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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、「かつての自分と重なる人」というテーマで話をしていきます。
かつての自分、昔のあなたと重なる人とのコミュニケーションの取り方というようなところですね。
このかつてと昔というようなことは、何も年齢だけではなくて、
あなたがかつてそうであった時の経験値というんですかね。
例えば、同じ年齢の人がね、あなたがもし仮に今35歳だとして、同じような年齢の人であろうが、
年下であろうが、年上であろうが、何も年齢というものだけで判別をするのではなくて、
生きた年月というよりかは、そこに至るまでの経験値というもの、
何を体験し、経験し、学んできて、やってきたのかと。
当然ですが、人によって違いますので、年齢というような区分だけではなくてね、
あなたの思う昔の自分と重なる人、当時は自分もそのような似たような境遇であったなと、
そういう人とどのようにコミュニケーションを取っていくかと。
これについて多いのは、あまというよりかはイメージしやすいのはね、
自分のやり方を、自分がしてきたことをそのまま相手に押し付けるというようなこと。
相手と自分との違いを鑑みずに、自分がこのようにしてきたから、
当時の自分と同じような経験の最中にあるというようなことは、
当時の自分が経験をしてきたことをやれば、必ずうまくいくから、
だからそのようなやり方を押し付けてしまうというようなこと。
さらには油断をしていると。私もそうですけれども、
自分がこれこれこのようにしてきて、当時のあなたのような状況は解決をしたから、
絶対にやった方がいいよと。
というよりかは、やらないと今のままだからダメですよと。
自分の考えを相手に押し付けてしまいがちになると。
ただそのような対応をしているとね、
これをやりなさいと言われたようなことは基本的に人はやりたくないので、
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友好関係にもひびが入るというようなことになりますよね。
であればどのように話をするのか、コミュニケーションをとるのか、
これは重なり方にもよります。
それは、かつてのあなたと似たような人が周囲にいたとして、
かつてのあなたのどの部分と重なっているのかと、
全てが同じというような人は当然いませんから、
一部が重なっていると、まるでその当時の自分そのものかのように
勘違いをしてしまうようなこともあります。
ですから先ほどのような対応を容易にしてしまうというようなことにもなるわけです。
かつてとは言え、それはいつの自分と、そしてどの部分が重なっているのかと、
よくできていた当時の自分なのか、
よくできていなかった当時の自分なのか、
仕事であれ家庭であれ何でもそうですけれども、
重なり方をですね、吟味して、
どこの何が重なっているのか、
その上で自分の考えを相手に押し付けるというようなことはせずに、
あくまで提案というような形をとる。
このようにしたらどうですかと。
そしてですね、自分もそうだったからというようなことを
相手に直接面と向かって言わないことですね。
当時の自分も今のあなたと似たような状況であるけれども、
なんとか生きてきたから大丈夫だと思うよとかね。
これなんかちょっと偉そうですよね。
結局のところ自分もそうだったからというように言うと、
意識の向きが自分の方向に向いていると、
今のその相手のことを見ていないということにもなってきますので、
そう言った当人はもしかするとそうは思っていないかもしれないけれども、
相手のためになるかなと、励みになるかなと思って、
そのかつての自分は今のあなたと同じような状況だったから、
だからできるよと。
そのように言ったとしても相手からすると、
結局は自分のことを話す人なんだなというふうになることもあると。
ただこれは趣味、思考、境遇、
相手との共感を示したいというような場合に、
例えば何か習い事、ピアノを今習っている人がいたとして、
私も昔はピアノをやってたんですよと、
そのようなことは別に言ってもいいじゃないですか。
なんですか、その先を言うと偉そうな雰囲気になるんですよ。
私もやってましたよ、そうでしたよ、だから何々。
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そのだから何々まで話す必要は特にないですね。
あなたと同じことやってましたよって言うぐらいだったらいいですけど、
その先は余計なお世話というようなことですから。
あとは相手からそのようなことを求められたときですね。
今私はこのような状況なんですけれども、
あなたにはそうした時期がありましたか、またはどのように解決をされましたか。
このように質問を受けたらば、それは真摯に答えていくというようなことが相手から求められているわけですから。
自ら進んで考えを押し付けにいかないと。
それが例えどのように似た境遇であろうとも、
当時と同じような経験値であったとしても、
押し付けるのではなくて、求められたら応じるというようなスタンスと、
それから共感を示したいのであれば同じような状況であったと、
その事実のみを伝えるというようなことですかね。
さらにその中ででも一つだけこれは非常に活用ができるというような使い方も実はあります。
それは、かつてのあなたと重なる状態の人に対して、
当時の自分は今のあなたよりも全くダメだったと、
だから十分素晴らしいと思うよと、励ます意味では使ってもいいというよりかはむしろプラスですね。
やる気を引き出したり、意欲が上がったり、
そのような時にはこのかつての自分とあえて重ねるということが役立つようなことにもなります。
つまり何が言いたいのかというと、
かつての自分と重なる人、このような人とのコミュニケーションの取り方というところで、
よくやりがちなのが、求められてもいないのにアドバイスという名の考えの押し付けをすると、
これは当然私もそうです。
何もおせっかいとか余計なお世話をする人が良くないと言っているわけではないですよ。
そのようなことをできる人はやらない人よりも素晴らしいと思いますよ。
自分が相手のために相手のことを思ってそのような活動を行うと、
求められてはいないけれどもやると、それは素晴らしい行為ですよ。
ただそれが押し付けにならないようにしてくださいねということで、
やりがちなことでもありますので、私も含めて。
ですから押し付けるのではなくて提案をする。
もしくは共感を示すのであれば、
自分も同じであったという事実のみを伝える。
さらにその上で、これは重なり方にもよりますが、
一つ似たようなところがあるからといって全てが同じわけではない。
ここも留意しておく必要がありますね。
一つ似たようなところがあると、その他も全て自分と同じように
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思ってしまうようなこともあります。
ただこのかつての自分と重なる人に対して有効的な自分の出し方というもの。
それは当時の自分が今のあなたと同じ状況であった時には、
今のあなたよりももっとダメであった。
それに比べたらすごいと思うと。
褒めるというような意味でもね。
相手の指揮を上げるというようなことになりますね。
このようなかつての自分と重なるということを、
あなたに向けて話をしているようで、これに限らずなんですけれども、
私も今自分自身に向けて話をしています。
このコミュニケーションということを仕事にしてやっていると、
どうしてもそうした部分が顔を出す時があるんですよ。
またやってしまったなと。
こうして話していることも含めてそうですし、
押しつけるつもりではないけれども、その実は実は押しつけていたと。
相手のことを思っているつもりであっても、
その実、よく考えてみたら自分のことを考えていたと。
日々反省ですね。
反省します。
ということで、今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。