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2022-05-08 24:07

皐月の回「しょうわがたり2」1

ガチャを回して出てきたことについて語る「文ガチャ」
今月のお題は「プロ野球」です。 

昭和最後の10年間(1978〜1988)と1989年のプロ野球について
らい堂さんと朔夜で思い出しながらおしゃべりしています。
お時間のある時に、ぜひお聴きくださいね。

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文ガチャは、ガチャを回して出てきた番組について、のんびりおしゃべりするポッドキャストです。
文ガチャ、皐月の回、椿雷道です。
咲夜です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回は、半年ぶりぐらいなのかな?
まあまあ、ちゃんと間が空いた感じで、「しょうわがたり」ですね。
前回の「しょうわがたり」は、咲夜さんもわりと関心の強めというところで、クイズ番組というテーマでお話をしたんですけれども、
今回は、リスナーさんとかで、僕ぐらいの世代の人だと、わりと一般教養的に頭に入ってそうなイメージのある、
プロ野球というテーマでお話していこうかなと思います。
一応、「しょうわがたり」の基本スタンスに従いまして、
昭和の最後の10年間というふうな、ここはわりときっちりめで、この10年というふうにこだわって調べてきたりするので、
西暦でいうと1979年から88年のシーズンまでですね。
89年シーズンは、最初は昭和なんですけど、プロ野球が開幕する頃には平成になってますので、
そうでしたね。
という流れですので、今回はそういうふうに区切っていこうと思ってます。
まずそもそも、わりと肝になるところで、振り返ろうと思うのが、
その年結局どうだったっていうので一番わかりやすいのは、日本シリーズの対戦カードと結果、
あとはMVPの選手あたりが、わりと話としては、あの人ねとか、あの対決ねとかなりやすいのかなと思うので、
その辺の話をしていこうかと思ってまして、
一応ね、そんなに僕熱心なっていうわけでもないんですけれども、一応タイガースファンなんです。
わかる人にわかることをちょっとだけ言っておくと、まあまあ本格的に応援しだしたのが86年の終わりぐらいからなんですね。
っていうのをなんとなく、わかる人はあーってなってるかなっていうキーワードをわざと出してますけど、
で、咲夜さんはプロ野球そもそもどんな印象というか、見てきたとか、お父さん、大体女性の場合だとお父さんが好きで、
子供の頃はナイター中堅見ててみたいのが多いかなと思うんですけど。
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本当それですね。野球の季節はずっと父が野球を見ていて、チャンネル権は私たちにはなかったので、常に野球を見てましたね。
で、父が巨人ファンだったので、巨人の試合を中心に見てました。
なるほど。そうなんだけど、出身が東京とかではないですもんね。
父の出身が横浜なんですよ。
それもまた微妙だね。横浜は横浜で球団あるじゃないかって話もありますね。
当時まだ横浜になかったんですよね。
あ、そっかそっか。
山口の方だったのでね。
そうだよね。西でしたね。
なるほどなるほど。
お父さんが野球を熱心に見出した頃には地元横浜には球団がなかったということですか。
そうですね。はい。多分。
で、いろいろあって、作家さんが生まれた頃にお住まいだったとこ、またそれはそれで別の球団があったと。
はい。広島出身なので広島市民、広島株がありました。
広島株はちょっといきなり余談ですけど、調べたらすごい微妙で、
球場が市民球場を使ってたっていうのもあって、地域に根差しているっていうこともあったので、
よく市民球団みたいな言い方をしますけど、
オーナーさんは東洋自動車の会社じゃなくて、
東洋自動車の会社のオーナーさんの一族なんですよね。
個人オーナーなんですよね。
ずっと株主みたいな。
だから企業名があまり前面に出てこないようになっているという特徴もありますね。
というところを踏まえて、まずはさらっと1979年から、
これは一応89年まで調べてますね。ちょっと入れたかったです。
カードと優勝チームという感じで言っていくと、
チームは一旦セリーグ・パリーグという順番で言っていって、その後優勝チームを言っていくと、
1979年が広島カープ対金鉄バッファローズで、カープが日本一になると。
翌年1980年も全く同じカードで同じようにカープが勝ってます。
2年連続優勝ですね。
その次の年、1981年は東京よいみゆり巨人軍ジャイアンツと日本ハムファイターズの対決になりまして、
これは史上初のホームグランドが一勝2本シリーズなんですよね。
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当時は高楽園球場なんですけど、ドームができる前なので。
巨人の選手も日ハムの選手もサンルイガーベンチを使うっていうのが多分初めての経験だったんだと思うんですね。
なかなか不思議な体験。
今お若い方はご存じないかもしれませんが、セパ交流戦とかなかったので当時は。
もっともあれか、オープン戦では戦ってたりするので厳密にサンルイガーを全く踏んでないかってことはないんだろうけど、
まあまあレアなケースですよね。
その次、82年がこの辺からこのチームが出てきますね。
セーブライオンズとセーブライオンズが勝ってまして、
その次の年も巨人セーブという対戦カードでセーブライオンズが勝ってます。
その次、1984年、再び広島カープがセリーグルで勝ち上がってきて、
今度は金鉄じゃなくてハンキューブレイブスと戦って、この時も日本一になってますので、
1979年から84年までで6年間で3回出てきて3回とも日本一になっていると。
すごい高成績ですね。
その次の年、僕は当時リアルタイムではそこまで見てなかったですが、やっぱりそれでも語り草。
1985年は半信タイガースとセーブライオンズの対決で半信タイガースが優勝しました。
2リーグ戦以降初の日本一だったはずです。
そうですね。
1986年、再びカープがセリーグを制して上がってきますが、この時は対戦相手セーブライオンズが日本一になります。
この時初めてカープが日本シリーズで、この10年間の中では初めて日本シリーズで敗れるというパターンですね。
その次の年もセーブライオンズが優勝してまして、相手はジャイアンツですね。
さらにその次の年、1988年も中日ドラゴンズとセーブライオンズでライオンズが勝つと。
その次の年、1989年、これ平成元年ですが、この年はジャイアンツと金鉄バッファローズの対決になりまして、
ジャイアンツが勝ってます。というような流れになってまして、
タイガースは11年で1回だけなので、タイガースは偉そうなことは言えませんが、
セリーグでは圧倒的にジャイアンツ、カープ、ドラゴンズ、1回だけタイガースがいるけれども、
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今でいう横浜DNAベイスターズ、当時の横浜太陽ホイールズは1回も出てきませんし、
東京ヤクルトスワローズ、当時はヤクルトスワローズも1回も日本シリーズには上がってこれなかったと。
そうですね。その前年に優勝してますけどね。
広岡監督の時ですね。
そうですね。
パリーグの方もライオンズがやっぱり多いんですけれども、他だと金鉄が割と多いですね。
そうですね。強かったですね。
他だとハンキューブレイブスとニッポンハムファイターズが出てきているということは、出てきていないのは南海路ってかな?
そうですね。
4球団言ったよね、俺ね。
政府と大阪2つとニッポンハムファイターズね。
やはりなんとなく全体的な雰囲気としては、いわゆる再開争いをしているチームがセパ両方ともにチームとしてあったのかな、みたいな雰囲気ではありますね。
そうですね。
カードと比べて、MVPもちょっと紹介していこうと思うんですけれども、関係ない人もいるんですけど、
この日本シリーズと直接関わっていないチームの選手が選ばれている場合もあるんですけど、
一応さらさらいきますと、1979年の広島金鉄の時は、セリーグがえいなつ、パリーグがマニュエル。
その次の年は、セリーグは山本浩二、パリーグが木田勲さんかな。
ちょっとあまり存じ上げないんですけど。
1981年がジャイアンツファイターズの時が江川えなつですね。
えなつさんは、もともと阪神にいたんですけど、
カープに移って優勝に貢献して、その後ニッポンハムに移ってまた優勝に貢献したので、
優勝受け負い人なんて言われ方も当時してましたね。
その次の年が中尾オチアイ。
オチアイはオチアイ・ヒロミツさんのことですけれども、
当時はドラゴンズではなくてロッテにいる時なので、多分参観を取っている年だと思うので、そういう評価ですね。
だから日本シリーズとは直接関係ない感じ。
1983年は、僕はこの辺からはやっぱり選手としてはよく知っている人が出てくるんですが、
LG戦だったんですね。西部と巨人の試合、日本シリーズだったんですけども、
それぞれ巨人の原田つもり選手と、西部の東尾投手。
その次の年がカープと半球の試合は、日本シリーズは木沼選手とブーマー選手。
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その次の年は半身優勝した年はもちろんランディ・バースで、
やはりこの年もパリーグの方はオチアイ選手がロッテなんですけど、
日本シリーズには絡んでないんですけれども、やっぱり参観を取ったかなんかでMVPに選ばれてますね。
さらにその次の年はLC戦ですね。ライオンズカープの時は北ベップ・石毛。
それぞれまた日本シリーズに出ている選手って感じですね。
その次の年がライオンズとジャイアンツで、また東尾投手が選ばれてますし、
ジャイアンツはセリーグの方はジャイアンツの山倉保守。
チャッチャーは意外と初めてかな、この10年に限って言うと。
その次の年は各源氏と門田選手。門田選手は南海ですね。
ついでの89年はジャイアンツの黒マティ選手と金鉄バッファローズのブライアント選手。
両方外国人もこの10年ではこの時期だけですね。10年とか11年というような感じになってまして。
時代の象徴的に言うと、えなつとかオチアイとかその辺の印象が特に強いですね。
あとやっぱり西部が強かった時代が始まる頃なんですけれども。
そうですね。黄金期ですね。
さっき作家さんの方からあったヤクルトが1978年に日本一になっているときに、
広岡監督の下で日本一になっていて、
その後西部ライオンズも根本監督、広岡監督、森監督という流れになっていて、
広岡さんが監督時代に基礎を固めて、その路線を踏襲する形で森監督が長く西部をまとめていったみたいな感じで。
広岡さんは管理野球って言われた印象としては、それまでの時代がONとかV9という時代だったので、
派遣校とか自由なプレーで活躍みたいな感じの色が強かったのに比べると、
割と時代が変わったかなという感じがする流れですね。
あと、89年になんで入れたかというと、
西部ライオンズがこの後も日本一が続くんですけど、
この年だけリーグ優勝を逃しているので、もちろん日本シリーズに出てきていないんですけど、
85年にタイガーズに負けていますが、86、87、88と日本シリーズを制していて、
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90年からも連続で勝ち続けているので、まさに野球に足られ場はないんです。
89年がもしリーグ優勝できて日本シリーズまで行っていると、
たぶんV9ぐらいは行ったはずなんですよね。
そのぐらいだから、要するに10年間ぐらい強い時期があったのは間違いなくて。
そういう意味では、ここが欠けたのは残念だなというのと、
確か今ちょっと調べてないからわかんないけど、
89年の日本シリーズはジャイアンツが3連敗から4連勝した時ですよね。
金鉄の某選手が、その年のパリーグの最下位だったロッテを引き合いに出して、
セリーグの覇者であるジャイアンツのことをロッテよりも弱い。
3戦目の最後に。
3戦目まで3連勝で来ているので、
いっぱい2敗はしても日本一は逃さないだろうという気分があったんだとは思うんですが、
これで火をつけてジャイアンツの4連勝になるというのと、
その日本シリーズで、何戦目だったかな?7戦目かな?
駒田選手がその発言をしたピッチャーからホームランを打ちまして、
ニルイベースを回るときにピッチャー方向を向かってバーカって言ってるっていう映像が、
声は載ってないんで正語は正しいかどうかわからないんですけど、
明らかにそう言ってるように見える顔の向きと口の動きっていうのがあります。
懐かしい。
まあまあいいんじゃないですかっていう感じなんですけど。
なかなか面白い時代だった。
日本シリーズとしてやっぱり西部多いですよね。
この10年間の頭で言うと82年と83年も西部が勝ってますので、
その後カープが優勝した年はリーグ優勝できてないけど、
その次の年は85年はタイガースと戦っているのでリーグ優勝しているので、
82年から88年だけでも日本シリーズに出てないのが1回だけっていう成績ですので、
これは本当に異様な強さですね。
さらに余談なんですけども、もちろんV9の時代があったりしたっていうのも大きいんですけど、
ジャイアンツもやはり現代に至るまで基本的にはずっと強いチームだったんですよね。
ジャイアンツって日本シリーズでパリーグの全球団と戦ったことがあって、
その全球団に勝って日本一になっているんですよ。
本当に厳密なことを言うと、今ある東北のチームの中では、
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全国に中心に負けたチームは全国に中心に負けたチームになっているんです。
その中で日本シリーズの中で勝ったチームが日本一になっている。
その中で全国のチームの中で勝ったチームが日本一になっているんです。
本当に厳密なことを言うと今ある東北楽天ゴールデンイーグルス は金鉄の跡じゃないので別の球団なのであの球団とは日本シリーズ
そもそも当たってないのかな そうでしたっけ
ような気がしますねどうだったかな そこまで調べてないんですけどちょっと思いつきで話し始めちゃったんでちょっと楽天と当たってます
2013年に当たってます 勝ってます? 負けてます そうそうそうそこまで行ってないなっていうのはちょっと調べた
ことが前にあったので そうかそうか当たってはいるけど勝ててないチームが唯一あるのがそこって
ことですね そうでもやっぱり日本一のリーグ優勝
リーグを制している数が圧倒的に違うのでやっぱりその辺の 実績がすごいですねで西部はそうでもないんですよ
あの 西部はどっちかっていうと
6球団全部と当たってるんだけど 当たってたかな多分当たってると思うんですけど
セリーグの6球団と 1球団を除く5球団には負けてるはずです
日本シリーズ 確かうっすらした記憶なんで曖昧なんですけど
どっか一箇所だけ日本シリーズ当たったことはあるけど 西部を倒せてないチームがパリーグのどっかあるはずです
ちょっと多分すぐ調べがつかないので皆さん気になる人は自分で調べてみてください
そんな感じの日本シリーズの状況から見るとそんな感じの時代でしたねっていうところで なんかありますこの日本シリーズっていう側面で言うとまあだから当時
広島にお住まいだった咲夜さんは
まあ79年80年はさすがにちょっとわからないかなとは思うんですけど その子は全然覚えてないんですけど
84年の金鉄を倒しての時に小学校2年生だったので 教室で先生が急にテレビをつけて
学校が終わってさよならってして土曜日に 反論の日にいきなりテレビをつけ始めて野球を見始めて
男の子たちももう誰も帰れなくなってしまって みんなで見たっていう記憶がありますね
地元としてやっぱりそれはそうなりますよね
ちなみに個人的で関心なんですけれども ジャイアンズファンのお父さんとしてはかつ広島市に当時住んでいるお父さんとしては
はいカープの優勝はどういうテンションなんですか 何にも気にしてなかったです
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なるほど喜んでるわけでも悔しがってるわけでもなかったなくはい 試合は見てましたね
あーなるほどなるほど 野球自体が楽しいんでしょうね
そうですね 町の広島の一番の繁華街に本通りっていうところがあるんですけど
そこで推し旅行を振る舞うんです毎年 優勝すると
あーなるほどはい それを見ながらバスに乗って帰るっていうのもいいなーって思ってました
そうか 実際には86年もリーグ優勝はしてるのでそこそこは盛り上がったんだろうとは思うんですけど
まあ日本一にはなってないのでね そこまで強くは印象に残ってないかもしれないですね
86年は別の意味で印象にあります
あーそうなんですね
あの唯一発戦した年なんですよね
そうかあの引き分けが入った 日本シリーズなんですね
そうなんですよ
なるほどなるほどなんかあれですね 知識的にはクイズネタっぽい
それもあるんですけど弟が西部ファンでちょうどね黄金期の西部が大好きで
西部の人たちが来るって言ってホテルに張り込みに行ったんです
あーなるほど
はいで出待ちしたら東雄さんが出てきて弟の頭を撫でて行ってくれました
へーすごいいい話だね
それもすごいね西部ファンもその日本シリーズ肩身狭かっただろ広島に住んでたら
そうですねでも堂々としてましたよ
なるほど
はいえーとそんなところでとりあえずその日本シリーズっていう側面で見るとこんな時代でしたっていう話ですね
はい
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