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2025-01-08 27:58

にじシバラジオ#029 『ピーコ伝』から読み解くピーコの思想

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新年早々追悼/『ピーコ伝』 /「ピーコは『日本のおかあさん』」by糸井重里 / 「おすぎとピーコ」の時代 / ピーコとゲイ・アクティビズム / ピーコとゲイのムーブメントの関係 / 芸能界におけるゲイ差別 / 隠すゲイ・隠さないゲイ / 自分が好きな人にゲイであることを言えないのは悲しいこと / マツコと被る存在感 / /

#にじシバ #にじシバラジオ #LGBT #LGBTQ #埼玉県 #川口市 #レインボーさいたまの会 #ピーコ

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こんにちは。にじシバラジオ第29回です。
にじシバは、川口市・芝で定期的に開催しているおしゃべり会です。
にじシバラジオは、にじシバで話題になったことや、ならなかったことについて、
にじシバ座長・ともぞーとぶなのもりの小倉さんとで語り合う番組です。
毎週水曜日配信です。
ということで、今年、正月回を除いてですね、本編としては初めての配信ということになりまして、
改めて明けましておめでとうございます。
初回放送なんですけれども、まあ初回というか、今年初の放送ということなんですけれども、
月の初めの放送ということで、おすすめコンテンツ回になります。
今回紹介するのはですね、昨年の10月くらいかなにお亡くなりになったピーコさんをちょっと追悼したいなと。
あー、追悼かよ。
突っ込んじゃうね。
ピーコさんの反省を振り返るみたいな、そういう本がありまして、
これがですね、コピーライターの糸井重里さんが聞いて、ピーコさんに対してインタビューを取ったものをまとめた本というのがありまして、
これがピーコ伝という本ですね。
これはどこですか?
これはですね、自分が持ってるのは文春文庫プラスという。
文春なんですね。
日本芸周辺から出ている本でして、もともとは日経BPから発行された単行本。
そうなんですね。
日経BPから単行本が2001年11月に出ていて、これが文春文庫プラスで2003年9月に発行。
2001年に出版されて。
もともと単行本は2001年。
2003年に文庫になってる。
そうですそうです。そういう本となります。
この時点でピーコさんは55歳くらいです。
亡くなったのが去年、昨年ということになりまして。
80になってなかったのか、じゃあ。
79歳で亡くなっています。
はいはいはい。
亡くなったのが9月ですね。2020年9月に79歳で亡くなったということでございます。
逆にわざわざピーコで、いといしげさとというビックネームを聞き書きまでしたという、なぜっていう不思議さがあったんですけど。
そこがですね、冒頭の前書き的な部分で書かれていまして、前書きのタイトルがですね、おしゃれの好きな日本のお母さんということで。
で、いといしげさとがどう書いているかというと、僕はピーコさんのことを日本のお母さんだと思っていると書いています。
03:01
すごいですよね。
日本のお母さんです。続けて読みますね。
昔から日本にはいつでも日本のお母さんの役割をしている人がいて、古くは美増愛子だったり、その後は共塚雅子だったり、ひょっとしたら森美塚だったりするのだけれど、今その位置は空席になっている。
今その空席に一番ピタッと収まるのはピーコさんなんだと思っているのだと。
すごい大きな存在感なんだけど。そんなビッグネームだったかなとか思いながら。
2001年段階でいといしげさとはピーコのことを日本のお母さんだと思っていたということですね。
この日本のお母さんというのの定義というかね、どういうものなのかということなんですが、この日本のお母さんは生き物として女じゃないってこと以外に、今までの母とはずいぶん違ったところを持っていると。
ある程度の距離感を保ちながら息子や娘に愛情を注ぐ。そして自分を押し殺して生きるなんてことを否定しつつ家族を思いやる。
さらに安定以上に大切な勇気を子どもたちに教える。
もう一つ、飾ることは人が人らしく生きていくための必要条件なんだとはっきり言い切る。これが21世紀になった日本のお母さんの特徴だ。
ということで、発刊が2001年。
ちょうどね。
ちょうど2001年。
21世紀の入り口でございますね。四半世紀前ですけどね。
そうなんですよ。
25年だからね。
もう四半世紀経ってしまったという感じですけどね。
ということで、21世紀という新時代における日本のお母さんを代表する存在としてピーコさんがいるんじゃないかというのが伊藤一戦が佐藤の見立てだということですね。
なんと大胆な。
そういう観点で、伊藤一戦が佐藤さんがピーコさんに対して話を聞いたというピーコ伝という本となっております。
ついとうはそうなんだけど、なぜ読もうと思ったっていう友蔵さんのモチベーションというのもちょっと聞いておければ。
もともとこの本持ってたんですよね。
買ったモチベーションも知りたいですね。
たぶん研究者やってたときに昔の資料、要するに文献資料の一つとして集めた中の一つだったので、全部全頭誌で読んだのは初めて。
それまではちょっとちらちら。
抜粋用にね。
研究者あるある。
ピーコさんこういうことを言ってたんだなみたいな程度だったんですけど、
今回改めて取り上げてみようかなと思って、全編読んでみたという感じなんですけど、
自分にとってピーコさんというのはワイドショーに出演していたコメンテーター時代がメインだったので、
ワイドショーに出てきて、地域人のファッションを、
06:00
あーだこーだ言うみたいなね。
お母さんというよりコジュートみたいなアメリカ人でしたね。
まあそうなんですよ。
小倉さんはもうちょっと。
そうです。私だから一番中学生の時に、お杉とピーコの深夜ラジオを聞いていて、
セイヤングだったかパックイメージ、セイヤングかなと思うんだけど、
映画票をずっと、たぶんお杉が基本メインにしてて、
でその映画を背伸びして、もう中学生だから全然わかんないんだけど、
大宮まで電車で行って、見たりとかして、かなり影響はされてましたし、
だから中学校の時に仲良くしてた男の子がやっぱり、
当時はゲイって言葉はなかったけども、同性愛者で、
それも含めて自分の人生の中の地続きの、
そういうセクシャリティの多様さみたいなのってのは、
彼らの存在も一つは私に影響を与えてるなってはずっと思ってるけど。
なんかそのお杉とピーコ自体の話っていうのもね、この中に出てくるんですけども、
結構そのお杉とピーコっていうコンビとして、
80年代にラジオを出たりテレビ出たりしているうちに、
やっぱ二人と仲がギスギスしたらしく、
それで結局ピーコはピーコでファッション評論家、
お杉はお杉で映画評論家として、それぞれやっていこうっていうことになったという、
その辺の経緯も書かれていましたね。
なんか喧嘩をしたっていう話がね、書いてあるんですよ。
お杉とドッグミエの大喧嘩。
1982年から近畿放送ラジオで、
4年間夜中の番組をやっていたし、
日曜日には金沢に行って地元の局で二人ぴったりくっつきながら仕事をしていたの。
当然移動も泊まるところも一緒でね、
月日が経つにつれもうお互いうんざりしちゃったの。
しかも私の方は周囲から、お杉の方が才能があるピーコ、
あんたちょっとダメよってチクチク言われてたでしょ。
どんどん気分が落ち込んでいくわけ。
そんなこんなで、地方の仕事やステージで何日も二人で一緒にいるのが、
もう怪我するほど嫌になっていたんです。
あの頃3日以上仲が良かった試しがなかったわね。
すぐにつまんない喧嘩ばかりしていた。
それである年、ついに二人で仕事をするのはもうやめようと決意せざるを得ない事件が起こるんです。
あれは京都と大阪でA.ロクスケさんとA.アオヤノリコさんとご一緒する仕事があった時でした。
それまでにさっき説明したような細かなイライラがお互い積み重なっていたんですね。
今考えると何が直接の原因か思い出せないんだけど。
とにかく何かをきっかけに宿泊先のホテルの一室で、
私とお杉は特組合の大喧嘩を始めちゃったんです。
ほんとこの時はお杉が憎くて憎くて仕方がなかった。
兄弟で憎しみ合うっていうのはもう理屈を超えているのね。
09:00
幸いにも部屋にお杉の友達がいて喧嘩を止めてくれたんだけど、
もしその友達がいなかったら首を絞めてどちらか死んでいたと思うくらいものすごい喧嘩だったの。
ほら心は女でも腕力はやっぱり男だから。
いろいろ20世紀を感じさせるな。
そんなのがあってですね。
そうしたら翌日に阿波屋さんに叱られたエピソードがありますね。
その次の日の夜、阿波屋さんに二人で会ったら烈火のごとく怒られたわ。
あたたちどうしたの。みっともない。ほんとどうしようもないねって。
傷だらけだったのかしら。
そうみたいですね。なんか目の横に漫画みたいな青技を作っていた。
お杉は口を切っちゃって血の跡がついていた。
みたいな。そういう大喧嘩があったみたいな。
大変だな。双子といえども。
お杉とピーコは双子でね。
知らない人は、今時の人は知らないんじゃないですか。
年齢調査して同い年くらいの人が多いから問題はないと思いつつ半分くらいは大丈夫だとしても若い人も聞いていたりするので。
知らないと思うんですけどお杉とピーコは双子です。
その双子のエピソードなんかもいろいろ取り上げられてはいるんですけど、
興味のある人はですね、図書館に入っているかどうかわかんないですが。
そうですね。こういう本って図書館に入るのかね。でも普通ラインナップでね、入ったりとかしたいとこですけど。
国会図書館にはあるかもしれませんが。
ありますね。絶対。
ちょっとですね。
友蔵文庫で貸してくれるそうなので。
二次芝に来ていただいたときに読みたいですって言ったら持参しますので。
で、私今回取り上げたいのは、基本的にはね、お杉さんの、お杉さんじゃない、ピーコさんの反省を、
ピーコさんが幼少時代からお母さんお父さんとのそういう関係性であったりとか、
あとはお杉さんとの関係性であったりとか、っていう生き様的な部分であったりとか。
あとピーコさんの左目をね、89年に取っちゃったというのがありまして。
あれ病気?がんかなんかだった?
そうですね。盲膜剥離をしたんだけども、その盲膜剥離の原因が目のがんだったということで。
で、それで幸い定員をしてなかったのでよかったんだけどということで、それで左目をテキストしたっていうことで。
だからその左目取って以降は、ピーコさんワイドショー出るときにサングラスをするようになったんですね。
で、義眼を入れてたんだけども、その義眼であることがやっぱり、ちょっとぼかすためにサングラスをして出てたっていうことで。
自分はだから、そういう紫色っぽいサングラス、カラーグラスをしたピーコさんの印象がすごい強かったですね。
12:09
で、第一章がですね、タイトルで言うと、お釜恋愛セックス自立っていうタイトルの、ある意味ピーコさんの言い方を述べているような章となってまして、
で、第二章以降がそういう反省振り返りみたいな感じだったんですね。
で、ピーコさん、ゲイ業界というか、ゲイアクティビズム界隈からは、結構両論というか、賛否両論あるような印象を結構持っていて、
ピーコさんが出たことで、テレビで活躍したことで、かえって偏見が強まったみたいなことを言う人もいれば。
逆にピーコさんが出て、いろいろ言ってくれることで、救われたっていうか、
その存在が自分の存在を許しているっていう感じになる人もいて、どっちもいるでしょうね。
どっちもいたのかな。
でもゲイアクティビズム業界は、ちょっと煙たい相手というか、ゲイイコールオネェみたいなね。
血の悪いオネェみたいなステロタイプを助長するんじゃないかみたいなノリだったのと、
ピーコも後半そんなことは言わなくなったけど、前半はそういうゲイはひっそり、
インカ植物のように系の人だったから、ゲイとかそういうのも、リブとかそういうのちょっと嫌だ。
みたいなことを言ってたからね。実際表でね。
80年代くらいの雑誌とかにピーコさんの発言とかだと、そんな感じのノリもあったのかな。
ただこの本だと、もうちょっと詳しく自分の立場を言ってるというか、その辺がちょっといろいろ述べられているところがありまして、
ゲイであることは生活そのものだとピーコは言ってまして、ちょっと読み上げますね。
ほら、カミングアウトしてムーブメントを作ってるゲイの人たちがいるでしょ。
あの人たちは自分たちの存在を社会に認めさせたいと思ってるわけでしょ。
でも私は自分を認めてもらえなくても全然構わない。
私とオスギはただゲイとしてゲイの生活をしているだけなの。
たくさんの人にたくさん見られているゲイの生活。
で、この双子のゲイの生活をちょこちょこ垣間見ているうちに、分かる人も出てくる。
朝から晩まで男と布団に入っているゲイばっかりじゃないんだって。
それが私でありオスギ。
そもそもゲイは男とのセックスのことばかり考えているってステレオタイプな偏見があるわけ。
でもセックスばかりじゃなくて、ファッションのことだって、映画のことだって、音楽のことだって、食べることだって、飲むことだって分かってるってゲイも言うってことなのよ。
ゲイというだけで人くくりに敷いちゃいがちなのね。ゲイじゃない人は。
15:00
ほんとステレオタイプ。みたいなね。そんな感じで。
そうですね。かなり価値観的にもこなれてきているというか、
多分恐らく本当にね、やっぱり不中青年の家やかの時代の前と後ろで、
まあだからちょうどその事件が起こった頃とかそのちょっと後ぐらいはまだ逆にネガティブなことを自分たちでも言わなきゃいけない状況ってのがあったと思うけど、
2000年ぐらいだとちょうどそのソフトランディングして、あるべき形というか本人たちもそんな無理して突っ張って、
そういう人たちと自分は違うんですって言わなくても済むようになってきているのと同時に、
それ以外のやり方もあるよねっていう言い方も可能になってきているんだと思う。
そうですね。まあゲイはセックスばかりみたいな。結局そのゲイ雑誌とかを見ると、
当時のゲイ雑誌の状況でもやっぱ基本は男性の氾濫のねグラビアだったりとか、
まあ出会いが中心だったりみたいな、まあそういうところもあったかなって。
そうじゃないところはだって一緒だから買う必要ないしっていうところもあるじゃないですか。
まあなのでね、そういうところでそのゲイって聞くとセクシャルな部分だけが当時はイメージされている部分があったところで、
まあB子としてはそうじゃなくて、そういう文化的なところにも関心があるんだよみたいなことを伝えるために、
メディアに出ているんだみたいなそういう自負があったっていうところがあったのかもしれないですね。
ちょっと続きなんですけども、
でもね一部のゲイの考えもステレオタイプだったりするからお互い様かもしれない。
だいたいゲイじゃなくても何かムーブメントしている人のいなくて切って、ステレオタイプな枠から出てはいけないんだよね。
フェミニズムともそのあたりに似てるわね。
ステレオタイプのゲイの意見では他を否定してゲイであることが世の中で一番素晴らしいと言いがちになっちゃう。
他人を認めないで自分だけを受け入れてくれるなんていうのはいつまで経ってもダメだと思う。
だから私はゲイのムーブメントに参加しようとは思わない。
私は私。ただゲイだからって言って他のゲイと同じじゃないんだから。
ヘテロの人間だって朝から晩まで布団の中で女とやっていた男もいるし、
全然淡白な人もいるし、泥棒もいれば大学教授もいればいろいろでしょ。
ゲイもそれと一緒。みんながみんな同じってわけじゃない。みたいな感じですかね。
ここで私はゲイのムーブメントに参加しようと思わないとはっきりとは言っていて、
だから美子さんが当時始まったばっかりのレインボープライドパレードに出てきたかというと出てきてはいないということですね。
これが2001年に語られていることだとするならば、ブレズにずっと自分は自分をやり続けられたし、
そうやって発言し続ける人がいたのは、今となっては多様性の一つ。
18:04
ゲイだからといってみんな運動に参加しないとゲイじゃないみたいな。
秋田丸雄二さんはほぼ、あれ、カミングアウトしてないものは。
そうそう、秋田丸さんとちょっと関わり合いのあるところは後ろに出てくるかなと思うんですけど。
歴史だな、すごいな。
でもね、秋田丸さんもXで美子さんとのエピソードを語ってたような気がする。
なんかいい感じで話が被ってくるんですね。
これは10月20日に秋田丸雄二さんが投稿しているXのポストですが、
美子さん亡くなってたのか、ものすごくお世話になった。
いろいろと返しをしたいと接触を試みたけど、この2年ほどずっと連絡が取れなくなっていた。
秋田丸、おいしいとこ行きましょう。
秋田丸、この店は覚えておきなさい。
秋田丸、このワインを開けて、ありがとうございました。
そういう投稿です。
親しかったんだね。
でも全然スタンスは違いながらも親しいっていいね。
それはすごくいいですね、逆に。
秋田丸さんというとね、カミングアウトしてないゲイはゲイじゃないみたいなね。
そういう立場があります。
要はゲイアクティビストですよね。
ゲイアクティビストのすごい先端にいる人みたいな。
でもさ、秋田丸さんってそのスタンスだけど、自分のことを語るのとか下手くそよね。
なんか懐かしい感じのマッチョ男で、自分の生活とか自分のパートナーについて気持ちよく語れないのかよみたいな感じは聞いてるといつもするけど、
その時代の人なのねっていくつ。だからもうちょっと上ですよね。
もうちょっと上ですよね。
ということです。
ただね、ピーコさんが差別についてとかね、同性愛差別とかについて語ってないかというとそんなことは全然なかったと。
で、伊藤志恵里がこう聞いているわけです。
ピーコさんはこの世界、芸能界に入ってからゲイだってことで差別にあったりしました。
とピーコさんはなんて答えてるかっていうと、
あったあった。いっぱいあった。
変な話だけど、もともと杉も私もゲイであることをそんなに重く考えていなかったのね。
まさしくゲイイコール生活の人生だったから。
だからテレビやラジオでカミングアウトするのもちっとも重大なことだとは思っていなかったんだけど、
あるとき突然いろんな方面からいじめられた。
だからゲイ差別についてはしっかり体験しています。
しっかり言っている。
それに対して伊藤志恵里が、例えばどんな差別って聞くと、
昔は大手の新聞にも私たちを紙面に出さないって言われたし、NJKも同じだったと。
あらま、今だったら考えにくいけど。
そう、今は朝日新聞に連載持っているくらいですけど。
21:02
私たちのゲイがダメっていうのならしょうがないけど。
そのゲイは草冠のゲイね。
草冠の方のゲイですね。
私たちがゲイだからダメって理由でしたからね。
もちろん向こうはそうは言わないけど、そんなのわかるわよ。
結局中身の問題じゃなくて、ゲイであることだけで嫌われたのよ。
今も本当のところそんなに変わってないんじゃないかと思うけど、
とにかく差別は常について回りました。
20数年前、衆議院に初当選した時の石原慎太郎にも言われたわ。
ああ、言いそう、それは。
よりにもよって私と大杉が出演した選挙特番で、
だいたい本元精神病院の患者も一票持っていることが許せないって、
会ったこともない私たちを名指しで叫んでいたの。
さすがに腹が立ったけど、
何言ってるの、選挙中はあんた前進柱に頭を下げていたくせに、
それしか言い返せなかったのがその時の靴床よね。
もっと言ってやればよかったみたいなね。
石原慎太郎は、この2001年の段階で、20数年前に、
美子さんと大杉さんに対して、
本元精神病院の患者が一票持っていることが許せないと言っていた。
もう人権を剥奪しろと。
その後、2010年に同性愛者差別発言をして大炎上したので、
30年経っても変わっていなかった。
死ぬまで変わらないタイプなんですね。
石原慎太郎さんもすでにお腹になられましたからね。
あと一つ印象的だったのが、隠す芸隠さない芸という、
そういう招待でついているところがありまして、
今の若いゲイの子たちの多くは、
ゲイであることを親に内緒にしている。
なぜかというと、カミングアウトすると親がおかしくなっちゃうからなのよ。
言い換えれば、親からまず差別を受けるってこと。
それじゃ他人に差別されるのも仕方がないわよ。
講演会でお母さんたちに、
ゲイの人の話を聞きに行くのが好きな人は手を挙げてみて、
そう聞くとたくさんの人が手が挙がるんですと。
その中で息子さんを持っている人は手を挙げてください。
そうするとまたたくさん手を挙がるの。
じゃあ息子さんにゲイですって告白されてもいい人は?
ほとんどの人が手を挙げないわね。
そこでこう話すわけ。
私はここにいるお母さんたちにお願いしたいんです。
ゲイというのはちょっと違うのかもしれないけど、
皆さん、三河健一さんだとか私たちみたいなのを喜んで見に来てくれていますよね。
そんなあなたたちの息子がもしゲイで、
そして自分がゲイであることを母親に話せないとしたら、
それでその子たちがどれだけ悲しむか想像がつきます?
一番好きな人に自分がゲイであることを言えないのは本当に苦しいことなんです。
ゲイだろうとゲイじゃなかろうと、あなた方の子供に代わりはないでしょう。
たとえみんなから嫌がられても差別されていても、
せめてお母さんくらい認めてやりなさいよ。
だいたいあなたたち、自分の息子がどんな女を嫁に連れてくるのかが心配するんでしょう。
24:03
だったら息子がゲイってことの方が何歩か楽よ。
そう話すと母親たちは納得するんだけどね。
するんかい!すごいな。
でもそこら辺が、お母さんを怒る存在としてのワイドショーだったり、
講演会だったりする存在として、今のマーツ・コデラックスにつながる系風ですよね。
お母さんたちもそれを聞いてふーんって思ったかどうかは別として、
でも言ってやりたいことは、たぶんその人たちに言いたいことってあるわけじゃない。
本当に子どもがゲイだったときに、あるいはレズビアンだったときに、
それを絶対否定してかかられるというふうに子どもに思わせるということの予想は立っちゃってるわけなんだね。
その人たちに何か言ってくれる存在みたいな人気は常にあるんだと思う。
それはやっぱり今出てきたマス子さんとかと同じような感じなのかなっていうところは、
その辺でマス子さんと被ってくるピーコさんの存在。
ピーコ伝の意味もね、ちょうど中間点というか、ピーコってそんなに大きなビッグネームではなかった。
伊藤石瀬さんの方がよっぽどね、聞いてる伊藤石瀬さんの方がビッグネームだから。
なんだけど、そういう中点みたいな意味では、今のマツコにつながる何かは感じるし、
マツコがやっぱりそれこそバディ以降の、それこそバラ族時代のじゃなくてね、
バディ時代のそれ以降の存在ってことを考えると、
時代の変化も感じながら、その前は大変であったであろうということも想像がつくし。
でもやっぱりピーコさんは、さっき言ったようにね、
ゲイアクティビズム業界的にはちょっと煙たがられなしだったけど、
このピーコ伝の中で出てくるエピソードを見ると、
ピーコさん、ピーコさんできちんと自分が差別の問題だったりとか、
そうしたものに対してきちんと問題化して立ち向かっていったというふうにですけど。
絶対それはそうだと思うんですよね。
だからそれはもう、そうじゃなかったら、
誰がお姉キャラをね、わざわざ選択してさ、
ネタですって言ってやるゲイがいるのっていうところだけど、
その時代は本当にそういう出方がギリのギリだったんだろうなと思うし、
それこそボーイフレンドの話じゃないけれども、
当時はギャグでしかフィーリングカップル的なものできなかったけど、
まさにその中でずっと生き残った人だもんね。
そうですね。
そういうボーイフレンドみたいな番組であるとか、
そういうLGBTの認められやすさみたいな、
そうした部分につながっていった2000年くらいの動き、
あるいは80年代くらいから2000年にかけて、
27:01
ピーコさんが果たしてきた役割っていうのも一定程度ある。
あるんでしょうね。
ちょっと振り返ってみたいなというところで、
今日は取り上げてみました。
すごいですね。
貸してくれるそうですよ。
西島に来れば。
事前に連絡いただければ持っていきますのでね。
ということで、
二次芝は川口市芝のシェアスペースとプランで、
月2回開催しています。
ジェンダーやセクシュアリティに関わらず、
誰でも参加できるおしゃべり会で、
LGBTQに関するさまざまな話題などについておしゃべりしています。
詳しい開催日程などは、概要欄のホームページをご覧ください。
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それではまた来週お会いしましょう。
さよなら。
さよなら。
27:58

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