2024-11-17 40:04

#183- 【SPゲスト回:Posdcast番組 英語でサイエンスしナイト!のアサミさん】#教えてアサミ!後編

前回に引き続き、Posdcast番組 「英語でサイエンスしナイト(#英サイナイト) からアサミさんをゲストにお迎えしたスペシャルコラボ回をお届け📻


今回は特にアサミさんの駐在員子女時代を掘り下げながら、子供視点で当時見えていた景色をお話し頂きました✨


まき家もアサミさん家の様に、振り返ったら家族の絆を強める思い出になってるといい☺️


やっぱり不安なことは経験者に聞くが一番。

ご自身の経験を惜しげ無くシェア頂き、まきの不安やモヤモヤを勇気や希望に変換してくれたアサミさんパワーに感謝感謝です🙏

これからも困ったら#教えてアサミ させてくださーい🥲


🎙トーク内トピックス👯‍♀️

駐在員子女の英語習得スピード / アサミさんの駐在員子女歴史 / 英語圏で理系が武器になる / アサミ母の金言"日本語ができて初めて英語が生きる" / 日本語を忘れないようにするには / 駐在時代の一家の思い出 / 親の子供時代が参考にならない駐在員子女 / 子女からみる両親 / とにかくあまり考えすぎず楽しみましょ


📻 英語でサイエンスしナイト🔗

https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%A7%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%97%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88/id1686731668


「私はこうだったよ」や「2人のこんな話を聞いてみたい」などご意見がありましたら、以下のリンク内のGoogleフォームからご連絡お待ちしています📩

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#podcast #右に行くか左に行くか #35歳 #35右左 #ポッドキャスト #podcaster #35migihidari #英語でサイエンスしナイト#ゲスト回 #女性のキャリア #駐妻 #アメリカ #共働き #子育て

00:09
35歳、右に行くか、左に行くか、わー!
共働き、ワーキングマザーで会社員のマキ
社会科学系の研究者でパートナーと二人暮らしのナイちゃん
10代で出会ったマキとナイちゃんが、ライフステージの変化を感じた35歳から始めたポッドキャストです。
キャリア、子育て、パートナーとの関係など、 詩的でオープンな近況報告を繰り広げています。
なんかでも、つらっと英語の話が出たので、
5歳と8歳で行かれるってことは、たぶん、めちゃめちゃ英語が吸収が早いですよね、その歳ぐらいは。
なんなら、日本語置いてきぼりになっちゃうぐらいの勢いで、英語がペラペラになると思います。
そうなのかな、なんかもう全然、今全くゼロだね。
早いと思う、絶対早い。
早い早い、特に下の子の5歳ですよね、5歳はめっちゃ早いですよ、たぶん。
それこそ、それぞれの子供の性格、割と外交的だとか、
スポーツがすごい好きで、チームスポーツに入りたいとかいう子だと、割と和ができやすかったりして、
あっという間に馴染んじゃうとかもあるし、
あとシャイな子もいるので、スピード感は若干個人差があるけど、
そのぐらいの歳で行くと、本当に早くて、
お母さんたち、お父さんたちが心配してたのが嘘なぐらい、
むしろ日本語の心配しなきゃいけないみたいなスピードで、
結構英語しゃべれるようになっちゃいますね、そのぐらいの歳の子は。
それこそ、私がBBシッティングしてた子も、たぶん当時8歳、7歳ぐらいだったんですよ。
来たときは、そんなに全然英語を話せなかったのに、
最後らへんにBBシッティングして、うちのインスティテュートに来てて、
スカーラーの人が、What's your name?って言われたら、
I'm Rioって言ってたから、Ryoくんだったんだけど、
Rioとか言ってたの、最後はRioって言ってたから、もう完璧やん。
完璧やん。
完全にアメリカ人仕様で。
なるほど、ちなみにあさみさんは、おいくつのときに海外、もう海外で生まれ育ってましたっけ?
いや、生まれは日本で、生まれてわりとすぐ、1歳とかぐらいのときにシンガポールに行って、
幼稚園のとちゅうで帰ってきて、また中学校2年生がはじまるぐらいのときに、またシンガポールに行ってって感じなんですけど、
そこは小学校がガッツリ日本だったってことですか?
そう、小学校まるまる日本で過ごしていて、
03:03
で、主に私が今持ってる英語力のほとんどは、その2回目の不妊のときに身につけたもので、
最初のたぶん一番ちっちゃいときのベイビーのころは、歌とか遊びぐらいの感じで、
たぶんもしかしたら耳はなれてたのかもしれないかな、
あと外国人におじけづかない体勢みたいなのはたぶんついていて、
でも普通に中1が終わったときに、インターにポンって入れられたときは、
英語を第二学校でしゃべってる子たちの一番下のクラスに入って、
もう人数があんまりいないんで、学年もまぜまぜなんですよ、3学年ぐらいまとめられて入れられていて、
みんなろくにしゃべれないのに、なんとかがんばって通じようとするみたいな環境に入れていたので、
それはたぶん大きくて、そこで私はESLも何段階かあったんですけど、
半年ぐらいでESLを私はたしか卒業して、
でもだいたいの人が半年から1年ぐらいで、ネイティブの子どもたちと同じプログラムに合流するんですね。
でもそのあとも、なんだかんだ大変だった記憶はあって、
それこそ、言葉が出てこないで困るのは、たぶん1年、2年ぐらいで終わるんですけど、
それで英語で勉強しなきゃいけなくなったり、英語でエッセイ書かなきゃいけないってなると、
やっぱりネイティブと競うと勝てないだったりとか、
あとそういうのもあったので、それなりにたぶん大変だったんですよね、
肯定的ワイリンガルなので完全に。
ちなみになんですけど、単純な疑問というか、もしかしたら偏見かもしれないので、
偏見だったらバサッと叱っていただければいいんですけど、
私の実体験で、高校の時に留学を1年間していて、
その時にイギリスだったので、アメリカよりもより選択なんですよね。
選択科目を見たら結構選択できて、その時点から結構文系力がっつり分かれちゃうような感じで、
Aレベルとかですね。
私は当時文系だったので、なんの気なしにファーストセメスターはヒストリーとかイングリッシュを取ったんですよ。
その時に、分かってなかったから。
でもその時に地獄を見て、ヒストリーの時にずっとワールドローゼリーズを語られるバラ戦争をずっと語られて、
06:05
チュールス何回出てくるの?みたいな感じだったんですよ。
私知らないから、そもそも。
それで痛い目にあって、それで2学期目から全部数的処理系のやつに図出したんですよ。
だから実技系、数学とかマスマティックス、メカニックスとかピュアマスとか全部動かして、
そしたらものすごい点数出るんですよね。
それでちょっとお聞きしたいのが、やっぱり小学校がっつり日本でその後好転的に頑張って英語を修読していくじゃないですか。
っていうことはつまり、やっぱり現地で、海外で、海外のイングリッシュとかヒストリーが難しかったから理系に馴染みやすかったとか、そういうことってあります?
でもそれは全然たぶんあって、私の場合は、なんだろうな、
結構英語を勉強中の時も、一番のモチベーションが、私はこんなバカじゃないっていう感じだったんですよ。
いや、わかる。
自分が発せられる、かける英語力と自分の頭の中の乖離が激しくて、こんなんじゃないのに、っていうフラストレーションで私は英語が上手くなったタイプなので。
なんかベイビーに思われちゃう、勝手に。言語ができないってだけで。
そうそう、なんか、もっと私の頭の中ではニュアンスのある考えとか、他の子たちが言ってることも全然わかってるし、もっといい意見とかもあるのに、表現ができないが故に黙ったり、
表現ができないから上手に書けなくて、エッセイもどんなに頑張ってもBだったりするんですよ、すんごい頑張ってもBだったりして、なんかだからそういうモチベーションはあって、
だから、高校の後半で選択制になったときは、完全に確実に点が取れる数系のもの、理系のものを比重を多い点数のプログラムを組んで、
ヒストリーなんか私取ってなかった、取ってすらいなかったな、たぶん。なんか地理とかをやった気がする、社会科で。
難しいというか、理系に寄せられる。
あとちょっとサイエンスも入ってるから、ジオロジーとかもちょっと入ってるから、ジオグラフィーだけど。
だから、ちょっとそっちに寄せられて、
やっぱりそうなりますよね。
だから、私全然文系だったので、日本にいるときは、むしろ国語とか社会のほうが勉強しなくても点数が良くて、理科とかは嫌いじゃないけど、普通に人並みに勉強しなきゃいけないサブジェクトだったので、
09:05
でもそれがたぶん逆転して、あと英語のほうが、科学に関しては情報の整理が私はしやすかったんですよ。
めっちゃわかるわ。単語とか。
私だけかもしれないけど、カタカナと漢字が混ざるとすごい難易度上がりません?
わかりません。それこそ私がいつも思ってたのは、フォーミュラー書くじゃないですか、公式。書くときにSとかTとか使いますよね。
最初はなんでこれ、なんだっていいんですよ、Xはなんだっていいんですけど、TとかSとか置くじゃないですか、それが一瞬なんなのかがわかんないんですよ。
だけど英語だとそれがタイムがセカンドだったりするじゃないですか。
そうそう。物理とかのメカニズムも英語で整理しやすくて、逆転したんですよね。そこで得意だった科目が逆転して、
15、6ぐらいのときって得意なものが好きな科目になるじゃないですか。
わかります。
だからそのノリでやっていたら、いろんな人が、あ、あさみはサイエンス系なんでしょ?みたいな感じの扱いを受けるようになり、
多分、あ、私、科学、ケミストリーとか得意系かもっていう幻想を抱いたまま大学に来て、
PHDまで行ったんだ。
いや、PHDまでやってしまったっていう感じですね。
本当は文学好きだし、本当は言語とかも大好きなんだけど、どこで間違えたかっていう。
いやいやいや、努力だよ。
でもきっかけ、うんね、努力だよね。
あとはでも結果、やっぱこうきっかけ次第でどっちにでも行けるというか、だからもともとほんと多分どっちでも行けるというか、
これもしかしたらみんなそうなのかもしれないんですけど、極端な人も多分いると思うけど、
大体の人がね、別に100パーリ、100パー分とかってないと思うんで、
そういうなんか一つのきっかけで、あさみさんっていう方ができたんだなって。
結構ハイブリッド型なので、今のやってる研究もかなりハイブリッドな分野にはいるので、
そういう意味ではどっちの筋もそこそこあったのは、あれなのかなって。
逆に強みですよね。理系の今フィールドにいて文系がお得意っていうのが。
それこそないちゃんさんとかめっちゃわかると思うんですけど、
文系の人だって結局理系で論理的に考えなきゃいけないし、
理系の私だって文章を書かないと成果にならないんですよ。
だから結局どっちのスキルも必要ですね。
12:00
本当にそうです。
だってやっぱり理系に行きたい中学生とかがいて、
よく研究ってこういう問題は研究者の日常みたいなので、
講演することは時々あるんですよ。
理系の学生には絶対に国語力、英語力だって言って、
文系の学生には本当に数学だよっていう。
本当にそうなんですよ。
逆をね。
結局両方ともできなきゃいけなくなる。
結局苦手だったとしても、私みたいに今現状プログラミングやっていたりだとか、
っていう世界が広がったりするので、
でもむしろそれにハードルなく乗り込める方が世界は絶対に広がるって思ってるので、
そうですね。
だからどっちも満遍なくやらなきゃいけないし、
結局プロフェッショナルになっていこうとすればするほど、
どっちの能力も絶対に必要ですよね。
あとやっぱり一流の研究者ってめちゃめちゃ文章も上手だったりするんですよね。
理系の人でもすごい読みやすい論文を書いてくれる人も、
よく見るとすごい人だったり、
まれですね、本当に数式ばっかりの論文を、
ほぼ数式で埋めるみたいな論文出す人ですごい人もいらっしゃるけど、
多分もうあんまりそういう時代は過ぎている気がしていて、
最近は本当にどっちも結局やることになりますね。
あとすごい私が親に感謝しているのは、
英語ももちろんがんばってって感じだったんですけど、
私と妹が英語ができるようになって、
家でちょいちょいに英語をまじった会話とかをするようになった頃に、
あなたたち、日本語ができないと君たちの英語力に意味はないって、
すごい英語がしゃべれない母にめっちゃ言われてたんですよ。
なるほどね。
英語ができる人が雇いたいんだったらいくらでもいるから、
別にあなたたちを雇う必要はない。
でも日本語ができることによってあなたの英語は生きてくるんだから、
日本語も忘れちゃダメっていうふうに釘を刺されていて、
そのせいか、あんまり日本に住んでないのに、
日本語上手ですねみたいな感じに。
めちゃくちゃうまいし、時々私でも使わないような日本語を、
ポッドキャストで話されたときがあって、
なんでそんなとわりのおそばの知識とかそんなあんのみたいな。
知らない知らない。日本人でも知らないみたいな。
冷麺はそばでできてるみたいなことを普通におっしゃってたじゃないですか。
知らないの初めて知ったんだけどみたいな。
15:00
そうなんだ。
色々学んで吸収してこられてるんだろうなっていうのが。
結構だから、でも確かにいざバイリンガルになるとやっぱり、
日本のことを説明をされたがるんですよ、外国人の友達のこと。
そうですよね。
しかも外国人の方がよく勉強してたりしてて、
そうなんですよね。ちゃんと勉強してるんですもんね、向こうは。
仏教のさ、ボディサッパーとブッダの違いはなんなんだとか聞かれて、
知らないみたいな。
わかんない。
いやでもほんとそうですよね。海外行くとめちゃくちゃやっぱり日本のことを聞かれて、
全然わかんないから。
結構あなたが私がちゃんと初めて仲良くなる日本人ですっていうシチュエーションになることが多いので、
なんかすごい説明を求められたりするんですよ。
私がほんとリプレゼンテイティブでいいんですかっていう思いを持ちながら、
日本はね。
私でいいの?
ちょっと待ってみたいなね。調べさせてくださいってなるから。
そうなんですよね。めっちゃ適当なこと言ってるわ。
しかも私それがモチベーションで、大学は日本に行こうって思ったっていうのもあったんで、
海外行ったときになんで日本のこと知らないんだみたいな、
結構自分が今までやってきたことを後悔したというか、
私は絶対に日本のことを外国人にしっかり伝われる人になるんだって思って、
大学に入ったのになぜか日本じゃない国の研究をし始めるっていう、
ちょっとなんかよくわかんないことが起こってるんですけど、
それはね、おいおい置いといてっていう。
でも、そういうのもあって、
結構日本語も英語も子供の頃ってどうにでもなるし、
たとえそのときどっちかに寄っちゃっても、
本人が日本語喋りたいなって思ったら、
日本語ちゃんと後からでも上手くなるし、
英語に慣れるスピード感とかも本当に人それぞれなんで、
ただまあ、そのくらい5歳8歳だったら、きっと驚く速さで飲み込んじゃうんじゃないかなと思います。
親一瞬で越えるかもね。
親一瞬で、わりと一瞬で越えると思う。
それはそうだよね。
発音とか間違いないよね。
いやーそう、でもそれは本当ある意味すごい楽しみというか、
なんか本当これまで日本でしか育ってきてないので、子供たちは日本語としか触れ合ってないから、
言語によってまた、その言語にカルチャーがすごい出るじゃないですか。
だから、たぶん最初はね、いろいろ特に長女とかは結構真面目だったりするんで、
苦しむとは思うんですけど、
なんかそれを人から向けてもらって、ちょっとまた人として幅広げてほしいな。
家庭を一緒に楽しめるといいな。
18:02
そうだね。長女ちゃんはすごい本当真面目だから、
できない自分をどうクリアしていくかっていうところな気がしますね。
そうそうそうそう。
そんな感じ。
なんか次女とかはわりと明らかなんで、
この前も現地で夫が家の内見してて、
で、大谷さんがおばあちゃんで、アメリカ人の。
で、ちょうど今テレビ電話でつないでて、
そのまま次女も起きてたんで、一緒にこう見てたんですけど、
なんかこう普通におばあちゃんに、はいみたいなこと言われて、
次女も、はい、マイネームズ何々みたいな感じで、結構わりと堂々と言ってて、
すごい次女はもう全然心配ないなみたいな感じなんですけど、
そうそうそう。楽しみだわ。
面白いです。なんか全然、
環境によってね、子供は結構いくらでも変容するし、変化するし、柔軟なんでね。
ちなみにその海外にいらっしゃる間に、日本語ってどういうふうに学んでたんですか?
いる、あとその2回目の婦人の時はもう小学校、私が中学校1年生、妹が小学校6年生だったので、
そのぐらいになるとさすがに日本語を忘れるっていうことはなくて、
で、家でもほぼ日本語でしゃべっているし、
あと、インターだったので、かろうじて日本語の授業があったんですよ。
学年に3人とか5人とかしかいないんですけど、
それみんな集めて日本語の授業をしてくれていて、
なんで、海外にいたけど、ちゃんと大江健三郎とか読んだりしたことあるみたいな、
そういう感じだったので、それもなんか忘れなかったあれかなと思って、
でもなんか、補修校とかは行ったことはなかった気がしますね。
ただ、もっとちっちゃい子の頃は多分みんな割と土曜日とか補修校に行っていて、
土曜日は日本語の日みたいな感じの扱いの子たちも多いんじゃないかなと思います。
やっぱりね、周りが日本語しゃべってると自分も忘れないし、
同い年ぐらいの子たちと日本語しゃべる機会っていうのは多分大事だと思うので、
でも、私に限っては本当にそんなに何もしてなくて、
あと、もともと本とかが好きで、日本語の本とかはずっと読んでいましたね。
英語勉強中の時も楽しいための読書、自分の楽しみのための読書として日本語を読んでいたり、
あと、英語がちょっと読めるようになると、日本語と英語訳を比べてみたりしたりして、
知的な遊びや。
なんて知的な遊び。
21:01
いや、どれぐらいわかってたかは、今となると、わかってたのかな、私みたいな思うんですけど、
結構、村上春樹とかは特に英訳にもいっぱいなってるし、
村上春樹ってもともとすごい難しいじゃん。
意味がわからない。
でも、私としては、だんだん日本語と英語の、前までは日本語の方が内容がわかってたのに、
だんだん日本語が難しくなって、英語の方がわかるようになってるみたいな、
その変化を自分で見るのも楽しかったっていうか。
なるほど、なるほど。
一人一人試験みたいな、なんて高度なことしたのか。
そういう、自分の能力の探求心があるから、筋トレ好きなんだなって、今すごい納得しちゃった。
確かに、めちゃくちゃSというか、Mか。
Mなんですよ、たぶん。
自分の限界を知りたくなりがちなんだね。
すごい、なるほどね。
私たちは絶対楽な方に逃げる。本当に。
めっちゃでも、研究者向きというか、悪なき探求心みたいな。
結構気になると、そうなっちゃいますね。
でも、なんかだから、わりとそうだったし、逆に妹とかはそんなに本好きじゃなくて、
英語とかも、私がわりと本媒体で学んだのに比べて、
彼女は雑誌とかYouTubeとか、今時ガールズな感じのメディアで学んでたんですよ。
で、そんな感じ。
あと、やっぱり小学校6年生と中学校1年生の差っていうのは、地味に大きかったみたいで、
中学校って小論文とか書くじゃないですか。
小学校って作文で終わってるんですよ。
日記とか。
だから、そんなちゃんと文章書いてない状態で来たので、
英語の習得は同じぐらいのスピードだったけど、
日本語のリテイン率が、私の方が最初は圧倒的に高かったんですよね。
ただ、日本で仕事を彼女がするようになったら、
もうなんか1年、2年しないうちに、
いつもお世話になっております。
すらすら出てくるようになる、
しっかりビジネスジャパニーズできるようになってたんで、
ベースがあれば、いくらでもどっちも上手くなるんだなっていう感じはしましたね。
へー、なるほどな。
私も、私たちが通ってた大学も、すごい帰国子女が多い大学で、
私も友人にいて、
その子たちは必ず私にテストの時には頼ってくるっていうのが通説であるんですけど、
1個1個教えられないからこちらも、
マクロ経済科なんかの授業で、
とりあえず教科書読んで、分かんないところあったら聞いてって。
でも、一応学部生向けの教科書ですよ。
1行目に、国民所得の水準は?っていう言葉から始まったんですよ。
24:03
それで、その子がねえねえとか言われて、
これってさ、水と関係あるの?って言われて、
おーい!おーい!って思って。
そこから入るみたいな。
それはもうちょっと英語の教科書もらってこようかみたいな。
そこで詰まって。
むしろよく国民所得は分かったねみたいな。
すごいね、でもそのレベルでも入ってこれるんだね。
英語だけで入れるんだね。
だからなのかな。
その子は内部だったから。
ていうのもあるかもしれない。
確かに。
そういうのを思い出させるわ。
ちょっと私のこともあさみさんに聞いてみたいな。
駐在時、家族で行かれてて、
その時に子供から見てたその両親、ご両親は、
どんな感じ、どういうことに困ってて、
逆にどういうことにハッピーだったかというか、
どういうところが大変そうだったかとか。
行った時期が反抗期バリバリティーネイジャーだったので、
あんまりそんな親を思いやる目線で全然見てなくても、
自分のことで精一杯で。
ですよね。
覚えてなかったんですけど、
結構後から聞いた話で、
大人になってから聞いた話っていうのが結構あって、
知ってた?パパセラピー行ってたんだよみたいな。
最初ちょっと適応障害っぽくなって、
会社行けなくなっちゃったから、
セラピー通ってたんだよとか。
そうなんだ。
ものの数ヶ月で治ったっていうか、
とりあえず社会に戻れる感じにはなったけど、
知ってた?知らなかった。初耳みたいなのもあったし、
私の母、結構仲在なれはしていても、
英語は別にしゃべれないんですよね。
だけど、父が仕事に全振りして頑張ってる間、
娘2人の学校探し、いろんな学校の面接行ったり、
パンフレットもらってきたり、説明会行ったりっていうのを、
全部英語なのに、なんだかんだこなして、
なんだかんだ願書書いて、ちゃんと入れてみたいな。
どうやってこんな離れ技をやってのけたんだろうかみたいな。
聞いたら、よなよな電子辞書を片手に、
書類に目を通し、いっぱい付箋貼ってあって、
ここチェック、ここチェックみたいなのを、
私たちが学校のことで精一杯だった頃、
親たちはそういうことを頑張ってたんだなって思って、
27:02
今思ったっていうのもありますし、
でも、一番すごい覚えてるのは、
今まで日本にいる間、父が仕事の話を家ですることはあんま見たことなかったんですよ。
パパの仕事って何?って聞いても、
こういう感じの会社みたいな、すごいふんわりした答えしか返ってこなくて、
何してるのかよく知らなかったんですね。
ただ、それはたぶん彼のポリシーで、
あんまり仕事を家に持ち帰りたくないっていうポリシーだったんでしょうけど、
赴任してからはそんな余裕なくて、
ご飯の後とかにリビングで、いっぱいプレゼンの練習してる、
すごい練習してるのを見てて、
こういう緊張してる、
私も明日学校でプレゼンあるけど、頑張ろうみたいな、
そういうガチで余裕がないぐらいに頑張ってる、
必死な親を初めてその時見たので、
なんだろう、それを見ていたからかもしれないけれど、
反抗期とかがいろいろ終わった後、
なんだかんだ私たちは仲がいい家族で、
大変だったけど頑張ったよね、私たちみたいな、
あの頃大変だったけど、なんとかサバイブしたよね、みたいな、
同志みたいな。
ベースがどこかに、
親子っていうとどうしても上下な感じだけど、
同志って感じの関係性が、
なんだかんだ私と妹の方が英語うまくなったし、最終的には、
どこかで親を抜く瞬間みたいなのが、
たぶんみんなあるんですけど、
それがわりと早い段階で来たので、
チーム感がすごい残ってるんですよね、
分かんなかった時に、みんなでサバイブした記憶とか、
オーダーしたのに全然違うもの来ちゃったね、みたいな時とか、
あの時は大変だったね、タクシー飲んじゃえ。
子持ち席じゃなくて大変だったよね、みたいな、
そういう記憶とかはあるので、
そういうのも、親の必死なところを見れたのも、
今になってはいいことだったのかなと思います。
なんて素敵なファミリーなんだ。
本当にたぶん私が知らないところで、
親同士の夫と妻の関係もたぶんいろいろ変化してて、
私たちが見えないところでは。
もちろん親子関係も年齢っていうのもあるけれど、
別なところで変化してたし、
あと一番たぶん大きかったのは、
30:02
親の子供時代が全然参考にならないんですよ、私たちには。
確かに、確かに。
部活の記憶とかないし、
え、私の友達はクラブに行きたいって言ってるの?みたいな。
クラブはもう怖いところだ、みたいな。
そういうのがまん延していれば、
え、クラブとは?
中高生でクラブとはって感じじゃないですか?
なんけど、そういういろんなカルチャーショックにも、
きっとびっくりしたし、内心ビビってたんだと思うけど、
割と寛大に放置してもらえたのもあれだし、
なんだかんだ言って、
家がハッピーだと学校大変でも、英語できなくて大変でも、
家帰ってくれば、ご飯あるし、日本のドラマも見れるし、
一緒にみんなで日本のお笑い見て笑えるし、みたいな、
そういう場所があったのは、すごいよかったなと思います。
家がこれでギスギスしてたら、
確かに。
全然ギスギスする可能性もあったと思うので、
不倫ってやっぱ大変だし、
そういうのをあんまり感じさせないでいてくれたのは、
ラッキーだったなって思います。
お母さんはすごいですね、
英語もそんなにすごく流暢ではないけれども、
お父さんは仕事があるから、
あさみさんがそんなに家がハッピーって思えるのも、
お母さんがかなめというか、
それはお母さんのパーソナリティなんですかね。
どうやってストレス発散してたのと思って。
わかんないですね、子供から見ると。
どうしてたんだろう。
でも、全然キレてましたよ、普通に子供の前でも。
英語ができるんだから、あなたがいればいいじゃないの、みたいな感じのことは、
全然あったし、
多分、あんまり覚えてないだけで、きちんとぶつかってはいるし、
そういうことがなかったわけじゃないんですけど、
そういうのを無駄に我慢したりしないで、
母の必死な様子もわかるし、
みんな結構ギリギリで頑張ってるっていうのを、
ベースにそこの信頼関係があると、
多少、誰かの腹の虫の居所が悪くて、
イライラしてても、そういう日もあるよね、みたいなちょっと余裕が生まれるっていうか。
なるほどね。
でも、めっちゃいい話。
私もでも、多分日本でずっと生活するのも、それもそれで一つの人生だけど、
33:05
私も夫も海外にすごく興味もあるし、バックボーンもあったりもするので、違う国だけど、
絶対その子供には、地球は日本だけじゃないというか、
いろんな世界があるし、全然通用しなくなるから、
一つの国のカルチャーが他の国では、みたいなこととかも、
味わってほしいなと思ってたんで、すごい今回めっちゃいい機会だなというふうに思ってて、
めっちゃなると思います。
マサイ、アサヒさんみたいな、今話してくれたみたいな感じで、
家族の一つチャレンジだし、家族の思い出みたいな感じになると、
いいなと思って、すごい勇気づけられました。
全然なると思います。
その一つとして、その余裕をちょっとでも出すためにかわかんないですけど、
私、日本では全然なかったけど、
ハウスキーピングの人に週一とかで来てもらってたし、不妊中は。
学校のカウンセラーシステムが、日本も今は変わってきてるのかもしれないけど、
小学校、中学校、わりと小さい頃から学校に、
保健室の先生的な感じでカウンセラーの人がいて、
話しに行ける、相談しに行けるみたいな、
そういうシステムも、わりとみんな当たり前のように使っていて、
そんなに抵抗がなかったのもあるし、
使えるものは何でも使おうっていう感じなの。
いろいろハードモードだから、
頼ったら恥ずかしいとか迷惑なんじゃないかっていうのじゃなくて、
もうみんなに助けてもらいながら、お互い様でっていう感じで。
確かに、アメリカは特にカウンセラー文化じゃないけど、
めちゃくちゃ充実してるからさ、
みんなにいいとは限らないですけれど、
そのシステムがね、相性とかもあるので、
そうですよね。
それが全ての解決策ではないけど、
そんなふうにプロの手を借りることも、
全然しちゃっていいんじゃないかなっていうのは、
すごい特になんだろう、
やっぱり親は多分子供のために頑張っちゃうじゃないですか、
その駐在、ただでさえついてきてもらってるのに、
無理させてるのにみたいな、
でも子供はそんな覚えてないんですよ。
そんなことは思ってなくて、
普通に家族と一緒に移動、お引越しっていうぐらいの感じなので、
家族が楽しければ、
割とあとはどうにでもなる気がします。
36:01
分かりました。
ありがとうございます。
ぼきちゃんは適応能力が高いと思うんですけど、
ただストレスをぶちまけがちっていうのと、
ないじゃない、心配なところは、
ストレスをぶちまけて、
夫婦喧嘩が激しくなるんじゃないかっていうのと、
あと完璧主義だから、まきは。
だからちょっとそのところはあると思うけどね、
だからあんまり、
行きたい方向に絶対行かせるべきっていうのが結構強いんですよ。
確かにね。
だからそれがつぶれだとしても、別にあなたの人生ゲームオファーじゃないんだから、
その感覚はめっちゃ大事で、
いろいろこうしたいとか、
駐在も何年いるかわからないから、こんなことしたい、あんなことしたいって、
多分いろんなことはたくさんあるし、
詰め込もうと思えば、いっぱい詰め込めるんですけど、
何があるかわかんないじゃないですか。
不妊先で、こんなことを想像したくないけど病気になるとか、
どっちかの子供はめちゃめちゃアメリカが肌にあったけど、
どっちかはめちゃめちゃ日本に帰りたいとか、
どういう反応が出るかわからないから、
あんまり先々のことをこうしよう、ああしようって決めるんじゃなくて、
何が来ても何とかなるぐらいの感じのスタンスでいると、
多分その余裕とか安心感っていうのは家族にも伝わるし、
結構それは私がいろんなことにビビらずに挑戦できている源なのかなと思いますね。
何とかなるっしょみたいな、死なないっしょみたいな。
そうそう、死なないっしょ。
それは本当そうですね。
いやそうだし、なんかもう本当に考えても仕方のないことなので、
その前段で話したような子供の教育とか、それも本当に、
そうそう、バイリンガルにならないかもしれないじゃないですか。
ならなかったらならなかったで別にいいんですよ。大丈夫。
そうそう、あんまり考えすぎないようにいきたいと思います。
いや、よかった。なんかいろいろ聞いてよかった。
いろいろ聞いてよかったね。
なんか子供も思ってないのに偉そうなこと話したかもしれないけど、
いやいやいや、全然ですね。
逆に言うと本当に子供側の視点ってあんまり聞けないじゃないですか。
そうそう。
あんまりちっちゃすぎると覚えてないし、大きすぎると結構苦労が、
結構苦労歴史の人もいますからね。
そうそう、アンタッチャブルな、辛い経験をされた方も中にはいるし、
結構アンタッチャブルなところもあるので、
なんかこうやって実際に仲在ファミリーだった子供の視点って、
39:03
なんかすごい貴重だなと思って。
超貴重。
お役に立てる。
しかもなんか、アメリカの大学の日本人学生はすぐ知るよね。
そう、マキはね。
具体的なアドバイスありがとうございました。
今日はここまで。
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お待ちしてます。
40:04

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