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2022-09-13 1:12:01

BC046「オープンさと知的好奇心」

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今回は、倉下が二冊の本を取り上げました。

* 『OPEN(オープン):「開く」ことができる人・組織・国家だけが生き残る (NewsPicksパブリッシング)』

* 『子どもは40000回質問する~あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力~ (光文社未来ライブラリー)』

一見異なる本から、関連する「トピック」を取り出すというシントピカル・リーディングの実践です。

シントピカル・リーディング - BCBookReadingCircle

『OPEN(オープン): 「開く」ことができる人・組織・国家だけが生き残る』

書誌情報

* 原題

* 『OPEN:The Story of Human Progress』

* 著者

* ヨハン・ノルベリ

* 『進歩: 人類の未来が明るい10の理由』(晶文社)

* 翻訳

* 山形浩生

* 森本正史

* 出版社

* NewsPicksパブリッシング

* 出版日

* 2022/4/29

* Amazonリンク

* https://amzn.to/3cSOMNa

開かれたグループ・組織・文化が持つ力を明らかにする。

『子どもは40000回質問する~あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力~』

書誌情報

* 原題

* 『CURIOUS:The Desire to Know and Why Your Future Depens on it』

* 著者

* イアン・レズリー

* 『CONFLICTED~衝突を成果に変える方法~』(光文社)

* 翻訳

* 須川綾子

* 出版社

* 光文社(光文社未来ライブラリー)

* 出版日

* 2022/5/11

* Amazonリンク

* https://amzn.to/3QsaBkl

人間を人間たらしめている能力である好奇心。それを深めることが、人生を豊かにし、また情報化社会で活躍するために必要である、と説く。

オープンさと好奇心

倉下は「開く・開かれている」という概念に興味があります。関心軸の一つと言っていいでしょう。

そして、「閉じているよりは、開いている方がいいだろう」とイノセントに考えております。青年期にインターネットの洗礼を受けた経験があるからに違いありません。『伽藍とバザール』といったお話も大好きです。

一方で、何でも開けっ広げにすればそれでいいだろうとも思っていません。誰しもが、心の内側に篭もれるドアを必要としてるでしょうし、細胞は細胞膜でおおわれていますし、なんといっても「私」は、私という閉じた存在です。「閉じ」というのは必要で、もっと言えばそれが基本的な在り方で、だからこそ逆向きのベクトルを持つ「開く」が有用なのだと言えるのかもしれません。

そんなことを考えていると、そもそもどういう状態であれば「開いている」と言えるのかも面白い問題だと言えます。人間存在は一つの閉じた系ではあるものの、一方で人間の知識は外部の環境とセットで機能するわけですから、そこは開いていると言えます。この閉じと開きの微妙な関係が私の興味をそそるわけです。

今回は二つの本を通じて、その「開いている」を考えてみました。一つは、一つの組織や文化としての「開き」。たとえば、科学は開かれた営みですが、陰謀論は閉じられた試みです。その二つで使われる単語が似ていたとしても、行われている営みはまったく反対の性質を持つのです。

一人の人間の知識や能力や視点は限られている。だから、いろいろな人を集めた方がいい。そして、ただ集めるだけでなく、その中でさまざまな意見交換や能力の習得が行われた方がいい。そういった最近ではごく当たり前のように感じられる──これは私のバイアスでしょう──事柄が、人類の歴史をさかのぼって論証されていきます。

『OPEN』における重要な指摘は、そうした自由な交流や精神が現在盛んに盛り上がっているのは、ほとんど奇跡に近い出来事である、という点です。それはきちんと守っていかないと、簡単に崩れていってしまうものなのです。さらに、その精神性は別段「西洋」と深いつながりがあるわけではない、という指摘も面白いものです。グローバリズムと西洋化を切り離したことで、西洋至上主義とは違った形でその普遍性を浮かび上がらせようとしています。

知的好奇心は育む必要がある

『子どもは40000回質問する』では、そうしたオープンさを個人のマインドセットに見出します。私なりの読み方をすれば、好奇心があるとは、心が開かれている状態です。他者に向けて関心を持ち、外部に向けて関心を持つ。それだけでなく、その対象を自分の内側に招待するような、そんなマインドセットが好奇心です。

そのような状態のとき、私たちの心は「閉じていながらも、開かれている」という不思議な状態に置かれます。自分の底に他人がいて、他人の底に自分がいる。まるで西田幾多郎の哲学です。

おそらく「確固たる自己」というのは、他人をまったく無視するものではなく、他人を視野に入れながらも維持されるアイデンティティが確立されている状態のことなのでしょう。「分人」の考え方を拝借すれば、たとえ誰と会っていても、共通して立ち上がってくる「自分」というものがある状態。それがしなやかなアイデンティティではないかと想像します。

付け加えて言えば、『子どもは40000回質問する』の重要な指摘は知的好奇心は育む必要があり、また基盤となる知識がなければ創造力も思考力もろくに機能してくれない、という点です。言い換えれば、誰かが「自由に」考えられるようになるためには、一定の「押しつけ」(という名の教育)が欠かせないことになります。

これだけみると、あまりにもパタナーリズムな感じがするかもしれません。しかし、たとえば「子どもの自由にさせよう」と思い、周りの大人が一切母国語を教えず(=話さず)、子どもが自分の「言語」を立ち上げるに任せているとしたらどうなるでしょうか。その子どもが、「自由に」考えられるようになるでしょうか。

この点からも、「開く・開かれている」というのがそんなに簡単な話でないことがわかります。

何も手を加えないことが「開く」ではありません。そうではなく、「開かれた状態」に持っていくことが「開く」なのでしょう。ということは、その前段階として「閉じる」ことが必要になります。ここが難しいところです。



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サマリー

彼はオープンさと知的好奇心について話しています。彼はヨハンノルベリ氏の『オープン』とイアン・レズリー氏の『子供は4万回質問する』を紹介しながら、オープンさと好奇心の関係について考えています。また、グローバリズムと自由化についても議論し、オープンな社会がイノベーションを生み出すことにも言及しています。彼は人類の進化を拡散的好奇心から始まり、オープンさを持つことの重要性についても考えました。そして、子どもの場合は拡散的好奇心を持つことから始まり、知的好奇心へと進むことが重要だと説明しました。しかし、現代のインターネット時代では、ミステリー的な好奇心が薄れ、単純な答えのパズルにはまってしまう傾向があることも指摘しています。彼は、より知的好奇心が育まれる必要性や、知的好奇心を育むための基礎的な知識の重要性、ジェネラリストとスペシャリストのバランスを取る姿勢についても考え、知識を蓄えた人が自信を育むことができる点を強調しています。

オープンな世界観
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第46回の本日は、「オープンさと知的好奇心について語ります。」
はい、よろしくお願いします。
はい、お願いします。
えーと、今回はくらしたのターンで、たぶん初めてかな、2冊の本をピックアップして、それぞれの本を紹介しながら、ちょっと考えを進めていけたらなと思ってます。
もうあれですね、面白かった本について語るから、もう一段階進んだ感じになってきたわけですね。
ま、若干そうですね。だから2冊とか3冊とかのテーマで、なんか本を区切るみたいなこともちょっとやっていきたいかなと。
で、えーと、今回紹介するのは2冊本がありまして、1冊目がヨハンノルベリさんのオープンという本。
ニュースピックスパブリッシングから出ている本と、もう1個、子供は4万回質問するというイアン・レズリーさんの本。
これは公文社未来ライブラリーっていって、最近できたレベルから出た本で、オープンさっていうのと知的好奇心っていうものをそれぞれ紹介した本なんですけども、
個人的に何か相通じるものがあるのではないかなと思って、一つの回でまとめて紹介してみます。
オープンな方はタイトルからイメージするに、広いマインドというか開けた心を持って、いろんな物事にあたろうみたいなイメージですよね。
まさにその通りで、もうほぼ直球、その一本筋を通している本で、日本語の副題は開くことができる人、組織、国家だけが生き残ると、結構キャッチーに飾ってますけども、
現代がThe Story of Human Progressって言って、人類の進歩、進歩の歴史みたいな形の、こっちはスマートなタイトルですね。
この著者のヨハン・ノルベリさんっていうのが、その通り進歩っていう本を書かれていて、これはよく言われてるんですけど、人類の現代文明っていうのは良くないみたいなことが言われてるけど、実際はとても良い時代になってきていると、
遥か昔に比べれば良い時代になっているという、ファクトフルネスという本でも語られてましたけど、僕らの時代認識っていうのを改めようということを提言した本で、このオープンはそれに続いて、どういう経緯でその進歩が生まれてきたのかっていうところをちょっと考えてみようかっていう一冊になってますね、関係性で言うと。
もう一個が子供は4万回質問するっていうので、開くに近いけど、もうちょっとこっちから寄っていくようなイメージですよね、それで言うと。
そうですね。好奇心を持って対象と接するということで、これは後ほど紹介しますが、人間のバインドセットの持ち方という点ではオープンと共通していると思います。
そうか、いきなり思うんですけど、確かにオープンな気持ちでいるということと好奇心を持つというのは、結構似たところがあるっていうのがまずヒントというか始まりとして良いですね。
そうですね。僕もこの2つの本を読んでいて、全然違う分野の本ですけど、似てるなと思ったんで、今回共通して取り上げたという感じです。
とりあえずオープンからいきますけども、簡単に目次を行くと、大きく二部立てになってまして、一部がオープン、二部がクローズドという非常にわかりやすい小立てで、
第一部のほうはオープンについて徹底的に研究すると。第二部は、にもかかわらずクローズドなものがあるよねという話をして、じゃあオープンとクローズドどっちなのっていうところに話を持っていくというのが本書の大きな道筋です。
話の流れとして一般的になんですけど、クローズドがこんな風で今オープンはこんな良くなってるぜって言うかと思ったら、順番が逆なんですね。
順番は逆ですね。著者の見立てからすると、基本的に人類がこんなに繁栄している文明を持っているというのはオープンさのおかげだというところがまず一点としてある。これはもう反論の余地はないと思います。
人間、これもよくある人間の二分類なんですけど、2つのタイプがあると。一つが交易者、交易っていうのは貿易する人のことですね、交易者っていうのと、あともう一個は部族人、部族っていうのはトライブですね、トライブの人たちってこと。
つまり交易者っていうのはオープンさを持つことのメタファーで、部族人っていうのは内側に閉じこもるクローズドな人たちのこと。これは異なる集団があるというよりは人間の中にこの2つのマインドセットがあると。だからシステム1とか2とかに近い感じですね。
一人が両方の要素を持っている。
一応注目しているという観点ですね。
おだしょー そうか、個人のレベルではなくて社会というか仕組みがどうなっているか。
っていうところが一応注目にあたりする。だからもちろんオープンな制度のもとにはオープンな人が集まるし、オープンな人はオープンな制度を支持するから、その相関はあるやろうけども、一応本書では個人のレベルというよりは制度とかをどのような制度の性質とか設計が良いのかっていう流度で一応見ていくっていうことです。
オープンな交流とグローバリズム
第1部のオープンが非常にわかりやすいタイトルになっていて、オープンな交流、オープンな文庫、オープンな精神、オープンな社会ってなってて、もうこれもざっといきますけど、オープンな交流っていうのはやりとり、さっき言ったこの交易とかがあるかどうかということで。
一つ象徴的な例として、タスマニア層と近くにあったなんとかと、ちょっと名前忘れましたけど、非常にスタート地点は文化的に握ってたんですけど、片方は他と交流して、片方は全然交流しなかった。
10数年後どうなったかっていうと、片方は非常に活気よく発展していったが、もう1個は全然ダメだったという、ある種の比較対象実験、社会的な比較対象実験があって、やっぱりそれを具体的な証拠と言うんではないんですけど、オープンさって重要だよねっていう例示がなされていると。
だから交流することで、もう交流というか経済活動の種ですよね。物事とかを交換することで技術とか自分のその土地に得意なことを生産して、他から文化と交換することでうまいことやっていけるっていうのはもう改めて説明するまでもないと思います。
ここがまずオープンな交流で、オープンな文庫っていうのは人の移動ですね。簡単に移民をどれだけ受け入れるか。逆にクローズドな文庫っていうのは異質な人を排斥する集団ということですね。いくつかそういう国のイメージはあると思いますけども、当然これもオープンに人を開いていく、移民が多いところほど発展すると。
その2つを受けて、第3章がオープンな精神。オープンな精神っていうのは複数主義ということで、いわゆる絶対的な真理があり、それ以外は認めないという態度とかマインド説得のことですね。
宗教とかは一般的にそういうのも強そうですよね。
でもそれと違う証拠が提出されたら、それを受け入れて考え方そのものがアップデートしていく。つまり、科学っていうのはオープンエンドなわけですね。絶対に閉じない。閉じたら科学ではないわけで、そのオープンな精神がまさに現代技術、科学っていうのを作っていったと。
そうか。科学の発展っていう言い方をしたら、もう完全に科学とオープンがつながったらオープンであることがいかに大事かっていうのが、現代の発展と直結しまくってますね。
だからもう閉じたら科学じゃないわけで。閉じたら科学じゃないってことは要するに、病気を治すときに昼で血を吸わせることをいつまでも正当化する社会なわけですから。
だから科学的な発展っていうのは常にオープンとセットになっていると。で、この手のこういう話で人の交流とか技術とか情報が世界中に行き渡る、交流し合うっていうのはいわゆるグローバル化じゃないですか。グローバリズムじゃないですか。
で、この本の観点で面白いのはグローバル化っていうのは、僕らの認識で言うと西洋化っていうものと、東洋と西洋の制度ですね。西洋化っていうのとセットになってますけど、それは実は違うんだと。
西洋からグローバル、つまり自由主義が発展したのはたまたまであって、もしかしたら中国がその起点になってたかもしれない。だからグローバル化っていうのは西洋化の得意分野あるいは千倍特許ではないと。それとはまた別なのだと。
だから僕らグローバリズムを批判するときに、例えばアメリカ文化のセットで批判したくなりますけど、それは違うんだと。アメリカ文化を否定してもいいけど、グローバリズムはそれとは別の文脈にあるんだということを指摘しているのがちょっと面白かったですね。
そうか、イメージとして大航海時代みたいなやつがあって、あの頃にヨーロッパが世界中に乗り出していっているから、余計強く結びつくんですよね。あっちこっちの人と交流をし始めたのが、西洋が最初というか強かった。
もしある時代の中国が、例えば火薬とか発明した時代の中国がそのままのマインドセットを持っていたら、多分その中国の文化が世界中に広がってその相互作用が起きて、文化の中心点出発点がイギリスの産業革命じゃなくて中国にもなってた可能性は十分あるだろうということを本書は言ってますね。
個人的には一カ国ではそれは起こりえなかったような気はするんですけど、面白いですね。
だから、ヨーロッパがたまたま成功した理由として、ゴルゴさんがおっしゃられたようにいろんな国がたくさんあったからっていうのも挙げられてるんですけど、だから中国のオープンさがそういう日本みたいにアメリカみたいに州ごとに区切られてて、それぞれに法治を持ってたとしたら多分似たようなことになってる。
西洋のマインドセットが支配的というわけではなくて、自由化するっていうのはそれとは別にあるというところですね。要するに。だから基本的に人類の進歩は、グローバリズムと自由化っていうのは、西洋化というのとは別の文脈で人々の技術、オープンマインドを持つ人の心が発揮されているという見立てかな。おそらくは。
そういう今開かれた社会で、オープンな社会っていうのがイノベーションとかを呼び起こせる。要するにオープンな社会の反対、クローズドっていうのは統一的な、人の意思によって統一するというやり方ではイノベーションは起きない。
共産主義とかは、社会主義とかはまさにそれで失敗してて。中国が現状すごくうまくいってるのは、半分開放してるからですよね、あれ。
経済はその閉じることを半分やめましたよね。
だからもう中国が一番証明してるわけですよね。開くことの強さっていうところを半分閉じて半分開いて、開いてる方はすごくうまくいってるというところで、やっぱり開くことが重要だと。
グローバリズムによって例えば人の交流が盛んになって、例えば現状のコロナっていうのが世界中に広がったという問題はもちろんあるんですけど、でも逆に言うとおそらく人類史上これぐらいの速度で解決策が生み出された時代は多分なかったと思うんですよね。
当初の見込みよりもだいぶ早かったですよね。最初なんか2年ぐらいワクチン作るのかかんじゃねえとかっていうようなことも言われていたし。
だからもちろん問題は起きるけど、実は問題を起きる以上の速度での解決が生まれると。だからここがこのポイントでオープンな社会っていうのは問題がないわけじゃないんですね。問題が5起きるとしたら解決を10生むからより良くなるっていう感じなんです。
逆にクローズドな社会っていうのは問題を潰そうとするわけですね。問題をゼロに近づけようとする。だから解決策はいらないみたいな、そういう感じなんですね。
と停滞してしまいそうなイメージは簡単に想像できる。
この違いが結構重要で、後半がとりあえずオープンなものがイノベーションを持っていくっていうのが第一部で定々的に議論されていて、これはもうおおむね現在社会で生きてたらおそらくはそうだろうと。
クローズドな社会と敵対関係
僕らは閉じた社会のIRさっていうのを知ってるんで、これは納得なんですけど。後半の第二部ですね、クローズドにもかかわらず、全てがオープンにはなってない。
クローズドなものはまだあるし、その力学はどうなっているのかということで、さっき言った部族主義っていうのが大きくて。
要するに敵と味方を作りがちになるのも僕ら人間の性質の一つじゃないですか。
あいつらと僕たちっていうのを分けて、要するに人間っていうこの性質、つまり協力体制を簡単に構築できる社会的動物としての人間の性質っていうのは、大胆にして敵と対峙するためによく発揮されると。
要するに構図が2段階で、敵と味方を分けて味方の中で一致団結する。そこの中は非常にオープンに情報が交流するけども、そこの枠組みの外では敵対関係が生まれてしまうっていう関係があると。
つい最近まで世界中でもアメリカ対ソ連みたいな感じで、敵がいたからうまくいっていたっていうのはあったんですよね、そういえば。
おだしょー うん。どこでもこれは見られるところで、僕らが2つの性質を持つからこれはある程度避けがたいとは思うんですけど、著者はここでこの線引き、例えば敵と味方っていう線引きって指示的なものでしかないと。
しかも結構簡単に変えられるっていう実験をいろいろしてまして、例えばユニフォームを同じユニフォームを着てるだけでこの人たちは味方と感じる。
おだしょー 分かる気がする。
たとえばアメリカで学校で普通に大学生を集めるとしますよね。それと大抵肌の違いで俺たちと奴らが別れるわけですね、大抵の場合は。
でもそれをその線引きをランダムにしてその同じユニフォームを着せると、今までの敵と味方、俺と奴らと俺がっていうのが急に変わる。
あいつらは敵と味方、今まで敵と思ってた人たちがこっち側になり味方と思ってた人たちが向こうに行くっていうことになってしまう。
好奇心の重要性
つまり固定的でもないし、ある一つの性質だけにしか反応しないものではないと著者は言うと。
ある一つしか反応しないではないっていうのはそうか、そうですね。
だからコントロールっていうのは言い過ぎですけど、絶対的ではない以上変えていけると、僕らが二分するこの性質っていうのは変化していけるものだというのが一つの希望として語られています。
たしかにユニフォームみたいなやつとかは思うし、そうやって考えると、日本だと中学高校なんかは一般的に制服があって割と一体感強めな印象はあるけど、大学生になって制服なくなると、なんか途端に自由な感じしましたからね。
この線引きが簡単に変わってしまうからこそ、これは僕の仮説ですけど、要するに軍隊っていうのは徹底的に訓練するんだろうなと思うんですよ。
そこまで敵っていう観点を叩き込まない限り、人間っていうのはうっすら線を簡単に越えてしまうんだろうなと。
俺たちと奴らっていう線を簡単に越えてしまうから、軍隊っていうのは敵味方の訓練を区別することをかなり徹底的に仕掛かれるし、しかも軍隊の場合は5,6人のチームで視線をくぐり抜けることで、仲間への共同意識っていうのを行動力に変えているわけ。これもどっかの話ししましたね。
【佐藤】ルトガープレグマンのやつとかですよね。仲間のために人を殺す、自分のためには人を殺せないみたいな話が出てきた気がする。
根源的に僕らは他人を思って行動するっていうところがあるっていうところは希望で、あとは線引きを変えたりとか緩くしたりってすることが可能であるというのが、奴らと俺たちという章で。その後の章ではゼロサムっていう話があって、防疫とかの話になると赤字防疫とかっていう話があって、
こっちの国が得して損するみたいな話があるから、やめようみたいな話があるわけですけど。ゼロサム、例えば技術交換とかが行われたりして、地球文明が前に進むっていうことは、これゼロサムじゃないわけですね。ゼロプラス、プラスサムかなわけですね、要するに。
だから僕らは短期的に見て、例えば防疫で損してるように見えても、周り回って例えば何かがすごく安く変えたりしてるわけですね。輸入とかによって。だから見えてないプラスがあるにもかかわらず、そこが見えないとゼロサムに感じてしまう。ゼロサムに感じると、取った取られ、取る取られないみたいな争いになるわけですね。そうすると、奴らと俺たちっていう意識が出やすいと。
これに関しては、著者はすごいはっきりと知識の問題だと、そういうこと知ってるかどうかっていう話をしてて、ここは割と同情ないんですけど。3つ目の将来の不安っていうのが多分一番大きくて、オープンな社会っていうのは基本的に変化していく社会なんですね。当然のように、さっきも言ったように。
おだしょー 新しいものを受け入れるので、新しいものがどんどんやってくる。当然変わっていく。
僕が今やってる仕事も、来年どうなるかわからないし、5年後なんかもっとどうなってるかわからない。それは仕事だけにかかわらず、文化とか生き方とかに普遍して言える。っていう時に、その変化を恐れる気持ちっていうのは当然生まれてきますよね。
もっと具体的に例えば、昔鉄工業をやってた人はエンジンオイルとかはイノベーションはやめてほしかったわけですよね。それをどう考えても。普通に船で荷物運んでた人は、多分コンテナは使いたくなかったと思うんですよ。きっと。
おだしょー 任意寄付の人たちですね。船に荷物を積み込む人たち。
こういう将来の変化が訪れる、安定が崩れるセットっていうのを、イノベーションは必ず引き寄せるから、必ずクローズドな人たちから反対されるんですね。だからイノベーションっていうのは、人間がこの2つの性質を持ってる以上、基本的には攻撃される立場にあり、もっと言ったら潰される立場にあると。
おだしょー それは変えられないってことですかね。人間が人間である限りは。
少なくともここまで歩んできて、イノベーションを普通にやってる限りではそうやと。だから、むしろ僕たちの人類で、ほとんどイノベーションの目っていうのは、クローズドな人たち、派閥によって潰されてきたと。
でも、たまたまイギリスの産業革命から生まれた自由主義は、ヨーロッパの官僚主義がちょっとしょぼかったから、支配しきれなかったと。で、生き延びてしまって、今までなんとか生き延びていると。だから、たまたまの勝利だと、著者は言うんですね。だから、これは守っていかなければならないものだと言いたいわけです、著者は。
ほっといたらほとんどの場合は、イノベーションは成功しないはずだと。そういう意味で言うと悲観的なんですね。
そうそうそう。逆に言うと、僕らが何もしなくても自由主義っていうのは生き残れると思ってたら大間違いだぞと言いたいわけですね。
今の現状、社会は奇跡的に運良く成り立っている。
すごく奇跡的に成り立って、今んとこは成立してるけど、この天秤はいつ崩れてもおかしくないものだと。僕らの人間性が常にオープンなマインドしか持ってなかったら、これはいいんでしょうけど、そうじゃなくて、オープンとクローズの両方があって、不安的なものっていうのは常にクローズなものを呼び起こすと。ニュースメディアっていうのは常に不安を呼び起こすメディアじゃないですか。
それが商売になる。
あんなのを見てたら、常に僕たちはオープンを潰そうというマネージェントが吐き込まれるわけですね。社会の全体的にオープンっていうのが潰れやすくて、クローズがプラスにしやすいっていう、対称じゃなくて非対称な力関係にあることを理解した上で、オープンなものを守っていく必要があるということが、全体を通して著者が言いたいことですね。
っていうと、不安がイノベーションを潰そうとするということは、逆に言えば社会が前向きで明るい時代だと、イノベーションは起こりやすいとも言えるってことですよね。
はい、と思います。一番最後に少しだけ書いてあるんですけども、不安な行動や部族主義が起きやすいのはあるとして、逆にさっき言われたように、安心とか自尊心が高まっている人っていうのはむしろ個人主義を認めやすいらしいんですよね。
例えばロマン主義と呼ばれる人、いわゆるヒーロー的なものとかを崇める感じが好きな人って結構個人主義を認めやすい。
そうなんだ、逆だと思った。
自分と異なる人とかを認める寛容性も高まりやすい。だから、自分に力があると感じてるっていうことですね、この場合のロマン主義っていうのは。
俺は何か成せると思ってる人とか自尊心があるっていうのは、言ったら他の人の情報によって自覚が攻撃されないわけですね。
自信があるから安心できるのか。
そうそうそう。だから脅かされにくいアイデンティティを持っている人は個人主義を認めやすいし、許容しやすい。
思うふうに日本で、許容がある人っていうのはこういう人のことを言うんじゃないかなと思うんですよね。
だいたい許容がある人は自由主義、個人主義を認めますけど、それは知識があるからというよりは知識を学んできた経験が自信になって、
その人はちょっとやそっとじゃ自分っていう概念が崩れないから、例えば極端な意見を聞いたとしても敵対的な行動に出にくいっていう仮説が、
今ちょっとこれ本読んでて思ったんですけど、そういうことがあるんではないかと。
だから制度が大きく変えられるか変えられないか別としても、僕らがそのオープンさを保つにはある種の自尊心を持つこと、
自分が何かできると思うことを身につけることではないかなというところが本書を読んで思ったところです。
ド直球な感じですね、この本全般的に。
非常にひねりのないまっすぐな本で、ある部分常識的なところもありつつも、
オープンさがそんなに万弱ではない、むしろ攻撃されて潰されやすいという認識は結構大切かなと思いますね。
それは思ってなかった、そんな歴史は必然だみたいなのではないけど、それに近い、
割と自然に生まれたものぐらいのイメージで思ってましたね、現代に至った産業革命が起こったことなんかも。
たとえばインターネットとかでも人の集まりを作ったとして、そこのやり取りがオープンになされるのって自然にはいかないんですね、やっぱりあれは。
心理的安全性という言葉がありますけど、何か配慮して初めて発揮されるものなんですよね、やっぱり。
行ったらいいよっていう空気が作られるから言えるようになる。
だからそういう自由さっていうのはやっぱり自然にはできなくて、ある装置とか制度が支えてくれる。
これは結局そこにいる個々人の人の心が影響してるからですよね、要するに。
だから自由は自然に、変な言葉ですけど自由は自然な状況ではないっていうところが改めて考えてみる必要がありますし、
その上でさっきも言ったように自由を肯定できる人、個人主義や自由を肯定できる人っていうのが脅かされないアイディティを持っている人であるならば、
僕たちがこうやって何かを学んでそれなりにわかった知識を獲得できたって思えるってことはオープン性につながっている。
勉強はオープンにつながるみたいな言い方もできるのかなと思います。
そうですね。なんとなくだけど、学んでいる人というのはオープンだと。
学ぶ心があるというのがオープンな心がないとできないような気もするし。
学ぼうとする時点である程度確立されたアイディティがあって、それが学ぶこととのフィードバックを繰り返していくうちに、
だんだん脅かされにくいものが出来上がっていくっていう流れなのかもしれないですね。
学ぶことを受け入れられるっていう時点でやっぱり変わろうと思ってなかったら、学校で何か教えられても学ばないですよね。
確かに。ちょっと窓が開いてるのは確かですよね、その時点で。
っていうと学ぶことよりも学ぼうと思うことが必要だけど、じゃあそうするためには何をすればいいのか。
というわけで2冊目。2冊目が子供は4万回質問するというとこで。
副題があなたの人生を作る好奇心の驚くべき力。著者がイアン・レズリーさんと。
イアン・レズリーさんっていうのは、第何回かちょっと忘れましたが、前に紹介した。
コンフリクテッド。
コンフリクテッドを書いた人の本で、順番的にはコンフリクテッドが2冊目でこっちが1冊目ですね。
順番が逆です。紹介する順番は逆ですけど、これ文言文化されてるんで順番がこのようになってます。
現代がキュリオスか好奇心。
The desire to know and why your future depends on it.
あなたの未来は何をかという知識で決まっている。
知識と知りたいとなぜによってあなたの未来は決まっている。
要するに好奇心が未来に与える影響ということですね。
オープンはさっき言った、全体的に精度のオープン性の話でしたけども、こっちはもう個人の心の話です。
非常に簡単な話で、すごく頭のいいチンパンジーとかいるじゃないですか。
テレビとかでよく出てくる道具とかを使ったりとか、人の命令を聞いたりするチンパンジーとか。
反省するやつとか。
どこまで彼らが賢くてもやらないことがあって、それはなぜですかって聞かないっていうやつですね。
個人の心の役割
それは言語を持ってないからというよりは。
けど仮にしゃべるやつとしても理由を多分問うことはしない。
あるいはどうやってるんですかとかも聞かないきっと。
彼らは例えば模倣するのはすごくうまいですね。
人がやってるのとか、人じゃなくて他者がやってるのを身を見真似する力は激しい。
とても上手なんですけど。
例えばそれってどうやってるんですかとは多分聞かないんですね。
そういう質問っていうことをおそらくは人間以外はしないだろうと。
人間は質問する動物だというところ。
この質問なぜだろうとかどうやってるんですかっていうことを聞く気持ちが、ある種人間を人間たらしめてると。
こういうのを好奇心。
好奇心が人間が他の動物との違いであるというのがまず本書の出発点ですね。
なんかどこでそうなったんでしょうね。
全くわからないですけど。
なんかその前回の人類の進化みたいな話で、そうなるタイミングってどっかにあったんかなと思って。
おそらくあったんでしょうねきっと。
なんか火をつかわからんな、想像できないな。
どう繋がるのかがどこかで他が持ってないってことは割と早い段階で獲得してるってことですよね。
他の種が獲得する前に。
おそらくそうですね。
僕らはこの本のタイトルなんですけど幼児の子供の頃、言葉を覚え始めた段階から質問するじゃないですか。
だから文化的なものよりはもうちょっと何か影響はあるんでしょうけども。
本能ですよね多分。
でも例えば誰にも育てられなかった子供は多分質問しないかな。
この本の内容に関係はするんで後から出てきますけど。
とりあえず本章の一番のポイントはその好奇心を。
好奇心は人類は持ってるけども、好奇心を育てるには労力、手間が必要だというところが一番のポイントです。
勝手に育つわけじゃないんだ。
本章では好奇心を3つ分類してて。
まず拡散的好奇心。拡散的って広がっていくですね。
これは新しいものが出てきたら目をそちらに向けるようなタイプの好奇心。
好奇心の種類
僕らがソーシャルメディアで刺激されてる好奇心がこれですね。
ちょっと気になるみたいなイメージですか?
これがきっかけとはなるけども、これは非常に浅い好奇心だと。
それよりももっと深く入り込むのが知的好奇心っていう2種類目の好奇心。
これは対象についてもっともっと詳しく知りたいと思って情報を集めたりとかしていく。
いわゆるマニアを作る心ですね。知的好奇心というのが。
3つ目が共感的好奇心って言ってるんですよ。他人に向ける好奇心。他の人に向ける好奇心。
あの人はどういう気持ちなんだろうとか、どういうふうにしてそれをしたんだろうみたいな思いを持つことが共感的好奇心。
この3種類の好奇心があって、拡散的好奇心はたぶん子供もともと持ってるもので、
いろんな好奇心のスタート地点になるけど、それだけでは力が弱いだろうというところで知的好奇心に至ろうというのが本書が目指すところです。
知的好奇心を育てて育んでいこうというのが大事なんじゃないかというか、そういう感じなのかな。
よく言われますけど、人間というのは他の動物に比べて非常に未熟な状態で生まれてくると。
脳科学の話にもよく出てきますけど、そういう状態から生まれて、そこから学習して環境に適応していくという大切な性質になっていると。
この学習っていうのは基本的に適応のために行われるわけですから、どうやって学ぶかというと環境から学ぶわけですね。
環境っていうのは住んでる家とか気候であったりもするし、育ててる人とかもあるじゃないですか。
やっぱり子供がたくさん質問するっていうことはあっても、環境によって違うらしいですわ。
やっぱり親が問いかけたり答えたりする環境の方が、これはとても当然のようですけど、やっぱり質問する数は増えるらしいんですね。
めっちゃ普通だけどやっぱそうなんだってことなんですね。
だから子供が単独で質問をすごくするわけではない。
あるいはスタートしたら質問するかもしれないけど、対応者とのコミュニケーションによって増えたり減ったりしていくと。
質問するっていうのは案外難しくて、まず自分が知っていないことがあることをまず知らなければならない。
一番難しいことですよね、よく言われる。何を知らないかが分かっていないと知りようがない。知ろうと思えない。
次に様々な可能性を想像するとあって、つまりAだったら必ずBみたいなことだったら質問しなくていいわけで、
Bじゃないのかもしれないっていうイメージがあるからどうなのって聞くっていうこと。
色んな可能性があると思えるから質問すると。
うーん、自分で勝手に決めつけない。
最後に他人から学ぶ聞くことがあると知るってあるんですけど、
質問するってことは相手が答えを知っていると思わなければならないわけですね。
僕らこれ当たり前にやってますけど、案外これ難しいことなんですよ。
つまりさっきのサルの場合はおそらく質問し、これどれもないんですけど、
自分が欲してる答えを対象が答えられるかどうかっていう概念が多分ないはずなんですね。
そこに興味なさそうなイメージはありますよね。
他人から学ぶというのはそういう意味ですごくなさそう。
だから僕らはよく他人に心というものがあって、
その心が自分と同じように動いているというメンタルモデルがあるわけで、
それがあるから初めて質問できるんですよね。
考えてみると、言われているとそうやなと思うんですけど、
だから質問するっていうのはある種の技能だと本書では言ってるんですけど、
確かにそうですね。これは磨かれる技能ですね。
違う話だけど、セミナーとかそういうところで何か質問ありますかって言って質問するのって、
結構技術がないとできないですよね。
人類の好奇心の変遷
確かに。
大抵の場合、質問されませんもんね、あんまり。
それは質問させる側の技術もいるし、する側の技術もいるけど、
何が分かんないか、何が気になったかに気が付けて言語化できて聞くことができるだから相当難しいですよね。
だから子ども自体に質問の訓練をしておくのは結構優位だし、
それが好奇心を育てるために一つ必要なことだと。
僕らはもうどうしようもないですけど、もしお子さんと接する場合は、
子どもの質問を簡単にけらないほうがいいですね。
特に子どもが面白いのによって、
自分にとってその情報が必要かどうかっていうのを考えなし、
つまり要不要関係なしに質問するじゃないですか。
文脈も何も関係なしに思いつきですよね。
それがやっぱり広い意味での学習で一番重要なことですよね。
関係があることしか質問しなかったら幅は狭くなってくるんで、
そういうマインドセットは大人でも使えるかなというところ。
本書の面白いところの一つが、謎疑問というかわからないこと、
これから解くべきものっていうものを2種類に分けてまして、
一つがパズル、もう一つがミステリーで、
これは文脈にそのままメタファーなんで、
実際のパズルとミステリーに合致するわけじゃないですけど、
パズルっていうのは決まってる答えを導き出す、はい終わりっていうタイプ。
ミステリーっていうのはいくらでも他の可能性があるようなものをミステリーと。
逆にそれを考えれば考えるほどもっと考えたいことが増えていくタイプのものがミステリーと。
例えばパズルは非常にわかりやすくて、数学の計算式の答えを出すのはパズルですけど、
ミステリーっていうのは、例えばなぜなんだろうって考える場合って大抵ミステリーですね。
その答えが一つに定まるわけもなく。
あとは逆に哲学の質問は大抵もミステリーですね。
おだしょー ミステリーですね。全部がミステリーと言えるのか。
大平 美しいとは何かっていう問いって、
例えば哲学に慣れてる人が美しいとは何かって考えるときって、
パズル的には考えないですよね。
例えば辞書を引いて辞書に後悔立ったから終わりとはしないですよね。
おだしょー もう一段階質問を絞り込まないといけない。
大平 逆にその分野で有名な哲学者が美しいとは何かを定義したと、
それを暗記して終わりっていうのはパズルになりますけど、
ミステリーっていうのはそこから考えますよねきっと。
それを出発点として何かを考え始めますよね。
だから知的好奇心に向かい、好奇心を広げやすいのはミステリー的捉え方やと。
ここが一つポイントで。
調査が最終的に言いたいのはミステリー的な捉え方が
現代で薄まっているんじゃないかなということが言いたいわけなんですけども、
それをするために結構大きな話をしてまして、
人類の歴史を好奇心の三つの時代というふうに線引きしてます。
最初が権威失追の時代、2番目が問いかけの時代、3番目が回答の時代なんですけど、
権威失追の時代というのは古代ですね古代ギリシャ。
古代ギリシャの好奇心というのは哲学者が抱いてたもので、
奴隷じゃない人が考え事をするためのもの。
つまり実利のためではないものが好奇心やったと。
それから中世に行くとキリスト教が体制を占めるわけですけど、
そこでは考えたらあかんことがあるわけですね。
神を信じなさい。神が正しいのです。
そこになぜ僕らは神を信じてるんだろうとか言って考えると罪深いことになってしまう。
つまりこの時点で好奇心というものの権威が失追してしまったと。
ルネッサンスになって初めて権威というのが回復したっていう。
当然ルネッサンス時代というのはいろんなことを考えた時代なんで、
いろんなものの好奇心を広げた時代から権威が回復したと。
古代中世ルネッサンスの流れがまず著者の分類の一つ目。
その好奇心というものが一時落ち込んでからルネッサンスでもう一回戻ってきた。
それが第一区分。第二区分が問いかけの時代で、これは要するに啓蒙時代ですね。
考えなさいと。一人一人考えなさいと。
いろんなことの知識に興味を持ちなさいということが言われ始めたと。
この時代が面白いんですけど、これもよく言われることなんですけど、
文学っていうのが出てきて、啓蒙時代やから本とかも手に入りやすくなった時代じゃないですか。
で、文学が個人に読まれると、これ何が起こるかって言うとね、共感が起こるんですよね。
つまり文学っていうのは、例えば一人称で語られれば、
一人の人間がどんなふうに考えたかが語られてて、
読者がそれを読むことで自分をそれに重ねるわけですよね。
他者が自分になり自分が他者になる。
ここで初めて他者への共感っていうものが育まれていったっていうことがよく言われてます。
ゲイテが若きベルテルの悩みを書いたら、
その時期に自殺する人が増えまくって、社会問題になったみたいなのもありましたよね。
変な共感、共感の間違ったじゃないですけど、悪影響みたいなやつですね、要するに。
だからそれまでの時代は他人は他人としてあるけども、
心の中がこんなふうになってるっていうイマジネーションはあんまりなかったけど、
この時代、こういう時代から初めてそういう共感が生まれ出したと。
当然そうなると、他の人ってどう考えてるんだろうっていうところがだんだん気になってくるっていう点があったと。
言われてみると、すごいですね。
そういえばなんだけど、それ以前に個人がどういうことを感じてどうしたかなっていう話って存在してないですよね。
神がどうしてたとかっていう神話しかないですもんね。
だから啓蒙時代から個人主義が生まれて、個人主義が文学を作ってっていうふうに多分時代が流れているんでしょう、きっと。
そうか、昔の人はそういう他人がこういうことに悩んだみたいなのも物語として体験したりは全くしてないってことなんですよね。
だから基本的に集団としての一員を育む文化ばっかりだったはずで。
そうか、考えたことなかったかもな。今時のドラマで名台詞がみんなに真似されるみたいなそういうことも起こらないってことですよね。
そうですね。だからこの時代から多分人類が持つ敵国心というのが非常に広がっていった。もう一個都市、都市か、英語で何て言うかわからんが、人がたくさん集まる場所なんですね。
都市っていうのは村と違って、職種とか人種が異なる人がたくさん集まり始めたと。そこでセレンディピティっていうのが生まれやすかったと著者は言うんですけど、要するに見たことがない人が目の前に現れると、好奇心が刺激されるわけですね、当然のように。
新しい体験が多い。
出てくるっていうことで、文学と都市、啓蒙時代合わせてこの時代が多分一番盛んに好奇心が盛り上がっていたと。ここの二つの群を超えて、現代が回答の時代、答えですね、アンサーの時代でインターネットが挙げられてると。
インターネットは様々な情報の答えをくれるけれども、果たしてそれを好奇心を育んでいるかっていうと、だいぶ怪しいんじゃないかと。
ああ、パズルしかない。
そういうこと、そういうことです。ミステリーではなくパズル。もっと言ったらパズルですらない。単純な答えがそこにあるっていう。考えることすらも面白くて答え見たら終わりみたいなことになっているのが、現代ではないかと。ここの話と、さっきのパズルとミステリーが繋がるわけですね。
そりゃ好奇心なんて持たないというか、そんな調べりゃわかるでしょって思って調べなくすらなってしまう。
うん、これでは好奇心が育みようはないと。だから、情報が圧倒的に手に入るけども好奇心が育まれていないという、この現代に問題を感じておられるのが著者であると。
ちょっと忘れてしまったんですけど、好奇心はそもそも何で重要とかっていうのは出てきてましたっけ。
好奇心がその人の知識をより深めたり、有効に使うために重要だということは、僕冒頭で言ってないですけど言われてますね。だから知的好奇心までいくと、知識とかをよりうまく使っていけるようになる。あるいは活かせるようになると。
で、拡散的好奇心の段階ではそこまでは至れないと。むしろ生半可な知識だけで物事をやってしまうので危ないと。例えばアメリカの例で言うと、子供が銃に興味を持って引き出しになる銃を撃ってしまうみたいなのは危ないけど、後々そのことで銃に興味を持った子供が専門家になってそれで仕事をするようになったっていう話があったんですけども、語られてたんですけど。
だから現代において、例えばある人のナレッジウォークをしようと思ったら、拡散的好奇心では弱くて知的好奇心までいかないとダメだよねっていう話ですね。
おだしょー インターネットを手にしてしまったら、知的好奇心というものが育まれづらい時代になってしまって、そういう現代のお仕事をするにあたっても不都合が多いのではないかという感じですかね。
知識教育は好奇心駆動の前提となる
おだしょー はい。その辺が大部分を締めてまして、もう1個女性なりの問題提起なんですけど、好奇心っていうのを大きく掲げてるんで、好奇心駆動型の教育っていうものを肯定するかと思いきや、
好奇心駆動型の教育っていうのは、確率的には知識教育するんじゃなくて、子どもたちが興味を持ったことを自由にさせましょうっていうタイプの教育スタイルのことなんですけど、これは良くないと述べてるんですね。
おだしょー 一般的には反対にいきそうな。
おだしょー 自分、好奇心っていうのを持つためには、何も知らないものは好奇心持てないですね。そもそも関心がないわけで、知らないし。何かちょっと知ってるけども、全部知ってるわけじゃないところぐらいから始まるわけですね、好奇心っていうのは。だから最低限の知識を教えられない人は、好奇心を持てる対象が非常に狭くなってしまうと。
おだしょー から、学校教育はそっちをやれと。
おだしょー 知識をちゃんと教えたほうがいいっていう、すごい保守的なことなんですけど。でも、自分が好奇心を持つ対象っていうのを考えてみたときに、やっぱり全然知らないことは好奇心を持たないわけですから。
おだしょー 好奇心駆動を本来重視するんやったら、好奇心を育むための基礎的な知識を教えるべきだと、著者は言ってて。これは確かになと思いました。
おだしょー 好奇心を駆動させるための前提を教えてあげないと、好奇心が駆動しないってことですよね。
おだしょー 駆動しない。最初に言うと、好奇心っていうのは育む必要があると。育てるには労力が必要で、子供の時代の場合は知識を教えることだし、大人になったらその対象について自分で情報を探しまったりとか、
僕らで言うと読書メモを自分で書いたりすることによって、初めて知的好奇心が膨らんでいくと。こういうテマとか基礎っていうのを抜かさないって言ってるところが、今章の面白いところです。
おだしょー 思い出したんですけど、雑魚の話とかで学校教育の意義みたいなのが似たようなことを言ってたような気がしたんですけど。
おだしょー 確かに。それ近いんじゃないですかね。
おだしょー 普通を知ることみたいなやつか。
知識を持つことは好奇心の拡大につながる
おだしょー そういうのに近いですね。そもそも好奇心っていうものが育まれるものであったら、例えば10年後から10年前振り返ったときに、今の好奇心を形作ったものがその時点でわかったかというと、多分わからないと思うんですよ。
おだしょー 自然成仏ですね。点がつながる。
おだしょー だからそこはあんまり前もって選別はしないほうが、おそらくは良いんでしょう。これは子どもだけじゃなくて大人についても言えることだと思いますね。
おだしょー 例えば大人が独学をする場合に、とはいえ興味を持つことしか学ぼうとできないから、興味を持つためのスタートとなる知識が若い頃にいかに学べているかなとか。
おだしょー 大人になったら入門書とか漫画とかで何か興味の引っ掛けになるものを自分から探しに行かないとダメっていうことですね。
おだしょー 強制的に学ばせられないので、自分である程度あんまり興味ないけどもちょっと読んでみようかなっていうよっこい性を持たないと、やっぱり好奇心って対象に狭く留まってしまうんじゃないかなと思いますけど。
おだしょー さらにそこもやっぱり解像度が上がってないと同じ漫画を読んでもたぶん気づかないとかスルーしてしまうってなってしまいますよね。漫画にしても何でもいいんだけど。からやっぱり基礎を学べということなのか。
おだしょー 基礎的な知識を軽んじてはいけない。しかもその知識が外にあったらいいわけじゃなくて、どの中に入っていることが重要だと著者は言ってますね。
おだしょー それはそうですね。検索すると遅いですからね。単純に。考えるに組み込まれないですもんね。
おだしょー そうそうそう。発想にも組み込まれないし、比較対象とかにも組み込まれないから、なぜこうなってるんだろうと考えることもできないし、だからやっぱり覚えることが必要だと。
おだしょー 最後にノウハウ本っぽく、好奇心を持ち続ける7つの方向というのが書かれてまして、ざっといきますけど、まず成功にアグラをかかないと書かれてまして、自己啓発丸出しの話なんですけど。
結局、自分が成功してうまいこといく領域に留まらないということですね。自分がやってない、まだやってないことあるいはちょっと不得意に感じるような領域の外に目を向けましょうというのが第一の提案。
二つ目が自分の中に知識のデータベースを構築すると。僕らがずっとやってることですね。単に知ってるというだけじゃなくて、ちゃんとその知識を関連付けたり体系化してまとめて使えるようにしましょうというのが二つ目。
三つ目がキツネハリネズミのように探し回るという、ちょっとややこしいんですけど、キツネとハリネズミっていう例えがよく出てくるんですけど、ご存知ですか?
なんか全く知らないですね。
よく出てくるんですけど、キツネっていうのは多くのことを知っている。ハリネズミは大事なことを知っている。つまり、ジェネラリストとスペシャリストの比喩としてよく使われますね。
西洋の像は何でも覚えているみたいな、そういうイメージがある動物ってことなんですかね。
そうですね。アルキロコスという詩人が言った、読んだ言葉なんかわかりませんけど、キツネはジェネラリストでハリネズミはスペシャリストを意味するんですけど、この三つ目の定言はキツネハリネズミのように探し回る。つまり両方だと。
ジェネラリストもスペシャリストも両方目指しましょう。どっちかになったらあかんと。どっちかに決めつけてしまったらいかん。
T型モデルというのがよく言われるんですけど、横棒がジェネラルがあって、縦棒がスペシャル。だから、ある程度一般的な知識を揃えつつも、ある分野だけはマニアックに学びましょうということですね、これは。
知識と行動の統合が知的好奇心を育む
だから、マニアックなことだけ知っている人ではちょっと弱いと。マニアックプラスある程度の普遍的一般的知識を学びましょうということが言われております。これはでもその通りでしょうね、きっと。
おだしょー まあ、その知識がある、教養があるみたいな言い方をしたらやっぱりそうですよね。一般的には。
ジェネラリスト 横を書いては不安定だし、縦がないと深みがないということで。だから、本を読むときも。
おだしょー 掛け算をしてゼロになったらダメだよな。
ジェネラリスト そうですね、そういうことですね。本を読むときも得意分野プラス一般教養というと簡単ですけど、的なものにも手を出そうという話になりますね。
おだしょー これが3つ目。4つ目が、なぜかと深く問うとあって、要するになぜか考えましょうと。
その修辞疑問でなぜって問うんじゃなくて、それって真の真剣な興味を持って、それってなぜなんだろうかと考える。
答えを決めつけるというよりは、仮説を立てるっていうのが近いですね。
これ何でもいいんですけど、近所の喫茶店が流行っていないのはなぜだろうとか、そういうことでもいいですし、地球モデルについて考えてもいいですけど、
なぜって問うっていうことがミステリーの出発点なので、なぜかと問うっていう癖をつけるということ。
もう1個、これが手を動かして考えるというのがあって、これは机に座って考えるだけじゃなくて、実験したりとか行動して確かめようっていう話なんですけど、
例えば具体的なものと抽象的なものをセットで合わせて考えようと。具体性と抽象性の統合という言い方はされていますし、あとはミクロとマクロの統合という言い方もあるんですけども、
片方に偏るなんてことですね。抽象的で終わらせないし、具体的だけでも終わらせない。ミクロだけでも考えるわけないし、マクロだけで考えるわけでもないっていう、その両方を合わせて考える。
考えるという行為は基本的に頭だけで考えることになりがちなので、ここでは手を動かして考えるという言い方が多分なされています。
一般的に今でも勉強するって言われたら机に向かってっていうのが強くイメージされるけど、最近のやつはそんなことは言ってないことが多いですよね。
これでも結構重要で、知識と技術、施策と行動は依存し合ってると本書では書いてあるんですけど、これはもうその通りで、例えばパソコンの解説書でも本を読んで自分で手を動かすから覚えるわけであって。
やっぱあれですよ、キーボードを自分で作らないといけないんですよ、今の時は。
何でもいいけど、マナー分野ったらアクションとセットでっていうのは言えると思います。本を読んでるだけでも足りないし、抽象的思考したらその後に具体的にどういうことだろうと考える。
あるいは具体的なものを見たらそれの抽象性ってどうやろうって考えるっていう思考の行き来をするっていうのは非常に重要で、知識好奇心を育む。
だいたい疑問が増えるんで、絶対にそれ考えてると知識好奇心が広がっていくんじゃないかなと。
6つ目がね、これティースプーンに問いかけるって言って、これちょっと本文読んでもらわないとなぜティースプーンなんかが多分わからないと思うんですけど。
面白みがなさそうなものから面白いものを探すっていう姿勢のことですね。
一見何も面白そうにないものが何か面白いものはないだろうかと探すということで。
世の中にはネクタイピンの種類にめっちゃ詳しい人とか、
ヒーターの音を聞いただけで型番がわかるとかなんかいろいろあるわけですが、
そういうのって結局その人にとったら面白いわけじゃないですか。だから面白さっていうのは見つけ出せる?育めるものなんですよね基本的に。
だから周りが面白くないと嘆くよりは面白いものは何かっていう何かないだろうかと自分から探しに行く姿勢を持つというのが6つ目の姿勢で。
最後が何回か出てきてますけどパズルをミステリーに変えると。
パズルとして語られているものをミステリーなぜなんだろうとかどうしてなんだろうっていうふうに疑問を捉え直すということが重要だというところで7つの方法が紹介されています。
このパズルをミステリーに変えることは多分全体語を通しての言えることでしょうね。
常になぜだろうと考えるというのは知的訓練でもありますし、知的好奇心を広げる方法でもあるかと思います。
ちょうど次回紹介しようかなと思っているやつでリベラルアーツの本があったんですけど、なんかね共通点がたくさんあるような気がして面白いですね。
面白さを見出すというのがいかに幅広い教養というか人間的豊かさを生み出すかみたいなことだったり、
ジェネラリストとスペシャリストみたいなのも出てきたりもしてたかな。
ただ知ってるだけじゃダメだっていうのはやっぱすごく重要なんだよなっていうのがだいぶ増えてきますよねそういうのが。
一応この2冊目の紹介はこれまでで、この2冊を合わせて考えたいんですけども、
知的好奇心を育んであるT型に至った人っていうのがね、僕が考えたさっき言ったその脅かされにくいアイデンティティを持っている人じゃないかなと思うんですよ。
知らない分野が少ないから何か起こった場合でも考えるきっかけというものがその幅広い知識から得られつつ、
他には負けない深いところみたいなので自信も持てるとかなのかな。
たぶん原理がどうかはわからないですけど、まず広く一般的な知識を持っていることで情報に対する分析力といってはあれですけど、
何が正しいか何が正しくないかっていうのを、あるいは何が正しさの度合いが高いかを見極められるようになる。
ある分野で深い知識を持っていると、あるいは考える力が育んでいると、他の分野での考える力も身につきやすい。
だから自分だけである程度考えられるようになる、それなりに。
だからいちいち周りの情報に激しく作用されなくなる、こういうところが自尊心を育てて。
そうなると、一冊目で出てきた俺か俺じゃないかっていう線引きを引きたくなる気持ちを薄められるんじゃないかなと。
だから、勉強しましょうっていう話じゃないんですね、これは。
知識を蓄えたら脅かされにくいアイデンティティを持てますという話は、たぶん嘘だと思うんですよ。
暗記している知識が多いからじゃなくて、知的好奇心を持ってた結果としてそういう形になった人が、アイデンティティが脅かされにくくなってるんではないかなと思うんですよね。
そして知的好奇心は育めるから育もうとする努力ができると。
だから、T型の下に深く伸びているのって、その幅の知識を暗記したわけじゃなくて、好奇心に導かれてどんどん深まっていったっていう経路だと思うんですよ。
だから、プロセスがある、そこに。
それが結構重要じゃないかな。知識の詰め込みとの違いっていうのは、そこじゃないかな、自分で掘っていった経験がある種の自信になってるんじゃないかな。
だから、わからんことがあったときに同じようにしていける自信がある。
そのわからんことを自分で考えて何とかしたという体験は強そうですよね。
その再現性が高いというか、そういう方法論は、経験は?
そういうところから育まれる自信、だから知ってることが多いというよりは、何かを調べた時とか、知っていった経験がある種の自信につながるんじゃないかなと。
で、そこから僕らのオープン性っていうのが広がっていく。
個人の役割と制度的な解決
これ、要するに自分の心にオープン性を持つことで、社会のオープン性につながっていくんではないかっていうことが言いたかったことなんですけども。
僕は基本的に、個人が問題があって個人を解決しようというものよりは、制度的に解決する方が好きなんですけど。
一方で、個人が何もしないでいいかっていうと、それはさすがに行き過ぎやなと思うんですよね、やっぱり。
だから、もちろん人間が知的好奇心を育てやすい制度とかがあればもちろんいいんですけど、
かといってその制度に流されるままであれば僕らが良い状態になれるかっていうと、やっぱりそれは無理でしょうから。
自分なりに穴を掘っていく作業っていうのは多分必要だろうし、その中で知的領域に限られるかどうかは分からないませんけど、こういうやり方は個人的にいいかなと思います。
この2冊目の著者の人は、知的好奇心、学校では基本を教えるべきだって言ってるんですよね。
知的好奇心を育むには、個人レベルでどういうこと、7つの方法というよりも、習慣とかきっかけとしてどこで学ぶみたいなのとかって言ってたりするんですかね。
どこで学ぶとかはないです。逆に言うと、さっきのTスプーンの例もそうですけど、あらゆるところから学べる。
ただし、自分が引っかかるところに限られるでしょうけど、全員が全員同じ興味を持つわけじゃないから、自分が気になったところをどんどん掘り下げていき、自分の中に知識データベースを作っていけば、おそらく自然と知識は広がっていくと。
例えば、ゴルゴさんも1年前に比べれば、興味を持つ本の幅ってめっちゃ広がってると思うんですよ。特に誰に命令されたわけでもないのに。そういうことが起こるように生きれたらいいなということだと思いますが。
おだしょー システムとして、社会的なこういうことをしたらいいんじゃねっていう提言は、言ってみたら普通に基本的なことを学校で教えろっていうところぐらいなんですかね。それで言うと、子供と親の関係ぐらいで、あとは頑張れってことなんかな。頑張れではないんだろうけど。
自分でそれを育てていくことをしましょうということですね。そうしないと、現代においてはどんどん、現代の環境に慣れてるとどんどんパズル的あるいはもう多々答え的っていうふうに流されていってしまうし、それではちょっと苦労するんじゃないかよっていうことがほんのり語られてますね。
おだしょー そうですね。それでは苦労するんじゃないかよっていうのが難しいところですよね。大人になるまでの過程でぜひとも身につけるべきだっていうニュアンスですよね。それで言うと。
おだしょー そうだね。できればそうした方がいいとは言ってますね。ここは言い過ぎてるというか、パターナリズムっぽい感じもしますが、でもやっぱりそれを言うんであったら、子供の頃に知識を一通り教えるということもパターナリズムなわけで。そこを排除してもいいのかどうか。
おだしょー そうやって教育することはオープンなのかクローズなのかっていうと、オープンを目指すためのクローズなのかな。
おだしょー そう難しいなと思うのが、例えば自分の子供に好奇心を持たせるための方法だったら、自分個人の努力でも多少影響を与えられそうなんだけれども、もう一個大きな仕組みとかっていうのはないのかなっていう気がして。
おだしょー ここでは多分提言されてなくて、こっちは個人向けに書かれてる本やから、個人でいろいろやっていきましょう。個人の生き残り方にどちらかというと主眼が置かれてる本かな。
おだしょー そういうことなんですかね。
おだしょー という感じで、オープンと好奇心って言われてるように近い。片方は政府制度的なもので、片方は個人的な方向に向けられている。僕の中の2冊の意味としては、個人が好奇心を育てることが社会をオープンにしていくんじゃないかっていうのが、一応2冊とした読みでしたね。
おだしょー 好奇心はね、確かにほっとくと簡単になくなりそうな気がしますからね。
おだしょー 年齢を重ねると自然にどんどんなくなっていくよとは語られてて、そりゃそうだろうなと。
おだしょー 全部が経験したことになりますからね。
おだしょー どんどん自分の持ってる知識だけで問題が片付いていくようになるから、どんどん必要性が効いていくんで、知的好奇心っていうのが絞んでいくと。だから、自分の外側に、常に自分の領域の外に目を向けなさいっていうのはそのためですね。
おだしょー 難しいところではあるんですけれども、ネット見てても解決するわけではないですからね。
おだしょー それは間違いないですね。インターネットは何を尋ねるべきかを教えてくれないと書かれてますけど、まさにその通りで。
おだしょー 何を尋ねるべきかを知ってる人にとってはいうようなツールですけど、その前段階にいる人にとっては全く何もわからない。
おだしょー この前、PS4のゲームを久しぶりに買おうっていう話が我が家に持ち上がりまして、全然最近のゲームをチェックしてなくて、もう中古でいいかって話になったんですけど、街中の中古ショップがほぼ潰れてるんですね。
おだしょー ないですね。限りなくないし、しかも中古安くないですからね、最近。
おだしょー オンラインストアで何か探そうかっていう話で探そうとしたんですけど、何を探しているのかがわからないと見つけられないんですよね、あれ。
おだしょー ちなみに現代の回答で言うならメルカリだと思いますよ。
おだしょー なるほどね。メルカリでPS4ゲームみたいなのを探して一個一個見ていく。
おだしょー もうタイトルの決め打ちで出品されていれば合理的に一番安い。
おだしょー 何が欲しいかもう俺がわかってないってことだよね。つまりタイトルが何が発売されているかわからない。
おだしょー ゲームが欲しいわけじゃないんだ。欲しいゲームがあるんじゃなくて。
おだしょー なんかゲームやろうって話になって、中古ショップやったら端から端まで歩いていくじゃないですか。
おだしょー ネットショップではそれができない。まずジャンルを選んでくださいみたいなこと言われて、そもそも何が欲しいのかわからんかなみたいなことになるわけですよね。
おだしょー インターネットはこれ多分Amazonでもきっとあると思うんですけど、何を欲してるかが自分でわからないから選べないんですね。
知識の重要性と学び続ける姿勢
おだしょー 僕がAmazonで困らないのは自分がどんな本を欲しいのかを知ってるからなんですよね。
おだしょー Amazonのランキングではつまらんゲームしか出てこないですからね。
おだしょー だから基礎的な知識の有無とインターネットによる情報の利用ってかなり差があるなと思ったんですよ。
おだしょー 多分アナログな方法である程度詳しい人に最近どういうのがいいと思うって聞いて、
例えば俺は今までこういうゲームが好きだった、じゃあこれがいいと思うわ、まだ人間の仕事ですよね。
おだしょー うん、その辺はもう全然人間の仕事で、だから基礎的な知識があったらインターネットがすごく使えるけど、そうじゃないのって本当にお手上げだなっていうのをその時感じたんですが。
おだしょー だから僕が知識が例えばあって、これまでPS4で出たゲームの知識を持ってるんであればそこから選べるじゃないですか、これが欲しいって。
それができないんですよね、基本的には。この単純な娯楽の話ですらそれですから。
このもっと広い世界で同じことが言えるわけで、だからやっぱり基礎的な知識を持っておくっていうことはすげえ重要だなとは思いましたね。
テレビは楽だったですからね、7個ぐらいしかチャンネルなかったりするから。
あとあれかな、PS4の答えで言うならプレイステーションプラスみたいなのに加入して無料のゲームをやってみるとか手当たり次第。
それでも結局手当たり次第というのがやっぱり避けては通れないんだなと思ってね。
僕の傾向から、一切ゲームしてないから傾向ゼロやねんけど、傾向からゲームを進めてくれるような未来に行くまでは、
デジタルデータベースを使うためには探すための知識が最低必要っていうのがあって、
それは現代社会を生きる人が、あるいはGoogleを使う人が全般的に言えることで、知識がない人のGoogleと知識がある人のGoogleって多分価値が全然違うよなっていうことね。
そうですね。Googleに面白いゲーム何があるって言っていい答え返ってくれたら思えないですからね。
思いますね。その辺で、まだまだ現代は私たちが人間が知識を学ぶ必要があるし、
覚えるっていうことよりは好奇心を持ってそれについて自分で意欲的に情報を接していくっていうことが多分大切だろうなというところです。
こんなとこですかね。
はい。ということで、番組への感想やご質問などはTwitterでハッシュタグブックカタリストをつけてつぶやいていただければ、ゴリゴと倉下が読んでお返事などさせていただきたいと思います。
ブックカタリストはサポータープランというのもやっておりまして、この後アフタートークなども開催していますので、気になる方はそちらもご検討ください。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
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