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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
マウントの取り合いの本質
ということで今回は、マウントの取り合いというテーマで話をしていきます。
はい、マウントね。
どっちがすごいか論争ですか。
このマウントをですね、取る取らないというようなこと。
これは一言で言うと、欲の解消。
人間の醜い争いの一つですよね。
旗から見るとね、どっちがどっちだとか、そんなことはどうでもいいですよというようなケースがほとんどだと思いますが、
党の党人たちはね、一度この渦に入ると、引くに引けないというようなことがあったり、
もしくはその渦の中に巻き込まれてしまったりと、
マウントの取り合いを起こす側と、起こされる側、巻き込まれる側と、そのようなポジションがありますよね。
でもこのマウントの取り合いは、欲の解消ですから。
それはね、欲をもってしては欲を制せないので、
結果、取り合いをしている相手に、いわゆる勝つというような感覚を覚えたとしても、
一時的な快楽に過ぎず、永遠に終わることのないループへと陥っているというようなことですけれども、
このマウントの取り合いというものに巻き込まれないようにするにはというのと、起こしてしまうときはというのをね、
2つの視点から見てみると、まず渦を起こしてしまう。
誰かと張り合いたくなるというような、特に自分自身の得意とする分野、成果を上げている分野で、
それに追随をするような他者がいるという場合に、自分は相手より優れていると、
そして自分の成果はこれこれこうでと、直接的に戦いをですね、挑むというようなこと。
まさに自分を認めてほしいというような欲そのものですけれども、
このような行いはですね、どこまで行っても終わりがない。
上には上がいるというように、無限ループの中にあるわけですね。
ですから、こうしたマウントの取り合いというところで、自ら渦を巻き起こしてしまうと、
そのような自覚がある場合には、それは戦うことをやめるというのはね、
その当人にとっては、もしかしたらできないことかもしれない。
であれば、誰と戦えばいいのか。それは、昨日の自分と戦えばいいというような、
よく言う言い回しですけれどもね、
昨日の自分と戦えばいいんです。戦いたければ、いつまでも戦えばいいですね。
飽きるその時まで、昨日の自分とはずっと戦っていても、誰にも迷惑はかけない。
ですから、こうしたマウントの取り合いを自ら起こしてしまうなというような場合には、
他者に戦いを求めるのではなくて、昨日の自分に戦いを挑みましょうと。
そうすると、ひたすら成長の階段を登り続けるわけですから、
登り続けている最中も、他の人と自分を比べるということはせずに、ひたすらに昨日の自分と戦う。
そうすればね、いつの日か、戦いというものは虚しいと気づくような時が来るかもしれません。
その時に初めて、マウントというのは取り合いをするようなものではないんだなと気づくような時がきますね。
そしてもう一つ、渦に巻き込まれてしまうような場合。
自分から戦いを起こしていないんだけれども、相手が非常に好戦的で、
自分にはそんな気はないんだけれども、マウントを取ってくると、これはもうどうしたらいいんだというような場合には、
戦おうとしないということはもとより、相手は欲を解消したいだけですから。
戦いを望まないあなたにとっては、相手との優劣なんてどうでもいいわけですよ。
どっちが優れているとかなんだとか、それは自分が決めることであって、そんなことはどうでもいいですと。
ただひたすらに言ってくる。
であれば、その戦いを祈ってくる相手を気持ちよくさせてあげましょうと。
まさにあなたはおっしゃる通りで、全てにおいてあなたが優れていますよと、
そのように優しい声をかけてあげましょうというようなことですね。
戦いを挑んできた相手と自らも張り合おうとしたその時から、あなたもその渦の一員となりますから。
旗から見ると非常に醜いマウントの取り合いというものの一員になってしまうわけですね。
自己成長への道
ですから戦おうとしないということをして、相手を気持ちよくさせてあげましょうというようなことです。
私の20代の頃ですけれども、ある会社で会社員をしていた時に、
ことあるごとにお互いの優劣を確認したがるような人がいたんですね。
その人は当時、その会社で収入というような面で言うと年収で3000万円ほど額面で稼いでいた方だったんですけれども、
私が後輩という立場で、ことあるごとに、
俺と君とでは俺の方が上だよねと確認をしたがるというか、そんな人がいたんですね。
当時20代のぺいぺいの私ですから、
そうしたマウントを取りに来るというようなところ以外は非常に素晴らしい人だなと思っていたんですけれども、
それだけいわゆる収入という面、しかも会社員という面で3000万円というのはなかなか一握りだと思いますから、
そのように収入が多いというような人であっても、ことコミュニケーションという点においては、
あまりよくわかっておられないのだなぁと、当時弱敗ながら思ったような記憶が今よみがえりました。
人の気持ちがわかるような人であれば、
どのような相手に対してもマウントを取るというような行いはしないと思います。
なぜか世間一般でも高所得者と呼ばれるような人であっても、
人格は未成熟なことがあるんだなぁと、その当時思ったんですね。
ちょっと趣旨とずれましたが、つまり何が言いたいのかというと、
マウントの取り合いと、これは欲の解消に過ぎません。
人間の行いの中でも、なかなかに醜い部類に入る争いなんじゃないかなというところで、
基本的にどんな人と人であれ、同じ人間である以上、優劣はないわけですね。
どちらが優れている、劣っているというようなことはないわけです。
ただこのマウントの取り合いというものに関しては、
それを決めたがるような人が起こしがちだということ。
ですからこれを起こしてしまうというような時は、
昨日の自分と戦うというような、月並みなことですけれども、
昨日の自分と戦いなさいというようなことですね。
他人に戦いを挑まないということ。
往々にして人間関係がこじれるようなことがほとんどになりますので。
それで渦に巻き込まれてしまった場合には、
これは戦おうとしないということはもとより、相手を気持ちよくさせてあげる。
マウントを取りに来た相手は、自らの欲を解消してほしいと、
認めてほしいというような欲を満たしてあげるということですね。
そうすれば、このマウントの取り合いというような渦の中からあなたは出ることになります。
人と人との関係ですから、
いかに実体としてのパワーバランスが崩れていようとも、
利害関係が不一致であろうとも、
マウントを取るということはせずに、
お互いリスペクトをして、認め合って、
一人の人間として付き合っていきましょうというようなことですね。
ということで、今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。