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2025-01-29 15:19

“美“の定義を考えてみた

「美しい」とか、「○○の美」みたいな言葉は普段の生活でも耳にするし自分でも言ったりするかなと思います。しかし、この“美“とは何なのか?というのは人によってバラバラですし、非常にとらえにくい、ある意味で扱いにくい、でもとても人の心を惹きつける、という不思議なものでもあります。

美や美しさというのは画一的なものではないことは重々承知しつつ、あえて「“美“の定義」というものを考えてみたらこうなった、というお話です。

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本日は1月29日の朝ですね。おはようございます。
今回はですね、ちょっとみ、皆さんにもよかったら意見を伺えれば、みたいなことについて話してみようかと思っています。
タイトルにも書きましたけど、
美しさの定義とは、何なんだろうかということを時々考えたりします。
というのも、美しいとか美みたいな話とか言葉はですね、普段でも時々使うことはあると思うんですね。
例えば美術展を見に行って、何かいい作品出会った時とかは、ある意味典型的かなと思いますし、
夕焼きが美しいとか、もちろん人に対して、あの人は美しい、みたいなことを使ったりするということもあるかなと思います。
エンジニアのところですと、例えばこのコードは美しいと言ったりしますし、
茶の湯の方であれば、例えば器の美みたいなタイトルの本だったりとかですね、
展示会みたいなものはたくさんあるわけですので、美しいという言葉はですね、
そうしょっちゅう使うものではないにしても、みんな知ってるし、自分でも使うことはあるよね、という言葉の一つかなと思います。
ただ、結構これほど定義というか内容が、解釈が難しい言葉もなかなかないかなっていうのがあってですね、
例えばあるものについて美しいとか、美しさみたいなことを言うときに、どうしても感覚論になりがちというか、
同じものをAさんは美しいと言うけれども、Bさんとか他の人はその人を美しい、
それを美しいと思うかどうかはまた全然別の話みたいなのがあったりするのと、
結構ですね、これは議論好きの方とかですね、
あとはやっぱり何か、普段からいろいろものを考えて、一加減おっしゃりたいような方と話すと時々感じるんですが、
美とか美しさ、美しいという言葉はなかなかNGワードとは言いませんが、結構地雷ワード的なところがあるなと、
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つまり、うかつに使うと、君の言う美とか美しさってなんなん?みたいな感じですね、
いろいろ突っ込まれたりというか、そういうことになりがちな、固定された意味があんまりなくて、
解釈が人それぞれで、それでいて、かなり人の金銭に触れやすい言葉なので、
いいものを、基本的には美しいというのは、いいと感じたときに発する言葉だと思うので、
いいことについて述べてる言葉なんだけども、ちょっと扱いづらさもあるっていうような言葉かなっていうふうに思ったりはします。
ただですね、やっぱり美しいというものは、人のいろいろなモチベーションになるのに十分なもの。
例えばもうそれこそ、自分なりの美に人生を懸けてるというのが、
例えばアーティストの、いわゆる芸術家の方だったりするかと思いますので、
そこまで人をのめり込ませるというか、モチベーションを高めるというか、ほどの魅力的なワードではあります。
じゃあ、僕の中で美とか美しいっていうことって何なんだろうっていうのをちょっと考えたりしてるというのが先ほどの話なわけですね。
つまり言ってみたら、僕にとっての美とか美しさって一体何なんだろうねっていうのを自問自答してるうちに、
もちろんいろんなシチュエーションがあるんです。
僕はやはり行動美しいと思うこともあれば、自然とかを見て美しいと思うこともありますし、
もちろん人を見てあの人、人に対しては美しいというより綺麗だなみたいな感じですけれども、
建物を見て美しいって思うこともありますしね。
いろんなシチュエーションがあるんです。対象もいろいろです。
でもなんかそこに共通したものって何かないかなっていう。
その表面的には全部違う美しさって言えると思うんですけど、
なんかその一番ベースのところにはこういう条件が揃ってあると僕にとっては美しいと思うなみたいなことってないかなっていうのを
ちょっといろいろ考えていったうちに、これはいけるんじゃないかっていうのが思ったのがあるんですね。
ちなみにその美しさのちょっと僕個人のみたいなもので言うと、
僕の心に刺さるというか、いうような感じの言い方になっちゃうんですけど、
もう一段下がって、これは結構万人とまでは言わないけど、
多くの人に共通して、これが美しさの条件だっていう風に言えるんじゃないかみたいなことをちょっと考えてまして、
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ちょっとそれをここでお話をしたいと思います。
もちろん賛否両論あると思うので、あくまで僕個人としての考えとしてお聞きください。
僕が考える美とか美しさと思うことの条件というのは2つあるんじゃないかと思っています。
この2つの条件がどちらも成立するときに、人はそれを美しいと思うんじゃないかというのが僕が考えていることだということですね。
じゃあその2つの条件っていうのは何かっていうと、まず1つ、認知負荷が低いことですね。
認知負荷が低いっていうのはどういうことかっていうと、これは逆に認知負荷が高いっていう方を思い浮かべていただいた方が分かりやすいかなと思うんですけど、
認知負荷が高いっていうのは要するにそれを理解しようとするときにめちゃくちゃ大変だとか脳が疲れるとか飲み込みづらいみたいな話ですね。
例えばめっちゃ難しい哲学書とか、数学の本、理論の本を読んだりしてもさっぱりわからんとか、
あとは全然知識も興味もないようなジャンルの講演を長々と聞いていても何を話しているのかさっぱりわからんみたいな眠くなるだけみたいな。
これが例えば認知負荷が高いってことですよね。
認知負荷が逆に低い場合っていうのは、例えば誰でも見て楽しめるような一般向けの娯楽映画、ハリウッド映画みたいなものだったり、
例えば漫画とかアニメとかバラエティ番組とかそういうようなものですよね。
だいたいわかりやすい内容だったり、ビジュアルだったり、文章を使うにしてもかなり簡単なものであったりするわけですね。
キャッチコピーとかもそうかな。
例えばこういうものは認知負荷が低くて、認知負荷が低いと言えると思います。
ただ例えばですけど、じゃあ漫画なら何でも読みやすいのかっていうと、そうでもないと思うんですね。
読んであることはわかる。
でもそれを自分が受け入れるというか、自分にスッと入ってくるかどうかはまた別物だっていうのはあると思います。
例えば絵本はそれこそ小さい子でも読めるけれども、もちろん大人の自分でも読めるけれども、内容が自分にとっていいなこれって思うものと、
何なんだこの絵本みたいな風にあるものの差はあります。
なので、認知負荷が低いっていうことは、自分が理解できるっていうこと&自分として理解できるし飲み込める、受け入れられるっていうことだと思うんですね。
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つまりこれは結局、自分がこれはいいなとかいうふうに思ってる感覚に馴染むものっていうのが一番認知負荷が低い。
つまりただ読みやすい、わかりやすいとかだけじゃなく、受け入れられるというのが一番認知負荷が低いものかなと思います。
これが僕の美しいと感じるときの第一条件ですね。
例えば夕日を見て美しいというのは、夕日が醸し出す色だったり佇まいだったり雰囲気だというのが自分の心情にしっくりくるから、
受け入れられるから認知負荷が低いというような意味合いでここは使っていますというふうにお考えください。
じゃあ二つ目の条件は何かというと、それがレアであるということです。
つまり常日頃から身にあるようなものじゃなく、なかなかないもの、なかなか起こらないことというふうに出会える機会が少ないものだというのが二つ目の条件ですね。
例えば夕日を見て美しいなって思うことはですね、
例えば僕ちょっと今かなり都市部に住んでいるので周りビルだらけで夕焼けというものがほぼ見えないんですね、ビルとかに隔離されちゃって。
例えばそういう僕が海沿いにいてですね、海に沈む見事な夕日を見ると、いやー美しいなってやっぱり思うんですね。
これは僕が普段の生活でなかなか夕日を見れない、つまりレアな体験をしているっていうことがかなり大きいかなというようなのがさっきの意味合いです。
仮に僕が海沿いに住んでいて、いやもう夕焼けなんて365日いつも見てますがみたいな状態であれば、
夕日は綺麗だなと思うとは思うんですよ。
ただ本当に心から夕日って美しいなって毎日見るたびに感じるっていうふうにはなかなかならないんじゃないかというふうに思うわけです。
つまり人が美しいと感じるときは、まずそれの認知負荷が低いこと。
つまり自分が理解しやすく分かりやすく、なおかつ自分に非常に馴染む、自分に受け入れやすいものであるということ。
例えば自分は普段からこうであったらいいのになーって思っていることが目の前にあれば、それは受け入れやすいですよね。
初対面の人でもこの人めっちゃ話合うわって言ったらいきなり仲良くなるのと同じようなことですね。
これが一つ。
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ただ、自分だったらこうだったらいいのになーとか、こういうものだったらめちゃくちゃ自分に馴染むのになーっていうものが、
普段からそばにない場合、もしそういうものと出会えたときにめちゃくちゃレア度が高いわけですね。
うわー来たーみたいな、普段から求めているものがやっと来たーっていうふうに思うと。
この2つの条件が成立したときに人はそれを美しいと思うんじゃないだろうかと。
つまり自分がこうあるべきというふうに求めてるけど、普段なかなか得られないもの。
いやーこういうのがあるといいんだけどなー、普段なかなかないよなー、なんとかならないかなーって思ってたものに出会えたというときに、
それが、だからこれが面白いっていうと娯楽のほうな感じなんですけど、
だから楽しいとかいうよりも自分が本質として求めてるようなレイヤーですね。
そういうレイヤーにとって認知負荷が低い、つまり非常に自分の心に馴染むみたいなものと、
なかなかない機会で出会えたときに人は美しいと、これは美であると感じるんじゃないかなと。
なのでここの条件まで下がってきちゃうと、じゃあ何に対して美を感じるかとか、
同じものに対して人の感じ方が違ったりするっていうのも結構説明つくんですよね。
つまり何に対して認知負荷が低いのか、自分の心に馴染むのかっていうのは人それぞれ全然違いますし、
あとそれと出会う機会が少ないか多いかっていうのもその人が置かれてる状況だったりとか、
普段生活してる場所とかよく行く場所、付き合ってる人々みたいなところで変わってきますよね。
つまりこの美しいという成立条件は認知負荷が低いことと、それと出会う機会がレアであること、
というのは結構みんなに共通してるんだけど、この2条件の成立状況がそれぞれ人がバラバラなので、
人にとって美しいというものが結果的に全く違うものになるというのが、
今僕が考えている美しさっていうものの条件というか定義でございます。
これはですね、冒頭に言った通り賛否両論あると思います。
そんなの全然俺は違うと思う。私はこうだと思うっていうのがあるかなと思います。
それについてはですね、もしよろしければですが、ちょっと僕にリスンのメッセージをいただくなりですね、
もしよろしければご意見をお寄せいただければ嬉しいなと思っております。
僕もむしろ自分の意見が絶対だと思ってないですし、
多分今後僕の今の意見も変わっていくだろうなと。
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あくまで現時点ではこう思ってますっていう、半分記録のためにこうやって残してる部分もあるので、
もしよろしければ皆さんのご感想とかご意見とかもお寄せいただけると大変嬉しいです。
はい、では今回は以上とさせていただきます。お聞きいただきありがとうございました。
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