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40代女性の恋愛体質の人が彼氏と置かれて困ってるよって話を聞いて、勝手に少しのエピソードで想像を膨らませて、自分が主演している映画の主演女優のように憧れてるんじゃないかと。
結局は、今の自分自身に問題があって、それを解決しようとして、そういう世界の見方をしてるんじゃないかと。
でも問題というのはあることは仕方ないので、その問題を解決しようとしないのがいいんじゃないかと。
そのためには問題を問題とは思わないことが大事で、それは我を忘れることなんじゃないかと話しました。
人の伝聞の情報で、その人の人生について勝手にここまで話しているので、本当に話しながら何て不存なんだろうという気がしてきたんですけど。
一つの試行実験みたいなもので、話を進めたいなと思うんですけど。
その話を聞きながらずっと思い出していたのは、結構いろんな東洋哲学の話なんですよね。
東洋哲学って、ほぼそうなんじゃないかと思うんですけど、
基本的には私を減ずる、減らしていくということにベクトルが向いてるんですよね。
例えばガンディとかだったら、真理と一体になる。
自分というものが何者かだったり、何かを思っているような気にはならずに、
自分というものをなくしていたら真理と一体になれる。
あとは自動的に動いて、方針尽くすことができますよ、みたいな考え方ですよね。
診断とかは、自力でなんとかしようなんてことはできなくて、
自分の力というのは限界があるし、
全ては、前に話していた自由意志の話でいうと、
診断もあまり自由意志を認めていないようなところがあって、
悪いことをついついしちゃうと、
自分のこういうことをやりたいみたいなことを抗えないみたいな、
そういう悪人こそが救われるべきだと。
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自分でなんとかできるという人は、
救われるけど、自分でなんとかできないよと思ったら、
悪人の方が優先だと、みたいな考え方ですね。
自分でなんとかできるというのは、
諦めないよと、たりき本願だよと、
完全にアミダ様に全任せだよという診断の考え方ですよね。
これも私を厳ずる方向ですよね。
ブッダとかも、執着を捨てようみたいなことを言って、
私を厳じているわけですけど。
余談になるかもしれないですけど、
こういう人たちのわりとミラクルな出来事、
勇者松蔭とかもそうですけど、
そんなことはどうやったら可能なんだ、みたいなことって、
私を捨て切った人だということが、
伝わるからなんじゃないかと思うんですよね。
私の心と書いて、私心を捨て切った人というのは、
やっぱりそれが伝わって、
この人はマジで自分の尊徳者とかじゃなくて、
本当にすごい崇高なことをやろうとしているんだとか、
やろうとしている、そういうところを見ているんだってなったり、
強い教えをこいたくなったりとか、
協力したくなったりとか、
味方になるとか仲間になりたくなったりとか、
すごい影響力を持ったんだと思うんですけど、
やっぱり私を捨てていくという、
哲学の実行の先に、
私心を捨て切った人の、
すごい影響力というのがあるんだなというふうに、
思うんですけどね。
それは今回の話はあまり関係なかったんですけど、
それともわりと逆ですよね。
自分よりでかい自分をじっと見ている人は、
どうすればいいんだろうという話なんですけど、
そもそもの話は、
その人が彼氏と別れて予想以上に落ち込んでいると、
何ができることはないのかということですね。
という話だったので、
その人に対して何ができるんだろうというふうに思うと、
僕の結論でいうと、
優しく見守る以外は何もできないだろうなとは思うんですよね。
僕も今までの人生とか、
特に会社に入ってからですかね、
仕事上で出会う方、
特にクリエイターの関連の人というのはそういう人が多いんですけど、
業の深い人というのがいるんですよね。
すごい行きづらそうにしていたりとか、
もしくは頭の中が混乱してしまっている人というのがいるんですよね。
それはすごく仕事を一緒にやっていたりすると、
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すごい大変なんですよね。
正直言って仕事上では迷惑もかけられることも多々あるわけですね。
なんですけど、
最近とかでもそういう人がいまして、
業が深くて行きづらそうにしていて、
頭が混乱していたんですよね。
3つあるぞみたいな感じだったんですけど、
1人の中に3つあるぞみたいな感じだったんですが、
僕はそこまでの経験とか、
その人との付き合いとかがあって、
その人を僕が何とかしようとすることは諦めていたんですよね。
この人はこんな感じの人なんだと。
それを単純に仕事上の面でよくできるかもしれないけど、
よくできないままかもしれないけど、
それはそれでしょうがないやって諦めていたんですよね。
諦めているというか、そのまま受け入れているというか、
自分で何とかしようという気をはもうすでに捨てていたんですよね。
ある優しい方が、
その人と一緒に仕事をすることになった時に、
すごい行きづらそうな人ですよねって言って、
何とか仕上げられないかなと思っているんですよね。
僕にできることを協力したいなと思っていて。
そうですねって言ったんですけど、
その人はその人のために結構骨を打って行ったんですけど、
途中で一言、あいそつきちゃうんですよね。
ダメだってなって。
多分だからどっかで諦めて、
この人はこれでしょうがないやってなったと思うんですけど、
でもそれはやっぱり、
ちょっと人をなんとかできる、人を救えるっていう、
僕らの方におごりがあったなと思うんですよね。
自分の力を信じちゃってるというね、
その信蘭の言い分で言うと、
自力を信じちゃってるなって思ったんですけど、
それで最近またその信蘭の本を読み返してたり、
また面白いこと言ってたんですけど、
その信蘭がちょうど生きてる時期ってですね、
結構すごい災害とか、
貴金とかがあって人がバタバタ死んでると、
目の前でどんどん餓死していってるみたいなんですね。
辛い状況っていうのを目の前で、
まざまざと見なきゃいけない状態だったわけですよね。
そんな時にですね、その弟子と話しててですね、
他人を実際に救うと、
例えば植えてる人にご飯を渡したりとか、
死にそうな人に何かやったりとかみたいな、
救うってことにはどうしても限界があると。
それをやろうとすると、
どうしても限界があってやれない時が来ると。
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それなら念仏唱えて、自分が王女をして、
あの世に行って仏様になって、
みんなを救えばいいって言ってたんですよね。
それめちゃくちゃ面白いなって思ったんですけど、
一瞬ね、あの世頼みかよみたいなですね。
ちょっとどういうことやねんみたいな風にも思えるわけですけど、
でもこれ多分ですね、
診断の意図としては真意というか、
みたいなこととしてはですね、
他人が救えなくて、
自分が救われない気持ちになるっていうことを防いでるんじゃないかと思うんですよね。
本当にですね、いろんな作品とかでもですね、
他人を救おうとしたんだけど、
結局できなくて自分の無力を嘆くみたいなシーンってですね、
一番すごく悲痛に描かれてたりしますよね。
そういうことを何とか防いでるんじゃないかなと思うんですよね。
他人を救いたいと思うような人が救えなくて苦しむということを防ぐために、
あの世に行って仏様になって、そっからでいいよって言ってるんだと思うんですよね。
この辺も極限の優しさだなと思うんですけど。
そう思うとですね、やっぱり苦しんでる、
本当に自分も業が深いなとか、生きづらそうにしてるなみたいな人に、
積極的に自分にできることはないかと思ったことが何とかあったんですけど、
いい結果招いてないって言うと悪くなったみたいな感じなんですけど、
やっぱりそういう、その人を良くするみたいなことはできなかったんですよね。
それは当然で、人を変えるということを俺はできると思っているというのは思い上がりで、
何だったら暴力にも通じかねないと思うんですよね。
だからですね、そういう苦しんでる人というのは、
あたらかく見守ることしかできないなと、
でもあたらかく見守ってるよっていうことを伝えることぐらいはできるんじゃないかなって思うんですよね。
それで見守られている中でですね、
その人はずっと問題を解決しようとして苦しむかもしれないし、
もしかしたら何か上手いことを私というのを厳じることでですね、
問題自体というものが実はなかったみたいな話にもなるかもしれないですし、
それはわかんないですけど、周囲の人間としてはあたらかく見守っていくかなというふうなことだけですかね、というふうに思いました。
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ということでですね、結局その診断の言うとおりですね、
ナムアミタブツしかないなということですね。
本当にナムアミタブツって念じていこうかなというふうに思いました。
またですね、ご意見ご感想等ございましたら、
ローマ字でadriantaro.gmail.comまでご連絡ください。よろしくお願いします。