1. 文ガチャ
  2. 皐月の回「しょうわがたり2」2
2022-05-15 24:49

皐月の回「しょうわがたり2」2

ガチャを回して出てきたことについて語る「文ガチャ」  
今月のお題は「プロ野球」です。

昭和最後の10年間(1978〜1988)と1989年のプロ野球について  
らい堂さんと朔夜で思い出しながらおしゃべりしています。  
お時間のある時に、ぜひお聴きくださいね。

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続きましてですね、この10年間、1979年から88年までの10年間の中で、
1年で一個ずつぐらいニュースピックアップできればなと思ったんですけども、
ちょっと間が抜けてるところがあるんですけれども、
いくつか大きい話題になったものを7つぐらいかな、
トピックス的なところの話をしていこうかと思うんですけれども、
1979年、さっきも言った通り日本シリーズではカープがバッファローズを破って優勝した年なんですけれども、
後に山際隼士さんという人が書いた「エナツの21球」という本があるんですけれども、
これの元になっているのがこの時の日本シリーズですね。
リーフとして押さえとして出てきたエナツが、あえて嫌な言い方しますけど、
自分でピンチを作って自分で切り抜けたという21球ですね。
そうだったんです。詳しい話は知らないんですけど、21球で押さえたっていう話しか。
そうですね。もともとこの回の確か頭から投げてるはずなんで、ピンチで出てきたわけではないはずですよ。
エナツの21球ちょっと見てみましょうか。
ウィキペディアにあるんですよ。小説、短編、ノンフィクション作品としてのですけど、
実際の経過っていうのが出てまして、これ何だろうな。
そうですね。9回裏、頭からじゃないかな。
そうですね。0-0から始まって6番バッターから投げて、1番バッターまでか。出番的に言うと。
だからそんなに、6番から1番だからそんなにヒットを打たれたわけでもないですけど。
そうですね。ボールが多かったですね、これ。
っていう内容なので、そんなに一概に伝説的に優れてるかっていうと、そういうことでもないかなって気はするんですけど、
ただこういう語られ方する人は他にいないので、誰々の難球みたいな言い方は他にないし、
誰々の急イニングとかそういう言い方もあまりされることはないので、
それだけでもすごい存在感だなとは思いますよね。
やっぱり本当にこの時に優勝受け負い人としてのスタートを切ってる感じがあるので、
やっぱり実際すごい選手、当初でしたしね。
日本シリーズじゃなくて、メジャーに挑戦するだけした。
時代が時代だったので、今となってはメジャーリーガー珍しくはなくなっちゃったんだけど、
03:03
当時は挑戦するだけでもすごいっていう感じがあったので、そういう意味では挑戦した人として印象深いのが柄夏さんで、
その柄夏の21球っていう話がまずありまして、
1980年ですね。
長島茂雄がユニフォームを脱ぎました。
これちょっと言い方微妙なところで、
まずV9の時代があって、やっぱりプロ野球の中心にいた人ですよね。
その前はその前で川上さんとか青田さんとか大下さんとかで、
赤バットだ青バットだみたいな人がいた時代があるんですけど、
その後V9って言ってね、ONとか張本さんとか、
それこそ広岡さんも森さんもV9メンバーの一人ですので、
そういう人たちがいた強い時代があって、監督が川上さんでっていう時代があって、
もうこの時点では、
長島さんはそのV9時代の終わりに引退している、終わる時に引退しているはずなので、
その後すぐ監督になるんですね。川上さんの後を続くというか、川上さんがV9で引退して、
長島さんが選手を引退するタイミングと補聴を合わせているのかな。
すぐ監督になるんですね。監督を何年か勤めた後に、
80年にユニフォームを脱ぐので、選手を引退した後すぐ監督になっているので、
ユニフォームを着てない時期っていうのはないわけですよ。
そういう意味ではずっとジャイアンツのユニフォームを着ていた長島監督が、
初めてこの81年からユニフォームを着ないプロ野球シーズンを迎えるっていう、
いわゆる浪人時代ってよく言われますけど、そういう時代を迎えるという風になったと。
確か81年が大尾さんが引退じゃないかな。
次の、それぐらいでしたっけね。
だと思います。ちょっと見てみようかな。
いろんな意味でONの時代の終わりの感じがするな、なんていう風には思いますよね。
大尾さんは、僕は大尾さんギリギリ知ってるんですよ。ギリギリ知ってるな、確かに。
うちも父は巨人ファンなので、僕は半信ファンですけど、
やっぱり巨人戦をずっと見てて、
大尾さんはもちろんホームランの世界記録とかを持ってたりしたので、
そういう記念品とかもよく世の中的には市販されてて、
うちにもバスタオルとかあったんですよ、大尾さんの。
イラストみたいなのが入ってて、サインが入ってて、
サインを書いてるんじゃなくて、サインごとプリントされてるような。
06:00
そういうバスタオルがあったりしたので、大尾さんのことはもちろん知ってたし、
試合も興味ないながらもテレビはやっぱり父親がチャンネル権を持っててつけてるので、
見てはいたんですよね。
で、大尾さん打撃センスとしてはすごかったんですけれども、
守備はあまりお得意ではなかったので、
ファーストファールフライとかを普通に落球したりしてるのを見てて、
うちの親父が怒ってるみたいな感じでしたね。
こいつは本当に守備が下手だって怒ってましたけど。
そんな大尾さんが、
そうですね、80年までか。
だからやっぱり長島さんの引退と同じ年なのかな。
に、大尾さんは選手を引退して、
ちなみに大尾さんは81年からかな、
助監督っていう通常なかったポジションについて、
藤田監督で大尾さんが助監督。
監督見習いみたいなことをしてたんですね。
いきなりはちょっとさすがにっていう。
年齢的にも長島さんよりだいぶ若かったはずなのかな。
っていうのがありまして、
そんな81年を挟みまして、
1982年。
これはここの年に入れてるのは、
プロ野球の話ではなくなっちゃうんですが、
荒木大助ブーム、いわゆる大ちゃんブーム。
82年は荒木選手としては高校3年生。
高校生だっけ?
要するにプロ入り前の年なんですよ。
この人高校。
甲子園で。
甲子園のスターだったので、
プロ入りして83年からヤクルトの選手になるんですけれども、
ブームだったなっていう印象があって改めて調べてみて、
知ってる人は知ってて何を今更なのかもしれませんが、
高校野球って1年から3年まであって、
春の選抜と夏の甲子園があるんだけど、
1年生は春の大会に出れないし、
だから春の大会に出れないので、
春2回と夏3回しか最大でも出れないんですけど、
5回甲子園の土を踏んでる選手なんですよね。
土壁みたいな世界観ですよ。
土壁はそれで日本一になっちゃうから漫画なんですけど、
普通に県代表に5大会連続でなれることは普通に考えてないので、
そう考えるとやっぱりすごい選手だなっていう印象があって、
それに付け加えると、この頃生まれた子どもが、
大輔っていう名前を付けられることが非常に多くて、
それが後に成長してプロ野球選手になった例としては、
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松坂大輔投手ですね。
偉大な、あの人もプロでもすごかったけど、
あの人も高校野球の時にすごかったっていうタイプの選手として、
非常に印象に残ってますね。
あの人は、やっぱりそうだな。
でも一番熱心に高校野球を見たシーズンだったかもしれないですね。
松坂選手の話ですけど。
すごかったですもんね。
すごかったです。
事実上の決勝戦みたいなのが準決勝かなんかでカード的になっちゃって、
これじゃあ優勝がかかってる決勝戦って見栄えがしないかなって思ったら、
ノーヒットノーランとかやっちゃうんですよね。
本当に漫画界を見たいな選手が出始めた時代かなっていう気がしてますね。
そんな82年があって、83年が荒木選手がプロ入りした年で、
1984年、最近あんまり注目して見てないですけど、
オールスターゲームっていうのありますよね。
当時は山陽あたりがスポンサーについてたような気がしますけれども。
そのオールスターゲームで江川投手が8連続脱三振の記録を作った年ですね。
この89年よりも前に、江夏郎21球の江夏さんが9連続三振っていうのを取ってまして、
この記録には及ばなかったっていうところがあるんですけど、
それでもすごいなっていうところで。
先輩に鼻を持たせる意味でもバランスはいいんじゃないかなって気がするっていうのもあるし。
すごい微妙なんですけど、9番目のバッターからすると、
それは何としても避けたいっていう気分もあるはずなんですよ。
だって9番目のバッターだけが過去映像でいっぱい使われるんですよ。
嫌だ。それは嫌だ。
ですよね。嫌ですよね。
なので何としてもっていう思いはあったと思うんですけど、
それでボンダなんですよね。アウトにはなっちゃうので。
だったらっていう思いが後からしたんじゃないかなって僕は個人的に勝手に思ってます。
なので江川選手はやっぱりすごかった。
さっきもMVPでも名前が出てきましたけど、江川選手のすごさが現れてる話で。
江川選手、投手についてついでにちょっとだけ言うと、
江川投手ってそのあまりのセンスというか力量から怪物君ってよく言われてたんですよね。
でもこの怪物君ってすごい、実は肝になるところがあって、江川選手って耳でかいんですよね。
なので藤代英さんの怪物君っていう漫画の怪物君も耳が大きいんですよ。
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そっから?
だから単純に怪物っていうだけじゃなくて、怪物君って言い方をしてるのはそこが絡んでると思うんですよね。
そうだったんだ。
だと思います。時代も合ってるはずなんで、この頃アニメがやってたと思うので。
そうだと思うんですよね。
ちなみに松秀樹選手のゴジラは別にゴジラに似てるとかではないらしいです。
そうなんですか?
破壊力がゴジラ級みたいなニュアンスのことでしかないらしくて、
多分石川県の新聞記者かなんかが初めに使ったらしいけど、地元の記者かなんかが初めに使ったらしいんですけど、
別にそういう意味ではないですっていうのを本人が確か初めて使った記者が言ってたと思います。
ただ真似するときに他の記者、他の新聞の記者が似てるもんないって思ったのかもしれないですけどね。
そんな1984年がありまして、1985年はすみませんが阪神タイガスです。
象徴的にはバックスクリーン三連発になって、日本一になって、カーネル・サンダースの呪いのきっかけが起こるまでのフルセットって感じですか?
わかってる作家さんもめっちゃ笑ってますけど。
バックスクリーン三連発からいきますと、阪神タイガス、投手力はさほどでもなかったんですけれども、
抑えのピッチャーが良かったっていうのと、とにかく打線がベラ棒に打つ打線で、特に超打力がある。
クリーンナップはみんなもちろん30本以上打ってるけど、一番の真由美選手も30本以上打ってるみたいな。
クリーンナップを打たせられる人が余ってるみたいな打線だったので。
ベラ棒に打ってる中で実際に3番バース、4番カケフ、5番岡田が3人連続でバックスクリーンに、センター方向にホームランを打ったっていうのがありまして、語り草になってますね。
クリーンナップと両三者連続ホームランは他にもその後あるんですけど、バックスクリーン三連発っていうのはそれしかないらしくて、いまだにそういうふうに言われるみたいです。
ちなみにこの時打たれた投手はジャイアンツの牧原投手ですね。
牧原さんでしたか。
あの人もすごい、完全試合とかもやってるようなすごい投手なんですけど、不明ような記録も持ってるという感じですかね。
本当に余談なんですけど、この頃僕熱心に、まあまあ熱心にこの後いろいろな阪神大合戦に関する本とか読んでたので、出てくる記事で見たことあるのが、結構レアケースなんですけれども、ライトゴロって言ってること意味わかります?
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ライト方向にゴロが転がっていく。
でもゴロが転がっていってもヒットになればライトゴロとは言わないんですよね。
そうですね。
ライト前ヒットなんですよ。
ライトじゃなくてもセカンドでもショートでもサードでもファーストでも、極端なことで言えばピッチャーキャッチャーでも、アウトになって初めてゴロなんですよ。
そうでしたね、はい、そうだ。
ということは、ライトゴロっていうのは、ライトが取った球でファーストでフォースアウトになるっていうケースなんですけど、だから極めてレアなんですけど、阪神の試合で牧原投手が打った打球がライトゴロになってるっていうのもあります。
不名誉な記憶が半身絡みで2つ出てきたので、いじるつもりはないんですけど、つながっちゃったんで話しましたっていう感じですかね。
ライトの肩が良かったんですね。
ということにしときましょう。
そのバックスクリーン3連発なんかもあったりして、そのまま八九の勢いで優勝していきます。
この時の監督が吉田芳生さんっていう人で、後に確かフランスのオリンピックチーム、野球のオリンピックチームの監督なんかも務めたりした気がします。
そのフランスに行ったせいもあるんですけど、ミスタージャイアンツ長嶋さんがミスターって言われるのに対して、吉田芳生さんのことはムッシュと呼ばれますね。
そっか、それでか。
多分それでだと思います。
ぶっちゃけほっといても勝つようなチームだったので、吉田さんも将来のことを考えて、貯金は若手の育成に使いますとか言って、その頃和田とか大野とか柳とか中野とかっていう若手の選手をいろいろ寄与したりしてたようです。
日本一になりまして、ファンが歓喜しまして、何と言っても2リーグ制以降初の日本一だったので、歓喜しすぎて、道頓堀にダイブする若者たちが多発し、最終的にはケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース像を投げ込むという暴挙に出て、
それが理由で、カーネル・サンダースが川から堀から道頓堀から上がってこないように阪神タイガースも浮上しなくなってしまったということがありましたね。
後に本気で心配されて引き上げられましたからね、カーネル・サンダースね。
そうでしたね。
すっげえボロボロになってましたけど。
そしたら優勝したんでしたっけ?
そんな感じだったかもしれないですね。実機的にはそのぐらいで一致するはずですね。
その後の優勝絡みの時は、勝手に動かせないように鎖で足元がガチガチに固められることも起こっているということですね。
18:08
86年はこれと言って調べがつかなかったんですが、86年のシーズンオフ、ドラフトでPLのKKコンビがドラフトの対象になりまして、巨人に入ることを熱望していて、巨人側も是非にと言っていた清原選手は巨人から声がかからず、
旧友の桑田増美がドラフト1位でジャイアンツに入団するということになりまして、その翌年ですね、1987年にジャイアンツ対ライオンズの日本シリーズが行われて、
この時、9回2アウトの時点でファーストを守っている清原が、趣味についている状態で涙を流すということがありまして、
最近、あの時の涙の理由の記事が出てるっぽいですけど、僕はちょっと読んでないんでわからないですけど、よく言われたのは、
優勝が決まったと勘違いしたのかして泣き出しちゃった、涙が出ちゃってたんじゃないかっていう風に言われましたけどね。
気づいて、趣味には駆け寄ったりとかはしてないんだけど、涙流れ始めちゃってるっていうのが取られちゃったみたいな感じなんじゃないかっていう話もあったんですけど、ちょっとわからないです。
当時どうだったかっていう話が、今はネットでも検索すれば出てくるみたいではありますけど。
最後の年、1988年ですね。これは選手の話ではないんですが、東京ドームが開場します。
厳密に言うと、たぶん屋根付きの球場ってなくはないんですけど、プロ野球とかで使えるような大きい球場では初めての屋根付き球場で、
日本初のですね。もちろん海外にはもうあったので。
僕、卒業旅行で、ちょっと話が逸れてきますけど、中国地方の方行ったんですよ。
友達と車で。その時に出雲ドームっていうのに寄ったんですよ。
はい、ありますね。
あれが多分東京ドームができるよりも前からあるんだと思うんですよね。
ああ、そうでしたっけ。
ここも野球ができるところなので、東京ドームよりか多分古いんだと思うんだよな。
でも違う、今のやつは92年になってますね。
21:01
あれ、ちょっとわかんないな。
そうですよね、92年になってます。
92年って、ああそうか。
じゃあすみません、勘違いかもしれないです。
そういう出雲ドームっていうのもある。
でも出雲ドームって東京ドーム以外でのプロ野球のドームよりは早いですよ。
そうですね、はい。
今ね、すごい名古屋ドームとか福岡ドームとかあるけど、結構古い心理性なドームですけど。
とにかく東京ドームができた年で、アニメもやってましたね。
ドーム君っていう野球アニメもやってましたね。
そうですね。
あれですよね、多分解説で江川さんが入ってる設定になってて、江川さん多分本人でしたよね、声あって。
違うかな。
なんかね、江川さんがすごい絡んでる印象があるんですよね。
はい。なんか面白いことをおっしゃるから印象にはあるんですよね。
そうですね。
このアニメみたいなことがあっていいんでしょうか、アニメじゃんっていう。
あれはね、なかなか。
なんか背番号とかも面白くて、ドームって2分の1なんですよね、子供だから。
子供なのにプロ野球選手よっていう設定なので。
我が阪神タイガースにはライバルのね、まさに星ヒューマンに対する花形みつろみたいなのがいたんですけど、
彼はどういうわけか007でしたね、背番号が。
そうでしたね。
あったよね。
あったね。
この時代の子供だったんですけど、
あったね。
あったね。
そんなのね、楽しい時代でしたよ、ところで。
どうですかね。
でもやっぱり、江夏の21期と東京ドームの会場ってだいぶやっぱり10年ですけど、やっぱり10年経ってるなってぐらい、時代幅を感じますよね。
われわれとかの近い世代の人からすると
ああそうだよね
すごい昔からわりと知ってる時代までのことだねっていう感じが
すると思うんですが
逆に言うと
90年生まれとかにとっては生まれる前の話なので
90年生まれて32歳とかですよね今ね
そうですね
そのぐらいの世代にとっても生まれる前のことなのかと思うと
本当に昔のことだなって思いますけど
そんなこんなでですね
とりあえずトピックスみたいなものを振り返るっていうコーナーをやってみました
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