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  2. S3 ep31 ただ隣に居る青い炎 ..
2024-04-02 1:13:55

S3 ep31 ただ隣に居る青い炎 岩井巽さんゲスト回編集後記

ゲスト回終わり恒例の感想回です。作り手との関係の結び方、静かながら高い熱量、仕組みづくりへの鋭い視点などが印象に残った巽さんの姿から、我々は自分の故郷のために何かしようと考えたことがあるか? 社会課題への向き合い方に世代による違いがある? 観察者だからこそ課題を見つけられる? 価値を価格に反映させるためにはどうすれば良いか?などの問いへ。 【番組の感想・質問・リクエストなどはこちらから】 ⁠Cra出しRADIO おたよりフォーム ⁠#concra でも感想お待ちしています! 【今回の話題の関連リンク】 五分|GOBU https://gobu-japan.com 映画『夜明けのすべて』 https://yoakenosubete-movie.asmik-ace.co.jp 映画『燃えるドレスを紡いで』 https://dust-to-dust.jp/ 書籍 "Cradle to Cradle: Remaking the Way We Make Things" Wikipedia 【ConCra Information】 ConCra公式サイト ⁠⁠⁠https://concra.jp⁠⁠⁠ 誰でも参加できる実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)⁠⁠⁠⁠⁠ https://basic.motion-gallery.net/community/concra/⁠⁠⁠ パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保


サマリー

彼は、「クラ出しラジオ」に出演しています。この番組では、工芸を軸に様々な手法で使われなくなったものを生まれ変わらせることについて考えるコンクラのメンバーが話しています。最近は、映画『夜明けのすべて』について話題にしています。この映画は、恋愛や友情ではなく、隣り合わせの人たちがお互いを支え合う関係性を描いています。また、若者の戦いや価格設定、環境への配慮などについても触れています。全体的に、デニム業界における意識改革の必要性や、作品を公開する際の費用やその持続性についても考えています。青森に行く際のオススメスポットや文化の違いについての情報も求めています。

00:01
クラ出しラジオは、使わなくなった大切なものを、様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、コンクラのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラの岩田です。
ウミです。
しほです。
はい。
振り返り会です。
よろしく。
お願いします。
辰巳さんの濃い話
辰巳さん、ゲスト回はみんな濃いんですけど、濃かったです。
なんかね、配信聞いてるとすごくナチュラルな感じで、あれでしたけど。
当日、配信の中でも辰巳さんもおっしゃってましたけど、ちょっと喉の調子を崩されてるタイミングで、3時間もお話にお付き合いいただいたんですけど。
ちょうど私、前に座ってたから、かわいそうになってしまった。だんだん話させちゃいけないみたいに思ってしまって。
リスナーさんの中では、深々と喋りすぎるという疑惑があるかもしれないんですが、それはそういう事情によるところです。
でもあれですよね、ファッションの話になると熱が入りがちですよね。
でもすごい、辰巳さんが、例えばブルネルクチネの話とかも、実際にイタリアも行かれた、辰巳さん自身の経験とかも話してくれたのが、結構辰巳さんの、言ったら学生時代の記憶なんで、生まれたものを掘り起こしたのかなって感じもあったんで、良かったですけどね。
話しといて頭の整理もされたし。
改めて聞き返しながら、倉田紫ラジオってゲスト回がインタビュー番組ではないなと思って。
確かに。
僕ら別にインタビュアーじゃないじゃないですか、ウエスト呼んだ時って勝手なこと喋ってるし。
インタビュアーだと引き出さないといけない、引き出すに徹底するってこと?
一応僕らもそういうね、意図を暗黙のうちに3人で共有して望んではいるんですけど、雑談のメンバーがちょっと1人2人ないし増えるようなムードが、よく分かる、あおる君も倉田紫ラジオなのかなという。
だからあれなんですよ、辰巳さんの話の中で、いろんな工芸の現場に行ったことを文章で書かれて、記事として出されてるのが、別にライターとして行くみたいな、記事を執筆するために行くとかじゃなくて、
たまたま行って興味があったところを後々記事化するみたいな順番で記事にしてるんやっていう話とかをお聞きすると、それがやっぱり伝わってくるんですよね、読んでる側からするとね。
それと似たような話かなと思って、別に引き出そうと思って引き出すというよりは、僕らも面白くて喋ってる話が、最終的に全体で面白い話になればという思いでやっており。
全体的にやっぱり思ったのは、行動力の塊な人なんだなっていうのを印象で思った。すごく考えて観察して、記事もすごく考え抜いてるっていうのはすごい伝わってくるんだけど、
わざわざ行ったりとか、場に行ったりとか、自分を作ったりとか、そういうので実践っていう行動をしてやってきてる方なんだなっていうのが、話を全部聞いて思ってわかった。
わりとそのレポータージュみたいなことをやっていく活動もあるから、足を運んだりとかするっていうのは、わりかしもう学生の頃からわりと染み付いた印象があられる中で、行動範囲の広さと、でも集中するところは故郷のピンポイントのところだぞっていうそのミクロとマクロのバランスをずっと同時に持ち続けてるようなそういう印象があって、
なんか、チンプな言い方ですけど、いいなと思いました。
ひるがえて考えてみたときに、きのうちょっと用事があって岩津さんと喋ってたんですけど、自分の故郷のために何かしたいことってあるんだっけって僕が思い返したときに、名古屋ってなーてんてんてんみたいなところがあって、
名古屋からさらに狭めて、蓄作のために何かやるかなとか、そういうこともちょっと考えるところなんですよ。
それ言われたら、東京のためにとか、全然思えって言っても無理なんだけど。
辰巳さんの旅と記事
でも結構さ、東京とか祭り神社も多くて祭りも盛んでさ、いろいろ言ってても地元の町内会とか、地元の神社の祭りを大事にしてるっていう東京の人もいるじゃん。
それは一部。
私の住んでいた世田谷区は、そんなにお祭りは、そこまでね。
だから、何だろう、行ってみないと分かんないなってのはちょっと思った、でも。
あ、この辺に?
そう、この辺に行くと多分分かる気がするっていうのを妄想しながらお話聞いてて。
あと、この辺で何かやっていこうっていう勇気をもらったような受け取り方してるんですけど、
ブルネロクチリンの行ったところの人口500人にも満たない村というのか、
僕も行ってないところを想像しながら聞いてるに過ぎないんですけど、
じゃあそこでどういう風な文化価値を語っていくのかっていう話とか。
よくさ、町おこしとか、なんだっけ、里山なんとかさ、
そういう企画というかプロジェクトとか、
町がやったりするやつとかね、なんとか市がやったりとかね。
なんとか市が例えば公募して、それで民間の企画を出して、採択して、で起こるようなプロジェクトですよね。
そういうのってさ、やっぱり地雷踏んだらやばいみたいな、
外から来た人がやったら、なんかやっぱり地雷踏んじゃったりしたらどうしようと思って、
あんまり入り込まないような、タブーじゃないけど、
ちょっと間違えるとセンシティブな話すぎて、やっぱりあんまりタッチしないようにする、避ける。
地元への思いと地域振興
むしろそれが本当に残さなきゃいけなかったものをなくしちゃうというか、文化が消えていっちゃう。
やっぱりもともと地元だったからこそできるってもちろんあるんだけど、
人のネットワークだったりとか、彼がやるならサポートしたいとか、
そういうのもちろんあったとしても、その勇気がすごい必要じゃない?
そうだね。あとは、良さと悪さで言ってもしょうがないんですけど、
行政が旗振った何かみたいなのは、予算の取り方に課題があって、
例えば年度って1年ごとにちょっと決まっていて、
それで何かを始めて終わらさなきゃいけないっていう長期支店のもてなさだったりとか、
そうは言っても何かやらないと次の予算が縮小されるからって言って、
打ち上げ花火感をちょっとは出さないといけないとか、
民間に委託してるんだけど、それが地元の人じゃなかったりするから、
自分ごとの気持ちが希薄みたいなところと比較したときに、
やっぱり辰美さんとかは自分の話だし、
今年だけで終わらなかったら来年も当然だしとか、
別に終わりのない話をこれから立ち上げて語っていく話なので、
そういうのはありますよね。
基本そういうものって時間かかるじゃん。
コミュニティづくりにしても、行政の何にしても、
でもやっぱり11月頃になると急にイベントが増えるのって、
3月までに予算を消化して、
次の予算を取らなきゃいけないという時期の、
ちょうど11月ぐらいまでにやっとかないと、
エビデンスが作れないから、いきなりアートイベントが増えたりするのが、
それのせいなんだけどね。
そうなんですね。
そうなんですよ。秋だからじゃないんですね。
そういう話が出ましたね。
それだとサイクルっていう意味では、1年目やったの、
2年目はどうしようとか、そういうふうな考えで、
サイクルで5年計画で提案できる行政のプロジェクトだったらいいんだけど、
毎年公募とかだと、残らないとできないとなると、
そういった時代だったりとか、今までチャレンジングなこととか、
コミュニティづくりとか、とにかく難しいよっていう話なんですよね。
だから今まで使われてなかった馬の革の流通がないんだったら、
発明せんといかん。発明せんのだったらいかんかったら、
誰にたどってっていうことを、自分でまずたどっていかんといかんという作業とか、
ああいうのって本当にバイタリティとかも必要ですけど、
本当に自分事がしてないとなかなか体が動かないなって思いますね。
僕も海さんと名古屋の話を昨日してましたけど、
僕も近いので岐阜羽島なので、地元の能備平野っていわれる、
だだっぴろい平野のエリアですけど、
僕は地元の風景みたいなものに、愛着といえばあるのかもしれないですけど、
どちらかというと辛さを感じて出ていったところがあって、
辰巳さんの大学に入る以前ぐらいのところから今までの話を聞けたわけですけど、
その流れを聞いていってすごい面白いなと思ったのは、
ゴブっていうブランド名を決めるにあたっての決め方であったり、
何をそれでやるのかみたいなところって、
割と言い方をすると行き当たりばったり感があるように聞こえるんですけど、
とりあえずゴブがつくブランドとか、
バニックのことも最初は注目しなかったわけですけど、
実家のリンゴ農園のところから、
地元に対して何か貢献できることだけはあって、
その手法とか題材みたいなものは何も決めない状態で行って、
しかもバニックのところにたどり着いても、
それの皮を使うみたいなことも最初は別になくて、
そこに行って見つけたものに対してアプローチしたらこうなったみたいな流れでここまで来たみたいな、
ところ、そういうすごく流れに身を任せてきたようなところに見えるところがある一方で、
すごいこの辺っていう街に対しての何か貢献というか、
みたいなところはめちゃくちゃずっとあるみたいなところのバランス感覚がある。
物に対する愛着っていうのかな。
だから素材としての皮だけど、物がどこからどうやって出来上がっているのかって、
ずっと自分も作っていたからっていうのもあるんだけど、
観察感があるし、それに対する課題っていうのもいろんな地方の見てきて、
取材というか記事を書いている中でいろんな人の話を聞くと、
どういう解決方法をしていて、どういうことがあってというのは耳にしみついちゃっている感じがする。
だから多くの人は先にそっちが行っちゃうじゃん。
その使命感というか、バリックを何度かしなきゃいけないみたいなので、この辺とか。
順番逆の場合が多いと思うんだよね。
なんだけど、どっちかというと旅する人であり観察していて、
でもやっぱり本当に物というか日常で身に着けたり使ったりする物が好きでしょうがないんだなっていうのは、
話全体的にそれは一貫しているのがすごく分かった。
面白い学校に行っていたんだろうなというのも想像できるんですよ。
IA登録下校。
そうそう。だからやっぱりその地方のいろんなことをちゃんと学校が向き合ってやっていたんじゃないかというのがまず大きいのかなと思って。
そのコラボレーションとかも。
我々今京都にいるわけじゃないですか。だんだん声が小さくなってくるけど。
京都にある芸術大学だから京都のやらなきゃいけないところになるとちょっと違う気がするんですよ。
背負ってるものが違うんだみたいな。
例えば山形に東北稽古がありますけど、山形稽古と言わずに東北稽古と言っている感じのこととか。
もうちょっと差している範囲が広いとか。
確かにそうですよね。
京都は京都ですからね。
ブランドのためにやっている感じが、これすごい言い方間違えたらすみませんなんだけど。
地雷踏んだらすみません。
だからみんな京都の美大学、京都をブランディング売りにしているとか言っていいわけじゃないんだけど。
聞こえちゃうんですよ、外からの人間からしてみたら。
京都のプロジェクトをやっていると京都を押してくるなみたいな。
中部とか地方、もうちょっと広い意味での地方を見ないのかとか、やっぱりちょっと思うことがあるんだよね。
なるほど。
だからそういう意味では、ある意味面白い学校なんだなっていう、ちょっと同じことを繰り返して言っちゃうけど、
思った理由というのが、ある意味ラディカルですよねって思ったんですよ、地方に対するアプローチ的に。
東北って言っても、面積にしたら広大だし歴史だってすごい長いわけなんで。
無謀っちゃ無謀じゃん、それをカバー3、4年間ぐらいでしないといけないとこって。
それをリプレゼントしようと思ったらってことですか?
そうそう。
言ってみないとわからないんだけど、そんな風に想像しましたっていう。
なるほどですね。
優先順位がちょっとユニークだなっていうのは、翔さんと岩瀬さんの話を聞いて思いました。
何かを作らなきゃいけないっていう、作り物とかを一筋の巧妙みたいにしてるっていうことではなくて。
ゴブっていうブランドめちゃめちゃピッタリだなと思って。
岩井達美さんっていう人の生き方みたいなものと、本当にゴーゴーが尽くしみたいな、たまたま感ではおっしゃってましたけど。
収録の後も一緒にご飯食べに行きましたけどね。
結構ゴブゴブの関係みたいなのはね、割と汎用性が高いんで。
翔さんと岩井さんの関係のことも言ってましたけどね。
僕らがいい加にゴブの関係であるからね。
あとは、客の話があるとしたらゴブの酒漬けとか、そんな話もしてましたね。
確かに。
親子酒漬けでもなければ、兄弟酒漬けでもなく、ゴブの酒漬けっていうね。
簡単に言うとヤクザの世界の話ですけどね。
話すれちゃうかもしれないけど、ヤクザとゴブで思い出したんだけどさ、入れ墨もゴブシチブってあるんだよね。
そうなんだ。
シチブ袖みたいな。
ヤクザだけじゃないよ、差し物って。
って言われてる。
それは洋服の隠し方に絶対職業的に着なきゃいけない職業とかだとゴブのやつにするだろうしなとか。
だからいろんなゴブあるねって思った。
確かに。
辰美さんにすごいぴったりな名前だなと思ったのは、さっきのなんて言うんですかね。
自分の、翔さん言ってくれたみたいに、これの課題を解決しないといけないんだみたいなところが、自分の中ですごい強くあって。
そこに対してマッシグラみたいなことではなくて、いろんな環境に負けていくというか。
柔軟。
柔軟。
そこをちょっとずつかき集めていって、みたいな関係性を作っている感じは、本当に自分がやりたいことを前に出すでもなく、相手の要望に対して単に応えるっていうことでもなく。
ただただ横たわっている、ごめんねっていう風土とどう付き合うかという、そんな感じですよね。
なんかさ、思ったの話聞いてて、もちろんご年齢我々に比べたら全然お若い。
岩田さんはそんなに大人に。
いやでも、ちょっとあれですよ。
小学校一緒に行ってないですよ。
やっぱり現代的だなっていうのも同時に感じた。
聞かせてもらおう、おばさん的意見を。
思わなかった。
いや思います。何とは言えないですけど思います。
これって言えないんですけど、現代語とかそういう言い方じゃなくて、現代のアプローチの、現代的なアプローチ、歴史だったりとか、難しいこととか、トランスペランシー、透明性とか、
あとはそういう意味でどうやってコミュニケーション、伝えていくかとかを、ちゃんと気を付けなきゃいけないポイントって、現代ってすごい多くて、
言ったら、今ドラマでやってる、
施設にも言葉がある。
見てると、私は完全に昭和の人なんですよ。
お父さんというかおじさん側の人間だから。
変なのあんたらだよっていう人ね。
そう思ってる。
そっち側のおばさん。
おばさんだし、あとその面白い時に、94年に日本離れちゃったから、バブル時代の頭で日本帰ってきたら、急に日本がすごいみんなが繊細で気を遣い合って、
正しさってなんだってことを、ちゃんとコンプライアンスとか話をなってるなって。
内向的に批判的な目線が向けられてた時代を、日本にいなかったってこと?
それが帰ってきて、ちょっと経ってそうなったんだけど、今ってポジティブな方にちょっとずつ転換してきてるんじゃないかなと思ったんだよね。
それが私の現代っぽさというか、だからもう3段階目に今いっているわけですよ。
いやー、想像したことなかったですね。
おっさんとしては。
なんか変なこと言ってるのがある。
結構ね、むずい。不適切にもほどかる話をするつもりはないけど、あのドラマとか見てると、
そこまで昭和って消えてるっけって思ったりする。
普通に安倍晒音の86年から来た人がやってること、普通にやってる人もいるじゃないですか。
特にここ五条の界隈とかだと全然います。
送られます。
今日もね、あったし。
いやー、そうですね。結構東京とかだと、本当に簡単に言うと、分かりやすいよりで喫煙みたいなの。
みんなが共有してるマナーみたいなのが東京とかだとあって、
路上喫煙とかもよっぽどじゃないとする人もいなくなったんですけど、
別にするとしたら多少悪びれてするようなところを、多分もう何十年もそうされてるんだろうなという高瀬川の橋のほとりで、
ふーって息をついてるおっちゃんとか。
スリッパだったもん。
スリッパ見たら、ここの地域の公民館の名前なんか書いてたんで、
そっかーと思って、ずっとこういう感じであられるんだろうなという。
それは別に安倍さんのほうが感じなんですよ。
そのポジティブなほうに繊細さみたいなものが、コンプライアンスみたいなことに気を使うみたいなことが、
ポジティブな方向に向かってるっていうふうに言われたのは確かにわかる。
例えばあのドラマだと、どちらかというとポジティブなほうに向かってるところよりは、
その手前のコンプライアンスだけを表面的に気にしてるみたいなものに対する批判がちょっと強すぎて、
なんか今の、もうちょっと今のだから、本当に世代的に若い人の感覚みたいなことと、
結構ズレがあるんちゃうかなとかって思ったりしながら見てるんですけどね、あのドラマはね。
まだ全部見てないから、無数の映画見始めてて。
状況の複雑な言語能力による整理の凄さっていうのをまた僕、岩田さんに目の当たりにしてるような。
いや全然今整理できなかったけど。
それは多分テレビに対する、今のテレビっていうものに対するアンチテーゼだっていう風な意見があるじゃないですか。
だから私全部見てないからわかんないんですけど、
それって今テレビの話になっちゃうけど、それはやっぱりちょっと古いメディアになっちゃったから、
そこに対するアンチテーゼはちょっと手前にはなってしまうんだけど。
多分僕、もう全然辰巳さんの理解でなくなってるけど、ちゃんと戻っていきますからね。
あのドラマに関して言うと、多分テレビっていうのが題材になってるところにすごい違和感があるんですよ。
多分テレビってずっと昭和やんって思って見てるから。
確かになー。僕全然見てないけどあのドラマ。
僕もテレビそんなに見ない方なんで、正直あんまり感覚的にわかってないところは確かにあるにしても、
なんかその、令和批判しすぎな感じはちょっとあるなっていう。
で、その辰巳さんから感じたポジティブな現代性みたいなことで言うと、
僕はそれより夜明けのすべてっていう映画見たいんですよ。
見てない。わかんない。
めちゃめちゃいい映画です。
これでも振り返り会配信されるのは、もう4月入っちゃうのかこれ。
4月はやってるかな。
もう今この収録時点で。
終盤?
結構経ってますからね。公開してから。
そこ終わっちゃう。もうすぐ。
わかんない。うまく話題でね、ロングランになってくれたらいいですけど。
ロングランになってほしいなって思う映画です。
うん。夜明けのすべて。
でね、そのポジティブな現代性みたいなものがすごくナチュラルに、
映画として今はそういうふうに表現しないといけないとか、
そういう義務感みたいなことではなく、
相手のことをナチュラルに気遣って矯正していくみたいなものの、
押しつけがましくない。
そう、押しつけがましくなさっていうのが、
何かを守ったり残そうとしたり、
動物愛護の観点とかもあったりとか守るっていうには、
やっぱり戦ったりとかするのが私たちぐらいの世代のイメージなんだけど、
そういう抗うとかそういうのではなくて、
その状況はもちろんしっかり分かった上で、
繋がりを丁寧に作りながらやっていくっていうのが、
我々ができなかったことだから、そこに現代っぽさを感じたのかもしれない。
『夜明けのすべて』のストーリーとテーマ
ちょっとその夜明けのすべての話をすると、
PMS、精神原型麻痺症候群で結構重いPMSを持っている女性と、
パニック障害を抱えている男性が、
本当に数人規模の中小企業で一緒に働いていて、
一言で言うと、ただ隣にいるだけなんですよ。
同じ事業、オフィスで隣にいる。
物理的にもそうだし、映画のストーリー的にも、
それが恋愛的な関係になるとかでもなく、
友達関係になるわけでもなく、ただ隣にいて、
でもちゃんと支え合っているみたいな。
とにかく見てください。
岩田さんからバトマン渡されている状況ですけど。
最近我々が見に行くのは、岩田さんに勧められているっていうのと、
友達が見てくれって言ったのばっかりです。
そういうところから我々の作品に対する向き合いって、
おじさんおばさん化してますけどね。
自分が戦うタイプだからなのかなと思って、
私自身が、例えば生命倫理とは何かとか、
ちょっとこう、何て言ったらいいのかな。難しいなこれ。
辰田さんの戦い方と青い光の象徴
ちょっと考えてもらって、辰田さんの話に戻ると、
僕からするとおじさん的なバイアスがかかっている可能性はあるんですけど、
僕は辰田さんのことを戦う人だと思って見ちゃってるところはあったと思うんです。
そういう意味で言ったら。
でもそれは今の話で言うと、僕のバイアスかもしれないなと思いますね。
戦い方が穏やかで静かっていうか、
青い光みたいな感じです。
ガスバーナーで燃やした温度は高いけど、赤い火より静かに燃えている。
っていう感じがするの。
私たちはどっちかというとゴーゴーとか、
焚き火みたいな。
焚き火だよね。祭りじゃんみたいな。
焚き火よりガスバーナーの火の温度は高いですからね。
小さくても。
戦う若者の話
っていう感じがしたんですよね。
戦う若者の話でした。
でもその話で言うと、
ちょっとでもぼんやり思ってたんだけど、
本当にしょうもない話の切り口なんですけど、
自分の若い頃どうだったかなっていうしょうもない切り口で言うと、
まず多分、仕組み作りとか、
ローカルのプレゼンスのことを意識した卒業政策っていうのは、
検討したけど作らなかったじゃなくて、
作ろうとすら、アイデアにすら浮かんでないですね。
僕だったら。
どっちかっていうと、生きることに必死で、
どういうことで生きていったらいいのか分からないけど、
ある種の戦う戦わないっていうよりは、
バブルが弾けて仕事もない中で、
今までのあった正義みたいなのがガラガラと崩れ去って、
とにかく生きてる実感が欲しいっていう感じだったなっていうのを、
昨日ちょっと岩さんと長い時間いるとこで喋ってたこともあって、
昔の振り返りの自分のことを考えたんですけど、
生きることに必死かつ、生きる実感とかを欲しているとか、
何の使命感もなく、そういう若い頃を過ごしてたなっていう。
僕らそれは個人的な話だったので、
その時代はこうだったっていう話でも別にないんですけど、
そこを越えて、そういうことがありつつも、
戦ってる戦ってないっていう雑な区分けでいうと、
どっちかっていうと、今僕は緩やかには戦ってる側の人なんかなって思ってる自覚とか、
身勝手な使命感っていうのもあるんですけど、っていう話です。
価格設定と作り手の責任
大学院生っぽいじゃん。
ちゃんと商品化しようとか、先をちゃんと見据えている。
学士は学部じゃない。
学部生っていうのは学士で終わる。
4年生の方。
その時ってやっぱり必死じゃん。
学校をまず卒業せねばみたいな気持ち。
そっちに就職どうしようとか、先どうしようとか。
視線がどうしてもやっぱり自分に向かうような。
自分に向かうような。
でも商品化なんとかしようっていうのは、
どっか外を見ていないと思いつかないというか、
努力もする気にならないわけだから、
聞いてて、やっぱりマスターレベルのプロジェクトだなと思って、
ちょっと偉そうに言ってて申し訳ない。
偉そうっすね。
学校で教えてる人とか、
今の学士の人にしたらだいぶレベル高いことやってるなと思った。
プロジェクトの卒典で、
菅財工の作り手の人と一緒にみたいなのもありましたけど、
さっきの静かで、
熱量が高い戦いみたいなことで言うと、
すごい難しい戦いをこれからしようとされてると思うんですけど、
僕は収録の後、ご飯食べに行った時に、
科学設定の話とかをちょっとチラチラと聞いてて、
それは今の段階でここで言うべきことではないんで、
具体的には言わないんですけど、
いわゆるバックならバックの一般的に高いって言われる価格よりも、
もっと上の価格帯を狙っていこうとされてるんですけど、
僕は多分それは確かに高いって感じる人が多いだろうなと思いながら、
でももっと高くしないといけないんだろうなとは思ったんですよ。
辰巳さんが言ってる価格よりもさらに。
多分ブルネオクチネリの話とかもきっとそうだし、
本当にこの辺の街の産業みたいなこととして長いスパンで考えた時には、
多分もっと価格として上のところに持っていくっていうアプローチが必要なんだろうし、
それはやっぱり一筋縄ではいかないけれども、
多分辰巳さんもやらねばならないことだって思っているでしょうし、
それを聞いて思い出したのが和紙を買ったことがあって、
高知県のグジョウテンシ。
違う違う違う。
トサ。
トサ。
えーと、なんかギネスに乗るような0.何ミリの薄い和紙ですよね。
駆け戻し。
駆け戻し。
駆け戻し。
駆け戻し。
えーと、なんかギネスに乗るような0.何ミリの薄い和紙ですよね。
駆け戻しって言われている0.03ミリの紙なんですけど、
高いんですよ。一言で言うとびっくりするぐらいの値段なんですよ。
思い出したいな、あれなんだっけな。
3桁ぐらいするんですけど。
それちょっと語弊があって、
それの紙の仕入れと、それに印刷する難易度とかも含めての3桁だから。
あと1枚ガチャないからね。
ただ、バルク買いをしなきゃいけないからその金額になっちゃったんだけど、
何を言いたいかというと、
ちゃんと素材作りその方たちはしていて、
素材を作る人たちもサポートしている。
だから紙をただ作っているだけとか、
印刷屋さんとのやり取りとかももちろん入っているし。
とさてんぐ上司。
そうです。
それ考えたら普通に妥当だよなって。
そこでやっぱり話聞いて計算してみると、
関わっている時間と関わっている人の量とか、
本当に消えちゃうから、そうでもしないとダメだとか。
あともう1つ価格設定のポイントになりそうだなと思ったのが、
辰巳さんのもう1個のキーワードである100章ですよね。
全てのことを一旦自分で引き取って1人でやれることの
仕入れから制作とか販売、ブランディングも全部も含めてやられる
ということであったのはおそらく価格設定にすごい重要だなと思っていて。
何でかというと、物の仕入れとかで、
要は外部に仕入れとかを任せたりすると、
仕入れというのは自分でコントロールができないから、
そこでもう価格設定の要素、自分がコントロールできる価格設定に
制限が出てきちゃうじゃないですか。
だからそこの仕入れから全部、点灯に並ぶところまで
全部自分が1回引き取るというところの厳しさと自由さというところを
引き受けているんだなという。
それも含めて百姓という言葉の凄みみたいな、そんなのを感じましたね。
デニム業界の反省と環境への配慮
そうだよね、だってただ仕入れるというより、そもそも仕入れ先がないじゃん。
だから例えば、進行芸者の三田知担の回でいうと、
原材料はレジンとか、素材というには本当に進行芸の芯というぐらいだからプラスチックですけど、
原料ってたどるとアラビアとか石油になるのか、金属でも同じですけど、
採掘する鉱山とかというのがなると考えた時に、
それがしかも金属、佐々木さん回でもありましたけど、
金とかプラチナとか、地金が世界的なレベルで価格調整がされているものとかだと、
自分が城内としてできる価格設定にものすごくハンディーがあるんじゃないですか。
五の辺という小さい地域に念願させて、そこで得られる資源というものに自分が五部のことで付き合い、
価格設定からゼロベースから自分で検討するというのは、
思っていた以上に注目すべき点がありそうだなと思いました。
何か重い話にしたくないなと思って。
聞いていて、一個それ授業に入れたいなって、ちょっと今頭の中が。
翔さんが年度末で次年度の授業の準備をされている中。
後期の方に、それはそうだなって聞いていて思ったの。
今、ずっと倉田市ラジオをやっていて、作り手の話とか聞いていて、
素材の面白さとか、私は面白いなと思って聞いていて、そっちが印象が強いんだが、
よくよく考えると、物は本当にどこから来るのかというのが、
今インターネットでだいぶ情報が公開されたとはいえ、
まだ分かっていない自分がいるし、しかも作った端材とか、
職人が作ろうとして出ちゃうゴミだったりとか、
そういうのがどこに行っているかも分からないなとか、やっぱりあるんだよね。
その辺の責任って、作る人としての責任というのを岩井さんから感じるのは、
いろんな職人さんの現場に足を運んだからなんじゃないかなと思うんだよね。
作っている人というよりは、作り手というよりは観察したからこそ
気づいた視点なんじゃないかなと思う。
作っている時って必死だから、ちょっとした糸くずがどうなのかと思わないじゃん。
インクがとか、岩田さんも排水がとか、すごいそこにめちゃくちゃフォーカスして、
それに対する授業を始めようとかまでの気持ちになりにくいと思います。
そういう気持ちになりにくいよね。
何だろうな、話聞いてちょっと懐かしい感じがしたのもあるんですよ。
現代的だなと思いつつ、デニムの作り手に近いものを感じるの。
デニム?
ジーンズ、デニム。
例えば、昔ディーバーストのプロジェクトをやっていた時に、
昔は最初は安く壊れにくいものを作ってみんなが着れるという、
オープンソースか洋服のリベットを作って壊れにくくすることで長く使ってもらえるよと。
それが逆に売れちゃって大量生産しないといけないから、
イノベーションで売る機械とかもどんどん新しくしましたよと。
そこまでは結構よくある話なんだけど、
ここ数年、5年ぐらいとか10年ぐらいのデニム業界って、
自分たちに対する反省がすごい強くなってて、
例えばサンドブラストって言って、砂でストーンボッシュとかで亡くなった方がたくさんいるのね。
肺に砂が入っちゃったら。絶対にマスクしてるはずなのに、
なんで死亡者がいっぱい出るんだっていうので、禁止にされちゃった。
次にやったことは、洗濯機の中に石を入れて、
軽石みたいなのを洗うとストーンボッシュみたいに。本当のストーンボッシュ。
それで人が死ななくてよかったね。
なんだが、やっぱり排水に軽石を買います。
そうすると粉っぽくなるじゃないですか。
あれが水で流れちゃって汚染したりとか。
あとインディゴってもともと愛は自然のものだからいいじゃんとか思うんですけど、
それが化学愛に変わってめちゃくちゃ皮を汚染しちゃったりとかしてて、
それがレポートに載っちゃったりとかすると、
もうデニム買うのやめようみたいな動きが出ちゃったわけですよ。
それが大手だと注目されがちだから、
これからはウォッシングしないデニムの作り方を何とかしてやらなきゃいけないって言って、
レーザーでパスを書いてフォトショップでダメージの白い部分をデザインをフォトショップで書いて、
レーザーでピーって焼いてるんです、表面。
そうなんですね。
そこの視点が後から怒られてやってるのはあるんだけど、
岩井さんの場合は逆に後から馬とかの皮使うなんて言われるかもしれないじゃないですか。
でも結局は今私着ているズボンはプラスチック製のフェイクレザーで、
これプラスチックなんですよ。
これゴミに、プラスチックゴミになるわけ。
石油使ってるわけですよ。
どっちが本当に地球のためにいいんだっけとかをちゃんと考えると、
本当に命あったものも元々ものだけど、レーザーの方は自然分解もするし、
デニム業界の意識改革の編成と折紙の映画
元々あったものをちゃんと使うということで、命についてもう一回考えるきっかけになるよねみたいな。
それがデニム業界の人たちの意識改革の編成と、
近いものの話し聞いて懐かしさを覚えた。
あと折紙もそろそろ、今多分中田とゆまさんの映画がね。
そうだね。3月の26だっけ?
じゃあ配信のタイミング的にはめっちゃいいタイミングじゃないですか。
24だっけ?
何だっけ?すいません、数字が苦手で日付を完全に抜けて検索してもらいつつですね。
燃えるドレスを紡いでっていう映画ですね。
めっちゃ間違えて3月16日でした。危ない。公開されてて。
ちょっとでも公開されるらしい。
ゴミ山家がドレスを作れるかっていうやつなんですけど、
多分オートクチュールのデザイナーである中里ゆいまさんが、
自分のライフワークである、
洋服が一点物になっていくっていう未来像でね。
たぶんリサーチとかフィルドワークの一環で、
アフリカにアパレルの最終的なゴミ捨て場があるのかな。
私ちょっと見してもらったけど、すさまじかった。
ゴミ捨て場のすさまじさと環境に優しい素材の議論
こんな風景だと。
自然発火したりする。
そうなんでしょうね。
人神絶のままやんとか思った。
ビジュアライズしてる感じでしょうね。
地層になっている。
そうそう。やばい。
ああいうところにずれいきつくんであれば、
ショウさんのフェイクレザーのやつは、できるだけ長く履くしかないという。
そうなんですよ。結局はゴミの山の一部になるんだったら、
これはプラスチックだから、分解するのはやっぱり
裁断するしかない。か燃やすしかない。
考えたらやっぱりレザーの方が地球に優しいか優しくないかという
その測り方もちょっと違うのかなと思い始めてて。
それこそあれじゃないですか。令和批判のさらに批判みたいな。
なんだろう。違和感なんですよね。地球に優しいって言葉自体が。
人間自体の存在がある限り、絶対に影響を受けて
その影響を及ぼすわけですよ。環境に。
だから人間が地球に優しくっていうのはおこがまらしい言い方だなと思って。
地球に優しい存在である人間の考え
だからゴブでしょ。
隣にいるだけなんですね。
そっか。そうよね。それだ。
隣にいるだけか。考えたことなかったな。
ただ地球に住んでいる位置。だから生物じゃないと人間。
さっきね、ダストとダストって歌とか、
分かんないかもしれないですね。
足と足か。ダストとダストっていう。
ネーションとネーション。
さっき思ってて、なんでダストとダストって人が亡くなった時に
灰は灰に、塵は塵にって言うんですよ。お葬式で。
なんで、土は土には分かるんだよね。
灰は灰に、分からんくもないけど、
塵、どっから来た?と思って調べました。
そしたら、
人間は塵からできてるって考えたの。
だから塵に戻ってくる。
ニュートリウムとか。
みたいな感じのことなんだなっていうのがあって、
だから人間って、はっきり言ってホコリみたいな。
地球にとったら。
ホコリ、ちなみに鮮花できあがって、
服着るからホコリでできるんだけど、
それと同じやった。
火の鳥未来編とかで、
火の鳥見て死ねなくなった人が、
生きてる自覚はあるけど、見える形はだんだんなくなってきますよね。
分かった。
どういう状況なんだろうと思ったら、
塵でもなくなって、ただの存在だけとなったみたいな。
分子。
分子、よう分からんけどね、あの概念も。
まあまあ話しとりましたけども。
だから分子の塊のくせにね、
ただの分子の塊がね、
地球に優しいってどういうことなのか。
そうなのね。
それがちょっと違和感があるよっていう。
っていうので、
服のリサイクルとか、
何が地球に優しい素材なのかっていうのは、
まだまだ議論の余地がきっとあるだろうと。
っていう話ですよね。
そうです。
あとね、やっぱりちょっとこう、
あと岩井さんと話した後に、
ちょっと読み返そうかなと思い出した本が実はあって、
ここに置いてあるんだけど、
前にも倉田氏で話したかも。
クレイドルとクレイドルっていう。
ゆりかごからゆりかごで本が日本語版で出てて、
日本語版は最悪だみたいなことを言ったのを覚えてる。
それって造本が特殊なやつ?
そうです。
プラスチックに印刷してるとか?
そう。
しかもインクがお湯で消えるから、
お湯っていうか熱で消えるから、
お湯につけたらもう一回印刷できるよってことで、
ずっとその本のページ数が変わらない限りは、
新しい本を作れますよっていう考えで。
クレイドルとクレイドルは、
クレイドルってゆりかごっていう意味だから、
本当の意味の持続可能性っていうのは、
ずっと残って戻ってくるものだっていう話なんだけどさ。
何でも土に帰ればいいわけではないよと。
ただその本の1ページが、
この本は木ではありませんって書いてある。
英語で。
日本語訳の本ちょっと見ないと忘れたんだけど、
This book is not a treeって書いてあって、
は?って思うじゃん。
そりゃそうだろうと。
木じゃないよと。本だからって。
でも元には戻らない。
紙になっちゃうと木に戻らない。
不可逆性?
だから進行芸者の話とかもそうだよね。
プラスチックはプラスチックに戻せる。
戻そうと思ったら戻せるし、
馬の革っていうのは馬の革として、
戻せるかどうかっていうのは分からないけど、
土にしたりとかもできるんだけど、
だからどっちがいいかっていうと、
やっぱり物の作り方?
素材が云々とかいう議論が、
ちょっとやっぱり今後のサステナビリティとか、
話すのにちょっとやっぱりネックになってないかなって思って、
岩井さんの話聞いてもう一回ちょっとね、
クレイドルとクレイドル読み直そうって思った。
議論を作るとかってすごく難しいし、
まず前提を共有するのを世の中的に規模でやること自体が難しいんですけど、
論文とか書いたり、どっか行って喋ったりとかするっていうよりは、
物があった方が話が早いので、
やっぱり辰美さんみたいにリアリストというか、
実際にこれから物を作る人はやっぱり注目したいなって思いますね。
実際に自分でやるってことの、
100章の話に戻るけど、
人に任せてしまうとそこのプロセスが見えなくなってしまうっていうところは、
やっぱり思考がそこまで及ばないっていうところでは、
文業って日本って結構多いんじゃない?
文業をしやすくするマニュアライズで、
日本の生産業は支えられている側面はあると思いますね。
日本は特にテキスタは文業でしかないなって思った。
もっとね、車の何百何千とある関連工業とかもそうですし。
でもね、イタリアって文業はあまりしないんですよ。
イタリアのテキスタイルは結構自分たちで羊羽買って、
そこから作って、管理もするし、検査もそこでやるっていう工場ばっかりだったから、
やっぱり最初から最後までやるからこそ、
コントロールできるものがあるんだろうなって思う。
日本のテキサイルはちょっと違うなって。
まとめていく話でもないんですけど、
シーズン3をずっといろんな人にお伺いしていて、
あらゆる分野での終わらない仕組みづくりの戦いと、
あと、文業家から一人で一人何役への揺り戻しっていう、
何回かに分けてリマインドされているような感じはありますね。
そうですね。
岩井さんは最初は一人かもしれないけど、
私は仲間が増える気でしかない。
仲間が増えてほしいと思うし、絶対増える気がする。
その中で岩井さんは、
例えば、馬以外の話も出てくるだろうし、
そういうコミュニティというか、
町の出来方、村の出来方っていうのがあるっていうのは、
夢のある話だし、できる気がするんだよね。
やっぱり難しいんですよ、コミュニティというのは。
京都にも素晴らしいサブカフェっていうのがあって、
やっぱり人が回さないと、
場所だけさ、今の行政の多くは箱をまず作ってさ、
そしたら、みんな使うからコミュニティできるとか、
そういう考えがあって、
コミュニティを作って、
みんな使うからコミュニティできるとか、
そういう考えが一時期。
スタジオ3回でもあったけど、
箱物の一つである仙台メディアテイクとか、
YCAMとかっていうのはそういう人がありつつ、
まだまだあれは成功している部類かもしれないですけど。
そこは人なんですよ、仙台メディアテイクのキュレーターとか、
YCAMもディレクターとかキュレーターとかが、
中心になってやっている。
ただ図書館っていう箱は、
それは発明なんだよね。
図書館と美術館をガチャッとしたのは発明なの。
アートに関係ない人も来るから。
でも人の流れが必ずあるじゃないですか。
家でも。
フラッと寄ってもいいんだなみたいな。
美術館にフラッと行くって、
だいぶカルチャー的な。
そういう習慣を持っていない人は別に。
普通に持たないよ。
持たないと思う。
行かないよ、美術館とかギャラリーとか。
我々はお菓子。
お菓子かどうかは少数派なんだから。
少数派でしょ。
どっか地方行ったら地方の美術館絶対見るしな。
よくってデパートのギャラリーとかぐらいだよ。
普通だったとしたら。
6階のデパートの祭児場とかぐらいじゃん。
よくって。
昔だとそこでやってるのが
ヒロ・ヤマガタとか
アマノ・ヨシタカのシルクスクリーンとかが売ってる感じで
現代アートの展示止め売った展示が
そのデパートの祭児場でやってる感じでしたけどね。
そういう市民とアートとの関わりのイメージでした。
アリシーズ・ヒロね。
これ言っていいかわからないけど
なんでいまだに工芸ってデパートのギャラリーで売るのって
すごい不思議なんだけど。
たぶん、なんで千引屋フルーツパーラーって
フルーツパーラーじゃないのにまだあるのに近いと思うんですけど
要は五福屋とかが
ある種そこの品質をサティフィケートするっていう
江戸時代からの機能だと思うんですよ。
それは五福屋が百貨店になって
百貨店が百貨店お墨付きっていうところの
工芸品であったりとか
美術品だったりとか
商工会議所を通さずに作品を出す場合
ある種、100年以上あるような
価値喪失の
伝統、一種の伝統だと思う。
だから工芸家のOBの界隈とかでも
百貨店系の展示とかっていう風に言ったりするけど
一ジャンルとして会話しますもんね。
工芸の展示の
百貨店系の
一般的にお墨付きの
反抗してもらっている人の
製作物っていうようなイメージはありますよね。
作り手の中にもね。
日本橋高島屋のギャラリーXとか
結構頑張って新しい作家さんとか
どう見ても工芸なんかなって
ギリギリと攻めたことやったり
案に百貨店のギャラリーが古臭いものに
おっさんおばさんがどうしても客層で多いから
その人に合わせたものになりがちだよ
っていうことも含めて言ってます。
はい。すみません。
なかなかね。
翔さんってありがたい存在だわ。
言いにくい人が言いにくいことを言ってくれて。
いやー。はい。
で、いわざの
デパートで服って買います?みんな。
デパートでか。
買わないですね。
ありがたみがなくなってきつつないかなと思ってて
子供の時ってよく週末はデパートに行ってたの。
親に連れられて。
で、つまんねーなって思ってたんだけど
親の買い物付き合わされてるからさ。
でもほんと親子でデパートに行きましょう
行くのが週末のあり方じゃなくなってきてないかなって
私が偏った気がするんですよ。
いや、全然そうでしょ。
それはもう百貨店の長所で
言ってしまっていいと思うんですけど
不動産業になってますからね。
あーそうか。
確かに銀座6とかね。
日本のブランド書いてない。
あとはビッグカメラとかヨドバシカメラが
次の百貨店化してるっていう
そういう感じもね。
時代の流れを感じますよね。
だからやっぱり
達美さんの戦いがすごくハードな戦いだなって感じるのは
もちろんこの辺っていう町でできたものを
ブランド化していくことで
作る人たちの価値を高めるっていうことをするためには
もちろんそのためのいろんな工夫とか努力とかはあるけど
日本の買う場所
達美さんは買う場所にもいたことが結構
割とポイントな気がして
そこをうまく
ハックするとかじゃないけど
何か新しい環境を作らないと
結局その安いものが並んだところに
ばっかりが並んでるところで
やっぱり売ろうとしても極端に高いものしか見えなくて
僕なんかブルネロクチネリの服が70万とかで
そんな買えへんみたいなのは買えないですけどね。
今日たまたまちょっと仕事絡みで
フランスの高級衣装店で
フランスの高級時計のブランドのサイトを見てて
3000万とかの時計とかで
上司と
これこんな値段するんだ
高級時計ってそんなもんやろみたいな感じで
悪いかとすれば金銭感覚が麻痺するというか
そこを見てると
3000万並んでる動きで100万って安って思っちゃったりする
100万で大丈夫?とか思ったりするじゃないですか
逆のパターンが
起きやすい環境が日本っていう国全体の中で
100貨店の上落とかも絶対それの一つだし
100貨店だったところが
ヨドバシとかビッグカメラとか
イオンモールとかに置き換わっていくっていうのは
シンプルに平均の上代の価格が下がっていってるっていうことでもあるだろうし
その中で
ラグジュアリーみたいなものを新しい文脈で
自分たちで作っていかないといけないっていうのは
めちゃくちゃ大変なことだったんですけど
でもそれやんないと
やっぱり作る人たちが
しっかり報酬を得て
持続していくっていうのは
ならないですからね
ちょっとマーケティングの話になっちゃうんですけど
さっき塩さんから
100貨店での美術とか美術工芸を売るっていうフォーマットがありつつ
それが価値補償の一つの基準だったっていうのがあって
最近だとある種のアートフェアブームってあると思うんですよ
ブームになってんだ
だってアートフェアっていう
アートフェアはね
でっかい
それこそ
3人会の見本市とかそういう話に近いんですけど
若手のアーティストの作品をずらっと並べてみたいな
若手とも関係ないんですけど
例えば著名な
ギャラリーとかいろんなところが
ブースに区切られたところで出展していて
それも美術館なんかとかよりも
比較にならないぐらい
美術館って高くても2000円とかで入れたりするんですけど
4000円くらい払っていくんですよね
東京の国際フォームラムとかで
アートフェア東京とか
アートフェア東京とか
京都とかだと秋に
アートコラボレーション京都とか
国際会館の方でやってるんですとか
大阪とかでもあったりするんですけど
そういうシーンがあるんですよ
4000円も払っていくかっていう話では
それもあるんですよ
でも結構盛況なんですよね
それでやっぱ思ったのが
アートフェアの需要にマッチする環境
アートフェアの見本市みたいに
それこそサイトスペシフィックって話
何回もありましたけど
空間に合わせてアートを作るっていうよりは
区切られたやつだから
アートを見せる空間としては
ハンディが多いんですけど
見本みたいに見えちゃって
ブース集めとか
にもかかわらず
そこをアート巡りみたいな需要とマッチして
わりかし楽しみに行ってる人も結構多くて
そこで例えばやり取りされてるのって
何百万円とかっていうのが
結構パンパン売れたりするという状況がある中で
革のアートとグッズの価格設定
そこで辰巳さんの店が
ある種の革のアートとグッズみたいな感じで
例えば何十万円って置かれてた場合に
そんなに違和感ないだろうなって今思ったんです
ないと思うし
日本にあるかわかんないけど
フランスに2つそういうフェアがあるんですよね
そういうフェアがあって
世界中から来るし
ヨーロッパとかいろんな所を回ってく
前世から回る伊東っていう
テキスタに日本一とか
レザーとかも扱ってて
ものすごい高級なグッズが売ってたりするけど
普通にみんな売れるし
ミラーノとかあったらデザイン
なんていうのかな
ミラーノデザインウィークっていうのかなとか
世界中からお金持ちの人がこぞって来て
行くし
メゾン・ドゥ・オブジェっていうのがパリにもあるし
あともう一個名前が思い出せない
自分がよく言ってるやつ
一番言ったやつが名前が出てこない
バーゼルとかの?違くて?
違い。やっぱりそれもテキスタ屋なんだけど
世界中の素材屋さんが集まる
メゾン・ドゥ・オブジェは多分会う気がするね
岩井さんの
岩井さんがいなくなってからのご提案っていう
すみません。思い出したから今頃
今頃来てくれてたらぜひチャレンジしてほしいです
そういう話ですか
メゾン・ドゥ・オブジェとか京都だと結構名前聞くというか
やっぱり商工会議所とかが
やっぱり一つの企業を単体で出すのは難しいけど
商工会議所が
それこそさっきのね
年度ごとのどうしてもプロジェクトになりがちっていう
ネガティブな面はあるけど
商工会議所でブース取ったところに
どっちかというと工芸方面の会社とかが
新しく作った
新しく作った商品を出すみたいなのは
もうここ十何年とかずっとやり続けていることですね
それがうまくいっているかどうかは
ちょっとわからないです
いっているものもあれば
そうでないものもある
要するにそこに出したとて
持続性がないということ
っていうものもあるじゃないかなっていうのは
あんまりあれだけど
わりと間近に見ているものでもあったりします
それをやっぱり商工会議所を通さずに
やった場合はどんな感じになるんだろうか
そこにかかるコストがどのくらいなのかわからないですけどね
そうか
周りの
お尻が痛いから一回立ちますけど
一回立ちますけど
周りのデザイナーの友達
個人でやっている家具屋さんの子とか
自分で出しているんだよね
多分若手の
なんかでも枠があるんじゃないかな
もしかしたら
フジロックでいうとルーキーガゴーゴーのブース
わからないです
オーディションで出られる
ゲートよりも外のエリアにあるんですけどね
そうなのかもね
何人か出しているというか
結構気軽に出せるもんなんだわって思っちゃってた
また振り返り会が一番長くなりがちっていう
倉田氏ラジオの恒例のパターンですけど
辰美さんのゲスト回を経て
もしかしたら増えているかもしれない東北
ゲストの方々
この振り返り会まで聞いていただけるかどうか分からないですけど
ぜひね
3人だとこんな感じですっていう
なので続けて聞いていただきたいなと思うんですけど
例えば辰美さんの回聞いてもらうって
関連するところで言うと
シリーズ1の野島さんの回とか
比較産業の話とかって野島さんの話の中で出てきますけど
辰美さんの話の中で墨田区で
豚は99%比較になっているみたいな
まさに浅草で修行されてた野島さんの話とかね
つながるところもあったりするし
そんな感じで何だかんだゲスト回の話とかね
勝手に僕らがつながりを感じてるんですけど
掘り返して聞いてもらうと面白いと思う
僕らはどっちかとつながりに気づいて
そこの視点を思いつきでも言っていくのが
ある種の役目だと思ってはいるとね
ご興味あればっていう感じでありつつ
辰美さんも東北の方
紹介されたいというありがたい言葉もいただいているし
もし東北の方で俺にも喋らせろというのは
すごくウェルカムなので
ちょっとお問い合わせいただけると嬉しいなと
あとは我々も行って
収録いつか
そうですね割り返しリアリティを持って
計画しましょうね
少なくとも青森には行きたいなということで
今日はそのとこで
来週も火曜日に配信いたしますので
どうぞ引き続きお聞きいただければと思います
ハッシュタグは相変わらず
ハッシュCONCRAで
ご感想やメッセージなどをお受けしつつ
青森のおすすめ
フォームもご用意しております
そしてここ青森行ったら行けっていう
おすすめがあったら教えてください
青森も広いですからね
八戸と広崎と青森で
全部カルチャーが違ってきますし
そんなのも教えてくれたら嬉しいです
というわけでありがとうございました
ありがとうございました
01:13:55

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