文法書のいらなさ
こんにちは、英会話のトリセツ、ホストのちじゅです。お元気ですか?
めっちゃ鼻声です。すいません。なんか、風邪ひいちゃったみたい。
えーと、とりあえずですね、昨日、文法はいるのかっていうような話をしました。買ってはいけないものの中で。
英単語帳はいらねー。次に、文法書もいらねー。みたいな話をしました。
詳細については聞いてほしいんですけど、単純にいらないということではなくて、いずれは必要になるかもしれないし、単語帳についても、自分でそれを買っても、自分でオリジナルに仕上げていけるのであれば大丈夫だよー、みたいな話をしたんですが、
本日もですね、ちょっと文法について話をしたいんです。
昨日ですね、私、文法書がいらないっていう中でね、ちょっと自分が行政書士の勉強したときに、
六方全書をね、隅から隅まで読んだとかね、なんか言っちゃったんですけど、なんか聞き返してて、もう一回聞いてて、いや、隅まで隅はやっぱちょっと読んでないよねって思って、ちょっと訂正しようかなって思いました。
なんかイメージがね、もうすごい嫌だったから、もうこの六方全書とかを読むっていう行為がすごい嫌だったから、もうなんかちょっと読んだだけで、もう隅から隅まで読んだっていうイメージがもうこびりついてましたけど、よく考えたら、隅から隅は読んでませんよね。
もうさらっとは読んでない。
まあ、全然関係ない話なんですけど。
さてさて、えっと、文法なんですけど、特に私は日本人の方に向けて、まあ日本語でこうやって話をしてます。
日本人の方の、しかも、初心者に向けて話をしてるんですが、文法っていうものを、私たちは中学校でもうみんなやっていますよね。
だからこそ、まあもう、いらないよっていう話をしたんですね。
で、これをやってなかったとしても、私は英会話に、まず、
文法から入るのは順序が違うんじゃないかって思ってます。
ただそれプラス、もうやってるから、もう本当にこれ以上はいらないっていうふうに思ってます。
文法って特に日本人の気質じゃないですけど、
なんかきちっとしようとか迷惑かけちゃダメだとか、
ちゃんと喋ろうとかっていうところがすごくよその国の国民性とかと比べてすごく強いんですよね。
だからこそ日本の方々には文法書っていうのはもう今さらいらないっていうふうに思うんですよ。
もうやってるし、やってなくてもよかったしみたいなところなんですが、
文法の重要性
もうこれ以上っていうのはもうお腹いっぱいやめてやめてっていう感じです。
重要なのは意味が、意図が伝わればいいっていうね、コミュニケーションを取るわけですから、
自分の言いたい意図が伝わればいいわけですよね。
向こうの言いたい意図がこっちにも伝わればいい。
っていう、それでもって文法っていうものも重要にはなってくる場面はありますよ。
例えばその意図を伝えたいのにその意図が変わっちゃう、意味が変わっちゃうっていうものに関してはもう注意が必要ですね。
英語は語順とかが大事ですから、
主語が誰で、述語が誰かとか目的語が誰かとか、
そういったことで全然意味が変わってきますよね、例えば。
そういった場合にはもちろん、
それを取り違えては困るんですが、
もうそのぐらいのものはもう皆さんも習ったと思うしね、
別にSVOとかね、そういうのはもうなんかどうでもいいんですけど、
主語が先に来るっていうのさ、
まあ大体分かってたら大丈夫だと思うんですよね。
She likes him.
と、He likes her.
だったら、どっちがどっちかっていうのがね、
やっぱりこうこれを彼と彼女を取り違えたら、
彼女が彼を好きなのか、
彼が彼女を好きなのかっていうの意味が全く違ってきますから、
そういった部分ね、意味がもう取り違えちゃうよみたいな、
そういったクリティカルな場面では文法っていうのは必要になると思います。
ただもうそれもね、皆さんもう身についてると思うし、
もうやってることだから多分大丈夫だと思うんですよね。
今更文法書を出してきて勉強するっていうようなレベルのものではないと思います。
で、あんまりガチガチにね、文法をやるからこそね、
なんかこう話せなくて、
こうなっちゃうんですよね。
もうちょっと日本の人はもう自由でいいと思うんですよ、自由で。
好きなように喋ったらいいんですよ、その場になったら。
ただ練習の時、勉強する時にはある程度のね、
きちんと言おうというそのなんか枠組みっていうものがあって、
で、本番になって目の前に誰かが立っている時にこれが出れるかどうか、
出せるかどうか、試合に勝てるかどうか、ここですよね。
なので日々の練習っていうのは、
なるべく本番でうまくいくようにっていう、
練習をするのはもちろんではあるんですけども、
それをあまりにもガチガチにやりすぎたのが日本の学校教育の問題なので、
今更それをもう一度やるっていうのは、
例えばですけどね、
数えられる名詞とか、数えられない名詞とかって習ったじゃないですか。
でも実際に世の中でてみるとね、
例えば、
How many beer do you like? みたいな風に使います。
考えたらメニーって、
数えられるものに使うのにビア、ビアズじゃないし、
ビア、ビアって液体だから数えられないんじゃないかみたいなね。
なんかそういうところで止まっちゃうじゃないですか。
How many beer? って言われたら、
ちょっと私もビール何本注文しよっかって言ったとき、
いや、ビールは、かさめし、ふかさめし、みたいな。
数えられるものに使うのに、何本注文しよっかって言ったとき、
数えられるんだっけ、どうだっけ、みたいな。
How much? Much beerじゃないのか、みたいなね。
もうそこで止まっちゃうじゃないですか。
でも実際の世の中では、
数えられる名詞と数えられない名詞
How many beer? とか、How many beers? とか、普通に言うんですよ。
で、コミュニケーションっていうのは本当に意図するものなので、
自分の頭の中にあるイメージが言葉に出てくるものなので、
ここで言うビアっていうのはもう明らかにバーかなんかでなんか飲んでて、
ビアっていうのは、
もうこのビール1本瓶のことが、この話し手の頭の中にあるわけですよ。
そして、その言われているね、話し相手の方も、
もうここはみんなで飲んでるし、もうビールも1本飲んだし、
前にも来たことあるし、ビールは何本?とか、何個?みたいな、
どれくらい?って聞かれたら、もう頭の中でお互いにビール瓶が1本が浮かんでて、
それを2本とか3本とかいうふうに答えようっていうふうになるわけなんですよ。
暗黙の了解でね。
なので、あんまりその、なんか、ガチガチに文法やってると、
へぇ?とかなることもあると思うんですよね。
なんか、How many water?とか言われても、
How many water?水?水がどれくらい?みたいな、
なっちゃうじゃないですか。
でもここでHow many water?って言ってるってことは、
多分ボトル1本のことを言ってるんですよ、おそらくね。
で、会話っていうのは、もう2人以上でするものですから、
2人以上、この2人が、それ以上が、もう暗黙の了解で、
頭の中に大体、Waterっていうのが、もう、あ、ボトルのことだねっていうのが、
頭の中にいがけていれば、もうそれでOKなんですよね。
なので、そこでいちいちなんか、加算名詞、不加算名詞とかなってたら、
もう、もう、うわぁーってなっちゃうじゃないですか。
日本語でもそうだと思うんですよ。一応、文法っていうのはありますけど、
みんなしゃべってるときって、なんか、そんなに気にしてないですよね。
なので、そういった、なんか、マインドブロックみたいなのが、
日本の方は、特にね、文法をあまりガチガチにやっちゃうと、
すごく、こう、ブロックがかかって、話しにくくなるので、
もう、受験英語とか、TOEICとか、まあまあ、そういった、もう、
英検とか、試験勉強でやる方は、もう、やればいいと思うけど、
会話をしたいっていうね、人と話し、人と話をしたい。
AIじゃ、AIでもないし、人と話をしたいっていう、
そういう場合には、文法書は、とりあえず横に置いてもらって、
便利なものなので、いずれは使ってもいいと思いますが、
初心者の間は、ちょっと横に置いておくのがいいと思います。
ちょっと繰り返しになっちゃいましたけど。
はい、では、本日は以上です。では、またねー。