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2024-03-05 1:20:56

S3 ep27 Why "ファイバーアート" ? Why "タペストリー" ? STOP MAKING SENCE!

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京都国立近代美術館で3月10日まで開催中の展覧会「小林正和とその時代―ファイバーアート、その向こうへ」を観に行った3人の感想回...ですが、例の如く「ファイバーアート」という言葉自体にひっかかったり、アートと技術見本の差は?とか、美術展と家電見本市の違いは?とか、岡本太郎と大阪万博とか、果ては映画『ゴールデンカムイ』と4DX体験、1984年に公開されたトーキング・ヘッズのライブ映画『STOP MAKING SENCE』4Kレストア版、にインスパイアされた(?)ペットショップボーイズのライブの話まで。相変わらず今回も長いですが、最後までお付き合いください。 【番組の感想・質問・リクエストなどはこちらから】⁠ Cra出しRADIO おたよりフォーム⁠ #concra でも感想お待ちしています! 【今回の話題の関連リンク】 「小林一正とその時代ーファイバーアート、その向こうへ」展 https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionarchive/2023/456.html 塩田千春 https://www.chiharu-shiota.com/top-japanese 今日の芸術 岡本太郎 https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334793111 映画『ストップ・メイキング・センス4Kレストア』 https://gaga.ne.jp/stopmakingsense/ 【ConCra Information】 ConCra公式サイト⁠⁠⁠ https://concra.jp⁠⁠⁠ 誰でも参加できる実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)⁠⁠⁠⁠⁠ https://basic.motion-gallery.net/community/concra/⁠⁠⁠ パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保


サマリー

ConCRAのメンバーによるCRA出しRADIOのエピソードでは、ファイバーアートやタペストリーについての話題が取り上げられます。小林一馬さんの展示やタペストリーの歴史について語られ、展示の特徴や技術に関する詳細も紹介されます。タペストリー、ファイバーアート、川島織物パリコレ展示やテキスタル博覧会とは異なり、塩田さんの作品は個々の見方や感じ方によって異なる解釈がされる可能性があります。岡本太郎の本『芸術はいやったらしい』について話し合いながら、アートとエンターテイメントの違いや、映画や4DXの体験について考えます。ストップメイキングセンスのアイマックス版は、観客の姿も映ることで没入感が高まり、よりアート的な雰囲気を味わえます。ペットショップ・ボーイズのライブ映画も同様の演出で、視覚的な一体化が楽しめます。ゴールデンカムイの炎上や映画と作品の関係などの話題もありますが、今回は技術に対する楽しさを共有する回です。作品公開と投票の感謝と3周年のお祝い、引き続きの応援をお願いします。倉田氏ラジオ。

ファイバーアートとタペストリーについて
CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、ConCRAのメンバーが、
工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAのUmiです。
Shihoです。
Iwataです。
先週に引き続き、3人会をお送りします。
先週のNFT会は、Good Job Digital Factoryの関係者の皆さんから、いろいろコメントをいただいて、
そうですね。
すごい好き勝手、めんどくさいとか、
いいっすね。
よーわからんとか言ったやつを、ちゃんと聞いていただいて、
ありがたい。
あれでよかったのか、という感じですけど。
しかも、NFETISHのロストワークさんの方も聞いてくださって、
ほんまですか。
今日たまたまお話ししたんですけど、すごく言っていることがわかる。
買うの最初は難しいという心の障壁的な、一回慣れちゃうとあっさりしているNFTの買い物の仕方というところは、
そうですよね。だってIwataさんも、ロストワークさんがまとめてみんな分を買って、
メタマークスクに配布していたという感じだから、結構だいぶそれで簡素化された手順ではあったと思うんですけどね。
Iwataさんのマークショップも。
小林一馬さんの展示
そうなんで、やんやんやってた前回でしたけども、
今日はファイバーアートとかタピストリーということについてちょっとしゃべってみたいんですけど、
全然違うテーマですね。
全然違うテーマなんですけどね。
ちなみにタピストリーとタペストリーどっちなのか?
また倉田氏特有の言葉がりのコーナーですか。
タピストリーとタペストリーどっちなのか?
知らないですよ。
それはカタカナ化するちょっとしたニュアンスの違いぐらいの話じゃないですか。
サーバーかサーバーなのかみたいなもんだと思ったんですけど。
Iwataさんとしほさんと一応京都でやってるファイバーアートの展示として銘打った京都近代美術館で3月10日までやってる
小林一馬さんとその時代ファイバーアートとその向こうへというのを3人で見てきたので、
それを起点にちょっとしゃべっていこうかなっていうのが今回なんですけど。
簡単にその展示の説明をして、公式サイトからの抜き出しなんですけど、
日本におけるこの領域のパイオニアである小林一馬さん、1944年から2004年は
京都一律美術大学、後の京都一律芸術大学で執行、漆ですね。
学んだものの川島織物在職時の一本の糸との出会いを起点に
糸をたらし、ゆるめ、張りを集積させた立体造形作品を発表します。
そして第6回国際タペストリーってなってました。
タペストリー・リエンナーレへの入選を皮切りに、国際テキスタイル・トリエンナーレ、
うちポーランドや国際テキスタイルコンペティション、京都などを活躍を通して
国際的に高く評価されるようになりました。
糸を含むファイバーは人間と密接に結びついているという考える小林一馬さんの作品は
常に空間との関係を切り結ぶことを志向し、最終的には戸外へのインスタレーションへと展開していきます。
という展示でした。ご興味のある方は調べてみていただくか、
京都にいないと足もむきにくいと思うので。
ちなみに岡山でも展示その後行くらしいですよ。
そうなんですね。巡回をすると。
メモっておきました。
4月の。
そうなんだ。岡山県立美術館にも巡回するよと。
あれを見ててやっぱり思ったのが、いきなりタペストリー、タピストリー、
どっちに統一するか僕も迷いながら喋ってるんですけど、
あのタペストリーっていう領域すごい昔から僕謎だなと思ってて、
昔中退しちゃったんですけど、東京造形大学っていうところのデザインの授業を受けたときに、
タペストリーの歴史と技術
外部から来られる先生方で、タペストリー作家さんって方が来てお話をしたんですけど、
平面作品ではあるにせよ、絵画とかレリーフとか彫刻とかでもないし、
その織物をひたすら作ってるジャンルの人がいるんだっていうのを僕そのとき初めて知ったんですよね。
作家とは言いつつも、お仕事的にはいろんな土建業の方とか、
建築家とかホテルのプロデューサーみたいな方に、
自分のそのサンプルを送って、新しいものが立つときに、
例えばホワイエとかエントランスとかにかかってるタピストリーとかを、
作家として思い出してもらうみたいなことをおっしゃってて、
作家であるという側面と、ある種のデザイナーとしての経済活動というか、
営業的な側面の両方をそのときに感じて、不思議なジャンルだなと思ってはいたんですよ。
今回小林一真さんのやつを見て、別に僕の疑問が解決されることもなく、
謎がますます深まる、ある意味では面白い展示だったんですけど。
私はポスターをいろんなところで京都市内でファイバーアートって書いてあって、
自分がテキスタエル研究をやって、早9年経つから、なんだろうと思って、
そもそもファイバーアートって言葉を聞いたのがすごいもう、何年ぶりだろうって感じだった。
昔流通してた言葉って感じですか?
たまたまボストンに行ったときにファイバーアートの展覧会を見に行ったのは7年前で、
展覧会はファイバーアートと銘打ってたんで。
そういう名前だったと思うんで、本を買った60年代頃とかは結構盛り上がってたんです、アメリカとかで。
でもやっぱりそこからあんまりファイバーアートに特化した展覧会っていうのを見たこともないし聞いたこともなかったから、
すごいなんか急にリバイバルみたいな、リバイバルって言い方変だけど。
京都の近代美術館がある。
なぜスポットを当てたんだろうってことを知りたくて見に行きました。
僕多分今日聞き役というか、質問役なんであれなんですけど、
ファイバーアートは全く馴染みないですね、言葉として。
タペストリーもちょっとタペストリーって聞いてあんまり形としていまいちイメージできなくて、
あの三角形の観光地とかの。
ペナントですかね。
ペナント、あれって。
タペストリーって言い換えが聞きそうな感じはありますよね。
あれはちょっと違うかな。
タペストリー基本的に壁に掛けるっていう感じなんですよ。
布のポスターみたいなこと?
布、分厚いカーペットが壁に掛けられているっていうイメージ。
壁に掛けるカーペット?
本当は絵画なんですよ、もともとタペストリーって。
で、フランスとかはすごく美術館とかタペストリーのコレクションの部屋とかまであって、
そういうのって大体国の王女様とか王様の肖像だったり、
あと物語を模様化したりとかしたり、
それこそイギリスなんかは、
民芸のウィリアム・モリスとかもタペストリーの文脈で見られるときもある。
そっか、だから絵画のテキスタによる絵画作品みたいな、
そういうことです。
という言い方もできるってこと?
で、特徴としてはパターンがやっぱりすごく本当の絵画とちょっと違って、
コーディング、プログラムをしないとその柄が折れない。
だからすごく技術とか知識もいるっていう意味で、
やっぱりできる人が少ないから大事にされるっていう、
絵画ももちろん大事なんだけど、
お城とかで飾られたりとかするときには、
もう本当に宝物的な扱いをされるのが、
さっき言った分厚いカーペットっていうか、
分厚い布が重さも相当あって描けられてるっていうイメージ。
絵画は絵画っていうよりはあれですよね、
まずテキスタイルを使っているっていう前提がありますよね。
司法さんの今のお話です。
そうですね。
海外の一ジャンルとして考えたとしても。
糸を使っているっていう意味、どっちかっていうと。
だから日本だと西陣織っていうのがあって、
フランスでジャカードっていう織りがあって、
縦糸を上下にアップアンドダウンさせて、
横糸を見せたい色のところを縦糸をキュッてループさせて。
キュッていう音声メディアで。
音声的に伝わりましたよ。
飛ばすということで、
その横糸の色が出てくるから好きな柄ができますよと。
それはすごい発明が、
昔は人が機械の上に乗って、
二人で一斉の背でやってた。
っていう話がシーズン1の筒井さんの回でも話がありました。
筒井さんが結果してるとうまくいかないってこう言ってたじゃない。
それを自動化しましたよっていう話なんだけど、
そこから多分タペストリーも状況が変わったんじゃないかなって思ってて、
やっぱりプログラミングできちゃったら好きな柄とか作れるし、
誰でもというよく機械で。
それまではやっぱり手でこうやっていたものは、
機械化しちゃうとありがたみというか、
もう減ってきたりとかしないのかなっていうのを気になってて、
フランスにも研究所がいまだにあるんですよ。
手で折るため。
折ってタペストリー専門の美術館とか研究所もあるから、
国あげて結構大事にしようとしているっていうのは見えてくる。
一応その展示の話に戻ると、
確かに翔さんが言っているように、
小林雅一さんの作品を見る限り、
手折り感というよりは機械でやっているのかちょっと分からないんですけど、
これはね、難しい。
どっちでもあまり本題には関係がなくて、
折り木の縦糸の張り方とかを、
どうハックするかみたいな、
それによって展示の概要にもある糸そのもののたるみとか、
基本的に折りってピシッと、
縦糸と横糸が、
緊張感を持って布としての張りが出てくるようなところだけど、
あえて縦糸を省いて横糸のたるみとかを見せている、
折りっていう行為のハックだったりとか、
そういうものが見えてきたかなというのが。
これやろうとすると、
私たちはフロートって呼び方をしたりとかするんだけど、
あんまり好かれない折り方なんですよ。
なぜかこのたるみが出ることによって機械に引っかかっちゃうから、
すごい神経使うし、
これだけのたるみの調整で造形的な3ダイメーショナルな形を
波打っているように作るっていうのは、
すごい根気がいる。
簡単に言うとマニアックな展示だなと思った。
ちょうどマニアック。
これは音で伝えるのに向いてないですよね。
実際に見に行ってほしい。
単にたるみっていうだけじゃなくて、
そのたるみが三次元的にというか、
立体的にモチーフになっているのが、
西外波紋とかですよね、日本の波の。
あれを糸の自然なたるみで、
円弧状に表現しているので、
それを展示を見た時にふと思って、
技術的な工程をちょびっとでも想像を働かせられる場合は、
ふむふむという感じで引き込まれる展示なんだけど、
そうでもなければ平面の視覚情報かなと思っていて、
そこの波打ち際がコンクラっぽい話だなって思ったんですよね。
言ったら別にどんな見方も見る人に委ねられているから、
別にこういう見方をしなきゃいけないという正解はないと思うし、
美術館はこういう手引きとかを用意して、
なるべく小林雅一さんの世界観に入ってもらっているような手助けはするんですけど、
どうとられるかはお客さんの自由なので、
これを普通に素敵な跡だわって入っていく方もいれば、
ふむふむここの縦糸を抜いたからこう来て、
ここの横糸がこうなってみたいに見る人もいると。
たぶんそれは私。
僕もそういう感じですね。
印刷とか折りとかの工程っていうものとかを
仕事でやっちゃってるとどうしても見ちゃうよね。
これどういうふうな。
引きで見たときに絵画的なビジュアルのものとかでも、
すごいここにかかった時間のことに思いをはせてしまってるんですか。
分かります分かります。
筆一本でシュッて書いたものじゃない、
ように見えるものがこれ何ヶ月かけてここまでやったんやろみたいな。
そうですね。
ちょっと話しとれるんですけど、
今やってた国立、
違うわ、
展覧会のテーマと変遷
博物館か上野にあるので、
本編み小列の展示を見てたんですけど、
あれも岩瀬さんが言ったように、
一筆が書家でもあるので、
筆のやったようなものの輪郭を抜き出して、
アドビのソフトがない頃に、
それを鉛の像願にしてるとか、
何工程も感じるものがあるわけですよね。
今回本編み小列の会じゃないので、
戻るとして、
このマニアックな展示に引き込まれるか引き込まれないかの
入り口みたいなのが、
僕らに委ねられてるような気がしてて、
この気持ちってどこかで感じたことがあるぞっていうのが、
今日話したいことだったりします。
この展なんか小林さんだけじゃないから、
小林さんの周りだったり、
同年代だったりとか、
あとちょっと経ってから、
小林さんの作品にインスピレーションを受けた作品を展示しているから、
日本でのファイバーアートっていうものが、
どういうふうに変わってきたかっていうのも、
伝えようとしている展覧会だったんだけど、
実は私知らなくて、この人のこと実は。
僕も知らなかったんです。
そうなんですね。
お二人は知ってるもんやと思ってました。
ファイバーアートって言葉に引っかかったわけですよ。
だってメディアートみたいだなと思って、
ファイバーアートっていうのは、
私がすごい言われて嫌なバイオアーティストとかね、
ビデオアーティストとかね、
カテゴライズされて、
メディアでカテゴライズされちゃうと、
それってメディアートなんじゃないですかって言いたくなるんだけど、
これってどっちかっていうと平面立体作品?
彫刻とも言えるし、
でもメディアートって言わないじゃないかなと思って、
これ現代美術って呼んでもいいのかどうかっていうのも、
作品の特徴と糸と木の関係
すごい悩ましい線引きでもあるんだよね。
線引きの今話が出たんで、
伝える側としては何らかのカテゴライズをして伝えていかないと、
なかなか伝わらないっていうのがありつつ、
作り手は線引きをちょっと緊張感を持って考えるとか、
そんなつもりでやってないのになって思うことがありながら、
タペストリーはそのどっち側にも流動的に
行ったり来たりとかするカテゴリーなんだなっていうのを
展示を通して思ったりとかして、
そうなんだよね。
人によっては染めにすごい頑張って、
染めとかパフォーマンスをしながらやってる人もいたじゃないですか。
土使ったりとか、
なんか擦って、道路っていうか石と擦ってみたりとか、
それはもはやタペストリーでもなくて、
テキスタイルアートっていうか、
テキスタイルっていうものを使った全体的なアートだから、
ファイバーだけじゃなく染めも入っちゃうからね。
小林さんの作品のモチーフで、
前半の方はタペストリーって聞いてイメージするような、
壁にかかってるある程度平面的なその中の立体はあるんですけど、
徐々に糸と木の緊張関係みたいなところに、
すごいテーマが映っていくじゃないですか。
ようこんな状態でずっと残してたなって思ったのが、
杉の一本の木の皮というか一部を削いで、
持ち上げたところを糸で引っ張ってた状態をキープさせてるみたいな。
これ伝わったかなこれ。
私も展覧会全体的に言えることは、
糸テキスタイルですごく呼吸をしているから縮むんですよ絶対に。
木なんか縮んだりするし、
もう一回作り直したのかどうなのか気になっている。
僕一番大きい感想だったのが、
佐々木さん回の振り返りでも塩さん言ってあったけど、
作品が大きいから残しておけないみたいな話だったじゃないですか。
基本的にデカいですよね、今回の展示の。
要はこの状態でこれしまうときどうやってしまうんやろうみたいな。
たわんでるからしまうときに糸絡んだりしそうやし。
かといってずっと展示状態にしてるわけで、
これ川島織物とかが持ってるのかな。
これコジンクラって書いてある。
これですよね。
これゾロ組みながら言ってますけど、
ファイバーアートの工芸的コンテクスト
小林さんの奥さんがまだ御存命だから、
残してコジン像のやつは残してあるのかな。
70年代とかの作品をこんな糸出てきた。
個人で持っているものが多い。
これも弓、要はあれですよね。
例えばギターとかに例えてわかりやすいのかな。
長期間保管するときに原点張らずに緩めたりするじゃないですか。
これ佐々木さん回の記憶があったらしいんですけど、
工芸ってことで考えたときに、
それを工業製品と考えるかアートピースで考えるか、
あるいはどっちでもないのかどっちもなのかみたいな話があったときに、
これをレシピ自体が弓で張る作品っていうレシピ自体が作品ってことも言えるんだとしたら、
別に当時の寸法を再現しても別に作品とは成立する気はするんですよね。
糸と金の緊張関係自体が作品ってこと。
コンセプトと。
ちなみに小林さんの展覧会には、
彼の展示のメモというか設計図とか、
結構ちゃんと糸とかもサンプルとかも貼ってあって、
すごいちゃんと残している人なんだなって、
この手書きで全部やっていらっしゃるんだけど、
それ写真撮って私も見習わなきゃとか思ったりとかしたっていうか、
結構展覧会のときって、
その場その場でイラストレーターとかでピーって書いて、
はい終わりっていう場合もあるんだけど、
紙にやっぱりああやって残しとくと、
なんかそれだけが作品的じゃないけど、
ちゃんとサインが書いてあったりとかする。
それいつも思うんですよね。
水木しげるの原画展とか行ったりしたときに、
ようこの初期段階のやつのメモ残してたよなみたいな。
絶対捨てるけどなと思ってこういう。
そうなんですよ。
私よくコースターとかに書く癖があって、
レストランとかに行ってる間に、
話が盛り上がってコースターでこうやって。
紙がね。
ないから、
それ捨てるか取っとくかってやっぱり、
今だと写真撮って捨てちゃうじゃないですか。
でももしもずっと残してたら、
100年後とかにさ、わからない話が。
東米アンソンのムーミンのさ、
初期のメモとかもちょっと俺はそれ思ったわ。
残ってるんですかそんなの。
なんか変な妖怪みたいな。
今の話もそうなんですけど、
レシピで作品として成立するっていうのは、
もはや工芸じゃないじゃないですか。
ものが作品じゃないって。
それが面白いなと思った。
この小林さんなりファイバーアートって、
そもそも工芸コンテキストがあるかないかっていうのが、
すごい気になるところではあって。
多分カテゴライズが難しいから、
おそらくこのジャンルそのものを、
作ってきた方っていう位置づけだとは思うんですよね。
やっぱ図録を見てる限り、
例えば一番、
作品ナンバー1の1のやつでいうと、
1975年頃のやつで、
これが第2回国際テキスタイルトリエンナーレ、
文化芸術大臣賞、うちポーランドって書いてある。
この第2回っていうことでいうと、
ちょっと第1回がいつだったかはわかんないんだけど、
歴史はそんなに新しいジャンルなんだなって感じさせられますよね。
1975年の時点で。
私持ってるファイバーアートの本は、
1960年代に盛り上がってるって書いてあるから、
だから国によって多分年代が違ったりはするし、
なんでこれが工芸的なのか、工芸的じゃないのかとか、
別にどっちって言いたいわけじゃないんだけど、
一応なぜ私これ気になってるかというと、
川島織物さんが関わってるんじゃないですか、制作に。
だって彼が漆やってたのに、
物の構造に興味を持ったから、
川島織物に入社したって書いてあったんだよね、テナン会には。
その気持ちすごい分かる。物の構造が知りたいって言ったら、
それ入って会社で教えてもらうのが一番早いじゃんみたいな。
でも今って川島織物って川島セルコンって名前が変わって、
伝統工芸的な着物のテキスタイルもやってれば、
どっちかっていうとテキスタイル全般?
建築で使われるような建材だったりとかもやるし、
テキスタイル全部すごい大きな会社なんだけど、
そういう意味では元々川島織物も工芸として着物でスタートしているんだけど、
工業の方に振り切っているし、両方やってますよと。
そのちょうど変わる時代に彼が川島織物にいたってことも、
面白い状況だなと思ってはいる。
今、松尾さんが言っていたファイバートの文脈をロンドンで聞いたんですかね。
ボストン。
言っても75年と60年代とかだと10年ぐらいのラグがあって、
100年ぐらいのラグはそんなにないのかなと思ったんですけど、
この時代が面白かったのかなと思っていて。
どっちかというとその前は民芸的なコンテクストだったり、
記憶をする記録物、テキスタイルって絵画と近いけれど、
何かの伝統的な物語や記号とかそういったものを模様として残すという行為が多かったのがテキスタイルの扱いだったから、
これやっぱり小林さんは違う。そういう文脈からは。
確かにね。
前にもまた話をとんじゃうけど、
カルフォルニアにあるコンピューターサイエンスミュージアムの一番初期の計算機とかで、
ひもを結んだノットの数とかを保存していたみたいなのがあるけど、
文字と文様とかそういうものが全部、
そこに全部集約しているような時代もあったし、みたいなことを考えると、
確かにこのタペストリーという文脈はそこからも題を変え入りした、
一時独立したジャンルだなとは思ったりはするんです。
今、そう思った時に、
今、翔さんからもいろいろ話があったんですけど、
僕はどっちかというとアート作品というよりは、
試みとか技術見本みたいなこととして受け取った方が、
持ち帰るものが多いなと思ったんですよね。
なので全然僕はアート作品としては見えてこなくて、
それがダメというんじゃなくて、受け取れるものがすごい多いっていう。
そういう意味で言うと、
デジタルとかメディアアートとかでも同じようなことがすごい多かったので、
ちょっと気持ち的にはすごい、
これの類似性とかをタペストリーの展示を見ても結構思ったので。
アルス・エレクトンにずっと昔通ってて、
98年か私行ってたんで、
割と早い方だと思うんでしょ。
日本人でアルスに通い始めたの。
やっぱりその時はどちらかというと、
アート、サイエンス、テクノロジー、ソサイティって、
社会っていうのがちゃんとコントヒストで入っていたことがすごく重要で、
面白いなと。
ここにもしも社会っていうものが抜け落ちていたら、
それこそセスとか、セスって分かります?
CESってか、年明けにやっているラスベガスの家電見本市。
そうですね。
セスで出している人もアルスにも出すしみたいな、
あとはサウスバイサウスウエストと何が違うんだっていうことになっちゃうんだけど、
テクノロジーの発展とかをセレブレーションしているところは変わらない。
みんな共通点なんだけど、新しい技術とか、
技術から見えてくる人間の風景っていうものを、
そこも共通しているんだけど、
そこに政治、社会性、哲学的な問いっていうのが付いているかいないかで、
こんなにも違うんだって思う。
見本市じゃなくなる。
小林さんの作品ってある意味、
意図に対してっていうだけじゃなくて、
最後の作品なんか彼の3階だったかな、2階かな、
糸と空間の関係性
最後に見て回って、ちょっと布っぽい布を天井から吊るして、
もはや意図じゃないじゃんみたいな。
もう綿でしたね。
綿で布、穴開いてる布を光を通してやってて、
もしかしたら彼にとってはファイバーっていう、
人間に非常に身近な素材をいかに使って空間を切り取っていくっていう、
だから形を作ってるっていうだけじゃなくて、
テキスタイルって空間を切り取る役割もする。
カーテンとか、壁にもなるし、
柔らかい壁だというふうに作品じゃないけど使われ方もするし、
服だったら体と外を守るための壁というか、
身につけている膜じゃない?
だから結局この方はそもそも最初はそうじゃなかったかもしれないけど、
糸のたるみの面白さ。
でも空間を切り切っていることには変わりない。
糸が空間を切り取っていいのか分断させているということには変わりない。
空間って何もないと空間って意識しないんだけど、
糸があることによってここに空間があるってことが意識されるのがそういうことですね。
そういうことです。
最後の方はもうそこに、布の方でも糸でもいいじゃんかという方に行ったのはすごいなって思った。
環境的な情報とか空間把握とかそっちの方に作品が展開していったみたいな。
でもそれも結構アート作品でもそういうことあるし、
メディアアートとかでも空間をどう捉えるかというので、
だんだん一つの技法だったり手法が体積多めに展開していくと同じようなことが多分起こってくると思うんだけど、
そういうことが僕は面白いなとは思ったんですよね。
3Dプリントに近いかもしれない。
プリントものっていうものが3D化したものが3Dプリントじゃん。
すごい雑に言うと。積層させていくって形。
だから一本の糸が形を作って空間を切っていくっていうさ、分担させて。
立体的にも見えるし空間も変えていくっていうので、
3Dプリントの一本のフィラメントのプラスチックのさ、糸じゃないねあれは。
糸って言ってもいいのかなって。
あれもファイバーですとか言い出す人いるのかな。
糸状のレジンなり。
そう、三立さんとかそういうの使って。
積層で糸状になって。
テキスタイルも2つに大きく分けると、
ファイバーと呼ばれるコットンとかシルクとかそういうプロテインとか植物ベースのものと、
プラスティック、ナイロンとかポリエステルとか押し出して糸にしているっていうので。
トコロテンのように。
トコロテンのようにそうです。
それを束ねて夜っていうのは分かる?夜って言い方分かる?
夜で粘地ですね。
粘地させて強度を作るのが糸になってるわけだよね。
でもその無くても強ければそのまま寄らなくても大丈夫なすごい強い糸も開発されてるし、
もはや糸って一言で言ってもすごい色んなものがあるわけなんだから、この世界掘るとすごいよねっていうのはある。
例えばそのビッグサイトでテキスタル系の展示やってた時にこんな糸開発してますっていう時の糸の見え方も技術見本じゃないですか。
それはそれで何かここまで来たんだっていうような感度があったりとかして、
その感覚とあんまり変わらなかったりとかするんだけど、そこにも何か紙分けもいらんのかなっていうのが最近の僕の気分だったりとかしてて、
それでなんか結構前僕サラリーマンだった頃にビッグサイト系の展示とかモーターショーモビリティショーとかそういうのは結構いろいろ企画だったり制作とかやってたんですけど、
そこでやっぱりエモーショナルな空間にしたいからインスタレーションのような空間を作るわけなんですけど、
そこと僕仕事でやってたからってこともないんだけど、僕その空間をみんなが楽しめるような空間にと思ってたけど、
アート作品と僕は思ったことはなかったんですよね。
ビッグサイトに仕立てた空間とかを。
この間ふと思った時に、今札幌国際芸術祭ってやってますかね。
終わった。
終わったのか。あそこにソニーが確かブース出してたんですよ。
センサーを使った、ソニーっていろんな運転自動化のためのセンサーとかカメラをすごい開発してると思うんですけど、
それを使って人の動きをリアルタイムに検知した空間みたいなのがあって、
それは国際芸術祭に展示してるから、どっちかというとアート寄りの文脈で。
芸術祭って言ってるだけ。
言ってるぐらいだからね。その行き来が面白い時代だなって僕は思ったんですよね。
っていうようなところを、タピストリーっていう謎のフォーマットを見つめる中でいろんなことが思い浮かんできて、
なかなかマニアックな展示だけど、いろんな想像を沸かしてくれる楽しい展示だったなっていう話なんですけど。
川島さんいましたって言いながら、川島織物が全面に出てるかというと全然出てないわけだし、
そこはやっぱり彼のいきなり漆から適したりどうしてっていうところの説明がそこのやっぱりそういう会社が
割とオープンに好きなことやっていいよっていう会社の雰囲気がなかったら、
たぶんこんなめちゃくちゃな作品は作らせないと思うんだよね。
そこは本当にすごい重要な話ではあると思う。
全然例えばビッグサイト系のテキスタイルエキスポみたいなところでも川島織物さんって
展示しててもおかしくないメーカーさんなんですよ。
全然。
ですよね。
いや、出してますよ。
そうですよね。
なんかアルスとかサウスバイみたいなところのセスとか日本一とかって言葉だけ聞くと全然違うジャンルのものなんだけど、
結構別にあんま変わらんかもなって思ったときにおっとなんかこう視界が開けた感覚が僕最近ありました。
テキスタイルってさ、どうしても手織りはできるスピードとか限られてるけど、
基本は機械でバーって折って量とかスピードとかたくさん作って値段を下げるっていうやっぱりものがみんなの思ってるテキスタイルじゃない?
だからなんかそういう効率とか機能性っていうものだけがテキスタイルじゃないよっていうことをやっぱりあんまりこう一般の人たちがそういう知るきっかけってほんとないかなと思ってはいて。
なんか日本一もちろんそうだんだけど、なんとなく私はメディアートに近いものをなんか感じるのは、
例えばアラミド繊維っていうのがあって、それはめちゃくちゃ強いんですよ。
多分もしかしたらもっと強い繊維って出てるかもしれないんだけど。
手ぐすみたいなやつですか?
そう、それでもう車吊るせますよみたいな、よくそういうこう、なんていうのかな、日本一とか行くとそういうポスターとか見るんだけど、
それってすごいピアノ繊維、ピアノ繊維と何が違うんだと言いたいくらい強くなった。
それだけ強いものがあるってなると、じゃあいろんなパラシュート、すごい強いパラシュートができるかもしれないし、
他の今まではプラスチック整形してたけど、本当はテキスタでやった方が強くなるかもしれないよねみたいな感じで、
ほぼほぼ技術の発展をバーって想像できるじゃない?そういうすごいのが出てくると。
でもそれってアートにはならないよねっていうところを、でももしかしたらそのすごい強い意図をアート作品に紹介する人も出てくるかもしれないわけですよ。
そうですね。
その一本だけですごいものがスレだったら作品に使ったろうと思う人も出てくるかもしれない。そこがメディアアートっぽさがあるかなと思うんだよね。
でもたまたま最近あんまりそういうテキスタやる作品を、塩田千春さんって、
赤い糸でひたすら部屋中を貼りまくった空間インスタレーションの方ですよね。
そうですね。数年前に六本木の森美術館での展示が東京だと大規模な展示だったかな。
赤だけじゃないらしいんですけどね。彼女は黒とか白も使ってるし。
でももはやロープを使ってたりとかスーツケースを通して回してたりとかしてて、
なぜ彼女の作品はファイバーアートのコンテキストに入って紹介されないんだろうというのが気になったりはした。
そこをファイバーアートですよって言っちゃうと、糸使ってるからって暴力的に全部ファイバーはファイバーだから、
ファイバーアートねってしちゃっていいのかとかそういうのもあるのかなっていうのは。
カテゴライズのネガティブな面ですよね。今塩田さんが言ってるのは。
そうですよね。別に糸使わない作品だってあるでしょうよね。
本には多分そんなつもりは全くないとは思うんだけど。
だってもう塩田さんの作品は今ウェブで見てますけど、
焼けたピアノとかにぐるぐる巻きにした糸とか、別に糸っていうよりは空間に対するナラティブとかそういうものにいくと、
これはアート作品だなって僕は思います。
特に彼女の作品ってその場所にタグを糸をつなげちゃってるから、すごくサイトスペシフィックっていう言い方するんだけど。
サイトスペシフィックについてちょっと。
サイトスペシフィックっていうのを現代アートで言うと、その場でしか作れないという作品のことをサイトスペシフィックっていうんですよ。
空間に固有化した。
固有化した作品。
だから同じ作品でも場所を変えちゃうと雰囲気がすごい変わっちゃったり、意味性すらも変わっちゃうっていうことなんだけど。
だけどやっぱりこの方の作品、塩田さんの作品は糸がやっぱり記憶と人と人をつなげてるとか、そういうテーマ性をすごく感じるの。
ネタピアノとかも歴史があるじゃない。何かしらの物語、ストーリー性が。
糸を紡ぐっていうのはストーリービービングとか物語を紡ぐっていう日本語にももちろんあるから、そういう意味ではすごく相性がいいメディア。
共有してるアナロジーみたいなもんね。みんなどんな人でも話として通じやすいものがありますよね。
メタファーとして。だからファイバーアートっていうふうに塩田さんを呼んでいいのか呼ばないのかっていうところなんでしょうね。
テキスタイルの可能性
ファイバーアートって言葉が今後もうカテゴリーとして残っていくかどうかっていうのはこの手中岡山に行き、周りがどう受け取るかによるのかなとか思ったりするけど。
控えめにいってマニアックなこの展示とかをどのくらい面白がれる人がいるかどうかっていうことに関係しそうですけどね。
私はすごいこんな大規模な展覧会にして大丈夫なのかなってチケット買うときにちょっとドキドキしてたんだ。
でも見てみたらすごい見ごたえある作品がたくさんあったし、やっぱり写真じゃこれ絶対わかんないなって思うから、展覧会としては素晴らしい構成だったし素晴らしいなっていうのは久々に見た展覧会の中で結構やっぱり私は満足度があった。
僕は同じように見ごたえがあったっていう人なんだけど、さっきも言ったようにアートとして見ない方が持ち帰れるものが多かったっていうタイプの僕は人なので。
それは珍しいんだと思う。日本一をあんまり経験しないと思うんですよ。職業的に関係なければ。
そうだよね。そんなビッグサイト行かんもんな。
仕事では行くかもしれない。岩田さんとか行くし私も行くけど、一般の人はそんなビッグサイトで行かないよ。日本一は。
東京といえばビッグサイトで、関西はわからないですけど。
インデックス大阪とかですかね。
僕が前にアンディ・ウォー・ホル見てるときですら見てみちゃうみたいな感じなんで、やっぱりテキスタイルはかなり見方はそれに近いんですよね。
このすごいランダムに見えるものは、すごいこれ編んでるぞみたいなこととかを見ちゃうのは単純に僕の癖なんで、一般化できるものでもない気もするし。
アートの定義と理解
でもそういう企業の展示会行くときに見る目と同じかって言ったら違うしな。
メディアートと日本一が似てるなって思ったのと同時に、これがアートかどうかっていうのはもう一段階僕のすごいシビアな目線を自分が持ってるんだなってことに気づかされました。
それで言うと僕アートがまだよくわかってないです。
誰もわかってないんだと思うんですけど。
アートはこうこうこうだからアートですとは言い切れない。
明確な線引きがあるわけではないんですけど、なんとなくの境界線があるとして、そのなんとなくの境界線を意識しながらそれをかなりシビアに持ってる自分に気づいてしまう。
ちょっと前のエピソードでトイレで読んでいる岡本太郎の本のタイトルが思い出せなかったので持ってきたんですけど、
今日の芸術ってやつで、ちょうど今日朝読んだところはね、芸術はいやったらしいっていう。
いやったらしいってどういう意味?
いやったらしいってあんまり聞き慣れない表現ですけど。
この70年代に出版された。どちらかというと、当時の若者向けにアートってどういうことっていうことをわりと丁寧に歴史から説明してるみたいな本なんですけど。
だからデザインとアートの違いってどこにあるかみたいな。
モダニズムとアートの持つ力みたいなのがどう違うかみたいな話をしてるんですけど、ここで。
で、いやったらしいっていう。
だからちょっと今読んでると一種の不快感も含みますよっていう話ですからね。
別に癒やしっていう側面だけではもちろんないという。
なんかちょうど芸術は呪術であるっていう話、この前あれしなかったっけ?
どこでですか?
ここではしてないか。
聞いてないかな。
聞いてないし、呪術はいいキーワード、なんか芸術のことを考えるのに面白いキーワードだと思う。
ちょうどこの大阪万博公演の岡本太郎の生命の劇に裏口、だから降りるときにその言葉を書いてあったの。
芸術は呪術、呪いの術って書いて、呪術であるって書いてあって、言い切っちゃうなと思ってたんですよ。
この人のいいところって言い切ることに責任をちゃんと取ってるし、行動活動で伝えることもすごい頑張ってるなと思うから、年取ってきたらだんだん好きになってきたの。岡本太郎が。
少なくとも岩瀬さんが今陰を引いている、分かる分からないっていう次元の話ではないんですよって、不快感も含みますよっていう意味で言うと、
分かりやすさとか、今のメディアとかで、例えばブログがツイッターの140字になり、それがもっと非言語的にも分かるようなショート動画とかになり、
どんどんどんどん表現の時間、受け取るものの時間がすごい減っていってるような気がするんだけど、そうなるとめちゃめちゃ分かりやすいものばっかりに知らん間になくなっているというか、
基本的には全世界中にすぐ面白いものはバズったりする世の中で、それはノンバーバルにとにかく分かりやすいものとか、面白いもの見てて癒されるものっていうのはものすごく強大な力を持っている時代だと思うんですけど、
その岡本太郎がここで言う嫌ったらしいっていうのは、ちょっと嫌だなと思ったら簡単に遠ざけられる、フィルターがかけられる世の中だし、それに慣れちゃってると不快感を肝心にわざわざ美術館に行こうなんて思う人も減ってはいそうだなと思うんですよね。
インスタ映えするかどうかそんな感じで来ているエンターテイメント的な感じ。
とはいえお客さんが来ないと商売っていう意味では成り立たないので、ちゃんとそういう人向けの展示構成にはもちろんネキュレーターの方は結構心を砕いていると思いつつですけど。
ただちょっとほら2023年も終わってさ、ちなみにうちの会社、G社がトレンドを出すわけですよ。検索。
普段公開あんまりしてないけど、今年の人気ワード。
清水寺みたいな、今年の一文字みたいな。
日本のチームラボ5位か6位かなんか入ってた。チームラボプラネッツが。
で私は美術館扱いされているのかと、むしろびっくりしたんだけど。
すごいですよね。チームラボプラネッツはそれこそ不快感の雑味を極端に細部まで省いている印象がすごいあります。
でもあんな水さ、行ったことないと思うんであんまりネタバレしちゃいわれだと思うんですけど。
靴、ズボンを履き替えさせられてだから濡れるんで、膝ぐらいまで水、しかもいろんな人が入っている水だよ。
不快感でしかなくないあれ。すごい嫌だなって私はちょっとやっぱり、衛生面的にこれしんどいわってちょっと思っちゃったんだけど。
プラネッツは俺も行っとらんかもな。豊洲台のね。
豊洲の方ですね。
大阪のとか。
要するにちょっとイメージして、戸島園がね、昔芋洗い状態だったときに、本当にすごいいろんな人の皮膚のタンパク質から抽出されるいろんな雑菌とかがわーみたいな思わない。思わない。
雑菌でいうと人の体液も一緒にそこで混ぜ込んで流れるプールに。
それがね、心地よいと思いますかという話はあるんだけど。
なるほど。
みんな平気そうだから。
ひたすら塩素を足して消毒してもらって、そういう世界じゃないですか。
すごいなと思ったけど。
日本はさ、お風呂大衆、みんなお風呂入る文化だから大丈夫なんで。
日本人にはOKなんだろうけれど、海外の人にはどうなんだろうって。
ごめんごめん。
ショウさんが言ってるのは、グーグル社って言ってもいいと思うんだけど。
今年のキーワードの美術館の中にシウムラブプラネッツが入ってました。
ショウさんの話はどういうことなんですか。
あれがアートなんだっけみたいな話なんですか。
アートの前に美術館だったんだっていう衝撃を受けた。
おしまいと近いことなんじゃないかっていうのがショウさんの印象だったってことですね。
私はどちらかというと美術館というよりはエンターテインメントスペースだと思っている。
だからお化け屋敷とかと近い。
近かったから、なるほどっていう。
そうですよね。
エンターテインメントっていうのとアートっていうのが実は相当距離あるんじゃないかっていう話。
そうですね。
岡本太郎って人が面白いのが芸術は居合ったらしいとか呪術だとか言っておきながら
大阪万博であんなでかいものをめちゃくちゃ国策に関わって立てるわけじゃないですか。
それがすげえなと思うんですよね。
そういう思惑があった上で国に乗っかってあれやってるわけでしょ。
めっちゃエンターテインメントの顔をして。
そういうことができる人が本当にいなくなったなっていうのが
私が岡本太郎をもう一回振り返るのはいいんじゃないかなって思う。
翔さんだったらお声がかかったら次の万博何やります?
遅いよ。
次の万博っていつの万博ですか?
25年後。
間に合うなよ。
この前先日ちょっと中でいろいろ作っている人にバッタリイベントであって
3年半やってるんです実はもうっていう苦労話をちょっと聞きまして
怖いなと思って大変だなっていう旗から見ております。
そういうことが聞きたかったんじゃなかったんですけど
でもさ、テーマはいいと思うけどね
命がやっぱりこう生き生きとするっていうさ
ミャクミャクってキャラクターも実は結構好きなんですよ。
ミャクミャク僕は好きですよ。
使い勝手の良さも。
会いましたよミャクミャクくんにこの前。
そうなんですか。
ちゃんとあれ後ろから見ると尻尾も可愛いんで
後ろから知らない。
尻尾もミャクミャクしてる。
なんなら前と後ろがあることあんまり意識してないキャラ。
そうなんだよね今ね今前しかみんな見てないけど
ちゃんと縫いぐるみって言うのかこれ。
になるとちゃんと造形ちゃんとされてる。
そうなんだ。
でも何にも動かない。ただ手をパタパタさせるだけだから
まあなんか喋ったりジャンプしたりとかするわけではないんで
ミャクミャクだおって終わりみたいな写真撮って終わりって感じなんですけどね。
映画と4DXの体験
万博楽しみですねっていうのがありつつ
ショウさんも僕その今の話見て思ったのは
これってアートだったんアートとして思ってたんだっていうのは
僕とはちょっと違う感じで
これがアートなのかどうかのジャッジのある種のシビアさをすごい
僕はショウさんから感じましたよ。
ちょっと思い出した話してるよ最近
実写版のゴールデンカムをこの間見に行ったんですよ。
聞きたいなその話。
妻と二人でこのタイミングでいけそうやなと思って時間調べたら
4DXのやつしかなくて
4DXって見たことあります?
水がしぶきが飛んできたりとかそういうんですよね。
最悪やったんですよ。結論言うと。
ゴールデンカムって知ってます?話とか。
結構好きな漫画ではあります。
最初日露戦争の203号陣のシーンから始まるじゃないですか。
あこでいきなり椅子がね
めっちゃ画面に合わせて動くんですよ。
砲撃とかがあったらドーンとかってなるんですよ。
銃撃戦で横でエアがプシュプシュとかって耳元で出るんですよね。
アイマックスと技術の活かし方
映画ってそもそも一人の視点で
カメラが動くもんじゃないじゃないですか。
カメラの視点があって主人公を描く人がいて
それの視点ってカメラによって色々変わるじゃないですか。
4DXの椅子の動きって常に自分の体感なわけで
一人称ですよね。
日露戦争のところでバスバスやってるところを椅子揺らされても
これ誰の…
誰目線?
映画と完全にその動きが乖離してるわけですよ。
杉本のつもりなんてなればいいのか。
弁当箱開けるとこで振動するみたいな。
謎の振動みたいなのがあって
開始3分で帰りたいと思って。
早いっすね。
4DXで見たこと大公開したんですけど。
そこしかなかったですもんね。
とにかく映画っていう表現と全く相性が悪い。
と言いつつ本当はもっと色々4DXでやれたかもしれないじゃないですか。
4DXというかIMAXかもしれないけど
ゴールデンカムイで盲目のアンマーさんとかが
音をすごい空間把握する人たち。
トニーさんですね。
あれって色々表現できそうな感じするじゃないですか。
使いような気がするんですけど。
でも映画と合わせるのは無理。
椅子の周りのツールで何とかさせようっていうのは
ゲームとかやったら
一人称のゲームとかやったら
基本的にずっとプレイヤーの目線だからいいじゃないですか。
でもね、映画はそうじゃないから。
だからブレオウィッチプロジェクトみたいになったらいいかもしれないですね。
手撮りで。
ずっとカメラは一人称なんで。
そしたら4DXと合うと思う。
僕一番最初4DXの
それも別に4DXじゃなくていいのに
それしか撮れへんかったから見たのが
レディープレイヤー1って
ゲームの世界の
あれはね、4DX初めて体験したんですけど
そんなに悪く感じなかったんですよ。
テーマがゲームで
ゲームのアバターになってみたいな話なんで
そんなに違和感なく見れて
だから今回のゴールデンカメラは
4DX嫌いけどいいかと思って
行ったんですけど
ちょっと辛かったです。
その話で膨らませていいか分かんないですけど
いわさも見たところでやると
ストップメイキングセンスの
アイマックスを
ここにいる人全員見たと思うんですけど
あれもさっきの今日の話の
技術見本かどうかの答え合わせみたいな感じで
望んでいるような
真理があって
アイマックス
これがどういう風に
結論はマルチドラッグ化されて
最近の技術で
それで音声のチャンネルも
アイマックス的にやってて
演出にどういう風に
技術が活かされているのかという意味で言うと
エンターテイメントでもあるけど
やっぱり僕技術見本的な感じで
望んでいるところもあったりしてしまう
ストップメイキングセンス
そんなにゴールデンカムイほどは
誰でも知っているという感じではないので
一応説明しておくと
1987年かな公開
6年か7年
ライブは80年代前半じゃなかったですか?
86年ですね
4年かな
ニューヨークのストーキングヘッツっていうバンドが
やったライブコンサートを
アイマックス版映画とアート的な雰囲気
ジョナサン・デミカ
羊たちの沈黙とか書いてる
監督が映画化した
ライブ映画なんですけど
それを4Kでリマスターして
アイマックスで上映したっていうのが
最近あったんですよね
これもゴールデンカムイの話と
個人的には近い感想を持ったんですけど
良かったんですよ
ストップメイキングセンスはめちゃくちゃ
やっぱりアートとエンターテイメントみたいな話で言うと
ストップメイキングセンスは
当然世代的にリアルタイムでは無理なので
ビデオで見ましたけど
僕がストップメイキングセンスっていう映画に
持ってた印象は
すごく画面の中で起こっているものっていうか
遠い感じがしてたんです
それは観客が映らなかったりとか
映像ではすごくアクティブなんですけど
自分に向けられてないっていう感じがしてたんですよ
ストップメイキングセンスって映画の感触として
今回のアイマックス版は
ライブ会場にいるように感じさせるような音響になって
かつ観客の姿も結構映るみたいなところで
映像もちょっとだからエディットされてて
全く同じではなかったんですよね
だから没入感みたいなことを
アイマックスの最初に言ったりしますけど
それってすごくエンターテイメント感があるんですけど
もっとアートだった気がするんです
ストップメイキングセンスって
面白い
美大生です
ディズニーのね
彼のスーツが特に象徴的かな
クソでかいスーツを着てる演出があるんですけど
あれが体に全然合わない
肩幅2倍ぐらいのスーツ着たりとかしたりするんでしょう
奥さん日本に住んでたんだよね
ちょっと分かんないです
調べたことあって
デビッド・バーンさんの
奥さんは日本に住んでたモデル
かつファッションデザイナーをやってて
確か彼女がそのスーツに関わってる気がする
間違ってるかもしれない
脳の衣装みたいなものとかが
インスピレーションになってる
みたいなのは読んだ気がする
パンフにはこんな時に思いついたのがあれだったんだよ
ぐらいのことを書いてありましたけど
僕個人的にトーキング・ヘッツというバンドに
割と思い入れがある方なので
高校生の時に初めて
ゴールデンカムイの炎上と作品との関係
ストップメイキング・センスのサントラ版を
買ったところから出会ってるので
そのレコードの裏ジャケに
ホワイ・ビッグ・スーツ
ホワイ・ライブ・ムービー
ホワイ・ストップメイキング・センス
これを見た人が疑問に持つであろう
ホワイがたくさん並んでいて
最後にストップメイキング・センスって書いてあるんですよ
っていう情報を
つまりそこに意味を見出すなよっていうことを
言われた上で見る映画として
すごくどう捉えたらいいんだろう
みたいなところの困惑が
最初にストップメイキング・センスを見た時にあったんですけど
今回の感じ方はそういう風じゃなくて
もっと伝わってくるというか
その中に入れるみたいな
昔のやつでいうと
ある程度の距離を保って
むしろ見る構えみたいなことに
メタ視点が強化されるような感じだったんだけど
今回はもっとそれを超えた一体化の中に
無理くりそれの気持ちを言語化するなよ
みたいなことに
ストップメイキング・センスという意味が変わったような
ことかもしれないみたいな意味
あれはニューヨークで見ましたよ
アメリカン・ユートピアの話
それ引っ張るんかな
そっちはどっちかというと
観客をかなり取ってたと思う
アメリカン・ユートピアに今回のリメイクで
よったなって感じはしましたね
今の話を聞いてなるほどと思いました
あの劇場どこだった?ニューヨークの
ハドソン・シアター
ストップメイキング・センス
あれはLAかどうかのライブ
何日かを一本の映画にまとめてたんじゃなかったけど
当時珍しいんじゃない?
そんなに一本のコンサートだけを
映画に撮ろうみたいなのって
試みはあったけど
ジョナサンネミの編集とかそういうものを
ミュージシャン同士のアイコンタクトとか
そういうものを強調するより
ミュージシャン同士の非言語的なコミュニケーションが
抽出されるような演出ってことが
ライブ映画としては
ザ・バンドのラストワールドとか
レッド・ゼッペリンの熱狂のライブ
ジャンルとしてはあったはずですけどね
それ以前にも
ここでラッシュいいかわからないんだけど
どうぞ話が映画と音楽に
技術見本化とかみたいな話
ペットショップ・ボーイズの
見に行ったじゃないですか
それもありましたね
ペットショップ・ボーイズが
たった1日だけ
コッペン・ハーゲンのライブを
最近だと思うんですけど
去年くらいの話だと思うんですけど
実はそのツアーバンドに入っている
日経の方が
スコットランドと日本人のミックスの
内田クレアさんという方がいる
内間クレアさんという方がいて
クレアさんの妹
私元同僚なんです
会社で
カラオケ行って女子会だって言って
よくやるんですけどガーズナイトだって言って
カラオケ朝の3時まで歌うみたいな
しょうもなさそうな会ですね
そんなことない
しょうもなくないのよ
男子会とかボーイズクラブもしょうもない
それで私のお姉ちゃんが
今ペットショップ・ボーイズの
ツアーメンバーなんだと
映画やってるからって言われたから
見に行ったんだけど
一つのコンサート
複数のコンサートをまとめて
ペットショップ・ボーイズの歴史ですよ
って見せるのかと思いきや
単発をただ映像化しただけの映像
アイマックスだったんですよ
今それやる意味って
ちょっと一瞬は思った
それ以上の感想はないですけど
ストップメイクセンスとか
アメリカンユートピアだと
3日間のライブを
同じセットリストのライブを
3日間撮り続けたやつを
再編集して見えるようにしてる
そのペットショップ・ボーイズは
ほんまに一つのライブをそのまま
一回のライブの何回目かを
スイッチングしてるような編集が
そんな感じ
最近オフジロックとかサマソニー
生中継してる映像みたいな
間隔は近いですけど
寄ったりとかもしたりしてて
アイコンタクト的なやつとかも
やっぱり撮ってはいたから
そんな1日目で遠くから
ただ中継してますよとか
たまに寄ったりしますよ
っていうだけではなかったんだけど
これは何のトレンドなんだろうかという
リアルイベントの感想とポッドキャストのアワード投票
トレンドっていうか
この記録をコンサートに残して
映画化するというのって
IMAXで
しかもIMAXでっていうのは
何だろうなっていうのも
私結構ペットショップボーイズは
面白かったのは
すごいシンプルなんですよ
ペットショップボーイズのステージも
ここ共通点なんで
すごく効果的に
グラフィカルに作られてて
この視点から見ると
すごいいい具合に見えてるみたいな
もしもコンサート端っこだったら
たぶんそんな楽しくないはずなんだけど
この映画撮ってる一番いい場所で
すごいグラフィカルに見れるから楽しい
そういうふうにモニター使うんだとか
ちょっと共通点があるのが
ストックミキセンスって
街灯とかが1本立てたりはしなかった気がするけど
ステージ上に街灯が1本立ってるだけで
ちょっと曲の世界観の奥行きが出る出ない
めっちゃミニマルな演出だったりとかするけど
そういうのはあったなって
でもデイビッド・バーンがライトと踊るみたいな
そうそうそういうことです
かなりインスパイアされた
インスパイアされた感じだと思うんですよ
そのことをちょっと思ったんですね
ちょっと話広がりすぎましたね
もう閉じないといけないですけど
どうやってまとめるのこれ
まとめるっていうか
今話したような
技術見本を答え合わせしながら
挑んでしまうしょうもない佐賀の僕と
皆さんの楽しいお話という回が今回だったかな
岩田さんの技術見本は
技術見本として見てって感じですよね
そこに何かを感じ取ったりとか
少なくともものづき系の企業の展示会とかに行って
アート的なものを感じることはないですよね
私あるんだよね
あるんですよ
っていうのは自分がこれ使って
これできるとちゃうということで
作品が思い浮かんでしまうから
アート的なものを感じる
それはあると思うんですけど
インスピレーションが湧いちゃうわけですよ
インスピレーション源としてね
展示物そのものがアートだと思うことは
思わないですよね
逆のパターンは今回のお見さんみたいにある
アート展を見に行って
これどうやって作ってるんやろうみたいなことで
技術のことが気になるみたいなことがある
思考回路をたどりながら
そっかそっかみたいな
っていうのはあると
ゴールデンカムイは体験として最悪だったために
ゴールデンカムイは絶対に
普通のシアターで見てください
むしろ椅子の構造だけが
嫌なものとして決まってしまったという
悪い意味の技術
4DXの
頑張ってね
4DXの演出を担当してる人もいるわけですよね
その方には大変申し訳ない感想ですけど
最悪でした
正直な感想って
あの映画は見て
これ別の回でやりたいぐらいなのけど
結構ちょっと気になることが
え?ゴールデンカムイ?
いやもう広げんでくれ
だってさ
なんか今もう炎上してる点がいくつかある
そうなんですか
そうなんだ
だって役者がさ
例えば和人かどうかとか
ちゃんとリスペクトしてるのか
本当に
作品とは関係ないという論調が大半ですけど
それを同じようなことで
モアナとかアニメの
ディズニーとかなのかな
ポリネシアとか
忘れたんですけど
そこの島々の方を声優とかに使ってたりとか
世界とかでやられてるトレンドとは
違った作られ方をしてるってのは
確かにあると思うんですけど
その話をここでするのかって話です
ちょっとね
やめましょう
別だよ
やめましょう
別だよ
くらなしラジオですらない
それは
はい
そんなんで
今日はこんなところで
来週いよいよゲスト回なんで
楽しみです
お楽しみに
というわけで来週も火曜日に配信いたしますので
フォローしてお聴きください
ちょうどこれ配信されてる時に
岩田さんは
イベントも終わってますね
終わってますか
そうか
そういうイベントに出たよっていう方は
その感想を
その時に岩田さんに直接言えなかった部分を
教えてください
どのイベントかって言ってない
リッスンのリアルイベントですね
3月2日に行われた過去形ですけども
あとは連絡事項的には
投票をお願いしていた
ポッドキャストのアワード
作品公開と投票への感謝と3周年のお祝い
確か僕見たけど
あれって
存在忘れてた
そうなんですよ
多分僕らは
ノミニではないんですけど
とはいえ結構その応援してくださる方の声を
直接聞けた
いい機会になったので
ノミネット作品公開されてますね
投票してくださった方は
ありがとうございました
本当にありがたい
皆さんのおかげで
成り立っている番組であることを
再認識しました
ちょうど2周年
倉田氏ラジオの続行とゲスト回への期待
もう3年目に入りましたね
3年目に入るから
今の会でね
すごいなという
ただただ言うしかないというか
続けるということの凄さというのは
そうですね
高校生だったら
この間入学式だったのに
3年生
最高学年だなという3年目ですからね
そんな感じで
倉田氏ラジオは
引き続きやってまいりますので
引き続き応援よろしくお願いいたします
番組の長さとリスナーへの感謝
ゲスト回が一番人気
なので
おすすめのゲストをフォームで
推薦というのもありかなと
ちょっと思いました
自選多選
自選多選問いませんということで
というわけで
来週のゲスト楽しみにして
今日はこの辺で終わりましょう
また1時間
十何分か
なりました
本当にこの長い時間
お付き合いいただいている方が
いらっしゃる
結構おられるんですよね
本当にありがたいなと思います
もう3倍速ぐらいで聞いているので
聞き取れないよ3倍速で
終わります
ありがとうございました
01:20:56

コメント

4dx、トップガンマーヴェリックだけ見たことあります。映画というよりライドでした

ConCra 岩田
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