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ある時は、こんなこともありました。
それは、夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外の文化村とでも言うのでしょう、
実験あまりの西洋館がまばらに立ち並んだところを歩いていました。
そして、ちょうどその中でも、一番立派なコンクリート作りの西洋館の裏手を通りかかった時です。
ふと、妙なものが私の目にとまりました。
と言いますのは、その時、私の鼻先をかすめて勢いよく飛んで行った一匹のスズメイが、
その家の屋根から地面へ引っ張ってあった太い針金にちょっと止まると、
いきなりはね返されたように下へ落ちてきて、そのまま死んでしまったのです。
変なこともあるものだと思ってよく見ますと、
その針金というのは、西洋館の尖った屋根の頂上に立っている飛雷針から出ていることがわかりました。
むろん針金には被膜が施されていましたけれど、
今スズメの止まった部分はどうしたことか、それが剥がれていたのです。
私は電気のことはよく知らないのですが、
どうかして空中電気の作用とかで飛雷針の針金に強い電流が流れることがあると
どこかで聞いたのを覚えていて、さてはそれだなと気づきました。
こんなことに出くわしたのは初めてだったものですから、
珍しいことに思って私はしばらくそこに立ち止まってその針金を眺めていたものです。
するとそこへ西洋館の横手から兵隊ごっこか何かして遊んでいるらしい子供の一団が
がやがや言いながら出てきましたが、その中の六つか七つの小さな男の子が
他の子供たちはさっさと向こうへ行ってしまったのに、
一人後に残って何をするのか見ていますと、
今の飛雷針の針金の手前の小高くなったところに立って前をまくると立ちしょうべんを始めました。
それを見た私はまたもや一つの妙計を思いつきました。
私は中学時代に水が電気の導体だということを習ったことがあります。
今子供が立っている小高いところからその針金の被膜の取れた部分へしょうべんをしかけるのはわけのないことです。
しょうべんは水ですからやっぱり導体に相違ありません。
そこで私はその子供にこう声をかけました。
おいぼっちゃん、その針金へしょうべんをかけてごらん。届くかい?
すると子供は、
なーにわけないや。見ててごらん。
そういったかと思うと姿勢を変えていきなり針金の地の現れた部分をめがけてしょうべんをしかけました。
そしてそれが針金に届くか届かないに恐ろしいものではありませんか。
子供はびょんとひとつ踊るように跳ね上がったかと思うとそこへばったり倒れてしまいました。
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あとで聞けば飛来心にこんな強い電流が流れるのは非常に珍しいことなのだそうですが、
かようにして私は生まれて初めて人間の感電して死ぬところを見たわけです。
この場合もむろん私は少しだって疑いを受ける心配はありません。
ただ子供の死骸に取りすがって泣き言っている母親に定調な悔やみの言葉を残して、
その場を立ち去りさえすればよいのでした。
これもある夏のことでした。
私はこの男をひとつ生贄にしてやろうと目指していたある友人、
といっても決してその男に恨みがあったわけではなく、
長年の間無二の親友として付き合っていたほどの友達なのですが、
私にはかえってそういう仲のいい友達などを何にも言わないで
にこにこしながらあっという間に死骸にしてみたいという異常な望みがあったのです。
その友達と一緒に傍州のごく偏僻なある漁師町へ秘書に出かけたことがあります。
無論海水浴場というほどの場所ではなく、
海にはその集落の尺道色の肌をした子アッパ達がバチャバチャやっているだけで、
都会からの客といっては私たち二人のほかには画学生らしい連中が数人、
それも海へ入るというよりはその辺の海岸をスケッチブック片手に
歩き回っているにすぎませんでした。
名の売れている海賊のおかげで、
都会の少女たちの優美な肉体が見られるわけではなく、
宿といっても東京の吉陰宿みたいなもので、
それに食べ物も刺身の他のものはまずくて口に合わず、
ずいぶん寂しい不便な場所ではありましたが、
その私の友達というのが私とはまるで違って、
そうしたひなびた場所で孤独な生活を味わうのが好きな方でしたのと、
私は私でどうかしてこの男をやっつける機会を掴もうと
焦っていた際だったものですから、
そんな猟師町に数日の間も落ち着いていることができたのです。
ある日、私はその友達を海岸の部落からだいぶん隔たったところにある、
ちょっと断崖みたいになった場所へ連れ出しました。
そして、私はその友達をその場所へ連れ出しました。
断崖みたいになった場所へ連れ出しました。
そして、飛び込みをやるにはもってこいの場所だなどと言いながら、
私は先に立って着物を脱いだものです。
友達もいくらか水泳の心得があったものですから、
なるほどこれはいいと私に習って着物を脱ぎました。
そこで私はその断崖の端に立って両手をまっすぐに頭の上に伸ばし、
1、2、3と思い切りの声でどなっておいてぴょんと飛び上がると、
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見事な弧を描いて逆島に前の海面へと飛び込みました。
パチャンと体が水についたときに、胸と腹の呼吸ですいと水を切って、
わずか二三尺潜るだけで飛び魚のように向こうの水面へ体をあらわすのが
飛び込みのコツなんですが、私は小さい時分から水泳が上手で、
この飛び込みなんかも朝飯前の仕事だったのです。
そして岸から十四五軒も離れた水面へ首を出した私は、
立泳ぎというやつをやりながら片手でぶるっと顔の水を払って、
「おーい、飛び込んでみろー!」と友達に呼びかけました。
すると友達はむろん何の気もつかないで、
よーしと言いながら私と同じ姿勢をとり、
勢いよく私の後を追ってそこへ飛び込みました。
ところがしぶきを立てて海へ潜ったまま、
彼はしばらくたっても再び姿を見せないではありませんか。
私はそれを予期していました。
その海の底には水面から一軒くらいのところに大きな岩があったのです。
私は前もってそれを探っておき、
友達の腕前では飛び込みをやれば必ず一軒以上潜るに決まっている。
したがってこの岩に頭をぶつけるに相違ないと見込みをつけてやった仕事なのです。
ご承知でもありましょうが、
飛び込みの技は上手な者ほどこの水を潜るのが少ないので、
私はそれには十分熟練していたものですから、
海底の岩にぶつかる前にうまく向こうへ浮き上がってしまったのですが、
友達は飛び込みにかけてはまだほんの素人だったので、
真っ逆さまに海底へ突き入って、
嫌というほど頭を岩へぶつけたに相違ないのです。
案の定しばらく待っていますと、
彼はぽっかりとマグロの死骸のように海面に浮き上がりました。
そして波のまにまに漂っています。
言うまでもなく彼は気絶しているのです。
私は彼を大敵死に泳ぎつき、
そのまま部落へ駆け戻って宿の者に急を告げました。
そこで出寮を休んでいた漁師などがやってきて、
友達を解放してくれましたが、
ひどく脳を打ったためでしょう、もう蘇生の見込みはありませんでした。
見ると頭のてっぺんが五六寸切れて、白い肉がむくれ上がっている。
その頭の置かれてあった地面にはおびただしい血潮が赤黒く固まっていました。
後にも先にも私が警察の取り調べを受けたのはたった二度きりですが、
その一つがこの場合でした。
何分人の見ていないところで起こった事件ですから、
一応の取り調べを受けるのは当然です。
しかし私とその友達とは親友の間柄で、
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それまでにいさかい一つしたこともないとわかっているのですし、
また当時の事情としては、私も彼もその海底に岩のあることを知らず、
幸い私は水泳が上手だったために危ないところを逃れたけれども、
彼はそれが下手だったばっかりにこの不祥事を引き起こしたのだということが明白になったものですから、
なんなく疑いは晴れ、私はかえって警察の人たちから
友達を亡くされてお気の毒です、と悔やみの言葉までかけてもらう有様でした。
いや、こんな風に一つ一つ実例を並べていたのでは再現がありません。
もうこれだけ申し上げれば、皆さんも私のいわゆる絶対に法律に触れない殺人法を
だいたいお分かり下すったことと思います。
すべてこの調子なんです。
あるときはサーカスの見物人の中に混じっていて、
突然ここでお話するのは恥ずかしいような途方もないヘンタコな姿勢を示して、
高いところで綱渡りをしていた女芸人の注意を奪い、その女を墜落させてみたり、
火事場で我が子を求めて半狂乱のようになっていたどこかの細工に
子供は家の中に寝かせてあるのだ。
そら、泣いている声が聞こえるでしょう?などと暗示を与えて、
その細工を猛火の中へ飛び込ませ、ついに焦殺してしまったり。
あるいはまた、今や身投げをしようとしている娘の背後から、
突然、また!と鈍狂な声をかけて、
そうでなければ身投げを思い留まったかもしれないその娘を
ハッとさせた拍子に水の中へ飛び込ませてしまったり。
それはお話すれば限りもないのですけれど、
もうだいぶん夜も更けたことですし、
それに皆さんもこのような残酷な話は、
もうこれ以上お聞きになりたくないでしょうから、
最後に少し風変わりなのを一つだけ申し上げてよすことにいたしましょう。
今までお話ししましたところでは、
私はいつも一度に一人の人間を殺しているように見えますが、
そうでない場合もたびたびあったのです。
でなければ3年足らずの年月の間に、
しかも少しも法律に触れないような方法で、
99人もの人を殺すことはできません。
その中でも最も他人数を一度に殺しましたのは、
そうです、去年の春のことでした。
皆さんも当時の新聞記事できっとお読みのことと思いますが、
中央線の列車が転覆して多くの負傷者や死者を出したことがありますね。
あれなんです。
何、バカバカしいほど造作もない方法だったのですが、
それを実行する土地を探すのにはかなり手間取りました。
ただ最初から中央線の沿線ということだけは見当をつけていました。
というのはこの線は私の計画には最も便利な山道を通っているばかりでなく、
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列車が転覆した場合にも中央線には日頃から事故が多いのですから、
ああまたかというくらいで他の線ほど目立たない利益があったのです。
それにしても注文通りの場所を見つけるのにはなかなか骨が折れました。
結局M駅の近くの崖を使うことに決心するまでには十分一週間はかかりました。
M駅にはちょっとした温泉場がありますので、
私はそこのある宿へ泊り込んで毎日毎日湯に入ったり散歩したり、
いかにも長泊りの当事客らしく見せかけようとしたのです。
そのためにまた十日余り無駄に過ごさねばなりませんでしたが、
やがてもう大丈夫だという時を見計らって、
ある日私はいつものようにその辺の山道を散歩しました。
そして宿から半里ほどのある小高い崖の頂上へたどり着き、
私はじっと夕闇の迫ってくるのを待っていました。
その崖の真下には汽車の線路がカーブを描いて走っている。
線路の向こう側はこちらとは反対に深い険しい谷になって、
その底にちょっとした谷川が流れているのが霞むほど遠くに見えています。
しばらくするとあらかじめ定めておいた時間になりました。
私は誰も見ているものはなかったのですけれど、
わざわざちょっとつまずくような格好をして、
これもあらかじめ探し出しておいた一つの大きな石ころを蹴飛ばしました。
それはちょっと蹴りさえすればきっと崖からちょうど線路の上あたりへ
転がり落ちるような位置にあったのです。
私はもしやり損なえばいくとでも他の石ころでやり直すつもりだったのですが、
見ればその石ころはうまい具合に一本のレールの上に乗っかっています。
半時間の後には下り列車がそのレールを通るのです。
その自分にはもう真っ暗になっているでしょうし、
その石のある場所はカーブの向こう側なのですから運転手が気づくはずはありません。
それを見定めると私は大急ぎでM駅へと引き返し、
範里の山道ですからそれには十分三十分以上を費やしました。
そこの駅長室へ入って言って、
「大変です!」とさも慌てた調子で叫んだものです。
私はここへ当時に来ているものですが、
今、範里ばかりの向こうの線路に座っているのです。
今、範里ばかりの向こうの線路に沿った崖の上へ散歩に行っていて、
坂になったところを駆け下りようとする拍子に、
ふと一つの石ころを崖から下の線路の上へ蹴落としてしまいました。
もしあそこを列車が通ればきっと脱線します。
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悪くすると谷前へ落ちるようなことがないとも限りません。
私はその石を取り除けようと色々道を探したのですけれど、
何分不安ないの山のことですから、
どうにもあの崖を下る方法がないのです。
で、ぐずぐずしているよりはと思ってここへ駆けつけた次第ですが、
どうでしょう、至急あれを取り除けていただくわけにはいきませんでしょうか。」
と、いかにも心配そうな顔をして申しました。
すると駅長は驚いて、
「それは大変だ。今、下り列車が通過したところです。
普通ならあの辺はもう通り過ぎてしまった頃ですが。」
というのです。
それが私の思うツボでした。
そうした問答を繰り返しているうちに、
列車転覆死傷者数知らずという報告が、
わずかに基地を脱しで駆けつけたその下り列車の車掌によってもたらされました。
さあ大騒ぎです。
私は行き係上一晩Mの警察署へ引っ張られましたが、
考えに考えてやった仕事です。
手落ちのあろうはずはありません。
無論私は大変叱られはしましたけれど、
別に処罰を受けるほどのこともないのでした。
あとで聞きますと、
その時の私の行為は刑法第129条とかにさえ、
それは五百円以下の罰金刑に過ぎないのですが、
当てはまらなかったのだそうです。
そういうわけで、
私は一つの石ころによって、
少しも罰せられることなしに、
えーっと、あれは、
そうです、十七人でした。
十七人の命を奪うことに成功したのでした。
皆さん、私はこんなふうにして、
九九人の人命を奪った男なのです。
そして少しでもくゆるどころか、
そんな血なまぐさい刺激にすらもう飽き飽きしてしまって、
今度は自分自身の命を犠牲にしようとしている男なのです。
皆さんは、あまりにも残酷な私の所業に、
それ、そのように前をしかめていらっしゃいます。
そうです。
これらは、普通の人には想像もつかぬ、
極悪非道の行いに相違ありません。
ですが、そういう大罪悪を犯してまで逃れたいほどの、
ひどいひどい退屈を感じなければならなかったのです。
この私の心持ちも、少しはお察しが願いたいのです。
私という男は、そんな悪事でもたくらも他には、
何一つ、この人生に生き甲斐を発見することができなかったのです。
皆さん、どうかご判断なすって下さい。
私は狂人なのでしょうか。
あの殺人狂とでもいうものなのでしょうか。
かようにして、今夜の私は、
ものすごくも機械極まる身の上話は終わった。
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彼は幾分血走った、
そして白目がちにドロンとした狂人らしい目で、
私たち聞き手の顔を一人一人見回すのだった。
しかし、誰一人これに応えて批判の口を開く者もなかった。
そこには、ただ薄気味悪く、
チロチロと瞬くロウソクの炎に照らし出された、
七人の蒸気した顔が微動さえしないで並んでいた。
ふと、ドアのあたりのたれぎ布の表に、
ちかりと光ったものがあった。
見ていると、その銀色に光ったものがだんだん大きくなっていた。
それは銀色の丸いもので、
ちょうど満月が蜜グモを破って現れるように、
赤いたれぎ布の間から、
徐々にまったき円形を作りながら現れているのであった。
私は最初の瞬間から、
それが旧寺女の両手に捧げられた、
我々の飲み物を運ぶ大きな銀本であることを知っていた。
でも、不思議にも、
万象を無限化しないではおかぬこの赤い部屋の空気は、
その世の常の銀本を、
何かサロム劇の古井戸の中から奴隷がぬっと突き出すところの、
あの預言者の生首が乗せられた銀本のようにも、
幻想せしめるのであった。
そして、銀本がたれぎ布からできってしまうと、
その後から、清流灯のような幅の広いギラギラとした段びらが、
にょいと出てくるのではないかとさえ思われるのであった。
だが、そこからは、
唇の厚い半裸体の奴隷のかわりに、
いつもの美しい給仕女が現れた。
そして、彼女がさも快活に、
七人の男の間を立ち回って飲み物を配り始めると、
その世間とはまるでかけ離れた幻の部屋に、
世間の風が吹き込んできたようで、
なんとなく不調和な気がしだした。
彼女は、この家の開花のレストランの、
華やかな株と乱水と、
キャーというような若い女のしだらない悲鳴などを、
ふわふわとその身辺に漂わせていた。
「そーら、うつよ。」
突然Tが、今までの話し声と少しも違わない
落ち着いた調子で行った。
そして、右手を懐中に入れると、
一つのキラキラ光る物体を取り出して、
ぬーっと給仕女の方へさし向けた。
アッという私たちの声と、
バンというピストルの音と、
キャッと玉切る女の叫びと、
それがほとんど同時だった。
むろん私たちは一斉に席から立ち上がった。
しかしああ、なんという幸せなことであったか。
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撃たれた女は何事もなく、
ただこれのみは無惨にも打ち砕かれた飲み物の器を前にして、
ぼんやりと立っているではないか。
T氏が狂人のように笑い出した。
「おもちゃだよ、おもちゃだよ。
花ちゃん、ママと一杯食ったね。」
では、今なおT氏の右手に白煙を吐いている
あのピストルは玩具に過ぎなかったのか。
「まあびっくりした。それ、おもちゃなのか。」
Tとは以前からおなじみらしい九字女は、
でもまだ唇の色はなかったが、
そう言いながらT氏の方へ近づいた。
「どれ、貸してごらんなさいよ。」
「まあ、本物そっくりだわね。」
彼女は照れ隠しのように、
そのおもちゃだという六連発を手に取って
とみこうみしている。
「悔しいから、じゃあ私も撃ってあげるわ。」
言うかと思うと、
彼女は左腕を曲げて、
その上にピストルの筒口を置き、
生意気な格好でT氏の胸に狙いを定めた。
「君に撃てるなら撃ってごらん。」
T氏はにやにや笑いながらからかうように言った。
彼女はT氏に、
T氏はにやにや笑いながらからかうように言った。
「撃てなくってさ、バン!」
前よりは一層鋭い銃声が部屋中に鳴り響いた。
「うあああああ。」
何とも言えぬ気味の悪い唸り声がしたかと思うと、
T氏がヌット椅子から立ち上がって、
ばったりと床の上へ倒れた。
そして手足をバタバタやりながら苦悶し始めた。
冗談か。
冗談にしては、あまりにも真に迫ったもがきようではないか。
私たちは思わず彼の周りに走り寄った。
隣にいた一人がテーブルの食材を取って苦悶者の上に差し付けた。
見るとT氏は蒼白な顔を敬憐させて、
ちょうど傷ついた耳ずがくねくね跳ね回るような具合に、
体中の筋肉を伸ばしたり縮めたりしながら夢中になってもがいていた。
そしてだらしなく裸ったその胸の黒く見える傷口からは、
彼が動くたびにたらり、たらりと真っ赤な血が白い皮膚を伝って流れていた。
おもちゃと見せた六連発の二発目には、実弾が争点してあったのだ。
私たちは長い間ぼんやりそこに立ったまま、
誰一人身動きするものもなかった。
機械な物語の後のこの出来事は、私たちにあまりにも激しい衝動を与えたのだ。
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それは時計の目盛りからいえばほんのわずかな時間だったかもしれない。
けれども少なくともその時の私には、
私たちがそうして何もしないで立っている間が非常に長いように思われた。
なぜならば、その咄嗟の場合に苦悶している負傷者を前にして、
私の頭には次のような推理の働く余裕が十分あったのだから。
意外な出来事に相違ない。
しかしよく考えてみると、
これは最初からちゃんとTの今夜のプログラムに書いてあった事柄なのではあるまいか。
彼は九十九人までは他人を殺したけれど、
最後の百人目だけは自分のために残しておいたのではないだろうか。
そしてそういうことには最もふさわしいこの赤い部屋を最後の死に場所に選んだのではあるまいか。
これはこの男の機械極まる性質を考え合わせると、
まんざら検討外れの想像でもないのだ。
そうだ、あのピストルをおもちゃだと信じさせておいて、
窮地女に発砲させた技巧などは他の殺人の場合と共通の彼独特のやり方ではないか。
こうしておけば下主任の窮地女は少しも罰せられる心配はない。
そこには私たち六人もの証人があるのだ。
つまりTは彼が他人に対してやったと同じ方法を、
加害者は少しも罪にならぬ方法を彼自身に応用したものではないか。
私の他の人たちも皆それぞれの考えにふけているように見えた。
そしてそれはおそらく私のものと同じだったかもしれない。
実際この場合、そうとより他に考え方がないのだから。
恐ろしい沈黙が一座を支配していた。
そこには鬱陶した窮地女のさも悲しげにすすり泣く声がしめやかに聞こえているばかりだった。
赤い部屋のろうそくの光に照らし出されたこの一場の悲劇の場面は、
この世の出来事としてはあまりに無限的に見えた。
突如女のすすり泣きの他にもう一つの異様な声が聞こえてきた。
それはもはやもがくことをやめてぐったりと死人のように横たわっていたT氏の口から漏れるらしく感じられた。
氷のような旋律が私の背中を這い上がった。
その声はみるみる大きくなっていった。
そしてはっと思う間に瀕死のT氏の体がひょろひょろと立ち上がった。
立ち上がってもまだ、
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という変な声は止まなかった。
それは胸の底から絞り出される苦痛の唸り声のようでもあった。
だが、
もしや、
おお、やはりそうだったのか。
彼は意外にも最前からたまらないおかしさをじっと噛み殺していたのだった。
「ふはははは、みなさん!」
彼はもう大声に笑い出しながら叫んだ。
「みなさん、わかりましたか、これが。」
すると、
ああ、これはまたどうしたことであろう。
いまのいままであのように泣きいっていた窮地女が
いきなり快活に立ち上がったかと思うと、
もうもうたまらないというように体をくの字にして、
これもまた笑いこけるのだった。
これはね、
やがてT氏はあっけに取られた私たちの前に
一つの小さな円筒形のものを手のひらにのせて差し出しながら説明した。
牛の暴行で作った玉なのですよ。
中に赤いインキがいっぱい入れてあって、
命中すればそれが流れ出す仕掛けです。
それからね、この玉が偽物だったと同じように、
さっきからの私の身の上話というものはね、
はじめからしまいまでみんな作りごとなんですよ。
でも私はこれでなかなかお芝居はうまいものでしょう。
さて、退屈屋のみなさん、
こんなことではみなさんが終始を求めなすっている
あの刺激とやらにはなりませんでしょうかしら。
彼がこう種明かしをしている間に、
今まで彼の助手を務めた窮地女の起点で
開花のスイッチがひねられたのであろう。
突然真昼のような伝統の光が私たちの目を厳惑させた。
そしてその白く明るい光線は
たちまちにして部屋の中に漂っていた
あの無限的な空気を一掃してしまった。
そこには暴露された手品の種が
醜いむくろをさらしていた。
黄色のたれぎぬにしろ、
黄色のじゅうたんにしろ、
同じテーブル掛けやひじ掛け椅子、
はてはあのよしありげな銀の食台までが
なんとみすぼらしく見えたことよ。
赤い部屋の中には
どこの隅を探してみても
もはや夢も幻も影さえもとどめていないのだった。