犬嫌いの克服
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前回からの続き。
さっき可愛い子犬の話をしたんですけど、私は犬が嫌いだったという話をしたと思うんですけど、苦手だったという話をしたと思うんですけど、
その話を例にとって話をしてみるとですね。
なんで犬が苦手だったかというと、小さい頃は好きだったんですよ。
何歳くらいかな?4歳くらいの時だと思うんですけど、
自分のおじいちゃんの家で飼ってた犬が秋田犬だったんですけど、すごい大きくて黒い秋田犬だったんですね。
一緒に散歩とか行ってて仲良かったらしいんですけど、いつの日か三輪車で遊んでるときに犬に襲われたんですよ。
襲われたっていうか、じゃれてきたんですかね。
散歩帰りの犬?秋田犬?トラとホクって2頭いたんですけど。
どっちかは分からないですけど、じゃれた感じで。
最後ね、うちのおじいちゃんね、手綱というかリードを離したので、自分の家の敷地に入ってきて突然飛びかかってきたんですけど、
俺三輪車に乗ってて押し倒された感じになったんですよね。
それがですね、めちゃめちゃ怖くてですね。
それが結構残っていて、どうしても犬を見るとすごい可愛い犬でもめちゃくちゃ怖くてその場にいられないんですよね。逃げるんですよね。
でも逃げると犬って追ってくるじゃないですか。
だからもうふざけんなと思いながらいたんですよね。
いくつまでだっかな。
もうつい30歳になるくらいまでですね。
そういう感じでいたんですよね。
どんなに可愛いよっていう風に言われて、見た目では分かってるんですよ。
可愛いのはね。プードルとかね。
可愛いじゃないですか。
だけどね、やっぱりね、近づくとダメなんですよね。
落ち着かないというか。
もうどう考えてもダメで。
こんな可愛いワンちゃんを怖がっちゃダメとか友達に言われたことがあったんですけど。
ふざけんな。俺の気持ち全然理解してないなこいつと思いながら。
高校の時の友達と話した記憶もあったりするんですけど。
でもそういうですね。
自分では好きになろうというか。
克服したいっていう。
そこはある意味意識ですよね。言語化できる部分。
で、頑張るんですけど。
マナー式っていうかな。植え付けられた種みたいなものがですね。
働いてしまって。
実際の行動は避けてしまうということが続いてました。
それがですね。
それを克服するという素晴らしいというか。
魅力みたいなことが起こったんですけど。
それもね。結局その認知行動療法っていうのをベースにした。
傾聴だったりプロセスワークっていうので。
それが克服できたと思っていて。
なんかもう。
ある意味その犬が嫌いな自分としてブランド化というかアイデンティティになってたんですよね。
なんか平気なんだけど。
仲良くし方も今から考えてもわかんないから。
とりあえずずっと嫌ってきたしみたいな自分もいることに気づいたんですよね。
そうするとなんかね。
楽になってみたいな体験があって。
それがまさにマナー式とかかなっていうような。
マナー式領域にアクセスする。
それで行動を変えていくっていうことなのかなって改めて思ったりもしましたね。
普通やらないことをやる
その時は認知行動療法のメカニズムしか知らなかったので。
それを仏教が優識っていうところで説明していたっていうのは。
本当にすごいなと思いました。
さっきね自分が犬嫌いを克服しましたよっていうことを言ったんですけど。
本当に自分の学生時代、大学とか高校生とかの時代を知る人がですね。
今実家というか義理の両親のお家にワンちゃんがいるんですけど。
そのワンちゃんと遊んでる写真とかをフェイスブックとかでアップするとマジでみんなびっくりしますね。
めちゃくちゃ俺嫌いだったんで。
それが好きどころか散歩をさせてるじゃないかみたいな感じで。
本当にそれが変わったっていうのがあるんですけど。
それなんでその話をしたかというと。
よく何かを変えるなら普通やらないことをやりましょうとか。
パターン化していることをやめてみましょうみたいなことをよく言われることがあるんですけど。
普通やらないことをやりましょうとか パターン化していることをやめてみましょう
みたいなことをよく言われることがあると思うんですよね
それは結局さっき言った前後式と意識だと
まなしきあらやしきっていうのはつながっていて 私たちが認識したことっていうのは種のような形で
仏教の優識の説明
まなしきあらやしきに落ちていって保存されると 保存された目っていうのが
無意識領域にあるので 抑えようと思っても勝手に芽吹いちゃって
意識行動に結びついていくっていう メカニズムがあるので
だから普通やらないことをやればどんどん 変わっていくっていう意味があるんじゃないかなと思っています
結局ドツボにはまった時とか悪いことが重なる時って
同じことをやってしまっているんですよね
同じことをドツボにはまった人からすると いろいろ手を返しの役割をやってるつもりでも
結局同じことになっちゃうみたいなね 同じことやって変わらないのはいいんですけど
どんどん悪化していく気がしませんか ドツボにはまっていくと
結局また変わらないとかね
変わらないことを諦めてしまうみたいなね
僕が入木代だった時 入木代の人間であるって規定してしまっていた時
自分もそうするとどんどん
悪い方向に行くというか どんどん固くなっていくというか
そんな感じがするので
何かを変えようと思わなくても
どちらにしても普遍ではあるので
空とかでも言ってましたけど 絶対的なこととか永遠普遍なものはないので
だから楽しくて
どうせやるなら楽しいと認識できる 普通ではやらないことをやる
そうするといろいろ良い方に変わってきますよ
っていうふうなことっていうのは
こういう仏教の優識っていうところから
もう説明できるんじゃないかなと思っています
次回に続きます
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