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はい、どうも丸山です。まずはおめでとうございます。
ということでですね、今日は常識という鎖というようなテーマで話をしていきます。
常識ね。常識に縛られるなっていうのはね、そういう表現ありますよね。
鎖です。これは多くの人がこの鎖に縛られている。
だからこそ常識というものがまかり通っている、というようなことなんですけれども、
あなたにとっての常識は何ですか?世間の常識・非常識なんつってね。ありますよね。
常識っていう言葉、これはですね、私なかなか嫌いなんですよ。
この常識という言葉、これは日本人だけではないと思うんですけれども、
日本人ってとりわけその、周りと同じっていう、みんな一緒に、みんなやってるから、
こういう言葉ね、好きじゃないですか。好きな人が多いんじゃないですか。常識ね。
この常識って、いつから身につきましたか?いつから何を常識だと感じるようになりましたか?
これは生まれたばっかりの赤ちゃんが常識あるかって言ったら、ないですよね。
何の知識も、下や字がもないわけですから、常識っていうものは、生きていく上で、中で身についてくるもの、身につけさせられるもの、
これは知らず知らずのうちに、周りと同じようになっていくわけですよ。
周りが言うこと。例えば、代表的なやつだと何ですかね、常識。
子供の頃って言うと、あんまり思い浮かばないですね。あんまり思い出せないですね、そのちっちゃい時の常識。
ちっちゃい時というよりかは、大人になってからの常識っていう方が色濃いというか。
ねえ、一番多いのは、あれじゃないですか、会社員の人とかですかね。
全然悪いことじゃないんですよ。むしろ素晴らしいことだと思うんですけど、
一つの会社に長く勤めていたり、例えば、新卒なんて言う言葉あるじゃないですか、学校を出たらね。
その新卒の状態で入った会社だけずっとやっているっていうような、
転職とかは特にせずに。それはもう素晴らしいことなんですよ。
何かのことを一つ続けられるっていうことは、これはもう一つ能力ですから。
一つのことを長く続けるっていう、これはもう本当に素晴らしいことなんです。
それはそうなんですけど、じゃあコミュニケーションっていう部分においてですよ。
人と話をする、会話をするっていう上において、その一つのコミュニティというか、組織ですね。
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そういったところに長く身を置いていると、その組織の常識が自分の常識にこうなってしまうというようなんですね。
周りが見えなくなるというか、周りをそもそも知らないんで、分からなくなっている。
分からなくなっているということにすら気づいていないっていうようなことなんですけれども、
こんなこと言って、お前はどうなんだっていうようなところなんですけど、
私自身は、今年齢から言うと多い方だと思うんですけど、会社としては7つ経験してるんですね。
いろんな会社でいろんなことやってきたんですけれども、
アルバイトとか、もっと10代の時のことを含めるともっとですけど、会社員っていう形で働いたのは7つあるんですよ。
これはね、いい悪いっていう意見はあると思うんですけれども、
私は個人的には、これは多くのことを経験してきてよかったなと思っています。
これはね、いいという人も悪いという人もいると思うんですけど、
だからこそ、一つのことを長く続けてこなかったからこそ、一つのことを長く続けられる人っていうのは本当にすごいなと思いますし、素晴らしいなと思うので、
そこは勘違いしていただきたくないんですけれども、それは本当に素晴らしいことですよ。
何回も言いますけど。
ただなんですけど、その会話っていう部分において、コミュニケーションを取るっていう部分においては、
やはり視野が狭くなってしまう人が多いんですよね。
その外部のコミュニティに参加しているだとか、
そういった人が、そういったことをしている人であれば、その限りではないんですけれども、
世の中の9割ですかね、が勤め人みたいなんですよ。
どこかの組織の会社員というかね、
何て言うんですか、創業者ではないというか、社長ではない。
社長もね、サラリーマン社長とかあるんであれなんですけど、
創業者ですかね、創業者オーナーではなく、9割の人たちは会社員として働いているみたいな、
雇われて働いているっていうようなことなんですけれども、
一つの組織以外の情報を得て、得た方がいいですよっていうようなコミュニケーションを取る上でね、
なので、これを聞いている方はリテラシー高い方だと思うんで、やってると思うんですけれども、
本を読んだりね、まさに音声でもオーディオブックあるじゃないですか。
いろんなことを知るっていうことが大事だと思うんですよ。
私も元々は一つのね、いわゆる新卒と呼ばれる状態で入った会社には3年勤めてたんで、
その時のことはもうそこしか知らないわけですね。
ただある時、本を読むというその素晴らしさに出会って、
そうですね、読んでいるのとオーディオ音声で聞くの、合わせたら500冊以上は読んではいるんですけれども、
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全部コミュニケーションのこととかばっかりじゃないんで、
これが多いか少ないかっていうのは人によると思います。
私自身はまだまだ足りないと思ってるんでね、インプットも継続はしていってるんですけれども、
その常識というものに縛られて、会話の視野が狭くなってしまう。
その鎖に縛られている人が多いなというように感じるわけですよ。
じゃあどうするかって言ったら、やっぱり外の情報を取り入れる。
人生の占める割合、多くの人は働くっていうことだと思うんです。
一部の例外はいると思うんですけれども、
人生の中で多くの時間を占める、
その、雇われているのであれば一つの組織っていうことになると思うんですよ。
その大部分を占めてたら、それはその組織の常識が自分の人生の常識になりかねないですよねっていうようなところなんで、
世界は広いですから、その広い世界を知るためにはどうするんだと。
今、常識という鎖に仮に縛られているんだとしたら、
ああ、なんか縛られてるなあって思うんだとしたら、
本を読むことです。月並みですけど。
こんなんね、本当にありきたりで申し訳ないんですけれども、本当にそうなんですよ。
いわゆる多くの知恵者たちというか、本を読むということ、知識をインプットするということ、
本だけじゃなくてもいいと思うんですけれども、
今ね、情報なんかもネットにゴロゴロ転がっている時代なんで、
ただこの常識という鎖、これはもう鎖というぐらいなんで、
いうぐらいなんでというかね、鎖と勝手に呼んでるんですけど、常識に縛られる。
ガチガチに固められている。
常識なんていうのはね、これは有名なアインシュタインの言葉ですけれども、
18までに、18歳までに得た偏見の塊であるなんていうのはね、
こんな感じでしたっけ、あるじゃないですか。
捉え方だと思うんですけれども、
その一人一人全く同じ考え方の人なんていないじゃないですか。
それを常識をですね、この個性と言い換えるといいと思うんです。
ただその常識、個性、これを一つの知識、一つの組織、一つの情報、
こういうものに縛られないで、いろんな角度から仕入れましょうというような、
これもその一環としてお捉えていただけるといいと思うんで。
なんでね、その常識という鎖というようなところで、
これは大人になってから一つの組織に長いこと促していると、
その組織の常識があなたの人生の常識になりかねないというね、
それでもいいっていう人はね、いないと思うんですよ。
自分の人生なのに、誰かが決めたことですよ。
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その組織の中の常識っていうのは、いわゆるルールっていうものは、
組織を起こした人、もしくはその起こした人たち、決定権のある人たち、
人が作ったものになんで従ってられるのかっていうような、
なぜ従うのかっていうね、
そればっかしじゃ広がりがないじゃないですか。
誰かが決めたこと、誰かが言ったこと、
言ったら法律なんかもそうですけれども、
法律はね、大事ですよ。秩序を守る上で。
ルールがないとね、人は獣になるっていうようなことなんで。
ルールはすごい大事だと思うんですけれども、
国家で、国家で扱っている法律だとか、
そういったものも結局のところを人が決めているわけですよ。
いつの時代だか。
法律ね、これはもう大事なんで、これは守るべきなんですけれども、
そういうことを意識してみるっていうのもいいと思いますよ。
その時にはね、今ある状況、常識にとらわれることなく、
どうこうするとかじゃなくて、
まあそうだなと。
考えてみたら、それはそうだなと。
一つの組織に属してりゃ一つの考え方にもなるし、
いわゆる国家というものですら、
誰か人が考えたものであって、
つまりこれは誰かの常識の集合体なんだなっていうような、
個性のね、常識、個性の集合体なんだなっていうようなことをね、
思うだけでも、考え方っていうのはね、
変化していく、変化させることができるものなんで、
何にでもそうなんですけど、気づくことなんですよ。
この気づきって非常に大事ですから。
なのでね、常識という鎖というようなね、
テーマで話をしてきました。
縛られないで。
はい、ということで、今日は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。