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2023-02-20 54:10

216. 【後編】400億円でスニーカーショップを売却した男の話

SHOE LIFE(シューライフ) 「400億円」のスニーカーショップを作った男
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【お父さんぽ】~早朝散歩はじめての密着~【本明秀文/SNEAKER/スニーカー/職務質問】 - YouTube 
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どうもヤマンです。どうもハリーです。この番組は、教育会社を経営しているハリーと、デザイン会社を経営するヤマンがお届けする仕事に役立つ情報を緩く紹介する番組です。
前回、406円のスニーカーショップを作った男本名秀文さんの前編を話したんですけども、今回後編
いきたいと思います。ちょっとね、もう忘れちゃったっていう人のために簡単に前回のおさらい、あらすじ説明しておきますと、
おとどしですよね、アトモスっていうスニーカーショップがアメリカの大手フットロッカーっていうところに400億という多額の額で買収された人の話で、
振り間で復旧をしてたんですけど、脱サラして家族から集めた300万円で、原宿の小さな2.7坪っていうところに、
チャプターというお店を出して、出店からわずか10ヶ月で売り上げが2億5000万円を叩き出して、法人化テクストトレーニング株式会社っていうところを設立したっていうところまで進んだんですけどもね。
ここからね、この本名さん、どんどん飛躍していくわけなんですけども、早速ね、これ天気が訪れるんですよ、本名さんに。
はい。
1996年頃から僕らもよく知っているエアマックスがめっちゃ流行りだすんですよ。
うんうんうん。
ナイキの。
ナイキのエアマックス95っていうのが、すっごい大ブームを起こしてて、エアマックス狩りとかね、履いていったら取られちゃうから履いてくるなみたいなことが学校で言われたりとか、大ブームを巻き起こしてたんですよね。
うん。
で、なんでこんな大ブームを起こしたかっていうと、キムタクとかがドラマで履いてたらしいんですよ、あれ。
あーそうなんや。
あと、広瀬涼子とかね、広瀬涼子のポケベルのコマーシャルで履いてたらしい。
おー懐かしい。
ポケベルですよ、ポケベル。
うん。
今、ポケベルって言ってみんな知ってんのかな、知ってるよね。
知ってるでしょ。
ポケットベルって言ってね、なんかあったんですよ、昔。
うん。
ベルが。
ベルではないけど。
で、ドラマとかアイドルとかが履いてて、ファッションのカルチャーの先端だったわけですよね。
で、そのエアマックスのデザインって、当時イエローグラデって言われてたらしいんですよ。
イエローのグラデーションがかかってんのかな、デザイン。
で、日本では人気だったらしいんですけど、アメリカではね、イエローワーム。
ワームってケムシみたいな意味があるんですけど、黄色いケムシみたいな感じで揶揄されて、結構ね、やぼったいデザインとか言って全然売れなかったそうなんですよね。
へー。
で、もう本名さんはね、学生時代アメリカに留学してて、現地のことに詳しいし、向こうに友達がたくさんいたんでね、もうそれに目をつけたわけですよね、早速。
うん。
で、アメリカに行って仕入れに行った時に、そのエアマックスを見たんですよね。
うん。
当時ね、一足140ドルぐらいだったらしいんですよ。
03:02
はいはいはい。
古着ってほんとに、もっと95セントとかね、むちゃくちゃ安かったらしいんですけど、さすがに靴ってなってくると140ドルって当時のレートで多分1万5千とか6千とか。
うん。
で、しかもこれまた段ボールにあまり詰めれないかったそうなんですよ。古着ってこうギューって押し込めばさ、いっぱい詰めるけどさ、靴ってそんなに詰めれないじゃないですか。
おー。
ギュってできないじゃないですか。
うんうんうん。
で、その輸送コストって体積によって変動するんですよ。
うん、はいはいはい。
なんで古着みたいにこうたたんで、くしゃくしゃにしてギュって敷き詰めて入れると。
なるほどね。
割かしお得なんですけど、靴ってくしゃってやったら形がつぶれちゃったりするから。
はい。
まあ古着よりも高くつくと。
うんうん。
で、そんなことを考えると、なんかだんだん不安になってきて、しかもこれ売れるかどうかわからんしみたいなんで。
結局ね、その初めてエアマックスを仕入れに行った日は、4足しか買わなかったそうなんですよ。
はい。
で、まあ実験的にテストでやってみようと思って、その4足を持ってそのチャプターで売ってみたら、もう速攻で3万円で一瞬で売れたらしい。
おー、3万円ってことは倍ぐらいの値段で。
そう、だからその会場の輸送コストとか、その税関のこと考えても、まあ1足売れば1万以上の利益が出たらしいんですよね。
うんうんうん。
で、古着ってね、やっぱ100円、200円で仕入れて2、3000円で売るから、やっぱり古着をね、5枚とか6枚売るものが、靴一足で一瞬で稼げたから、これは効率がいいと。
うん。
いうことで、エアマックスを中心に仕入れに温装するわけなんですよね。
はい。
で、この時に、この本名さんで嫁さんが、むちゃくちゃスニーカーに詳しかったらしいんですよ。
ほうほう。
なんかね、付き合ってる時からデートには必ずスニーカーショップに行ってたらしい。
スニーカーショップデートをする。
そう。で、奥さんの実家が結構裕福だったらしく、で、エアフォース1のシリーズとかね、もう常に2足買いとかしてたんだって。
おーすごいですね。
1足は自分で履く、もう1足は飾る分みたいなね。
うんうん。
で、靴が好きすぎて、その本名さんの買い付けとかでも結構同行してたらしいんですよ。
はい。
だからね、そのトレンドとかは結構奥さんがこう、仕入れには役立ったらしい。
へー。
今この感じ流行ってきてるからこれ買っとこうとか、今これ新しいデザインだからこれちょっと何足買っとこうみたいな感じのことは、嫁さんが全部やってて。
あーすごいですね。
で、そんな詳しくてスニーカー大好き人間の隣で、本名さんは確かに好きなんだけど、その好きっていう視点じゃなくて、売れるか売れないかっていう目線で仕入れしてたらしいんですよ。
うんうん。
で、これが今考えるとすごい良かったと。
06:01
うん。
やっぱりそういうスニーカーショップをバイヤーでやってると、自分もスニーカー大好きだから、売れる商品とは別に自分の好みの商品を大量に仕入れちゃったりすることがあるんだって。
うんうん。
だけど、そこのむちゃくちゃスニーカーラブな奥さんからちょっと一歩引いて、これを売れるのか売れないかっていう判断ができるぐらいの目線で仕入れを担当できたのが、この時はすごい良かったっていうことですね。
うーん。
これでもビジネスってすごいヒントになるなと思って、なんか新規事業やったりさ、新しい企画立ち上げたりするときに、その自分がこういうのを好きだからやりたいっていうのと、こういうのがやっぱその市場に求められてるからやるっていうのは全然違うじゃないですか。
うんうん。なんか前にどこで聞いた話か忘れてたんですけど、雑誌でそのいろんな人から、その読者からアンケートみたいなのを取って要望みたいなのを集めたらしいんですよ。で、それをどんどんと取り入れていった結果、その雑誌廃刊してしまったと。
へー。
なぜかというと、そういうコアな人の声って結局めちゃくちゃコアな人向けになってきて、一般受けしないし、そのなんか身内ネタっぽいことばっかりになってきてしまって、
あーなるほどね。
新しい人っていうのはどんどん減っていったみたいなことがあるんで、そういう好きからそういう仕入れみたいなところにつなげていくと、そういうコアな人向けのものばっかりになってしまうみたいなのあるかなと。
あー、でもまさにそんな感じだと思うんですよね。
で、当時そのエアマックス95っていう、その95年に作られたモデルが大ヒットして、その後、縦続きにエアマックス96、エアマックス97っていうのが発売されてるんですけど、
へー。
この時に95売れたから、っていうか95が好きだから96、97も大量に仕入れてるバイヤーたくさんいたんですって。
まあ普通に考えればそうですよね。
95大ヒットした96、97も売れるだろうと思ったんでしょうね。
ただ、本名さんはこのデザインちょっと今のマーケットからずれてるなみたいなのがちょっと感じてたらしくて、在庫あんまり仕入れなかったらしいんですよ、95、97に関して。
だから96、97の時に過剰在庫でバタバタ倒れていってるバイヤーとか並行輸入業者がたくさんいたんだけど自分は大丈夫だったみたいな。
そんなエピソードがありましたね。
ほー。
だからね、ちゃんとプロダクトアウト的な仕入れじゃなくてマーケットイン的な仕入れっていうかな。
売れるものを見極めて自分の好き嫌いをちょっと度外視して仕入れたのがすごいこの時の成功した秘訣だみたいなこと言ってましたね。
あとねもう一個参考になるなと思ったのが、売れる秘訣がやっぱりあるらしくて、やっぱ王道ばっかりでは売れないらしいんですよね。
ほー、はいはい。
例えば古着とかで言うと、あのー、例えば白のTシャツがあって黒のTシャツがあっただけだったら売れないと。
09:02
ほー。
で、そこにやっぱ差し色が必要で、赤とか黄色とか青とか緑とかも準備するんだって。
うん。
そうすると黒とか白があのメインでどんどん売れるようになるらしい。
へー。
だからそのカラーバリエーションは常に揃えておくと。
はいはいはい。
ただ赤とか青とか黄色とかがバンバン売れるわけではないと。
それは白とか黒の売れどころをこうなんていうの、輝かせるためにその差し色を入れておくのがすごく大事だと。
へー。
だからこの古着なんかで言ったら100円で仕入れたTシャツが2980円とかで売れたらしいんですよね。
うん。
でカラーバリエーションがまあ5色とか6色あって、その時は全部2980円で売れたんだけど、
そのメインを補う差し色がなくなった瞬間売れ残りに見えちゃうらしいんですよね。
あーなるほどね。
でそうすると1980円まで落とさないと売れないみたいな現象が起こるらしい。
うーん。
なんでね今なんかこう何か売りたいって言ってでもこれ売れないなーって悩んでる方って、
何かそれを輝かせる補助的なねものがあるともしかしたらそれがより際立って売れるようになるみたいな現象が起こる可能性ありますよね。
うーん。
いやーなんか今ぴったりの例がありそうで全然出てこなくて。
例えばそのカラーリング増やすっていうのもその新色を売るんじゃなくて既存の色を売るためにカラーリングを増やすっていう発想もすごい重要だと思いますね。
うーん。
はいはいはい。
であとね、あのコストですよね。輸送コスト。
ほう。
なんかね当時ねその現地アメリカの銀行にパスポート見せたら日本の銀行からお金を下ろせたらしいんですよ。
へー。
これすごいですよね。アメリカの銀行にパスポート見せたら日本の口座から銀行引っ張ってこれるってすごいよね。
うんうん。
今多分そんなことできないと思うんですけど。
うん。
なんかそんなことはねライバルのバイヤーたちはね知らなくってこうトラベラーズチェックとかその空港の高い監禁所で現金に監禁して持ってきてたらしい。
うーん。
こういうところの支出カットも丸々利益になってたし。
あと関税ですよね。
うん。
やっぱりねこの本名さん柿内っていって繊維の商社マンとして働いてたんで、トレーディングの知識がすごい蓄積されてたんですよね。
うんうんうん。
例えばスニーカーとかでいくと普通に新品のスニーカーアメリカで仕入れて日本持ってきたら完全に25%かかるんですよ。
うーん。
高いですね。
高いじゃないですか。
だけどその箱から出して中古の靴ですっていうことにしてダンボール詰めて持ってきたら7%でいいんですよ。
あーはいはいはい。
だからねそういう今でもありますよそういう工夫が貿易やってると。
うーんなんか聞いたことある気がする。
ただ税関もねその向こうの人たちもちゃんと税金を取るっていうのが仕事だからあのしっかりチェックされますけどね。
うんうんうん。
12:00
なんであの僕たち僕の会社とかでよくやる方法はその事前に確認するんですよね。
例えばあるアパレル部商品をこっちに持ってくるときにそのHSコードっていうのを割り当てなきゃいけないんですよ。
でそのHSコードによって税金って変わってくるんですよね。
うん。
で例えばこのバッグこのHコードで大丈夫かっていうのをその事前に確認してでこっちの方が安いからね。
うん。
そのアパレルブランドじゃなくてまあ繊維として登録するとかねHSコードで行くとかまあいろんなその細かいカテゴライズがあってどっちとも取れるみたいなやつがあるんですよ。
うん。
でどっちで行くのが安いかみたいな考えたときにその弾かれる可能性もあるんですよね持ってって。
うんうんうん。
だから事前に確認していやこれはダメだって言われたらなんでダメなのかっていう問題をもらってそれを改善してもっかい停止してokもらってから流すとかね。
そういう工夫があるんですよね貿易やってると。
うんうん。
であとはそのこの本明さんもやってたらしいんですけどやっぱ例えばアメリカによっては州によっても全然税金違うんですよ。
はいはい。
例えばニューヨークからニューヨークでスニーカー買って日本に送ると8.75かかるんですよ税金って。
うん。
なんだけどそのニューヨークで買ったのとトラックでニュージャージーとかペンシルベニアに持って行ってそっから日本に送ると完全かからないんですよ。
へー。
だからその配送ルートですよね。
うんうんうん。
そういうのも本明さんはその留学時代のアメリカの友人とかを伝ってあのコストカットにすっごく頑張ったらしいんですよね。
うーん。
だからライバルが普通にアメリカ行って仕入れるよりも全然安くで仕入れてたしここで買うんだったらこのルートで持ってこようとこういう風に持ってこようみたいな工夫がすごいあったらしい。
うんうんうん。
でやっぱこの10%とか20%の利益出すのってすごい大変じゃないですか。
はい。
その物販でさ。
うん。
その完全25%と7%も全然違うし利益をねこの差額のなんぼだ18%上げようと思ったら超大変だから。
うん。
そういうところがまあすごくあの良かったっていう風に振り返ってますねこの本書では。
うーん。
でね壮行してるうちにあの順調に売上げ伸ばしていくんですけど運命の出会いをします本明さん。
はい。
当時ねライバルでブルースっていうねその本明さんのチャプターのお店の他にブルースっていう並行輸入屋さんがあってそこで結構ベンチマークしてたらしいんですよ。
はい。
でそのブルースの店舗の近くにダンボールが捨ててあったんだってそのブルースが仕入れたね靴の。
うんうん。
でそのダンボールにPHLっていうステッカーが貼ってあったんですよ。
PHL。
うんこれがなんかあのシューの名前でペッシルなんかどっかのシューの名前らしいんですよ。
うん。
でサムソンって書いてあったんだって。
サムソン。
うんで当時サムソンって今でサムソンって言ったら韓国のあの電子メーカーですけど。
うん。
15:00
サムソンっていうアメリカの地域でね7店舗か8店舗ぐらい展開してるシュニーカーショップがあったんだって。
ほー。
でほーほーほーとこのブルースはサムソンで靴を仕入れてやがるなっていう情報をつかんで早速アメリカの仕入れの時にそのサムソンに行ったんですって。
はい。
そこでジョンリーっていう韓国系アメリカ人と出会うんですよ。
はい。
でブルースに卸してますよねうちもチャプターっていう店やっててうちでも扱わせてもらえないかみたいな交渉した時にすごいなんかね意気投合したらしいんですよ。
ほーへー。
でねその日はねやっぱ初めてっていうこともあってあまり買わなかったらしいんですけどね毎日ファックス送ったらしいんですよ。
うんうん。
なんかいいのあったらこっち回してくれよみたいな俺らの方が全然売るよみたいなことを言った時に。
もういつの間にかねあの友人関係みたいなことができてもう100足とか150足とかね買うようになったんですよこれで。
うんうん。
ここで。
である日そのベトナム料理屋さんでそのジョンとね本名さんがご飯食べてる時にあのお前んとこすごいなと。
うん。
どんな店やってるんだって言ったら原宿の2.7坪の店だって言ったら向こうがびっくりして。
うん。
あんな小さな店であんな100足150足も仕入れてそんなに売ってんのかお前らすげえなってなって。
うん。
なんか面白いことやってるなっていう風になって俺も独立しようかなみたいな話になったらしいんですよね。
ジョンリーが。
ジョンリーが。
でなんか一緒にやろうぜみたいな話になって。
うん。
でやっぱお金もうもううちに預けとけと。
うん。
でその預けたお金でこっちで仕入れやってあげるからみたいなね。
怖いようなちょっと怖い提案だけどなんかそんなことを言うようになってね。
あのジョンはねそのジャパンとコリアっていう造語でジェイコっていうお店を立ち上げたらしいんですよ。
ジェイコ。
そうでジョンもここで独立すると。
うん。
サムソンからね。
であのほぼほぼジョンがそのアメリカで仕入れとかあのいいものがあったら買い付けしてくれるようになって。
でそのホメオさんのそのアメリカの飛べえってまあ年間6回ぐらいに減ったそうなんですよね。
うんうんうんうん。
でまあ後々このジョンさんがねあのビジネスパートナーになっていくんですよ。
うーん。
でそんなこんなしてるうちにね1998年ですよね。
うん。
えっと96年に創業してるんで2年か3年ぐらい経った時にえーと2億5000万あった売上がなんと7億円に。
おーい。
すごいよね。
順調ですよね。
へえー。
であの思い入れの深いねあの原宿のこの角ばった2.7坪のところから移転します。
おーついに。
うん。
なんかねプロペラ通り原宿のプロペラ通り沿いってなんかねプロペラ通りっていうのがあるらしくて。
18:03
わかんねー。
大阪なんて全然わかんないですけど。
うん。
そこに店移してなんと今回はお店の広さ17坪に拡大。
おーすごい。
うん。
でねあの三上くんっていうあのスタッフ高校の時の同級生もいたそうなんですけどそれにプラスしてアクツくんっていうねなんかがたいのいかついアディダスが大好きな男の子をね新しい社員に迎えて。
うん。
でえー移転してからさらに売上を伸ばしましてなんとなんと3年目だ。
14億円。
おー倍だ。
売上。
倍々ゲームですよね。
うん。
もうこんなに順調に進んでいいのかっていうぐらいね。
ただまあその順調に売り上げ上げてる裏にはしっかりそのジョンとのあのつながりだったりその関税のなんていうの工夫だったりその奥さんのそのスニーカーのなんていうの流行りやトレンドをつかんだりその本名さん自身のそのビジネスの嗅覚ですよね。
そういうものが全部掛け算になってすごく調子よく進んでいったと。
うん。
ただねその1998年ねエアマックスのブームがねだんだん下火になっていくんですよ。
はいはい。
で売れなくなってきたんですよね。
うん。
売上14億円になった時に。
でしかもねあのナイキがこう結構ストリート系により過ぎてるからもっとスポーツブランド寄りにシフトしていこうとしてたんですって。
うん。
で全然売れなくなったんですけどこの動きがねあのまた逆にラッキーなこともあって。
うん。
そのチャプターって原宿のそのストリートファッション系の人たちにすごく人気だったんですよ。
ほうほう。
でそのお店が流行ったきっかけも雑誌に紹介されたりしたんですよね。
うん。
はい。
でそのナイキがスポーツブランドとしてシフトしたことによって困ったのがそういうストリート系雑誌の出版会社なんですよ。
へー。
その雑誌にナイキの靴を取り扱いたいからあの貸してほしいってナイキに言ってもナイキがいやもう今ちょっとストリート系にブランディングしたくないんでみたいなんで貸し出してくれなかったんですって。
うーん。
でそこで頼られたのがそのチャプターみたいな並行輸入屋さんに出版会社からあのちょっとレアな靴撮影に使いたいんで貸してくれませんかみたいな話が回ってくるようになって。
で本名さんはねもうチャプター時代からめちゃくちゃおしゃべり大好きなんで常連客と喫茶店行って1時間2時間喋るような人なんで。
言ってましたね。
うん。
あの当然その出版会社のねあの担当の人ともねすごく仲良くなるんですよ。
うーん。
で特にそのストリートジャックっていう雑誌ストリート系の雑誌があったらしくてそこのね編集担当の石原さんっていう人とね仲良くなったらしくて。
はい。
でこの人と2人であのコンテンツまで作るようになったんだって雑誌の。
おーはいはいはい。
21:00
例えばなんか最近売れてんのないですかって石原さんが本名さんに声かけてきて。
最近これ売れてるよみたいなのあったらじゃあ来月のストリートジャックはこの企画でこういうテーマで行こうみたいなんでこの紙面の企画まで携わるようになったんだって。
うーん。
じゃあさもう売れ飛ぶように売れたんだってそれが。
まあそうでしょうね。
雑誌に紹介されますで。
紹介されるのがわかるわけですかインサイダーじゃないですか。
そうだからもうドル箱状態ですよね。
ねえ。
でだからその雑誌に次これを雑誌に紹介しよっていうのをジョンに頼んで大量に入荷しといて。
うーん。
で雑誌に入荷してその大量に入荷した在庫を裁くっていう流れができたんですよ。
うーん。
もうまさにそのなんていうのそのスニーカー市場を完全にコントロールしてたらしい。
うんうん。
でねあのこのエアマックスブームっていうのが下火になってもそのファッションのトレンドをその雑誌と一緒に。
その雑誌の編集者と仲良くなって紙面の企画まで一緒に携わるようになってこう売り上げをさらに伸ばしていくと。
うーん。
で2000年タワーレコの渋谷店の斜め向かいに2号店オープン。
へー。
この辺からねあのチャプターンの動きがねめちゃくちゃ面白くなってくるんですけど。
うーん。
この時にねあのまあチャプターンはあのスニーカーショップなんでメインはナイキなんですけどアディダスも扱ってたりリーボックも扱ってたりニューバランスもいろんな靴扱ってるんですよね。
うーん。
でその中のあのリーボックの伊藤さんって人とすごく仲良くなるんですよ。
うーん。
でこの人とも毎回よく店に来てくれたからおしゃべりしてたらしいんですけど。
だいたい並行輸入屋さんって嫌われるじゃないですか。
嫌われるんですよ業界では。
はいはい。
あのメーカーは一個もあの儲からないしその要は商品が出回った後の二次産業で利益を出してるようなところなんでね。
まあ転売みたいな感じですね。
そうそうそうなんだけどこのリーボックの伊藤さんとすごい意気投合してなんかリーボックでオリジナリの正規品をチャプターオリジナリで出しませんかみたいな話になったらしい。
おーはいはい。
これすごいことですよね。
うーん。
でそんなことができるのかってなって本名さんが。
うん。
並行輸入屋さんってあのメーカーから嫌われてると思ってたけどそれができたらすごい面白いっていう話になって。
なんかここでね本名さんちょっとした夢みたいなのができるんですよ。
いつか内気でこんなことができたらすげーなと思うようになるわけなんですけど。
そうこうしてるうちにそのチャプターのビルのオーナーの藤原ひろしさんって人とが。
おー。
あのー。
知ってる。
あ知ってます?
超有名スタイリストの人かな。
そうそうそうそうそうそう。
はいはい。
あの人がナイキジャパンの松下さんって人をね紹介してくれたそうなんですよ。
うーん。
24:00
で結構そのナイキジャパンの松下さんと仲良くなって。
うん。
正規品扱わせてもらえないですかと。
おーはいはい。
チャプターはその並行輸入で嫌われてるかもしれないけどもうナイキをしっかり売ってきたと。
うん。
でなんとかこれ今後もっともっとビジネス拡大させたいから正規品を扱わせてほしいということで。
うん。
じゃあ長年君もナイキの靴売ってきてくれてるし君らはもう若者トレンドの最先端走ってるからなんか面白いことやってくれそうだしいいよって言ってくれたんですよ。
おー。
でそこでテクストトレーディングカンパニーの関連会社っていう形でテオスっていう会社を作ったんですよ。
はい。
でこのテオスっていうのはなんかね古代のギリシャのなんか都市の名前らしくってなんか神殿とか劇場がたくさんある都市らしいんですよそこテオスって。
へー。
で。
はい。
まあいろんなものが見せれる場所みたいなんでテオスっていう社名にしてそこでアトモスを設立したんですよ。
あそっかまだチャプターか。
そうなんですよ。
そうなんです。
なるほどなるほど。
だからあのテクストトレーディングカンパニーっていう会社がチャプターっていうブランドを作ってブランドというか店舗を作って小売店販売事業者の販売事業を作ってテオスっていうところでアトモスを作ったんですよ。
で主にそのテオスは妹さんに任せてたらしいんですけどね。
うん。
でアトモスの1号店を15坪の広さでお店を出したと。
うん。
ただね当時はねあのむちゃくちゃ洗練された空間だったらしい。
オシャレな感じで。
オシャレな感じでなんかもう客を選ぶような店構えで。
はい。
でやってたんだけどこれがね全然うまくいかなかったらしいんですよね。
ほー。
なんかねこれもね藤原寛さんの意向が結構強かったらしいんですけど。
うん。
アトモス自体も藤原寛さんが考えてくれたらしいんですよ。
うーん。
このアトモスフィアって雰囲気っていう例単語なんですけど。
そこから取ってなんか空気みたいにあのなじみのある場所みたいなんでアトモスっていうお店の名前にしたそうなんですけど。
うん。
やっぱその藤原さんの世界観っていうのが本名さんと全然合わなかったらしいんですよね。
へー。
でやっぱり靴ってさあのサイズを0.5ずつ揃えなきゃいけないじゃないですか。
うんうん。
だから在庫リスク大きいんですよね。
あーはいはいはい。
だからたくさんこう数が売れるビジネスモデルの方が良かったらしいんですよね本名さん的には。
うん。
ただその敷居を高くしてやっちゃうとその在庫揃えるでお客さんを選んでるとその在庫揃えてすごく採算が合わないと。
うん。
ということでまあ最終的にはこの藤原広瀬さんとはお別れして。
27:02
うん。
そのちょっと敷居が高い感じじゃなくなるんですけどねアトモスは。
うん。
で一方でね2000年頃にねあのチャプターはねフリマとか使いながらすごく儲けてたんですよ。
うん。
ただこのチャプターの方もちょっとした転機があって2000年頃からねヤフーオークションが立ち上がったそうで。
あーはいはいはい。
フリマ産業がめちゃくちゃ衰退したらしいんですよね。
あーリアルフリマが。
そう。
はいはい。
で客足がまあ鈍化してもうそのチャプターの勢いもね落ちてきたらしいんですよ。
うん。
でアトモスも結構難しいしそのアトモスは正規品しか使わないですね。
うん。
ナイキのね。
ナイキとかそのオリジナルの並行輸入の靴は扱わなくて正規品しか扱わなくてチャプターはまあ並行輸入品を扱うみたいな感じだったんですけど。
うん。
こっちもちょっとこう勢いが止まっちゃうんですよ。
あーはいはい。
でなんかいや面白いことやりたいなーというこうフラストレーションが溜まっていく時期なんですよねこの時期に。
うん。
で走行してる時にあのナイキのマークスタユイさんって人と出会うんですよ。
これまたねナイキのいろんな人と出会うんですけど。
はい。
でこのマークスさんがもうすごいなんていうかなユニークというか変わった人でこの人と食事してる時にもう長年ずっと夢だったそのナイキで別注作りたいんだよみたいな相談したんですよ。
ただお前らみたいなその並行輸入業者にそんな別ナイキがそんな別注作らせるわけないだろうと言われるか思いきや。
うん。
それはでも面白いね。
あ本宮くん夢は叶うんだよって言ってなんか出て行ったらしい。
その話をした瞬間。
変でしょ。
やばいやつじゃないですか。
やばいやつでしょ。
ご飯食べてたんでしょ。
ご飯食べてたんで。
お金払って。
お金ちょっと払った。
会計は会計は終わったと思いますよ。
あそう。
いろんな話した後に最後に。
まともな人だ。
夢は叶うんだよって言って去って行ったと。
その話をした後にね。
うん。
じゃあ1、2ヶ月後ぐらいに電話がかかってきてそのマークスさんからね。
サンプル出来たからオフィスに来てくれって。
サンプル?
うん。
実際にそのナイキのオフィスに行ったらあの作りたいんでこんな感じで作りたいって言ってたことがなんか実現されて本当に靴が出来たらしい。
できたらしい。
へー。
でそのデザインがもう長年ナイキを売ってきた本宮さんをビビって刺激してこれ絶対売れるってなったらしい。
ほう。
でマークスもいや俺もこれすごい売れると思うみたいなこと言ってて。
うん。
でもさすがにでもこれ発注できないだろうって思ってたんですけど。
うん。
そのマークスさん事務所に誰もいないことをいいことにそのナイキのシステムに勝手にログインして。
ほう。
勝手に6000足を発注したんですよ。
で本宮さんがえーえー待て待てそんなことじゃない大丈夫なのみたいなので大丈夫大丈夫とか言って。
30:04
ほう。
その本社の許可を取らずに勝手に発注かけちゃった。
へー。
なんかそんなことできる仕組みになってるナイキにも問題があったと思うんですけど。
ナイキの本社にも問題があったと思うんですけどそれで勝手に発注して生産始めちゃったんだって。
うーん。
であの6000足がまあ案の定そんなあの発注かけてすぐにそのデータ消したらしいんですけどそんな6000足もねいきなりそんな生産に入ってきたら速攻でバレるじゃないですか。
うんうん。
でもうあっけなくこれはチャプターの本宮のせいだっていうことがバレてナイキジャパンに呼び出されたらしいね。
はいはいはい。
であのさっき紹介してくれたナイキジャパンの松下さんに3時間ぐらいね遊びでやってんじゃねーぞみたいなことでこっぴどく怒られるっていうね。
ほー。
めちゃくちゃ怒られてでも責任持って全部買い取りますみたいなこと言ってたんだけどその松下自身松下さん自身もこのデザイン売れるっていうのがあったらしい。
はいはいはい。
でバカに言うんじゃねー俺らも半分売るわって言って3000足ずつぐらいね半分でこう半分ずつであの話がついたっていうエピソードがあった。
ほー。はいはいはい。
で本宮さんはそのマークスさんにお前のせいで3時間も懲られたじゃねーかって。
そうですそういう人が悪いよ。
マークスが親指を立てながらほらな夢は叶うだろうって吐き捨てたっていうねエピソードがあって。
だからこの時ねそのナイキがその別注をかけれるほどのその正規店って本当にあのちゃんとした会社しか作れなかったそうなんですよ。
うんうん。
この時初めてそのまあマークスが確信犯的に勝手なことをしてそのチャプターみたいなまだまだ小さい会社がナイキのそういう別注を作れたらしい。
へーいや別注ってそういう意味だったんですね。
なんかたまに見るなと思ってたんですけど。
ビームス別注みたいな。
そうそうそうあれはだから配色とかをねカスタマイズしてる。
でねそれがねやっぱりねめっちゃ売れたらしい。
ほうほう。
でまあこれきっかけでそのアトモスがね次々とオリジナルスニーカーを提案していくんですよ。
ほうほう。
だからねある意味マークスさんのおかげなんですよね。
そうですね。
勝手なことしたんだけどそのチャプターが作ったアトモスか。
当時はアトモスで正規店やってた。
アトモスが作った靴がスコブル校長だということでね。
うん。
で結構ね斬新なデザインとかやってたんですって。
これもそのなんか妹さんがデザイナーかな。
本名さんの妹さんがデザイナーもやってたんですよ。
ほう。
スニーカー好きのデザイナーでそのアパレルにも精通してたらしくって。
うん。
結構ねそのいろんなアパレルで流行った当時なんかアニマル柄とか流行ったらしいんですよね。
うーん。
そういうのをスニーカーの柄に入れたりとかして。
でそういうのがなんかヒョウ柄とか。
33:03
アユとかがそういうの着てた印象がある。
そうそうそうそうまさにそんな感じあのゼブラ柄っていうの島馬のああいう模様とか。
うんうん。
ああいうエアフォースとかがねアトモスから出てて。
これがなんか海外の超有名テニス選手プレイヤーとかに使われて大ヒットしたり。
うーん。
あの一番有名なのがアトモスが提案したエアマックスエレファントっていうデザインがあるらしいんですよ。
象。
エレファントって象だよね。
これがねなんかナイキの本社アメリカの方で行われる世界、世界中からの人気投票で1位を獲得したりね。
うーん。
絶好調なんですよこの時。
うーん。
でまあその原宿のファッションカルチャーの先端をこのパイオニアとしてねこの走り続けるんですねこの時。
はいはい。
でねただねそんな順調な本名さんにもね不穏なね波が来ます。
もう。
C型会員にかかっちゃうんですよ。
あらあら。
そうで現場からちょっと離れることになったんですよね。
うん。
ただねこの時で会社の売上が20から25億円ぐらいあったらしいそうなんですよ。
うーん。
で現場から離れてあのちょっと治療するみたいなことでなんかもう現場もその本名さんがいなくても回るようになってたらしいんですよね。
うん。
でちょっとねここで本名さん停滞時期に入っちゃうんですよ。
なんか仕事に対する熱量とかもなくなって結構こう旅行とか行ってC型会員の療養だって言ってあのなんか旅行とか結構行ってたらしい。
うん。
でそうこうしてる時にお母さんもC型会員になっちゃったんだって。
ほうほう。
でお母さんと一緒にその療養だって言ってこういろんなねところで結構贅沢な生活してたんですって。
もうお金も有り余るほどあったらそうなんで。
うん。
でそんなある日にね母と二人で旅行行った時にお母さんがなんか話があるからあのちょっと来いって言われてお母さんに呼び出されてそうなんですよね。
うん。
でそこでお前最近なんか仕事真剣にやってるかみたいなことでお母さんからものすごく怒られたそうなんですよね。
ほう。
でもうこの時ねあの本名さんいい歳なんですけどお母さんが涙ぐみながら真剣に怒ってきてわんわん泣いてしまったって書いてあったんですよ。
ほうほう。
ちょっとマザコンかなっていう大の大人がさお母さんに叱られてわんわん泣くってちょっと俺は違和感あったんですけど。
まあでもあの前回も話したんですけど本名家ってすごい家族の絆が強くって弟さんをねあの病気で早くして亡くしてるんで本当にその家族一丸でやってきてるんですよね。
うん。
であの独立した時もお母さんが弁当屋さんで貯めて150万貸してくれたりとかね。
うん。
でお店番もお母さんに頼んでたり家族経営してたんでやっぱりね僕らとはその母親との絆っていうかその家族のこのあり方みたいなのが違うと思うんですけど。
36:06
はい。
この時にあのやっぱ刺さったんでしょうね自分もなんかこう熱量が下がってる時に一番自分の立ち上げの時から見てくれてたお母さんに激を入れられてすごく感極まって涙してしまったと。
はいはい。
でこっから本名さん心入れ替えます。
おお。
でこの時に作った習慣が今でも続いてるそうなんですけど。
習慣。
これを機に毎朝4時に起きるように変わります本名さん。
極端っすね。
極端なんですけどね。
で毎朝ウォーキングしてるんです雨の日も台風の日も。
ほうほうほう。
でこれから自分のビジネスどうしていくかっていうことを精神統一をするんだって。
ああその散歩の時間に。
そうこれはねなんかあのyoutubeでインタビューされてた動画を見たんですけど今でも続けてる習慣って言ってましたねこれは。
うーん。
であの新聞各章を読んでコーヒー飲んでスタバに行くらしいる。
スタバかー。
でスタバでお得意のねあのいろんなところにいろんな人と会うらしいんですけど。
はい。
でもうここからちょっと停滞してたテキストトレーディングがまたさらに飛躍していくんですよね。
ほうほうほう。
でその母ちゃんに叱られた年の売上が27億円にまでいったんですよ。
うん。
で前年比4億円アップだったらしいんですけど。
はい。
本名さんが言ってます。この4億円アップが一番しんどかったと人生で。
うーん。
でなんかあの出店してから2億5000万から7億になって14億になっていって倍々ゲームで伸びていってて20億で停滞したんですよ20から25で。
でもうこれがなんか天井かなーって思ってしばらくこの状態が続いて自分の持ち目も下がっていって。
であの病気になった母ちゃんにもの凄く激を入れられて。
うん。
毎朝4時に起きていろんなこと考えながら施策売ってその今までの人生で一番努力したらしいんですよねこの時。
うーん。
でアップしたのが4億円だったんですね。
はい。
である意味なんかもう天井に行ってたのかもしれないよね。
うんうん。
市場の。
うん。
でこの4億円が一番しんどかったとまぁ語ってるんですけど。
でさらにねあのー15年近く働いていた三上くん。
はい。
高校の同級生。
はいはい。
彼がねあのねこれもちょっとあまり意味がわからなかったんですけど三上くんすごいピュアだったそうで。
うん。
失恋したらしいんですよね。
失恋ねはい。
失恋してあのもっと手に職ある職業に就くって言って退社したらしい。
はぁ。
うん。
ちょっとこの辺がね僕も謎だったんですけど三上くんあれ?と思って。
うーん。
そうか。
長年ね一緒にチャプター時代からチャプター時代っていうかまぁ今もチャプターなんですけど。
39:03
うん。
あのー一緒にやってた三上くんがここで離れてしまったと。
うーん。
さらに母親の様態が悪化。
あらあら。
で妹さんが現場を離れたんですよね。
あーそう面倒見る。
お母さんのカメラそう。
はいはい。
で妹さんが離れたことによってそのアトモスを運営してたテオス。
うん。
あの2個目に作った会社のテオスがねもうあのーどうにもこうにもいかなくなってテオスの事業をテクストトレーディングに上道したんですって。
はい。
だからここでねあのー一応テクストトレーディングがチャプターを運営してて並行輸入事業をやってます。
で関連会社のテオスっていうのを作ってテオスがアトモスを運営してます。
でそのテオスは妹さんが見てたんだけど母親が様態悪化して現場から離れたことによってテオスの事業をテクストトレーディングに上道したっていう形になったんでテクストトレーディングがチャプターとアトモス2つのそのブランド店舗を運営することになったんですよここで。
うん。
で結構ねテオスのことは妹さんに任せてたんでで三上さんはあ三上さんじゃない本名さんはあのどっちかっていうとその並行輸入的なところが得意だったんでその製器品のクリエイティブな部分ってあんまりやらなかったそうなんでこの時もすごい大変だったって語ってますね。
うーん。
さらに2008年のリーマンショック。
ほうほうほう。
2011年の東日本大震災っていうところでかなり苦しんでたらしいここで。
うんうん。
であの売上もその27億8億のところですごく苦しんでたらしいんですけど倉庫を粘ってる時にねあのナイキから声をかけてもらったらしいんですよね。
はい。
でなんか大輝がそのスポラボっていうそのブティックをオープンさせると。
うーん。
でそこにあのアトモスがまあチャプターですよねその本名さんに声をかけてくれてそのスニーカーの靴の部分一緒にやってくれないかみたいなんで。
うん。
でそこでねあの結構ね広い面積でもう1日60万ぐらい売り上げないと採算が取れないような広いところの店舗に出すことになったらしいんですよ。
はいはい。
でナイキからはもうこのクラスのABCDの判定でここDクラスだとこんなところでやって成功するわけがないって言ってたんですけどなんかね本名さんこの時ねすごく嗅覚が働くんですよね。
うん。
ここ絶対いけるっていう確信があったらしい。
ほう。
それはねなんか本書でもあのなんかうまく説明できないんだけどなんかその何かが来る予兆があったらしい。
何それって感じですかね。
やっぱこの辺はね長年並行輸入とかで売れる売れないとかいけるいけないのその嗅覚がねあったんでしょうね。
うんうん。
42:00
とにかくここは勝負どころだっていうところであのお店を出すんですけどやっぱりねこれうまくいかなかったんですよ。
嗅覚。
嗅覚どうなの。
であのバーってこの広いところにね綺麗に靴並べるんだけどこう全然うまくいかなくて。
はい。
でもなんかいけるみたいな感覚がずっとあったらしいね。
で何がダメなんだ何がダメなんだってこういろんなデータとかをぶわーって見直した時にその靴の配列が上位の30足が売上の70%を占めてることが判明したらしい。
おーはいはい。
でその配置を変えたり店舗のその何導入とか導線とかをむちゃくちゃ工夫したらしいんですよね。
うん。
そうそうそうしてそうするとなんとなんと月賞1800万円達成しました。
おーそうなんだ。
うん。
ちょっとね話がポンポン拍子かもしれないですけどでもね本書では本当にこんな感じで書かれてるんですよ。
へー。
でねあの月賞1800万円達成してそれが3000万4000万ってもうトントン拍子でこれがうまくいったんですって。
おーはいはい。
でさらに2014年にねそのなんかこのスニーカーがいける感じの予兆がさらにこう強まって一気にアクセルを加速していったと。
うーん。
この時にえっとなんかねインターネットにも力を入れ始めたらしいですよね。
何年ぐらいでしたっけ今?
2014年ですね。
14はいはい。
でこの時にそのお客さんの層が変わりだしたらしいですよね。
要はその今まで原宿のそういうコアなファッションカルチャーを持った人たちからそのインターネットの普及とかSNSの普及でいろんなカルチャーの持った人たちが来るようになったらしい。
うーん。
でそこでスニーカーっていうものが注目され始めててみんながスニーカー履くようになってきてたらしいんですよね。
うん。
でなんかそこがあの一気に多分ねそのことをね売れる予兆って思ったと思うんですよ。
あー時代の変化みたいな。
そう時代の変化みたいなんででさらにその振りまからヤフオクになってインターネットにシフトしていってそのインターネットにすごい力を入れるようになったんですよね。
うん。
前回でも言ったんですけどあともその売上の60%があのオンラインショップなんで。
うん。
でここであのオンラインショップ上でもそのいろんなカルチャーの人が見て楽しいみたいな作りに変えてったんですよ。
うーんほうほう。
それがねあの受けたらしいんですよね。
でなんとえっとその34億円まで伸びてた売上が翌年そのインターネットにあのすごい力を入れたその翌年に50億まで伸びたらしい。
何かの間違いかじゃないかってあの社内では言われるぐらいそのやっぱ多様性っていう部分を受け入れてインターネットをそこに掛け算した瞬間爆発的に伸びたらしい。
45:09
へー。
でちょうどその50億円にまで達成した時にあのお母さんが68歳で息を引き取られました。
ほー。
でそのやっぱ時代の引き目とそのアトモスのインターネットとそのカルチャーの多様性みたいなこと書いてあるんですけどやっぱこれからの時代はこれだってなってそのチャプターっていうのを終わらせたんですよ。
あんだけ儲かってたのに。
ほうほうほう。
もうその並行輸入っていうのがもうシリーズ揉みになるっていうことがもう目に見えてたんですって。
うんうん。
でそのチャプターを占めてアトモスに一本貸したと。
うーん。
でもうこの時点で売上が50億でこのままアメリカのシーレットもね順調に売上を伸ばして190億まで売上を伸びていきます。
でそこでフットロッカーに売却ですよ。
へー。
こんなね壮大なストーリーでございました。
うーん。
いかがでしたか。
なんか後半が急展開すぎてあれでしたけど。
後半ねちょっとねあのだいぶはしょってますけども簡単に言うとこんな感じですね。
でもね後半よりもね前半の方が面白いですよこの本。
いやだから大体の話はそうだなと思いますよ。
でその売却についてもそこまで詳しく書かれてないし。
まあ言えないことも多いでしょうかね。
いやあると思いますね。
でまああの一番強く言ってたのがやっぱり今スポーツブランドでナイキって今独り勝ち状態らしいんですよね。
あーそうなんですかナイキアディダスプーマとかニューバランスとかアシックスとかミズノとかね。
であそうなんだと思って調べてみたらナイキの売上高6兆円。
はい。
アディダス半分なんですよ3兆円。
へー。
でプーマ9000億円。
へー。
でその下にスケッチャーズとかルルレモンとかアンダーアーマーとかがあるんですけど。
あー新しい目のルルレモンとかね。
そうそうそうそう。
で7位にニューバランスで6000億円。
うーん。
なんでねナイキがねダントツなんですよ。
うーん。
しかも1位2位がねこうナイキアディダスみたいな感じなんですよね。
ただこの1位と2位も倍ぐらいの差があると。
はいはい。
実は3位以降は結構鳴らされてますね。
パパパパパーって。
うーん。
そのぐらい差があるんですよ実は。
これ知らなかったんですけど。
へー。
でやっぱりこの差っていうのはそのナイキのその自由な社風がやっぱそのスポーツブランドとしてすごく成長させたっていうふうに本名書いてあった本書で。
48:01
うんうんうん。
例えばその。
えーその勝手にシステムを張って。
そうそうそうそう。
はいはい。
とかなんか並行輸入業者に簡単にその講座解説簡単にじゃないだろうけどなんか面白いこと面白いことしてくれそうだからって言って講座解説してくれたり。
うん。
そのスポラモのブティックをまだ実績の少ないアトモスにかけてくれたりとか。
なんかねその面白みがあったんですって。
うーん。
ナイキには。
でまあ本名さんはねその当然ナイキの人とも付き合いがあるしアディザスの人とも付き合いがあるしニューバランスともいろんなその靴のねメーカーさんとの付き合いもある中でやっぱりナイキの社風だけ一際立ってたらしい。
やっぱ違うらしい。
へー。
今でこそねでかくなりすぎてその大企業って感じらしいんですけどやっぱ当時はねなんかその成長する予兆みたいなのがそのナイキの社員さん自身からこうにじみ出てたらしい。
おー。
ちょっとナイキのことがまた違う視点で見れるようになって。
うんうんうん。
すごい良かったですね。
なるほどねー。
まあでもやっぱり人じゃないですか。
いや本当に人ですね。
そうですねでこれも概要欄に貼っとくんですけど本名さん売却後のあのインタビューされてるもう簡単に路上インタビューされてる動画があって。
うん。
でここでねそのさっき言った毎朝今4時に起きてコーヒー飲んでスタバに行ってもう1日に6人7人の人と会うと。
へー。
でズームはしないと。
ズームにするとあの連絡事項の報告だけになっちゃうらしい。
うーん。
それが面白くなくてビジネスのチャンスって雑談の中から生まれるからその雑談をするために俺はスタバで6人7人に会うんだみたいなことをね言ってましたね。
はーなるほどねー。
なるほどねーと思って確かに俺雑談そんなしてないなーと思って。
うーん確かに。
本当にねでもこういう言い方するとあれなんですけどいろんな僕もねそのこういうビジネスの辞典みたいなの読みましたけど。
うーん。
まあまあトントン拍子なんですよね。
うーん。
ものすごく大変だった時期ってまあ当然ねまあ書いてないだけかもしれないし大変だったけど大変だと思ってなかった説はあるんですけど本郷さん自身がね。
うーん。
まあその自分がC型肝炎になってお母さんもC型肝炎になってリーマンショックとか東日本大震災とかあの辺がすごく売上20億から20まあ30億に到達するまでぐらいが一番しんどかったと書いてあったんですけど。
うーん。
なんかそれ以外の部分って本当にさらっとこうポイントポイントで売上ががぼって伸びたっていうような感じですね。
うーん。
で後半については売却のことについてはほぼ触れられずさらっと終わって最後はなんかナイキのカルチャーのこととかこれからのスニーカーブームのそのトレンドみたいな話で終わっちゃう終わるんですよこの本自身は。
51:09
ただその辺の話もすごい面白いんでねあのぜひねこの話だけでは紹介しきれなかった要素もたくさんあるんで。
うーん。
興味ある方は買ってちょっとゆっくり読んでみてもらえたらなと思います。
そうですねなかなかファッションのこととかなんかいろいろあるじゃないですかアルファ世代Z世代プレミアムミレニアム世代とかの消費行動がとかっていうのがだんだんわかんなくなってきてるんですよね。
いや僕もわかんないですよ。
でなんかそういうのってやっぱりこうブランドどのブランドが今トレンドだみたいなところがやっぱりまあ一番わかりやすいところかなと思うんでちょっともう少し知らねばなというのを感じますよね。
ナイキすらよくわかってないですからね。
いや僕もっすね。ただね俺この本明さんって嗅覚が凄まじい人なんでこのアトモスを売却したのもねなんかスニーカーブーム終わるんじゃねみたいなのがちょっと感じてるな可能性あるなって僕思ってるんですよ。
そう思いますね。
なんかもうこれ以上伸びないしこれからスニーカーがなんか爆発的に行く日本で行くイメージが湧かないっていうのがあって売却して結構内心うわうわなんじゃないかなって思ったりします。
そんな感じはしますね。
まあねでも本明さん自身も売却した後もフットロッカーアトモスみたいな形でまだまだこの業界でね働いてらっしゃるんでね。
大企業になっていろんなルールができたそうでそのルールに一切従われへんから本社では本明はコントロールできねえみたいなことで言われてるらしいですけどね今。
なんでね前回も言ったことの繰り返しになるんですけど売却した方のフットロッカーアトモスが今後日本でどんな感じになっていくのかっていうところと本明さんご自身はどうなっていくのかっていうところもね。
なんか全く違うこととかやったりするのかな。
全く違うことサウナとか。
いやいやありえますよねでも。
でももうそんなことしなくていいぐらいお金あるからね。
400億ですよ。
税金で半分持ってかれても200億円ありますからね。
株の配分どうなったかとか書いてないんで。
あれですけど。
まあまあすごいですよ。
すごいですよね。
すごいですよ。
ってことでねこんな感じでしょうか。
いつもメールやお便りいただきありがとうございます。
今回の感想もまたApple Podcastのレビューでお待ちしています。
54:01
二人でコメント欄を全て読んでいますので今後の番組をより良くするためにあなたの感想をお待ちしています。
それではまた来週お会いしましょう。
さよなら。
54:10

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