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2022-03-30 09:26

インナーチャイルドをヒーリングしてみた3

今回は瞑想中に出てきた家での私のお話しです。
これを聴いてもらえればその家がよく出てくる理由が分かるかなと😅
次でラストなのでまた興味があれば聴いてみて下さい。


#幼少期
#インナーチャイルド
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こんにちは、あきらです。 さて、今回はね、前回の続きで、私がね、自分のその昔住んでた家をね、ヒーリングを始めたってとこで終わったんですけども、
今回はですね、その家に住んでた時の、私の幼少期のことをね、ちょっとお話をしていきたいと思います。
えーとですね、私は埼玉県のね、とあるね、かたいなかで、3人兄弟の真ん中なんですね。
上が兄で、下が妹なんでね、長女なんですけども、
父がね、不動産経営をしていたこともあったので、その家庭というのね、かなり裕福な家庭で育ちました。
ただね、あの小学校に上がると、私、1年生の途中から2年生まで、
学校に行かなくなってしまったんですよね。 登校拒否なんですけども、
その記憶自体がもう本当にないんですよ。 なんでね、だから行かなくなったっていうのが、全然こう本当に覚えてないし、わからないんですよ。
そしてね、小学校3、4年ぐらいになると、私の母親なんですけども、
なんかね、こう、彼女の中で何かがあったのかわかんないんですけども、そこからね、性格というか、教育方針というのがね、ガラッと変わったんですよ。
その当時、変わる前っていうのは、やっぱりね、一般家庭なんですかね。 あんま比べたこともないので、わからないんですけども、本当にあの
18時までには学校から帰ってきなさいとか、帰ってこなかったらもう鍵がかかっちゃってて、家に入れなくて、庭のね、
ところを通って、庭のそのドアがあるんですけども、そこからもうバンバンバンバンってやって、入れてくれ!みたいな感じでね、それぐらいちょっとね、
厳しい家庭。厳しいのかな? そんな家庭だったんですよ。そこから、彼女自身が
変わってしまってね、全然すごい法人主義っていうんですかね、そういう教育に変わったんですよ。
で、その時に彼女がね、すごく好きだった、まあ、オショっていう方がいるんですけども、
インドのね、宗教家、神秘家と言われてて、今でもね、すごくこう、本とかがあるので、知ってる方は知ってるんですよ。
シュリ・バグワン・ラジニシーとか、なんか名前が結構いろいろあるんですよね。 その教えにね、
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彼女自身が興味を持って、そこからどんどんどんどん変わっていったんですよ。 要は母親が変わったんで、その子供自体も
環境が変わるんでね、私自身もね、やっぱね、ちょっと変わっていきましたね。 ちなみにそのオショという神秘家のね、
本とか、あと瞑想法っていうのもね、結構あるんですけども、私もね、やっぱね、
やっぱ影響されたのでね、すごい本を読んだりとか、その瞑想をね、
えーとね、そうだな、高校生の16歳ぐらいの時にね、やってたりとかしてましたね。 今思うとすごいなと思うんですけども。
でですね、私自身は3歳の頃からね、あのアトピーというものをすごい発症しちゃってて、 兄弟全員アトピーだったんですけども、
それもあって、小学校の時がすごくこうやっぱ酷かったんですよ。 それのせいなのか、
5、6年生の時なんかはね、やっぱりね、クラスにアトピーって、その当時ね、すごく珍しい病気で、まだ
何それ?みたいな感じだったんですよ。 なので、
クラスにほとんどいなかったんですよ、なってる子が。 だからそれが原因でね、結構その男の子とかから、お前なんだよそれみたいな気持ち悪いなぁみたいな、
そういった感じでいじめられたこともね、しょっちゅうありましたよ。 本当にいなかったんですよ、アトピーっていう子が。
アトピーっていうよりも、その名称すらね、なんかね、 知らなくて、なんか失神っていう感じで、
その当時はね、通ってましたね。 そして中学校になると、
親がね、ちょっとゴタゴタし始めちゃって、 もともとね、その私が3歳ぐらいの時から、私の父が
浮気ですか、のね、していることが多くて、 それでね、母親がもう
耐えられないみたいになったのか、 別居することになっちゃったんですよ。
ちょうどそれが、えーとね、中学2年生の夏にね、 違う場所に別居でね、引っ越したんですけども、
中学校の時も、私あの、 2年生の途中から3年生の
夏休みまで。 そこでもね、私学校に行かなくなってしまったんですよ。
家が結構ゴタゴタしてたっていうのもあったのでね、 結構この時期はすごいね、辛かったですね。
やっぱりこう、裕福でね、お金があって、なんかいろいろね、恵まれ、 周りから見たらすごい恵まれてるなとか、思われてたと思うんですよ。
なんかそういう陰口も中学校で言われたんで、 そう、でもこう、
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なんだろう、 全然ね、その親が仲良くないし、喧嘩したりとかしてて、 もう結構壮絶だったんですね。
だからね、全然もう本当にあの、 気持ち的にはすごく
しんどかったですね。 ちょうどね、私が登校拒否をして、そして妹もね、 あの、一緒に登校拒否をね、しちゃうようになったんで、 もう本当あの、妹とすごく仲が良かったんで、
その当時はね、よくしょっちゅう一緒にいましたね。 やっぱあの、私長女なんで、その妹を守らなければっていうのもね、
やっぱあったんですよ。 やっぱ親が困難だったから。
そう、だから本当にしょっちゅうなんかいろんなゲームしたりとか、 どっか出かけたりとか、本当2人でやってましたね。
で、そう、あの、それで別居するんですけども、 あれさっき中学2年で引っ越したって言ったんですけど、中学3年生の夏休みですね。
中学3年生の夏休みに私と妹と、あと母ですね。 女3人が別居でね、違うところに引っ越すんですけども、
またね、あの、 その時の記憶っていうのが全然ないんですよ。
どうやって引っ越したのかっていうのが全く抜けちゃってる状態なんですよね。
当時ね、母親からは、まあすごく引っ越した後、 すんごいなんか元気なかったよみたいなことをね、言われたんですけどもね。
本人って本当覚えてないんですよね。 で、まあ引っ越して、新しい環境になったじゃないですか。
そのこともあったせいで、その学区内のね、中学校に行こうかなっていう気持ちになったので、
夏休みの間にね、お母さんとその学区内の学校に何か申請するじゃないですか。
それで夏休みが終わってからそこの学校に通い出したんですよ。 いやね、勉強ずっとしてなかったからね、本当に何が何だかわかんない状態だったんですよ。
でまたその引っ越した先っていうのが結構その同じ埼玉だったんですけども、
その頭のいい市だったんですね。すごく偏差値が高いというか。
そうだから余計にね、ついていけなくて、ついていこうともしてなかったんですけども、勉強に関しては。
それででもね、転入してからちょっと経った時に、学校内で一目惚れをした人がいて、好きな人ができちゃったんですね。
それでね、学校行くようになったんですよ、余計に。 人間ってなんか本当ちょろいですよね。
そうなんですよ。まあそれでね、学校はずっと行くようになりました。 ということで、
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今回はね、これ以上。以上となります。 次でね、一応お話はラストとなりますので、また興味がある方はね、聞いてみてください。
それでは今回は以上となります。またです。
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