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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、普通とは、というテーマで話をしていきます。
はい、普通とは、ですね。
普通そうだよね、とか、普通はそうじゃないよね、とか、平均ですかね、真ん中というか、大体そうだよね、という。
平均はなんかちょっと違う気がしますが、その普通というようなことに対して、自分は普通ではないとか、あの人は普通じゃないとか、そのような表現で扱うと。
個人であれば、自分というものと、それから集団であると、我々はと、考えている物事の判断軸というものが、一般的であれば普通と言われるようなことですかね。
この普通というような表現に苛まれてしまうようなこともあると。
あなたがどうか分かりませんが、普通でないからコミュニケーションが取れないと。普通であるからコミュニケーションが取れると。
普通、普通と言ってますが、普通というものに関して私が伝えたいことは、その普通というものは、言った人にしか当てはまらないということですね。
ですから、私が言う普通というのは、私にしか当てはまりませんし、あなたが言う普通というものは、あなたにしか当てはまらないもの。
自分の普通は相手の普通ではない可能性もあるというようなこと。
とまあそうは言いますけれども、ちょっと待ってくれと。
普通そうだよねというように言って、同じような考えの人がいるじゃないか、語彙形成取れるようなこともあるじゃないかと。
普通というように定義して、お互いそうだよねとなることもあるじゃないかと。
であれば、自分が言った普通は、それは相手の普通ということにもなるではないかというように思うこともあるかと思います。
確かにね、それはそうですよね。
かく言う私も、普通はとか、一般的にはとか、当然とかもちろんとか、そのような普通に類するような言葉を自然と使っている自分がいます。
例えば、携帯ね。普通、携帯は電話をするものだよねとか、メールをするものだよねとか、名刺があったとしてね。
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普通、名刺は渡すものだよねと、破るものではないよねと。
そうした、普通が自分だけの普通ではないというようなこともあると。
ただそれは、なぜそうなるのかというと、自分と近しい間柄の、もしくは似た属性の人たち、つまり頭の中、思考で考えていることが近いと。
ステージが同じだと。
次元が同じだと。
同じような人たちが集まると。
自分と近い人がたくさんいるわけですよ。
それはなぜかというと、同じような時間軸で生きてきて、
現代だね、今生きている人たちというのは、そこまで大きな違いはない。
同じような情報に触れ、同じような時代を生きている。
であれば、この時代を生きている私たちの普通というものは、それはある程度の近さがあると。
が、それ故に、自分の普通と思うことを、世界の普通だと思ってしまう。
そして、自分の普通から離れた人が、自分のいる周囲に入ってくると、異物として、
君は普通じゃないよねということで、取り除かれるような因子にもなってしまう。取り除きたくなってしまう。
自分の思う普通から外れた人は普通ではないというような認知をするからですよね。
危険だと。自分が普通だと思うことを普通だと思わない人は危険だと。
ある種の防衛反応が働いて、
あなたが普通で悩んでいるのか、それともそうではないのかはわかりませんが、
どちらかの立場に立って、私は普通だ、あの人は普通じゃない、私は普通じゃない、あの人は普通だ、こうした境界線を自分の中で引くと。
そうすると、お互いが、お互いの立場から見るその判断をする軸というものが、どこの誰かが考えたかもわからない普通というようなものになるわけですよ。
ですからその普通というものは、あなたの普通はあなただけのものであって、
他の誰にも当てはまらないことも当然あると。
また当然とね、使いましたが。
そういうこともあるんですよ。これは私が思う普通の考えですね。
ですから、たとえ、仮にあなたが自分のことを普通ではないからというようなことをね、もし思っているのであれば、
あなたの生きる世界ではあなたが普通なんです。
おかしくも変でもない。
今のあなたが、あなたの人生にとっては普通のあなたなんですよ。
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他の誰かに何かを言われてもね、
あなた普通じゃないねと、おかしいねと言われても、
この人はそう思うんだな、別に普通だけどな、
このように思っておくと、普通だ普通じゃないだ、などというね、
はっきり言ってくだらないですよ。
そのようなことに縛られるようなこともなくなると。
自分の普通を他人の普通ではないと思う人がですね、私はかわいそうだなと思います。
自分の普通の範囲でしか生きていけないわけですから。
あなたは今この瞬間からそうではなくなりましたので、
自分の普通は自分の普通、相手の普通は相手の普通、
それだけね、分かっていればいいと思いますよ。
それでね、その普通というものを解き放つキーワードがあるんですよ。
普通という名の呪縛から解放されるキーワードです。
そのキーワードというのは、
それは誰が考えたの?というものです。
何かしら普通だ普通じゃないだということで、心にもやがたまるということがね、もしあるのであれば、
それは誰が考えたんだけど、この魔法のキーワードをですね、言葉にしてみるといいですよ。
元をたどる思考の習慣もね、徐々に形成されていきますので、
こういう話で普通と思う人、普通と思われる人がどうと言ってますけど、
私はね、この話を聞いてくれているあなたの味方ですから、
何かね、特定の立場の人を責めるとか、そのようなことは全くないですから、はい。
つまり何が言いたいのかというと、
普通とは、これはね、何をもってして普通とするのか、
それに類するような言葉ね、普通と言ったり、一般的と言ったり、常識、当然、もちろん、いろいろあります。
私もね、使うんですけれども、それはそれを言った人の普通でしかない。
他の人に当てはまるようなことではないわけです。
とはいえ、普通と言ってお互いに理解し合えるようなこともある。
普通はこうだよねと言って、そうだよね、確かにね、なることもありますよね。
それはなぜそうなのかと。
それは同じような時代を生きているからです。
同じような組織で活動しているからです。
そうした中で異物が入ってきたり、自分が異物だったりすると、
その拒否反応というものがね、起こると。
そのような場合で、この普通というような言葉を盾に、もしくは武器になってね、権限されるようなことがありますが、
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お互いの普通はお互いの普通なわけです。
普通だから普通じゃないからと、そのようなくだらないことでね、もやもやするのも、
時にはね、必要なことなのかもしれないですけれども、
今この瞬間からはこのような考え方を持って、普通とは普通ではないと、
いうようなことを思っていくと、なお楽に生きていけるというようなことになりますね。
そして、それでもなおと普通というものに巻かれていると言ってあれば、
その呪縛を解き放つキーワードがあります。
それは、誰が決めたのと。
これを言ってみることですね。自分に対してですよ。
ということで今回は以上となります。最後まで聞いていただいてありがとうございました。