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2021-07-24 10:43

今日の10分de1テーマ「身近な方が亡くなったこと」について

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。第21回目は「身近な方が亡くなったこと」について話してみました。
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はい、というわけで始まりました。
本日はですね、テーマというよりかですね、
身近な方が亡くなりまして、救世されましてですね、
そのことについて話しそうかなと思います。
身近な方、仕事関連の、仕事で結構深くある時期関わってた方なんですけども、
その方がですね、ちょっと救世されてですね、
年齢的には僕の二つ三つぐらい上かなという感じなんですけど、
救世されて、
第一歩、そういう噂が起きましたみたいな話をですね、
一昨日かな一昨日かなにちょっと聞いてですね、
で、それから、
ちょっとその後続報がなかったので、
ちょっと一応落ち着いて生活をしてたんですけど、
ちょっと確認し自分から撮ってみようと思いましてですね、
ちょっと確認をしたところ、やはり救世されたということでですね、
そこでだいぶ落ち込んだというか、すごく落ち込みましたね。
いつもはですね、10分話そうという時にですね、
だいたい何話そうかなっていうのが5分ぐらいで決めてですね、
5分間ぐらいでですね、話す順序のメモみたいなのをパパパッと書いてですね、
10分間録音して、だいたい5分10分ぐらいで配信の準備をするっていうような感じでですね、
だいたい30分で収まるようにいつもやっているんですけど、
今回はですね、そんな何話そうかというようなメモとか用意せず話すので、
つっかえつっかえ、ゆっくり話そうかなというふうに思っています。
本当に、
例えば最近身近なところだと僕は祖母が亡くなったわけですけど、
100歳を超えて大王女だったんですよね。
ちょっと実家の方で亡くなって、女ので亡くなったという連絡を受けてですね、
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実家に帰ってですね、亡くなったとこ見てみたいな感じだったんですけど、
もう100歳とかなんで、102歳かだったので、
90歳を超えたぐらいからですね、亡くなるってこともあるのかなぐらいな感じの気持ちはもちろんあるわけで、
102歳で亡くなったというとですね、本当にこうなんていうんですかね、
悲しいって気持ちがほとんどないぐらいな感じなんですよね。
なんか本当にこう、ああもう本当、生き切ったなみたいな感じなわけですけど、
頭にですね、はっと思い出してですね、
あ、そういえば祖母いないんだよな、って思うような、
だからまだいるような感覚で、いないんだなと思うぐらいな感じなんですけど、
それは僕が飼ってた犬とかに関してもよく思うんですけどね、
なんか亡くなったのは、犬はね、死んじゃったの、
20年も前じゃないな、15年ぐらい前なんですけど、
それもすげえ長生きしてですね、20年間ぐらい生きたんですけど、
僕が小学校1年生の時に拾ってきた、
ぬらいぬ、捨てられてた犬を拾ってきてですね、
そこから20年間生きて、僕が27歳ぐらいの時に死んじゃったんですけど、
まあそれもですね、死んだのはですね、
なんでしょうね、もちろん悲しかったんですけど、
今もですね、あ、そういえばあいつもう死んだんだっけ、みたいな、
なんかいる気がするわ、みたいな感じなんですよね。
なんでですね、やっぱり、なんていうんですかね、
今回はもう本当に、自分とね、自分よりちょっと上ぐらいの人がですね、
急に亡くなってですね、
まあその、あの、まあまあもちろんびっくりするわけですよね、
そんなようなことだとは思わなかったんで。
でですね、まああとその、
まあいろいろやっぱ考えちゃうんですよね、その、
まあすごくですね、仕事で無理する方ではあったと思うんですよね、
無理するというか根性がすごい方だったので、
それはですね、多分、なんて言うんでしょうね、
自分が、まあこの仕事を、一人前の仕事をするには、
すごい人並み以上に頑張らないといけないんだっていう多分思いもあったし、
そのそれをやる根性もあったと思うんですよね。
だからですね、ちょっと頑張りすぎるぐらい頑張りすぎる、頑張るところがあったんですけど、
まあですね、まあやっぱりそういうところがやっぱり今回のことにも繋がったのかなという風にはやっぱ思うんですよね。
でもですね、なんかこう、そこに対して、なんか、
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それを頑張りすぎたからなとか、
そういうですね、なんか、
そういう意味みたいなのをあんまりつけたくないなっていう感じがするんですよね、なんか、
なんでしょうね、なんかこう、
人が亡くなったことに対してですね、なんか、
やっぱり亡くなるとこう、なんていうか、空虚な気持ちになるじゃないですか。
多分その空虚な感じでですね、突然ポンと穴開いてみたいな感じでびっくりするんで、
なんかですね、それをこう、穴をなんかで埋めたくなるような気持ちっていうのは多分なんか自動的に動くんですよね。
だからそれがこう、例えばああいう風にちょっと頑張りすぎたのかからこういうことになったのかしらみたいなことだったりとか、
もしくはですね、でもすごく頑張って最後まで生きてたんだなという、生き切ったみたいな感じもあるのかなとかみたいなですね、
そういう謎のですね、なんかこう意味合いみたいなのを勝手につけようとしちゃうんですよね。
で、なんですけど、まあそれをですね、それがこうクッと動こうとするんですけど一方でそれより強い力ですごくその意味とかをつけたくないっていう気持ちも出てくるんですよね。
なんか、意味もそうですしね、意味よりもっと悪いのって教訓とかだと思うんですけど、
そんなものをですね、個人の方にですね、つけたくないなと。
なんでまあそうですね、なんかそれをなるべくそういう意味付けして、意味付けするっていうのは多分理解するってことだと思うんですけど、
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理解するっていうことは、はい理解しましたよって言って多分ホルダーに入れちゃうことだと思うんですよね。
で、それってですね、もうその処理済みの事項になるってことだと思うんですよ。
でですね、そうなるとすごく嫌ですよね。
処理済みの事項にしてですね、よしこれで処理済んだから、もうなんていうんですかね、ボーンと空白が現れてですね、びっくりしてちょっとなんかすぐ動けないというか先に進めないような感じがするんで、
どうしようってなったらパッと意味みたいなものをつけようっていう気持ちがパッと出てですね、意味とストーリーみたいなのをつけてですね、
あの人はこういう人生を生きた、僕はこういう風に生きよう、頑張ろうみたいなことを思ってですね、
ホルダーにその思い出とかそういう記憶をですね、ボーンと入れてですね、さあ前に進むぞみたいなね、っていう風な感じになるんですけど、
あの、っていうことになると思うんですよね。やっぱそれはちょっと嫌だなぁと思いました。
なんでですね、まあ、まあまあまあ本当にこのままですね、ちょっと時間をかけて、まあなんとなかこう消化していきたいなと思います。
以上です。ありがとうございました。
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