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  2. #77「唯識」とは②
2023-11-10 14:00

#77「唯識」とは②

ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考         著者:松波龍源さん、編集:野村高文さん

の書籍を読んで、改めて仏教の学びを深めております。学びを深めるためのアウトプットとして、”今ここ”ラジオでしゃべります。今回は「唯識」についての2/4回目です。

前五識/意識/末那識/阿頼耶識/海と波/氷山モデル/全我/阿頼耶識はクラウド?インターネット?/種が落ちる/芽吹き/認知行動療法と唯識

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サマリー

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前回からの続き
唯識という式の説明
次は、唯識という式があります。
仏教の般若心経の中でも語られているのですが、
仏教の般若心経の中でも語られているのですが、
これは人間の五感を捉える式ということを話しています。
注意しなければいけないと言っていたのは、
語式は、目は光を捉えるセンサー的なものですが、
センサー的な働きとは違うという話です。
センサー的な働きは、語根として規定されているということなので、
あくまで光を捉えて認識している語式があるという話をしています。
全語式を総合して、言語化して概念を確定させるという段階で、意識というものがあります。
普段意識的に使っている用語だと思うのですが、
実は仏教用語だったということで驚きました。
ここまで全語式と意識が6つありますが、
それが健在意識、明らかになっている意識です。
言語化できたり、相手に伝えられる、
目に見えて共有できる意識が健在意識です。
その6つ以外にあと2つあるという意識の中では解説されています。
唯識の語式と認識
7つ目がマナ式です。
マナ式は漢字でいうと、
積末の末に、那覇の那に、知識の識です。
これは無意識化の自我、感情の動き、情動、個別の自我だと言われています。
これが7つ目です。
8つ目は一番根本にあるものですが、阿良式です。
これは漢字でいうと、阿は阿雲の呼吸の阿というか、
小里編かな、阿部さんという人が結構いると思いますが、
小里編に可能なかで阿に頼る矢は山大国の矢かな?
違うか。
耳編に王座とか。
識は知識の識ですね。
阿良式と呼びます。
これはあらゆるものの根本にある式。
禅我とか、禅我というのは全ての我ですね。
自我に対して禅我なんで、個別ではないということですね。
あと真我とも言われているかもしれません。真の我ですね。
そこは本の中というより、真我というのは他の解説書で見たこともあるので、
もしかしたら違うのかもしれないですけど、禅我と呼ばれています。
こっちの阿良式については自他とか、自分とか他人とかですね。
他人なのかわからないですけど、自他、時空を超える式と呼ばれています。
個別に自我はない。
個別の自我は、自我の式である真那式とは違って、
そういった個別には分かれていないということですね。
全て繋がっているというようなイメージです。
これ、言葉だと捉えづらいので、
リュウケンさんは海でたとえているんですけど、
海で波が立っていますよね。
白波というか、最後の波が崩れるときに白波みたいなのが立つんですけど、
その白波の部分がある意味、意識。
ある意味、意識なんじゃないかなと。
見えていて、概念が確定している段階ですね。
そのちょっと下ぐらい、白波のちょっと下が真那式。
海なのか波なのか、ちょっと曖昧な部分なんだけど、
でも波として立っているから、個別の感じはする。
意識の章
海とも言えるし、波とも言えるし、
一つ一つの波としてカウントはできるよね、みたいなところですね。
一番上になると完全に波の根元という感じですかね。
これが真那式。
アーラン式はその下にある海ですね。
深海も含めて海。
波は一つ一つ立っていて識別はできるんですけど、
結局下では繋がっていて、海だよねっていう。
それがアーラン式というようなイメージをされていました。
8式で分かれているのは何が違うの?意味があるの?ということなんですけど、
8式で分かれているからといって、
全部別々にセクションで区切られていて影響しないかというとそういうことではなくて、
結局やっぱり全ては繋がっていてですね。
私たち一人一人が認識したことというのは、
健在意識の方で言語化して確定したことというのは、
その段階で種、結果が果実を結ぶという風に
書きますけど、果実となって結局種になるわけですね。
種のような形になってはマナー式とかアーラン式の方に落ちていくみたいですね。
落ちていって保存されると。
そこでリュウケさんは今のネット環境とかパソコンのことを明に説明、
わかりやすく説明したんですけど、
我々が体験したことを個人のドライブに保存してますと。
それを例えばクラウドとかに保存したり、
あと今私こういう形でポッドキャストで配信してますけど、
ポッドキャストで配信するとある意味他と繋がるわけですよね。
自分個人の、私が録音したというのはあるかもしれないですけど、
インターネットの中に保存されると。
だからクラウドに保存されるのが、
マナー式にもアーラン式にも種のような形で情報が保存されていくよみたいなことを言ってました。
逆に落ちていった種が芽吹いてアーラン式からマナー式に行って、
意識の方に出てきて行動していくという逆のことが起こってくるというような話もしてたんですね。
逆に。
だからすべて繋がっているし、
意識のところで認識したことは、
例えば良いことであれ悪いことであれ、その認識というのが無意識化のエゴ、
マナー式だとか根本の式、アーラン式に落ちていって、
種という形で保存されて、それが何回かの表紙でまた芽吹いてきて、
自分の行動に影響を与えるということを言っています。
これに基づいて、
リュウケンさんは認知行動療法という心理学とか精神学の治療のアプローチがあるんですね。
体験に対して耳づけをして、メタ認知を促して変えていくということがあるんですけど、
このアプローチが意識とそっくりですよね。
むしろそのものじゃないですかみたいな。
認知行動療法は仏教をベースに考えられたみたいな話をしてましたけど、
意識ももはやそのものですよねみたいな話をされていました。
次回に続きます。
今ここラジオ、こくちです。
私はライフワークとして、
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