1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.106「できなかったら後悔..
2018-04-05 45:56

Vol.106「できなかったら後悔があるか、が好きのポイント」

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エッセイスト、翻訳家の中島さおりさんのインタビュー1回目。専任講師になるか、渡仏するかの人生の選択をすることになった経緯や、フランスとの関係、本を書くことになったきっかけなどについてお話してくださっています。

オープニングでは、5月19日に行うパリでのイベント、大東めぐみさんの出版講演会についてお話しています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:14
こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさよみさんどうぞよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
4月に入りましたね。
はい。
多分パリはまだ4月だと春って感じがしない感じなんですけどね。
ちょっと一個前進したように感じてまたちょっと寒くなるみたいなね。
でも日は伸びてますよね。
そうですね。
確実にね。
だいぶ朝起きた時に明るくね。
明るいし。
でもだいぶ明るいですよね。
そうですね。
6時過ぎても余裕で明るくなっているので。
以前はもう5時過ぎて真っ暗でしたけどね。
真っ暗で寒かったからね。大変だったと思うんですけども。
で、ちょっと今日はね、私が変わっているプロジェクトのお話をしたいんですが。
はい。
私が以前、ポッドキャストでもインタビューさせていただいた大東恵さんという方なんですね。
はい。
女性の企業プロデューサーみたいな形なんですけども。
彼女が2冊目の本を出版されたんですね。
前回の時は1冊目の本を出されたんですけども。
今回はもう発売されてるんですけども。
笑顔を増やすだけで年収1500万。
いいですね。笑顔を増やすことが大事だよと。
私も笑顔を増やそうみたいな。
我慢しないで幸せになるっていう本を。
それはいいです。
出版されて、今これから4月全国、いろんな東京とか沖縄とか大阪とか名古屋とかで
プロモーション。
プロモーションというか出版公演をされるんですね。
その中でヨーロッパでもやろうっていうことになり、なんとパリでやることになります。
すごい。それはいつでしょうか。
それはね、5月の19日の土曜日の夕方4時から6時なんですね。
その後懇親会みたいな感じでやろうと思ってるんですけども。
詳しいことは詳細案内を見てほしいんですけども。
彼女っていうのは元々やはり香港に住んでいて、一人ぼっちのところから
自分一人で場所を選ばず、どこでもできる仕事っていうのを自分で作り出していったっていう
大企業にいたところからね、やっていったっていう話をしてくださってたと思うんですけども。
その部分を日本で聞ける人はもちろん日本でもいいんだけど
海外でビザの問題があるとか子供が小さいとかっていうことで
もやもやしてる人たちって多分まだいっぱいいらっしゃると思うんですよ。
そういう人たちにこれからの女性の働き方っていうのをもっと自由に考えていいんだよっていう視点で
講演会をしようということになり、何を話してくれるかっていうのはまだ伺ってないんですけども
03:01
もしかしたら第1部と第2部で別れて、第2部は私も一緒に登って登壇して
彼女に質問するという形でトークショーみたいな感じになるかなと思うんですけども。
だから日本から来る人たちもいるんですね。
せっかくだからパリを楽しもうということで
初日は彼女の講演と講演会で、次の日はパリ観光ツアーをやろうと思ってまして
私がいろいろオーガナイズして
日曜日ですね。
日曜日のせいの川行ったり
だいたいみなさんラジュレ行きたいみたいなので
ラジュレでランチをしたりとか
やっぱり行きたいところ、みんながブラブラしたいところを
まだ詳細決めてないんですけども
ツアー的に
めぐみさんとも一緒に空間を体感しながら話もいっぱいできるし
いろんな彼女の考え方をインストールできる時間を作ろうと思ってますので
それは楽しみですね。
よかったら5月19日ぜひ
気候もいい時期ですよね。
日も伸びて
先週も話した通り
外の問題はあるかもしれませんが
そこだけちょっと
電車移動はしなければ
電車移動ってメトロは多分動いてるはずなので
メトロはだいたい大丈夫
空港と市内を結ぶ電車は乗らないとか
タクシーをうまく使ったりすれば
多分問題なくはいけると思いますので
よかったらぜひ
ヨーロッパ中の人たちに来てほしいなと思っていて
もうすでにドイツからも来てくれるし
イギリスからも来てくれるし
いろんな各国からも声は上がってるので
せっかくだったら
フランスの人だけじゃなくて
ヨーロッパ中の人に来てほしいなという機会を設けましたので
ぜひパリに集合みたいな感じで
楽しみにしてます。
ぜひ詳細は
Facebookとかブログの方でまた公開してますので
詳細はまたご覧ください
それでは本編スタートです
今回4月の頭ですのでインタビューです
今回のインタビューは
エッセイストで翻訳家の中島沙織さんです
中島沙織さんは
今もずっとフランスにお住まいなんですけども
なんとさゆみさんのご紹介
さゆみさんは沙織さんとはどういうご関係というか
どういうきっかけで
ご近所さんです
じゃあもうフランス来た頃からご存知だったんですか
2番目の子供を産んだぐらいの時から
06:00
お知り合いというか
そこからのお付き合いですね
さゆみさんから見た沙織さんってどういう存在
すごいインテリな方
とてもインテリな方で
キレ伏す感じですね
彼女が書いてた本とか私読んでたので
その本にかなり勇気づけられて
フランスでの子育てを
頑張ってこれてたとこがあったんですよ
その方がたまたまご近所さんだったっていうので
もうたまたま友人の紹介だったんですが
びっくり
本持ってサインしてくれみたいな
すごい勇気をね
いただいた方ですね
フランスでも何とかこういう方が
先輩としていらした
私も何とかやっていけるかしらみたいな
そういう勇気をいただいた方ですね
そういうご縁でね
さゆみさんに紹介していただいて
さおりさんにお会いしたので
お話を伺いました
ぜひまず1回目のインタビューをお聞きください
こんにちは 秋です
素敵なゲストをお迎えしています
エッセイストで翻訳家の中島さおりさんです
さおりさん今日はどうぞよろしくお願いいたします
よろしくお願いします
さおりさんはエッセイストで翻訳家ということなんですけども
今までどのくらい本を書きになっていますか
本は私が書いたのは
パリの女は産んでいるという本でデビューしまして
それからパリのママの24時間という
パリのお母さんたちの生活ぶりというか
働くお母さんたちのインタビューを出しまして
それからパリの女は産んでいるという本を書いたら
いろいろ反響がありまして
いろんな質問を受けたんですね
その質問にきちんと答えられなかったり
ちょっと日本でいろいろ誤解があるなと思ったようなことがあったので
それについて返事をするというか
答える形で
なぜフランスでは子どもが増えるのかという
高段者心象を1冊書きまして
それが女性の子どもとお仕事というような
そういうシリーズだったんですけれども
最近になって子どもが大きくなってきましたので
自分が子育てをしていて見てきた
フランスの教育について哲学する子どもたちという本を書きましたから
4冊ですね
それからいろんな協調の形で
ひとつ書いたものがありました
09:00
そうなんですね
翻訳もされているの
翻訳はどちらかというと文芸ものなんですか
そうです
文芸翻訳ですね
本は出しているのは文芸翻訳です
文芸翻訳ですね
頼まれて他の翻訳の仕事もしますけれども
この間ロダンについての映画
ドキュメンタリーの翻訳とかしました
面白かったです
ドキュメンタリーというのはどういうことなんですか
ロダンのリビノインフェルノというタイトルなんですけど
地獄の門をどういうふうに制作したかというか
地獄の門というのは謎があって
それはすごく面白いドキュメンタリーを
フランス人の方々がお作りになって
去年がロダンが亡くなって100年でしたっけ
確かに何かありましたね
それでグランパレーで展覧会があった時に
流したドキュメンタリーで
いろんなところで上映しているんですけど
それを上野の西洋美術館で上映するというので
字幕をつけてくださいというお仕事が
お友達から回ってきたのでやりました
字幕翻訳も
私は字幕翻訳初めてやって楽しかったんですけど
そういうこともやりますし
今ちょっと美術館の仕事で翻訳をやったりとかもしています
だから文芸翻訳じゃないものもやります
そうなんですね
今書いてらっしゃるときと翻訳って
同時閉校でやったりしてたんですか
そうですね
本に関してはそうじゃないですね
だからしばらく数年
自分の本が出せなかった間は
翻訳の本を出していました
結構どの本も
沙織さんの本って読み応えがあるというか
さらさらって読めそうで
結構しっかり読まなきゃいけないという感じが
そうですか
ボリュームって意味だけじゃなくて
ちゃんとさらっという気軽な感じで
ちゃんと読むという感じが
私はしたんですけど
だから相当調べたり
相当準備をされて書いたんじゃないかなっていう
これはあくまでも素人目線
読者目線なんですけど
調べてから書いているわけではなくて
書きながら調べているような感じはするんですけども
ただ読みやすいということが大事だと思うんですね
私自分自身が怠惰な読者なので
読みにくいものは読めないので
読みやすい
私は自分の本を読んでいると
さらって終わるなみたいにいつも思うんですけど
でも読みやすいようには書いていますけど
ただ何というか
やっぱりあまり中身のないことを読んでも
12:04
時間の無駄だったみたいなことになると思うので
やっぱり伝えたいことはあって
他のところで言われていないことを書くのでなければ
私の本を読んでいただく理由がないですから
それは気をつけているかもしれませんね
ちなみに今回2016年で哲学する子どもたちは
どれくらいの時間をかけて書いたんですか?
これはですね
どういうふうに言ったらいいかな
これ自体は企画が通ってから
原稿を上げてくださいと言われるまでに
4ヶ月ぐらいしかなかったですね
たった4ヶ月ですか?
それで4ヶ月じゃできませんって言えないじゃないですか
やっぱりせっかく
だってなかなか企画は通らないですよね
本を出してあげましょうとは言われないわけですよ
だからもうそれは4ヶ月で仕上げると言われたら
4ヶ月で仕上げるしかないですね
だからやりますと言いました
それでやりましたけれども
でも本当に大変だったので
普段だったらきちんと4ヶ月で原稿を出して
それを入稿してということになるんですけれども
入稿した段階ではまだ最後の2章がなかったみたいな
後から諸行ゲラとかの時に
ようやく後の2つが入ってというような
本当に大変でした
だから編集者の方とても苦労なさったと思います
同時進行で
ただそうなんですけれども
この中には私がその前にブログで書いたものや
それから昔ウェブマガジンに連載していた
それはあまり使ってないんですけれども
昔書いたものなどを焼き直して書いたところなどがありますので
そういうことを考えるともっと長い時間かけていますし
それで子どもとの経験というのは何年ものものがたまっているんですね
ですからそういう意味では長時間かかっているというふうにも言えると思います
ちょっと本の話は後ほどゆっくりお伺いしたいんですけれども
沙織さんの今までのどんな生活を送ってこられてきたのかというところを
ぜひお聞きしたいなと思うんですけれども
私はフランスに来たのは
年がわかりますが1987年だったんですけれども
それは留学生で来たんですね
その前は学生さんだったんですか日本では
そうです
日本では勉強されて
私は正統的なフランス文学の普通文の学生だったので
15:05
それでフランスでもフランスの大学に行って
修士論文を開くので来たんですね
なるほど
日本でも大学と大学が
そうです日本で4年生の大学終わって
修士の学生で来たんです
本当は本来は修士論文を日本で終わりにしてから
フランスに来るつもりだったのに
修士論文が終わらなかったので
修士論文を終わりにしなきゃならない年に
フランスに来て
日本の修士とフランスのメトリーズというのを
両方同じ年に取りました
でも内容もほとんど同じですから
それは苦労しなかったんですけれども
それで取りました
その後修士論文を書いたんですけれども
修士論文を書くためには
やっぱりずっと閉じこもって
勉強しなければならなかったんですね
そうするとせっかくフランスに来ているのに
あんまり遊んでなかったし
閉じこもってたみたいな
閉じこもっていると人と話もしないので
全然フランス語が上達しなかったんですね
ちょっとそれがトラウマになりまして
全然フランス語もできるようになってなくて
これで帰れないみたいな気持ちになったんですね
それで留学生活を延長して
フランスに残ったわけなんですよね
だけど私
それで学生としてフランスにかなり長いこといまして
その間にいろいろ
アルバイトというかいろんな仕事があるかもして
フランス語はワイドできるようになったかな
みたいにはなったんですけれども
その間今度は逆にですね
アカデミックな勉強をしなかったんですね
なるほどね
一行的なそういうのは
そうですね
だから通訳とか何かをしましたし
フランスのこともだんだん分かるようになってきて
そうですね
その当時文学の勉強はしたんだけれども
文学の勉強というのが
私今は違う考えですけど
その時はとても生活というか
人生とかけはがれているような気がして
すごく狭い世界のような気がしたんですね
なるほど
だからそれこそ
ちょっと大げさな言い方ですけど
パン屋でパンも買えないのに
アルベル・カムのフランシーは読めるぞみたいな
18:01
ちょっとどうなのかみたいな気がしてですね
そういうフランスっていう社会のことも
この国のことも知らない
テレビ見ても誰が出てきても分からない
だけど学術論文は書けるみたいな
そういうのどうなのかなっていうふうに思って
その当時はとても自分がやってきた文学の勉強や
フランス語の勉強の仕方とかも
疑問をすごく持ってしまったんですね
それでもっと現実に対応した
フランス語の力や
それからこのフランスの社会っていうのは
すごくやっぱり日本と違う
そういうことが分かるようになりたいみたいな
そういうものがあって
それでちょっと勉強を疎かにしたんですね
だんだん本当に
ちょっと私以外の誰も関心を持っていないような
研究じゃないみたいに思っちゃったんですね
そういうことなどもあって
それから文献とかを読み込むには
だからといって文献とかを読み込んで
緻密な研究をするには
本当にフランス語力も足りなかったと思うんですよね
そういういろんなことが重なって
博士論文を書くモチベーションがなくなってしまったんですよね
それで学業的に挫折したんですね
それはちなみにフランスに来てからどれくらい経ってたんですか?
そうですね、何年経ってたかな
もう最初から
とにかく修士論文はとにかく
出来上げる
せっかく来たのに学位取らないで書いたら
ダメだと思っていたので
必死で書いちゃったんですけど
書いちゃった後で
学位は取ってもこんなにできなくちゃって思ったのが
思ってから3年くらいかな
そうですね
そんなことができたっていうのは
恵まれていたんだと思うんですけれどもね
それで博士論文は書けなかったんですけど
でもフランス語とかできるようになったし
フランスの社会のこともある程度わかったから
じゃあこれで帰って
フランス語の先生になろうかなと思って
それでフランス語の先生になるための
ディプロムを1年準備して
教授資格取って
それで日本に帰ったんですね
1回帰られたんですね
帰りました
それで日本に帰って
大学で非常勤講師をしていました
21:02
それがすごく楽しくて
楽しかったんですよね
学生さんに教えるのは
それはフランス文学の
学生さんに教えるだけじゃなかった
文学科っていうのの先生になるのは
すごい大変なことなんですね
ですから私がやってたのは
フランス語の教師だったんです
よく一般教養とか
第二外国語でやるような
第二外国語の教師をしていました
しかも大学の専任教員じゃなくて
時間講師みたいな
そういう非常勤だったんですけど
大体非常勤何年か勤めるってから
常勤の声がかかるものなんですが
でもなかなかなるのは難しくて
今本当にフランス語の先生なんて
全然ポストないよみたいな感じなんですけどね
ただ私その頃もうちょっと
年が結構30代半ばだったんですね
それで子どもとかも欲しいなって
思っていたわけなんですよね
それでですね
フランスにいたときの彼氏から
戻ってこいっていう風に言われまして
それとだけど日本で
専任の口があるかもしれなかったんですね
極端な
人格が
だからそれで私は皆さんに
あまり自分の生き方なんか
勧められないっていうところがあるんですけど
それでどうしようかなって思ったんですね
そんなことは何聞かれたんですか
思ったんですけど
だから仕事決まったら
残ろうと思ったんですね日本に
だけど仕事決まらなかったら
もうフランスに戻って
結婚しようと思ったんですね
結婚って結婚じゃないんですけど
一緒に暮らすもんね
そしたらダメだったんですね
運命のいたずらだ
そうなんかね
残念でしたけどね
ダメだったんですよ
それでじゃあダメだったから
フランスに戻るかって思って
戻っておきまして
非常勤の仕事も辞めて
全部リセットする感じで
フランスに戻ったんですか
いろいろそういうところも
人に自慢できないようなことがありまして
だからある意味仕事も
私が書いた本の中では
フランスの女性は仕事か子供かっていう選択
迫られてないよっていうことを書いたんですね
仕事も続けながら子供を育てることができる
そういう社会ですよねフランスはね
そういうことをいっぱい書いてて
でも私自身は迫られたわけですね
子供が欲しいか
24:02
もう30の半ばだったので
しかもフランスにいた彼氏と付き合っていたから
彼氏が日本にいなかったんですよね
そうするとここでリセットするには
誰か見つけて
子供をこの女にやろうと思わせる
2年かかると思ったんですよ
2年かかったら大丈夫かなみたいな
心配があったんです年齢的に
2年ってどこからくるんですか
なんとなくそう思いませんか
新しく男性と知り合ってですね
この人と結婚して
子供を一緒に育てていこうかなって思わせるのに
2年かかりませんか
こちらだって
いくら年齢的に焦ってるとか言っても
なんでもいいわけじゃないし
信頼できるかとか
最低2年かからないかなって
私はすごく時間かかる人間なんで
30の半ばでプラス2年となると
本人的にはそういう悩みがある
せっかく帰って来いと言ってくれるわけですし
プラスに渡ったわけですね
仕事は後でなんとかなると思ったんですね
その時はね
つながってくるんですね
仕事はなんとかなるだろうプラスに行ってからでも
だけど夫的に言うと
この人を逃したらとか言うといいんだろうけど
そこまでなかったかも
この年齢を逃したら子供が
産めなくなるかもみたいのはすごかった
それで帰ってきたんですね
ただところがプラスに戻ってきて
すぐにめでたく子供ができちゃったんですね
すごい
だから戻ってきてすぐに妊娠したんですね
それはすごく嬉しいことではあるけれども
仕事をしたりする孫がなかったんですね
しかもいろいろ私は後悔があるんですけど
日本に戻って仕事をしていた時にも
他の仕事の誘いとかがあったんですね
大学でフランス語を教えるんじゃなくて
横浜映画祭っていうのをやっていたし
あそこの横浜フランス映画祭をやっているフランス人から
そこでお手伝わないかって
ここで働かないかっていうお誘いがあったんです
私はそれをやっていれば
おそらくフランスに戻ってきた時に
仕事の手がいっぱいできただろうと思うんですね
今でもそう思うんですね
だけどフランス語を
27:00
日本の大学でフランス語を教えていたのでは
フランスに来た時にできることがないじゃないですか
誰も私にフランス語を教えてもらいたいと思っている
フランス人はいないわけですよ
だからそういう仕事の選択を間違えたとは思うんですが
横浜映画祭のお話があった時には
もう私はちょっと義理のある大学の先生に
頼まれて非常勤やりますって言っちゃった後だったんですね
しかもそれをなぜ私に頼んできたかというと
もう本当に決まっていたのに
決まっていたのにここに来て
やれないっていう奴がいるんだよって怒ってらっしゃる
だから助けてくれっていうことで取っていただいたんですね
また非常勤というのもそれなりに見つけるの難しいことなので
先生は私を助けてくださろうと思って
行ってくださったことなので
それを蹴って横浜映画祭のほうにはいかれなかったんですね
それで大学でフランス語を教えていて
それ自体楽しかったんですけど
それは良かったんですが
フランスに戻ってくるということになったら
やっぱり日本でフランス語を教えていたというキャリアは
あんまり役に立たないキャリアだったんですね
ですから戻ってきて1年目に赤ちゃんできちゃって
赤ん坊が生まれるとなかなか大変ですよね
それで仕事ができなかったんですね
そういうことがありました
ただ赤ちゃんを育てている間
私は家にいたんですけれども
その間たった一つやってきた仕事がありまして
それが雑誌フランスという白水社の雑誌という
語学雑誌なんですが
そこにもずっと前から書評を書いたりしてたんですね
その編集者の方が
フランスに戻りますって言った時に
フランスに戻るんだったら
エッセイを書いてくれないかって言ってくださったんです
それがすごくなんというか
もしかしたら生まれて直後はまだ書評だったかもしれない
とにかく雑誌に書かせていただいてたんですよね
それで雑誌に書かせていただいて
戻ってきて1年目の妊娠してた時には
まだ書評とか何かをやっていたと思うんですが
エッセイを書けと言われてすごく嬉しくて
私何書こうかなと思って
一生懸命立派なことを書こうと思っちゃったわけですよ
ところが妹が
私フランスにエッセイ頼まれて
何書いてもいいんだって
何書こうかなって言ったら
妹があなたは今赤ちゃんがいて
そうだったんですよね
赤ちゃんがいて何もできない状態でしょって言われたんです
それでそうだなみたいな
外もなかなか行かれないし
勉強もね
だけどお姉さんの話を聞いていると
30:01
子育てとか
あなたの病院で子供を産んだ時の状態状況とかが
すごく日本と違っていて
面白いから
それを書いたらいいと思うって言われて
自分のことなので
別にそんなに調べなくても書けるしって言われて
子持ってても書けますよね
私の妹は昔
編集者してたんですね雑誌の
だからそういう編集者としての
目線が
目線がなかなか鋭いので
そっかっていうことで
それでフランスっていう雑誌に
フランスでママになるという連載を
エッセイの連載を2年間させていただいたんですね
それがパリの女は産んでいるっていう本を出す元になるんです
それはとても楽しかったです
自分のことを書くんだけれども
自分のことだけ書いてもしょうがないし
偏るので
いろいろ調べたりとかして
赤ちゃん雑誌と言いましてね
面白かったです
そんなのを書いたのが
私が本を書くきっかけになりました
それでパリの女は産んでいるという本を書いたらですね
編集者の方が推薦してくださったおかげで
日本エッセイストクラブ賞というのを
いただけまして
それはとても嬉しかったです
そして自分は
勉強とかを途中で辞めてしまって
フランス文学者としての業績とか何にもないわけですけれども
こうして本を出すことができて
ようやく親に報いることがあって
親はもうあの子は何をやっているんだ
みたいだったと思うので
そういうことがね
自分のやってきたことが
そして自分が学校の先生になるのを辞めて
家に来てしまって
やったことって言えば子供を育てただけみたいな
そういうことになりそうだったわけですけれども
それを白水社が
エッセイを書かせてくださったおかげで
それを元に
後から書いた部分の方がずっと多いんですけど
そういう本を出すことができて
自分のやってきたことが
みんな無駄にならなかったかな
つながっていたみたいな感じですよね
それは嬉しかったです
なんとか辻褄を合わせて生きてきたという感じで
だからあまり人様に誇れることはないんですけど
単純な興味なんですけれども
沙織さんとフランスの関係
フランス文学に興味を持ったきっかけとか
それはもうすごく簡単なことで
私は両親が2人ともフランス語の教師なんです
大学のフランス語の教師だったんですね
33:05
だからフランスという国は私にとっては
子供の頃から一番身近な国で
私がちょうど3歳の時に
父が在外研究でフランスに行ったんですね
1年留守だったんですけど
それでお土産にフランスのお人形とか
買って帰ってきてくれるわけじゃないですか
だからフランスというのはいい国だな
と思って大きくなったんですね
それが一つあって
あとは高校時代に
フランスの詩が好きだったんですね
高校時代は友達の影響で
詩をいろいろ読んだんですけど
みんな翻訳ではないんですけど
各国のいろんな有名なものを読みましたけど
その時にフランスの詩が好きで
よくあることですけど
ランボーとかボドレルとか好きだったんですね
それで大学は普通文化に行きました
それまではフランスは興味があったけど
フランス語っていうものはやってらっしゃったんですか
私はフランス語は高校でやってないんです
本当にじくじたるものがあるんですけれども
私の高校にはフランス語はなかったんですね
何人か集まると先生呼んでくれるという話だったんですけど
集まらないのでなかったんですね
ですから親はフランス語の教師なんですけど
大学で初めてフランス語を勉強したんです
それが私のコンプレックスになって
私は良心堂フランス語教師だから
先生方も業界の人でよく知ってるわけじゃないですか
知ってるんですね
それで中島先生のお嬢さんだから
フランス語ができて当たり前と思うわけですよ
だけど私は本当に皆さんと一緒に
大学の一年生で始めてるから
決してできないわけですよね
必要以上にできないわけですよ
だから本当にいつも自分は
フランス語ができないできないという
そういう意識がすごく強いので
実際に習せば普通にはできたんだと思うんですよ
成績が悪かったわけじゃないんですね
でもやっぱり高校からやってる人とは
こんな運命の差があるし
特別よくできないんですね
別に親がやってたって
遺伝子に何か足るわけじゃないですか
1からゼロからやらなくちゃいけないので
そうですね
そういうコンプレックスがあったんですね
多分大学院とか行ったのもそのせいで
大学4年で
いつも私はそういうのがあるんですけど
ここまでやったのに
これ?みたいな
いつも生み合わせをつけなきゃいけないような気がして
納得できない感じですか
納得できないですよね
長いことやっちゃうっていう
続けちゃう
同じです
だからフランスに留学しても
1年でこれで帰るわけにはいかないみたいに思って
36:03
い続けちゃうみたいな
時間のかかる人間なんです
でも継続するってことですよねその分
そうですね
だから長さで生み合わせをつけているんです
さっきも雑談の時に
ピアノの話をしてらっしゃいましたけど
ピアノもカレコレ
そうです
ピアノも才能もないし
練習もしないので
子供の頃ですね
同じ先生に習っている
同い年の仲間の中でビリビリ
みたいな感じで
沙織ちゃんはね
みたいな感じなんですね
みんな音大とか行って
沙織ちゃんは普通の大学
みたいな感じなんですね
だからできなかった
私今もできないんですけど
できないという意識があるから
またやろうかなみたいな
でもやっぱりそれで自分を
納得させる感じなんですかね
やっぱりやることに
できないっていう思いとかを
やっぱりそうですね
ピアノはできないっていうのを
克服したいと思ったんですね
8年前に
なるほどね
その子供の時の思いも込めて
克服っていうか
やっぱり手を置いてですね
楽譜を見て
音符を音にするぐらいは
できるんですよね
またそんな子供の時
習ったから
だけど綺麗に弾けるっていう風に
なってないんですね
なってないんですよ
ものすごく難しい曲が
弾けなきゃいけないとか
いうことはないけど
ある程度の曲がやっぱり
綺麗に弾けるっていうレベルに
なってないっていうのは
ちょっと嫌で
嫌でっていうか
私ピアノは割と好きなんですね
だからずっと
習わなくなってからも
一人で弾いたりするんですけど
もうちょっとちゃんと弾けるような
そういう風になってから
信じたいと思ったんですね
このままだと弾けないっていう感じで
死ぬことになるぞみたいな
始めた時に
40代の終わりぐらいだったんですね
だからまだこれからやれば
上手くなるんじゃない?
って思ったんですよね
だけど今やらないと
上手くならないで終わるぞ
と思って始めたんですね
でも8年やって分かったのは
練習しなかったから
下手だったんじゃなくて
本当に私は下手だった
練習してもあんまりなぁみたいな
でもやっぱり
やったことは満足ですね
続けてるっていうところが
皆さんにそう言われますよ
続けてるのが偉いよねって
そうかもね
そこができない人の方が
多いんじゃないですかね
ただ続けるだけなら
誰にもできるけど
嫌になったら続けるのも
嫌になってくるじゃないですか
普通は
それは好きじゃないんですよね
好きではないことは
別にできなくてもいいんですよ
39:01
でもできるようになりたいと思って
そうですよ
だって私は多分できないこと
いっぱいあるんですね
好きとかできないし
私好きやったことないから
できないですね
でも好きできないからって
後悔はないわけですよ
全然
だからどこに自分が
これができなかったら
嫌だっていう後悔があるか
っていうことは
やっぱりそれが好きだとか
いうことで
その人にとって大事なことなんですよね
そうじゃないことは別に
できなくとって
全然構わない
関係ないって感じですもんね
はい
沙織さんの1回目のインタビューでした
どういう形でね
フランスにいらっしゃったのかとか
フランスと彼女の関係とか
本を書くきっかけとか
そういうことを
お話しいただいたと思うんですけども
沙織さんの話は
多分さゆみさんもご存知だった部分も
多いかもしれないんですけど
どの辺が印象に残ってますか
私はね
その知らなかった部分ですけども
フランスに戻ってきた理由
1回日本に戻られた後ね
年齢
年齢のこと
あとやっぱり子供が欲しい
いうところで
旦那様になった方のことは
好きだけど
なんかそれよりも
なんていうんだろう
もっと別の
子供の方が
そっちの方が
プライオリティが高かったということで
すごいやっぱりはっきりされてる方
だなと思って
いろんなタイミングがこう
巡り巡って
なんていうんだろう
そういう風になった
ということですよね
ある意味ちょっと運命に任せたみたいな
だから彼女も最後言ってましたけど
つながってたっていうところですよね
そうですね
だからこう
もともとすごく
お勉強もされてたし
キャリアとしてもね
きちっと確立されてたけれども
やっぱり
人間の本能的な部分に
引っ張られて
みたいなところがね
すごく興味深いなと思いました
30半ばは悩みますよね
悩みましたよ私も
やっぱり
30頭とまたちょっと違うと思うんですよ
マシティア彼女の場合
日本かフランスかっていう選択もあったわけだし
1000人の教師のポストが
入れるか入れないかっていうのと
子供は今度フランスに行くっていう方になっちゃう
全く別じゃないですか
結局
彼女がもし万が一1000人になってたら
それはそれで多分また彼女らしく
生活したと思うんですけども
運良くか運悪くか1000人落ちてしまって
結局フランスの方に渡ったら
42:01
結果的にすぐ子供もできたみたいな
すごいですね
流れにちょっとそういう時は身を任せて
見るっていうのも
何か意味があるのかなと私も
そういう結果が出るっていうのは
何かやっぱり意味があるのかなと思いましたけどね
なんか結果的には
もうどっかで長尻を合わせちゃうっていう
意味があるから
どんな風になっても
結果的にそうなるんじゃないかなと思うんですよね
だから本当にさっきも言ったように
日本で1000人になったとしても
なったらなったで
多分また彼女が生きていく道を
多分自分で切り開いていくと思うし
また子供はその時どうしてたか
2年間かかるって彼女は言ってたので
でもそれは何か分かるような気もします
大体2年見積もっておけば
でもおへなし子供は
作ろうと思ってすぐできるわけでもないし
やっぱりちょっとある程度長く見ておかないと
結局妊娠したからといって
やっぱり10ヶ月近く待たなきゃいけないわけだから
時間が一番読めないのは
この部分だと思うんですよね
あと私がすごい彼女の
彼女っぽいなと思ったのは
続けるっていうことなんでしょ彼女
時間をかかるからって彼女はいつも言ってるけれども
必ず下手の横突きだって言い方をしながらでも
でも好きだから自分が納得できるまでは続けちゃう
ピアノの話とかね
そうピアノの話とか
それはすごい分かります
下手でもやっぱり納得いくレベルっていうのにいきたい
分かるそれは分かる
だから器用だったら器用なりの悩みはあるけれども
不器用でも
だからそれを納得させるために続けるっていう能力がついてるわけだから
ある意味
どこにポイントが含まれてるのか分かんないなっていうぐらい
続けることの強さはやっぱり彼女は持ってるわけだし
後悔したくないって言い方を彼女はしてたわけで
死ぬ時のことまで考えてるっていうのはすごいなと思いましたよ私
これができなかったら後悔があるかとかないかっていう
スキーの話もしてましたもんね
スキーは全然やれなくても後悔がないから
それっていいことですよね
なんか自分の人生においてはこれができなかったら
死ぬ時にどう思うかっていう基準で考えてみるっていうのは
すごくいいかなと思いました
好きかどうかの判断基準になりますよね
この後は彼女の書いた本について伺ってますので
また次回も楽しみにしていてください
ありがとうございました
45:06
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また次回もパリで学んだブレない自分の作り方をお楽しみに
秋でした
45:56

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