1. 広告を楽しむ『アドバタラヂオ』
  2. #32【"やってみなはれ"とは超..
2021-08-02 35:42

#32【"やってみなはれ"とは超ド級に重い言葉だった】ハイボールの歴史 vol.02<トレンドトーク>

みなさん、初めまして。アドバタラヂオ(AdbataRadio)と申します。

僕たちの番組では、広告に関わる出来事や出会いを通して、

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00:02
ということで前回の続きなんですけれども、とてもとても大事な言葉を実は、前回はまだ言わなかったんですね。
何ですって?
これがですね、サントリーさんの一番大事なキーワードなんですけど、これは今回の話で出させてもらうんですけれども、
前回は創業者のトリーさんの話をバーっと駆け足でさせていただきました。
1946年にトリース誕生して、日本のウイスキーが世界にやっと認められたというところまで話をしたんですけども、
こっからですね、一応右肩上がりではあったんですが、1983年そこからだいたい40年ぐらいですね。
40年後ぐらいにウイスキーはピークを迎えます。消費量。
なるほど。これ以上爆発的でもう無理です。
こっからどんどん右肩下がりになってます。1983年ですね。
頭打ちからのこれですね。
これがですね、結構いろんな要素があるとは言うんですけども、先進国では健康志向からまず低アルコールのもの、ノンアルコール飲料がまずベースとして衣られた。
これは今でもあり得ることです。
あと焼酎ブームっていうのはここで来てしまったと。
さらにビール消費の急拡大。ビールがものすごい売れた中でサントリーは、実は前回話してなかったんですけど、ビール失敗したんですよ。
サントリー?
そうなんです。オルガビールっていうのを一回やってたんですけど、トリーさんはビール失敗したんですよ。
なぜかというと、リーダーとしてサントリーは市場に出るのは強いんですけど、これも割と文化的なんですけど、
後発で行くと弱いらしくて。
一番は?
一番最初にバーって行くのは、そこから走り去るのが上手いんですけど、後ついていくのは割とダメだったらしくてですね。
その時のアサヒの前任の会社とかがガツンとやってる中で、やっぱりトン屋が受け付けてくれなかったりとか、市場規模的に大きくない段階でスタートすると、まあ潰されちゃいますよね。
なるほどね。
という歴史もあり、ビールっていうのはやってなかったんで、ウイスキーが右肩下がりイコール業績もなかなか厳しくなってくるっていう時代背景だったんですね。
これね、あとイギリスの出税率っていう問題もいろいろあるんですけど、いろいろ複合的に影響して1983年をピークにウイスキー消費っていうのは右肩下がりになりますよ。
でですね、そっから時を経て1961年、先ほど前回お話した次男の佐治圭三さんに経営バトンタッチしました。
03:09
で、鳥居さんは懐中なんですよ。でも鳥居さんはよく亡くなっちゃうんですよ。だからこう、仕事に生きた人なんでしょうね。
つまり1962年にお亡くなりになったってことですね。
みたいですね。
で、佐治さんはビール業界の本格参入を押し詰めてたんですよ。
なるほど。はい。
で、超バトったらしくて。
やめとけと。
なぜなら鳥居さんは、真次男さんは一回失敗してるから。
無理だぞと。
そう大変だぞっていうところがあるかと思いきや
前に佐治圭三さんが鳥居さんにビールやりたいと。ビールで勝負していかせてほしいと。
承認してくれと。
承認してくれと。
言った時の鳥居さんの返した言葉は、これはもう有名な話なんですけど。
わてはこれまでウイスキーに命をかけてきた。
あんたはビールにかけようと言うねんな。
人生はとどの妻にかけや。
わしは何も言わん。やってみなはれと。
うーん。
これが最後のやってみなはれ。
やってみなはれ。
って言うのはもうこれ、三鳥居さんの起業理念。
そうですね。
ずっとなってくるんです。これがですね、やっぱ全てにおいて大事なところなんですよね。
やってみなはれ。
うーん。
ただね、実はやってみなはれっていう言葉だけが僕は一人歩きしてるなと思ってたんで、今回はその前の分も全部。
いや、これはね、素晴らしいことですよ。
やっぱりそこだけ切り取られちゃうと、そこのストーリーまでじゃないとその言葉の意味、価値がだいぶぶれちゃいますから、何でもやっていいっていう意味ではない。
何なら鳥居さん一回失敗してるんだよ。
そうだね。
ビール業。
多分その経験則に裏打ちされた、さじさんが聞いたそのやってみなはれは相当プレッシャーだと思う。
いや、ですよね。だって鳥居さんがウイスキーに命を懸けてきたことは息子ながらずっと見てるわけじゃないですか。
そうだね。
で、その命の懸け方をお前はビールでやれよって言われてるんですよ、これ。
そうだね。思いっきりなんか剣先をずっとここで。
いや、それぐらいすごい。
でも最後の言葉のやってみなはれっていうのは、自分が経験して失敗したことも全て含めてやってみなさいって言えてるっていうのはすごいですよね。
失敗さえももしかしたらケツ持つとは言わないけど、でもそういうことだよね。そういうのを臆することなく行けということだと思うけど。
さっきおっしゃってましたけど、ケツ拭いてたらしいんですよ、実は。
ケツ持ちしてんだ、ちゃんと。
で、朝日とか他のビール業界の人たちは繋がりがあるから、トン屋を開けてくれって言ったらしいんですよ、トリーさんが息子のために。
06:12
本当は朝日とかキリンでケツくっつくのに。
そうです。
ちょっと言葉はあれだけど、1、2本ちょっとぺってこう。
開放してほしいっていうのを父親が他のビール業界の先頭をめちゃくちゃ走ってる人たちに息子のためにちょっと、彼がこれから茨の道行くので頼むと言うことをされたらしいんですよ。
だからやってみなあれってすごい深い言葉で、単純にやってみろってことではなくて、その背景にきちんとフォローというかバックアップをした上で好きなように暴れてみなさいと。
そうだね。間違いなく2代目だからいろんなこと言われるわけよ。
そうなんですよ。
絶対いいな、ジュニアがって絶対言われるわけでしょ。
ましてや、今初めてその音を知ったけれども、絶対後々息子さんの耳に入ってくるじゃないですか。
入ってきますよね。
後々ね、多分。そこの上でやってみなあれってなかなか渋いですね。
渋い言葉ですよね。
このサジさんがビール業界に本格参入して、サントリー自体は大きく低迷するわけでもなく保っていけたんですけど、
なかなかあんまり皆さんの印象はないようにウイスキーイコールサントリーっていうのが過去を振り返らないとわからないっていうのはあるなっていうところなんですけど。
1961年にジナのサジさんが社長になり、ビール業界本格参入。ここでビール業界参入を機に社名をサントリーにコートブキヤから変更しましたと。
親子で原稿言い合い。それは良くしようとする。
お互いの会社を良くしようとするための争い。
これは後々継承されているらしくて、サジ・ケイゾーさんが会長になった時に鳥栖一郎さんが社長になって、役員としてサジさんの息子さんが入ったんですけど、
このタイミングがちょうど1986年サントリーのモルツがヒットしたタイミングなんですよ。
1986年ですけど、翌年スーパードライが来たんですよ。
09:07
爆発的に勢い持っていかれたらしいですよ。翌年に。
そうすることでサントリーとしては手を打たなければいけない。
既視改正の一手に関して、会長のサジさんと役員ののぶたらさんがめちゃくちゃバトったらしくて、それも記述されてたぐらい。
親子代々、あの家系全体的にバトるものなんだ。
なぜかだと経営者同士として目線があるし、お互いをリスペクトしてるから、わりとそういう関係。
ちゃんと何のてらいなく、これ間違ってるんじゃないんですか?いい方向なんですか?っていう話をする。
会社を含めてそういう雰囲気になっている。
言いたいことをちゃんと言えるような、そんなことはしないという形にはしてるみたいです。
先ほど話したのぶたださんなんですけど、この人知ってます?
ペプシコムを買収した人なんですよ。
サントリーじゃないですか、ペプシって。
M&Aの超やり手経営者らしいです。
この方がビームも買収したと。
なるほど、ビームサントリーをね。
すごいですね。
すごいですよね。
確かに変わったね。
結構カリスマ性の高い人だったらしくて。
さっきの買収の話もそうですけど、どんどん海外にサントリーとしては、
日本は少子化っていうのはずいぶん昔からマーケット的には縮小傾向であるって言われ続けてるらしくて、
海外のブランドとかを買収して、サントリーをグローバルカンパニーにしたいっていう思いは長らかあるみたいです。
そのためのビームであり、そのためのペプシコなわけだね。
その中で、サントリーとキリンが合併ですかね。
日経新聞かどっかがスパ抜きましたね。
アサヒがビール業界ではトップだったじゃないですか。
世界的に日本ってそんなに高い地に行けなくて酒類ですね。
そこに合併したことでパワーを持って売り出そうっていうところがあったんですが、なかなかちょっと難しい。
12:05
トップ同士は仲良しですからね。
トップ同士は今回のことで手締めになったとしても、
トップ同士は大学一緒なのか先輩後輩なのか同じテニス部だっけ。
そういう繋がりもあるし、文化が違うというのはこれほど大変であるってことですね。
耳が痛い話ですね。
文化が違うわけですよやっぱり。
でもやっぱりトップ同士は仲良いわけですよ。
だけどトップたちが思っている思想や思いを合併しますよっていう時に、
キリンの文化とサントリーの文化をお互いが
全く違うと言われてますね。
これは僕が8年間業界史にいた時の考え方としてあるんですよ。
やってみなはれのサントリーなんですよ。
マーケティングのキリンなんですよ。
商品開発をする時にこんな束をポンってやる商品開発。
でもそれはちゃんと裏打ちしていろんなものの積み重ねのそこで落とし込んで作る。
サントリーさんのプレゼン昔ですよ。
最高に面白かったのはアートディレクターが言って
名物宣伝部長に面白いビジュアルが入ります。
ここに面白いコピーが入ります。通してくださいって言って。
面白いですね。
サラリーマンのキンタロウじゃないけど
名物宣伝部長が顔真っ赤にして言った一言が
やってみろだったらしいんだよね。
若いアートディレクターとコピーライターが
何か知らないけどこの商品広告されてないから
うちらでやってって提案したら
ここに面白いビジュアルって書いてある。
ここに印象的なコピーって書いてある。
それを提案してアタックする。
結局それでサントリーの
瓶のお酒でしたけど
企業広告だったのかな。
でもそれで賞とか取りまくって
当時賞を取りまくって
やっぱり宣伝部に報告が入って
そこで言ったらよかったなって言われて
ちゃんちゃんだったっていう。
結果を出したってことですね。
っていう話を聞いたことがありますね。
すみません。またサントリーに引っ張っちゃった。
そういう裏話的なことも含めて。
15:03
文化が違うところにいるお互いの
飲料業界を良くしたいとか
そういう思いに二つとも両者ブレはないし
お互いの社長同士は仲がいい。
文化が違うからそれがまみえたら
素晴らしいことになるのかっていうのはまた話が続くんだよね。
そういうビール業界
大手の2社の動きがあったっていうところは
片隅に置いておいてもらえたらなと思います。
というところで今まで歴史を遡ってきたんですけど
やっと最近の現代近くに来ました。
でですね。
前回お話したように1980年
あたりからウイスキー消費っていうのは
右肩下がりですと。
ウイスキーっていうのが
日本人的にあまり飲まれない飲み物だよね
みたいな感じにはなってしまってたんですよ。
2008年時代は
随分20年以上遡るんですけど
ここはアドバタラジオ
アドバタラジオをお届けするというところで
人という意味では鳥居さんもサジさんも
フォーカスさせてまいったんですけども
竹内さんこれ営業の方ですね。
竹内篤さんですね。
ウイスキーブランドマネージャー
奈良匠さんという方が出てくるんですけども
この2人がキーになってくるんではなかろうかと。
主にね。
これがキー運としては奈良さんが2008年に
ブランドマネージャーになられたところから
意外と物語が
それはウイスキー事業部のですね。
ウイスキー事業部のブランドマネージャーになられたところから
結構いろいろ変わってくるんですけども
竹内さんはその部下
営業か。ごめんなさい。
でですね
ここのタイミング2008のタイミングっていうのは
24年
要するに
ウイスキー良かった時代から
2008年って
商品5分の1になってるんですよ。
そりゃヤバい。
全然もう続けてくぐらいのレベルじゃないですか。
でもなんとなく飲食店とか
昔からやってるところは付き合いがあるから
うっすら流通は動いてるわけだね。
そうそう。
でですね
このハイボールが話題になるところっていうのはですね
18:00
実はいろいろ伏跡があって
1997年、98年で
ディーハイっていうのも
実は打ち出してるんですよ。サントリーさん。
ディーハイ
でっかいハイボールの役なんですか。
これは多分覚えてる人いるかもしれないですけど
覚えてない。
知らない。
小西樹さんがCMやってるんですよ。
ウイスキーだ。これだ。
そうそうそうです。
ウィーだ。
あれディーハイ。
これ実はやってるんですよ。ハイボールって。
その段階で。
なるほどね。
飲み方みたいな提案の段階で
そのディーハイっていうのを
1997年、98年に一回打ち出してて
それはハイボールとしてね。
そうですそうです。カンモン含めて。
で確かその時は小西樹さんがあれだったから
だるまだったはずなんだよ。
でキャップみたいなのつけて
だるまの要は
ぜひyoutube
調べてもらえば
見えるんですけど
アルコールドストは10%だったんですよ。
150ml缶も一緒に発売してると。
これがあんまり
調子が良くなかったと。
その理由も後で話します。
2004年頃にも
ジャック・ダニエルのハイボールも
発表してるんですよ。
ここではですね
ジンジャ割りとかジンジャ割りを提案してるんですよ。
炭酸飲料、甘い、甘い。
でもここもあんまり
良くなかったんですよ。
で改めて奈良さんが
2008年にブランドマネージャーになり
まあ
やっぱウイスキー頑張んなきゃいけないと
なった時からが
いろいろ勝負
動いておりまして
実は
東京とか大阪の焼き鳥屋さんでは
ハイボールよく出てたんですよ。
結構
飲まれていた。
感覚的には
20代30代が新しい飲み物として
割と好き好んで
飲んでたんですけど
その
前回から前回から話してた
食中酒
として
焼き鳥と一緒に飲んだんです。
っていう感覚があったんですけど
価格帯を
考えると
核で作る
ハイボールってちょうどいいらしいんですよ。
お店的に?
ビールとかもそうだし
ビールとかよりも
核ハイボールの方が
飲みやすいと
っていうこともあって
実は巷では
結構飲まれていたと
しかも
価格帯的には核であろうと
いうところがまずベースにあったんですよ
実はその段階で
でその後にですね
ここは勝負かけようと
思われてて
これ面白いんです
竹内さんがゴールドウィーカーケットカーに
有名なあのジョッキ
あれ有名ですよね
21:00
ちょっと重めの
ハイボールジョッキ
あれは瓶もちょっとイメージしてるじゃないですか
格感として
サツマキリコのようなやつ
あれを
勝負だからという感じ
なのか分かんないですけど
大量に作っちゃったんですよ
これをまずは浸透させようと
いう動きがありまして
各飲み屋さんに
配ってみたい
なるほどサントリーの式用品というか
そういう感じでね
っていうのが一つと
もう一つはサーバー
ビールとかだったら
ギネスビールとか
でそれを
ハイボール
核灰のサーバーを
作っちゃってみたりとか
もう混ざってるわけね
出したらもうハイボール出てくる
あれがいいのは
そこに核灰があるよっていう
店内に来た人へのプロモーションも
できるんですよ
メニューを見ずとも
ああいうサーバーが置いてあるイコール
自分でやってみたいな的なね
そうそうそう
色々な施策を実は打ってるんですよ
このタイミングで
まず何を大事にしたかというと
核灰の味を
統一させたんですよ
お店に対して
なるほど
これがですね
俗に言う
えーっとね
俗に言う
核灰ボールこだわり3過剰
プラス1と言われてるんです
なるほど
非常にこう説明っぽくない
爽やかな感じ
爽やかなね
じゃあこれ説明しますけど
1番がキリッと冷やす
これはですね
蒸気に
あの蒸気が
大事なんですよね
蒸気に
氷を多めに入れる
そして冷えたソーダを入れる
っていうのがまず1
2つ目は
冷やしたソーダ
冷やしたソーダを使うんですけど
冷やしたソーダ
炭酸圧を強めに維持するために
沿わせて傾けながら
静かに注ぐ
これ大事です
3つ目これが一番大事なんですけど
ウイスキーとソーダの割合は
1対4なんです
これなぜかというと
1対
バーとかで飲むのは
1対2なんですよ要するに強めなんですね
はいはいはい
これは割と
お酒好き
中高年の方が
好きな飲み方
一般的に
普及されてたのが
1対3だったんですよ
なぜ1対4にしたかというと
まず
アルコール度数が下がるんですよ
さっき1対2が
10%くらいだった
7%前後
24:00
になると
あと
酒が強くないから
より食中毒として
向いていると
一緒に飲みやすい
若者が
それに刺さったんですよ
どんどんいけると
爽やかだし飲みやすい
でもお酒入ってるし
ということで
まずベースが3つ大事だと
最後にこそ
プラスティッシュってのが
レモンを
ウイスキーやソーダを入れる前に
ちょっとだけ入れる
そのこだわりが
若者には刺さったらしいんですよ
ここまでパッケージしたものが
拡敗だよってやった方が
こだわりが強い
風に見せている若者としては
ちょっとカッコいいでしょ
私たちちょっとイケてるでしょ
というちょっと
背伸びな
そこまで
しかも最後に
縦に一回混ぜる
その後
カスタマイザーあるにしろ
基本この
拡敗ボウルこだわり3か所プラス1
っていうのを普及させたんですよ
こうすることで
カッコいい味だよねっていうのが
お店ごとにばらつきがなく
統一できると
っていうことをまず大事にしたんです
そのためのサーバーっていうのも
より簡単にするため
っていうことではあるんですけど
これが
まずベースとなると
カンの中に入ってるやつが
基本的にそういう配分の仕方を
されてたりとかすると
結構好きですか?マイボール
飲みますよ
聞いてくださいねお店の人に
ちゃんと4対1作ってる?
いざがられると思いますけど
確実にいざがられる
素直に飲めバカって言われますよ
ごめんなさいサーバーはね
拡敗ボウルタワーっていう
そうだよね
多分ですけどね
今の拡敗ボウルの
4対1
の割合ですか?
多分それもですね
その時の
サントリーさんと一緒に
コミュニケーションを
考えていた
クリエイターがですね
ここの
ハイボーラうまいっていうところを
いろいろ各地
回ったというお話は聞いたことがあります
でやっぱり今
言っていた4対1っていうのが
触手としてとてもいい
っていうのを
実際に
足で情報だけではなくて
回って
そこにたどり着いたのではなかろうか
というお話は風の動かせで
聞いたことがありました
実はこれ
27:00
いろいろ決めたんですけど
決める段階でも
やっぱりあの言葉があって
ジョッキ作っちゃったとか
サーバー
拡敗ボウルタワー作ってしまった
っていうのは竹内さんが
上司に報告する
際に
やっちゃいました
あれさっきやってみなはれ
やっちゃいました
というスタンスで
チャレンジしてみました
ってことですよね
やってみちゃいました
っていうので
3対1としてもしょうがない
頑張っていこうやってみよう
っていうスタンスになったみたいです
だから要はそこのスタンスは
全く変わりはないんだけど
時代によってその言葉が
変容してくるというか
でも向かっている
方向に変わりはない
面白いですよね
やってみちゃいましたっていう
もう一個
有名な話があって
月島ローラ作戦っていうのがあって
さっき2008年に
キーマンである
奈良さんが
入られたって言ったんですけど
そのいろいろ試作をやっていく中で
月島が大事だと
大事だというよりかは
今後来る
これはなぜかというと2008年にNHKで連続
テレビ小説ひとみ
Aクラナナさんが
月島を舞台で
ドラマをやってたんですよ
なので
月島でモンジャ焼きブームが起こるんですよ
2008年に
そこで
いろいろリサーチしてみようと
ハイボールを出して
やってみようって話があり
すごいですね
モンジャ焼きっていうのは相性が良くて
モンジャは
キャベツじゃないですか
っていうのと
ハイボール上流種じゃないですか
女性向けも良かったんですよ
あんまりプリンタイムもないし
トーストもないし
ハイボールというのは
昭和の香りがして
相性が良い
トラディショナルな感じですね
ということで
月島ローラ作戦というのが
刊行されたんですけど
いろいろリサーチはできたものの
ブームにはならなかったんですよ
ハイボール自体が
まだこの段階では
天気は
翌年の2009年
やっぱり
テレビが取り上げたのがでかいですね
ハイボールがブームになり
ウィスケが伸び始めたと
2009年の春先から
テレビとか雑誌とか
新聞とかで取り上げ始められるんですよ
その流れで
ご存知だと思うんですけど
築地銀だこさんが
歌舞伎町にハイボール
酒場を出展したんですよ
なるほど
その流れを組んでなのか
30:00
言わないけど
さらにヒット番付
あるじゃないですか
ヒット商品番付でも取り上げられ
なるほど
いろいろ
時勢なのか
外部的な
情報で
消費者もハイボール来てるんじゃない
すごく
盛り上がり
2009年2008年に
比べて10.3%伸びたんですよ
前年
これはむしろ今までで
ついに上がった
タイミングであるんです
その翌年
核が出過ぎちゃって
話したように5年かかる飲み物ですよね
作るまでに
出過ぎちゃって
ちょっと厳しい
供給が追いつかなく
なり始めた
それが分かったのか
分からないけど
核に続きトリスとか
白州とかを
ハイボールで提案し始める
核じゃ追いつかないから
こっちもどうだ
ウイスキー自体が
いろんなハイボール
飲まれ方を
ここでされ始めるんですよ
さっき
深くは言わなかったんですけど
なぜ
ハイボールっていうのが
グッて
ウイスキーが
ハイボールをきっかけに
グッて伸びたかというと
経済状況が結構大きくて
2008年
っていうのが
ニーマーショックの時期なんですよ
2008年
ニーマーショックってことは
その前のタイミングで
泣いてもらってる学生たちは
余裕があるんですよ
なぜならその時って
それまで経済良くて
ニーマーショックでガクンてくるじゃないですか
売り手市場で余裕のある若者たちが多かった
そのタイミングだね
そこからニーマーショックが起こって
余裕がない
中高年が増えたと
ビールだとちょっと高いと
ハイボールがやったら
コスパ的に
実利的にもいいと
っていう2つが
ちょうど相まって
ハイボールっていうのは
みんなに普及されるようになった
なるほど
でですね
やっぱり時代明けっていうのは大きくて
さっきのデカハイの時もそうなんですけど
あれ就職氷河期だったんですよ
2004年っていうのは
2004年ね
だから
やっぱり
その若者の流れとか
含めて
別にコミュニケーション自体は変えてないわけじゃないですか
ハイボールでの提案
ただそこは
やっぱり就職氷河期だった
っていうところも含め
伸びにくかったと
一生懸命やることは
33:00
基本
成功するかとか分かんないんですけど
続けていく
ことが非常に大事なんだ
そこに対して時勢が
ちょうど合ってきたりとかするので
そういう形で
ハイボールっていうのは
いろんな要素を含めて
ウイスキーっていうのは
ハイボールをきっかけに
需要が伸びてきたと
ハイボールっていうのは
冒頭一番最初にお話したように
サイブレイクではないと
何回かやってるわけですね
あくまでウイスキーの需要
なんですよね
サイブレイクとしては
だから
サイブレイクっていうのは
ウイスキーの新しい飲み方の提案であって
実は
2008年のブレイク
としていますけど
その前は特になかったんですよ
ウイスキーの需要としては
サイブレイクはハイボールのおかげ
っていうところが非常に
大きかったんではないですかね
だから皆さんはハイボール自体は
知ってると思うんですよ
ただそれが
ハイボール自体の飲み方なんですよ
メシ食っているときの
あれじゃないの
つまみとかそういうのあるけど
違うよね
飲みに行くぞ
あの素敵なバーで
というときの割り方の一つでしかなかった
なるほど
ハイボールっていうので
2008年にそういうことを始めて
やっと
一般化した
っていうところで
いろんな人が
サントリーという
会社の
DNAも受け継ぎながら
今の若い方
っていうのもきっかけを
作ったっていうところが
面白いですよ
奈良さんと竹内さん
サントリーのホームページで喋ってるんで
そうなんだ
新卒採用
特設ページみたいな
動画で
記事もあるんで
サントリーのリクルーティングとか
すごいね
この話を含めて
見るとすごく面白いですね
ちょっと後で見てみましょう
というところで
3つ目
長いっすねやっぱり
ではまた
次週ありがとうございました
35:42

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