顔見知りの重要性
どうも、丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、顔見知りというテーマで話をしていきます。
はい、顔見知りですね。
人と付き合っていく上で、
あなたから見た相手の人が、あなたの中でどのような関係性の人であるというような、
いわば、選別と言いますか、区別と言いますか、
相手の人をあなたが意識をした時に、この人は自分から見て、
例えば、顔見知りであるとか、知り合いであるとか、
友人である、お客さんである、同僚である、長子、先輩、後輩、部下、尊敬する人、
いろいろ、キリがないぐらいですね、
あなたが相手のことを見た時に対しての思い浮かぶ関係性というものがあるかと思います。
そんな中でも、人と関係を築いていく上で、
仮に何かしらの恐怖というか、恐れのようなものを感じているのだとすると、
それはあなたから見て、相手の人は何者でもない、
全くの赤の他人というようなことを思っているのかもしれません。
人が恐れというものを感じる時には、相手のことを全く知らないと思っていると、
人間関係というような部分においても、相手に対して壁を感じる、恐怖を感じるというようなことがあります。
知らないものは怖いですからね。
ですから、仮に日常生活をする中で、どうしても周りの目が気になるとか、
他人間の評価が気になる、怖いと、人間関係を築いていく上で、
主に恐怖というような感情がまず真っ先に出るというようなことになった場合に、
あなたから見た顔見知りというような人を増やすと、
そうした感情が出にくくなりますよというようなことになります。
恐怖とコミュニケーション
そうすると、当然コミュニケーションにも影響を及ぼしてくることになりますよね。
誰しも自分が恐怖を抱いている相手に対して、
積極的にコミュニケーションを取ろうとか、自己を開示しようというような感覚にはなりにくいと思うんですよ。
ただ、これも逆を考えてみるとわかると思うんですけれども、
あなたから見て現在、顔見知りだるだとか、
友人、知人、自分が相手のことを知っているというような相手に対して、
これに対しては恐怖心を抱くというようなことは少ないと思います。
むしろ安心感を覚えると思うんですね。
それは、自分は相手のことを少なからず知っていると。
全く何も知らないというよりかは、顔は知っていますと。
この人が誰々さんで何々をしていますというようなことは、どことなく理解をしていると。
つまり、友人と呼べないまでも顔見知りではあるというような感覚を持っているから、
わずかばかりの安心感を感じるというようなことになるということですよね。
であれば、そのようなあなたが顔見知りと思う人を増やすことができるのであれば、
コミュニケーションを取る上で、ある種の壁を取り除くというようなことにもなるはずです。
ですから、どこからが顔見知りなのかというようなことですよね。
それは、あなたが相手のことを顔見知りだと思ったら、それはもうそうなるんですよ。
どういうことかというと、人間関係を人と築いていく上では、
双方向、あなたがどう思うかということに加えて、
相手があなたのことをどう思うのか、思っているのかというところに意識が向きがちになります。
ただ、相手があなたのことをどう思っているかなんていうことは、本質的なことを言うとわからないわけですよ。
相手そのものになれるわけではないですから、
例えば、相手があなたのことを友人、知人、顔見知りだと思っていたとしても、
あなたから見ると違うと感じるかもしれない。
相手が何を考えているかということは、相手しかわからないわけです。
ですから、相手から見た自分がどうということをいくら考えても、そこに答えは出ないわけですよ。
お互い、双方向に顔見知りでなければ顔見知りでないと思っているのであれば、
人間関係という点においても、赤の他人が多く感じるでしょうし、
自分の視点を持つこと
恐怖も増大していくでしょうし、いいことはあまりないわけですよ。
ですから、あなたから見た顔見知りは誰ですかと言ったときには、
それは、あなたが顔見知りだと思ったら、もう顔見知りであると。
つまり、あなたは相手のことをわずかばかりであっても知っているということ、
相手がどう思おうと関係ないということなんです。
仮に、相手からしてあなたのことを全くの他人であると、もう知らんと、
そのように思われていたとしても、あなた主体として、あなたの視点から見て、
私はあなたのことを顔見知りだと思っていますと。
友人、知人とまだ行かないにしても、一度二度お会いしたことがあって、
あなたのことを知っていますというように、
思うか思わないかは当然あなたの自由なわけで、相手がどう思おうと関係ない。
自分は相手のことを顔見知りだと思っている、知り合いだと思っている。
そのように思うことによって、安心しますよね。
なぜかといえば、全くの他人ではないと思っているわけですから、
少しでも知り合いというような人がいた方が安心する。顔見知りがいると安心する。
誰一人知らない集団の中に、例えば一人で端子に飛び込んでいったときの恐怖感と、
一人でも知り合いのいる中に飛び込んでいく安心感と、
これはね、言われてみればそうだと思います。安心感が違いますよね。
ですから、あなたが顔見知りだと思えば、もはや相手は他人ではなくて、知った人であると。
知った中ではないですよ。相手がどう思っているかはね、分かりませんから。
あなたが相手のことを知っているというような態度を示せばいいということです。
自分はあなたのことを知っていますよというような態度を示すことによって、
今までは相手から見たあなたというものは全く他人であったと。
特に関わりもないし、話したこともないし、もしかしたら顔も覚えていないし、
というような人であっても、あなたが相手に対してそのような態度を取ることによって、
相手の心が徐々にほぐれていくというような現象が起こることがあります。
ですから、日常生活をしていく中で、自分から拒否をするのではなく、
自分から壁を作って心を閉ざすというようなことをするのではなく、
あくまであなたから見た相手というものは、それは顔見知りであるというようなことですね。
そう思うことによって、これまで遠いと思っていた人間関係、
この人と関わりがないと思っていた人と、思わぬ関係性を築けることがあるかもしれません。
つまり何が言いたいのかというと、顔見知り。
これはどこからが顔見知りですかというようなことですけれども、
それはあなたがそう思った時からです。
さらには顔見知りですらない、全くのあかぬ他人であると、
あなたが出会う人に対して思っていると、
それは一向に相手との関係性が近づいていくことにはなりません。
そこに恐怖を感じるかもしれません。
人は知らないものに対して恐怖がわきます。
ですから、相手がどう思うと関係ない、あなたは相手のことをもう顔見知りであると、
私はあなたを知っていますよとすることによって、
安心感を得られるというようなことですね。
このどう思うかという部分、自分でコントロールできる部分に関して、
他の何者の制限も受けません。
あなたが思えばそれはその通りになっていきます。
ですから、自らですね、世間と隔絶をした世界で生きていると、
孤独に生きていきたいと、そう思う人以外は、
このような考え方を取り入れてみるといいかもしれません。
ということで、以上となります。
ありがとうございました。