕方ない、やるかという、それが始まりなんですよね。
みんなに健康でいてほしいから、
体にいい自然農法で日本の野菜を作り続けていると話す鈴木さん。
私たち日本人にとって、
アメリカで日本の野菜が食べられるのはとてもありがたいことなんです。
しかし、このアメリカで日本の野菜は受け入れられているのでしょうか。
結局ね、もともと本当のもとはね、
本当のもとは38年も私が始めた頃のマーケットというものが、
アメリカのマーケットは日持ちしなければダメだったんですよね。
とにかく日持ちするもの。だからキャベツも硬い。
でもあれも日本の谷なんですよ。
あれも日本の谷なんです。
結局、そういうマーケットの環境によって、
そういうものが作られてきたということなんですよね。
だからケオなんかの硬いものとか、
ああいったものを結局仕下げてしまうものはダメだったんですよね、昔は。
だから私のキュウリは思わず受け付けられなかった。
あ、そうですか。
結局そういうマーケットの環境によって、
そういうものが作られたと私は思うんですよね。
でもそれがだんだん若い人を中心に、
そういう日本の野菜みたいな柔らかいものが作られになって、
サラダがどんどん出てきた。
健康志向も若い人を中心に始まったと思うんですよね。
ですから今、本当に柔らかい素材でサラダが出たりして、
そういったものがどんどん出始めてきている。
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だからこれからどう変わっていくか、
僕も本当に興味があるんですけどね。
市場が求めるものの変化から、
徐々に日本の食材も現地の人に受け始めているようです。
もちろん元々の狙いである現地の日本人にも人気があります。
実は私もリアルな日本の野菜を手にすることができず、
とっても苦労しました。
特にネギ、日本でいう青ネギ。
アメリカでは似たもので小ネギをスカリオンと言い、
太めの硬いネギをリークと言います。
たまに日本でもラーメン屋さんで
ずんどんの鍋でスープを煮込む際に入ったリークを見かけたりしました。
アメリカではネギとして代用する方が多いんです。
鈴木ファームさん。
野菜の売りはやはり新鮮であるということ。
そして、面白いのはオクラや大根。
スーパーではオクラ、大根とそのまま日本の名前で表記されているんです。
ただ、残念ながら葉っぱはついていなく白い部分だけ。
なぜなんでしょうか。
水分をとらえてしまうから、だから葉っぱを切ってしまっているんですよね。
ちなみに夏、8月のある日、マンハッタンの日系スーパーをのぞいてみたところ、
青ネギは1本、これ束ではなく本です。1本4ドル。
みょうがは1個5ドルしました。
日本の野菜はニューヨークでは高級食材なんですね。
夏は冷汁やそうめんにみょうがをくわいたいところなんですが、
でもニューヨークで日本の野菜が食べられるって本当にありがたいんです。
鈴木ファームさんでは30種類の野菜を生産しており、
キャベツや白菜、ネギ、オクラ、ナス、そして夏ならではのこちらのお野菜も。
あとはこの時期でいうと、ゴーヤ食べられるって結構感動ですよね。
そうですね。カリオネアの方からよく電話かけて、
いいな、東日本は鈴木ファームが作っててくれていいなってそういうこと聞きますよね。
だから本当に申し訳ないんですけど、
西海岸の方たちは食べられないからなんか言ってられる人多いんですけど。
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あ、そうだったんですか。
じゃあこれは東海岸に私がいるから食べられるっていうことなんですね、日本のゴーヤをね。
そうですね。私がもともとそういうこだわりを持ってやってるから、
やっぱり日本の野菜にこだわっているっていうのは、
日本の野菜はやっぱり味にこだわって作っている。
ジューシーであるところにこだわって種を作っている。
だから私は日本のものを作っているし、
また日本のおいしいところを、
なんとかお肉なんかに負けないような味が出るようなものを作りたいというのが私の気持ちなんで、
それでおいしく食べていただこうと思ってそういう種を選んで取り寄せているから、
だから特殊なんですよね。
私が何を作っているか西の人は知らないんですよ。
スーパーマーケットなんかでは西海岸の方だと、
鈴木ファームさんのお野菜は並んでないっていうことなんですか?
並んでないですね。あちらは並んでないです。
あちらには送れないんですよね、アメリカの法治省。
なんでですか?
西海岸のものを東海岸から西海岸に送ることを禁止されてるんですよね。
私は以前にピーマンを送って、カリオニアのエアポートにつままって、
あそこでUSBにつかまって、1週間、2週間くらい置かれて、
検査されて、結局水がだらだら出てきて腐っちゃって、
結局送り返されてきてね。
こっちのエアポートから電話がかかってきて、
それでもう捨てていいかって言うから、捨ててくれって言ったことがあるんですよ。
昔も20年前の話ですけどね。
20何年くらい前の話ですけど、そういうことがありましてね。
結局、あちらは農業国なんですよね。
カリオニアは農業のステートってことでしょうかね。
だから他のものを受けられないんですよね、あっちは。
特にピーマンあたりが悪いみたいですね。
なかなか難しいもんですね。
同じ国の中なのに。
ステートステートによって気をつけないと、
ステートステートによって悪いところがあるかもしれないから、
私はあんまり大やかに手を押そうかというわけにはいかないんですよね。
個人で食べられるくらいだったらいいだろうと思うんですけど。
英語表記も大根、ナッパなど、
ニューヨークでは外国人にも受け入れられている日本の野菜なんですが、
ニューヨーク在住の日本人にとってとてもありがたいものなんです。
どうしても日本の野菜はニューヨークのスーパーの店頭に並ぶ頃には、
新鮮さが失われてしまう。
ただでさえでもそういった状態なのに、
コロナでの自宅待機令が出た頃は頭を抱えました。
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そんな時に、日本の食材や鈴木ファームの野菜の配送サービスを再開させた、
ニューヨーク農場フレッシュのトド・トドロキさんの存在はとてもありがたかったんです。
御年63歳のトドロキさんは、
1988年にファッション関係の駐在員としてニューヨークに赴任され、
後に会社を設立して日本食レストランの経営を行っており、
また、鈴木ファームの野菜を新鮮なうちに消費者に届けるべく、
2010年にニューヨーク農場をスタートさせ、
このコロナでクローズさせたお店もあったものの、
ニューヨーク農場フレッシュとして日本食や雑貨、
鈴木ファームの野菜を配送する配送サービスを再開させました。
再開当時、3月下旬にトドロキさんに話を伺いました。
注文して配送ってどのぐらいで届けていただけるっておっしゃってましたっけ?
来週までは週に1回で、水曜日だけなんですよ。
再来週からは週2回、火曜日と金曜日に配達をするんですけども、
実はこれ僕らの意思というよりも、
鈴木ファームの野菜の成長具合に合わせてるんですよ。
今はまだ野菜があまり取れてなくて、
ちょうど温室栽培から外の栽培に変わってる最中なんで、
1年でも最も収穫量の少ない時の1つなんですよね、4月って。
だから1週間に1回分しか取れないんですよ。野菜が成長しないんですよ。
鈴木ファームで野菜が十分取れた分だけ僕らが仕入れて、
僕らが販売してるんですけども、
それが週に1回分ぐらいしかできないんですよね。
それは鈴木ファームの野菜がどんどん温室から外の栽培に移行してきて、
どんどん野菜の成長が進んでくるんで、あったかくなるしね。
それで週2回やっても十分収穫ができて、
商品もできるということで週2回にするという。
まさしく鈴木ファームを中心にして、
それに他の商品を加えてお客様に届けている。
鈴木ファーム中心のサービスなんです。
鈴木ファームさんの野菜が新鮮な状態で自分の手元に届くっていうことですよね。
はい。
それですよね。
まさしく。そこが譲れないところなんですよ。
すごい分かります。
鈴木ファームと最初に出会ったのもジャパンフェスのストリートフェアであって、
彼らはやっぱり新鮮な野菜を、鈴木ファームは新鮮な野菜をお客さんに届けたいんだけど、
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やっぱり流通経路で行ってしまうと、
やっぱり実際お客様の手元に届くのが3日後だったり4日後だったりになっちゃうんですよ。
そうすると新鮮な野菜がお客さんの口に入らないと。
それで防腐剤とかそういうのを一切使ってない有機栽培だから、
そんなにずっと持つわけじゃないんですよ。
そうですね。痛むの早いですね。
新鮮なうちに食べってなんぼなんですよ。
分かります。
なので、僕らがニューヨーク農場フレッシュでやってるのは、
鈴木ファームが出荷したその日のうちに食卓に間に合うように、
その日の夕飯に間に合うように、その日のうちに届けるっていうのをコンセプトにしてます。
それってなかなかない話ですよね。
それこそ家庭3年でもやってない限り。
そうそう。まさしくそうなんですよ。
ですよね。
ですから非常にビジネスモデルとしては効率の悪い。
1週間に1回車を6台、7台バーッとやって、
みたいな感じでバーッと配って、また1週間後にバーッと配って、
その間何もないみたいな。
ですから喜ばれるんですけど、全然利益上がんないんですよ。
今回で明日で2回目なんですけど、ちょっと決算出してみたら、
赤字だったわ、みたいな感じで。
どうしたらいいのかな、みたいに考えてる時で。
私たち消費者も外出を控え、スーパーにもあまり行けない時期でしたので、
この配送サービスはとてもありがたかったんです。
私自身今後を考え途方に暮れていた時に、
とどろきさんにばったり合い、今回お話を伺う運びとなりました。
いろいろ熱心になりすぎちゃって、奥さんもいなくなっちゃったんだよね、
と笑って話すとどろきさん。
そろそろ完全帰国を考えていた頃のコロナ騒動で、
これじゃ帰るわけにいかないと、配送サービスを再開の経緯に至ったようです。
今回の件でたくさんの日本人がニューヨークからいなくなり、帰国してしまいました。
でもこういった方がいてくれて、
とどろきさんのこの言葉や鈴木ファームの野菜から、
たくさんのエネルギーをいただくことができました。
それでは鈴木さんに話を戻しましょうか。
しかし今でも毎日週7日働く鈴木さんの言葉からは、
コロナに関係なく一言では言い表せない苦労もあったようで。
でもじゃあコロナでちょっと苦労されてどうのこうのっていうよりも、
これまでの苦労の方が大きかったかなっていう感じですか。
そうですね。今まで自分がここまで苦労してきたから、
だから皆さんついてきてくださったから、
このコロナで支持されたっていうこともあるんじゃないかと思いますけどね。
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本当におかげさまでものすごい偉い人たちになりました。本当に。
若い人を引っ張っていかなくてはという鈴木さん。
メンバーは35歳以下で8名。
男性5人で女性が3名。
後継者のことについては?
それに関しては本当にいろんなことがありました。
でも皆さんのおかげでここまで大きくできましたんでね。
だからここで今辞めるのに辞められないという事情があるんですよね。
やっぱりそこがね。やっぱり辞めるんじゃなくて、
誰かちゃんと後を引っ張って、
私の希望に応えてくれる人を探して、
その方に譲ってやりたいなと思ってるんですよね。
そうすればまた私についてきてくださったお客さんが
それに応えることによってね、
それでまた健康を維持してくださればと思っているんですよね。
鈴木さんとしてはこれからどうしていきたいですか?
鈴木ファームを。後継者のこともあるでしょうし、
あとはもっとさらに広げていきたいとかそういうのってあるんですか?
広げていきたいということはないですけど、
皆さんにだいぶ多くの方に知っていただいたから、
やっぱりそこで信頼される、
一つの会社なら会社にしたいと思いますよね。
ある程度もう少し信頼される、安定したものができるような
そういう体制にしていきたいなと思ってますよね。
大きくしようというわけじゃないですけど、
そこにやっぱりそれは不安定ですよ。
健康からいろいろな基本など、
そういうことを考えると確かに不安定であって、
今偉そうなことを言ったってそんなに難しいことなんですけどね。
非常に難しいことなんだけど、もう少しなんとかできるんじゃないかな。
自分一人でやってるからこんなことなんだろうな。
もう一人誰かがいたらもう少し安定してるのかなとかね。
そういう思いはありますから。
だからもう少しよくできるんじゃないかなというところがあって、
そうすればもう少しお客さんに信頼され、
安定したものを供給できるということがあるんじゃないかなという追求を
自分の考えの中で追求してるっていうんですかね。
そういう思いがあってやってますけどね、今は。
アメリカに移住し長きに渡り生活をする日本人の話を聞くと、
いつも思うのは、人生何が起こるかわからない。
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1年音楽の勉強をするつもりできたのに、
気がついたら30年たっていた、なんてことも。
そして柔軟に変化に対応しているということ。
鈴木さんはひよこの官別市から農業に携わり38年。
とどろきさんはもともとファッション業界の方でした。
波を乗るように緩やかに抵抗することなく対応している大先輩たちを見ていて、
私がたくさんのエネルギーをいただきました。
そして今回のコロナでは、想像を絶するような思いをしながらニューヨークで踏ん張っている
たくさんの日本人が情報を共有し、生き残りをかけて本気で戦っています。
ニューヨークにわたる日本人の多くはこの意識が高い方が多いのですが、
私は今回競争から共存の時代に入ったと感じました。
そしてコロナだからということは関係なく、ひたむきに野菜を作り続ける鈴木さん。
そしてその鈴木さんの野菜をコロナ禍でも今まで通り新鮮なうちに消費者へ届けたいという思いで取り組む
とどろきさん。
日本とは違い簡単に手に入れられることができない野菜だからこそ、
二人の愛情を感じながら今日もニューヨークでその野菜を食べられることに感謝の気持ちでいっぱいです。
ザ・フォーカス
この番組はポッドキャストプロダクションピトパのオリジナルコンテンツです。
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それではまた次回お会いしましょう。