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2023-10-17 45:31

S3 ep8 植物の世界認識と牧野富太郎の時代 遅めの『らんまん』感想回(前編)

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今回は、2023年4月から9月まで放送されたNHK連続テレビ小説『らんまん』の話。このポッドキャストって朝ドラの話とかする番組だったっけ?とお思いでしょうが、それなりにいろいろと繋がっているのです。


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パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

岩田さんは、コンクラの倉田さんとオンラインで話している最中、銀座の車の中から参加しています。岩田さんは、以前見たことがない朝ドラ『ランマン』の話題が出たので、石板印刷に興味を持ってそのドラマについて話しています。牧野富太郎さんは、植物分類学を通じて植物をマテリアルとして世界に繋げるために、世界を細かく分類し名前をつけることを目指しています。松尾さんは、植物の世界観を考えながら、オーガナイズされた情報とAIの進化について悩んでいます。松尾さんは、植物のクローニングとその多様性について話し、擬人化された存在や人間の定義についても考えています。また、植物の世界認識と牧野富太郎の時代についても話がありました。牧野富太郎さんの手で絵を描いたり印刷技術にこだわったりする姿勢が注目されました。

オンラインでの会話
クラ出しRADIOは、使わなくなった大切なものを様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ、
コンクラのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラの岩田です。
海です。
四方です。
はい。
はい。今回は、残念ながら3人同じ場所じゃない。
そうですね。
オンラインで通話すること自体もだいぶ久々ですね。
そう。やり方がちょっと、どうやってやるんだ、みたいな。
と思ったら、2人がすごい環境で今、オンラインに入ってもらってますけど。
今、銀座7丁目の車の中で。
そうですね。路地裏にいるんですけど。
車の中で、これから何分喋るんやっていう感じですよね。
しかも場所が銀座っていう、謎の。
でもね、この時間の日曜の、人通りも少なくて、あとは録音環境って言ったら変ですけど、
一応、内張りを剥がして、精神剤みたいなのをいっぱい貼ったりとかしてるんで、ちょっとお試しっていう感じではあるんですけど。
それもウミさんの手加工で。
そうですね。なんでそういうことを思い出して、見立ち段階を思い起こされるんですけど、
車に関してはフルスタック業務員みたいな感じで、人間の要求とかをDIYで解消していくみたいなことをちょっとやってはいますね。
車の中での話
まあ、軽バンだから、どうしても外の音とかエンジン音とかが普通だとしちゃうんですけど、内張りとか保温剤を入れてあるので、
なんか、キャンプとかしてて、寝てるんですけど、車の中で。
静かだし、暖かいし。
今日も今、銀座だから静かなのかもしれないです。銀座の路地裏だから。
たまに車の音もしかしたら入っちゃうかもしれないんですけど、通り過ぎる。
でも今どころ、なんか聞こえてます?聞こえてなければ結構それが聞いてる。
僕、少なくとも今、僕には何も聞こえてないですよ。雑踏みたいなのは。
そしたらあとレコーディングのデータもちょっとお楽しみにって言ったら、ちょっとヤバかったらすいませんって感じです。
これからこの車から配信っていうのはパターンとしてあり得るかもしれない。
あり得るかもしれない。確かに。
今日はそんな環境なので、そこそこ手短にっていう感じでは一応思ってるんですけど、アサトラの話をしますという。
倉田氏ラジオからまさかのアサトラの。
ブギウギ見てますか?
見てないです。
いきなり見てないですね。
そもそもうちにまずテレビがね、見れる状況じゃなかったんですけど、振り返り系だったら配信で見れるから。
ユーネックスとかなんか。
それで限定して見れるっていう。ライブ間では見れないっていう状況であるっていうのが。
10月に入ってブギウギを見ていないお二人とアサトラの話をするということは、もう終わったやつの話をするということですね。
そういうことですね。
倉田氏ラジオ恒例の、もう終わったやつの話をする。
ネタバレをすぐ言っちゃう人がいるから。
逆にこれからこれを聞いて、やっぱりもう一回振り返り見ようかなと思う人にとっては下手するとネタバレ。
それはありですよね。
ありなの?
ありでしょ。
というわけで、ランマンというドラマの話をしようというのを、例によって僕がちょっと前に言い出したんですけど。
『ランマン』の話
そもそもなんでそんな話になったかっていうところからいいですかね。
はいはい。
今年の6月ぐらい。5月とか6月ぐらい。あれ4月から放送ですよね確か。
そうですね。上半期下半期みたいな感じですね。
6月ぐらいにウミさんからメッセンジャーで朝ドラで石板印刷がやってますっていう写真付きでメッセージをくれて、おおってなったんですけど。
朝ドラで石板印刷やってますっていう文言が普通の人に送ると謎でしかないよね。
ちょっと振り返ると、倉田氏ラジオ的にはシーズン1でコロタイプ印刷の話を3回に4回してまして。
その中で印刷の技術の歴史の話をしてた時に、今主流のオフセット印刷と繋がる前祖的な存在としての、石板印刷、別名リトグラフの話が出てたので、ちょうどそれがやってるよということをウミさんから教えてもらったんですけど。
今石板印刷がリトグラフだったんだったし、今やっと繋がりました。あれはリトグラフだったんだっていう。
その時点では6月やしなと思って、2ヶ月追っかけてなかったドラマを今から見出すのもちょっとしんどいなと思って、放っておいてたんですけど。
やっぱり見とこうってなったら、ユーネクストで追っかけて全部見れるっていうことを知ったので。
私も初めて知った。
じゃあ追っかけてみるかと思って、どうせやったら石板印刷のところだけ見てもしょうがないし、最初から見るかと思って、毎日2週間分ぐらいとか一気にして追いかけて、最終的に10月の最終回に間に合ったみたいな感じなんですけど。
9月か。
私も全く、私もっと遅かったんですよね、スタートを見出したのが。
僕が見てますかって聞いて。
っていう感じで、やべぇ追っかけますみたいな、そういう感じで。
結構修行みたいになってた。最後の。
てっきり海さんから最初にメッセージ来たから、ずっと見てはるもんなんやと思ってたら全く見てなかった。
たまたま僕の車には前の中古車で買ってるんですけど、オーナーが付けてあった地上版見れるのがあって、それとアサドラのタイミングがバッチっていう風にあった時にランマンにエンカウントするんですけど。
しかもめちゃくちゃ。
そう、石板印刷の。
印刷の工程を丁寧に説明している回。
そうそう、その回に。これは運命的なものを感じると、その状況をまずは岩田さんにシェアしたいという気持ちが抑えられずです。
やっぱり頭でわかってるような、音声メディアなんで、印刷の種類を岩田さん、すごい説明うまい方だと思いながら、油で弾いてなんでそれでまた付くんだっていう、やっぱりわかんないのが、それで一応ドラマ見てまあまあわかったんですよね。
映像付きだしね。しかも主人公に説明してるって手で、主人公の視点と視聴者の視点がちょうど同じように見えるからわかりやすいんだよね。手元とかも映ってるしね。
明治時代だと思うんですけど、まずランマンがどういうドラマかって言った方がいいんですかね。
それは私もその話したいっていうのに繋がるんで、説明した方がいいかもしれない。
大体実在の人がモデルになってる朝ドラですけど、モデルになってるのがマッキーのトミタロウ。
マンタロウって何ですか?相性なんですか?
いや、モデルにしてるからそれを本名を出しちゃうとその人の話になっちゃう。
いろいろ若干史実ではなかったりするので、やっぱりドラマはあくまでフィクションの別の人物として描いている。
出た。ドラマはフィクションです。
これもあれですか?写真はイメージです問題ですか?
いや、でもドラマとフィクションは違う意味だから、違う言葉だから。近いけど、ドラマっていう言葉自体が変。
和製英語ですよね。
その議論にもやめましょう。
この倉田氏特有の言葉狩りは一回置いといて。
マッキーのトミタロウをモデルにしたドラマと。
高知県にいらっしゃった、その後東京にも移ったりとか世界中回ったりするんですけど、
日本で知られる植物学者の中で一番最初に日本全国の植物っていうのを網羅して図鑑に起こしたっていう方っていう風に、
一応、バイオ系とかサイエンス植物系の人たちは知ってたっていう感じですね。
一般の方も多分でも知ってても不思議じゃないかな。
そうですよね。
ちょっと知名度はわからんですけど、たまたまちょっと作品で戸田の方の薄岩市になんかやるようなことがあって、
ちょっとそのことで僕らは知ってたんですけど。
戸田の兼長寺っていう、かげろ寺って言われる薄い紙があって、
戸田なんで高知県だし、そこの紙が使いたいってことでいろいろお願いしに行ったりとかしてるときに、
さっきの富太郎さんの本とかを出版している方にすごくお世話になって、それで紙に行き着くっていうドラマがあるんですけど、
これはノンフィクションのドラマがあったっていうこともあり、
その本を私も買ってみたんですよ。
で、実際にこんな天然爆発な人がいるんだなーみたいなんで、勝手にちょっと自分も彼の経歴にちょっと似てるなーって思うようになりまして、気になってたっていうのがあったんです。
面倒くさい奴だった。
経歴じゃないじゃん。経歴って言ったじゃん。
性格って言っとらんやん。
バイオ的な研究師にドアノックするような。
私バイオの勉強をしてないんですよ。一切。
そうですよね。アートとかじゃないんですよね。
そうなんです。全然違うんですね。専門的な知識がだからないんですよ。
ただある意味すごい偏った知識はあって、それを専門と言うんだったら専門的なんですけど、
実際にドアノック、大学の研究所にドアノックして入れてもらったっていう経歴全く同じで、
確かに。
普通だったら試験とかいろいろ、研究者になるって言ったら、いろいろそういったディグリーとかないと、やっぱりむずいっちゃむずいんですけど、
割とそこを飛び級的な感じで。
そうですよね。土佐の酒蔵のドラムスコが田舎からいきなりやってきて入るわけだもんね。
田舎からいきなりやってきて入るっていう。
私も日本で勉強したことない、バイオやったことない、知り合いが別に、その先生に出会ったっていうのは知り合いのつてで、
最初名古屋大学に遊びに行って、岩崎秀夫先生って面白い先生がちょうど早稲田に名古屋大学から移動したから会いに行けばって言われたシーンもすごく自分の中で、
牧野さんと似てるなって、こっち行ったらいいよって教えてもらったっていうのは。
ドラマの中では本郷とか東大の方に行ってたんですよね。
アカデミックの人たちは基本オープンじゃないとアカデミックにはなれないので、今の現代のアカデミックってオープンなんですけど、
多分ドラマを見てて思ったのは当時はすごくクローズドなんだなーとか。
発見者とか新種とかそういうことでその学術論文を出しても、
要はヨーロッパ的なところの学会で認められないとダメという、
ウェスタン史上主義的な話も絡みつつありましたよね。
いろいろ思うところがありましたね。
今日ちょうどウミン君と話してたんですけど、
今ちょうどオリンピックの先行時期っていう時期なんですよ。
マラソンやってたんですよね、朝上司の。
その時にオリンピックに行ける行けないを賭けてるから具体がすごい決まってて、
オリンピックに向けてパリオリンピックに向けてみたいなことを言ってたんですけど、
コメントで世界に対抗できるとか世界に通用するって言葉をすごい連発されてて、
あり無理なんですね、解説で言った元マラソン選手。
ふと思ったんですよ、その時に。
なんか私日本でぐらいしか世界に通用するっていう言葉を連発聞くってあんましないぞって。
その時にふと思って、例えば島国だからっていうのはわかりますけど、
イギリスで世界に通用するって言い方って日常会話テレビでほぼ聞いた記憶がないんですよね。
その原因をいろいろ探っていて、
エンパイア的な東インド株式会社的な、一応世界に拠点はあるけど、
自分が中心ってことがデフォルトであるから、
別に世界レベルのことを最初から話さないっていうことが我々の雑談の仮説ではあったんですけど。
ただそこで気付きがあったんですよ。
世界を意識するってすごい面白い考えだなって思って、
世界っていうのは日本と海外っていう意味ではなくて、
自分のいる世界っていうことを。
だから日本も、私たち東京と京都にいます。
それも世界、自分の中の世界だし、
あと日本っていうのも、環境という意味での世界だし、
そこから外とか、他人とかも自分の中の世界とか。
だからどうやって自分の枠から出て世界とコネクテッドしていくかってことが、
すごく日本人って意識してるのかもって思って。
牧野さんの話に戻すと、
牧野富太郎の世界観と植物分類学
彼は植物っていうものをマテリアルとかメディアムっていう素材として、
興味として世界に繋がっていったっていう話だなって、
ランマンテっていうのを、
今、視聴者集会を見てみて、改めて思うことがあったっていう。
僕がお二人にランマン会やりましょうっていう話を持ち込んだ、
第一の理由としては、さっきの石板印刷の話。
私、結局何も内容に触れてないですけど、
印刷の話が一つあったんですけど、
もう一つあったのが、今のまさに司法さんが言った世界認識みたいな話の、
僕はね、
今の司法さん言ったことと、ある意味真逆の感じ方をした部分があって、
そこがあのドラマめっちゃ面白いなと思ったんですけど、
牧野万太郎って主人公が、僕、あのドラマ、最初の方はね、
とりあえず石板印刷のシーンにたどり着くために、かなり義務的に見てたんですよ。
あんまり集中せずに垂れ流しにするみたいに見てたんですけど、
自由民権運動に関わるぐらいのところから、
普通にドラマとして面白くなってきて、
そこからは割としっかり見出したんですけど、
自由民権運動ぐらいのところから、
なんとなくテーマ性として見えてきた感じがするのが、
あの主人公ってずっと、
日本中の植物を明らかにして、
名前をつけたいって言ってるんですよね。
名前をつけることに対しての欲求がめちゃくちゃ強いんですよ。
なぜかというか、あえてセリフとして言わせてる感じがするんですけど、
名前をつけるという行為。
自由民権運動の活動家の早川一真と会ったときに、
たまたま園場に上がって、
雑草っていう草はない。
一つ一つの草に名前があって、役割があって、
っていうのが、その当時の個人主義みたいな、
個人主義っていいのかな、民主主義みたいなものとの思想と合致して、
人々をエンパワーするみたいな形に解釈されて、
みたいなシーンがありましたけど、
植物分類学で牧野万太郎が目指した学問で、
ある意味、世界を細かく分類して名前をつけて、
新種みたいなものって、新大陸みたいなものじゃないですか。
人間側が主体で、人間が見つけたことがなかった、
名前をつけたことがなかったものが新種であって、
おまんどっから来たとか言ってるけど、よく万太郎が。
植物からしたらおまんどっから来たって話じゃないですか。
ずっとそこにいたわけだし。
だから、世界をすごく細かく分類して名前をつけてっていう、
ある種、西洋近代の科学の傲慢さみたいなところが、
一方では、封建社会の日本の、例えばお姉ちゃんとか、
職業の自由がない、移動の自由がないっていう人たちを、
エンパワーメントするみたいな、
だからその傲慢さと、万太郎の乱慢さみたいなものが、
表裏一体になって、どっちもあるみたいなことを。
そうですね。万太郎と大学との関係性ももちろんあるけど、
どっちかというと、私がその世界っていうものは、
自分の外の世界っていうのは分からないものなんだけれども、
それとコネクテッドしようとしてたのが、
お姉さんの役割だったかなと思ってて、
酒蔵のお姉さんで、どうして酒がうまくできてるかっていうのは、
理解されてなくて、
どっちかというと、自術的な神様がいて、
女性が草がぐらい生えると怪我されて、
酒がダメになるよっていうことって、
結局菌がやってる仕事だったんだけど、
顕微鏡とか、そういった菌の研究が発達するまでは、
なんとなくみんなが分かってたっていう、
そのなんとなくさっていうところ?
手順と環境を察知する細かい感覚とか、
そういうことに委ねられてたんだよね。
天然と自然の考え方
それを今我々って天然って言ってると思うんですよ。
天然でなんとなくできてるものとかって、
天然なんとかって言うじゃん。
自然でできてるっていうのは、
なんかもうちょっと認識が分かってるけど、
なんだかよく分かんないけれど、
世界にあるけれど説明できないみたいなのを
日本語って面白くて、
自然のネイチャーっていう一つにも、
天然と自然っていうのがあるし、
私それ差が分かんなくてずっと悩んでて、
ありとあらゆる人に質問しまくってるんだけど、
会うたびに。
でもまさにお姉さんは、
当時の天然、酒の作る何か、
差は何なんだろう、
味は何で違うんだろうってことを疑問に思ってるけれど、
つかみどころがないところをどんどん解明していくっていうのが、
西洋的なんだけども、
その研究プロセスを結局、
東大の元研究者とやっていくんです。
最終的には西洋的なやり方に寄っていくけれど、
感覚でやってるっていう話をドラマは言ってて、
本当にそういう意味では、
アカデミズムと野生の研究者みたいなものの表裏一体の話をしているっていうのは思ったし、
あとここの中で特に大事なのは、
なんとなくなんとなくのままでしておくと、
俗人的にその酒蔵だけでしか知らないとか、
仕込みをする人しか知らないっていう俗人性が高くなっちゃうんだけど、
その記録して残しておくっていう行為をやると、
急に誰でもどこでも、
金ってどこでもいるわけじゃないから、
もちろんウィスキーとかだったらスコットランドのピートっていう、
その素材がある場所じゃないとダメだとか、
いろいろ空気で金がそういうのが回ってないとダメだといろんな条件があるけど、
条件さえちゃんと再現できれば、
そのものは再現できるっていうのが今の西洋的な科学の考え。
だけど日本的なサイエンスっていうのも、
日本の学問と海外の認識
昔から実はあって、
そこがうまく学会とかオーソリズム、
さっき渡田さんが言ってた西洋の研究のやり方に寄り添っていかなきゃいけない。
大学もなかなかそれに追いつかないと日本は認められない。
日本の植物学っていうのはまだまだ存在してないみたいなプレッシャーの中でやってるっていうのは。
やってるかつ政治的に圧力かかってこっちの研究に寄せろっていうところに寄らないといけないシーンもありましたよね。
純粋な一位植物学者で東大の研究員としていることの難しさみたいなのも描かれてましたけど。
あと一々外出さないと認められないとか、
それなんか結構本当に未だにあるあるだし、
新しいそもそも学問って日本からのやり方だとどうしても海外で認められましたっていうのが一番カードとしては強いんだよね。
でもそれ変えたのはiPS細胞とかかなと思ってて、
iPS細胞って別に海外が認めたっていうわけじゃなくて最初日本でやり始めててっていうのがあったから、
それはなんかすごく珍しいタイプの状況だったんだろうなと思って。
あともう倉田氏ラジオ的に言うともう本当そのまんまですけど工芸がもう海外で評価された何々は日本人が好む文脈のリブランディングの一種になってるんですよね。
でももともと工芸って海外で認められてとかいう問題ではなかったはず。
あれですよね。要はパリ、万国博覧会とかオーストリアとかウインとかでそういうのがあったっていうのはもちろんあるけど、
そうは言っても大きくは絞んでいく中で、
今じゃあお酒の世界でもそうですけどリブランディングを頑張ろうっていう時に海外が認めたっていう文脈には頼りがちというか、
もともと僕も広告屋さんの端くれとしてはなんかめちゃめちゃその文脈がわかるという感じはしますけどね。
日本酒とかは結構まだまだって感じだけどね海外で認められてるっていうか飲み物として認められてるかどうかっていう話。
今の話は海外の販路を広げるというか日本の販路を視点を変えるっていう意味で海外から評価されたお使いがちという。
モンドセレクションですか。
モンドセレクションですか。
違います。
そんな話でもいいのかな。
わかんないけどあの名前をつける話にちょっとなんかあれ面白いなって思ったのは。
あれ星みたいだよね。
そうそうそう。
植物の世界観とオーガナイズされた情報
織氏も松尾さんも某検索会社なんか勤めてる中であそこの社税すごい面白いなと思うんですけどこの世の情報をオーガナイズするっていう。
オーガナイズしてみんなが使いやすくするっていう。
それもだいぶ帝国主義的ななんか尊大な言い分にも聞こえるんですけど。
まず情報を得てることが前提で使いやすくするって言ってるんですよね。
すごいなと思ってて。
でも言うてもあのインプットはあのあれなんですよ。
あの検索ワードに検索を置いて文字情報を打つわけなんですよね。
だから文字化されてないものは絶対グーグルは知らない。
グーグルって言っちゃったけど。
グーグルは知らないわけなんですけど。
今の話とちょっとつながるとこですごい面白いなと思って。
文字化だけじゃなくてあの画像イメージもあるし。
でももうやっぱりそういう意味ではゼロイチに戻せない。
だからゼロイチにならないものって言った方がいいかもね。
デジタル化されないものは認識できないっていう。
それって私思うに世界だと思ってる。
世界の認識の仕方とやっぱりもう話戻っちゃうんだけど
最近すごいAIのことばっか考えてるから
AIの問題と世界の認識っていう問題で今すごいちょっと悩んでる。
悩んでるっていうか一人で悶々としてるんで
やっぱり何万見てても自分の世界のボーダーラインの話をすごいしているし
その中で植物としての世界観ってまた全然違うんじゃないかなと思ってて
例えば子ってものがないんですよね植物って子。
なんて言ったらいいか植物。
ちょっともっとすごいオタクな話になっちゃったけどいいかな。
例えばクローニングするときに人間の細胞って例えば臓器の細胞ってちゃんとここで分かれているわけなんだけど
植物って子じゃなくてこうなんか葉っぱとかの茎の芽の部分とかをピって取ったら
増やして育てることができてそこから葉っぱだったり猫だったりとか
いろいろ変化変わるんですよ。
すごい能力なんですよ。
要するにトランスフォームすることがすごく得意というか
動物の細胞よりも植物の細胞の方が優れてるという言い方は間違ってるな。
ちなみにips細胞ってそういうものに使うものなんですか。
それは意図的に操作しないとダメなんですよ。
意図的に操作したipsを作る特殊な操作を行ったことにより
細胞を任意の細胞に変えることが文化って言うんですけど
分けて化けさせるって意味で文化って書くんですけど
やることができるんですけど植物ってただ単に本当にもう
目の部分だけピーってやって
売地とかにさしておけばそのまま放っておくと
数週間ぐらいとかで茎が生えてきてとかそんな感じで育てられて
ホルモン剤とか加えると猫の根っこが生えてきてとかいろいろできるんですね。
継ぎ木とかされまくってたわけですもんね。
そういう意味では何て言ったらエフェクティブな細胞を持っている植物
だからこそ多様性がすごくあって
だからこそいろんなところに散らばることができるんですが
そのせいで木っていう概念が難しいんですよ。
ある意味みんなクローニングだって言って
例えば桜が今いっぱい植えられてるじゃないですか。
いろんな日本各地に。
そめ用紙の多いですよね。
あれほとんどクローニングなんですよ。
自分で増えたわけじゃなくて人間の手によって増やされていると。
でもそういう意味でも根っこさえ生えればちゃんと育つ
ちゃんと育てれば育っていくし
それがみんな一個一個のそめ用紙の子ではなくて
ある意味私がたくさんいるっていう風に思ってもらうと
なんて言ったらいいかな。
私独の唯一性っていうものが植物には
遺伝子的には唯一性っていうのは
例えばだけど病気をしたとかそういうことがない限りは唯一性がない。
病気してたらそこに何かしらの情報がDNAには残るけれど
人間ってある程度みんな一緒だけれど
唯一性は免疫系のやつで残ってたりとかもするし
ある何種類かはやっぱりみんな違ったりとかして
そういう意味では生物的に見ても子って見たりできるし
誰が親だとかも見ることできるけど
植物もある程度もちろんできるんだけど
なんて言ったらいいのかな。
私私私のクローニングがバーってあって
それが条件によって育ち方が変わるっていう
なんか光の当たり方とか
なんかそこの土の栄養度とかとか
そこで何が起きたかって環境のことで変わっていくっていうのが
すごい植物すげーってさせていく
すげーなと思うし
それはなんですかね
植物のクローニングと多様性
昨日マンタロウとの共感軸の中で何かドラマで
私逆のこと考えてて
マキノさんはだからお前って呼んでて
あーある種擬人化したような
擬人化しててお前はどっから来たんじゃって言ってるけど
だけどそれってなんかお前がたくさんいるところに
たまたまお前がありとあらゆるところに散らばってるところに
マキノさんが来て
なんかここにしかない
これ唯一の何とかって言ってるけど
それはただ発見され認識されたことで存在が
一致こうっていう風になったけど
別に隣に同じやつがあったら
それらもしかしたらほぼほぼ同じやつらかもしれないし
こうではないからお前っていうの面白いなと思って
お前らとかだったらまだなんか
松良い草の突然変異の話で
大体松良い草と大松良い草出てくるんですけど
松良いも今別の種として認識されてるけど
大松良い草に出会ったら
じゃあマキノマントランはお前は知らんかったっていう風に
思うのかどうかですよね
松良い草ってなんだ
ほぼ一緒だけど
でかい松良い草とそうでもない松良い草があるって話です
ショウさんが暑いって言ってるんですけど
これ難しいんですよね
エンジンかけないと窓が開けられない
開けるとノイズが入る
ちょっと一回空気だけ入れ替えます
一回ちょっとエンジンカットする
っていうか話も一回また来週でもいい気持ちで
ちょっと急すぎませんか
ちょっとじゃあ一回窓開けるなりエアコン戻し
今もうちょっと涼しいですか
よくなりましたありがとうございます
世界と私の
松良い草分かるかなでも大松良い草
ある時突然でかい松良い草が出て
突然変異の研究で
そのでかいやつはその後
思想を残してもでかいままであるっていうのがあったんですけど
理科の教科書に出てきて
大松良い草は大松良い草っていう風に登録されてるっていうか
なんだけど
今のショウさんの話すごい面白いなと思うのは
基本的にはクローニングをして子がない中で
子に話すような体で末期のマンタロウとかが
大松良い草に突然出会ったら
お前には初めて会ったジャキーとかって言うのかどうかっていうのは
それはだから変異が起きてるから
それは何て言ったらいいのかな
新しい種ではあるんだけど
それもドラマの展開で言ったら
オマンダレジャーから始まって
オマンダレジャーから文献にあたって
本当にそれが真実かどうか
言ったけどお前はちょっと大きいジャキーって言うんだろうね
だから人間ってある意味
擬人化された存在と人間の定義
人間でしかないっていうか
人間の大人間とか小人間とか
人間なんたらみたいな
昔の原始人とかそういう風なところから
人間っていう風に言っちゃってるじゃん
何て言ったらいいのかな
現代人っていうのか
現代人っていつからいつまでなのかとか
もちろん文献的には分かれてるけど
私たちの認識できている今の世界で
出会える生きている人間っていうのは
現代人しかもちろんいないわけだよね
だって我々100年以上生きるのはなかなか大変だから
1万年前の人間はちょっとニアンデタール人とか
別物みたいに言ってるけど
結局人間だったわけじゃんか
そこの認識ってすごい線引き面白いよなって思ってて
結局過去から遡って特徴を見てるんだよね
頭蓋骨の大きさだったり歯の大きさとか違いだったり
背の大きさだったりとか
特に頭蓋骨の形とかで判別したりとか
学術的にするけど
何々大陸から来ましたとかも
遺伝子的にはもちろん見れるんだけど
今やヨーロッパとかなんて
すごいピュアなんとか人って
逆に探す方がめちゃくちゃ大変だって聞くしね
だから今ちょうどワールドカップのラグビーやってますけど
ウェールズが結構白人中心とかと
イングランドが結構混職が
いろんな人種がいたりとかするのを見る限りは
白人がいる方がやっぱちょっと
閉ざされた田舎から来たって感じがしますよね
俺がそれ言うこと言っていいのかと思って
そもそも民族みたいな概念ってかなりファンタジーじゃないですか
どの時代で区切ったら民族っていう風な括りできるのとか
相当怪しいじゃないですか
だから植物の
お漫画進出かどうかっていうところは
あれは特に明治時代の話なんで
どうしても西洋列強に対して
日本がちゃんと
西洋の文献にあたって正しいことを言ってるって証明しないといけないっていう
プレッシャーがすごくある時代の話ではありますけど
にしてもやっぱりそこにちゃんとファクトチェックして
エビデンスありますみたいなことを
言わないといけないからやってるけど
その辺は全然分かんないから何とも言えないですけど
それがファンタジーである可能性もゼロじゃない
倉田氏ラジオでたまに出てくるの
言われるのは原里さんの何だっけ
サピエンス前史
植物の世界認識と牧野富太郎の時代
的に言うとやっぱり認知革命とかっていうのはそもそも虚構を創造する力だったので
なんかすごくファンタジーとはすごい密接な関係はあるなっていう気はしますよね
あのえっとねどうしようかな
私今思ってたんですけどこの話って結局にどうやって世界にコネクテッドするかっていう話のその方
手法っていうのが当時は文書だから英語
とか例えばドイツあの医学だとドイツ語とかそれしかなかったわけですよね
特定のその言語に閉ざされてしまっていたからその言語を書いたりとか読めないとできないそもそもできないっていう
ことだったんだけど牧野さんのこうやったことって絵にしたことなんですよ
そこはすごくでかいけれどただ全部手で書いてて
印刷っていうものを本当にちゃんと書いたものと同じにしないと
潰れちゃったりなんか太さが違ったりするとやっぱりそれはそれでこうデータとしての
精度が出ないっていうのを彼がすごくこだわっている部分でもあるから
そこで石板印刷に話が戻っていくんですそうなんですけども
その石板印刷の話はじゃあ実証
あのちょっとねえっと僕もあのたまたま近所で宇治の植物園で
実際のその当時の石板印刷ですった植物雑誌の現物を見に行ったりもできて
ショーさんもあれですよねなんか
牧野さんはそのランマンっていうドラマが出る前からその紙のおかげでこの人気になるなと思って
独自的にリサーチしてたんですけど
東京駅のキッテっていうビルがあってそこの何回かに忘れたんですけど
入場無料の博物館みたいなのがあるんですよね
インターメディアム
東大にもあります
あそこに牧野さんのデカいその葉っぱの標本とかが一部残されてた
それは常設展示
常設展示です
結構見物ですね
あとはたまたま牧野さんと絵師の人たちが何人かいるんですよお弟子さんで
その人たちのコラボレーションがあったよっていうのを見せる展示を見に行って
その時にやっぱりちゃんと名前を彼が入れているってことにすごく深く感銘したんですけど
っていうのを来週話したらいいのかろうではないだろうかと
いいですね
じゃあ来週はランマンの印刷技術編ということで
やっと岩田さんが頑張ってみた理由が
というわけで来週も火曜日に配信しますのでぜひフォローしてお聞きください
はい
倉田紫ラジオは感想は言うぞ
ハッシュタグCONCRAで言ってくれると僕らも励みになります
またフォームもあります
どしどし質問やこういうエピソードとか
このドラマとかもあるぞなんていうのを教えてもらえると嬉しいです
お題もリクエストしてください
はい
というわけでじゃあ来週もランマンの話
お願いします
ありがとうございました
45:31

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