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2021-03-23 08:58

#313 「ない」と「ある」の二重規範の中で

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東洋哲学の偉人たちが言うように、「私」などきっと存在しないのだろう。「私」という思い込みに他ならないのだ。しかし、今や、虚構のネットワークは地球上に張り巡らされている。たとえ山奥に移り住んだところで、その干渉から逃れられない。そこはきっとプラットフォーム内の誰かのアカウントが所有する土地なのだから。あらゆるプラットフォーム上に「私というアカウント」が存在し、極めて流動的な「私」と呼ばれる何かは、極めて固定的な「私のアカウント」として責任と権限を与えられている。「私」はないが、「私というアカウント」はある。単純に悟っている場合ではなく、「ない」と「ある」の二重規範の中でしなやかに生きていくことが求められている、そんな時代なのではないか。/うえみずゆうきの活動を応援していただける方は、noteマガジン【脳内議事録】をぜひご購読いただけると嬉しいです。 https://note.com/y_uemizu/m/md0e3af51acf5

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みなさんこんばんは、上水優輝でございます。サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、「ない」と「ある」の二重規範の中で、というお話をしたいと思っています。
最近ようやくですね、哲学とか思想の勉強を開始することができまして、まあそういう本を読んでいるところでございます。
まずはですね、個別の哲学者とかそういうのではなくて、哲学史全体をですね、ざっくりさらっていくような入門書をいろいろと読み漁っているような段階でございまして、
全然まだね、これからっていう感じなんですけど、すでにね、その東洋的な解釈と西洋的な解釈というかね、そこの大きな違いみたいなのに面白さを感じている、
今日この頃でございます。そういうまだね、入り口のところにはいるんですが、最近考えていること、僕が考えていることとしてはですね、
私っていうものはやっぱりないし、かといって私のアカウントってものはあるしっていう、この2つの状態をしっかりと認識してですね、
上手に生きていかないと本当苦しいよねっていうことを思ったりするわけです。私っていうのはないよねっていうところでいくと、
私がないっていうことを僕が説明しようと思うと結構難しい。言葉で説明してもいまいちピンとこないと思うので、もうちょっと抽象度を下げて、
私の手柄なのか問題ですよね。これは私がやった、私の手柄なのかみたいなことを考えていくと、私があるないにもちょっと通ずるところがあるのかなと思ったりもします。
例えば僕がね、東大に受かりましたっていった時に、僕が頑張ったから東大に受かったと考えるのか、
僕が頑張ったという一つの側面もあるけれども、その時たまたま点数を取れなかった、実力が及ばなかった人のおかげで受かったという考え方もできますし、
その問題をたまたま僕が解けるような問題として、そのひとき問題作成に関わった人たちのおかげで自分は受かったかもしれないしとかっていう感じで、
結局は自分の力なのかって言われると、いろんな要因があって受かっているっていうことだと思うんですよね。
例えば今コロナだからたまたま受験者がこうこうで、本来受験してた人が受験しなかったとかね、いろんな要因が重なってたまたま受かっているっていうことを考えると。
そんなふうに考えていくと、ありとあらゆる自分の手柄だと思っているものっていうのは案外そうでもないかもと。
すごく広く見たときには、すごい誰かの、よくわからない誰かのおかげでその成果が出ている可能性があると。
自分が営業を契約することができたと。
でもそれはもしかしたらライバル企業の誰かがサボっていたおかげかもしれないんですよね。
それはもしかしたらどっかの誰かが全然関係ないポスティングをしていて、そのポスティングに書かれていたキャッチコピーで何か気になっていたそのコピーが何となく僕の扱っている商品とリンクするところがあって、
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その僕のポスティングじゃないけども全然違うポスティングで僕の商品に興味を持って、僕の商品を買ってくれたみたいなことがあるかもしれない。
そんな感じでそれを僕の実力で制約しましたみたいに思ってしまっているみたいな、本来それは私の成果なのかっていうのは突き詰めて考えたときに、案外私の成果じゃない可能性があると。
みんなの成果である可能性があるし、偶然の成果であると。
じゃあ結局誰の成果なんだろうみたいな、誰の成果でもないんじゃないかみたいな、そういうふうに考えていくことができるんじゃないかなと。
サッカーでゴールを決めると、誰の成果ですかって、11人の成果だと思いますけども、いやそうではないと。
相手の11人もあって22人の成果だと。いやそうじゃないと。監督がそれ再開したよねと。監督も含めて。
いやいやベンチにその時選ばれた人たち。いやいやサポーターがいて、そのサポーターがどういうテンションで応援したかっていうのも関係したんだと。
いやちょっと待てと、その辺の天候が関係した。いやその時のスタジアムが。いやこのスタジアムの芝生の状態が。
そうやっていろんなものの要因でゴールが決まった可能性があると。
それは本当にゴールを決めた人、アシストだけの手柄なのか。
そういうことを考えていく。これがね、僕は思うに東洋的な考え方なのかなと。
でもそうやっていくと、まあなんていうのかな、私なんてものはないというか、私の手柄なんてものはない。
全部みんなの手柄で、全部地球の手柄だよ、この宇宙の手柄だよっていうふうな解釈なのかなというふうに思いますね。
なので頑張ろうが頑張るまいがというか、まずは極論ですけども、自然な状態で自然にいろんなことが起こっているという考え方ですよね。
起こしているではない。あくまで自分が起こしているのではなくて、まあその起こそうとしているそのことそのものも起こっている中の一部でしかないみたいなね。
自分の手柄でもなんでもないみたいな考え方。
かたやですね、この社会はほぼほぼ西洋的に設計されてしまって、私というのがあると。
結果ね、この国というのがあると。この国の中に私というアカウントが作られてますよね。
まあ僕でいうと戸籍とかがあって、その戸籍、私というアカウントに紐を付いて、さらに電話番号というアカウントが作られたり、
メールアドレスとかいうアカウントを作ることができて、さらにそのメールアドレスアカウントを使って、
Twitterのアカウント、Instagramというアカウントが作れて、そのTwitterのアカウントとかGoogleのアカウントを使って、
他のサービスにさらにアカウントを作ることができてみたいな感じで、僕のアカウントというのはこの世界にたくさんあるんですよね。
で、僕のアカウントに紐を付いていく。例えば僕の銀行口座も一つのアカウントですね。銀行に作ったアカウント。
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そのアカウントに数字がいくら入っているか、これが僕がいくらお金を持っているかみたいな、僕に紐を付いているんだけども、
さっき言った東洋的に解釈したら、僕が持っているこのお金というのは、いろんな人のいろんな要因が回り回ってたまたま僕のところに入ってきているという考え方もできるし、
逆に西洋的に考えれば、自分が考えて自分が成果を出した結果、自分にこれだけのお金があるという考え方もできると。
どっちが良い悪いではなくて、どっちかに偏ると結構まずいなって思ったりするんです。
誰の成果でもないよねって言い張って、人の銀行口座のお金を使うわけにもいかないし、
かたや、全部自分の頑張ったお金だよ、自分の成果だよって言ってしまうと、銀行口座にお金が入っていない人のことを頑張っていない人とか、
あなたが結果を出していないから、みたいな見方をしてしまうと、それって本当にそうなのかって思ってしまいませんか?
これだけ格差が開いているこの世の中で、本当に頑張ってないからお金を持ってないのか、頑張ってないから報われてないのか、頑張ってないから評価されてないのかって、
どこかみんな違和感あるんじゃないでしょうかと。なので、回り回って今のバランスがあるという、その全体の中の一部であるという、
私なんかなくて、たまたまこの全体、この宇宙の中の一部でしかないと思えば、たまたまそうなっているということも言えるし、
西洋的に言えば、それはあなた自身がどうアプローチして、どのようにこのロジックで積み上げられたこの社会というゲームの中で、
どう攻略して、どのようなポジショニングをしていくかみたいなロジックの話になってくると。この2つはどっちかでもないし、
どっちともを混ぜるとかいう話でもなくて、どっちも別物として同時に持っておかないといけない。
二重規範的に持っておかないといけない。私なんてものはないけれども、私というアカウントはある。
私のアカウントにちゃんと紐づく成果を出しつつも、でもそれは私の成果ではなくて、この宇宙の成果であるみたいなものを同時に持っておく。
その感覚を養っておかないと、この複雑化した社会の中で、世界の中であまりにもバランスが崩れてしまうのではないかなというふうに思いますので、
そうした私のアカウントに紐づく成果は一定数出さないと生きていくことすらままならないけれども、
果たしてその私のアカウントに紐づいたそれは本当に私が出した成果なのかみたいなことは疑ってかからなければならないんじゃないか。
この2つを常に二重規範的に持って生きていく。
この感覚を僕はより勉強していく中で、もっとクリアに伝えていけるようになっていきたいなと思っている今日この頃でございます。
ちょっと難しい話でしたけれども、本日は以上でございます。またお会いしましょう。さよなら。
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