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おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者で鬱病診断も受けている僕が、
業職としてどのように働いているかを発信しています。
今日のテーマは、「叱る」の意味を考える、価値を考える、
これでいこうと思います。
叱るって、なんか昭和ですよね。
昭和のやり方かなって僕は感じてるんですけど、
どうでしょう?皆さん、叱る、叱られる。
あんまりね、叱られたくないですよね。
当事者としてはね、叱られる側としてはね。
僕は非常に嫌いですね、叱られるのが。
むしろ、叱られすぎて鬱になったっていうところがありますんで、
叱るっていう行為に果たして意味はあるのか、ないのではないか
っていう風に感じているタイプですね。
でも、ちょっと視点を変えると、自分は子供に対して結構叱っちゃってますね。
だから、自分のことを棚上げしていろいろ思っていたり、
言ってることとやってること違うじゃないかっていうところがね、
自分自身で持ち込みを入れたいんですが、
この辺をちょっと掘り下げていこうかなっていうのが
今回の配信の内容ですね。
ではまず問題提起です。
なぜ叱るんですか?なぜ叱られるんですか?
ここですね、なぜ叱るという行為に人は出るのか。
おそらくここに関しては、叱ってちょっと相手を嫌な気持ちにさせないと、
ネガティブな状態に感情にさせないと、
相手は、当人は変わらないのではないかっていう、
おそらく思い込みがあるのではなかろうかというふうに思います。
ただね、口で説明するだけでは相手はわからない。
一発ガツンと言ってやらないと、落ち込ませるぐらいじゃないと、
泣かせるぐらいじゃないと、こいつは変わらないんじゃないかっていう思いが
叱る側にあるんじゃないでしょうか。
一方で叱られる側、僕もね、両方経験してますが、
叱られる側の立場としては、そんな言い方しなくてもね、
話してくれたらわかるよっていうところがあると思ってしまいますよね。
いや、むしろそんな言い方しなくても、いや、どなってなくてもいいんですよ。
どなってないにしても、そんな言い方しなくてももっと別の言い方あるよねっていう風に
叱られる側は思いますよね。
これね、両方経験してるからこそ、非常にね、自分がね、
何やってんのかな俺って思うんですけど、叱る側ね、叱る側の自分に対して言いたいんですけど、
いや、結局そうなんですよね。相手にネガティブな感情を抱かせないと変わらないと思ってるから
叱ってしまうっていうのが、一応ね、表面上の理由というかね、理屈ですよね。
ただそれと別で、理由じゃないところが、理論的ではないところで、
感情論もあると思うんですよね。もう怒りが収まらないっていうね。
自分の感情を抑えられない。もう怒りを抑えることができなくて、
どなってしまうっていう場面も、まあ子育てしてれば1回や2回じゃないと思うんですが、
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そんなんではいけないんですけどね。まあ、そうなってしまうのが現実ですね。
で、ここでシリコンバレー最重要思想家ナバル・ラディカントっていう
この書籍から一つ引用したんですけど、このナバル・ラディカントっていう人は
シリコンバレーでアメリカで、どこだったかな、アフリカかどっかから
貧しい国から移民してきて、一躍すごい投資家として演じる投資家として活躍して
一大資産を築いたり活躍した人で、この人の出した本が今のタイトルだったんですけど、
ここの中で怒りについて触れてる章というかフレーズがありまして、
ここでは怒りを何と表現しているか、何と比喩しているかなんですけど、
怒りとは相手に投げつけようとしている石炭であるっていうような言い方をしてるんですよね。
すごい表現ですよね。
要は、その石炭はですね、怒りっていうのは相手を傷つけるための道具でしかないっていうね。
投げる側の理屈とか理由とかそんなことはもはや関係ない。
それはただ相手を傷つけようとしているだけにしか過ぎないっていうような言い回しでしたね。
表現でした、本の中では。
これをちょっと僕は見て、いやそうだよなってちょっと腑に落ちるというか納得するところがありました。
なので、いろんな理由があってね、理由があって怒り、叱るっていう場面があると思うんですが、
基本的にはそれは自分の、自分側の理由であって、理屈であって、
相手のことを本当に思っているのであれば、もう9割の場面で叱るっていう行為はね、
怒鳴るっていう行為はいらないんじゃないか、無用じゃないかっていうふうに冷静になって考えれば、これが僕の答えですね。
じゃあ9割と言っても残り1割は何なのか。
ここに関して言えば、相手、その叱る対象ですね、叱られる側の人間に危険が迫っている場合、
今すぐそこをどかないと車に轢かれるとか、そんなところで遊んでたら落ちて怪我するとか、
危険物を扱っているのにそんな扱い方じゃいけないとかね、
そういう場面ではでかい声を出して、ちょっとブチギレるぐらいの感覚でね、
相手に、おっと、おいと声をかけるっていうことも必要かもしれない。
それは相手の身の安全をね、命の危険を守るための行動であって、
別にそれ自体は大引かないと思うんですよね。
それを短時間で済ませてしまえばですね、その瞬間、それはダメだっていうことで叱る場面、
ここは唯一許されるところかなっていうのが、冷静になって考えた見解ですね。
なのでそういう場面って日常的にそうそうないと思うんですよね。
子育てしてたらいっぱいあるかもしれませんけど、
社会人として仕事をする場面ではそうそうないかなっていうふうに思うんで、
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だとしたら会社で職場で怒鳴るっていうのは、もはやそれは意味不明な、
価値のない行為、昭和の行為であるっていう、
僕の最初の印象は決して間違ってなかったなっていうふうにいう、そういう着地ですね。
なので多くの場面で叱るという行為は百害あって一利なしという結論になってきます。
にもかかわらずどうして世の中多くの大人たちは叱ってしまうのか、
これについては依存性があったり、叱る側にちょっとした快感があるそうですね。
特に長々だらだらと叱っている場面。
ここでは叱られている人はどんどんメンタルがやられているにもかかわらず、
叱っている側は一種の快楽の感情というかね、
そういうのが芽生えているというか快感があるそうですね、叱る側にはね。
確かに自分が子供に対して叱っている場面を想像しても、
何かわからんでもないなっていうのはありますね、恐ろしいことに。
だから叱るという行為をもし万が一しなければならない、
もしくは間違ってしてしまった場合には、それはもう短時間で済ませなければならない。
そして言い終わった後には、もうすぐその負の感情は捨て去って、
普通に接するというね、その切り替えがすごい大事です。
というのが、実はこれ引用元の本がありまして、
今日の参考文献は、叱る依存が止まらないというタイトルの本でして、
著者は村中直人さんという方ですね。
この人が書かれた本を読んで思ったところ、
ここが自分自身すごく印象的だったなというところをピックアップしてお話ししました。
自分自身が叱る側だったとき、それから自分自身が叱られる側だったとき、
両方をトータルして、すごくその通りだなという納得感のある本でしたね。
だからそういうことになるのかという、叱る、叱られるというシュラバかもしれない、
この場面を冷静になって分析できる面白い本でしたね。
だから、ここを叱るということをしなければならないときには、
もう注意することがこの本からわかるし、叱られているとき、
相手は快感を感じているんだな、もう少し付き合ってやるかというね、
そういう上目線で叱られる方法もここで思いつくかもしれませんね。
だから相手は今、叱っている状態でハイになっているから、
今何を言ってももうはや意味ないなという、
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そういう冷静な目でその場面を面白がって過ごすこともできるかもしれない、
そういうふうに実際やっている人もいるんですよね。
僕の知り合いの人は上司に怒られてても、
その言い方をしたらこの人は怒るんだなというふうに、
いろんな言い方を試して楽しんでいるという話をしていたので、
すごいそういう人もいるんだなと思ってちょっとびっくりしましたけど、
世の中はそういうふうな冷静な目で対人コミュニケーションを図ることもできるというのが、
僕の中では驚きというか学びでした。
はい、ということで叱る、叱られる、
ここの人間ならではのやり取りについてちょっと学べる本かなと思いますので、
気になった方がいたらリンク参照してみてください。
基本的には叱らなくても人は成長できるというのが僕の根幹に思っているところですね。
やる気のない人に対しては何を言っても意味ないですけど、
ちゃんと頑張っている人とかそういう人に対しては、
一生懸命やっている人には叱る必要は全くないかなと思いますね。
むしろこうやったらもっと上手くいくよとか、
こういうふうにやったらいいんじゃないっていう気づきを与えるというかね、
何でこうなっているのかなって考えてもらうとか、
そういうことを相手が一生懸命やっているとか、
ちゃんと頭扱えるできる子であれば、
そういう聞き方をした方が絶対的にプラスに働くと思うので、
そういう場面で、今昭和ではなく令和ですからね、
叱るというのは基本的にゼロに近いぐらいの頻度、
そういう声はなくしていくぐらいの感覚でいきたいなというふうにね、
これからは自分が叱る側のポジションになってしまうと思うんでね、
だんだん年をとっていくとね、
そういう場面、叱るという場面を減らして減らしてゼロにしていくぐらいの気持ちで、
ちょっとね、向き合っていきたいなと思いますね。
まだ絶賛子育て中ですね。
仕事中もプライベートもそういうふうな意識を持って当たっていきたいなっていう、
自分自身の本からの学びとアウトプットでした。
何か参考になった方、なる場面、なる場所あれば、
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それが僕のモチベーションになってますんでよろしくお願いします。
ではまた。