1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.235「女性である自分を諦..
2020-10-01 39:47

Vol.235「女性である自分を諦めていた専業ママの再出発」

(株)ヴィーナスオーラ代表取締役、イメージコンサルタントの田中貴子さんのインタビュー第1回目です。 

最初の起業から出産までのキャリアを経て、専業主婦になって10年、子供中心の生活を送っていた貴子さん。
「私はこのままでいいのだろうか?」という問いからイメージコンサルタントとして再出発するまでの貴子さんの"Before"をじっくり伺っています。

オープニングでは、オルセー美術館でのファッションを巡るニュースについてお話しています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/



00:14
こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさよみさんどうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
実は9月の終わりくらいにちょっとニュースで話題になって、私もさよみさんにリンク送ったら、すでにさよみさんも読んでたっていうリンクなんですけども、
オルセイ美術館の話なんですよね。
もともとは、オルセイ美術館に一人の女性が、すごく胸元が開いたワンピースを着て、谷間が丸見えの、オルセイの美術館に入ろうとしたところ、職員から入場を拒否されたと。
大灼けを乱す服装だから、そういうオルセイ美術館の規則があると、服装がそぐわなかったと。
すごく暑かったのでね、9月パリも暑かったので、暑かったのにも関わらず上着を着ないと、ジャケットかな、何か着ないと入場を認めないと警告されたと。
入ってみたら、要は大灼けを乱す服装が何なのかってことなんですけども、彼女よりも胸はちっちゃいけどタンクトップでバーンと開けてる人が、歩いてる人もいたわけで、
自分だけが規則に反してるって思われるのはおかしいということで、ツイッターに投稿したらすごく拡散されて、最終的にはオルセイ美術館に批判が巻き起こり、その日のうちにオルセイ美術館がツイッターで謝罪をすると。
すごいよね、このSNSってすごいですよね。確かに過去を拒否された女性たちもいたらしいんですよ。そこで名乗りを挙げたらしいんだけども、確かに今回の女性と比べてもそこまでではなかったっていう感じだったっていう話なんですけど、
この写真をね、今、ポッドキャストの中でその写真をお見せするわけではいかないんですけど、かなり開いてますよね、これ。
胸の谷間は、日本で言うなんとか姉妹みたいな感じで、ほぼ胸の谷間の一番下まで開いてるって感じですね。ウエストのちょっと上ぐらいまで来てるんじゃないですか、これ。
他のところは隠れてるけれども、胸はほぼ谷間が全部見えてるっていうね、上から下まで。
このワンピースのこのVラインがすごく長いところから見ればいいんですよね、深いですよね。
03:03
ウエストぐらいまであるようなね、アンダーバッドよりも下ぐらい。
ある感じで、ここ以外はもう袖もね、長袖だしなんですけど、彼女がね、結構胸大きいんだと思うんですよ、これ。
だから余計この谷間感っていうんですかね。
目立っちゃったっていう感じなんですよね。
胸が小さい人だったら、こんなにエロティックな感じにはならないんですよね、この人ね。
だから彼女がやっぱり胸がそれなりに大きかったというところが、この公を乱す服装って位置づけに入ってしまった。
胸小さいのがやっぱりいいのかな、なんてね。
注意はされないでしょうね。そこまで気にならなかったかもしれない。
たぶん私も同じ服着て入っても注意されないと思う。ここまでもね、ないですもん、谷間も。
これくらいこの谷間の、胸が大きいためにね、谷間の目立ち感っていうんですかね。
それっていうのが多分大きかったと思うし、たぶん彼女もワンピースの一環だからみたいな感覚だったんじゃないかなと。
やっぱりここに最後行き着くのが、女性は好きな服を着る権利があるっていうそこですよね。
それは私もわかるんですよね。好きな服を着る権利があるっていうのは、すごくよくわかるんだけども、
でもTPOというかね、そういうのもやっぱり生きてる限りはあるので、守っていただきゃいけない部分もきっとあると思うんですよ。
オイステンはそういうルールを彼女は知らなかったんだなっていう。
まあそうですよね、たぶんね。
それもあると思う。
東海とかだったら問題あるじゃないですか。
例えば肩を出すのは避けた方がいいとか、その辺はなんとなくルールわかってるけど、
たぶん美術館はレストランに入るっていうノリとたぶん一緒だったのかなと。
私もそんなルールあるの知らなかったし。
せめてロールとか持っていくとよかったんじゃないかなって私は思うんですよ。
そうすると入るときに隠せるじゃないですか。
例えばヌロッコとか旅行したときに、寺院とか寝屋入るときにやっぱり暑いんで、みんな薄い格好でいるわけですよ。
だけど寺院とかで入るときにやっぱりスカーフ巻いて入らないと絶対入れてくれないし、
有心制の場所ってそういう決まりがあると思うんですね。
オルケがそういう宗教的なところとはまた違うけれども、
美術館を核としてそういうことを求めてるんじゃないかなっていうのは私はちょっと感じるんですよ。
06:00
核って何?
レストランもそうじゃないですか。
核式あるところってやっぱりジャケット着用持ってない人には、
時々男性には貸したりしますよね、お店が。
これ着て入ってください。
うちの主人にされたことがあるんですよ。
そうなんですね。
ジャケットに入るジャケットを持ってきてなくて、わざと着ていかなかった。
絶対トイレットにはあるって知ってたから、あえて借りて。
いろんなタイプがあるんですよ。
さすが、そうなんですね。
あえて着ていかなくても予約してるから絶対貸してくれるってわかってたんで、
貸してもらって入ってその時だけ。
でも、日に着いたら脱いだっていいんですよね。
なるほどね。
ちょっと今のマスクの状況と同じ。
日に着くまではやっぱりきちっと着ておかなきゃいけなくて、
入ってしまったら、彼女もそうだと思うんですけど、
ジャケットとかストールとか脱いじゃっても全然問題なかったと。
入る時だけ場所の格を尊重するというのかな、
そういう認識がおそらくなかった。
服装の自由の権利っていうのはわかるんだけども、
入る場所によってそれぞれね、
レストランもそうだし、
それに似合わなかったらやっぱり入れてくれないところ世界中にいっぱいあるので、
彼女も勉強するべきなのかなっていうのはあったけども、
でもこれがきっかけで、
服装の自由、女性に限らず男性もそうだけども、
服装の自由っていう議論が起きたには納得、
それもわかるんですよね。
オルセーも最終的に謝罪しちゃったので、
そこは認めたっていうことだと思うし、
あと、ここのその記事でちょっと上がってたのは、
例えばレイプとかされると、
よく議論、日本でもあると思うんですけども、
女性側に問題がある、
被害者の服装が問題だみたいなところがあったりするんですけど、
でもフランスはそこはレイプっていうのは服装の問題ではないと、
実際レイプに合ってる人っていうのは、
服装関係なく、だからジーンズにTシャツだろうが、
そういうケースの方が実はフランスの場合は多いので、
女性が誘ってるから悪いとか、
なんかそういうことではないと、
だから女性の服装を理由にするのはやめるべきだ、
みたいな話があったりするので、
確かに私もこの彼女の格好はすごいなと思うんですけど、
確かにこれで堂々と外も歩いていらっしゃるわけだし、
09:00
確かに空いてるなとは思うけど、
でもそれが自分の着たいものを着るからとかね、
あるいはこの服があるってことは、
着る人がいる前提で作ってるわけなので、
そうですね、あとはやっぱり私は思うには、
TPOの問題かな、マナーの問題かなって思うんで、
行く場所を根調するっていうのもマナーなんですね。
そうなんですよね。
お招きを受けて、この場所がどういう場所だかっていうのをやっぱり
根調しないといけないわけで、
本当に行きたいんだったら、
そこはちゃんと自分で調べたりとか、
マナーっていうのはちゃんと勉強したりっていう、
努力もあるけど、やっぱり
必要なんじゃないかなと言っちゃわないと、
この人はそういう人なのねって思われちゃって、
二度ともう招かれないとかね、
そういうこともありますし、
その場所とか相手を根調するっていう思想も、
私はね、利用だとは思います。
自分がしたい格好をするっていうのは、
それはいいんですけど、
時々エゴイックっていうのは、
履き違えちゃう。
やっぱり社会の中で生きていく限り、
仕事場で着ていい服、
それには設置家内服っていうのは、
やっぱりそれぞれあると思うし、
これは良識?
そこの感覚の差が、
こういうふうに出ちゃうのかなっていう感じがしますよね。
どうしてもこの服じゃないとダメなの?っていうとこですよ。
別に普通の洋服は、夜お出かけする時とか、
どこかのナイトクラブに行った時にはぴったりかもしれないけど、
昼間の美術館とか、
昼間着る服っていう感じでもない。
確かにね。
そういったことをやっぱり、
一応常識として頭に入れておいて、
それでも着たいっていうんだったら、
いいと思うんですよ。
どういう扱いを受けるかっていうのは、
もう分からないですよね。
そうですね、そのへんのリスクっていうか、
そういうのもちゃんと、
リスクをね、分かった目で着たい服を着るっていうのは、
いいと思うんですね。
その辺をね、という、
オルセイ美術館の話でした。
はい、それでは本編スタートです。
はい、本編です。
今回はイメージコンサルタントの、
田中孝子さんにインタビューをさせていただいています。
孝子さんはですね、
ちょうど私と同じぐらい、
2010年前後に起業されてらっしゃるんですけども、
出会いはブログだったんですよね。
12:01
もう8年ぐらい、
8年、9年ぐらいのお付き合いになるんですが、
もともとブログを通して知り合いました。
そんな彼女のこの変性を語っていく中で、
起業前の彼女、
その要は今をアフターとするならば、
ビフォーの部分っていうのを、
今回インタビューの方でお伺いしていますので、
ぜひ聞いてください。
こんにちは、秋です。
今日も素敵なゲストの方に来ていただいています。
株式会社ビーナソーラの代表で、
イメージコンサルタントの田中孝子さんです。
孝子さんよろしくお願いいたします。
どうぞよろしくお願いします。田中孝子です。
田中孝子さんはイメージコンサルタントということなんですが、
実際にどのぐらい活動されていらっしゃるんですか?
今年の4月で10年になりました。
10周年。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
この10年を一言で言うとどんな感じ?田中孝子さんにとって。
思い出しといろいろあるんですけれど、
もうすごく濃い10年でした。
走ってきたっていう感じですか?
走ってきた。走ってきましたね。
もちろん波はあったにせよ。
そうですね。もちろん波もあって、
ですが、すごく恵まれているなって思います。
それに後でこれからお話しさせていただくと思うんですけれども、
起業する前はやっぱりこの仕事で体制できるなんてありえないって、
みんなにすごく反対されての起業だった。
そうなの。
だからそんなに欲張らずに少しずつやっていこうっていうところからのスタートだったんですけれども、
それが自宅でコツコツやっていたところから場所を借りて、
一緒に講師仲間も増やしてっていう感じで、
大きくしていけた10年だったので、すごく充実した10年でしたね。
今はイメージコンサルタントとして個人コンサルもやりながら、
実際にイメージコンサルタントになりたい方を育てるっていうこともされてらっしゃるんですよね。
そうですね。並行して育成の方も行っています。
そちらはどれくらいやってらっしゃるんですか?育成の方は。
育成の方は7年くらい行っていまして、
だいたい120名ほどの排出しておりますね。
じゃあ本当にこの10年でイメージコンサルタント、
やってる方も増えましたもんね。確かに。
そうですね。なんか爆発的に増えましたよね。
高子さんが始めた頃ってどうだったんですか?
15:03
もうね、検索かけたら、チラホラー、そういう人がいるなぐらいな感じでした。
だいたいやってる人を把握できるぐらいな人数でしたね。
10人いたかな、そのぐらいだったと思います。
日本でね。大ピラにまで公表してやってらっしゃる方ってなかなかいない中で、
この10年でご自身もね、増やすところに貢献されてるから、
そうやって育成されてたと思うんですけども、
やっぱりなりたい方って増えてきたっていう感じですか?
なりたい方増えてますね。
主婦の方はもちろんなんですけれど、会社員をなさっていて、
やっぱりこの先管理職になるかどうかっていうところで悩まれて、
辞められて、育成、スクールに入って来られるっていう方も実は結構いらっしゃいます。
じゃあ自分の人生の分岐点じゃないけども、
これから仕事どうしていこうかってキャリアを考えたときに、
イメージコンサルタントに切り替えるというか、
そうですね。
そうなんですよね。
ファッションに対して、あんまりもともと知らないって人も多いってことですか?
実はね、そういう人がほとんどです。
興味はあるんだけれども、自分のファッションセンスには自信がなくて、
自分も綺麗になりたくて、入って来られる方がほとんどなんですね。
へー、そうなんですね。
じゃあそういう意味では、もう一から全部細かく指導していくっていう感じ?
そうなんです。やっぱりこの仕事は私自身もそうなんですけれども、
自分が変わったっていう喜びが言動になってできる仕事だと思うので、
もともとはビフォー感あふれる人の方が実は大成功ですよね。
じゃあもともとオシャレっていう、オシャレ大好きっていう人よりは、
ビフォー感の満載な人の方が上手くいったりするんだ。
そう、だから自分が変わった、だからお客様も変わりますよ。
絶対変わりますよって信じられるから。自分が変わってればね。
でももともと綺麗な方だと、自分がモヤモヤしてる時の気持ちとか、
変わりたい、でも変われない、そういう苦しい気持ちが分からなかったりするので、
お客様に寄り添えないんですよね。
この仕事はやっぱりお客様に寄り添って、一緒に伴奏して、
お客様の外見を整えながら、お客様の人生を変えていくっていう仕事なので、
なのでファッションセンスをもともと持ってる方というよりも、
伴奏していく力がある人かどうかっていうことの方がすごく重要だったりします。
18:01
なるほどね。
じゃあちょっとイメージコンサルタントの話はまた後でゆっくり聞きますけど、
高子さんのビフォーを知りたいっていう感じなんですけど、
高子さんはもともとおしゃれに対してはどんな感じだったんですか?
おしゃれは好きでした。好きでしたけれども、
それが似合ってるかどうかとか自信があるかっていうと、
それはまたちょっと違う。好きだけれど自信はなかったっていう感じです。
なるほどね。
結婚されて主婦になられると思うんですが、
その前はどんなお仕事をされてたりしたんですか?
短大を卒業してから専門商社に就職をしまして、
そこでしばらくOLをしていたんですけれども、
もともとその専門商社に入るきっかけになったのが、
就職をしているときにいわゆる赤文字雑誌、JJって雑誌。
もちろん、もちろん。
あの雑誌を読んでいたらカラーアナリストさんっていう人が載ってたんですよ。
私はこんな仕事をやってます、カラーアナリストなんとかさんみたいな感じで。
初めて聞いたワード、なんだこれはと思って読み進めていったら、
アメリカで資格を取って日本に初めてこの理論を持ってきましたっていう方だったんですね。
私はお洋服好きでしたけれど、それ以上に結構色が好きだったんですよ。
小さい時から。
自分に似合う色があるって、なんだこれは絶対これ知りたいし、
これ仕事にできたら楽しいかもって稲妻が降りたみたいに思ったんですよね。
そこから資格を取るためにどうしたらいいかっていうのを調べたところ、
一応学校があると。
その学校に通うためには、OLをしながら、
OLで得たお給料をそこに投資しながら学校に通うって決めまして。
それは就職してから?それとも学生の時にそう思ってたの?
就職するときにそれになろうと思って、
だから就職活動も会社が終わってから通えそうな、
時間が決まっている仕事に就こうと思いました。
なるほどね。で、実際に就職して通ったのですか?
そう、通いました。で、しばらくは、たぶん2年ぐらいかな。
2年ぐらいはちょっと仕事で手一杯だったので、
その気持ちを持ちつつ、仕事をずっとただするっていう感じだったんですけれど、
少し慣れてきてからやっぱり通うって決めて、
調べて、もう一度調べ直して、学校に入って。
2年後ぐらい?
そうですね。で、1年ぐらい学んで、学校卒業して、
21:04
で、実は会社にもしばらくしてから、
私、色の仕事するんで辞めますって言って辞めたんですよ。
あ、辞めちゃったんだ。
辞めたんです。起業するって無謀にも思ったんです。
あ、その時に思ってたんだ。
そうですね。25ぐらいだったかな。
で、その後は?
したんですよ。起業、一応。
したんですね。
したんですよ。お家で。結婚もしていて、その時は。
なので、新居のお家で細々と始めまして、
でも当時って、それこそ20年以上前の話なので、
もうほら、こういうネット社会でもなかったし、
自分のことを知ってもらうためにはどうしたらいいかって考えても、
もう高額な広告費を打たなければ、
自分の存在を知ってもらうのはちょっと難しい。
そういう世の中だったんですよね。
なので、やってると言っても、
こう、口コミで来てくださる程度の数っていう感じでしたね。
あ、じゃあ、でもその時からやってたんですね。
色に特化して、その人に似合う色を提案するみたいな。
そうですね。色からこういうファッションがいいんじゃないですか、みたいな。
でも骨格理論とかがないので、そこはふわっとした感じですよね。
洋服のデザインとか素材に関しては。
自分も手探りながらやっているというような感じでした。
で、その後、本格的にどうやって今の状態まで持っていったんですか?
実は、同世代の人は良かったんです、コンサルしてても。
ご提案するお洋服屋さんとかもわかるし。
でも、その25の時の私が50歳を超えた方に提案するのは、とっても難しかったですね。
確かに。
悩みもわからないですし。
当時百貨店って、ヤングコーナーの階とミセスコーナーの階っていうのがすっかり分かれてたんですよ。
確かに確かに。
ミセスコーナーの方に行くと、全く素敵じゃないお洋服しか並んでないんですよ、私から見ると。
わかる。色味が全然変わったりするんですよね。
そう。急になんかデザインもおばさんみたいな感じになってるし、
これでどうやって選べばいいんだろうっていう風に思いながら選んでる自分がすごく嫌だったっていうことと、
自分の母と、母よりもしかしたら上かもしれない年齢の人にご提案するとき、
聞き上げなければいけない立場なんだけれども、どうしても仕立てにいってしまう感じがあって、
そこの接客の仕方っていうんでしょうかね。
どういう風な立ち位置で自分が振る舞えばいいかっていうのも分からなくて、
24:04
そのあたりもすごく悩んで、一度これはやっぱりこんなモヤモヤしてる状況で、
お客様にご提案するのは良くないと思ったので、もうクローズしようと決めたんですよね。
そこの決断したんですね。
そうです。決断しました。やっぱり自信が持てない状況で良くないと思ったので、
一度クローズをして、やっぱり一番ネックだったのはその接客の部分かなと思ったので、
接客を学ぼうと思いまして。
学ぼうと思って、どうしたんですか?
5つ星ホテルの中に入っている法職店に就職をしました。
わざわざカラーの話は、ファッションの話は置いといて、
接客とかラグジュアリーなブランドみたいな位置づけで接客に切り替えたんだ。
そうなんですよ。一応そこはオーダージュエリーを取り扱っている会社だったので、
色の組み合わせのご提案をしたりですとか、
似合いになる色の法職のご提案なんかもできたので、
例えば地金にしてもゴールドとかシルバーとかプラチナとか色々できたので、
そういったところをご提案できます。
もう全然法職の知識全くゼロだったんですが、
それでこう押して合格させていただいて、
なるほど。就職したんですね、そこに。
そうなんです。そうなんですよ。
で、そこにどれくらいらっしゃったんですか?
でもそこにそんなにいなかったです。
1年ぐらいしかいなかったんですね。
っていうのもちょうどその時期主人が転職をして、
ものすごく主人の仕事が忙しくなっていた。
で、私も法職店に入るっていうことで土日が勤務になるじゃないですか。
確かに。
なので完全にすれ違いの生活になってしまって、
朝、歯ブラシする5分ぐらいしか会わないんですよ。
本当に会わないんだ、物理的に。
本当に会わない、そう。
昨日何時に帰ってきたの?とか、そういう感じで。
で、私も法職店って外から見ると、
割と時間がゆったり流れているイメージだったんですけれど、
確かに、確かに。
でも意外と裏の仕事って言うんですかね。
お客様にお手紙書いたり、お電話したり、
あとは外商で結構持って行ってご提案することとかもあったので、
割とその店頭ではゆったりした時間が流れているんですが、
裏での仕事がかなり忙しくて、
家に帰るのが割と午前さまちょっと前みたいな。
11時半とか11時とか、そんな感じだったんですよ。
OL時代とは全然違いますね。
全然違うんですよ。
それで帰ります、でもスーパーとか閉まってます。
なので家にあるもので、
27:01
もうめんどくさいから本当は食べて帰るとかしたいですね、私的には。
でも主人は帰ってくるのが夜中の2時とか3時だったんですね。
さらに人に、さらに忙しい。
彼の方がさらに忙しいから、
私はその時間に帰ってご飯を作って、
とりあえず一人で食べて、彼の分はラップして寝る。
で、朝何時に帰ってきたの?って聞く。
じゃあ寝て別れって話して。
で、またそれぞれ仕事に行って、
また夜になって朝になって。
ずっとそういう仕事。
で、私が求めてるその仕事のスタイルって、
こういうことなのかなってすごく悩み始めたんですね。
仕事は楽しかったです。
すごく新しい仕事でしたし、やりがいのある。
OLの時とはまた違うやりがいのある仕事で、
素敵な先輩方もたくさんいらして、
すごくいいとは思いましたけれど、
家庭を持ってるのであって、
やっぱり彼とのコミュニケーションっていうのも大切にしたかったので、
こういう仕事じゃないな、このやり方じゃないな、
家の中に男の人2人いなくてもいいかなっていうのが結論で。
なるほど。
そうなんです。
なので1年ちょっとぐらいでちょっと辞める。
ちょっと体調もあまり良くなかったっていうこともあって、
退職をしまして、
その頃ちょうど子供が欲しい時期でもあったので、
そこから妊活に入って、
半年後に授かったっていうことが分かったっていうような感じです。
じゃあそこからはちょっと一旦お仕事もそのままストップっていうか、
しない状態が続いたってことですか?
はい。そこからずっと10年ぐらい専業主婦をしてました。
その時に例えば自分の仕事に関しては、
こうしたいとかしたいとかいろいろ考えてはいたんですか?
それとも全く専業主婦に集中してたっていう子育てとか。
そうなんですよね。
疲れていたので最初半年間は楽しく過ごしていて、
そこから妊娠して身こもっていたので、
それはそれで楽しくしてたんですが、
7ヶ月の時に母を亡くしてるんですね、私。
妊娠中に。
母は交通事故で亡くなったんですけれども、
そうなんです。
なので、今日今元気であっても、
人の命はいつ終わるか分からないっていうのを身をもって体験をして、
その頃からですかね、
なんか本当にこのままでいいのかなっていう気持ちがちょっと芽生え始めたのは。
確かに自分の子供がお腹にいる中で、
自分の肉親を失うっていう、両方体験してるじゃないですか。
はい。
いろいろ考えますよね。
30:01
はい、そうですね。
なので、母は子供中心の生き方をしてきた人で、
ようやく子供の手が離れて、自分にやりたいことが見つかったっていう矢先の詩だったんですね。
で、それをずっとそばで見ていたので、
じゃあ母の生き方がしたいかって言われた時に、
NOだったんですよ。
なんかこう、私たちのために犠牲になってるって、
私は思ってしまっていた。
子供の目からね、見てね。
そうなんです。
なんかもっと母らしい生き方があったんじゃないのかなっていうのは、
子供心ながらにずっと思い続けていたことだったので、
もちろん大切にしてもらってすごく幸せだったけれども、
一人の女性の生き方としてはどうかなっていうふうに思っていた。
そうそう。
まあとはいえ、2ヶ月後に子供が私も生まれて、
まあそんなこと考えていられないほど忙しくなってしまうので、
もうちょっと気持ちがなんかもう全然、
ちょっとこうどこかに行ってしまっていたんですね。
このままでいいんだろうかっていう気持ちは芽生えず、
もうただひたすら目の前のこの日本語のわからないって思われる男を、
どうにかしなくてはみたいな感じで、
主人は相変わらず忙しいので、完全うちは母子家庭な感じだったので、
そうだったんですね。
そうなんですよ。
授乳で最初の頃って3時間おきじゃないですか、
夜中に授乳してる時に帰ってきて、
お、会えたねみたいな感じ。
彼の生活は変わってなかったんだね、全然ね。
そうなんです。全然変わってなく忙しかったんですね、彼は。
なるほどね。
そうです。
10年が経ち、お子さんが10歳ぐらいのタイミングで、
落ち着いてきたタイミングだったからみたいなところがあるんですか?
このままじゃよくないんだなって本気で思ったのが、
子供が4歳ぐらいかな、3、4歳ぐらいの時ですね、
幼稚園に入るぐらいのタイミングで入って、
ようやくちょっと自分の時間ができてきて、
その時に自分がやりたいことすらわからなかったんですよ、私。
子供のためにご飯を作る。
子供のために、例えばテレビも教育テレビ見てみたりとか、
本を子供のために読んでみたりとか、
とにかく自分じゃなくて子供のためだけに生きた数年間。
ふと自分に少し時間ができてきた時に、
じゃあ私何やりたいんだろうって思うようになってしまって、
いろいろ考えてしばらく経ってたんですけれど、
東京に新しいショッピングスポットができたので、
33:03
そこに遊びに行ってみようよって主人に言われて、
当時東京に住んでなかったので、
一緒に子供連れて遊びに行きました。
そしたら、その頃の私って本当にもう自分に完全に自信がなかったんですね。
もう30歳も過ぎてるし、ママになってるし、
別に着飾る必要もないし、
このままこうやって年を重ねていくのかなって、
なんとなくぼんやりと思っていて、
その未来は全く明るいものではなくて、
でも仕方なくて受け入れなきゃいけないかなっていう、
そういうイメージだったんですよね。
ハツラツとパーソナルカラーを扱って、
接客もしたいっていう、
ちょっと積極的な感じのイメージとはちょっと違ってますね、その頃って。
そうなんです。
全く自信が持てない状況になっていて、
そんな時に東京に行こうと言われて一緒に行ったら、
その行った先に、
私より絶対年齢が上だと思われる、
すごく綺麗な、なんて言うんでしょうね、
綺麗なっていうのが、外見もそうなんですけれど、
イキイキしてる。
すごく楽しそうにしている女性たちがたくさんいらっしゃったんですよ。
ショッピングセンターに。
そうそう。
お食事してて、ベビーカーなんだけれども、
すごくオシャレしてる。
なんか私はもう、
メンの服、
デニムにTシャツ、
洗って干せるみたいな服を着ていて、
一方あちらは、
ちょっとしたヒールの靴を履いて、
スカート履いて、
ちょっとなんか綺麗なお洋服を着てるんですよ。
もう私はそのお洋服はもう着ちゃいけないんだと思ってたし、
女性であることを諦めていた時期だったので、
すごく衝撃でしたね。
すごく楽しそうだった。
育てすることも楽しそうだったし、
エネルギー、
内からあふれ出るエネルギーみたいなものをすごく感じて、
私は年齢がもう30歳超えたから、
子供ができたから、
っていうことを理由に諦めていたけれども、
でも本当は諦めきれてなかったんじゃないか、
ってことにも気づけた。
じゃあ、もしかして、
何か始めてみたら、
生き生きと自分も生きられるのかもしれない、
ってちょっと思ったんですよね。
その時に、
36:00
主人がこのままでいいの?って私に声をかけたんです。
で、このままじゃやだってすごく思って、
それからですね、何かできないかな、
私らしく生きるってどういうことだろう、
っていうのを模索し始めました。
それがだから、お子さんがまだ4つとか、
その辺ぐらいから考え始めた?
そうです。
そのぐらいから考え始めて、
子育ても楽しかったんですよ。
一生懸命やりたいと思っていたし、
なので、子育ても諦めずに何か、
でもやっぱりやるんだったら趣味ではなくて、
仕事だなってその時に思って。
やっぱり会社員だと、前のような状況になる。
すれ違ってしまったりするから、
自分で起業してみよう。
もう一度って思ったんですね。
もう一度って感じですね、まさにね。
もう一度やってみようって。
その時に何で起業ができるかなって考えてみたら、
カラーアナリストとして起業した時、
あの時は体制できなかった、
やりきれなかった自分っていうのがいたので、
もう一度きちんと学び直して、
もう一度あの仕事をやってみたい。
今度はきちんとお客様にご提案できるような、
そういう自分に成長して、
仕事をもっとブラッシュアップした状態でやりたいなっていうことと、
あとあの時にやっぱりこんなに変わりましたって、
お手紙とお写真とか送ってきてくださる方がたくさんいらっしゃったんですね。
アナリストってか、やってた時に。
そうです、そうです。
なので、今みたいにメールとかもない時代だったので、
そのやっぱり嬉しかったことが忘れられなかった。
なんかその方の外見を変えるだけで、
変えていったら人生が変わる。
そんなにすごいことなんだ、ファッションっていうのを、
ちょっとかじっていたので、
もっとそれをたくさんの方にご提供できる自分になりたいというふうに思いまして、
じゃあいつスクールに通おうかっていう計画が出て初めて。
そうです。
うちは子供を小学校の受験をさせようっていうふうになっていたので、
それが決まったと同時ぐらいに、
もう学校ここに入ろうかなっていうところを決めて、
入学前後ぐらいから入り始めたって感じですね。
じゃあお子さんと一緒に自分も入学みたいな。
そうですそうです。
あなたの学びを。
そうなんですよ。
この番組は毎週金曜日をミドにお届けしています。
39:03
確実にお届けするための方法として、
iTunesやPodcastのアプリの購読ボタンを押せば、
自動的に配信されますので、ぜひ購読するのボタンを押してください。
また皆様からの質問や感想をお待ちしています。
オフィシャルサイトはパリプロジェクトで検索していただき、
お問い合わせから質問や感想をぜひ送ってください。
オフィシャルサイトからLINEアットやメールレターで有益な情報をお届けしているので、
こちらもぜひ登録してくださいね。
また次回もパリで学んだぶれない自分の作り方をお楽しみに。
あきでした。
39:47

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